エアグルーヴ「たわけっ! たわけっ!? たわけっ……」 作:イソン
さざ波の音だけが響いていた。
海と砂浜の境界線は夜の帳で黒く染まり、歩けばほんの少しだけ水分を含んだ砂が沈む音がした。華奢な女性の足跡と、それよりも大きな男性の足跡が砂浜に軌跡を残していく。
言葉はなく、海辺を歩く男女は知らぬ間にその距離を縮めていた。自然と歩幅を合わせ、空を見上げる。
「あっ」
誰が発した言葉だろうか。一瞬だが二人の手が触れ合った。
顔を見つめる。暗がりにいた二人を照らすように、月を覆い隠していた雲が瞼を開けた。海に反射し、星のように煌びやかに二人を照らし出す。
「エアグルーヴ」
名前を呼ばれ、彼女は目を閉じた。さらに近くなる距離、手をつなぎ背の高い青年に向けて顔を上向けに。
そして――。
『ジリリリリリリリリリ!』
「……え?」
少女漫画を枕の下に敷いて寝ていたエアグルーヴは、夏合宿の始まりを告げる無慈悲な目覚まし音と共に目を覚ました。
6月後半から、トレセン学園のトレーナー・ウマ娘達は7月から始まるとある行事に向けてスケジュール管理を行い英気を養う。
夏合宿。
夏の風物詩と言っても過言ではないその行事はトレセン学園と契約した海水浴場を借り、通常よりもはるかに効率のいいトレーニングを行える事で有名だ。設備の充実は言わずもがな、疲れた体を休めるための娯楽施設も完備されている。
近場に高級リゾートがあるため治安も良く、地元住民の歓迎も相まって夏の合宿が始まる際はお祭り等の催し物が多数開催されていた。特に、ウマ娘達にとっては普段と違った環境で自由に動ける事もあり、過酷なトレーニングを除いても楽しみにしている者がほとんどだ。
そう、エアグルーヴも今年の夏合宿を楽しみにしていた。もしかしたら、いいや、もしかしなくてもだ。誰よりもこの行事を待ち望んでいたに違いない。彼との約束、最終日に二人だけで。
障害は多い。
同部屋のウマ娘達。トレーナーの監視、近いとはいえバスで数本分先にある目的地。乗り越えなくてはいけないミッションが山のように待ち構えている。
けれども、約束を果たしてくれた彼に応えるためにエアグルーヴも己の身体に鞭打ち、今日もトレーニングに勤しむのだ。
それが、トウカイテイオーとゴールドシップという二大巨頭の悪戯王が同部屋だったとしても。
「……で、これはなんだ?」
「おぉ、これか? ゴールドシップちゃん特製スイカだぜ。いやーさっき地元の商店街にいったら熟れにウレウレのビッグスイカが置いてあってよぉ~。あのまま置いといたらこいつの生まれてきた意味がなくなっちゃうってゴルシちゃんは考えたわけよ!」
銀髪に近い芦毛のロングストレートを後ろに流し、頭の上には舟形帽、右耳には蝶結びの紺リボン。十人中十人が美人と判断するだろう、ウマ娘達の中でも容姿端麗。そんな外見だけならパーファクトで、中等部か高等部か不明な存在――ゴールドシップ。
エアグルーヴが思うウマ娘達の中で一番の問題児。何の因果か、今回の夏合宿で同部屋となってしまった住人だ。
そんな彼女が、部屋の中でブルーシートを敷きながらスイカを設置していた。
「なるほど、それはいいだろう。……だけどもだ、スイカに輪ゴムをかけているのは何故だ?」
神は私にとてつもない試練を与えてもうた。
とある旅館の一室。合宿も最終日、慣れない環境で疲れていた身体も落ち着き始め、各々が自由時間を探索にあてることが多くなるタイミングだ。エアグルーヴも栄光の道に向けてルート取りの確保と深夜に抜け出すウマ娘がいないよう監視しているトレーナー達の配置や巡回時間の確認が終えたところである。
そんな中、元気いっぱいに暴れまわるトウカイテイオーを他のウマ娘達にお願いしながら温泉へ放り投げ一息つこうと部屋に戻ったところだった。
「それは後のお楽しみってやつだぜ! ゴルシちゃん大人気の配信動画にすっげえバズりそうな題材をこのスイカ君にお願いしたってわけよ。あっ、ちゃんとブルーシート敷いて終わった後は食べるから安心してくれよな」
表現するのであれば、ミチミチと。
