そして、またある日。先生はトリニティの教員から相談を受けていた。
「現在ミカさんは校内で暴力沙汰を起こしたため、反省部屋で謹慎中です」
「暴力沙汰ですか?」
先生は柔和な笑みで相手をする。そもそも目の前の彼を同僚などとも思っていない。そいつの立場こそ教員であるが、その本質は用務員と変わらない。
生徒を導くこともなければ、何かの責任を取りもしない。ただ決められたことを、決められた通りに作業して給料を頂く作業従事者だ。
「はい。別の生徒さんに手を上げたようで」
「一体何があったんですか!?」
「詳しくは私も分かりませんが……今日のプールの授業で、ミカさんが見学していたんです」
「……見学?」
「そうです。それも、授業が終わるころにやってきて、プールサイドで見学をするわけでもなく、あちこち歩き回っていたようで……」
「ミカさんの授業態度にも問題はありました。そのことに不満をいだいた何人かの生徒が抗議をしたようです。そうしたらミカさんが彼女たちに手を上げて……」
「……」
「幸い、その生徒さんは大事に至りませんでしたし、ミカさんも自ら謹慎を望んだので、そこで話は終わりましたが……」
「今のミカさんの立場のこともありますし、ちょっと状況が複雑でして……あまり大事にならないといいのですが……」
「それで……その、ミカさんをシャーレの先生にお願いできればと」
困ったように言うそれは、まあ先生にとっても慣れたものだ。ことトリニティにおいて、教員が決められることなど何もないのだから。
とりあえず仲裁して、問題が鎮火するまでひたすら誤魔化す以外の選択肢はない。少なくとも、そこに居る”大人”には。
「……分かりました」
「ありがとうございます! では私は用事があるので、失礼いたします」
その教員はそそくさと引き上げていった。その無責任で生徒を突き放した態度は、実はどこの学園としても変わりはしないのを先生は知っている。
「……」
去っていく背中を冷たく一瞥して立ち上がる。
謹慎中のミカの身柄を引き継ぐことになった。無言で開放された彼女を連れて、早足で移動する。まあ、ミカのことだからむしろ遅いくらいの速度だろう。
しかし、心の方は別である。先生の歩く速度くらい知っている。怒っているのかも、と貼り付けた笑みの裏に恐怖を押し殺している。
「あはは……また、こんな風になっちゃった。ガッカリした……? でも、知ってるもんね。私が不良生徒な事」
瞳が不安げに揺れる。
「放っておいたら揉め事ばっか起こす……そんな問題児なんだから。迷惑ばっか、かけちゃってるし……そろそろ――」
教員の目も届かなくなったかと、先生は後ろを振り向く。思った通りに、泣きそうなミカの顔が見えた。
急いで人気のない場所まで足を運んだとはいえ、往来で弱った姿を見せるほどにショックを受けているのだ。
「水着なくしたの?」
「わたし……せ、先生に買ってもらった水着、だった、のに――」
心当たりを聞くと、ミカの目から涙がこぼれた。
「先生……ごめんね。先生が買ってくれた水着、ダメになっちゃった……まあ、当然だよね……今まで私、散々酷い事ばっかしてきたから……私が『いい子』だったら、こんなことなってないもんね」
ミカが身に着けた道化の仮面。それは政治家としての武器にして心を守る鎧だったが、粉々に打ち砕かれていた。
それほどまでに弱り果てたミカの姿を見て、先生は悲しくなる。見守ると決めたことを後悔しそうになるほどに。
「でも今回は……本当に、頑張ったのに……なのに……うまくいかなかったなあ……」
韜晦するように呟いて、涙がこぼれた。これは、本当に限界らしい。
「ごめんなさい……私、いつも先生の好意を台無しにしちゃうね……この水着で泳ぐの、楽しみだったのに……」
「……やっぱ、私には無理なんだねー」
空を仰ぐ。泣きわめくことはない。ただ無気力に虚ろな瞳を空へ向けている。
「何をしたって、もう取り戻せないんだ……」
「ミカ、今日は時間ある?」
だから、先生はその震える手を取った。
「……えっ? 時間……? う、うん。まだ門限までは全然あるけど……」
「じゃあ、水泳の授業しに行こっか」
「えっ?」
迷いに揺れるミカを連れて購入した店まで行ってズタズタにされた水着を直してもらった。準備完了と、また他の場所に連れ出していく。
「せ、先生……どこに向かってるの? こっちは教室じゃないけど……」
「そうだね」
「水泳の授業、だよね……何をするのかは分かんないけどさ……あと今の時間は、どこも開いてないはず――」
「いい場所があるんだ」
そう行って連れて行った場所はいつかの館。使われていない旧校舎だった場所。新しい絆が育まれた場所。
「ここは……そっか……そういえば、ここがあったね」
「思い出の場所、だよね?」
そこは補習授業部が力を合わせて青春を送っていた場所。そして、それと同時にミカが秘密を打ち明けてくれた場所でもある。
