最近の、あらゆる存在についての考えは「観測されないものはいない」ということだ。
誰かに、「そこにいる」と意識されることでしか存在は確立し得ない。例えば、電波も電気も届かない山奥に一人の少年が存在しているとする。世間は彼のことを知らず、知ることもできない。また、彼は言語も知らずただ一人洞窟の中にいて、他の生物と関わることもない。
そんなことはエネルギーの面から考えると不可能なのだが、そういうことがあるとする。
さて、その際彼は存在していると言えるだろうか?
今例として話題に出しているから、いるように思えるが現実的に考えれば存在していないことと同じなのだろう。
母親がいるだろうとか、そもそもそんな条件は存在しないとか、言われるだろう。しかし!「そんなことがあるわけがない」と考えることこそが、彼は[いない]ということと同じになるのではないか?と私は考えるのだ。
次に少しめんどくさい話を挙げよう。
「シュレディンガーの猫」について知っているか?もちろん、こんな話を読むような人は知っているだろう。
あれは、箱の中にいる猫が生きているか、しんでいるかを考えるものだが、正直私からすれば、そんな猫はそもそもいないという気がするのだ。
理由は簡単、誰もわからないなら、それは幻と同じ!昨今の薄い電子の板のさきの存在は自分が作り出し、誰かに作り出された偶像!
人はいくらでも、観測している猫を粘土細工のように切り、ねじり、見たいように変えていくことができるのだ!
ここまでに少し熱くなってしまった。申し訳ない。
結論としては、[あるコトは誰かに観測さえされれば存在できる]ということだ。
と、ここまで書いて疑問が浮かんだ。
自分自身で観測できる場合はどうなのか?
まずい、これはこの話自体を消せるほどの疑問だ。
幽霊ならばどうか?私は今まで一度も見たことがないから、彼らは存在しないのではないか?
ああ、いや、それは私にとって存在しないと言うことか!もし、私が死んだあと幽霊になったのならば、存在するということになるが...
もしそうなったら、ここにまた書くことにする。
なんだ結局、私も私の視点以外から見ることはできないわけか。文章の上という、一種の二次元空間からなら見れると思ったんだが。
存在するということはどういうことなのか、観測する条件とは?
もうしばらく、辿り着くまで時間がかかりそうだ
だが、はじめに挙げた考え、「観測されないものはいない」というのは正しいようだ。「観測されないものは、いない」か「観測されないものはいない」なのか。
どうやら、ここにも猫が[いる]らしい。
迷走。結局何が言いたかったのか?
ちなみに、私は犬派です。
あ、そうだ。皆さんは観測できますか?