男女逆転世界で生まれた狐神が最近会った人間に勝てないのでわからせたい模様 作:イソン
山中にある祠の前で、手を合わせる。
祈りを捧げるために。
木々の隙間から木漏れ日が溢れて、周りを照らし始めていた。ゆっくりと深呼吸すれば、木々の香りと清涼感が体を満たす。
山の奥、息を呑むほどに透明な湧水が溢れ作られた小さな池と、その近くに造られた不揃いな石達で積み上げられた小さな祠に稲穂 恵はいた。
いつ、どこで作られたのかもわからない。無造作に作られ、なおかつ大部分に深緑の苔が覆われているのを見る限り、かなり古い時代に作られたのではないかと推測できる。
そして、祠の中にはこれまた小さな石で掘られたお狐様が鎮座していた。そのお狐様のお膝元には今朝、恵が作ったばかりのおはぎが備えられている。
彼女が食べやすいようにとわざわざ1回りサイズを小さくした可愛らしいおはぎが。
「ピッピッ」
祈りをやめ顔を上げる。すると、祠の上に白い小鳥が囀りながらこちらを見つめていた。
「やぁ、白。神様は今日どこで寝てるかわかる?」
ポケットから袋に入ったパンの耳を取り出し、白と呼ばれた鳥にあげながら聞く。
普通の鳥であればこちらの言葉などわかる由もないが、どうやら神様の眷属であるらしい。人の言葉を発することはできないものの、こちらの言葉を理解しているため、毎回寝床が変わる神様の場所を把握してくれている。正直、神様より頭の良い存在かもしれない。
「ピッ」
手の平に乗って器用にパンを啄ばんだ後、白は翼を広げ飛翔、そして祠の裏側にある大木の根元へと彼を案内した。
口から涎を垂らしながら、大の字になって眠りこける彼女のもとへと。
「うら若き乙女の寝床に勝手に立ち入るなと、何度言えばわかるのじゃ!これだから人間という奴は……、んむぐ。この新作のきなこおはぎとやら、なふぁなふぁいけるのう、んむぅ」
黄金色の腰までかかる長髪に、透き通るような柔肌。
「そもそもじゃ。神であるわしがおるこの神域に、いることを許した覚えもないというのに……ぬむっ!? この桜色をした餅もよいではないか!」
人間でいうならば、恐らく小中学生ぐらいだろうか。
「何故かはしらぬが、スレとやらの奴らにはこっぴどく叱られるし……。それもこれもお主が勝手に覗いたからじゃぞ!」
今まであった女性の中でも容姿端麗。
「だがしかしじゃ! お主がわしに加えてきた狼藉も、今日限りじゃな!」
そして、彼女が人間ではないことを示す、耳としっぽ。文句を言いながらも、おはぎを口に放り込むたびに耳はぴんと立ち、尻尾が千切れんばかりにぶんぶんとふっている。
「神様……、口元にあんこがくっついてますよ……ほら」
「ぬ? しもうた、貴重なあんこが」
しかし精神年齢はまるで子供のよう、というおまけつきではあるが。
ため息をつきながら、ハンカチを取り出し、彼女の口元をぬぐう。このやり取りも何度目になるかわからない。一種の日課となりつつある彼女の愚痴を聞きつつ、持ってきていた水筒から温かいお茶を容器に入れ、渡してあげた。
「……苦いお茶じゃなかろうな?」
「ちゃんと前回の反省を生かして、今日は玄米茶にしてますよ」
それならいいと、両手で容器を持ち彼女はお茶を飲み始めた。
前に池の水しか飲んだことがないという彼女に、せっかく和菓子を食べているのだからとお茶を家から持ってきて飲ませたことがある。
結果は言わずとも、彼女の反応で理解できるだろう。神様というのはなかなかの甘党らしい。
彼女がお茶を飲み終わり、満足したのか尻尾の手入れを始めたのを見て、恵はおはぎを入れていた器とお茶の容器をてきぱきと片付けていく。残り時間は1時間ほど、あまり悠長にもしていられないからだ。
朝六時から八時までの間、それが彼女と会える時刻だった。
出会いは大神畑町。総人口約500人ほど、ほとんどの人達が1次産業に従事しているこの町は、正に昔ながらの農村帯だ。
そのため、自ずと信仰する神はと聞かれれば稲荷信仰が挙げられる。お稲荷様といえば、聞いたことは一度ぐらいあるかもしれない。恐らく日本一、幅広い地域で信仰されているのではなかろうか。
一度、恵は京都にある総本宮の伏見稲荷大社に旅行で行ったことがある。その時に見た神様たちは、その場にいるだけで世界を歪めているような、そんな非日常な雰囲気を感じ取ることができた。
そして、目の前にいる彼女も同じ稲荷信仰の神様、であるらしい。
あるらしいというのは本人の談と、先日使い方を教えてくれとせがまれた際に確認した携帯からだ。
その際に確認できた現世のネットに染まりきった神様たちと、動画を撮ってあげた後に起きた阿鼻叫喚の嵐は自身の記憶だけに留めておこうと固く決意したが。