その思い出があったから、ミカは悪い方向に振り切れることはなかった。まだ救いを求めることが出来ていた。
「……うん。長い間放ったらかされて、手入れもされず汚れたままだった……ほんと、手の施しようがないくらいにめちゃくちゃだったのに――」
ミカは掃除を手伝ったわけではない。誰にも知られずに先生と会うために侵入しただけの場所だけど。
それでも、想い出深い場所には変わりがない。
お姫様と、言ってくれた場所だから。
「今はこんなに綺麗に生まれ変わってる」
「うん、水着もそうだよね。他も、同じだと思うよ」
この場所は一度寂れて人が離れた。それでも、かつての美しい姿をもう一度取り戻すことができたのだ。そこは、そういう場所だ。
「で、今から先生と水泳の授業?」
ミカはくすりと微笑む。道化の仮面は人と付き合うための装いでもある。仮面を被るのは別に悪い事ではない。元より女は服と化粧で着飾るものだ。
それを取り戻すことができたのなら、大丈夫だ。
「こんな深夜の……しかも人目のない場所で二人きり……? 大丈夫? バレたらヤバいんじゃない?」
「あっ! そ、そっか」
先生は、また悪い状況なのに気付く。前回、寮の部屋に押し込まれたのに同じ間違いを犯していた。
しかも今回は、自分から。
「ま、私はいいんだけど☆ 着替えてくるから待ってて!」
「ま、待ってミカ!?」
と言うけど、ミカは待たない。ささっと着替えてきた。
「じゃじゃ~ん☆」
時折子供のような顔を見せるけど、やはり身体は大人の魅力を十分に備えている。……それは、一晩中抱きしめていたから先生も十二分に知っていることだけど。
「見て、先生! ちょっとキツいけど、すっかり元通り! どうどう? 似合う? 学校指定の水着でもいいカンジ?」
ニコニコと笑うミカは、ぐいぐいと近づいてくる。
「ねぇねぇ??」
あの夜で距離感がバグったのか、水着なのにも関わらずキスできる距離から――更に近づいて先生の胸に豊かな双丘が触れそうになって。
「えっと……ミカさん、ちょっと……近すぎます」
一歩、退いた。
「あははっ! なに、女子生徒の水着姿だよ? 逃げるなんて、傷ついちゃうなぁ」
小悪魔のように笑って、今の自分の姿をもう一度見直して……
「……」
我に返ったように顔を真っ赤にしてプールに飛び込んでしまった。水音が響く。
「うわぁ……冷静に考えたら、めちゃくちゃ恥ずかしくなっちゃった……」
「ミカは考えるより先に身体が動くタイプだったよね」
くすりと微笑んだ先生がプールサイドから水に揺蕩っているミカを見下ろす。
「あははっ☆ うん。根っこはそう簡単には変わらないみたい。先生も入る? すっごい気持ちいいよ☆」
「いや……水着持ってきてないし」
ふわりと笑うミカに、先生は苦笑を返した。
「ええ~。あっ!」
そして、唐突に悪戯を思いついたような顔をした。
「……ミカ」
「あうっ! あ、足が……」
足を抱えてぶくぶくと沈んでいく。
「ミカッ!?」
上着を脱いで、ついでにタブレットもその上に置いて飛び込んだ。水の中でも動けるような経験はある。なんでもはできないが、先生は出来ることの幅が広い。
「……あは。来てくれちゃうんだ」
水の中で身動きしないミカを抱えて水面に顔を出すと、ミカはくすくす笑っている。嘘だったのを隠そうともしていない。
まあ先生も9割嘘と分かっていたけど。けれど、1割以下でも本当の可能性があるなら躊躇わなかった。
怒りもせず、とりあえずため息を一つ吐く。
「その様子だと、水を飲んでないか聞く必要はなさそうかな?」
「うん、心配してくれてありがと☆」
溺れていたわけでもないのに、ミカは先生に抱きついたままだ。ちょうど水中でお姫様抱っこをするような恰好になっている。
「ね、先生。水の中、気持ちいい?」
「Yシャツが肌に張り付いて気持ちが悪いかな」
「あは。やっぱりプールには水着だよね」
「……ミカ」
抱きかかえられたミカは降りようとしないどころか、先生に腕を回す。豊かな双丘が触れる。
方や水着、そして上着を脱いで水に張り付いたYシャツだと前よりもよっぽど感触がダイレクトに感じられて。
「……ん? 先生、もしかして興奮しちゃった☆」
「本当に怒るよ」
先生はぽい、とミカを放る。ミカは水中で向きを変えて先生に手を差し出す。
「あはは☆ じゃあ、先生。泳ぎ方を教えてよ」
「ミカは泳げそうだけど」
「ううん。私、全然泳げないよ。バタ足のやり方から手取り足取り教えて欲しいな? 足の動き方を教える時に少しくらいお尻に触っても怒らないからさ」
「触らないからね? まったく。じゃあ、私の手を握って」
「うん」
「じゃ、バタ足してみて」
「ええ~。先生、教え方が適当すぎない? こんな感じかな~~」
バッタンバッタン変に足を突き出していた。溺れているのか、それとも水鉄砲を足でやろうとしているのか分からない妙な動きだった。
「仕方ないな。プールサイドの方に捕まって」
「……うん」
