想像通りか寝て数時間も経たないうちに大きな音で起こされた。万が一の為に動ける準備だけしておいてベッドに入ったいたので、近くに置いていたバットだけ持って部屋を出る。ちょうど理の部屋のドアを叩いていたゆかりッチが見えた。
「ちょうど良かった。私たちには手に負えない奴が向かってきてるみたいなの。逃げる準備をして」
その普段とは違う必死の形相に、思った以上に現状は窮していることが伺える。部屋から出てきた理に急ぐようハンドサインを送って、足早へと1階へと向かった。何事もなく降り、裏口にまでやってくると、ゆかりッチの通信機に桐条先輩から、どうやら敵が数体いるらしいとの連絡が入る。
そのまま進むも、進路も変えるもこのままじっとしているには時間がもったない。戸惑う二人を前に意見を聞こうとすると、裏口からなにか叩きつけるような音がした。
「ぼーっとしてんな。屋上に逃げんぞ!」
「ち、ちょっと。上に行って、もし追い詰められたりしたらどうすんのよ」
もちろんその考えがないわけではない。だが、このまま追い詰められるならせめて敵の奇襲は避けたいとも思う。自分たちの自由を確保しながらも、奇襲を避け、なおかつコンビネーションが取りやすいようにするには、多分これがベストではないにしてもベターな選択であるはずだ。逃げ道がないというデメリットはあるが、見通しがよく奇襲もかけられづらいことと天秤にかけると圧倒的に後者のほうがメリットがある。
「そん時は迎撃しかないっしょ! ほら急ぐぞ」
あとは出たとこ勝負。どちらにせよ、オレたちに残された道は少ないのだ。それを分かってか、ゆかりッチもため息をつき「私、アンタみたいなリーダーだったら絶対についてきたくないわね」とは言うものの従ってくれた。
バタンと屋上の扉を蹴破り外へ出る。幸運なことにシャドウの姿は見えなかった。
「はあ……、アンタ、なんで……、ドアぶち破っちゃったわけ」
肩で息をしながらゆかりッチがオレを睨む。どうしてかと言われても、それは鍵が見当たらなかったことと、引いても開かなかったからだ。そうバットのグリップを握り返しながら答えると、理が半壊のドアを閉めて外側のドアノブを指す。
「……順平、ここの扉は引くんじゃなく、押すんじゃないか。それと鍵、こっち側だから」
「そんなんわかるわけないじゃん……。どうなってんのココの防犯意識。別にイイっしょ、緊急事態につきってことで。しかもオレのチカラで破れる扉なんて、アイツ等にはないも同然だろーがよ。それよりも、理は外壁側を見ててくれ、オレは扉の方をみる、ゆかりッチはどっちから来ても対応できるように」
どこか締まらない二年生御一行一同に簡単な指示を出し、自らも臨戦体制になる。
「じ、順平!」
理が声を上げたのと同時に背後から嫌な気配を感じた。続くズシンと寮ごと揺らすような衝撃に、腰を踏ん張り踏みとどまる。
ヒタリ、ヒタリと数百のヤモリが壁伝いに一斉に這うような音がし、振り返る。「ひっ」と悲鳴じみた声を上げたのは誰だったろうか。その犯人を捜す暇もなく、外壁から、真っ青な仮面がまるで舞台の昇降装置を使用したように音もなくそいつは現れた。そいつは体すべてが数本の真っ黒な腕だけで構成されていた。その全てが、まるで車輪のハブのように中央で集結している。最初に見えた真っ青なⅠとだけ書かれた仮面もその腕の一本が持っているだけで、足となる役割を果たしているのもあくま半数の腕がその働きをしているようだった。
「うおおおお!」
シャドウがなにかアクションを起こす前に飛び出す。扉側にいたせいもあり、距離は10歩といったところだろうか。武器がバットだけでは心もとないがないよりマシだと、一気に距離を詰め、凶器を化した金属バットを振り抜く。
いつの間にか手にしていた、鋭くも肉厚な突剣に防がれる。長いリーチを活かして腕を振るわれ吹き飛ばされた。
「だ、大丈夫」
「何するかはしらねえけど、やれることをしろよ」
心配してくれたゆかりッチには悪いが、ホルダーから召喚器を取り出しているのが見えたため、一つ発破をかけてみる。記憶では彼女が初めて召喚できたのは、その後の初めてのタルタロスのはずだ。きっとこのまま史実では、どちらかの先輩が倒してくれたのだろう。今できることは時間稼ぎだけだろうと、体勢を整えてまた迎うことのできるチャンスを伺う。
「オレも行く」
