聖園ミカの弱くてニューゲーム   作:Red_stone

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第54話 パラドックスの寓話

 

 

 セイアとミカは変わらず救護騎士団所有の建物に閉じ込められていた。特別待遇の病室だ、他の人間を入れては警護の手間が増えるという事情もあるけど。

 補習授業部を含むこの件は機密として一般には公開していない。けれど、ミカが犯人だったのは救護騎士団は知っている。そして、逮捕までしなくともこの騒動で牙を折ったという認識――だが解決とは行かない。

 たとえミカを牢獄に閉じ込めたところで、セイアの危機は変わらない。なぜなら彼女を狙う黒幕は未だに健在、アリウスの尖兵を倒したところでその勢力を削れたなどとは誰も思っていない。そもそも、これでアリウスが終わったなどと思える訳もない。生徒会長に類する存在だって姿を表していないのだから。

 

「……ふっ。ふっ」

 

 ゆえに、まあ――セイアとミカが同じ病室に居るのもまあ当然の帰結である。どちらもセイアが特に反対しなかったというのは前提だが、治療する側としても警護する側の事情としてもそちらの方が楽だからだ。

 もちろん、ミカとて病人だ。身体の怪我などすぐ治るが、トラウマはそう簡単には癒えない。どころか、折れて曲がった自らの心とうまく付き合っていく必要がある。

 その意味では、ゆっくり静養すれば治るセイアの方がまだ軽症と言える。……それに、ミカは生徒会長の座を追われなかった。それこそ、被害意識の強く疑り深い大統領などどんな悪夢だ。早急に治療の要がある。

 ……まあ、そんな危ない王様はどこにでも居るけれど。現に、ミカは今腕立て伏せをしている。

 次の戦いに備えるのは未来を知る者として当然だが、まあそれをはたから見れば――誰かに襲われるかもしれないという妄想に囚われてるから鍛えているのだと、そんなふうに見られてしまうことだろう。……実際、ミネ団長はそのように診断を下している。

 だからまあ――ミカが病室を出る日は、セイアのそれより遠いのかもしれない。

 

「ミカ。……いや、ミカちゃん。――煩いのだが。世の中には女の子の汗に興奮する変態が居るそうだが、あいにくと私はそうではないのでね。君の汗など嗅ぎたくないのだよ」

 

 そして、ベッドの上にちょこんと座りながら読書をしているセイアは呆れた目で腕立て伏せをしているミカを見る。

 はあ、とため息をついている。心の底から、「こいつ、はあはあうっせえな」と思っている。

 

「ええー? でもさ、こんな場所にずっと閉じ込められて運動も出来ないとお腹ぷにぷにしちゃわない? ……あ、セイアちゃんはまだ鶏ガラか」

「――失礼なことを言うものではないよ。確かに救護騎士団の治療を受けて私の魅惑のぼでーはますます磨きがかかっているが。しかし、痩せすぎなきらいのある今の身体でも、十分な魅力は所持していると自負しているよ」

 

「ううん? ほんと? ま、女の子だったら痩せすぎくらいが理想な身体なものだけどねー。でも、私はそう思ってないから。倒れそうなくらい痩せ細った身体で、一体何を誇るんだろうね」

「ふむ。まあ、世の女子どもの痩せ信仰にもの申したいことがあるのは私も同じだね。つい最近はこの私も彼女達が憧れるような身体だったが、それは1年寝たきりだったからだよ。ちゃんと食事をして戻している」

 

「もうちょっと戻した方がいいんじゃない?」

「そうだね、私もそのつもりだよ。だが、今のままでも十二分だと主張したい。……ふふ、先生に誘惑をかけてしまおうかな」

 

 ニヤリと笑ってしなを作って見せる。ノースリーブの上にケープを羽織っているミカもけっこう露出は高いが……実は露出度と言うならセイアはピカ一だ。

 眩しい背中を惜しまずに晒している。そこだけ見れば水着でもないような露出度であった。

 

「――あはは、面白い冗談だね。先生は生徒がアタックをかけても優しく断るよ。守るべき者とそういう関係になる人じゃない」

 

