ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

12 / 64
12.スターゲイザー

 

 ハリーは即座に動いた。

 相手の反応が遅いことはハロウィーンの夜に学んでいる。

 杖を抜き放ち、手首のスナップのみで突き刺す動作で呪文を放つ。

 

「『エクスペリアームス』、武器よ去れ!」

 

 バチン、と弾かれる音とともに、正面のトロールが持っていた棍棒が手放された。

 くるくると宙を舞う棍棒を、今度はハーマイオニーの浮遊呪文が捉えて支配下に置く。

 ハーマイオニーが操る杖の動きに合わせて棍棒が突進し、一体の森トロールの側頭部に鈍い音を立ててぶつかった。

 あまりの衝撃にのけぞった森トロールは、朦朧とした意識で自身の体重を支えきれずに崩れ落ちる。その際に隣にいた山トロールを巻き込んで倒れたので予想外の儲けだ。

 その隙をハリーは見逃さなかった。痛みと怒りに唸る山トロールの左目に向けて、失神呪文を放つ。どれだけ頑強な肉体を誇る魔法生物でも、眼球まで頑丈な種はそうそういない。トロールも例外ではなく、目玉に打ち込まれた呪文が脳に達し、まるで事切れるかのように失神した。

 ハーマイオニーは再度浮遊呪文を唱えると、二本の棍棒を同時に操るという離れ業を見せてのける。空中で独楽のように回転させて威力を高めると、それぞれ呆けていた森トロールと川トロールの顔面にシュートする。

 

「やったぜハーミー! 撃墜数が増えたよ!」

「なに変な電波受信してるのロン! 引っ込んでなさい!」

 

 ハーマイオニーの叱咤に、ロンは大人しく壁際に下がっていった。

 どちらにしろ、今の状態では少し腹に力を入れるだけで傷口が開いてしまう。

 くやしいが、足手まといだ。

 

「『インセンディオ』、焼き尽くせッ!」

「『ラカーナム・インフラマーレイ』!」

 

 ハリーとハーマイオニーが、同時に赤と青の炎をばらまく。

 ハロウィーンの個体と同じく、ヒトよりは獣に近い脳構造を持つトロールは火を恐れる。

 案の定、怯えた声を出して魔法火から離れだす。仲間がやられた怒りは、どうやら今の恐れで忘れてしまったようで完全に怯えた声しか出していない。

 こうして完全な優位に立って始めて、ハリーは気づいた。

 この部屋にいるトロールのすべてが、頭から出血している。

 ハリーたちがノックダウンした個体は言わずもがな、まだ相手取っていないトロールまでもが怪我をしているのだ。なぜか。それはおそらく、石を狙う下手人がやったのだろう。やはり、先に進んでいる。それもこれだけの数を、頭部のみの外傷で済ませて。

 倒すべき敵の強大さに身震いするも、ハリーは止まるわけにはいかなかった。

 一気に駈けだして、ハリーを捕まえようとする巨大な手をスライディングすることによって速度を緩めず避けて通る。トロールの股下を潜り、背後を取るとそのままの体勢で呪文を唱える。

 狙うは、アキレス腱だ。

 

「『ディフィンド』、裂けよ!」

 

 バヅンッ! と派手な音が響いた。

 ハーマイオニーは戦闘中にも関わらずびくりと肩を動かし、やった張本人であるハリーもたまげた。

 足首が小さく裂かれたトロールの腱は、自重もあって大きく切れてしまう。

 痛々しい悲鳴をあげた灰色の肌のトロールは、あまりの痛みにその場に倒れこんでしまう。

 少し同情するし申し訳ないと思うが、悪いが生き残るためであり、押し通るためだ。

 恨むなら存分に恨んでくれ、と心の中だけで言い訳しながら、ハリーは失神呪文をかけて倒したトロールの意識を奪った。

 続いてハーマイオニーは、トロールらが暴れたことにより生産された瓦礫を集めて、宙に浮かばせていた。ごがぁと怒りの雄叫びをあげて突っ込んでくる川トロールに向けて杖を振ってそれらを射出し、飛礫の雨を降らせる。重量によって押し倒されたトロールだが、鬱陶しそうに瓦礫を払って起き上がろうとするあたり、人間ならば入院もののダメージであるはずだが彼らには効いていないようだ。

 だがハーマイオニーの狙いは、そこではない。

 トロールの周りに瓦礫を集めることこそ本懐なのだ。

 

「『コンフリンゴ』、爆ぜよ!」

 

 どぱ、と空気を押しのけて岩が飛び散った。

 紅蓮の光を撒き散らして、拳大から人の頭ほどの飛礫と変じた岩がトロールに牙を剥く。

 火薬を使っていないので熱はそうでもないが、それでも爆発呪文により爆ぜた物体の威力は、対象物の大きさによるので、此度の爆発は中々のものである。それが幾度も重なって、至近距離で食らってしまうというのは出来れば想像したくない状況だ。

 それを全身にしこたま浴びせられた川トロールは、苦痛の呻きを残し、その動きを止めた。

 

「ハーマイオニーッ! そういうことするなら先に言ってくれ! 危なかったぞ!」

「あっ! ご、ごめんなさいハリー!」

 

 失神したトロールを盾にして飛礫をやり過ごしたハリーの叫びに、いまさら気づいたのかはハッとなったハーマイオニーから謝罪が飛んでくる。

 残り三体。

 ブーッ。とリーダーらしき個体が吠えると、両隣にいたトロールが棍棒を振りあげた。

 奴らが統率役か。

 ハリーはそう判断し、その割にはあまり統率がとれていなかったな、という思考を押し込めて走り出した。ハリーのいない位置に棍棒が振り下ろされるが、バカにはできない。問題は床が揺らされたということだ。足を取られないように細心の注意を払って踏み込むが、ハリーの軽い体重ではどうしても体が浮いてしまう。

