ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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13.親友

 

 

 

 ハリー達が次に行き着くのは、白く狭苦しい部屋。

 先程の小さな図書館よりもさらに狭くて何もない、何のためにあるのか分からない部屋だ。

 肩から先と腹にうまく力が入らず、実質戦力外と化したロンを下げて、二人は杖を構えたまま部屋を精査する。試しに適当な呪文を投げかけても、特に変わったことは起こらない。結論としては何の変哲もない、ただの通過点のようだ。

 念のために杖を構えたまま部屋へ踏み込んだ、その瞬間。

 

「……な……ッ」

「ま、またなの……?」

 

 三人が次に放り出されたのは、雑踏の入り混じる近代的な街だった。

 ふっと顔を明後日の方向へ向ければ、新大英図書館ビルが見える。左に向ければ広い幅の道路を、二階建てバスが走っている。信号が青になり、スーツを着た男性や、紙袋に野菜やパンを入れた女性が信号を渡りはじめる。スケートボードに乗った悪ガキが迷惑な大声で笑って、バンタイプのパトカーから顔を出した警察官に怒鳴られていた。

 『まともな』スーツ姿など、魔法界ではめったに見られない。

 信号などもってのほかである。キングズクロス駅を利用する割には、魔法使いは基本的にマグル製品をまったく、もしくはほとんど知らないような者ばかりなのだ。

 つまり。

 

「……ロンドンだね」

「それも、キングズ・クロス駅の目の前だわ」

 

 またもや別の場所に放り出されたのだった。

 ハリーは、頭を抱えて頭痛と戦っていた。

 しばらく痛みをこらえて雑踏に耳が慣れたころ、溜め息と共に言葉を漏らす。

 

「……今度はなにをやらされるんだ?」

 

 だが。結論として。

 この試練は二〇分足らずで終わった。

 普通の魔法使いならば間違いなくチェックメイトされてしまうような試練なのだが、ハリー達とはあまりにも相性がよかったのだ。ただ、ハリーたちであるというだけで有利になるほど。

 まず、ひとつ。

 何時の間にか持たされていたバッグに入っていた羊皮紙に書かれていたのが、古代ルーン文字であったこと。

 つまりバスシバ・バブリング教授の試練だ。これはハーマイオニーという頼りになる頭脳のお陰で、多少てこずったものの解読それ自体には成功した。ハリーだけではもちろん、ロンと二人だけだったとしてもここで終わっていただろう。

 

「こんな難しいの、私初めてみたわ! この羊皮紙を持って帰れないかしら……ものすごく勉強になるわよ、これ。……将来古代ルーン文字学を履修したときはこれさえあれば万全だわ」

「それはよかった。いいかいハーマイオニー、早く結果を言ってくれ。早く早くハリーハリー」

「え、なに? 呼んだ?」

「いやそっちのハリーじゃない、違う。今回も何かと戦うような試練だと思って緊迫してたからといって、別にボケて空気を和ませなくてもいいんだよハリー!」

 

 解読された羊皮紙に書いてあったのが、『マグルの店で、マグルの金銭を用いてカナル型イヤホンを買うこと』というもの。署名にはチャリティー・バーベッジ教授の名があり、これがマグル学の試練でもある、ということが窺えた。

 先の通り、普通の魔法使いならばここでまず間違いなく脱落することだろう。マグルの服装すらまともに知らない人が多い魔法界の人々だ。マグルの街で『電化製品』を売っている店を探しだし、尚且つ『イヤホン』が何なのかを理解し、さらにはその中でも『カナル型』とはどのような種類なのかを把握し、そして何ポンドで買えばいいのかと言ったことも分かっていなければ、この試練はクリアできない。

 バーべッジ先生は確かにマグルに関する造詣が深い魔女のようだ。ただ、あまりにも知識がディープすぎるためにこんな試練となってしまったのだろう。わざわざカナル型を指定しているところにはもはや熱意というより悪意すら感じる。

 そして、ふたつめ。

 ハリーとハーマイオニーが、マグルの世界で育った人間であったこと。

 

「うーわ、何これ。うーわあ、やーらしーぃ。なにこの悪意まみれのお財布は」

「ほんとだわ。ポンドだけじゃなくてドルや円が一緒になって入ってるわね。うわあ、スターリングだけじゃなくてエジプトポンドまで入ってるわ。硬貨に至っては……なにこれ、ゲームセンターのコインじゃないの。ここまで来ると意地悪を通り越してギークっぽいわ」

