2-1 加速する夏
折角戻ってきたのに、また赤点をとって怒られるのは勘弁願いたい。
甲高い、もはや再び聞きなじんだものとなったチャイムと同時にシャープペンを机に放り投げた。これで4日間続いた期末テストも終わりだ。
「はーい、後ろから答案用紙を前に回してね。あ、あと名前は書いたか確認してよね。それが原因で赤点にでもなったら、夏休み補習になるからね。いやよー、私、そんなんで無駄に労力使うの。ただでさえ今からの採点で気が重いってのに、ホント勘弁してよね」
教壇で肘をつきながら、気怠そうに。もしかして寝ていたのではないのかというくらいに、やる気の無い声で鳥海先生は言った。オレらの担任である鳥海先生は黙っていれば美人に分類される女性、だと思う。ゆかりッチのサバサバとした性格を鍋でコツコツと煮込みまくったら、こんな風になってしまうんだろうか。過去、理は彼女のことを意外に乙女と言っていたが、それだけは未だに信じられない。姉御肌といえば聞こえはいいが、実際は行き過ぎてがさつに一歩足を踏み込んでいる。教師同士の確執を教室で、それも担当する生徒で愚痴るのはやめてほしい。当の本人は、未来あふれる青少年たちに現実の厳しさを見せてあげているつもりらしいが、そんなコールタールのようなどす黒い物質を足元に撒き散らせたら、生徒は身動きが取れなくなってしまうことだろう。
とはいえ、NOと言えない日本人の中で、曖昧な態度をとらない先生はいい人と呼べるのかもしれない。夏休みの補習に充てる力を軽くしてやろうという気持ち半分、自分が面倒くさいことから免れたい気持ち半分で、答案用紙の名前を確認して、前に渡した。
ついさっきまで教室を漂っていたピリピリとしたムードは、答案用紙をもって教室を出ていった先生と一緒になくなっていた。何度も体験しているが、この瞬間が一番学生をしているって感じがする。
「はぁー、終わった、終わった。理、放課後、飯でも喰い行かね」
つい先日前に7月の大型シャドウを倒し、そして期末と続けて気を張るイベントが続いたことも息抜きをしよう。そう思い、背筋をグッと伸ばし、筆記用具を片付ける理に声をかけた。
テストが終了した途端に詰め込んだ知識がポロポロと崩れるように感じるのは、オレだけじゃないだろう。周りでは、そんな薄れゆく知識が無くなる前に自分の答案が正解しているかどうかの、そんな刹那的な問題を解決しようと頭の良い人に群がるクラスメイトが見えた。
「ごめん。今日は生徒会の用事があるんだ。」
理は少し考えて、申し訳ないように言った。
「そっか。じゃあまた暇な時にどっか行こうぜ。ってか、どうだった、テスト」
「ボチボチじゃないか。そういう順平はどうだった。赤点は免れそうか」
「流石は前回のテスト上位者は言うことが違うねぇー。ま、今回はオレも頑張ったからな前回よりは順位が多少上がってると思うぜ」
「じゃあ今回は桐条先輩に二人揃って、ご褒美をもらえるかもな」
「ご褒美ってのはアレか? それは無理だろ、主にオレが」
「順平も頑張れば、きっと次はもらえるさ」
「ホントに思ってんの、それ」
ちょっと意地悪な口調で言ってみたものの、どうやら理は本気で言っているみたいだ。キョトンとした顔で「もちろん」と返された。
どうも理と話すと調子が狂う。裏表がないというか、純朴というか。そう言えば、前日の恋愛のシャドウ戦でとあるホテルに行った際、ゆかりッチは部屋から赤面して出てきたのに、コイツは何の動揺もなかった。頬に大きなゆかりッチ製の紅葉が出来ていたので、オレと同じ目に合ってはいたんだろう。好意を沢山の女性から受けていた記憶があるので、その気がないとは思えないが、いかんせん掴みどころがない奴だ。
何でもないように振る舞って、でも実は裏で色々と動いている理のことを知らなかった。いや、知ろうとしなかった前回は、そんな冷静なコイツに腹が立っていたことを覚えている。どれだけの努力を重ねれば、コイツのような完璧超人になれるんだろうか。想像しただけでぞっとしなかったので、そこは考えないようにした。