ゴールドシップの手の中で悲鳴を上げるスイカがあった。輪ゴムを何重にもかけられ、今にも爆発しそうな危険物と化している。エアグルーヴからすれば食べ物で遊ぶなと言いたいところではあるが、しっかりアフターケアを兼ねているあたりさすがゴールドシップといったところか。
ため息をつきながら、頭に手を添える。体は至って健康体のはずだが、毎度起きる数々の意味不明イベントにさすがのエアグルーヴも頭痛が起きそうだ。本来であれば、説教の後にトレーナーのもとへ連行するのがいつもの流れではあったが、いかんせん今日はとても大事な日だ。
変に時間をここでとってしまえば、後のスケジュールが押してしまう。ここは不本意ながら、適当に受け流そうとエアグルーヴはにっこりと笑みを浮かべた。
「今日は最終日だ、いつもであれば今から貴様を説教するところだが今回は見逃してやる。そのスイカをこの部屋から動かして他人に迷惑がかからない場所に移しておけ」
「うわおぅ、全然優しくないぜ。ゴルシちゃん、いつもの説教よりその顔でやられるのが一番怖ぇよ~」
そうぼやきながらゴールドシップはいそいそとブルーシートでスイカを包み込み、背中に風呂敷のようにして背負った。ここ最近、エアグルーヴの怒り方に変化が現れたことに彼女は気づいていた。いつもの説教であればゴルシちゃんパワーでどうとでもなるものの、笑顔で怒るときは何か有無を言わせない圧力を感じるのだ。
その変化が何なのか、ゴールドシップは類まれなる天才的な悪戯頭脳で感じ取っていた。何か面白いことが起きようとしている、そんな一大ビッグイベントを逃す手はないとこの場は大人しく退散しておくのが吉だと、そのまま部屋を後にした。
一目散に部屋を出ていくゴールドシップを見ていつもらしくないとエアグルーヴは怪訝な顔をしたが、はやる気持ちが去り際ににやりと笑みを浮かべた彼女の顔を見逃してしまった。
ゴールドシップがいなくなったことで、部屋には静寂が訪れた。備え付きの柔らかい椅子に腰かけ一息つく。時刻は夕方、この後にみんなで夕食を食べそこから自由時間だ。
その時、ピコンと軽い音が鳴った。音を聞いた瞬間、エアグルーヴは慌てて机の上に置いた携帯を取ってSNSアプリを起動する。
彼からの連絡だ。
「今日の夜十時に、こっちの砂浜で……」
夢で見た光景が重なり、エアグルーヴは喉をごくりと鳴らした。本当に少女漫画の様な展開があるのだろうか、実はまだ夢の中なんじゃなかろうか。そんな思いが頭の中を駆け巡る。けれども、頬をつねってみたが帰ってくるのは現実を示す痛みだった。
落ち着かない。あの時以降、彼と会えるのを楽しみにしていたはずなのに。これじゃあまるで乙女みたいじゃないか。
心を落ち着かせようとゆっくり鼻で息を吸い、口で吐く。こんな状態で他のウマ娘達に会ったら何か感づかれるかもしれない。それまでに心を平静に保たなくては。
だが、そうは問屋が卸さないのは神様の悪い所だ。
「エアグルーヴー! ねぇねぇ聞いてよ、今日の晩御飯は豪華山の幸と海の幸盛り合わせなんだって! カイチョーがね、仲良くなった旅館の女将さんから聞いたんだって。どうしよっかなー、迷っちゃうなぁ。普段あんまり食べないお魚もいいけど、ここらへんで取れる山菜の炊き込みご飯も捨てがたいらしいんだー。あ、エアグルーヴどうしたの? 顔真っ赤だ―! にししっ、なんかいいことでもあったー?」
キャッチコピーは無敵でキュート、天真爛漫ホッピン少女。引き戸を壊さんばかりの勢いで開けながらこちらに対して突進してきたトウカイテイオー。
休む暇を与えぬ猛攻に、エアグルーヴはとりあえずどう言い訳するかと頭を捻るのだった。
月が黒く染まった空でこちらを見つめるように光り輝いている。手を伸ばせば、そのまま掴めてしまいそうな距離。月をプレゼントするよ、なんて小説でしか見ない臭いセリフを彼女に言えばどんな顔をするのだろうか。
青年は先ほどからどうでもいい事をいくつも考えながら、プライベートビーチの一角にあるベンチへ腰かけていた。
幾度となく繰り返してきた携帯の画面を確認する作業。表示されているのは間もなく約束の二十二時を超えて二つの針がてっぺんにたどり着こうとしていた。
何があったのだろうか、子供の頃から変わらない彼女の笑みを思い浮かべながら青年はただひたすら時を待つ。諦めるという選択肢は論外だった。
