男女逆転世界で生まれた狐神が最近会った人間に勝てないのでわからせたい模様 作:イソン
空気の匂いが変わる。
その匂いは普通の人間には感じ取れないものだが、足を踏み入れた瞬間に香る微細な変化に、恵は怪訝そうな顔をしながらもパンフレットを片手に額に浮かぶ汗を拭いながら、鳥居の右側で足を揃え、身体を寄せるようにして鳥居の下をくぐり抜けつつ、一礼した。
神様の世話をするうちに覚えてしまった、鳥居の通り方である。
「久しぶりに来たけど……立派だなぁ」
青井阿蘇神社。
菓子処『熊』の対岸、本流から外れ小さな流れを形成した小川を境にし、古き土地を有する場所。そこに神社は存在する。
本殿へと向かう道筋は複数あるが、恵が入ったのは一番大きな鳥居がある正面から。
桜門と呼ばれる屋根の四隅に阿吽の形相をした陰陽一対の神面や二十四孝物語の描かれた彫刻が施された門を抜ければ、本殿が顔を出す。社すべてが黒を基調に漆塗り、細部の木組みに赤漆を塗り、彫刻や模様は極彩色を用いるとともに各所に装飾が施され、なんといっても屋根の棟が高く勾配の急な萱葺き屋根が一番の特徴だ。
一般には桃山様式という技法で建てられているらしい。
らしいというのは、恵が先ほど門を抜ける際にフリーのパンフレットをもらった中に説明書きが為されているからだ。歴史を紐解けばきりがないが、かいつまむと田舎の町にある建物としてはかなり歴史的価値の高い建造物。
本殿へと続く道へは石畳で舗装されており、それ以外は白石の砂利。
(本殿は最後に見ようかな)
周りを見渡せば、本殿の近くにある御守などを販売している社務所では人だかりができていた。
巫女服をまとった女性数人が忙しそうに対応している。観光客だろうか、日常着にしてはいささか気合の入った服装だ。和気あいあいと、どの御守を買うか悩んだり、一回百円の運勢くじを引いて出た結果に花咲かす者達もいる。
あの近くに行けば周りの人にも迷惑になるだろうと、まずは周りの建物を見ていくことにした。
パンフレットにプリントされている境内の地図を頼りにゆっくりとした歩調で散策していく。恵と同じように散策している人はいるが、平日という事もあってその数はまばらだ。境内には小さな庭園や本殿と同じようなつくりの建物が点在し、その美しい配置に目を引きつつ、歩くたびに鳴る敷かれた砂利の心地よい音を聞きながら奥へと進んでいく。すれ違うたびに物珍しい視線でこちらを見る人たちもいるが、先ほどのカフェよりはだいぶましになったことで恵は軽く背伸びをした。
「えーっと……相良氏入国より約四百年前、今から千二百年前の大同元年(八百六年)に神社が創建されました……と」
歩きながら、前は機会がなかったパンフレットを読み進めていく。
八百六年、今が二千年代ということを考えると途方もない数字だ。さらに読み進めていくと、御分霊をお祀りした神社は全国に約五百ほどあり、古くから神として厚い信仰が寄せられてきたことが伺える。
ふと、ここ最近はうちの家で祖母と一緒に朝のテレビ番組を見るのが日課となりつつあるこんがり色をした狐神を思い浮かべる。
彼女が属する稲荷信仰は、神様にそこまで詳しくない恵でもわかるほどの超大手派閥みたいなものだ。京都に本営があるらしいが、阿蘇神社でこれほどの規模なら稲荷信仰の本拠地はいったいどれほどになるのだろうか。
恵を除いた話し合いが始まる前、ネットで有名な狐神一花様とその巫女である水巻という女性と少し話をする時間があった事を思い出す。
菓子処『熊』の飾り気のない、応対用の一室で。
『……まさか、資料に書かれていたので事前に知ってはいましたが、本当に男性の方だったなんて。この度は、私どもに配慮して頂きありがとうございます。おかげさまで、探す手間が省けました』
水巻という女性は、とても慎ましやかな人だった。あの有名な神である稲荷神の一花様のお付きと言うには、正反対の。
恵が指定した時間通りに店へ来店した彼女の後ろ、ひっつき虫のようにして離れようとせず、こちらを覗くどこか彼女に似ている狐耳の少女も辺りを見回しながらついてくる。
なんとも親近感がわくなと恵は思いつつ、
『いえ、こちらこそご足労頂きありがとうございます。たいしたおもてなしは出来ませんが――こちらうちで作ったおはぎです』
『あら、これはこれは……ありがとうございます! こちらは稲穂さんが作られたので?』