気ぃ張りすぎないようにしろよとだけ伝えて、教室を後にした。
「あっ、伊織。ちょうどいいとこに来た」
しばらく廊下を歩いていると、鳥海先生に声を掛けられた。答案用紙をもっていないところを見ると、もう職員室へ持って行った後なのだろう。その気軽な掛け声とは違い、グッと睨み付けられた。
「な、なんすか、鳥海センセー。そんな睨んじゃって、シワになっちゃいますよ」
「あ?」
いけない、失言だったか。睨みが過ぎて、メンチ切られたみたいだった。
「いやいや、なんも言ってないっすよ。と、ところでどうしたんすか。もう少ししたらLHR始まるんじゃないっすか」
「まだ採点してないけど、どうなのよ。今回のテスト。さっきも言ったけど、赤点補習のためだけに労力を使うの嫌だからね」
「えぇー、なんでオレだけそれ言っちゃうんですか」
「だって、伊織と宮本、それと友近もかな、くらいだもん、私の担当生徒で赤点になりそうなの」
ぐうの音も出ないとはこのことか。あまりの正論に言葉がなかった。だが、これは前回のオレならば、だ。成績上位者とはいかずとも、今回は人並みにくらいは食い込んでいる自信があった。
「宮本には悪いっすけど、今回はオレもちょっとばかし自信があるんすよ」
「本当?」
なんとも信頼が薄いことだ。だけど、オレの今までの行動を思い返せば妥当な判断だ。疑わしい眼差しで、ジッと見つめてくる。
「それなりに」と、このまま廊下の真ん中に突っ立ておくのも、通行の邪魔だろうと窓際に移動した。悪いことをしていないのに、何故か怒られているように見えるこの格好は、風評被害ものだ。いや、別になにか被害を受けたわけではないが、これはこれでなかなかくるものがある。きっと無実の罪で捕えられた囚人ってのもこんな気持ちなんだろう。
「ま、前回は確かに良かったからね。信じてあげる。でも、私の都合を除いても、補習なんかしない方が良いに決まってるから、頑張りなさいね。しかも、もうすぐ夏休みでしょ。学生時代の夏休みなんてあっという間に過ぎてくんだから――大人になったら存在しないのよ!」
どこに怒りのスイッチがあったもんだかわからない。鳥海先生の諭す言葉は、いつの間にか愚痴に姿を変えていた。
「先生って夏休み無いんすか」
「無いって言ってんじゃない! アンタ達が夏休み中に惰眠をむさぼってる間に、私たちは9月以降の授業の進め方やら、意見交換会やらなにやらしないといけないの。何度の言ってるでしょ。教師やってて一番忙しい時期って言っても過言じゃないんだから! アンタ達の赤点の補習なんてやってる暇無いの」
飾り気こそしないが、整えられた美しい手を指揮者のように大きく振った。身なりに自信があるのか、鳥海先生はとくに装飾品を着けていない。個性的な先生が多い月光館学園の教師陣の中では、中身はともかく外見はまともな部類だ。かといって、やはり他校へいった友人から聞く先生像とは大きくかけ離れているのも事実なのだが。
「はぁ、ごもっともで。でも大変すね。じゃあ休みの日とか何して過ごしてるんすか」
「ゲーム、とか」
これまた意外な回答が飛び出してきた。てっきり自分には理解できない高尚な趣味か、もしくは答えすら頂けないものとばかり思っていた。「へえ」と顎鬚に指を当て驚いていると、再び睨み付けられた。どうやら自分に気があるのではと思ったらしい。確かに担任教師の休日の過ごし方など、普段聞く機会もないから勘ぐってしまう気持ちはわかる。ただ、普段怒られている人を好きになるなんて、それほど被虐的になった覚えもない。
しかしゲームか、と口籠ると同時に、そういえば前回は理にTVゲームをプレゼントした覚えがあったことを思い出した。気に入ったのかよくプレイしていた記憶もあるので、息抜き用にまたプレゼントでもしてやるかと思った。
チャイムが鳴った。鳥海先生は、さっきまでの剣幕をすっかりと戻し、教室へ足を進めている。コチラを振り向き「何してんのLHRでしょ。ちゃっちゃっと始めたいから早く入る」と言った。