 リーダー格の黒い肌のトロールが棍棒を振り上げたのを見て、ハリーはまずいと歯噛みする。

 

「ハリー!」

 

 ハーマイオニーの声。

 その声に一瞬で作戦を立てたハリーは、方向転換して逃げに徹した。

 杖を下に向けて、口中で呪文を唱えながら走るのは結構難しい作業だが、できる。あとはハーマイオニーがうまくやってくれると経験からわかっているからこそできる。

 すばしっこい黒髪のチビを壁際に追い詰めたと見て、護衛トロール二匹が舌なめずりをして喜んだ。今夜のメインディッシュは決まりだ。

 しかし二匹は、冷水を浴びせられたかのような気分になって一気に気持ちが萎えてしまう。

 否、違った。冷水を浴びせられたかのような気分ではなく、実際に冷水を浴びせられたのだ。

 

「……『アグアメンティ』。さあどうぞハーマイオニー、見せてくれ」

「任せてハリー」

 

 冷気がハーマイオニーを中心に渦巻いて集まり、白い霧の中心で杖を振るう彼女は、まるでお伽噺の魔女のようだった。いや、事実魔女である。ホグワーツの誇る、秀才の魔女。

 複雑な紋様を描くように杖を振るい、最後に水を薙ぐように空を切って杖先を突きつける。

 狙いは、水浸しの床だ。

 

「『グレイシアス』、氷河になれッ!」

 

 杖先から白い煙が噴きだす。

 それが水にあたると、たちまちのうちに硬質な音とともに凍り始めた。

 驚いた護衛トロールが飛び退こうとするも、すでに遅い。ハリーの魔法で全身が水浸しになっていた二匹は、たちまち体中が氷漬けになっていく。

 慌てふためいた様子ではあるが、もはや何もすることはできまい。

 驚愕と恐怖の表情のまま、二匹は醜い彫像となってその動きを止めた。

 

「ブォォォ――ォォァァァァアアアアアッ!」

 

 それに激しい怒りを表したのは、最後のリーダー。

 海トロールだ。

 山トロールと川トロールを気の遠くなるような回数かけ合わせて、それでいて突然変異によってようやく創りだされたとされる、魔法使いの創りあげた魔法生物である。

 言語は扱えないが、解せないわけではない。

 むしろトロールのバカさ加減に辟易した近代の魔法使いが、どうにかして克服できないかと試行錯誤して創ったものなのだから、原種よりも頭脳の出来がよくて当然である。

 さらに海トロールは外皮に多少の魔法耐性が付与されており、申し訳程度ではあるが、それでも野生のトロールと比べれば、遥かに魔法に対して強い。少なくとも、極限まで魔力を込めるなどをしていない十一歳の魔法など、たいした効果が見込めないほどには。

 だが。所詮はトロール。

 頭脳戦などできようはずもなく、ただ、普通のトロールよりも少しだけ出来がいいというだけの話。しかし、こと本能が大きなウェイトを占める戦闘というジャンルにおいては、海トロールはうってつけだ。本能的な力に、ほんの一握りの頭脳。

 厄介極まりない暴力装置の体現である。

 

「ハーマイオニー! 下がれ!」

 

 唐突に。

 ロンのよく通る声が響いた。

 咄嗟にその声に従ったハーマイオニーは、兎のようにぴょんと跳ねてバックステップを取る。するとちょうどハーマイオニーの立っていた位置に石の飛礫が飛来して、床を抉って転がっていった。

 青ざめるも杖を取り落すまいと気丈に振る舞うハーマイオニーを見て、ハリーは心底安堵する。

 そして次に飛んできた指示は、ハリーへのものだった。

 

「ハリー! トロールの足元に瓦礫をばらまいて! とにかく動きを制限するんだ!」

「任せろロン! 『ウィンガーディアム・レヴィオーサ』!」

 

 ロンの指示に従い、ハリーは散らばった瓦礫を浮遊させて放り投げた。

 本来ならもっと素早く、それこそ巨人が蹴り飛ばすような勢いで放りたいものだが、如何せん浮遊呪文はその名の通り、元来浮遊させるためだけのものなので、スピーディにものを動かせるとは言い難い。

 ならば途中まで浮遊させて、あとは慣性と重力に任せて放った方が、よほど素早く大きく重いものを放りだせるというものだ。

 足元に瓦礫を放られたトロールは鬱陶しそうにしながらも、その一つ一つを棍棒でたたき割っていく。選択肢としては上等だ。先ほどハーマイオニーの使った呪文は、対象の瓦礫が大きかったから一撃でトロールを昏倒させるほどの爆発ができた。だから、瓦礫を砕いて小さくするというのは頭のいい方法ではないが、愚行ではないのだ。もっとも、魔法で飛んできたそれ自体に意思があって自分を攻撃してきた、と思っていたという可能性もあるので、一概にあの個体の脳みそが上出来かは判断がつかない。

 ならばとハリーは《粉々呪文》を唱える。あれだけ砕かれてしまっては、爆破してもそんなに威力の大きな爆風で攻撃できないというのなら、身動きを封じてやろうという魂胆だ。

 狙い通り。ハーマイオニーの放つ切断呪文に小さな切り傷を受けるのを嫌がって、たたらを踏んだトロールの足の裏を、まきびしのようになった瓦礫の欠片が貫いた。今までハリーが他のトロールたちにやってきたことに比べれば微々たるものだろうが、痛いものは痛い。