彼女なら必ずここに来る。そんな信頼がある。
そして、荒れたような息遣いと大地を駆ける足音が青年の耳に入った。
「よいしょっと」
まずは、彼女を落ち着かせないと。
きっと自分を責めているに違いないからと。泣きそうな顔でこちらに向かってくる一人のウマ娘に対し、青年も腰を上げ歩を進め始めた。
泣きそうだった。泣いてしまいそうだった。けれども、今まで積み重ねてきたエアグルーヴというプライドがそれを許さなかった。
足が痛い。日常用に特化したウマ娘の靴は長距離を走るのには向いていなかった。それでも走るのはやめなかった。
喉が痛い。無理に走り続けた結果だ。いつもの走り方ではなく、ただ彼に会うためだけに走り方を忘れてしまったからだ。
頭の中を駆け巡る、嫌な音。あの時、こうしてれば、何故、私は。誰も悪くはない、悪いのは自分だけ。
息も絶え絶えになりながら、彼女は約束の場所へたどり着いた。体は走り続けたせいで疲れ果て、汗もかいて青年と会うコンディションじゃないのは明らかだった。けど、約束だけは破りたくない一心で向かう。
視線の奥、砂浜に佇む小さなベンチで彼がいるのを確認し。
この年になって、子供の頃のように涙をこぼした。
「……すまない。取り乱してしまった」
「大丈夫だよ」
目の周りは少し赤色を帯びていた。不甲斐ないという気持ちはあるが、青年から先ほどお叱りを受けたばかりだ。自分を責めるのはよくないと、思いを吐き出す場所ぐらいは自分が用意してあげるからと。
日々、生徒会の一員として周りの模範となる立場。会長にしてシンボリルドルフ、まだ幼いながらも天才の片鱗を見せ始めているトウカイテイオー、己惚れるつもりではないが母を憧れとしてトレセン学園で誰にも負けるつもりはないという自負はあった。
しかし、世界は広いとたくさんの同胞たちを見て思う。知らず知らずのうちに心のうちにため込んだ感情は、決壊し彼へ吐露する状況になっていた。
誰にも言ったことがない、自分の中にある感情。本能に裏付けされた負けたくないという子供の様な感情。
そんな思いを、彼は笑みを浮かべ聞いてくれたのだ。
すとんと。
体が軽くなったような気がした。
そこから先の言葉はなかった。同じベンチに二人で腰かけ、さざ波の音を聞きながら輝く満月を見る。誰もいないこの空間で、同じ月を。
彼との距離はいつの間にか縮まっていた。肩と肩が触れ合う距離、青年はとてもラフな格好で普段であれば赤面してしまいそうなはずだが、エアグルーヴの心は落ち着いていた。
「せっかくだし、少し歩こうか?」
青年が切り出したその言葉に、エアグルーヴはこくりと頷いた。青年が立ち上がったのを見て、自分も休ませた体を立たせようとする。けれども、立ち上がった瞬間に足の裏に鋭い痛みを感じた。怪我でもしたのだろうか、痛みで顔をゆがめたが青年には見せないよう気を付ける。
けれども、青年はエアグルーヴの変化に気が付いていた。こちらの状況に気が付いたのかほんの少し考えた後、手を差し出していつも見せる悪戯をする時の表情になった。
手を取る。自分よりも大きい手。この世界で女性に対し気軽にこんなことをするのは彼だけだろうと思いつつ、助けを借りて立ち上がろうとした。
そして。
「えっ、ひゃっ!」
彼が突然、手を引いたと思ったらそのまま背中に背負った。おんぶである。
突然の行動に、エアグルーヴはあられもない声を出してしまった。それもそのはずだ、男性が女性をおんぶするなんてもはや漫画の世界でしか見かけない。
エアグルーヴは顔を真っ赤にして背中から降りようともがいた。けれども、彼の腕はエアグルーヴの足をしっかりとホールドし離さない。
「な、何をしているのだ貴様は! いや、と、とにかくおろしてくれ。こんな恥ずかしいの誰かに見られたら……いや、それよりも私は先ほど走ったばかりで汗が……!」
「何年来の付き合いなのさ。そんなの気にしないよ、足痛めてるんでしょ? すぐ隠そうとするんだから。おとなしくしてね」
その言葉にエアグルーヴは言葉を詰まらせた。隠したつもりだったが、彼にはばれていたようだ。
暴れるのをやめたエアグルーヴを横目に見ながら、青年は彼女をおんぶしたまま歩き出した。しっかりとした足取りで、夜のビーチを散策する。