「なにこれ? ポンド? 変なの! スパイか何かかい?」

「ロン。君、ハグリッドと同レベルだったんだね」

 

 こんなとんでもない引っかけがあったとしても、生粋の英国マグルであった二人は引っかからない。

 ハリー自身はイヤホンに詳しいとは言えない生活を送っていたものの、イヤホンがどういった物体なのかなどというのは常識レベルだ。ハーマイオニーは特に虐待やらを受けていたわけではないが、運よく父親がイヤホンやヘッドホンの音質にこだわるタイプの人間だった。カナル型と言われてピンとくるのは、そういった理由からだ。

 ハーマイオニーの父親が音楽を聴くような人間ではなかったら。ハリーとハーマイオニーがマグル出身の魔女ではなかったら。それだけで断念せざるを得ないミッションが、今回の試練だ。 その事実に一人気づいたハーマイオニーは、試練が終わって幻術が解け、元の白い部屋に戻された際に背筋の寒くなる思いをしていた。

 

「楽な試練だったねハリー」

「そうだね。ロンが何度言っても黙ることを覚えない以外はとても楽だったよ」

「お、怒らないでよハリー。珍しくって、つい……」

「怒ってないよ。イラついてるのさ」

「ホントごめんて」

 

 次の部屋へ至る廊下を歩きながら、ロンとハリーが喋る姿をハーマイオニーは黙ってみていた。

 どうしたのだろう、と二人が振り向くと、ハーマイオニーは意を決したように口を開く。

 

「ねえ、ロン」

「なにさ、ハーマイオニー」

「あなた。ここで引き返しなさい」

 

 彼女の言葉が完全に予想外だったのか、驚きに目を見開くロン。

 隣でその様子を見ていたハリーは、ハーマイオニーの言いたいことがわかって俯いた。

 ロンはいま、片足を引きずって歩いている状態だ。

 ウィザードチェスで腹を貫かれ、トロールとの戦いで肩から先を折られ。

 いくらハーマイオニーが治癒呪文を使えるとしても、そもそも癒者でもない以上、完璧な治癒ではないのだ。ローブで隠されて見えないが、もしかすると彼のシャツには赤い染みが滲んでいるのかもしれない。

 つまり。彼はもはや戦力外というだけではなく、足枷と化している。

 

「……それは、僕が邪魔だってことかい?」

「…………、……申し訳ないけれど。……そうよ。足手まといなの」

「ッ、ハーマイオニー!」

 

 低い声を出したロンに対して答えた彼女の真意に、一瞬遅れて気づいたハリーが叫ぶ。

 ハーマイオニーはロンを危険から遠ざけようとしている。

 しかし、ロンはそれを受け入れないだろう。

 普段がどれだけ情けなかろうが、有事の際は勇気を出せる男の子だと、少女らは知っている。

 だから女の子を二人だけでこの先へ進ませるのは、彼が頑として受け入れないだろうということは想像に難くない。

 だからハーマイオニーは、悪役を買って出たのだ。

 わざわざロンの悪感情を煽る言葉選びをして、怒らせることでこの場を去らせようとする。

 頭のいいやり方であった。

 だが、方法がスマートだからといって結果がついてくるとは限らない。

 

「……いやだ。僕はついていくよ」

「ロン!」

 

 ハーマイオニーの悲痛な声があがる。

 不貞腐れた顔のロンではあるが、意地になってそう言っているわけではないようだった。

 

「トロールの部屋で証明できたように、戦力にはならなくっても、盾にならなれる」

「ま、待てよロン。それじゃ君の体が、」

「女の子に戦わせてるんだぞ!? そうでもしなきゃ、僕は一生自分を誇れなくなる!」

 

 口を挟んだハリーだったが、ロンのその叫びに、彼女はすっかり黙り込んでしまった。

 プライドだ。

 女の身である自分にはわからないが、恐らく男の子には意地があるのだろう。

 矜持とも言うべきか。

 ロンの母親モリー・ウィーズリー、旧姓モリー・プルウェットは、とある名家の出身である。

 魔法戦士を多く輩出したプルウェット家は、古くから続く家系であった。そのため、彼女の息子であるロンにもその心構えの教育は、意識せずともしっかり根付いている。

 女の子を戦場に放り出しておいて、安全な場所へ逃げ帰るなどということは、ロンとしては断固として許せないものであった。

 ハーマイオニーは知らずとはいえ、彼の心の奥深くを冷たい針で突いてしまったのだ。

 