流石はオレらがリーダー。いつの間にか決心したのか、理は刃渡りの短いナイフ片手にオレの隣に立っていた。しっかし、いつもの冷静沈着なお前はどこいったんだよ。お前の足が震えてるところなんて初めて見たぞ。
「後ろでゆかりッチが何かするらしい。オレらができるのはその時間稼ぎだけだ。飛び出すタイミングはお前に任せる」
「わかった」
じりじりと二手に別れながら距離を詰める。チラと後ろの方を見ると、ゆかりッチが召喚器に額へと当てるのがみえた。視線を戻す途中で理と視線が合う。一瞬で呼吸を止め、下っ腹に力を込め、左右同時に飛びかかる。
バットはまたも簡単に受け止められるが、上手く虚を付いた理はシャドウの懐に忍び込み、敵の数あるうちの腕の一本を切り落とした。
ヨシっと言う暇もなく、腕を鞭のようにしならせ、まるでハエでも払うかのように振り抜く。決して気を抜いていたわけでないが、空中で隙だらけのオレはあえなくその衝撃に吹き飛ばされ、壁に思い切り体をぶつける。
さらに追撃するように左足を踏み抜かれた。何かが砕けるような音がして、激痛が走る。かすむ視線の先には振り上げられた幾本の剣。その全てがオレの体に照準が合わせてあった。
ああ、終わりか。結局何もできなかった。誰も救えなかった。
諦めがじわりと湧き出て目をとじる。
「諦めるな!」
歪む視界。いや、オレの視覚じゃなく、シャドウが理の体当たりで体勢を崩していた。理はすかさずもう一度ナイフを振り抜き、さらにもう一本の腕を刈り取る。足の上に置かれた腕が外れたのを幸いに転がってシャドウと再び距離を開ける。回復能力はすでに働いているようで、不揃のパズルを合わせるように痛みを伴いながらも元の状態へと戻していった。だが足は戻っても、失った血液までは補えないらしく、視界に靄が掛かり始める。
「大丈夫か」
「あんがとよ」
額から流れた血が目に入らないように拭い、軽口を叩くように返事するも、精神も体力も限界に近い。きっと心配そうにオレを見る理も同じようなもんだろう。
「この状況をなんとかしたい。順平、なにか思いつくか」
「いんや、さっぱり。お前は」
「オレもない」
「だよな」
まだオレらが屋上に来て、正味経っても3分といったところだろうか。早くも切れるカードがなくなっていた。応援が来るにしてももう少し時間が必要だろう。本当はとりたくはなかったが、最終手段に移るしかないよないようだ。
だが、この瞬巡がまずかった。
敵はオレたちからターゲットを変え、ゆかりッチの方へ向かう。
「えっ」と呆けた彼女は足がすくみ動けないようだ。
物理的にも距離が離れ、なおかつ初動の遅れるオレの足ではどう見ても間に合わない。魔法がやつから放たれ、地面に倒れる彼女。
こなくそと思い切りバットを投げつける。踏ん張るたびに左足から嫌な音が聞こえるが、もう気にしないことにした。しかしそれは事もないように、防がれ、はじかれ、屋上から姿を消した。幸か不幸か奴はターゲットを再びオレに定めたようで、のっそりと体ごとこちらへ向いた。
唯一武器を持った理がこちらに駆け寄ろうとする。
「コッチ来んじゃねえ! お前の足元にあるソイツを使え」
なんの因果か理の足元には、さきほど吹き飛ばされた彼女が持っていた召喚器があった。
迷うようにオレを見る理。
「大丈夫だ。次は諦めねえ」
その言葉が引き金になったようで、足元の召喚器を拾う。初めて触るであろう銃をまじまじと見つめる。そして誰に習ったわけでもなくこめかみに当てた。
それを見たオレは、向かってくる敵を見据える。
オレが最初からペルソナを喚んでいればきっとこうはなっていなかっただろう。
邪魔だと履いていた革靴を仮面めがけて投げる。次は払う動作すらせずにこちらへ構わず向かってくる。
そしてその真実を他の仲間が知れば軽蔑もされるだろう。でもそれでいい。オレが選択した道なのだから。
振り下ろされる腕に、着ていた服を纏わりつかせ受け流すも、勢いだけは殺せず、屋上のコンクリートに体を思い切りぶつける。
後悔だけは、諦めだけは絶対ぇーしねえって、コッチに来てずっと思ってたはずなのに、さっきアイツに剣を向けられたとき、オレは内心諦めてた。あんだけイゴールに意気込んでくせに、実は何も変わるはずがないと心ん中では思ってたのかもしれない。救うべき存在から、それに気付かされたのってダサすぎじゃね。でも、これで全て断ち切ろう。こいつをみんなと倒して、オレは変わるんだ!