 痛いという警告信号を受け取ったならば、それを避けようとするのは魔法生物でも備わった本能であり、彼にもやはりそれは備わっていた。切断呪文を嫌がるも、下がれば足の裏に鋭い痛みを味わうことになる。

 さて、トロールはバカである。

 訓練次第では警備員の真似事ができる個体がいるとはいえ、そんなものは魔法省所属などといったとてつもない希少な部類である。この部屋のトロールは総じてバカそのものであり、とてもではないが調教によって侵入者を攻撃するなどという命令を受け入れられるような個体ではなかった。

 その点、この海トロールはかなり優秀であった。全十匹の群れのボスとなることで命令系統を手に入れ、侵入者に対しての攻撃という単純な命令も下すことができる。人間の言を操れずとも理解はできる。トロール同士の意思疎通すら可能だ。

 だがそこはトロール。

 複数の状況が重なって、それの解決策を考えるとなると脳みそがパンクしてしまう。

 侵入者を叩き潰さなくてはならない。だが邪魔な呪文が飛んできて痛い、それは嫌だから避ける。しかし避けると足元のちくちくした何かが足に刺さって痛い。だから避けない。けれど動かなければ呪文は当たるし、侵入者を攻撃できない。だからといって動けば……という思考の無限ループである。

 窮したトロールは、ついに強硬手段に打って出た。

 

「ブゥゥゥゥ――――ッ! ンモォォォ――ッ!」

「うわっ! 駄々をこね始めたぞ!」

 

 兎にも角にもとりあえず暴れる、である。

 棍棒を振り回し、壁を破壊し、石柱をなぎ倒す。巨大な醜い赤ん坊は、周囲に破壊を撒き散らしながら大暴れする。しかし、それは、大きな過ちだった。

 海トロールが我を失ったことによって余裕ができたハーマイオニーが、杖に魔力を集中する。数秒という短い時間だが、こと戦闘中に置いては那由多にも等しい隙になる。そうして極限までの魔力を込めたハーマイオニーは、最大限の威力を伴った切断呪文を打ちつけた。

 

「『ディフィンド』、裂けよ!」

 

 教科書の手本に載っても相違ないほどに綺麗な動きで杖を振ってトロールに突きつければ、杖先から風の刃が飛び出した。

 それは狙い違わず飛来し、海トロールの額に大きな切り傷を負わせた。

 だらりと流れる血に慌てた彼が暴れるのをやめた、その瞬間。

 既に杖を構えていたハリーが、鋭く唱えた。

 

「『アナプニオ』、気道開け!」

 

 《気道確保呪文》。

 本来は読んで字の如く、何かを喉に詰まらせたり溺れた者の気道を開き、生命維持を試みる応急処置の呪文である。

 あろうことか、ハリーはそれを悪用した。

 トロールの傷口を無理矢理に気道であると認識することで、呪文の発動を可能とした。

 そうしてトロールにできたほんの少しの傷を開き、巨大な傷口となるまで引き裂いたのだ。

 垂れる程度の流血がどく、どく、と噴き出すようになってから、トロールはようやく自分の視界が真っ赤に染まっていることに気付いた。そしてその視界も、随分と霞がかっている。

 ハリーはそれを隙とみて、武装解除呪文を射出した。 

 海トロールの眉間に赤い閃光が直撃すると、棍棒が弾き飛ばされると同時、余剰魔力に打ち据えられ、海トロールは背中から大きく倒れこんだ。

 轟音も収まり土煙も収まった後には、静けさが残るのみ。

 

「……殺したの?」

「どうだろう。殺すつもりでやったけど、普通にまだ生きてそう」

 

 恐る恐るといった風にロンが覗き込んでくるものの、ハリーの答えは微妙だった。

 無力化はできたと思うんだけど、とロンの方を振り向いた、その時。

 ロンの顔が、歪んだ。

 何事かとハリーが思うのと、そのロンがハリーを突き飛ばしたのはほぼ同時。

 倒れこんだハリーを擦るように、黒い何かが過ぎ去った。

 ハーマイオニーの悲鳴のような声が響いた。

 獰猛な声が、すぐそばで唸った。

 まさか。と思って振り返れば、すでに事態は終わっていた。

 完全に失神した海トロールが、腕を伸ばしたまま白目をむいている。

 悲鳴のように叫びながらもしっかりとした失神呪文を放ったハーマイオニーは、息せき切って壁際に駆け寄っている。その先には、ロンだ。ハリーを庇って、トロールの拳を受けてしまったのだろう。幸いなのはトロールの意識が消えかけの状態で全く威力がなかったことと、元来がハリーを狙った一撃だったためロンには直撃していないということか。

 だが、ハリーは血の気が引く思いだった。

 驚きのあまりよく言うことを聞かない己の足を叱咤し、ロンの方へ這うようにして寄る。

 ハリーを突き飛ばした際に伸ばしたままだった左腕に、トロールの拳がかすったのだろう。肩の付け根から奇妙な方向に折れ曲がったそれは、見ていて違和感と痛々しさ、そしてすり潰されそうな罪悪感をハリーの心にもたらした。

 下手な癒者(ヒーラー)よりよほど経験を積んでしまったハーマイオニーの治癒呪文を受け、ロンは痛みに呻きながらも笑う。

 それに対して、ハリーが震える声で問う。

 

「ロン、ロンなんてことを。どうして、なんでこんな……」

「いやあ、ほら。だって僕も男だもの。女の子を守るくらいさせてくれよ」

 

 あの戦いを見ているだけで、しかも怪我をさせてしまってはウィーズリーの名折れだ。

 そんなことを貧弱な語彙で言うロンは、情けなく笑っていた。

 