「絶対についていく。ハーマイオニーが何を言おうとも、僕は身を挺してでも守るんだ」

 

 完全に、裏目に出た。

 これではてこを使ってもロンはついてくるだろう。

 先の二つは、直接的に戦闘を要する試練ではなかった。だが、だからと言ってこれから先もそうだとは限らないだろう。

 もしそうだった場合にロンにかかる負担は、相当なものになる。

 それこそ、今度こそ死を意識してしまうほどには。

 

「次の部屋だ。先に行くよ!」

「ま、待ってよロン! おい、待てって!」

 

 先走るロンの腰に抱きつくようにして、ハリーが彼の暴走を止める。

 もしまた何らかの魔法生物や魔法が襲い掛かってきたらと思うと、冷や汗が止まらなかった。

 そんな悲観的な予想に反して、明るい部屋にたどり着いた三人が見たのは小さい台座に、赤ん坊の頭ほどの、美しく丸い水晶玉が乗っかっているだけの光景だった。

 水晶玉ということは、占い学の試練なのだろうか。

 しかし占いの試練とはいったいなんなのか?

 訝しげな顔を浮かべながら、各々が杖を取り出してまずは水晶玉を調べようとした時。

 部屋の中央に位置する中空に、魔法文字が浮かび上がった。

 動くものが視界に入って反射的に杖を向けたが、そこに書いてある内容を見てハリーは黒い感情が心の底に降り積もった錯覚を覚えた。

 『己の心を覗く勇気ある者は我に触れよ。心を認めよ。自分を飲み込め。さすれば道は開かれる』。

 これは、つまり……。

 

「……? なにこれ、これが試練なの?」

「戦うタイプの試練じゃなくてよかったけど……なんだろうこれ。この水晶玉に触って、自分の心を見てみろってことかな」

 

 ハリーはこれが最悪な試練であることを見抜いていた。

 自分の心を覗くだと?

 それはハリーが一番見たくないものである。

 諦観と憎悪、憤怒と欲望。半ば死を熱望しながらも、怠惰に生を貪った。

 自身の存在価値を底辺とすることで、脆弱でひび割れた心を守ろうとした、その意地汚さ。

 それを見せられるのか?

 いま。この場で。ハーマイオニーとロンの前で?

 そう考えただけで、かなり辛い。

 

「……僕がまず触ってみるよ」

「ロン……」

「僕はそれくらいしか役に立てないからね」

 

 嫌味とも取れる一言を残して、ロンは怪我をしていない方の手で水晶玉に触れる。

 途端。

 部屋中にロンの声が響き渡った。

 

『いやだ』

「な、なんだよこれ。僕の声だ!」

『いやだ、いやだ。もう嫌なんだ』

 

 動揺したロンは水晶玉から手を放そうとするも、まるで根が張ったかのようにピクリとも動かなかった。

 いったい何が始まるのかとハリーとハーマイオニーが警戒し始めた時、またも水晶玉からロンの声が響き渡る。

 

『ずるい。ずるい。ずるい』

「何なんだよ、僕の声を勝手に使って何を言っ――」

『ハリーばっかりずるい。ハーマイオニーだってずるい』

「――――ッッ!?」

 

 驚きと不満をあげていたロンの声がひっくり返り、奇妙な悲鳴が漏れる。

 唐突にずるいなどと言われてしまい、ハリーとハーマイオニーが怪訝な顔をする。

 ロンはどっと汗をかいて、挙動不審になり始めた。

 おそらく、この内容に心当たりがあるのだろう。

 

『ずるい』

 

 声は続く。

 

『フレッドとジョージは面白くってみんなの人気者でずるい。パーシーは頭がよくてママに褒められてずるい』

「あ、ああ……! あああ……!」

 

 ロンの顔が、見る見るうちに羞恥に染まっていく。

 それを見てようやく、なるほどと合点がいった。

 これは、ロンの心の声そのものなのだ。

 