「ぶちかませええぇぇ! 理おおおぉぉ!」
思い切り踏み込んで青の仮面に一撃をくらわせる。
その時、ペルソナと声にならない声が聞こえた。理が死の恐怖を克服し喚んだのだ。
月の光に怪しく照らされながら雄叫びをあげるオルフェウス。その姿を見て安心したのも束の間、黒い影がその中から食い破るように現れた。そいつは死のようだった。見ているだけで命そのものが削られるような感覚を撒き散らす存在。それはタナトスだった。
オルフェウスが理の汎用するペルソナだとすれば、いわばタナトスは奴のジョーカーだった。自在にペルソナ変える力を持っていてもそれは過去変わりはなかった。でもそれはカードの裏と表のような存在であり、片方がもう片方を侵食するなんて見たことがない。とすると覚醒による暴走か。
そう思った瞬間に複雑に絡み合った糸が解けたような気がした。ずっと疑問に思っていた。アイギスは過去、理の体にデスと呼ばれる大型シャドウを封じたと言っていた。そしてそれを解く鍵こそ満月に現れる12体のペルソナだとも。けれどその時のオレには、それがどういうことか本質的な意味で分かっていなかった。コイツ――タナトスこそが理がデスを有している象徴であり、過去に望月綾時と呼ばれた者の存在が理の中にいる証明なのだ。それならばこの現象にも多少の説明が付く、覚醒したてでまだペルソナの制御がおぼつかないところに、自分を解放する鍵である12体の内の1体が現れたのをいいことに暴れまくっているのだろう。
錯乱しているような理を見るに正解らしい。咄嗟に近づこうとするも咆哮が聞こえ、声の主の方を見た。
そこで行われていたのは一方的な虐殺だった。掴み、切り裂き、嬲る。さきほどまで苦戦していたとは到底思えないような一方的な形のある暴力がそこにあった。ちぎれた腕がまるで陸に上げられた魚のように跳ねる。それまでも握り潰し、猛威を振るうタナトスに理性は一切感じられない。
結局、オレにはどうすることもできず、アイツの中に植えつけられた死神は全てが消滅するまで、その行為をやめようとしなかった。そして消滅した煙さえ確認できなくなると、画面が切り替わるように元の奏者の形へと戻っていった。
「終わった……の」
彼女がそう呟く。ただそうは問屋が卸さないらしい。先輩が言っていた、本体とは別の数体であろうシャドウがどこからともなく現れる。平時ならば3人もいれば楽勝ムードだが、如何せんこの状況はまずい。オレと理は肉体的にも精神的にも限界寸前で、まだゆかりッチは戦う覚悟さえできていない。しかも理は先の覚醒の反動かいつ倒れてもおかしくない状況だった。
「理、その銃をこっちに。早く」
言うが早いか銃を投げ渡す理。
「ちょっと順平、それ弾でないのよ」
「見てりゃわかるさ!」
さーて鬼が出ますか、蛇が出ますか。それともヘルメスかトリストメギストスか。こめかみを打ち抜くと出現したのは赤き賢者の方だった。燃えるような真紅に全身を彩り、鳥類を模した兜をしたペルソナは、まるで窮屈と言わんばかりにその体の翼を広げシャドウを威嚇する。
「トリストメギストス!」
その掛け声に呼応するようにアギを放つ。着弾した炎は屋上の一部を焦がしながら、シャドウを焼き尽くした。
「へへっ、ざまあみろ」
そういえば過去に戻って初めての撃墜だなと喜びをかみしめているところで、無茶した反動か急な眠気に襲われる。視界の先では同じように倒れた理が見える。こりゃ、ゆかりッチには悪いことをしたかな、なんて呑気な事を考えながらもゆっくりと意識の紐を離していく。
その日オレが最後に聞いたのは彼女の「ちょ……、私にどうしろっての!?」という言葉だった。