地面を思い切り蹴り、深緑色のローブを身に纏ったドラコ・マルフォイは空高く舞い上がった。学校中の大歓声に圧倒され緊張と興奮が無い混ぜになりほとんど食べていないはずの朝食が込み上げてきそうだ。
他の選手の遥か頭上まで上昇すると真紅のローブを着たグリフィンドールのシーカー、ハリー・ポッターが少し離れたところに飛んでいるのが見え、ドラコは自分の中の闘志がめらめらと燃え上がるのを感じた。
彼はネビル・ロングボトムが空中で落とした思い出し玉を十六メートルもダイビングして掴んだことでグリフィンドールの百年ぶりの一年生シーカーに選ばれた。
ドラコもその時に空中で両手を離しながらも安定した飛行で二人の生徒を助けたという理由で百年ぶりの一年生シーカーに選ばれのだが、ポッターに比べて地味な活躍だ、と噂されているのが嫌でも耳に入っていた。
ホグワーツ入学前から箒で飛ぶことが得意でクィディッチチームに入ることを望んでいたドラコにとってこれはとても屈辱的だった。
応援席で目立っているいかにも仲間たちの手作りといった『ポッターを大統領に』の横断幕も、ひどくドラコの気に障った。
同胞愛の強いスリザリン寮生は他寮生の様にドラコの異例のチーム入りを揶揄ったりすることは無かったが、一年生のドラコは身体も小さく必然的にシーカーになるしかなかった。
シーカーはクィディッチの花形ポジションだ。実力も知れない一年生が急にレギュラーだったテレンス・ヒッグズを押し除けてそこにつけば当然クィディッチチームの上級生たちは面白くないだろう。
加えてドラコが名家の出身であることも、扱い難いと感じているのが伝わってくる。こんなことなら父上にチーム全員分の競技用箒でもお願いすれば良かったと歯噛みした。
他のお気楽な寮生と違い学生時代から将来へ繋がる人間関係を築くことが名家出身のスリザリン生にとっては特に重要で、そんな理由もあってドラコの同級生たちは大っぴらにドラコだけを応援する訳にはいかなかった。
多忙である父ルシウス・マルフォイはドラコが百年ぶりの一年生シーカーに選ばれたことに大変喜び、入学以来初めての手紙と共に世界最速の箒ニンバス2000をすぐに送ってくれた。
しかしそれと同時にハリー・ポッターにも箒が届き、中身は同じニンバス2000でなんとあの厳格なマクゴナガル教授が買い与えたらしいという噂で学校は持ちきりになった。
自分と同じ一年生シーカーで同じ箒を持ち、なのに比べ物にならないほど学校中の注目を浴びて、クィディッチチームの仲間に歓迎され同級生たちに華々しく応援されるグリフィンドールのハリー・ポッター。
好感を持てと言う方が難しいだろう。
「さて皆さまお待ちかねと思いますが、今年度からクィディッチ試合観戦中のお供にホグワーツミートパイとバタービールがお買い求め頂けるようになりました。サクサクのパイ生地にたっぷりのミートと豆が入ったホグワーツミートパイは、なんと中に当たりのコインが入っていれば三本の箒でバタービールと引き換えできます。ネビル・ロングボトムとヘーゼル・フルームが客席にて販売しておりますのでどうぞお早めに!」
先程からグリフィンドール寄りも良いところの実況をしているリー・ジョーダンがヘーゼルの名前を口にして思わずドラコは集中を削がれ客席にちらりと目をやった。
ネビル・ロングボトムがグリフィンドール側の観客席で人に囲まれわたわたと慌てているのとは対照的にスリザリン側の観客席でヘーゼルがにこやかにリーの方へ手を振っていた。
陽の光を浴びて赤みを帯びた美しい髪が輝き、校章の入った黒いエプロンをつけ首からは商品の入った箱を下げている。グリフィンドール生にも関わらず彼女を可愛がっているスリザリンの上級生の女子たちがその前に列を成していた。
「あ、ヘーゼルが手を振ってる!いやぁエプロンつけちゃって本当に可愛いですね。アンジェリーナとはまた違った魅力がありま・・・はいマクゴナガル先生わかってます。これは非常に真面目な取り組みです。売り上げはホグワーツ生徒会活動の費用に当てられます。皆様じゃんじゃん購入してください」