『店頭に出した物は完売してしまったので、先ほど作った物になるので少し温いかもしれませんが……』
『いや、それはなんとも……。ではせっかくなので一口いただ――『やーちゃん食べないの? それなら私がもらってあげるね。んむぐっ、ぬむんむ……う~ん、出来たてのおはぎも中々……』って、あ、あああっ! 何してるんですか、この馬鹿狐!』
『んむっ!? ぐ、ぐぬぬぬ……んんんんんんんっ!』
……記憶を振り返ってみれば、何故かはわからないがどうでもいい場面しか思い出すことが出来なかった。
おはぎをのどに詰まらせて顔を青くする一花様と、おはぎを奪われて(まぁ、男性が作ったおはぎだからという理由だろう)嘆くお付きの巫女。意外と――対象の神が二人しかないので偏った情報にはなるが、狐神はポンコツタイプが多いのかもしれない。
恵がお世話をしている神様もそんな感じだし。
初対面にしては色々な事が起きたが、話の中で得られた情報を整理する。
彼女曰く今回の目的は新しく生まれた神様を本拠地へ一時的に引き連れて、教育と彼女が生まれた場所の最適化を行うらしい。
今回はかなり特殊な例らしく、神が生まれる環境としてはかなり歪でガタガタとのことで、現場を実際に見に行かなければはっきりとしたことは言えないらしいが、近場に近づいたことで感じることのできる一花様が残業コースだと嘆いていることから、かなり時間を要するらしい。
(今頃、何を話してるんだろうか)
よくよく考えれば、当事者である神様と本部から来た一花様達が話し合いをするのは必然だし、保護者……もとい、彼女を見つけた者として話し合いに同席させるなら男の恵より、年長者でもある祖父母を交えたほうが話が早いだろう。恵とて、他の人達よりも精神的に落ち着いている方だとは自負しているが、それでも年の功というのはなかなかに埋められるものではない。
話の内容がどういったものであれ、第三者の視点で話のできる方があの場にいることが最善だということは理解している。
けれど、それはそれでありこれはこれだ。かなり勝手ではあるが、神様の世話をしてきたのは自分でもあるし、なにより一花様達に何か粗相をしないか不安でもある。
(……まだまだ子供か)
ふと、抱いていた考えに私情が挟まっている事に気づき自身の幼稚さに外されても仕方ないかとため息をつく。知らぬうちに、神様寄りに偏っていたらしい。
一息吐いて、恵は気を取り直すと、残りの時間まで境内の散策を続けようと歩き出す。
そんな時だった。恵が歩いていた砂利道の先、神社の敷地を囲う塀の内側、その端っこに小さな竹林が見えた。
「……変だな。本堂側にある竹林と距離があるのに」
何とも言えない不思議な感じだ。そこだけぽっかりと穴が開いているかのような、そんな感覚。神様と出会う前までの恵ならその違和感を感じることをなかっただろう。けれども、短い期間の中で複数の神と出会い、歪ながらも神の寝床に出入りしたことによって、最初にこの神社へ入った時と同じように『境目』を感じ取れるようになっていた。
当の本人は知ってか知らずかだが。
違和感に導かれるように、自然と足をその竹林へと向ける。ほんの少しの距離だ。数分もしないうちに竹林の奥、ちょうど竹林に遮られるようにして隠れていた物が目に映った。
「狐の……神社?」
それも小さい、恵の伸長の半分もないような高さ。全体の大きさはうちで世話をしている神様の寝床とそう大差ないだろう。
ただ、違いを上げるとすればこちらの方が圧倒的に綺麗だ。小さいながらも狐の石像が祀られている社はつい最近人の手が入ったのだろう、木材の年季とは別に真新しい塗りが施されている。手前には小さな鳥居。近くにはこれまた社に合ったサイズの池があり、水際の石段に苔は生えている物の中の水は透き通っていた。
何故ここにこんな物が……。
不思議な感覚にとらわれながら、恵は手を伸ばした。ゆっくりと、社に納められている狐の石像に触れようとして、
「だめですよ。そこは通り道ですから、半端に感じる者が触れたら迷い込みます」
はっと、恵は伸ばしていた手を引っ込めた。
静かな、けれども耳に残る不思議な声色。その声に、恵は慌てて後ろを振り返った。
そこにいたのは一人の少女だった。白を基調として紅色が散りばめられた着物姿に身を包み、おかっぱ頭のような灰色の髪は、こちらを見つめる深紅の瞳と合わさって異様な雰囲気を感じさせる。十代後半に見えはするが、雰囲気はどこか大人びて見えた。