 ミカからすん、と表情が抜け落ちた。あ、まず。と思ってセイアは流すことにした。

 

「そうかね。ま、一度話しただけの私では分からぬことも多いだろう。経歴を見て、そして実際に話して信用できる人物とは分かった。……が、やはり一度話しただけ。きちんと顔を合わせた訳でもないのだからね」

「……先生。トリニティに呼んでも大丈夫かな? まだ危ないかな」

 

「状況は何も変わっていない。会うなら、我々の方から足を動かす必要があるだろう。まあ、そんなことは過去に何度も会議で話した通りだね。……ところで、いつそれをやめるのかな?」

「それ? なんか私、しちゃった?」

 

「うむ。やっているね……今も」

「今……いま?」

 

 ミカがこくりと首を傾げる。ずっと腕立て伏せをやめずに。そう、会話している最中も扇風機のごとく繰り返して風を起こしていた。

 セイアはずっと顔をしかめていた。

 

「その腕立て伏せをやめなさい、と私は言っているのだよ。ゴリラに人の会話を理解してもらうのがこんなに難しいと思わなかった」

「そうなんだ、ゴリラと会話するのは大変そうだね。でも、運動をやめるのはなあ。セイアちゃんは鶏ガラを脱したところだからいいかもしれないけど、私はこれ以上太れないんだよ。お肉ついて重くなってる場合でもないしね」

 

 腕立て伏せをやめないし、しかも皮肉が通じていないミカにセイアはため息をこぼす。

 

「ふむ。……君はアキレスと亀のパラドックスを知っているかね?」

「亀? もしかして、ウサギと亀の話かな」

 

 うるさいミカの前で読書をするのを諦めたのか、セイアはパタンと本を閉じて横に置く。ミカの方はまだ腕立て伏せをしているけれど。

 

「それも示唆的な話だね。ところで、君はウサギと亀の話をどれだけ知っているかな?」

「え? 知ってるも何も、馬鹿なウサギがサボって負けたってだけの話でしょ? かけっこしたけど、油断して昼寝したら寝坊して負けちゃったって言う。馬鹿だよねー、敗者を完膚なきまでに叩き潰してこそ……勝者というものでしょう?」

 

「敗者に慈悲を与えるという油断ほど恐ろしいことはない。為政者側としては確かに教訓となりえるね。けれど、この話は別バージョンとして亀がウサギを殺して勝ってしまう話もあるんだ」

「……は? ウサギの方が強いでしょ。どうやって勝つの?」

 

 興味を引いたのか、床の上にそのまま女の子座りをしてセイアと目を合わせる。セイアもくすりと笑って話を続ける。

 

「親戚とかに手伝ってもらって、コース中の各点で本人のように振舞ったのだ。焦ったウサギは急ぎすぎて心臓麻痺を起こしてしまったそうだよ。まあ、実際にはうまく行くわけがないのだが寓話だしね。小さな力を結集して大きな敵を倒す、なんとも夢のある話だと思わないかな?」

「……夢、ねえ。それ、私が話したのとどこが違うの? ウサギは馬鹿だから勝者の座から転落した。ただそれだけじゃない。負けた側は悲惨だよ、死ななくてもね」

 

「ふむ。それもまた道理だね。結局、ウサギが間抜けだから負けたのだと。騙されたことにしたって、まずは何かしらのイカサマだと疑うべきだ。焦って焦って――それは、とてもではないが勝者のあるべき姿ではないね」

「で。結局、セイアちゃんは何が言いたかったの?」

 

「ああ、そうだ。こちらはどうでもいい。敗者は間抜けで視野狭窄だから負けるのだと、そんなことを言い聞かせても無駄だからね」

「……それ、私のこと? まあ、確かに視野狭窄は私の十八番かもしれないけど」

 

「そうだね、ミカちゃんのことでもある。けれど、私のことでもあるのさ。きっと、ナギちゃんも。追い詰められれば誰だって視野狭窄になり、そして間抜けとしか言いようのない最期を辿る。とはいえ――幸い、今は窮地ではないがね」

