つい先日見つけた、自分だけの真実。共感してくれる人がいたら、うれしい。
いままで、友達という概念がよくわからなかった。(ある程度、定義づけられていないと不安になる性なのだ)
だから一度自分と周りの存在について考えてみた。その過程が「どうでもいい話」なのだ。考えて分かったことは、自分のなかの友達という概念は、ほかのひとからすると大親友とかのレベルを大きく通り越したものだった。思ってたこと↓
・毎日1時間近くしゃべる。
・一切、嘘をつかない。
・自分のことを認めてくれる。
ということ。
これを落ち着いて考えてみると、なかなかに恐ろしい関係だと思った。{嘘を一切つかない}なんて、息苦しくつらいだけなのだと思った。だけど、自分がそういう関係を求めているのは確かだ。
気づいたのは、【今まで、仲の良い知人だと思っていた程度の人が、ほかの人の言う、友達】だということ。これを思いつくことでまず、友達の定義というものをつかむことに成功した。足を地面につけたという感じかもしれない。
ここからまだ問題があった。それはどうやって友達を作るかということだった。定義が解ったなら次は範囲を求めなければいけない。そう思った。
考える途中、二つの事を考えた。一つは、自分は高校の先輩にならあまり何も考えず、話すことができるということ。もちろん今の先輩が素晴らしい人だからというのもあるが、今の自分は少し安心しているのだ。なんというか、そういうシステムが解りやすいという感じだろうか。年齢が自分より上の人には、敬意を持って接する、そういう一種の“常識”なのだと思うことであまり何も考えないようにしている気がする。それは、自分が嫌っている『思考放棄』に近しいものだけれど。
二つ目は、英語の"friends"だ。英語で文を書くときに"my friends"と書いても全く違和感はない。英語は勉強し始めてからまだ4年しかたっていない。ということは、英語に関してはまだ4歳の子供だともいえる。それぐらいの子供というのは、友達がだれであるとかすら考えないのだろう。もしくは、漠然と理解出来ているというか。考えすぎていないというか。おそらく後者だろう。少し日本語を使って物事を考えすぎてしまったのかもしれない。あと、どうでもいい話だけど英語で書くときは"friend"より"friends"の表記のほうが好きだ。
言いやすいから。
以上のことを考えたうえで、範囲を出した。話が一気に跳躍し、厨二病かと思われるかもしれないが、友達の範囲は、≪友達になることを契約した人か、それ以外か≫というものだ。
この契約というのは、悪魔がするようなものではなく、友達というシステムに自分(作者)がはいってもいいかということを確認するためにすることである。(ただ、ここで契約という言葉を使ったのは、この話を仲の良い知人⦅今は友達⦆に話したときにウケをねらうためだったということをここに白状しておく)
契約によりそういった立場の関係性を作れば、気兼ねなく会話することができる。その立場のシステムを利用しているだけなのだから、何かトラブルが起きてもシステムを利用した自分が間違っていたと考えることができる。
人によれば考えの手順がちがうという人もいるだろう。なぜ、問題がすべて自分のせいになるようなシステムを使っているのか。理由は簡単、自分が怖いからだ。信頼していた友達に裏切られた時、もちろんショックはあるが、そこでその人を憎んだり恨んだりしてしまうと、友達を信頼していた自分を否定することになるからだ。そんな自分を否定してしまったときはかなり心苦しいものがある。それが痛くて怖いから、自分のせいにしたほうが手っ取りばやく、ダメージも少なくて済む。それに信頼していた人を憎んでしまった自分も怖い。「あ~、ちょっと間違ったな~」ぐらいに考えたほうが楽だ。
結論として、友達とはシステムを使ってつながりあうものだということ。そして、契約とは立場を固定するためのものだということ。企業間での取引という風に考えてもいいかもしれない。人のなかにあるいろいろな感情(社員)をすべてふくんで、相手と取引をする。どうしても性格(企業方針)が合わない人(会社)もいるけれど、書類の上には感情が混ざることができないから、互いの利のためだけに契約できるのだ。
この話は、どうでもいい話第20弾の内容です。
友達にしてみたところ「考えすぎ」とか、「契約っていう風な堅苦しいのはやめたほうがいいと思う」と言われ、父親からは「ちょっとキモイな」と言われた。けど!!
こうしないとよくわからないままになってしまうんだよ!