第44話 薄暗闇の少年兵
ティーパーティーの極秘会議の後、ミカとセイアは救護騎士団が用意した場所に移動した。
セイアは治療が必要で、そして重要人物を二人守るなら集めてしまった方が都合が良いのだ。そもそも、そのうちの一人はミサイルすら殴り返せそうなゴリラなのだから護衛戦力としても数えられるし。
夜になった。
セイアは簡単な検査を受けた後に少量の水を口にして眠ってしまった。いきなり固形物など食べてしまえば死ぬ危険性もある重病の身なのだ。
だから、まあミカは暇だ。病人でもないから、眠くない。とはいえ、この屋敷を出ることも許されていない。
ミカは、新鮮な空気を吸うためにベランダに出る。無論、それで監視が途切れるはずもない。そもそも身を隠せばその時点でナギサに連絡が行く監視対象なのは相変わらずなのだから。
――そうでなければならない。監視を外して敵に違和感を気取られるわけにもいかないのだ。未来を変えないために、色々配慮が必要なこともある。
「……来たね、サオリ」
ミカは誰にも聞こえない程度の声で呟いた。そして、侵入者……サオリもまた特殊な発声法でミカにだけ聞こえるように返す。
「百合園セイアが生きていたらしいな。……そこに居ると」
「そう、ここに居る」
ぞっとするような、押し殺した冷たい声を出す。不良などではない、キヴォトスの闇を体現したかのような静かに殺気を振りまく怪物同士の対話である。
「貴様がやる気を失う様なことがないかを確認しに来たのだが、その必要はなかったようだな」
「あは☆ 何をふざけたこと言ってるの。私にあんな恥ずかしい真似までさせておいて、今さら逃げるのなんて許さないよ」
「……しかし、ミカ。お前はそれで――」
「ナギちゃんはおバカさんだから、お涙頂戴の適当な演技をしとけば騙せる。セイアちゃん襲撃事件の真犯人が私だとバレれば大変なことになるからね。やったのはアズサちゃんだけどさ。それにセイアちゃんは色々と知っていることがあるけどさ、予言が証拠になるわけないじゃん。どうせ人を説得するのが苦手な子だし」
「いや、私が言いたいのはそういうことではなく……」
「なに? まさか笑いすぎて腹が痛いとか言い出さないよね? そんなにお腹が痛いなら、優しくお腹を押さえてあげようか?」
押し殺した声で怒気をばらまく。
泣いてセイアに縋ったのが演技だと、そしてあれは屈辱だったと殊更に示すように。今の怒った演技こそ過剰かもしれないが、サオリにそれを見抜くだけの目もない。
ただ、続行の意思を確認してこいと命令されて、そして確認したのだから任務は終わったと――それだけしか考えていない。
……多少は、罪悪感を抱えてはいるものの。
「そうか。お前がそれでいいのなら、それでよい。……続けるのだな?」
「当たり前じゃん。セイアちゃんが復活しても何も変わらない。セイアちゃんの任期はあまり残ってなくて、あの様子じゃナギちゃんがホストを代行するのは変わらないね。だからこそ、ナギちゃんを抑えないとホストとして権力を好き勝手できないじゃん? ――何も状況は変わってない」
けらけらとミカは嗤う。権力を手にするために全てを踏みにじる愚か者の仮面を被るために。
「そうか、お前はまだ囚われているのだな。――良いだろう、そちらの方が我々にとっても都合が良い」
「あは。アリウスは私を利用して、私はアリウスを利用する。私は権力をこの手に掴むため。あなたたちは地上の生活を謳歌するため。……そして、共にゲヘナを潰すの。最初から、そういうことだったでしょう?」
「――そうだったな」
「で、用件は私を笑いに来ただけ?」
「ああ、悪かったな。作戦は予定通りに準備中だ、私は帰る」
「……待ってよ、サオリちゃん。私だけ笑われるのは不公平だと思わないかな」
ミカがニタリと笑いをこぼす。そう、それはまるで魔女のような。