ゆらりゆらりと、心地いい動きだった。エアグルーヴでもわかる、自分を気遣ってなるべく揺らさないようにした歩き方。何から何までこちらを気遣った彼の行動に、なんだか自分が一人であたふたしているのも馬鹿らしいなと感じた。
「あのときみたいだ」
「あの時……? あぁ、貴様が裏山で道に迷ったときか」
「そうそう、おばあちゃん家へ遊びに行って冒険心で行ったことのない道に入ってさ。案の定迷って」
「ふふっ、あの時貴様と会ったのがあの裏山だったな。泣きはらした顔は今でも覚えている」
「ひどいなぁ、でも――」
過去の記憶、彼と出会った最初の物語。取り留めない話をしていたら、いつのまにかエアグルーヴは彼の背中に体を預けていた。暖かくて広い背中、ずっとこのままこうしていたいような。
「今回は立場が逆だね」
「……貴様も中々にいい性格をしているな」
前言撤回、昔よりも生意気になった背中だ。
その後も取り留めない話をしていた。子供の時の事、会えなかった時の事、そして再開してからの事、二人の声だけがこの空間を満たしていく。
気付けば、ビーチの終わりまで来ていた。あっという間の時間、いつまでもこの時がいいのにとエアグルーヴは感じる。けれども、終わりというのは必ずきてしまう。
エアグルーヴは彼の肩に顔を乗せた。流れる茶褐色の髪が青年の首筋を撫でる。耳元で聞こえる彼女の息遣いに、青年は普段とは違う雰囲気にどきりとした。
「……私の夢は、母のようになりたいだった」
彼女の口から零れる本音。
「けれども、学園に入って色々な夢を持つ者たちに出会った」
口にすることで、彼女は変わりたいと願っている。
「たくさんの夢を追う者達、挫折して夢をあきらめる者達もいた。本当に、たくさんのたくさんの人生をたった数年で見てきたんだ」
彼女はウマ娘だ。人間とはまた違う、別の存在。彼女らの本能に刻み込まれた走りたいという願い。
「それを見て、ただなりたいだけではだめだと思った。会長のように、トウカイテイオーのように、ただ憧れだけではそこで止まってしまうと」
エアグルーヴは見てきた。憧れだけだった存在を超え、そこから先へ進みたいとうウマ娘の夢を。
「私は勝つぞ。女帝の名に恥じぬ、一人のウマ娘として」
決意の表明。それを聞くのは彼女が信頼する一人の青年。
それでこそ、青年が憧れたあの時の少女だ。たくさんの事がありながらも、子供の頃に語った原点をつかみ取る。そんな姿に、青年は憧れた。だからこそこうして彼女を追って学園まで来たのだ。
エアグルーヴの決意を終えて、二人はバス停へと来た。
深夜でも出ている便がある、便利なバス停。彼女の旅館へと続く道。
終わりの終着点で、青年は決意する。
言おうと思っていた、この言葉で。
「え、エアグルーヴ」
「……どうした? 改まって」
乾燥する。柄にもなく緊張し、悟られないかと心配になる。けれども、言うのだ。昔いたという男性のように。
青年はエアグルーヴをゆっくりとおろしてバス停のベンチに降ろした。不思議そうに彼女がこちらを見つめる。
そして、ゆっくりと。
「こ、今夜は月が綺麗だね」
月を覆い隠していた雲が瞼を開けた。二人を照らすように。
「……もう一度」
エアグルーヴは笑みをこぼす。その姿に青年は目を奪われる。
「……もう一度言ってくれないか」
彼女が言った言葉に、青年は意を決してもう一度。エアグルーヴは顔を赤らめながらもこちらを見つめる青年の言葉を聞いた。そして、目を閉じる。
ほんの少しだけ、静寂が流れて。そして。
「ふっ、たわけっ……」
目を開いた彼女の瞳は、満月のように光輝いて綺麗だった。
「エアグルーヴ、昨日の夜抜け出したってホントー!?」
「えっ!?」
「ゴールドシップが教えてくれたんだ!」
きっとそんなやり取りがあるはず。
本当はもっと書きたかったけれども、まずは一つ物語を完結させたかった。
とてもいいリハビリになりました。
今度は別のウマ娘で男女逆転物を書きたいね、ちょっと楽しい感じにして。誰がいいだろうか。
感想、ありがとうございました。とても励みになりました。
では、拙い本作を読んでいただき誠にありがとうございました。
またどこかで。