狭間の地で傀儡にされた魔術師 作:蟹たま
ミケラ。
金無垢の幼子。
女王マリカと王配ラダゴンの間に生まれた双子、その片割れ。
永遠の幼さと性別の不確定性を有しており、老若男女問わず彼を見た者誰をも魅了した。
縦横無尽に枝を広げる腐れ果てた巨木、聖樹エブレフェールとは、彼が妹マレニアを想い、弱き者を庇護するための聖地を作り上げようとしたものである。
ついに聖地は完成しないまま、ミケラを見初めた血の君主モーグに拐かされ、行方知れずとなった。
マレニア。
不敗にして腐敗の女神。
女王マリカと王配ラダゴンの間に生まれた双子、その片割れ。
生まれながらにして外なる神の齎す腐敗の病に冒され、右腕、両足を持たなかった。
さる盲目の剣士に剣を習い、その業は不敗の域に達した。
破砕戦争にて最強と謳われた将軍ラダーンとの一騎討ちを経て腐敗に抗う心を失い、朱き腐敗が花開く。
結果、大陸全土に腐敗を撒き散らすこととなった。
総評。何とも
気が付けば
ところ、だった。
もともとが住む世界も違うような神人である。
何事もなければ、関わり合いになることなど本来あり得ないはずだったのに。
「あっ……! ぐ、あ、あああああ―――ッ!!」
「どうして………。なんで……!?」
「……? ニア!?」
案の定だ。
やっぱり、ロクでもないことになった。
私の目の前には困惑のあまり髪を振り乱す少女、マレニアと。
それに寄り添う少年、ミケラ。
その二人の前で苦悶に喘ぎ、涎を垂らしながら地面に蹲っているのが、私である。
「ぐ、く……ああ……!」
私の右足は、見れば吐き気を催すほどに爛れ、溶け、腐れ落ちていた。
この身を保つルーンごと破壊され、この腐れはたとえ死せども治ることはない。
エマ・ハミルトンは、不治の呪いを身に受けた。
◆◆◆◆◆◆
凡そ丸五日間の旅路であった。
レアルカリアから大橋を渡り、デクタスの昇降機に乗って(デクタスの割符は普通に行商人から購入した。火の釜に繋がるロルドの割符とは扱いが違うらしい)、アルター高原の街道を馬車で運ばれ、ようやくと王都に着いた。
リエーニエの門前町とは比べ物にならない人混みに驚きながらも、ミケラへの贈り物を届けるため私は上流街区へと向かい始める。
その途中、人混みの中でも特に人でごった返している広場があった。
行き先が人の波に阻まれ、さして気も引かれていなかったそれが偶然、視界に映る。
「「「―――うおおおお!!」」」
何やら、剣士風の男が大道芸でもやっているらしい。
男共の野太い声で、大きな歓声が上がった。
「……」
無口な剣士が、円周上に立てた藁人形に向かって剣を構える。
生まれてこのかた魔術ばかりで、剣のことなど少しも分からない、そんな私にも男の構えは見事なものであると感じさせた。
少しばかりの興味を覚えた私は、早いことこの広場を抜けようとしていた足の向きを変えて、広場の中央へと向き直った。
今度は、男の構えをよくよく眺めてみる。
見れば見るほど、体の隅々まで意識の行き届いた構えだと感じた。
そして。
軽く宙に飛び、腰をひねって肩に剣を乗せるようなその構えが、私の記憶を刺激する。
「あ」
と。
周囲の見物客が『これからどんな動きが飛び出すのか』と固唾を飲む中で、恐らく私だけが別種の緊張を覚え始めていた。
さっ、と男の身なりを観察する。
透き通った青い衣、目を覆うように巻かれた黒布、そして手に持つは独特な形をした片手剣。
「………」
いやいや。
殿下からミケラへの贈り物を渡されて王都に来たら『これ』と遭遇する? どんな偶然だ。
私は、否定したかった。
しかし無情にも、私の予想を証明するかのように、男が演武を始める。
その場の空気の変わりように、思わず私も息を呑んだ。
「……ッ」
男が息を溜め―――。
一拍の間。
男の身体が、ギュンと加速する。
サン、サンサン、と音も幽かに藁人形が切り刻まれていく。
縦横無尽に剣が舞う。
全周を遍くなぞる剣先に逃げ場はなく、見るものを圧倒する。
まさに水を切り立ち上げ、飛沫を上げながら踊る水鳥が如く。