「好きに聞け。答えるかは知らんが」
サオリも警戒する。とはいえ、実際の所では立場はミカの方が上だ。へそを曲げられてはたまったものではない。
問いに答えるくらいならいくらでも。……答えられないこと、否――知らないことも多いけれど。
「アズサちゃんさ、無駄に頑張っているみたいだね? 補習授業部なんてものに入れられちゃってさ。疑いはかかってるけど、確定じゃないからね。勉強すればトリニティに残れるだとか――そんなわけないのに、頑張ってるみたいだよ。ほら……推薦者としてどう思うのか、ちょっと聞かせてくれないかな?」
「……スパイとして、学園に残ろうという努力は当然だろう。そもそも、疑われたことこそが未熟な証だ。挽回しなければ未来はない」
「うん? サオリちゃんはアズサちゃんが追放されてしまえばいいと思ってる? トリニティから放り出されて、どこかへと流れて……さ」
「そんなことはない。あいつが作戦の要であることは変わらない。もっとも、アリウスとしてはアズサが失敗しても問題ないほどの戦力は用意してあるが」
「あは、違う違う。作戦の心配じゃないよ。ねえ……トリニティから放り出される、そんなことがあると思う? 放逐の際、何が起きても不思議ではないんだよ。ブラックマーケットに行ったはずなのに、後でそこを探しても居なかった――とか」
「……そんなことがあるのか?」
わずかにサオリの声に怯えが混ざる。仲間を失うこと、それはサオリにとっては最悪の事態だ。それを防ぐため、それだけを防ぐために今までの全てがあった。
ミカの言葉は、サオリの鉄面皮を崩すには十分な威力があった。明らかに、アズサの謀殺を示唆している。
「あは、面白い顔が見れた。これでお相子だね?」
「だが、我々が失敗すればお前も失脚する。アズサと何も変わらぬ未来になってもおかしくないのだぞ」
「だから、恥ずかしげもなく泣き真似までしたんじゃん」
「……頼むぞ」
それだけを言い残してサオリは姿を消した。
「逃げられちゃった☆ ま、釣れたことには釣れたし。これでいいかな。あとは……特に仕事もないし、セイアちゃんと一緒に先生に話しに行こーっと」
先ほどまでの怖い笑みを捨てて、へらへらとセイアの元まで走っていく。
そして、セイアは起きてしまったのか狸寝入りを決めていた。ミカはベッド脇に優しく腰を下ろして先生との通話を繋ぐ。
狸寝入りがバレていると観念したのか、セイアが口を開く。
「ミカか、遊びに来たのかね。私はもう疲れたのでもう一度寝たいのだが」
「そんなこと言わないでよ。一緒に先生と話そうよー」
通話がつながる。
「ミカ? こんばんは」
ミカが手際よくテレビ通話に変える。
「先生、こんばんは! 夜遅くに電話しちゃってごめんね、忙しかった?」
「いや、大丈夫だよ。仕事中だったからね。……減らないんだ、書類。怖いよね……」
ミカ、はテレビに映るのは私とばかりに画面に近寄る。先生は苦笑を返す……が、すぐにトラウマを思い出して青い顔で震え始めた。
「うんうん、分かるー。これ私がやるの? って量が机の上にあったかと思えば、失礼しますなんて言っておかわりが持って来られるんだよね」
「ぐはっ。ト……トラウマが……。やめて、リンちゃん。もう机の上が倒壊しそうなの……」
聞こえてくる先生の声が本当に泣き声になってしまった。
「あはは。これ以上は私も自分の傷を抉るようなものだから、この辺でやめとこっか。……今日はね、どうしても先生に話しておきたいことがあって電話したの」
「うん。聞かせて」
ミカは表情を真剣なものに変える。先生も、つられて居住まいを正した。
「先生にこの子を紹介したかったの。……私の、親友だよ!」
ずい、とスマホをセイアに向ける。小さなセイアの顔が大きく映った。びっくりして眉を震わせる。
「――」