『チャーリーはあんなに力持ちでたくましくってずるい。ビルはかっこよくって頼られていてずるい。ジニーは可愛がられていてずるい。ママは愛する人がいっぱいいてずるい。パパは自分の楽しめることが出来てずるい』

 

 もはや声も出ない様子で、ロンが滝のような汗をかいている。

 ちらちらとハリーとハーマイオニーを盗み見ているあたり、二人の反応が気になるようだ。

 当の二人は困惑と、居た堪れない様子で佇んでいる。

 

『ハリーばっかり強くって目立っててずるい。ハーマイオニーばっかり頭がよくって優しくってずるい。ずるい。ずるい、ずるい……』

「そんな、違う、嘘だ、そんな、そんな――」

 

 ぶつぶつと否定の言葉を漏らすロンの顔は、もはや蒼白を通り越して白かった。

 膝が震え、立っているのがやっとといった様子だ。

 無理もあるまい。

 これはきっと、ロンの心の奥深く。

 誰にも見せたくなかった、見せるつもりも言うつもりもなかった、闇。

 心の闇そのものだ。

 

『ずるい! ずるいッ! 僕だって、僕だって目立ちたい! 欲しい! 欲しいッ!』

「や、やめ、やめてくれえっ!」

『僕だって人気者になりたい! 僕だってママに褒められたい! 僕だってたくましくなりたい! 僕だって頼られたい! 僕だって可愛がられたいんだ! 僕だって愛する人が欲しい! 僕だってやりたいことがやりたいんだよ! ずるい! ずるい! みんなずるい! ハリーみたいに強くなりたい、目立ちたい! ハーマイオニーみたいに頭がよくなりたい、優しくなりたい!』

 

 心の声は次第に、次第に強く大きく、そして荒々しくなっていった。

 まるで心の底に降り積もった澱を払うように。

 

「やめて! 聞かないで! ハリー、ハーマイオニー! お願いだ、聞かないでくれえっ!」

『あああ、ああああ! あああああ! ずるいんだよぉっ! みんな全部全て僕が欲しかったものばかりだ! 僕だって目立ちたいんだ! みんなに褒められたり注目されたり噂されたりしたいんだ! 僕だって僕だって僕だって! ぁぁぁあぁああッ! くそっ! くそおっ!』

 

 懇願なのか、慟哭なのか。

 ロン本人の羞恥にまみれた悲鳴と、ロンの心からの絶叫が部屋中に満ちる。

 

『あぁぁぁッ! 僕だって、僕だって主役になりたかったんだァァァ――――――ッ!』

 

 ぶつ、と。

 最後の嘆きをひとつ残して、心の声は消え去った。

 水晶玉からロンの掌が離れて、自分の体重を支えるのでやっとだった彼は尻もちをついてしまう。

 滝のような汗をシャツの袖で拭って、ロンは二人を見た。

 ハリーと、ハーマイオニーを。

 

「……、…………。……、……。……聞いただろう。……あれが、僕だ」

 

 ぽつり。

 一滴の汗が床に落ち、言葉も滑り出る。

 

「嫉妬、してるんだ。羨ましいんだ。ハリーは、シーカーをやってるし、体も鍛えてる。強くって、いいなあ、って。ハーマイオニーは、頭もいいし、優しくしてくれる。そういうの羨ましいなあ、って」

 

 これは告白だ。

 ロンは羨ましがっていた。

 ホグワーツで、気兼ねなくバカをやれるのはディーンとトーマスだ。

 だけれど、一番仲がいいのは誰かと言ったら、やはりハリーとハーマイオニーの二人だ。

 男の子は自分一人だけだけれど、二人はとても優しい。

 ハリーは激情家で時々冷たいけれど、何だかんだで人を見捨てられない優しい子だ。

 ハーマイオニーは頑固で融通が利かないけれど、人を想って行動できる優しい子だ。

 翻って、自分はどうだろう?