「なんだよ、もう。カッコいいことばっかするなよロン」

「そうよ! 心配させるようなことばっかりして!」

「ごめんよ二人とも。でも、まあ、ほら。いいじゃないか、無事だったんだから」

 

 まったく。

 普段あれだけマヌケで頼りない姿を見せられても、こうして実際に助けられる身となってしまえば、途端に格好よく見えてしまう。勝手なもんだなと思ったが、悪い気はしなかった。

 

 またしてもロンの治癒と休憩に時間を割いてしまった。

 仕方のないこととはいえ、早くしなければスネイプもしくは他の何者かが石を奪ってしまったかもしれない。

 そういう意見がハーマイオニーから出されたので、ハリーとロンは慌てて次の部屋への扉を探す。

 見つけた扉に手をかけると、鍵がかかっていた。

 そして扉から発せられた淡い赤の光が部屋全体に薄く照射されるのを見て、何か来るのか、と心臓が跳ね上がる。しかし部屋全体を光が照らし終えたところで、扉にまたもコングラッチュレーションの文字が浮かび上がる。

 鍵の開く軽い金属音が鳴った。試しに扉を押してみれば、普通に開く。

 トロールを倒したかどうかのスキャンだったのだろうか、と思いながらハリーはそのまま扉を押しあけた。三人でなんの魔法だったのだろう、と思いながら扉をくぐれば、そこに広がるのは図書館であった。

 

「わあ、素敵! 本がいっぱい!」

「わあ、最悪! 頭が痛くなる!」

 

 ハーマイオニーとロンがそれぞれ感想を述べる。

 図書館だとすると、今度の試練はマダム・ピンスか?

 しかしマダムは、試練を組んだ教職員には含まれていなかったはずだ。

 今までの試練を思い出して考えると、森番のルビウス・ハグリッド、薬草学のポモーナ・スプラウト、妖精の魔法のフィリウス・フリットウィックと飛行訓練のロランダ・フーチ、変身術のミネルバ・マクゴナガルからの試練だった。先ほどのトロールはおそらく、闇の魔術に対する防衛術のクィリナス・クィレルだろう。

 ならば次は誰か。

 その疑問にはハーマイオニーの声が答えてくれた。

 

「ハリー、ロン。この本に試練の課題が書いてあるわ」

 

 さして広くもない図書館の中央に設置された台座の上にある、茶色い古ぼけた本。

 一冊のそれを見てみれば、題字には銀のインクで「ゴブリンの反乱」と書かれていた。

 ゴブリンの反乱とは、十八世紀に起きた事件である。

 イギリスのスコットランド北東部、アバディーン郊外にある小さな町で、鍛冶屋をしていたゴブリンが起こしたのが始まりだ。

 魔法省からの仕事を請け負った魔法戦士隊(ウォーロックス)が、当時の魔法省魔法生物問題対策部門の役人とともに、先の町に立ち寄った。アバディーン近郊を襲った若く凶暴なマンティコアを退治するために、魔法省が戦士隊のためにゴブリンたちへ装備の製造を依頼していたからだ。

 素晴らしい技術には相応の対価をと、多くのガリオンを支払って最高の剣を手に入れた彼らは、その剣を用いて見事戦いに勝利することができた。

 問題が起きたのはその後だ。

 討伐が終わったあと役人と魔法戦士隊は、立派な剣を打ってくれたゴブリン職人に感謝をと、アバディーン郊外の町へ礼を言いに訪れた。しかし代表して礼を言いに行った魔法省役人はその日、帰ってくることはなかった。不審に思った戦士隊の隊長が町に住む魔法使いに問うてみれば、なんとゴブリンたちに捕えられているというではないか。

 どういうことかと隊員を引きつれてゴブリンを問い詰めたところ、我々はその剣を貸し与えただけなので直ちに返却せよという、無礼極まりない答えが返ってくる。戦士隊が、我々は購入の契約をした上で金を支払ったのだと主張するものの、ゴブリンたちは頑として聞き入れなかった。生物としての価値観の相違からくる諍いである。

 口論が白熱し、ゴブリンの誰かが発した戦士隊への悪罵に激怒した隊員の一人が、杖を抜いて侮辱したゴブリンを脅した。それが反乱の始まりだった。

 一週間にわたる、アバディーン郊外の町での小競り合い、そして小規模な戦闘。ゴブリンと戦う術を知らなかった魔法戦士隊の対応が遅れに遅れたのが長引いた原因だ。

 事件は、コトに気づいた魔法省が派遣した《魔法武装取締執行隊》の手によって終結した。現代では《魔法法執行部隊》と《闇祓い局》に分かれた部署であり、犯罪者への保護法などがまともに整備されていない当時は、過激派中の過激派であった。

 以降、ゴブリンのみならずヒトに属する魔法生物に関する条例への問題へ発展していくのだが……「ゴブリンの反乱」としてはここまでだ。

 その事件に関する本が、なぜここに?