先生は息を呑んだ。何も調べないほど鈍感じゃない。先生として何も知らないふりをすることはあれど、それは不公平を無くすためだったりする。
今、まさに呆気にとられた。だって、彼女はトリニティで病床に伏せっているはずで……しかし、入院先の情報はどこにもない”行方不明”なのだから。
「はじめまして、になるのかな? それとも、久しぶりと言うことになるのだろうか。実を言うと私は君と初めて会った気がしないのだよ。夢の中で会った――ということはないかな」
「いや。初めましてだと思うけど?」
「あはは、セイアちゃん。下手なナンパみたい。あ、先生。この子は百合園セイアちゃんって言うの。仲良くしてあげて?」
黙れミカと、小さくうなってからセイアは続ける。
「初めまして、であるのなら――この問いを投げかけさせてもらいたい」
「うん。答えられることなら」
セイアは目を細めて、先生の真意を覗くように彼の顔を見つめる。目と目が合う、まるで深淵を覗き込むように。
「キヴォトスの『7つの古則』はご存じかい?」
「その五つ目は、正に『楽園』に関する質問だったね。〈楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか〉」
「他の古則もそうであるように、少々理解に困る言葉の羅列だ。ただ、一つの解釈としては、これを〈楽園の存在証明に対するパラドックス〉であると見ることができる。もし楽園と言うものが存在するのならば、そこに辿り着いた者は、至上の満足と喜びを抱くが故に、永遠に楽園の外に出ることはない」
「もし楽園の外に出たのであれば、つまりそこは真の悦楽を得られるような〈本当の楽園〉ではなかったということだ。であるならば、楽園に到達した者が、楽園の外で観測されることはない。存在を補足されうるはずがない、存在しない者の真実を証明することはできるのか?」
問いを終えた。先生は話が終わったことを確認してから、ううんと頭上を仰いだ。
「とても難しい問い……というより、哲学かな?」
「そうとも言える。つまるところ……この五つ目の古則は、始めから証明することができないことに関する〈不可解な問い〉なのだよ」
「うん。楽園の外で観測されることはないと言いながら、存在を証明せよと言っている。これは明らかに矛盾だね。観測できない存在証明は、ただの仮説だよ」
「そう、仮説。しかしここで同時に、思うことがある。証明できない真実は無価値だろうか? この冷笑にも近い文章を通じて、何か真に問いたいことがあるのではないだろうか?」
セイアは苦しくなってきたのか、胸元を掴む。ミカが心配そうに抱き寄せた。顔を歪めながらも、更に問う。
――否、懇願する。
「もしかしたらこれから始まる話は、君のような者には適さない、似つかわしくない話かもしれない。不快で、不愉快で、忌まわしく、眉を顰めるような……」
苦しそうに息をする。血の気が引いて真っ青になっている。
「相手を疑い、前提を疑い、思い込みを疑い、真実を疑う様な……」
今のセイアが重病人であることは変わらない。そもそも長期間寝たきりであるというのは、それそのものが病気である。そして、セイアが目覚めて半日では回復の時間が足りない。
「悲しくて、苦しくて、憂鬱になるような……それでいて、ただただ後味だけが苦い……そんな話だ。しかし同時に、まぎれもない真実の話でもある。どうか背を向けず、目を背けず……最後のその時まで、しっかり見ていてほしい」
それでも、訴える。それが、破滅の未来を予知しても今此処にあることを選んだセイアの責任であると思うから。
たとえ全てが無駄になるとしても。この世の全てが光に閉ざされ消える”虚しいもの”であったとしても。
「ミカと、ナギサと、私。残酷で胸の悪くなるような
絆を紡ぐことは無駄ではないと信じるから。
「もちろんだよ、セイア」
だからこそ、先生は力強く頷いた。