 優しいだろうか。いや、そんなことはない。

 人のことを考えられるだろうか。いや、そんな余裕はない。

 人を見捨てずにいられるだろうか。いや、そんな度量はない。

 仕方ないとはいえスリザリン生とみればまず敵だと思ってしまうし、相手の気持ちを考えて投げかける言葉を選ぶなんてこと毎度毎度やっていられない。

 それができる君たちがうらやましい。

 僕だって、目立ちたいんだ。みんなに隠れた日陰者でいるのはいやなんだ。

 

「……、……どうだい。これが、僕さ。ロナルド・ウィーズリーなんだ」

 

 ぽつりぽつりと、静かに、だけれどしっかりと伝えた。

 軽蔑されるかもしれない。

 ハリーには、下らないと冷たい目で言われるかもしれない。

 ハーマイオニーには、バカみたいと思われるかもしれない。

 それでも言った。

 言い切った。

 勇気を出し切ったロンは、すっかり座り込んで俯いて震えている。

 そんな震える男の子は、ふわりと抱きしめられる。

 栗色の豊かな髪が、暖かくもくすぐったい。

 

「……ロン。ああ、ロン。あなた、あなたは……」

 

 ハーマイオニーの声も震えていた。

 人の心の闇に触れるなど、普通に生きてきた十一歳の少女には初めてだろう。

 ロンの肩に手を置いて、どういう表情を作ればいいのか戸惑っていたハリーは、やがて不器用に笑った。

 

「ロン。君がいなければ、ぼくらはここまで辿り着けていない。君が目立っていないだって? まったく、チェスゲームのとき君はヒーロー以外の何物でもなかったんだぞ」

「そう、そうよ。ロン。あなた、とてもかっこよかったのよ。それに。女の子二人にあんなに心配かけさせて、何が不満なのよ。ばか。この、ばか」

 

 ついに泣き出してしまったハーマイオニーの声を聞きながら、ロンはぼーっとした顔で二人を交互に見つめる。その顔には疑問の色がありありと浮かんでいたのをハリーは見て取った。

 彼の疑問に答えるため、ハリーは顎に手を当てて考えるポーズを見せる。

 

「なんだい。ひょっとして君、軽蔑されるかもとか思ってた?」

「う、うん……なんで、君たちは……」

「なんでって、あなた、それは……。その、えっと」

 

 ロンの恐る恐るといった風の問いかけに答えようとしたハーマイオニーが、見る見るうちに赤くなる。

 彼にはその様子を見る余裕もないので、なぜ彼女が顔を染めているのかも当然わからない。

 二人を見下ろせる位置に立っているハリーからは二人の表情が丸わかりで、そして心の中までも丸わかりだった。こんなもの、魔法なんて使わなくても十分に分かりやすい。

 なのに分かっていないロンがおかしくって、真っ赤になってあうあう言っているハーマイオニーが可愛くって、ハリーは思わず笑い声を漏らしていた。

 

「くふっ、うふふふ。なんだよ君ら。可愛いなあ、おい」

 

 ロンの背中から手を回し、ハーマイオニーごとぎゅっと力いっぱい抱きしめたハリーは、数秒間二人の暖かさを楽しんでからぱっと離れた。

 びっくりした顔をして振り返る二人を見て、ハリーはおかしそうに笑う。

 ハーマイオニーもそれにつられて笑い、最後に、ロンがぎこちないながらも笑顔になった。

 そりゃあ、そうだ。

 言えるわけがない。

 水晶玉から聞こえてきたあの声が、本当にロンの本心だとしたら。

 あれほど嬉しいことはないだろう。

 確かに嫉妬というのは、いうなれば負の感情であり忌避されるべきものとされる。だがそれを逆に考えてみれば、相手の長所をわかっているということにはならないだろうか。

 もちろん場合にもよる。現にハリーの場合は、目立ってて羨ましいという言葉が入っていたが、ハリー自身そんなに目立っても困るだけであって、言われてもたいして嬉しくはない。その後の強い、という言葉は素直にうれしかったので、ハリー自身もあまりハーマイオニーの事は言えない。

 しかしハーマイオニーからしてみれば、褒め言葉のオンパレードにしかならなかっただろう。『ハーマイオニーばっかり頭がよくって優しくってずるい』だなんて、なんて下手くそな口説き文句だろう!

