主な登場人物
川端 康弘(かわばた やすひろ):大学3年目。裁判官になるため司法試験の勉強をしている。AIを用いた裁判に疑問をもったことで裁判官を目指し始めた。
迫田 文明(さこた ふみあき):川端の高校時代の同級生で、大学中退後、AIプログラムの作成会社「オドントグリフィダ」を設立。主に刑事裁判用のAIプログラムを作っている。
小池 英明(こいけ ひであき):迫田の会社のエンジニア。正確なプログラムを作ることに関しては右に出るものはいない。
アレクシア・フォトプロス:遠い西の国からの留学生。川端の友人。某大手新聞社の記者志望。日本に来てから八か月、川端の知らない表現を知っていたりするほど日本語が達者である。
川端が大学の図書室に入った時、中にいたのはアレクシアだけだった。午後二時、昼食を食べ終わり少し眠くなった頭で課題に取り組むことにしたのだ。アレクシアというのは西の方の国から来た留学生で周りからはシアと呼ばれている。日本語はかなり上達していて、講義でもよく意見を言っている。とっている講義がほとんど同じだったため、自然と仲良くなった。
彼女は自身の手が黒鉛で汚れてしまっていることも厭わずに漢字の練習をしており、その集中度合いは誰が見ても明らかだった。今日は講義がある日なのだが、学生はほとんど来ていない。AIによる裁判が実際に行われるようになってから法学を学んでいた生徒は半分が道をあきらめ、半分が広場で闘志を燃やすも就職が厳しいことを知りだんだん鎮火していった。ちょっと前は一部の生き残りが街角でマイク片手に叫んでいたのだが最近はすっかり見なくなった。
なにせ現在のAIは、正確な判決、適度な罰、スピードをすべて兼ね備えている。人間が劣ってしまっている分野に進出しようとする人が少数になってしまったのも無理はない。
大学に今日来ている人は自分を含めて二十人ほどかもしれない。そう思いながらシアの隣の席に腰かけた。ペンを取り出し、レポートをまとめていく。提出期限は来週の金曜日までで、あと少し書けば提出できる。いつもならぎりぎりまで粘るのだが、シアが課題が出されてすぐに提出したのを見て、なんだか負けていられなくなったのだ。
今回のテーマは「AIは感情を持つことができるのか」というものだった。最近はインターネットを使っても、情報が多すぎてほしい情報が手に入らない。知り合いの企業では、新入社員に対して情報検索の仕方の講習をまず行うらしい。一つか二つかの単語や文章だけで情報が手に入ったという三十年前はさぞかし楽だったろうなと思う。そんなことを頭の片隅に置きながら書き込む。そうして3時間ほどであらかたは書き終わることができた。
ふと横を見ると、シアが眠っていた。太陽はすでに西に移り、机はその陽に照らされていた。一羽のカラスが電柱から飛んでいくのが見える。そろそろ帰る時間か。閉館まではあと2時間ある。シアは起こさなくても大丈夫だろう。
家と呼べるか怪しい場所に帰る。三年になっても段ボールが片付いていないが気にする人はいない。電気をつけるとそこに誰かがいる―――わけでもなく空疎な私の城を照らしているだけだ。段ボール箱をまたいで部屋に入り、机に荷物を広げる。四つの箱が砦の様に並んでいる姿はまるで他国に攻め入られることを考えていないようにも思える。今日は軽めにシャワーだけ浴びてさっさと寝ることにした。金欠なので夜に食事はしないことにしている。不健康だと自分でも思ってはいるが、仕方のないことだ。ただ明日の朝に課題を持っていくことを考えながら服を床に脱ぎ捨てた。
いつも通り学校に行き、いつも通り講義を受ける。この流れがもう三年続いている。高校の時はいつか彼女とかできるもんだと思っていたけれど、いつの間にか風船みたいにしおれてそんな考えは消えてしまった。キャンパスライフとか碌なもんじゃないな。スタバに行く余裕なんてないし友達とあそぶ暇もない。大抵の時間を課題とアルバイトに費やしている。両親の反対を振り切って遠くの大学に来たのは自分だからしょうがないが、いかんせん金欠である。世の中こんなものだ。だが、今の状況を見て両親はなんと言うだろうか。