人ではない。耳や尻尾は見当たらない、けれども彼女から感じるそれは恵が会ってきた神々と同じだ。
思わず、息をのんだ。
「あら、驚かせてしまいましたね。すみません」
そんな恵の様子を見て少女は苦笑いを浮かべると、ひそやかな足取りでそのまま本殿があった方へと歩いて行く。
その後ろ姿を目で追うことしかできない恵は、困惑した表情のまま口を開こうとして、
「どうぞ、こちらへ」
しなやかな動きで、少し長い袖から白い手で手招きするようにこちらを誘う少女を見て、恵は、
(約束の時間に間に合うかな……)
非日常になれすぎた結果、場の雰囲気とは裏腹にどうでもいいことを考えつつ、彼女の後をついていくことに決めた。
案内された先には、先ほど見た場所に負けず劣らずの池と小さな庭園があった。大きさはこちらの方が圧倒的だが。
少女は特に迷いなく縁側に腰を下ろすと、静かに手招きをした。少し警戒をしながらも、笑みを浮かべて手招きする少女の姿に敵意がない事を感じ、恵も同じ場所へと座る。
「良い景色でしょう? ここの庭はとても美しいんです」
少女が自身の膝の上で手を組みながら微笑む。
そんな横顔を見ながら、恵は少女が見ている先に視線を移し、頷いた。確かに、彼女の言った通りだ。先ほどのミニチュア狐神社の周りを囲む雑木林から見える風景は言わずもがなだが、この空間から見える池や庭園もまた別の美しさを感じさせてくれるものだった。ただ、綺麗なだけではない何かを宿すこの場所は不思議と心地よい場所だ。
けれども、こんな庭園なんてこの神社にあっただろうか。ここを回るときに確認したパンフレットの案内図にはここまで立派な場所は描かれていなかったはずだが。
不思議に思っている恵をよそに、少女はどこからともなく茶器一式を取り出すと、あれよという間に仕立て上げ、未だこの不思議な空間に連れてこられた目的がわからず警戒している恵の前に置いた。
視線をゆっくりと交互に、お茶にそして少女の顔に。お茶には茶柱、こちらを見る少女は満面の笑み――いやはやこれはなんとも運が上がりそうな。
ではなくて。
「いや、あの……私はどういった理由でここに連れてこられ――」
若干、何故かはわからないが罪悪感が芽生えながらも恵は問いかける。
「お茶はお嫌いですか?」
「いや、嫌いというわけじゃないですけども」
「茶柱付きですよ?」
「えぇ、ほんとに縁起のいい……じゃなくて。さすがにこの状況で出された飲み物を飲むのはちょっと……」
「突然現れて何も言わずに神域に連れ込んだ大人しそうな見た目をしたザ・和風な少女が仕立てたお茶は飲めないのですか?」
「えぇ……、いや、あの当然――」
「自分の不注意で神様専用の通り道に手を入れそうになってしまい、迷い込んだら帰ってはこれない場所に飲み込まれそうだった幸薄そうな青年を神社に入り込んだときから見守っていて、助けてあげた神様の使いである少女が仕立てたお茶は飲めないのですか?」
「……いただきます」
ぐうの音も出ない。
その言葉に恵は流れるような動きで出されたお茶に口を付けた。ほのかな苦みと、後から来る回るような甘み。恐らくではあるが、変なものは入っていないようだ。
その反応を見てか、少女は微笑を絶やすことなく恵へ視線を向ける。
「怖がらないでください。別にあなたをとって食おうなんて思っていませんから。意地悪く聞こえたかもしれませんが、この神社にこられたときから、あなたはこちらの世界に足を突っ込んでいたんですよ? どうやら、常日頃、神の領域に浸っているようで。……先ほどあなたが触ろうとしていた社は、昔、仲のいい神同士が縁を結ぶために建てられたものです。縁という特性上、設置した者――ここで言うなら稲荷様でしょうか。本来であれば一昼夜ではたどり着けない場所との距離を縮めてくれる神様専用の通り道なんですよ――まぁ、古くからあるのと今は移動が大変便利になっているのもあって、正直な所、置物と化してはいますが。ただ、腐っても神が作りし物……あなたのように神との距離が近い人間が不用意に触ると、稀に吸い込まれたりするんです。――所謂、神隠しに」
おどろおどろしげに言う少女に、恵は最初神社に足を踏み入れた時に感じた違和感が彼女の言った物だと理解した。
知らず知らずのうちに、己がそんな状態になっていたとは。