 本人には全くそのつもりはなくとも、こんなことを言われてしまえば、口説き文句に聞こえてしまう。それが気になる男の子からのものなら、なおさらだろう。

 顔を真っ赤にして意味のない言葉を呻くハーマイオニーをにやにやして見ていると、ついに限界に達したハーマイオニーがロンを突き飛ばして立ち上がった。

 急に押されたので尻もちをついたロンが軽く抗議をすると、小さく謝ってからハーマイオニーは水晶玉に向き合った。

 

「まったくもう! まったくもう! ……いいわ、次は私が触れるわよ」

 

 湯だった顔を冷やすように、ハーマイオニーは毅然と言い放つ。

 別に同じことをしなくてもいいのではないだろうか、とハリーが言うも、ハーマイオニーは首を振って否定した。曰く、次の部屋へ行く扉はまだ出現していない。試練に挑みに来た全員が『心を認める』必要があるのだろう、と。

 ぼくが先にやろうか、と進言するハリーを手で制して、ハーマイオニーは水晶玉に手をかざす。

 深呼吸をひとつ残し、すこし不安げな声で一言漏らす。

 

「やるわよ」

 

 ぱし、と勢いよく水晶玉に手をついた。

 途端。

 部屋中に響かせて、ハーマイオニーの心の声が聞こえ始めた。

 

『いいなあ』

「……何を言われるのか怖いわね」

 

 本人がぽつりと言うと、心の声は続きを紡ぎ始めた。

 

『ハリーは可愛いなあ』

「ひょえっ!?」

 

 奇声をあげたのは、褒められた黒い髪の少女だ。

 ロンもハーマイオニーも変な顔をして、心の声の続きを待っている。

 ハーマイオニー自身はどうもこの内容に心当たりがないようで、戸惑っているようだ。

 

『黒い髪は綺麗だし、柔らかくって羨ましいな。きっと伸ばしてみたらすごく似合うはずよ。顔立ちもかっこいい美少年みたいだけれど、パーツが可愛い系でまとまってるから、成長したら間違いなくずるいくらい可愛い子になるはずだわ』

 

 随分と高評価である。

 自分の心の声だというのに苦笑いするハーマイオニーとは対照的に、ハリーはまるでグリフィンドール寮旗のように真っ赤だった。両手を頬にあてて、時折頭を懸命に振って熱を逃がしているようにも見える。

 しかしその微笑ましい姿をいつまでも見ているわけにはいかない。心の声が続きを始めたのだ。

 

『パーバティは綺麗よね。同じ黒髪だけど、ハリーと違ってエキゾチックな艶と魅力があるわ。お風呂で見たけどスタイルもいいし、本当に同じ十一歳かしら?』

「ごくっ」

「おい、こら。ロン」

 

 生唾を呑みこんだロンの尻をハリーが叩いた。

 ばつの悪そうな顔をしたロンだったが、ハーマイオニーの顔を見て訝しげになる。

 彼女の顔色が悪いのだ。

 

『ラベンダーも魅力的ね。可愛いとか綺麗とかではないけれど、あのフランクで遠慮のない性格は男の子にモテそうだわ。実際トーマスが気になってるっていうし、ああいう子がモテるのね』

 

 なんだ?

 ハリーが怪訝な顔をした。なんだか心の声のトーンが、ずいぶんおかしくなってきた。

 夢見るような声色から、だんだんと低く呟くようになっている。

 

『レイブンクローのジェシカ・マクミランも可愛いわね。ウェーブがかった金髪と褐色の肌がチャームポイントで、猫っぽい可愛さがあるわ。ハッフルパフのハンナも優しい子でとても魅力的だわ。スーザン・ボーンズみたいに三つ編みの似合う理知的な子もいいわね。スリザリンの双子のクロー姉妹なんて、真っ白い肌で綺麗なのに』

 

 褒め方が、なんだろう?

 羨んでいる色が見え隠れしていると言うべきか。

 どこか卑屈な感じがする。

 

『どうして、』

 

 続く言葉で、ハーマイオニーは声にならない悲鳴を漏らした。

 

『私は可愛くなかったんだろう』

 

 ついには耳をふさいでしゃがみこんでしまったハーマイオニーの隣で、ハリーは驚いていた。

 意外だ。

 彼女が寝室で自分の髪を梳いている姿を、ハリーは幾度か見たことがある。

 その後、自分の髪を見て諦めるような溜め息をついていたことも。

 その際に櫛の使い方が下手なのかと思い、ハグリッドが来て以来人が変わってしまったペチュニアに聞いて教わった方法で自身の髪の手入れをしているハリーが助言を進言したのだが、ハーマイオニーには苦い笑みと共に遠慮されてしまった。