講義のあとは売店のサンドイッチで胃袋を膨らまし、図書室へと向かう。きっとまた、アレクシアもそこにいるだろう。しかし、道中にある小会議室の前で足が止まった。彼女の特徴である綺麗な金髪が目に入ったからだ。近づいて目を凝らすと、そこには他に人が二人いるのが分かった。高校時代の友人の迫田だった。
部屋に入り。
「あ、ヤスヒロ。こんにちは。」
「ああ、こんにちは。…で、なんで迫田がここにいるんだ?お前は大学に行かずに会社立ち上げてたはずだろ?結局入り直したのか。」
「ちげぇよ。ここには仕事で来てるんだよ。相変わらずだな、康弘。」
「あ、あの、初めまして。」
見知らぬ会社員の男が一人いた。私から見て、円卓の右側にいる迫田の隣に座っていることから迫田のところの人だと気づく。威勢のいい迫田とは対照に気弱そうな顔で、丸眼鏡が特徴的だった。小池さんというらしい。
簡単な挨拶を済まして、迫田の真ん前に座る。カバンからレポートを取り出して相応しいタイトルを考え始める。結論としては「AIは学習したことを用いてしか判断することが出来ず、列車が線路の上を通っていくだけの思考をしている。よって現行の裁判制度には不向きであり使用段階を調整すべきだ」というものだ。正直このレポート自体いい評価を受けるものではない。講義の教授はAI派であるため、反AI派である私の評価は芳しくなく、覚えも悪い。しかしそれも仕方ないことだ。
「なぁ、何してるんだ?」
「レポートのタイトル決めを」
「そんなことは知ってるよ。そうじゃなくて久しぶりに同級生と再会したっていうのに一人の世界に入りっぱなしってのはあんまりだろ。」
「うるせぇな。俺はお前とは違って学生をやってんだよ。ていうか、お前は何しに来たんだよ。」
「仕事だよ。仕事。見りゃ分かるだろ。どうして用もないのにわざわざ退学になった大学に来る奴がいるんだよ」
「お前のことなんじゃねぇの?」
そこから喧嘩を始めた二人を横目に見つつ、アレクシアと小池は話し始める。
「…まず、今回の提案なんですけども…」
「…はい」
「弊社の方ではですね、ご提示の料金でお話を進めていくという結果になりました。」
「はい。お願いします。確か初めはあなた方の会社…『オドントグリフィダ』さんでは、この価格では不可能だと言っていたけれど。」
「はい、そこは社長が判断されまして、顧客第一だ、と」
「そうなんですね。ありがとうございます。」
そこからしばらく説明が仕事の説明が続く。そして、
「ソフトウェアの名前は何にいたしますか?」
「そうですね……堅実なコードの自動生成ソフトなので、『スタンド・バイ・ミー』というのはどうでしょう?映画で主人公たちが線路の上を歩いていくことにちなんで。」
「―――素晴らしいですね!素敵な名前だと思います!」
「ふふ……ありがとうございます。」
「して、これが明細になりますね。」
という風に商談がまとまった。仕事というものは終わってしまえばあっけないものである。小池も今回の案件が初めての仕事だったため幾らかの緊張を常にしていたのだが、話が始まってしまえば、まるで列車に乗れば目的地に着くように、準備してきた言葉やポイントを資料を用いて行うだけであり、むしろその作業に一種の幸福さえ感じた。まあ、最後の商品名のくだりには愛想笑いが必要だと思い、少し大げさに言ってみたがどうやらうまくいったようだった。
軽く背伸びをして腕を回す。そうすると仕事を終えたのだという達成感をようやく実感することが出来た。
今回の仕事に関しては、我ながら素晴らしいコードを書いたと思っている。今まで習ってきた知識や自分のセンスを総動員して作り上げたものだ。悪くなるはずがない。それに社内で最もプログラミングがうまくできる自分が書いたのだ。いつもは消極的な自分だけれど今日ぐらいは自分を褒めてあげてもいいかもしれない。小池は密かにそう思った。そして、そういう気分に実際なっていた。
「ヤスヒロ、そろそろやめたら?」
「社長、あの、そろそろ…」
会議室の埃が落ち着くまでにはそんなに時間を必要としなかった。
「ところでさ、シアはなんで記者になりたいんだっけ?」
「そうね…強いて言えば自己満足、かしら。」