 

「答えはこれよ、ハリー」

 

 ハリーが目を向ければ、本が置かれている台座に、魔法文字が浮かんだ。

 視線で起動するタイプか、などと思いながらそれを読む。

 

「『この事件の問題を解決せよ』。……これ本当に試練か? 学年末テストとかじゃないの?」

「知らないよ。僕に聞いてわかると思うのかい? こんな事件聞いたこともないのに」

「ロンあなた……これ今日のテストに出たところじゃないの……」

 

 ショックを受けた顔のロンを放っておいて、ハリーは本を手に取った。

 手触りとしては、ハードカバー特有の音と感触がする。

 しかし、そうか。

 歴史ということは、これは魔法史教授、カスバート・ビンズからの試練だ。

 やはり試練としてはなんだか、こう、ぬるいというか甘っちょろいというか。

 今までが今までだったので、無駄に警戒心を抱いてしまう。いったい何をさせるつもりだろう、と。

 本の中身は、意外や意外。白紙だ。

 つまりこれに答えを書けということだろうか、と思って羽ペンを探すも、どこにも見当たらない。まいったなと思って本に視線を戻せば、新たな文字が浮かび上がっていた。

 

「『ただし、実際に』……。……、え? どういう意味?」

 

 ハーマイオニーもロンも、首を傾げる。

 いったいどういうつもりでこんな問いを投げかけてくるのだろう、と思っても、物言わぬ本が答えてくれるはずはなかった。

 そう、なかったのだ。本来ならば。

 ページとページの継ぎ目が裂けるように、裂け目から黄金の光があふれだす。

 これは如何なることかと三人が驚くと同時。金色が小さな図書館を呑みこんだ。

 本が閉じられた後には、図書館に人の姿は一つもなかった。

 

 

「…………どこだここ」

「…………どうなったの、これ?」

「…………さあ?」

 

 ハリーたち三人は、とある町の広場に立っていた。

 花崗岩で作られているらしい町並みは、白く美しい。

 馬車がかろかろと車輪を軋ませ、薬問屋が威勢よく新商品を売り出している。

 古着屋は旅人と商売で口論しているし、酒場には昼間から飲んだくれる老魔女がいる。

 どうもマグルの町のようだが、それにしては魔法使いが散見されているように見えた。

 大っぴらに魔法を使っているとは言えないが、それでもハリーたちの知る常識で考えれば、十分に魔法省に厳重注意を受けるような行いがあちこちで見られる。

 ここはいったいどこだろう。

 先ほどまでぼくたちは、賢者の石を守るために四階の廊下の先にある試練へ挑んでいたはず。

 つまり校内。あれが元は何の目的で城のどこに建造された施設なのかはわからないが、少なくともあれはホグワーツの中にある施設のはずだ。

 それが、なんだ? 全く見慣れない町に放り出されているではないか。

 ロンが身震いをする。

 彼は生まれてこの方、常に魔法が周りにある生活を送ってきた。だがこのようなことは、ただの一度もなかった。摩訶不思議に満ちた魔法界においても、こんなのは聞いたこともない。

 

「こっ、ここはどこですか! 私たちホグワーツにいたはずなんです!」

 

 ハーマイオニーが切羽詰まって、すぐそばで突っ立っていた若い男性に話しかける。

 分からないなら質問する。勉強でも生活でも、それはいつだって有用な手段で、優秀な教科書だ。

 

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「アバディーン!? どうしてそんなところに! あ、あの。ロンドンへはどうやって行けばいいんですか?」

 

 しかしその教科書には、両方の場合においても共通する但し書きがある。

 『ただし、質問する相手は選ぶこと』。

 

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「え? それはさっき聞きましたよ。ですから、地下鉄への行き方を……」

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「それはもう聞きました! ロンドンへ行きたいんです! どうしたら」

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「そ、そうじゃなくて」

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「ムキィィィ――――――――――ッ!」

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

 

 あまりにも話が通じない相手に、ヒステリックに叫ぶハーマイオニー。

 ロンは男性の脳みそが実はアイスクリームなのではないかと疑い始めたが、一方でハリーはいやな汗をかいていた。

 これは……見覚えがあるやり取りだ。

 具体的にはダドリーがやっていたコンピューターゲームで。

 

「ハーマイオニー。ちょっとそこ退いてくれ」

「えっ、ハリー?」

 

 甲高くキーキー言うハーマイオニーを押しのけて、ハリーは男性の前に立つ。

 そして、思い切り脛を蹴りあげた。

 

「ちょっと!? すっ、すみませんこの子ガサツで短絡的で乱暴で直情的なだけで根っこはとても優しいいい子なんです!」

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「本当にすみませ……、……。どういうこと?」

「君のぼくへの評価もどういうこと?」

 

 ハーマイオニーが、あまりにも異常な反応の男性に怪訝な目を向ける。

 彼女の謝罪の言葉はしっかり聞いていたようで、ぶすっとした顔でハリーが男性の元から戻ってきた。二人は唖然とした顔でハリーを見守っている。彼女自身の口から説明されるのを待っているようだ。

 ぼくだって完全に分かっているわけではないんだけれど。と前置きしてから、ハリーは語る。

 

「ここはね、たぶん現実じゃないんだ」

「現実じゃないって……?」

「ほら、コンピューターゲームの中とか、本の中とか。……ああ、そうか。さっきの本なのかもしれない。いったいどんな魔法なのかはわからないけどね」

「コンポタージュゲイってなんだいハリー。僕はノーマルだよ」

「ロンは黙ってて。でも、えっと、それじゃあ何? あの本は禁書の棚に置かれてるような本だったってことなの?」

 

 ハリーが首を縦に振る。

 どこかでそういった本があるという話を聞いた覚えがある。

 それに、とハリーは男性をつついた。

 

「この奇妙な男の人も、」

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「うるさいな。こんな大規模な術式が書き込まれているなら、たぶんこの男の人(モ ブ キ ャ ラ)にまで魔力を割いてないんだよ、リソースがもったいないから。だからこんな単純な受け答えしかできないんだと思う。この人は人間じゃない、いわゆるNPC……ノンプレイヤーキャラクターさ」

「ハリー君いま英語しゃべってる?」

「ロンは黙ってなさい。ハリー、あなたそれが本当だとしたら、いま私たちがいる本はものすごい価値がある本よ。それこそ魔本そのものだわ」

 

 ハーマイオニーの言に、ロンが心配そうな顔をする。

 しかし心配なのは三人とも同じだ。ここから出られるのだろうか?