 いわく、今まで放っておいたツケを支払っているのよ、と。

 ハーマイオニーは、自分の容姿に少なからずコンプレックスを持っている。

 お風呂上りにハリーの髪を梳きたがったり、同室のパドマ・パチルのきめ細やかな肌を触りたがったりと、自分にないものを羨んでいる節があったことも知っている。

 

『髪はいくらシャンプーを変えてもぼさぼさのままだし、手入れしても手入れしてもサラサラになんてならない。鼻だって低いし、目立って野暮ったいわ』

「やめてよ……こんな、恥ずかしい……」

 

 ハリーはこの試練を、心の闇を見せつけられる類のものだと判断していた。

 以前にハリーが心を囚われかけた、《みぞの鏡》と類似したものだと。

 心の後ろめたいところ、人には言いたくないところを読み取って、対象の精神を揺さぶるような魔法具。闇を認めるか受け入れるかすると、何らかの魔法でそれを感知して次の部屋への扉が開く。最初に聞かされた『心を認めよ、自分を呑みこめ』という囁きは、きっとそういう意味なのだろう。

 

『脚だって長いとは言えないし、背も高くない。遺伝的にも将来伸びる可能性は低いわ。前歯も大きすぎて無様で嫌いよ。知ってるんだから、みんな陰でビーバーって呼んでたの。胸だって、グランマやママのを見てるとそうそう大きくなってくれるとは思えない。女性らしさを求めて髪を伸ばしても、みっともないだけだったわ』

「やめ、て……やだぁ……」

 

 しかし、今回の独白を聞いてハリーは思う。もしや違うのではないだろうか、と。

 ハリーは実のところ、ハーマイオニーの闇を打ち明けられたことがある。

 周りの子がバカに見えて仕方ない。そういう傲慢さからくる悩みを打ち明けられたのだ。

 ハロウィーン以前の、肩ひじ張って虚勢を張って、周囲を見下し気味だったころの話だ。

 ハーマイオニーは将来の仕事に歯医者を見据えていたようで、プライマリースクールのころから一日のほぼすべてを勉強にあてるような子だった。進学校であるにも拘らず飛びぬけて頭脳明晰であり、時には教師よりも頭の回転が早かった。

 そして、そのころから頑固で融通が利かなかった。

 努力して勉強すれば誰でも何でも分かるようになると、本気で思っていた。教師であっても彼らも人間だ。間違いくらい誰だってするが、ハーマイオニーはそれを指摘して直させた。

 そんな子供が可愛いはずはない。

 教師も敬遠する、クラスメートは遠巻きにする。両親は愛情を注いでくれるが、だからこそ心配させることを嫌ってこの現状を打ち明けるわけにはいかない。勉強すればするほど、知識を得れば得るほど、勉強しない努力しない周囲がバカにしか見えない。そうなればまた、態度も硬くなる。二進も三進もいかない、心が締め付けられて固まって、まったく余裕がない状態。

 それが、出会った頃のハーマイオニーだった。

 

『ハリーが羨ましい。パーバティが羨ましい。ラベンダーが羨ましい。ジェシカ・マクミランも、ハンナも、スーザン・ボーンズも、クロー姉妹も、みんなみんな羨ましい』

「うう、ううう……」

『私だって可愛くなりたかった。男の子に噂されたりもしたかった。性格だってエロイーズみたいに優しく心の広い子になりたかった』

 

 魔法の存在を知り、ホグワーツに来ても、それはあまり変わらなかった。

 特にグリフィンドールはそれが顕著だ。

 知識を最も重んじるレイブンクローはともかくとして、スリザリンには純血の貴族であるお坊ちゃんやお嬢様が多い。ゆえに勉強することは生活の一部として当たり前なのだ。ハッフルパフには劣等生が多いなどと他寮から馬鹿にされるものの、それはとんでもない偏見である。真面目で大人しい子が多いからそう見えるのであって、前者二寮と比べればそうでもないが、彼らの大多数も勉強は欠かしていないのだ。ではグリフィンドールはどうかというと、古い常識に囚われず、いつだって新たな世界を打ち立てる先駆者にしてユーモアあふれるやんちゃな子が多い。本当に大事なのは仲間やその思い出だったりと、勉強を重視する子が少ないのだ。

 事実、ハーマイオニーは組み分け帽子にグリフィンドールかレイブンクローかで迷ったと言われている。レイブンクロー寮の生徒からも、どうしてうちに来なかったのかと聞かれたこともあったそうだ。

