馴染めない日々   作:ふぁっしょん

3 / 3
ある日のノート

 時の流れは川のように絶え間なく流れ続け、しかも一切が違う。古典にもそう書いてある。そういうわけだから名誉も賞賛も喝采も一時現れるだけで、そのものも、その記憶も、流れ去っていく。

 ちびっこレースで一等の旗をつかみながら私は知った、諸行無常を。

 

 かつて、初めて困難を達成し、その賞賛を得たとき、私は視界が輝き手指が震えたものだ。

 当然次の日もそのまた次の日も、ありありと思い出せた。それはもう鮮明だった。

 しかし、こうして再び、三度と味わって、気づいた。もはやあの輝きが霞み、輪郭が朧になっていることに。

 

 悲しい。この喜びを忘れることが悲しい。何度味わっても悲しい。そして何度味わっても嬉しい。喜びは嬉しい。

 たまらなく、においたつ。抑えきれぬ欲動に私は決めた、レースの道をゆくことを。

 

 

 早計だったかもしれない。

 

 

 教室にて、私はペンをノート上で延々と徘徊させながら、日々、毎日、日が沈むまでのことを考えた。

 字を書くことは好きだ。下手になるからだ。走ることも同様に好きだ。

 繰り返すと、あるところは濃くなり、あるところは薄くなる。

 力みと脱力のタイミングが変わってゆく。

 座標軸上の曲線に近い。

 ある視点からみたもっとも高い座標とは、曲線上の一点であり、留まることはできない。

 私にできるのは曲線のパターンを幾度となく変えることだけだ。

 二次元から三次元に変わり、曲線が立体を描くようになり、より複雑になってゆくとしても、それは一点の座標に留まることがない。

 つまりなにが言いたいかというと。

 字を書くことと走ることには、到達点こそあれど、必ず変化し続けるわけだから、終わりがな

 

 シャープペンシルの芯が尽きた。

 芯を詰め替えながら思った。この面白くない時間も終わりがない。

 私はサウナ―というわけではないから妄想に基づく比喩になるけれど、熱い湯に浸かり、外気に身を冷やす喜びというものを、ぬるま湯での半身浴で味わうことはできないだろう。

 興味のないことに対する勉強というやつは、自分の追い詰め方が、ない。

 首から上も下もたるんだままだ。褒められることもない。

 

 努力と行為は似ているようで違う。

 ひたすら走ることは、軍隊では努力になりえるが、アスリートにとって努力足りえない。

 努力とは向上のために行うものであって、目的も理屈もなくなにかし続けたところで、それは努力足りえない。

 オムレツとだし巻き卵の焼き方は同じではない。

 アメリカのオムレツと日本のオムレツは違うらしい。

 アメリカのオムレツは材料の質が第一で、日本のオムレツは焼き加減など工程が第一だと、小耳にはさんだ。

 

 どうだ、今朝とれたばかりの牛乳と卵をドン。おいしいだろう。なるほどおいしい。そんなかんじだと。

 食べたいと思う。

 最近牛乳の質にこだわりを感じだした。瓶詰め牛乳とパック牛乳を比べて、強く思った。

 瓶詰めは風味や香りが違う。とれたてな感じがした。

 そんな牛乳でオムレツを作ったら、きっとおいしい。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。