「あ、順平じゃん。ちーっす」
弓道部の次世代のエースであり、恋する思い込み娘ことゆかりッチが手を挙げる。後者はオレが勝手に命名したものだけど。本人に知られた場合、命が危ういので決して漏らしてはいない。しかしよく考えると、特別課外活動部内で一番付き合いが長いのは彼女だ。とはいえ高校1年からの1年なので、比較的と前につけるべきだったか。まあ、そんな一番長い付き合いが長い彼女なのだが、よくよく思い出せば彼女のあまり知らない。知っていることといえば精々幽霊が苦手ということくらいか。
「お、ゆかりッチじゃん。どしたの、こんなところで」
オレがいるのは某フランチャイズのコーヒーショップ。世間の禁煙の流れをいち早く汲んだのか、禁煙席しかないことでも喫煙者の中では有名な話らしい。タバコを吸ったこともなければ、吸うつもりもないオレからすればどうでもいいのだが、喫煙者からすると一大事とのことだ。そんなどうでもいいことを思いながら、彼女に手を振り返した。ちなみにオレがコーヒーショップにいたのは偶然だ。6月の満月での戦いを経て、風花の問題も一段落ついたので、現状手の中にある情報を整理しようと店に来ていたのだ。しかしというか、やはりというべきか。オレには頭脳労働は向いていないみたいだ。結構な時間考え込んでいたと思っていたが、目の前にあるアイスコーヒーの氷がまだしっかりと形が残っているのを見ると、長いと思ったのは体感時間だけらしい。パタンと色々と書きなぐったノートを畳んでカバンに入れた。
やはり一般的に見れば彼女は可愛らしい。個人的嗜好を抜きにしても、美少女といっても差し障りのないだろう。愛らしい瞳に、シャギーの掛かった髪型、そしてワンポイントのピンクのピアス。まさに今時の女子高生という言葉がよく似合う。スタイルもかなりよさげで、正直目のやり場に困ることも度々だ。学校には友人含めてファンが多いとは思っていたが、どうやらそれは氷山の一角らしいことも最近知った。理と仲よさげに登校した時には、学校の裏サイトにいくつものスレッドが立っていたと、風花から聞いたときには流石に驚いた記憶がある。多分ではあるが、その時オレも一緒に登校していたはずなのだが、全くその記述はなかったらしい。
現役JKという言葉が頭に浮かんだが、過去に来る前ならばともかく、今はオレも現役の高校生。卒業して色々と毒されちゃったかな、なんて自嘲しながらアイスコーヒーに口をつけた。
「さっきまで友達と一緒に話してたんだけど、用事があるって帰っちゃったのよ。で、順平は何してたわけ」
断るわけでもなく、自然に向かいの席に座る彼女。ガードが固いわりに、たまに見せる無防備な姿も彼女の人気の一端を担っているんだろうか。
「涼んでた。今日体育があったじゃん、それで疲れちゃってさ。帰る前に一息してしていこうと思ったわけよ」
「なに、あんた。体育の授業くらいで疲れちゃったの? ちょっと体力なさすぎじゃない」
「ちょっとそれは酷すぎじゃない。部活動生の体力と一般の人の体力を同じと思っちゃいけません。それにオレッチだって最近頑張ってるんだって」
「知ってる。アンタ、真田先輩んとこで色々してるみたいじゃん。寮内でも頑張ってる噂になってるよ」
「……あー、おう。てかハズいから。なにその噂。オレ知らないんだけど!」
「うっさい。お店の中なんだから静かにしさないよ、このバカ。ってか当たり前じゃない。噂ってのはそういうもんでしょ」
サバサバとした性格の割には、ゆかりッチが見せる仕草は上品に見える。飲み物を口に運ぶ行動も流れるようだ。この動きは小さな頃から躾られてなければ無理だろう。実際、あの突拍子もない特別課外活動部内でも常識人枠を見事勝ち取れてるわけだし。もしかして良いとこ出のお嬢さん、なんて思ったがそりゃそうか。世界に名を馳せる桐条グループの、しかも表には出せないシャドウ研究所の責任者の娘さんだ。それだけでオレら一般人とは違うんだろう。
「そんなもんか。ま、いいや。でもよ、もうやめてくれよ。オレっちって陰で、ほら、色々と頑張ってる努力の人だから。それがばれると非常に恥ずかしいわけ」
「調子のらないの。それに努力の人っていうなら、もう少し勉強も頑張ったら。どうだったの、この間の中間テスト」
彼女の言葉にウッと言葉が詰まる。実は、過去の記憶を持っているせいか以前よりも点数自体は良くはなっていたのだ。今回は頑張ったなと、教科の先生から答案を手渡された時に言われたのは随分と久しぶりだった。それでもようやく中の中で、これからは少し勉強にも力を入れてみようと思ってはいた。
「……そこそこ」
「底々?」
「いや、違うから。ニュアンスが違うから。それじゃオレ、どんケツじゃん」
ハハッと笑う彼女。そんな彼女に少しいたずら心が湧き上がり「でも、いいのか? 男子と一緒に喫茶店なんかいて。それこそ色々と噂になるんじゃない」と言ってみたのだが、「男とコーヒー飲んでるだけでなんでそう思われなきゃいけないわけ。それに、もしそうでも順平とじゃ噂にもなんないって」と返されるだけだった。全くそのとおりでございます。