静かに、流れるように。
バラ、バラ、バラ。
気が付けば、散り散りになった藁人形が地面に落下する音がした。
その音で我に返ったように、幾人かが手を叩く。
疎らだったそれは、ひと呼吸も挟まないうちに広場全体へと伝播して、すぐに轟くような拍手の音に変わった。
「……」
青衣の男が一礼しても、それは鳴り止まない。
いっそうの拍手が、男に浴びせられた。
男が地面に置いていた木の小鉢に
ジャラジャラと音を立てて木鉢から溢れるそれを、私も一つくらい投げようかと財布の紐を緩めかけて―――今が余裕のない旅路の半ばであったことを思い出し、踏みとどまった。
そもそも、こんな所で油を売られている場合じゃない。
早くこの、厄介な人物から離れて、ミケラに
なんだか、ここに留まっていればいるほど、面倒に巻き込まれる気がしているんだ。
そう思って、足早に広場を抜けようとした私は、歩き出した直後に不注意から人にぶつかってしまった。
ああ。
「……っと、すみません」
私が前を確認すると、そこには目深にローブを被った子供が二人。
一人は、私がぶつかったせいだろう、転んで手を突いている。
「私の不注意でした。申し訳ない。お怪我は―――」
「―――だいじょうぶです。……ね、ニア?」
私の視線と、声を遮るように子供の一人が手を出して制してきた。
子供にしても高く、澄んだ声だ。
声だけだと言うのに、一瞬、聞き惚れて意識がとんでしまうほどの危うい響きがあった。
「……っ、はい。わたしはだいじょうぶです、にいさま」
少女が頷いた拍子に、フードから鮮やかな朱い髪が覗く。
それにどこか引っ掛かりを覚えながらも、私は声を掛けた。
「あの、本当にどこか擦ったりしていませんか? もしよければ、軽い手当くらい―――」
「ありがとうございます、けど、いらないです」
こちらを見つめる少年の瞳が、フードの中から私を射抜く。
透き通った青の瞳。
私はそれに、魅了された。
魘されるように、浮かされるように、曖昧な意識のまま私は頷く。
「そ、うですか。分かりました」
なんだろう、これは。
頭が、ぼーっとする。気分がふわふわする。
「はい。じゃあ、帰ろうか。ニア」
「……はい、にいさま」
王都の人波に揉まれながら、まだ背の低い二人が、歩き去っていった。
「………」
もうちょっと、話していたかったかもしれない。
そんな私の足に、一匹の蝶がとまった。
極彩色の、この世の誰も見たことがないような蝶である。
ちょうど、少女とぶつかってしまった方の足だった。
ドロリ、と。
ローブの中で右足が溶けるような感覚がして私が体勢を崩すのと。
歩き去っていった先でガクンッ、と少女が膝を突くのと。
観衆に囲まれていた剣士の男が、何かに気が付いたようにはっとこちらを見つめたのは、ほとんど同時であった。
「………?」
右足が、熱い。
ドロドロと、何かが足を伝って流れ落ちていく感触がある。
シューシューと、固い何かが溶けていくような音がする。
恐ろしい朱い霧が、私の右足から立ち上っている。
朱い、腐敗………!?
そんな、馬鹿な。
何故。
「………」
いや、先の赤髪の少女。青い瞳の少年。
彼女たちは、まさか。
◇◇◇◇◇◇
「あっ、ぐ、ああ………!」
私は低く、唸り声を上げる。
「ニア!? どうしたの!? また腐敗が―――」
「ちが、ちがいます、にいさま!
幼いマレニアが、私を指差した。
「わたしの腐敗が、あの方に!」
ミケラはそこで初めて、蹲る私に気が付いたようで、驚いたような視線を私に向けてきた。
さっきの、魅了された状態であれば心底から嬉しく感じたであろう視線も、今となっては煩わしく感じる。
唐突に訪れた腐敗の疼き、痛みを処理するのに手一杯な私。混乱の極致にいるミケラとマレニア。
そんな状況を収束に向かわせたのは、人波をかき分けて現れた、先程の剣士だった。
彼は私を横抱きに抱え上げるとミケラに向かって、
「どこか落ち着ける場所は?」
と問うた。
呆然から意識を取り戻したミケラが、駆けるように案内を始めた。