ともかく、生まれたばかりの彼女は神様ではあるものの、名も無く信仰も動物たちからしか得られない、ひ弱な神様らしい。信仰の力によってその存在を現世に保つ彼女は、動物たちの小さな信仰だけではほんの数時間しか活動できない。
そんな彼女に、恵は何の因果か出会ってしまった。
「それで、契約の内容は決めてきたんじゃろうな?」
舌で尻尾を毛づくろいしながら神様が問いかける。
「いや、スレの方達も仰られていたじゃないですか。女性ならともかく、男性に契約を持ち掛けるのは今のご時世ご法度だって」
「しらぬ! せっかく便利なものがあるのに何故それを使わぬのじゃ。本宮の者から知らせが来るまで待てと言うておったが、そんなに待てぬ!」
「まぁ、確かにそのお気持ちはわからなくもないですが」
けれども、と恵は続ける。
「そんなにご心配することはないですよ」
「むっ……? 何故じゃ」
恵の言葉に、不思議そうに首をかしげる神様。その光景に妹がいたらこんな風に無邪気で、わがままで、目が離せないような存在だったのだろうか。そんなことを思いつつ、彼女の疑問に答えた。少しの罪悪感で、彼女から目を背けたまま。
「家庭の事情で、引っ越すことになりまして」
だから、神様にご迷惑をおかけするのももう少しで終わりますという恵の言葉に、彼女が驚愕した顔と、耳としっぽがへたりと丸まった光景を見なかったのは幸か不幸か。
まだ、知る由もない。
「えー、じゃあやっぱりあの噂は本当なんだ」
「うん。黒狐様が関わった者の携帯を没収しに行ったんだって」
「こわーい。携帯を没収されるなんて」
伏見稲荷大社、稲荷信仰の総本宮には出仕達の暮らす場所がある。その広い食堂には数十人の女性たちが、お勤めの前に朝の食事をいただいていた。
米に焼き魚、味噌汁に漬物と今時珍しい和の食事だ。
(大丈夫かなぁ、一花様)
目玉焼きとトーストでいつも朝を終えている水巻 弥生は、普段食べない食事に舌鼓を打ちながら、出仕達の噂話に耳を傾けていた。
神様の噂話をするのは本来禁止されているはずだが、目の奥で好奇心の塊が輝いているあたり、人の口にとは立てられないらしい。
「でね、結構な数のお稲荷様が1か月間の携帯使用禁止を言い渡されたんだって」
「うわー、1か月も。やだなぁ、私だったらSim抜き取って別の奴用意しちゃいそう」
「罪が軽い人も、白狐様がお叱りの真っ最中なんだって」
「白狐様、いつもは優しいお方だけど怒ると怖いもんねぇ」
一花様のことだと、汁物を啜る。
水巻は、一花と呼ばれる狐神の巫女だ。
巫女とは、その生涯を信仰する神に仕える一族の通称でもある。はるか昔、まだ男と女の均衡が保たれていた時代、繁栄を約束する代償として神に仕える『契約』を交わした一族。
今では契約で巫女を増やすという行為自体が原則的に禁止されているため、よほどのことがない限り、巫女が増えることはないらしい。
(黒狐様に、白狐様か……。トップの二人が出っ張ってくるってことは、なかなかに厄介事なんだなぁ)
彼女たちの話から出てきた名前は、日本、いや世界でも知らぬものはいない。万はくだらない分社を持ち、その中の神達を束ねる存在。今や日本の神は衰えつつあるという発信をしているテレビの情報番組でも、お二方の名前だけは見たことがないほどだ。
そんなお二人が関わる厄介事に、水巻が仕える神様は手を出してしまったらしい。
出頭命令が下った時の一花様は、それはもう生きた心地がしないといった表情で涙を浮かべ、尻尾を体に巻き付かせながらこちらに抱き着いていた。
私がいないとだめだなーと思いつつ、出立の準備を行い、付き添いとして京都まで足を運んだが、思った以上に事態は深刻らしい。
だからネットに入り浸りすぎるのはよくないと日ごろから散々言ってきたのだが。神様という物は、実際に起きてからでないと後悔しないタイプらしい。
(こりゃあ事が済んだら錦市場でお土産買おうとか言ってる場合じゃないか。とりあえず一花様は今後ネット制限かけとかないと。神様支給の携帯って見守り機能とかついてるのかな。ここ最近ソシャゲにも手を付け始めたみたいだし)
一花様の為にも何かできることはないかと考えを巡らせる。普段、ネットジャンキーであるぐうたら神ではあるが、小さい頃から遊び相手となってくれた水巻にとって、一花様は二人目の母親みたいなものなのだ。
(人付き合いはそんな好きじゃないんだけど)
一肌脱ぐしかないと。不愛想とよく言われる巫女が、出仕達に話しかけた。
話の内容を聞いて、大きくため息をつくのはそれからしばらくもしないうちだったが。