「…自己満足?何のための?」
「記者って本来、事実を報道して伝えるものなのよ。今はあまりいいイメージを持たれていないけどね。隣の芝生が青く見えるっていうのとは少し違うけれど、他の人の事情とか状況ってついつい知りたくなるものじゃない?まるで窓からちょっとだけ覗き込むような。でもそういうときにね、戦争とか事故とかそういうので隣の人が傷ついてるってことを知るだけでも、他の人に優しくしようとかって思うと思うの。だから、少しでもそんな優しい人を増やしていって世界が、世界の芝生ぜーんぶが綺麗な色になればいいな、って思うの。」
「それはまた…なかなかなことですね…」
「私の故郷の近くでは昔も今も紛争が起きてて、そういった傷ついた人や亡くなった人を幾らか見たことがあるんだ。」
「…」
「う、いい話ですね…」
シアが夢を語り、迫田と小池がそれぞれの思いを巡らす中、川端は不思議な気持ちに陥っていた。それは夢を見ているようなどっちつかずの状況。
正直言うと、心の中では「隣の芝生とか、どうでもよくない?」という気がしていた。
自分でもなぜそう思っているのかを考えだす。自分の顔の表面が場の雰囲気に合った顔でいるうちに。隣の芝生を見たところで何か得るものがあるのだろうか。もちろんさっきシアが言ったように人に優しくなる、などの効果はあるだろう。でも、それで手を差し伸べてその人たちを助けれるかどうかは別ではないか?自分の生活習慣が影響しているのだろうが、自分は自分の人生に今、手一杯なのだ。それもどうでもいいような種類の人生に。
シアの人生はとても華々しいものだろう。目的があり過去があり夢がある。彼女がこの大学に来てからずっと隣で友達として友好的な関係を築き、彼女の人柄に触れてきた身としては、とてつもない羨望と嫉妬がある。もしかしたら、それによる裏返しなのかもしれない。
そもそも自身の考えが、シアの考えに難癖をつけているものであるということはわかっているのだ。こんなことを考えても話は進まないし誰も得をしない。ふと、おお、と思う。まるでこの思考は自分の人生を現しているようではないかと。片付かない段ボール、家と大学を交互に移動する日々、益のないネガティブな思考の沼。
いつからこうなってしまったのか。
シアの作った空気がどこかに運ばれていき、会議室に静かな時間が訪れた。そうして、何ということはなしに迫田が口を開く。
「そういえばさぁ、そろそろ秋じゃん?で、家の掃除してんだよ。普段からわら箒と雑巾で家は綺麗にしてんだけどよ。」
「ああ、俺に言ったのか。」
「お前と小池にしかこんな口調で話さねぇよ」
客がいるのにそれでいいのか。それにしてもやっぱりこいつは中々変わっていると思う。今時わらの箒なんて誰が室内で使うんだ。ルンバがあるのに。
「え、あなたの家ではわら箒を使ってるの?」
「ええ。実家に住んでいるんですが、なにせ木造家屋なので。」
シアは納得したような表情で首を何度か縦に揺らした。そしてトートバッグの中から水筒を取り出して飲んだ。
「そろそろ冬ですもんね。乾燥してきましたよね。」と、小池。
「そうだな。あ、それでなんだけどさ、最近は棚の上とかカーテンレールの上とかを掃除してんだよ。これがなかなかまぁ大変で。長年の汚れのせいで水はすぐ汚くなって、手が痒くなってくるんだよ。」
「皮膚科に行けよ。」
「それはどうでもいいんだ。」
「でさ、特にカーテンの上なんかやってるとさ、埃がレールに挟まってたりするわけよ。これがなかなか厄介なんだな。何せレールの幅が狭いからさ、押し込まれるようになってると雑巾だけじゃ取り切れないんだよ。しかもその押し込まれ方がひどいんだ。きっとおふくろが昔掃除したときに雑巾で平らにするように吹いたんだろうな。」
「……」
「これを取るためには『つまようじ』が必要なんだな。」
こいつは何が言いたいのだ。いつもこんな風によくわからない話をしてくるが、何を聞いても理解できない。しかし突然、ぶしゅっとシアが口に含んでいたお茶を吹き出した。
「どうしたんだ?」
「あははは!いや、ふふ…ふふふふ、なんでもないのよ。大丈夫。うん。…ふふ。」