そのまま手を引いてプールサイドのヘリを掴まえさせる。そしてミカのほっそりとした足を手に取って、バタ足のやり方を直接伝える。
「ほら。こんな風に足を振って。まず一回」
「あ、うん……こう、かな?」
「もう少し、ここを……こう」
「こう?」
「うん、じゃあもう片方」
「うん。……うん?」
「分からなくなった? じゃあ、逆側に行くから」
「え……っと。……あの、うん」
「こういう感じ。やってみて」
「はい。……こう?」
「もう少し……足を早く」
「ええと――こんな感じ?」
「うんうん。じゃあ、両足でやってみようか」
「うん……」
そうして泳ぎ方をちゃんと教えてあげた。
二人でプールサイドに腰をかける。先生はすでにYシャツから下着までぐしょぐしょで、もう濡れるのは諦めてしまった。
ミカは嬉しそうに先生の横に座って、抱きついてしまおうと少し横にずれるが先生は丁度その分横にずれる。
「あはは。けっこうガッツリ教えてもらっちゃったね。こんなことになるとは思ってなかったよ」
「うん。まあちゃんと泳げるに越したことはないよ。授業以外で使うことはないかもしれないけど、もしかしたら命に関わることがあるかもしれないからね」
「乗ってた飛行船が撃墜されて湖の上に投げ出されたりとか?」
「嫌な……事件だったね」
先生が顔を伏せる。どうやら飛行船を撃墜された思い出があるらしい。
「――あ、ごめんなさい。先生が相手だと洒落になってなかったね」
「いや、死者は出なかったからまあね?」
「先生は……遠くに行ったりしないよね?」
不安になったのか、そっと抱きついてくる。からかうのではなく、不安から人の体温を求めるのであれば先生も断れはしない。
抱きつくまでなら、好きにさせることにした。
まあ、腕に感じる感触は極力気にしないことにして。
「ねえ、先生……ずっと私のそばに居てくれる?」
「やっぱり、ずっとは難しいね」
ミカは先生のことを縋るように見る。純粋とはかけ離れた、どろどろとした情念が魔女の窯のように煮立って混沌と化している。
きっと、先生は失敗したのだろう。
……そもそも、思い上がりだったのかもしれない。
純粋で人のことを想える、けれど暴走しがちなミカが。銃弾と悪意ばかりが飛び交うキヴォトスで”更生する”などと。
更に言えば、更生するというのは戦地にとってはカモになる――つまり弱くなるのと同義であるわけで。
現実と夢想を取り違えた結果が、今先生に捨てられたくないと縋るこの子なのかもしれない。
「――ごめんなさい。こんなこと、絶対に駄目だって分かってるけど。先生の信頼を裏切ることだけど」
「ミカ……ッ! やめなさい……!」
ミカはそっと先生の顔に手をかける。唇を近づける。瞳はずっと不安に揺れていて、今にも泣き出しそうだ。
とてもではないが襲っている人間の表情とは思えない。
「でも、私悪い子だから。先生は何度でも引っかかるよね。こんなに力も弱いのに、簡単に騙されて――私は心配だよ?」
「……ッ!?」
ニヤリと笑おうとして唇の端を上げて……けれど、笑うのに失敗してぎこちなく口の端をひくつかせる。
さすがに先生も衝撃を受けた。ミカがこうなったのは自分の選択の結果だと歯噛みする。それはシャーレの権力を使ったら変えられていたから。元より先生は、責任を他人に求めなどしないのだから。
「大丈夫だよ、優しくしてあげるから――」
「……むぐっ!」
ミカはそのまま唇を塞ぐ。ついばむようなフレンチキス。それを何度も何度も。先生は観念してそれを受け入れる。
それはおそらく、失敗した自分の責任だろうから。
「先生……」
「ミカ。あの――」
「聞かないよ、お説教なんて」
「いや、足音……」
「ッ!?」
バっと彼方を振り返る。「誰か居るのか」と怒鳴る声が聞こえてきた。それは警備員の声だった。
まあ、声をかけられた犯罪者のすることなど一つだ。そして、被害者=先生も逃げて誤魔化すのは常習犯だ。
「ヤバッ!」
「逃げよう!」
ミカの拘束が緩んだすきに脱出した先生は、ミカの手を引いてそこを脱出した。
『先生、ちゃんとうまく逃げ切れた?』
『に、逃げてないよ。急いでシャーレに帰宅しただけだよ』
『あははっ、そうだね。実は今日、寮の門限過ぎちゃってて……あと一回門限破ったら、危ないかも』
『え!? まだまだ時間あるって……』
『それはウソ☆ 実はその時にはもう門限過ぎてたの』
『ミカ、嘘ついたの!?』
『そっ! まーた悪い子に騙されちゃって、なんてね☆ でも……嫌いにならないでね。あ、消灯時間! スマホしまわないと』
『ミカ!?』
『じゃあ、おやすみ先生! あと……いつもありがとね』
『おやすみ、また明日』
手のかかる生徒はまだまだ目が離せそうにないと先生は苦笑して、ふと自分の唇を指でなぞってみた。
20万PVの同人誌は誰がいい?
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ミカ(二冊目)