長丁場になりやすいクィディッチの試合観戦、しかも観客は皆育ち盛りとくればホグワーツミートパイとバタービールは大人気の様で、ヘーゼルが真横にいるクィレル教授はしょっちゅう誰かに視界を遮られ苛立った顔をしていた。
ドラコがハリー・ポッターを敵視する最も大きな理由がこのヘーゼル・フルームだった。
ダイアゴン横丁で一目惚れし、ホグワーツで再会したもののヘーゼルはグリフィンドールに組み分けされたのでドラコとはほとんど関わることがなかった。
しかしハリー・ポッターは何故か入学当初から目立つほど彼女と仲が良く、有名人のポッターとヘーゼルは何処にいても注目の的だったし、当然二人は付き合ってるだとかいろいろと噂されていた。
ドラコはヘーゼルと会えるグリフィンドールとの合同授業の魔法薬学を密かに楽しみにしていたが(おかげでクラッブやゴイルには魔法薬学が大好きで待ちきれないのだと勘違いされている)あまり魔法薬学が得意でない様子のポッターはいつもヘーゼルに助けられていて不愉快だった。
ヘーゼルは非常に優秀でスネイプ教授も非の打ち所がないほど調合を完璧にこなした。
ドラコも魔法薬学では褒められることが多かったので何かしらの接点が持てるのではと期待していたが、彼女はいつも熱心にスネイプ教授を見ていたし、常に多くのグリフィンドール生に囲まれていたので話せるようなチャンスはなかなか訪れなかった。
やっと訪れた機会は初めての飛行訓練の後、ヘーゼルがネビル・ロングボトムと一緒にドラコのところまでお礼を言いにやってきた時だった。
ロングボトムはヘーゼルの後ろでスリザリンの集団を前にびくついていたが、ヘーゼルは屈託のない笑顔で握手を求めてきた。
緊張から顔の引き攣ったドラコが顔を少し赤くさせながらヘーゼルの柔らかな手を軽く握りすぐに離したのを、スリザリンの仲間たちは怒っていると勘違いしたらしい。
すかさずパンジー・パーキンソンがいかにロングボトムの飛び方が不様だったか揶揄ったのでロングボトムは泣きそうになりながら助けてくれてありがとうと小声で言った。
「別に君を助けたわけじゃない」
逃げる様に去っていくロングボトムの背中にドラコが言い放つと、ヘーゼルはドラコを見てくすりと笑った。
「あなた、ハリーにもそう言ってたわ。私のことも助けてくれてありがとう。あなたがいなきゃ落ちてたわ。別に私を助けたわけじゃないって、わかってるけどね!」
そう言い残すとロングボトムを追いかけて走っていってしまった後ろ姿に、君だけを助けたい一心で飛んだんだよ、と叫べたらどんなに良かっただろう。
隣に立つパンジーが気に入らないという様子でふんと鼻を鳴らしていた。
マーカス・フリントがハリー・ポッターを見事にブロックしスニッチから遠ざけ、その後ブラッジャーに顔を攻撃されながらも得点しスリザリンの観客たちは大歓声をあげた。
フリントはスリザリンの五年生でチームのキャプテンを務めているだけあり、誰よりも勝利に貪欲だった。フリントがポッターを止めてくれなければ初動で遅れをとったドラコはスニッチを確実に逃していただろう。
しばらく激しい両チームのクアッフルの取り合いが続き、フリントが続いて何点か得点を入れた。何としてもポッターより早くスニッチを掴んで勝ちたい・・・
そしてドラコは見つけた。ドラコのすぐ真下の芝生の上で金色のスニッチが羽ばたいている。
身を屈め一気に急降下する。
まるで身体中が心臓になった様に脈打って周りの音は聞こえなくなった。
あと10メートル・・・5メートル・・・
あと箒ひとつ分の距離まできてドラコは片手をスニッチへ伸ばした。このまま地面へ追突するのではないかという少しの恐怖がよぎった、ほんの一瞬のことだった。
パチン
真紅の塊がドラコの耳を掠めたかと思うと口を押さえたハリー・ポッターが目の前の地面に四つん這いに着地した。
コホン
ポッターの口から吐き出されたのはあと少しのところでドラコが逃した金色に輝くスニッチだった。
誰もいなくなった更衣室でドラコは下を向き項垂れていた。試合後フリントはマダム・フーチに抗議し続けていたがドラコのことは一切責めなかった。