「そうだといいけどね」

 

「なに、こうして無駄話をする余裕があるのだ。まったくもって問題はない。ところで、アキレスと亀の話だったね」

「ああ、そういえば。何だったの、それ」

 

「今回は同時にヨーイドンではなく、アキレスと言う名の男が走って亀に追いつく話だ。アキレスと言う男が走り出したのは、まだ亀まで距離がある時だ。アキレスが亀の10倍のスピードで走ったとして、亀もまた走っているのだよ」

「走ってるの? 歩いてるんじゃない?」

 

「そんなのはどっちでも良いことだ。アキレスが10m走ったとしたら、亀も1m歩いていると言ったね。ここでだ、細分化して考えてみよう。アキレスが走るが、亀も歩く。そう、それをどんなに細かく刻もうとも」

「細かく? 大股で走るのから、ちょこちょこ走りでとか?」

 

「黙りたまえ。アキレスが1mならば、亀は0.1m。そして0.1mに刻もうが亀は0.01m進んでいるね……どこまで細かくしても変わらない。アキレスがどれだけ距離を刻もうとも、亀もまた進んでいる。これでは、どこまで刻んでも永久に追いつくことはない。なぜなら、彼が走るときには亀もまた歩いているのだから。これがアキレスと亀のパラドックス。どれだけの速さを誇ろうとも、亀に決して追いつけない男の話だよ」

「……ふうん」

 

 語り終えたセイアに、ミカは胡乱気な視線を返している。

 

「何か、言いたいことがありそうだね?」

「いや、それって詭弁じゃん。論点をずらして変な方向に持って行ったから結論も変になってる。アキレスとか言う奴がやりたいのって”追いつくこと”だったかな? ”追い越す”んでしょ。さっさと追い抜けば、その話って終わるじゃん」

 

「……くく。やはりミカちゃんは面白いな。全てを力づくで突破するか。まあ、こういうのを嗅覚が利くというのかな。確かに、そこの前提条件を入れ替えることで人をペテンにかけている。そういう見方もできるだろう」

「まあ、”追いつく”ことが本当にできるのかって話なら議論の余地はあると思うけど。本当に同時に同じ地点に立ててるの? それを証明できるのかって言う」

 

「だが、その取り留めのない茫漠さこそがこの話の題材だろう。詐欺師のペテンではなく、未来の話と考えてみれば?」

「……未来? 未来視のこと?」

 

「そう。我々の見た未来は本当に未来のことなのか。未来とはどれだけ近づいても到達できないもの。この話はそれを寓話にしたものではなかろうか」

「いや、まあ……未来視の未来を変えるって、じゃあ見たのって未来じゃないじゃんとか思ったりするけど」

 

「古来より、人は寓話になぞらえて教訓や問いを残した。ここで、アキレスが問題にしているのは亀に追いつけないということではない。獲物を得たいのならば罠にかければいいだけの話だ、追いかける必要はない。彼は、届きそうだけど手を伸ばしても触れられないものについて未来に問いかけたのではなかろうか」

「――ううん、面倒なことを考える人だね。でも、それって重要? 目に見えないもの、数えられないものに価値はあるのかな? 私たちは現実の世界に生きているのだもの」

 

「目に見えないもの、数えられないものの存在価値を問うのかね? だが、世間で言う”見えるけど見えないもの”の代表格は『友情』らしいよ」

「ウソだよ。会った回数とか、話した回数とか。定義は色々かもしれないけど、数えられるよそれは」

 

「……友情は、虚構ではなく実在のものと?」

「光だって触れないし、あとなら学力もそうかもね。ものとして見れたり触れなくても、ちゃんと”ある”ものだから」

 

「ははは! なるほど、確かにあるとも! まったく、君には驚かされてばかりだ。いや、だからこそ私は本当に君と友達になりたいと思ったのだったな」

「うん。私とセイアちゃんは友達だからね! じゃ、話は終わったみたいだし私は運動を再開しようかな」

 

 そしてまた、ミカが腕立て伏せを始める。のを、セイアは止める。

 

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