迫田は何だかニヤッとした顔をしていた。
「あなた、いつもそんな風に話をしてるの?」
「いえいえ、今回だけですよ。たまたまそのネタが降りてきまして。」
なんだ?何というか疎外感だ。例えるならグループの友達が読んでる漫画を自分だけ読んでない、みたいな…。
シアはしばらく同じような状態を繰り返していたが、やがて落ち着いてきて。
「ありがとう。あなたとはこれからも仕事をしたいわ。」
「ありがとうございます。では、そろそろお暇させていただきます。」
そうして、迫田と小池は帰っていった。
話が読み込めない自分だけを残して三人を乗せた列車は会議室という駅から去ってしまった。今更嘆いたところで同じ列車には乗れない。いや、規模で考えると列車というよりもトロッコに近いのだろうか。ふと、さっきの迫田の話を思い出す。カーテンレール…自分が乗っているトロッコはカーテンレールの上を走っているのではないかと思い出す。それも埃まみれのレールを。いつ詰まっている障害物に引っかかって転倒してもおかしくないトロッコ。カーテンレールという、レールの中でもどうでもいい分類の線路。
迫田は何が言いたかったのだろうか。さっきの会話はどうもシアだけに行っていたわけではなかったように思える。私にも、小池にも言っていたように思える。『つまようじ』に何の意味があるのだろうか。頭の中で反芻してみる――――――鋭さ?
鋭さから何が生まれていくのだろうか。考え方ということだろうか。確かに迫田は頭がキレるため鋭い意見を言うことが多かった。だけれど、それに何の関係が…。
私は小会議室を出て、本物の電車に乗りいつもの家に帰った。玄関を開けると床には朝の通り段ボールが転がっている。しかし、それを昨日のようには超えずに箱を開ける。カーテンレールの上の埃をつまようじで取るように。願わくばそのつまようじが「川端康弘」という人間が乗るトロッコのレールを変えるレバーとなるように。
迫田と小池は会社への帰路につき、電車の中で話していた。
「今日は初めての商談、お疲れ様。」
「ありがとうございます。」
「無事に終わってよかったな…といいたいところだが、危なかったな。」
「え?なぜですか?」
「お前、アレクシアさんが適当につけた名前に対して愛想笑いをしてただろ。」
「なんでそんなことが分かるんですか!?」
「社長だからだ。喧嘩をしていたってそれぐらいは分かる。会社の生命のためには取引先が重要だ。今回新しく取引をすることが出来たのが一人の個人であっても。」
「…」
「だから今回、愛想笑いをしたお前は営業員失格ってことだ。」
「でも、あそこでは愛想笑いをするべきでは?少しでもいい思いをしてもらうために―――」
「だめだ。仕事は信頼関係があってのもの。『こいつらは良くない提案をしても愛想笑いでごまかしている』って思われたらもうおしまいだよ。アレクシアさん、西の方の国の出身って言ってたよな。それに、近くで紛争が起きてる、とも。この情報でだいたい場所分かるだろ?あの人はそういう何気ない話の中でも問題を投げかけてくるタイプの強者だよ。」
「…」
小池は自らの失態に気づき下を向く。だけれど「これで終わりだ…」とはなぜか思わなかった。自分のレールの掃除の仕方を教えてもらえたからだろうか。顔を車窓の外に向ける。夕日がビル群を照らし、それはそれは美しかった。
「きっと家柄みたいなもんだろうな。この国まで留学しに来てるってことは、それができるってことでもあるし。…さて、康弘くんは気づけるのかねぇ。『つまようじ』に。」
最後に迫田はそう独り言ち、電車の開いたドアから降りて行った。
以上が、カーテンレール上のトロッコでした。
オドントグリフィダとは、ギリシャ語で「つまようじ」という意味です。
会社名がつまようじはなかなか―――ひどい!
8と9がないのは、運営さんからメールが来たからです。
今回初めてこの―――の打ち方を覚えました。これは人類にとっては小さな一歩であるが、私にとっては偉大な一歩である。これを使えば…とは違う余韻の残し方ができますしね!
それでは。
あ、そうだ。一応言っておくと、この物語はフィクションです。実際の人物とは一切関係ありません。