 とりあえず彼らは、元の場所に戻るための方法を模索し始めた。聞き込みだ。

 肉屋の主人やパン屋などは、どうも同じ会話を繰り返すのみらしい。

 通行人の中でも、特定の人間は多少まともな会話になった。とはいっても、YESかNOかで答えてくれる程度であり、実在の人間とは程遠い。

 そこで判明したことは、現在はゴブリンの反乱の真っ最中であり、事件の渦中そのものだということ。ゴブリッシュを話せる人間がいないため、ゴブリンたちが何を要求しているのかわからないこと。そして人質の魔法省役人を傷つけずにゴブリンを鎮圧する方法がない、ということ。

 そう考えると、先ほどの商売人たちは、小規模ながら戦場そのものだというのに普通に商いを続けているということになる。見上げた根性だ。

 とはいえ、実際はそんな商魂たくましい理由ではない。マグルだからゴブリンたちの認識阻害魔法のせいで彼らが見えないのだ。マグルの間でも未だに魔術や錬金術がにわかに信じられている十八世紀という時代であってもなお、ゴブリンたちという異形の人型たちをマグルの目に入れるにはためらいがある。迫害の恐れがあるからだ。魔女狩りの再来など、考えるだに冗談ではない。ゴブリンたちも、魔法を解さない者たち(マ グ ル)との接触を良く思わない。ならばこそ認識阻害によって自らの存在を秘匿したのだ。

 そういうわけもあって、街中で堂々と魔法戦をしていながらもマグルたち町の人間はそれに気づくことなく、平穏な日常を送ることができているのだ。

 さて。

 今回の奇妙な冒険において、恐らく目的は『この事件を解決すること』。そしてその方法は、『反乱軍を鎮圧すること』であると思われる。

 はたしてそれを行うには、どうすればいいのだろうか。

 

「ロン」

「うん、ロンの出番だ」

「何なんだよ」

 

 そして。

 少女二人に大任を任された少年は、意気揚々と魔法戦士隊の集まるところへと歩み寄っていく。

 二人が導き出した結論は、こうだ。

 『ロンが戦いの指揮を執ってゴブリンやっつけちゃえばいいんじゃない?』である。

 

 結果として、それは大正解であった。

 魔法生物としか戦ったことのない魔法戦士隊の面々は、ロンという頭脳を得て見違えるような怪物集団と変貌した。NPCだからなのか、それともこの《人を取り込む本》の趣旨がそういったモノだからなのか、彼らはロンの言うことを疑うことなく受け入れてくれた。

 ロンのまるでチェスを行うかのような指示により、戦士たちは一騎当千の力を得た。

 反乱軍は魔法を使えないという圧倒的不利をものともしない。ゴブリンの創る金属の武器には、自身を強くするものを吸収する特性がある。例えば、ゴブリン製の剣を持った者に失神呪文を放つとする。すると水カタツムリを与えられたプリンピーのように、剣が魔法に喰いつくのだ。それはさながら熟練の剣士の技が如き反応であり、剣の素人が使おうが、まず使い手が魔法に撃たれることはない。そして失神呪文を貪った剣は、その刃で斬った者を失神させる魔法効果が付与される。

 つまり、ゴブリンの造る剣はマジック・キラー・ソードとも言えるのだ。

 そしてロンは、それを最大限に利用した。

 魔法戦士隊にも数振りのゴブリン製の剣がある。ならばとロンは、戦闘を挑む前段階として剣が軋むほどに魔法を放ったのだ。失神呪文、武装解除呪文、切断呪文、くすぐり呪文、などなど。そうして魔法に耐えきれなかった剣は、ぱさりと乾いた音を立てて砂になってしまう。

 そうして数振りの実験を経て、剣の魔法を喰える限界点を見極めた。そうなれば、あとは簡単だ。

 戦闘にゴブリンが剣を持ち出せば、あらかじめ決めた人数の魔法戦士隊隊員が一斉にそのゴブリンへ魔法を放つ。それも、魔力消費の少ないどうでもいい呪文を。『収納呪文』や『包帯巻き呪文』、『穴掘り呪文』に『花咲き呪文』。自身の容量以上の魔法を喰ってしまった剣は、その場で灰となった。

 自らの創った物に異様なまでの誇りを持つゴブリンのことだ。自身の創った剣が、そんなくだらない魔法に耐えきれず破砕してしまった。それは彼らのプライドをも粉々にする事と同義であり、剣を失い膝を突く彼らに、もはや魔法も捕縛も必要なかった。

 そうしてロン・ウィーズリーは英雄となった。

 鬨の声をあげる戦士たちは「ウィーズリーバンザイ!」「ウィーズリーバンザイ!」と大騒ぎである。担ぎあげられて笑顔のロンは、まさに一端の将軍のようであった。

 ハリーとハーマイオニーの二人は、苦笑いと共にそれを見送る。

 

「ロンもとんでもない才能持ちだったんだねえ」

「さてはて、案外簡単にいったもんだわね。ロンの実力ならいけるとは思ったけど」

 

 夜になり、散々もみくちゃにされたロンを放っておいて二人は酒場で夕食を楽しんでいた。

 空に浮かぶのは装飾華美な字体の魔法文字で描かれた、『Congratulation!(君 達 の 勝 ち だ)』の一言。

 やっとこれで試練に戻れる、と気合いを入れ直した、

 次の瞬間。

 ハッと気づけば、空は美しい青を見せていた。

 

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

 

 昼間、ハリー達が話しかけたNPCの青年がすぐそばに居る。

 立ち位置も昼間と同じだ。

 つまり、これは……時間が巻き戻っている?