それから少したわいもない話をした。本当に数時間後には記憶には残らないような話だった。それこそ、やれ誰が誰のことを好いているだとか、どこの食べ物が今一番流行っているという話だ。クラスメイト同士がする、日本全国どこでも見られる風景だった。
「そういや話変わるけど、携帯ってすごい便利だよな。もうどうやって小学生の時、ダチと遊ぶ約束してたか忘れるレベル」
思い出したように携帯をポケットから取り出した。着信もメールも新しいものはなかった。最初はもはや旧世代と言っても過言ではない携帯電話に戸惑ったものの、過去一度扱っていたことがあるのだ。今はもう十分にその機能を不自由なく使用していた。タッチパネル式の携帯電話こそ世には出ているが、それを知るのは一部の流行に敏感な人だけだろう。しかしまあ、やはり手馴れたものがいい。そろそろ買い換えようかなとは頭の隅で思っていた。
「そうよね。昔は仲良かった友達の家の電話番号を覚えてた気がするけど、今はもう忘れちゃった」
彼女はどうやらメールが届いていたようで、鼻歌交じりに文面を打っていた。彼女の携帯はピンクだが、今時の女子高生にしてはつけているストラップの数は少ない。あみぐるみと多少は目立つものをつけてはいるが、それでも平均と比べたら少ないほうだろう。
「なあ、ゆかりッチ。ゆかりッチって、まさに今時の女子高生って感じなのに、携帯のストラップは少ないよな。なんで?」
「ちょっと順平。今時の女子高生って言い方親父臭いよ。え、ストラップ? んー、だって面倒くさいじゃん」
「さいですか」
よしっ、とメールを送信したのか満足げに笑う彼女。何を思ったのか、ぐっと身を乗り出して顔を覗き込んできた。女性特有の柔らかな良いにおいがした。ドキッとしたが、それをあからさまに見せるのも何か癪なので、「なに、どしたの」と冷静に返した。
「やっぱ、順平、一年の時と変わったよね。うん、変わった。……別人みたい、ってのは言い過ぎかな」
さっきとは違った意味で心臓が鳴った。動揺が表に見えないように、残っていたコーヒーを飲みほし、舌を湿らせる。
「そりゃ、男子三日合わねばなんちゃらせよ、って言うやつよ。え、それともなに、オレっちの成長に不満でもあるのかね君は」
「括目せよ、でしょ。そんなわけじゃないけど、やっぱ変わらないものなんて無いのかなって、ちょっと寂しくなってきちゃっただけ。ま、バカなあんたにいってもわからないでしょうけどね」
そう彼女は下を向いて呟いた。
こういう反応は正直困る。罵倒するなら正面向いて罵倒してほしいし、なによりもしんみりとしたこの雰囲気はどうも耐え難い。そういうのは理相手にしてほしい。アイツのほうが聞き上手だし、きっと上手く対処もしてくれる。そういえば彼女も実の親との仲が冷め切っていたんだっけか。内容は知らないが、年の暮れ辺りには、色々と吹っ切れた顔をしていたのを覚えていたので、その頃には概ね解決していたのだろう。なら、ここはオレが口を出す場面じゃない。
「知ってっか、ゆかりッチ。バカって言ったやつのほうが馬鹿なんだぜ」
と不躾なのはわかっているが、ズバンと彼女に得意げに指をさす。なんというか過去に例を見ないほどに、おバカキャラを使っている気がする。もし、これで反応が返ってこなかったら恥ずかしくて死にたくなるかもしれない。
「はっ、アンタは小学生か」
そう言いながら机の下から蹴りを入れてくるのは勘弁願いたい。ゲシッ、と2回ローファーのつま先を向う脛に感じながら、そんなことを思った。
「痛ッ、痛いって! てか、マジ痛ぇ……」
「アンタが悪いんでしょ。私、謝らないからね。人のこと指さすなんてサイテー」
ムスッと肘をついて睨み付ける。ふぅとため息をついて口を開いた。
「でもさ、そういう所、ホント変わったよね。昔の順平だったら、黙りこくってたんじゃない。ん、ありがと。励ましてくれたんでしょ」
「いや、違うさ。オレとゆかりッチって知り合ってまだ1年とちょっとじゃん。だからさ、知らない面も沢山あって、それで今回はたまたま違う一面が見えたってだけだって。さっきも言ってたろ。仲のいい奴でも番号一つ覚えてないって。それと同じ。知ってるようで、知らないことって一杯あんだよ」
よいしょと鞄を片手に持って立ち上がる。
「でもさ、まだあと少なくても卒業まで時間はあるし、今からでも遅くはないとオレっちは思うのよねー」
じゃあお先にと席を離れようとすると「待って」と声をかけられた。柄にもないことを言ったせいで、一刻も早く立ち去りたい気持ちだったが、無碍にすることもできずに振り返る。いそいそと帰る準備を済ませた彼女は、バンッと背中を鞄で叩いた。
「帰り道一緒じゃん。たまには一緒に変えろっか」
「別にいいけど。マジで噂されちゃうんじゃね。てか痛ぇ」
「中学生でもないんだから、それはナイって。それにさっきも言ったでしょ。順平だったらそんな噂たちっこないって」
絶対の自信をもって言い切るゆかりッチの顔を見て、それはそれで男としてはどうなんだろうと思った。
外に出ると気怠そうな暑さを感じた。日の光はとうに西の果てに沈みかけていたにもかかわらず、壁はまだ熱を含み、温度を保つのに一役買っていた。夏の訪れは、知らぬ間に、既にやってきていたようだった。