「初試合だ。あんまり気にしすぎるなよ、次は勝つぞ」
そう言うフリントの目をドラコは見れなかった。クィディッチの試合数は年間ひとつの寮につきたった三回だ。上級生にとってひとつの試合の重みがどれほどのものか。
いっそ責められた方が楽なのに。試合中一瞬とはいえヘーゼルに見惚れていた自分が情けなかった。
ドラコはのろのろ立ち上がるとやっと更衣室の外に出た。いつもドラコにぴったり付いてくるクラッブとゴイルもさすがに気を遣ったようでいなかった。
「やぁ・・・あの、ドラコ?」
誰もいないと思っていたところ急に話しかけられて弾かれたように振り向くと、今ドラコが一番見たくなかった顔がおずおずとこちらを窺っていた。
「誰かと思えば大きな口の木登り蛙くんじゃないか。いいのかい、こんなところにいて。有名人のハリー・ポッターを今頃みんなお待ちかねだろう?」
ドラコが精一杯皮肉たっぷりに聞こえるようそう言うとポッターは顔を顰めてみせた。
「僕だって本当は格好良く手で捕まえたかったさ。それに僕の名前は僕が知らないうちに勝手に有名になったんだ。」
その言葉にドラコは頭がかっと熱くなるのを感じた。自分だって、たとえ口でだってスニッチを捕まえたかったのに。
「そのとおりだ。名前が有名なだけで君なんか何も特別じゃない。君に・・・君にヘーゼル・フルームの隣は不釣り合いだ」
思わず口から出たのはドラコが彼に対して一番嫉妬していることだった。
するとポッターはぽかんと口を開けてそれから何故かにっこりした。
「へぇ、そうか。君もヘーゼルを・・・」
何故だか嬉しそうな様子にドラコは怪訝そうに眉を顰めた。
「馬鹿にしてるのか?僕を笑うために待ち伏せしてたのかい?」
「そんなことない!誓うよ。いつもヘーゼルの隣にいて嫉妬されるのはダドリーだったからなんだか新鮮で・・・あっダドリーって言うのは僕の兄なんだけど。いわゆる幼馴染なんだ僕たち」
わたわたと慌てた様に弁明するポッターの様子に肩透かしをくらい、ドラコはむっつりと先を促した。
「それで?」
「君を待ってたのはダドリーにいつもスポーツマンシップについて熱く語られてたからで・・・ダドリーは何のスポーツでもすごく上手なんだ。僕はちゃんとスポーツをやるのクィディッチが初めてなんだけど」
ドラコは驚いていた。有名人の彼はもっと傲慢で偉そうな話し方をするだろうと思っていたからだ。
「僕たち同じ時に同じ様に一年生シーカーに選ばれただろう?僕本当に緊張して不安だったけどドラコも一緒だって思ったら頑張れたんだ。だから、その・・・初めての試合で君と競えて良かったよ。これからよろしくねって言いたくて」
ドラコは呆れ返って何も言えずに目の前のポッターの顔をまじまじと見た。こんなことを伝えるために、彼はどれほどここで一人待っていたのだろう?
「そうだ!これ良かったら食べて。僕もさっき食べたんだけど冷めてもサクサクでとっても美味しかったよ。実は緊張して朝食べれなくて、お腹ぺこぺこだったんだ」
沈黙に耐えかねた様子のポッターが茶色い包みを差し出した。中にはホグワーツの文字が焼印されたこんがりとしたパイが入っていた。
ドラコはそれを受け取ると、自分もひどく空腹だったことに気が付いた。
「・・・ありがとう。まぁ、じゃあ、よろしくだ」
ドラコが無愛想にそう言うとポッターはぱっと明るい笑顔になり、じゃあまたねと言い残すとホグワーツ城に向かって走り出した。
「次は絶対に負けないからな!」
慌ててドラコが大きな声でそう言うとこちらを振り向き何も言わずに笑顔で手を振り、あっという間に行ってしまった。
「まったく何だったんだ・・・」
そう言いながらドラコがパイを一口齧ると歯に何か固いものが当たった。パイ生地の中から金色のコインが出てきた。スニッチの絵が描かれている。
ごろごろと豆と肉がたっぷり入ったミートパイは確かに美味しかった。
ハリー・ポッターとは仲良くしておいて損はないと父上からの手紙に書かれていたから受け取っただけさ。
誰ともなしに心の中で言い訳しながらも、いつの間にかドラコの表情は先程より少しだけ晴れやかになっていた。