 空を見上げれば、『Don't let it get to you!(正 解 だ と 思 っ た ?) I'll give you another chance!(ほ ら も う 一 回 や っ て み ろ バ ー カ)』との文字が。

 キレたハリーが空へ向けて無意味に魔法を乱射しているのを放っておいて、ハーマイオニーとロンは考え込む。

 ひょっとするとこの世界は、正解するまでずっとループするのではないか?

 息を切らしたハリーが戻ってきてこの説を提示したところ、概ねの同意を得られた。小馬鹿にしたメッセージが、未だに空でゆらゆら揺れているのもその理由の一つだろう。

 

「さて。それなら、次は史実通りそのまま進めてみましょう」

「史実通りって、ハーマイオニー。君そこまで細かく覚えているのかい?」

 

 驚いたロンの言葉に、ハリーはまさかという顔をする。

 しかしそれに帰ってきたのは、ハーマイオニーの不敵な笑顔だった。

 

「もちろんよ。『子鬼と好意的な旅』という本に書いてあったわ」

 

 だめだった。

 青々とした空に浮かぶ『What are you thinking about?(君はひょっとして頭からっぽなのかい?)』という文字に魔法を乱射するハーマイオニーを放っておいて、ハリーとロンは悩んでいた。

 いったいどうしたらいいのだろう?

 この三人組において、いや、ホグワーツの一年生、いやいや、ひょっとするとホグワーツ生全体で比べても豊富な知識を持つ彼女がダメだったのだ。

 割と力押しを好むハリーと、そもそも考えるのが苦手なロンは完全に煮詰まっていた。

 

「『この事件の問題を解決せよ』って……なんなんだ……」

「勝利で終わらせてもダメ、史実通りでもダメ……。ビンズはいったい何を考えてるんだ?」

 

 息を切らしたハーマイオニーが戻ってきて、さて次はどうするかという会議が始まる。

 ゴブリン側を勝たせてみるか? いや、それはあまり意味がないだろう。おそらく、ロンにやらせたことの逆が起きるだけで大して変わらない。

 問題点といえば互いの見解の相違が原因で起きた諍いなので、価値観を直すか? いや、現実的な答えではない。

 うんうん頭を悩ませながら、時には酒場に赴いておいしいものを食べてリフレッシュしながら、ハリーたちは青く透き通る空が、燃えるような赤に変貌するまでじっくりと考えていた。

 アフタヌーンティーを飲んでいるときから焦りのあまり現実逃避が目立ってきたが、日が沈んでからはもはや諦観が前面に押し出されている有様である。

 

「あー。うー、あー」

「なんか、ダメっぽいね……」

「なんとか戦いは無益だと説得してみたけど、ギスギスした雰囲気のままだよこれ。正直今までで一番悪い状態だよこれ」

 

 次の日にして、その日の朝。

 町だよ宣言男に蹴りを入れるハリーとロンを放っておいて、ハーマイオニーは考える。

 ひょっとすると前提条件からして間違っているのでは?

 問題点の解決というのは、必ずしもゴブリン達と関わることではないのでは?

 男性に尻を蹴り飛ばされたハリーとロンが戻ってきたとき、ハーマイオニーは一つの疑問を二人に投げかけた。

 

「ねえ、二人とも。この世界は作り物で、余計なところに魔力を割いていないってこと。あれは事実でいいわよね?」

 

 自分の尻をさすりながらハリーが答える。

 

「そうだね。初日に聞き込みに行ったときに民家のドアが開かなかったから呪文で砕いてみたけど、ドアの向こうは何もない真っ白な壁だったって話はしたよね?」

「ええ。不気味よね」

「この上なくね。それで、その民家はこの試練を行う上で全く必要ない部分だから作りこんでいなかった、ってことが理由だと思うわけよ」

 

 ハリーの言うように、この世界には徹底的に無駄がない。

 唯一の無駄といえば空に浮かぶ、女性二人の沸点を易々と突破したメッセージのみ。

 ひょっとしてもしかして万が一にも、あれが攻略のヒントなのかとハーマイオニーが忌々しげに空を見上げたとき。

 ふと。

 脳の奥に、違和感を感じた。

 

「…………、……」

「どうしたのハーマイオニー? 疲れたなら休もうか?」

「黙りなさいロン」

「ねぇハリー! どう思う、この僕への扱い!」

「笑えばいいと思うよ」

「ハッハのハーッ、だ!」

 

 ハーマイオニーに拳骨をもらった二人が大人しくなった頃、彼女は忙しなくあちこちへ足を運び始めた。町の中央広場。露店広場。宿屋周り。商店街。ゴブリンたちの立て籠もる鍛冶場。魔法戦士隊が待機している教会前広場。

 青々とした空の下、青がオレンジになり、オレンジが真っ赤になって、藍色に染まっていくまでそれは続く。

 ハリーとロンが首を傾げながらもうんざりした表情になっていることに気づいているのかいないのか。真剣な顔で一日中見回ったハーマイオニーが、もうすっかり日の沈んでしまった空を見上げて呟く。

 

「やっぱりそうだわ」

 

 なにが? と問いたい二人を手で制して黙らせ、ハーマイオニーは笑顔で言う。

 

「たぶん間違いないわ」

「だから。何に気づいたのさ、ハーマイオニー」

 

 我慢できなくなったロンが問う。

 ハーマイオニーはもったいぶって説明を始めた。

 