ということは、だ。これから先、神社やそういった場所に行くときは細心の注意を払わなくてはなるという事に、恵は気を落とした。
つまり、彼女が言った危険性だけではなく――彼女の様な存在がこちらを見ている可能性が高いという事にもなるのだから。
心の中でお決まりとなりつつある溜息を吐き、少女に向き合う。とりあえず、聞かなければならない。
「……あの、貴女は?」
未だに少女の素性や目的といったものがわからずに困惑の表情を浮かべていた恵に対し、少女は微笑を浮かべたまま名乗った。
「申し遅れました。私は白羅と言います、この青井阿蘇神社にて主神に仕える神使……とでも申しましょうか」
白羅と名乗った少女は改めて恵の姿を見るようにじっと見つめると、その目を細める。その様子は品定めをしているようだったが、それは一瞬で終わり、
「……一応、初対面と言うことにはなります。せっかくですので、お名前をお伺いしても?」
その言葉に、不思議に思いながらも恵は、
「……稲穂、恵です」
律儀に返した。
「ええ、存じておりますとも。前にこちらへ来られたのは少し陰りのあった涼しい時期でしたね。しっかりと葉叢の中からのぞき見しておりました。あの時、一緒におられたお祖父様とお祖母様はご健勝ですか? たまにですけれども、お忍びでそちらの菓子を買いに行くんですよ。神社の向かいにある立地のいい場所ですからね、それに加えて女性にも優しく接してくれる男性が店員となればそれはもう常連といっても差し支えないかもしれません。……まぁ、買いに行くのは巫女達が率先して行ってしまうのもあって、私はいけないので話伝いではありますけれども」
……律儀に返さなければよかった。
揶揄するような口調で楽しそうに言う白羅を見て、恵はなんともやりづらい――今まで出会ってきた神様の中で、一番つかみ所の無い神だと彼女の第一印象を評価づけた。
今までの経験上、恵に近づいてくる女性というのは下心がありありのわかりやすい行動だったため、幾度もの経験を得て相手がどのような思惑があってこちらに接してきているかある程度わかるはずなのだが、目の前にいる少女はそれに該当しない。
まるでとぐろを巻いているかのような、そう、例えるなら蛇のように――。
「それでは、本題に入りましょう」
思案する恵をよそに、白羅はそう言うと立ち上がった。恵の方へ向き直り、こほんと咳を一つ。
そして、口を開いて発した言葉。
「稲荷信仰でもなく、海外の神でもなく……もう一つの道、我が主神である姫野命神の庇護下で生きる道もありますよ」
その言葉に、恵は目を大きく見開いた。
「誠に勝手ながら、あなたの経歴はこの地に来るという情報を得た際に調べさせてもらいました。なんとも――という言い方は不躾かもしれませんが、親の私欲に巻き込まれ、知らず知らずのうちに道を作られてしまっている――今時珍しい、神達に翻弄される遥か昔の神話に出てくる人間達の様な生き方」
「………………」
「知らぬでしょう? あなたが今、誰と戦おうとしているか。ここ最近、変わったように動かれていますが、率直に申し上げて厳しい……と言うのがこちらの意見でございます」
「何故――」
そこまで知っているのか。恵の言葉にならない声を聞いてか、白羅はくすりと笑みを浮かべて答える。
「あなたのあずかり知らぬところで事が大きくなっておりますゆえ……。人間界は平和ですが、神達の間では現在進行形でとんでもないことになっているんですよ?」
彼女の言葉に、恵はわけがわからないと頭の中で己が知り得る情報を含めて物事を整理しようとする。
「……白羅様が知っている事を、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、何なりと。どれからお話ししましょうか……あぁ、少し話が長くなりそうですね。お茶菓子でもいかがです?」
ぽんぽんと、両手を合わせて叩く音と同時にどこからともなく茶碗に入った菓子受けが現れる。
その光景を見ても驚かない恵は、慣れた様子で姿勢を正し、湯呑に手を伸ばす。
白羅もまた、恵の方に向き直ると、自分の分として用意された湯飲みを手に取った。
ずずっと、茶をすする音が部屋に響く。
そして、一息ついた彼女は口を開く。
「それではまず――」
そして始まる、神の口語り。
誤字脱字報告、感想、本当にありがとうございます。
早いけど、来年も良いお年を。