「空を見て。綺麗でしょ」

「ハーマイオニー、ついに気が変になったのかい? キミはケンタウルスじゃないんだよ」

「ケンタウルス?」

「ああ、ハリーは気を失ってたから会ってないんだね。禁じられた森で、君が気を失った後にやってきた変なやつさ。火星フェチなんだよきっと」

「……ねえ。私の話、聞くの? 聞かないの?」

 

 青筋を立てたハーマイオニーに、ロンが答えだけ聞きたいというと彼女は完全に不貞腐れてしまった。ロンを叱りながらハーマイオニーの頭を撫でて、宥めすかして説明してもらう。

 曰く、今までの情報はそのほぼすべてがブラフであり、本当の解法は空にあったのだという。

 一日が変わらないのは何のためか。あれだけ手を抜くべきところは抜いている効率的な魔法式(プログラム)なのに、影の位置がなぜいちいち変わっているのか。どうしてあんな腹の立つメッセージを、わざわざ空に浮かばせたのか。そしてその空の美しいまでの再現度は、いったい何のためなのか。

 その答えが、この星空である。

 オーロラ・シニストラ教授。一年生からの必須教科、天文学を教える先生である。

 天文学のテストでも満点を取った自信のあるハーマイオニーが、空を見上げる。天文学は天体の位置やその魔法的意味、月の満ち欠けに潮の満ち引き、さらには星占いも教える学問である。

 今回の場合、その中で必要とされた技術は星占いで使われる星読みの力。

 ロンはわからなかったが、ハーマイオニーに促されて空を見上げたハリーは、ああ、と唸る。

 あまりに自然と溶け込んでいる上にハリー自身天文学に造詣が深いわけでもないので多少わかりづらいものの、空には星読みをすることで見える文字がしっかりと書かれていたのだ。

 

「『魔法戦士隊隊長に酒瓶を振り降ろせ』、かな? ……これは気付けって方が無茶だろう」

「うーん、僕には何て書いてあるのかさっぱりだ」

「ハリー? ロン? これも昨日の夜のテストで出たでしょう? 『魔法戦士隊隊長に酒を振舞え』よ。まったく、ロンはまだしもハリー、あなたまでなんて……」

「出てないぞハーマイオニー。出てないからな。これ七年生で習うようなレベルだからね? 一〇〇点満点中一三九点も取れるキミと一緒にしないでね?」

 

 ハーマイオニーが酒場で貰った酒瓶を隊長に渡すと、常にしかめっ面で不機嫌そうだった彼は、まるで太陽の光がごとくニカッと笑う。

 そうして酒瓶を魔法で開けると、ぐいっと一つ豪快に飲んだ。

 ごっごっごっ、と喉を鳴らしてラッパ飲みするその姿に、隊員たちはやんやと大騒ぎ。

 一滴残らず飲み干した酒瓶を床に投げつけ、ガシャアンと派手な音を立ててガラスを散らす。

 それを合図に、教会広場のあちこちに隠れていたらしき隊員や町人、商人たちやはたまた敵対してはずのゴブリンまでもが集まって、皆明るい笑顔で大きく叫んだ。

 

「「「「コングラッチュレーィショーン! おめでとう、正解だ!」」」」

 

 

 大声が一瞬にして消え、ハリー達は小さな図書館に戻っていた。

 本から黄金の光と共に吐き出されるようにして飛び出してきたハリー達は、床に倒れ込んでいた。予想外の脱出の仕方に、誰も咄嗟に反応できなかったのだ。

 それぞれ好き勝手に悪態をつく。

 ロンがハーマイオニーの尻を触ってしまったらしく、怪我人だと言うのにビンタの報復を喰らっているのを放置して、ハリーは自分たちの入っていた本を手に取った。入り込む前には気付かなかったが、裏表紙には魔法戦士隊隊長の肖像画が描かれていた。結構似ている。

 特に魔力がこもっている様子はない。機能を終えたので魔力切れといったところだろうか。

 魔法戦士隊との大騒ぎはなかなか楽しかったな、と思いながら、本を閉じた。

 さて、次の試練に挑まなければ。

 ハリーが二人の言い争いを仲裁して、出現した扉をくぐって部屋を去る。

 あとに残るは小さな図書館と、ゴブリンの反乱の本のみ。

 挿絵の隊長が、酒瓶を持ち上げて武運を祈っていた。

 




【変更点】
・回復要員ハーミーちゃん
・オリジナル試練。不勉強だと脱出不可なタイプ。
・ロンが自分の才能に自覚し始めたようです。

【オリジナルスペル】
「グレイシアス、氷河となれ」(初出・PS2及びGC『アズカバンの囚人』)
・水を凍らせる呪文。術者の力量によっては周囲に水が無くても使える。
 元々魔法界にある呪文。ゲームオリジナル。ゲーム中ではハーミー専用呪文。

【賢者の石への試練】
・第五の試練「愚か者の楽園」クィレル教授
 トロール十匹と同時戦闘を行い、全員の意識を奪うか殺害せねばならない。
 既に先行した何者かがある程度のダメージを与えていたため、幾分か楽になった。

・第六の試練「天文学的な魔法史」ビンズ教授&シニストラ教授
 ゴブリンの反乱を解決に導かねばならない。というお題目だが、同じ一日をループするため実際は不可能。実は夜空を見上げて星読みを行うと脱出できるという引っかけ問題。
 因みにメッセージを考えたのはビンズ先生。

……英語は、英語はたぶんこれでいいはず。ですよね、エキサイト先生。
一年生にはまず不可能なハズだった試練。だいたいハーミーちゃんのおかげ。
石を狙う何者かとの戦いまでに体力を回復させておかないといけないのです。
試練はもうちょっとだけ続くんじゃ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。