 

『――私って、醜いわ』

 

 だが。

 ハーマイオニーが選ばれたのは、グリフィンドールだ。

 勇猛果敢な騎士道の、勇気溢れる獅子の心を持つ寮だ。

 

「……二人とも。これが、私よ」

「ハーマイオニー……」

 

 涙をためて、鼻を赤くした姿で二人を見るハーマイオニーは、泣きだす寸前であった。

 居心地悪そうに困ったようなハリーを見て、ハーマイオニーは言葉を続ける。

 

「見ての通り、こんな情けない女なのよ。醜いわ」

「そっ、そんなことない!」

 

 ハーマイオニーの告白に割って入って遮ったのは、ロンだった。

 眉を綺麗なハの字にして、しどろもどろで言葉選びをしているようだが頭が回っているようには見えない。

 

「君が醜いなんて、あるわけ、その、ないだろ。ほら、ハーマイオニー。えっと、うん。そのお……」

 

 おそらく彼が思い、そして言うことは飾り気のない本心。

 ハリーはロンの口から出る言葉の続きを察して、ああ、と微笑った。

 まぶたを閉じて、呆れたように、大きな溜め息を一つ。

 それと同時に、ロンが口を開いた。

 

「君は十分、あー……えっと、ああ。可愛いと。思う、よ」

 

 赤い髪の下で頬も赤くした少年の言葉に、栗色の下が真っ赤に染まった。

 単純なものだ。

 幾百幾千の悪罵を浴びせられても、そんなものはただ一つの光で打ち払われる。

 きっとハーマイオニー自身は気づいていなくても、そういうものなのだ。

 現に見ればわかる。

 己の闇を知られた羞恥と情けなさに震わせていた肩も足も、今はロンの放った一言のせいで火照った熱を逃がすのに夢中なようだ。まったく、お忙しいことで。

 

 しかし、困った。

 ついにハリーの番が来てしまった。

 心の闇を露呈するにしろ、コンプレックスが暴露されるにしろ、ろくでもない事に違いない。

 ハリーは、自分の心の大半が憎悪で占められていることを自覚している。

 顔も知らぬヴォルデモートへの憎しみ。怒り。虚しさ、殺意。

 それを暴露されるのはちょっと、遠慮したかった。

 だが、受けなければならない。

 そうしなければ先へ進めないのなら、多少の犠牲くらい喜んで支払おう。

 ヴォルデモートの野望を打ち砕けるのなら。

 奴の目論見を妨げて、失意のどん底に叩き落とせるのなら。

 

「……よし。じゃあ最後だ。ぼくも触ろう」

 

 自分のメンタルなど、どうでもいいことだ。

 少し落ち着きを取り戻したハーマイオニーとロンが見守る中、ハリーは水晶玉に掌を向けた。

 最後になってしまうけれど、覚悟できるだけマシか。と思いながら、ぺたりと触れる。

 途端。

 ハリーの静かな声が、部屋中に響き渡った。

 

『わからないな』

 

 なんだ? と二人は訝しんだ。

 いつも聞いているハリーの声ではあるのだが、なんだか違う気もする。

 ハスキーで、まるで男の子みたいで、いつもの声ではある。高くも低くもない。

 しかし、感情が全くこもっていない。

 

『さっぱりわからない。ラベンダーはディーンだっていうし、パーバティは三年のセドリック・ディゴリーだろう?』

「……何の話だ?」

 

 ロンが訝しげな顔をする。

 己の事だというのにハリーは未だピンと来ていないようだったが、どうもハーマイオニーは気づいているらしい。はらはらとした様子で落ち着きがない。

 

『アンジェリーナはフレッドがいいなんて言うし、ハンナに至ってはネビルだ。挙句の果てにハーマイオニーはロ』

「わーっ! わーっ! うわーっ! うわぁぁぁーっ!」

 

 ハーマイオニーが突如大声をあげて、心の声を遮る。

 ただ単にびっくりしただけのロンとは違って、ハリーはそれで合点がいった。

 まさか、こんなことを言いはじめるとは。

 ぼくはいったい何を考えているんだ?

 

『みんなみんな、何を言ってるんだろうね』

 

 ぽたり、と。

 綺麗に澄んだコップの水に、一滴の泥が入り込んだかのような。

 小さく些細な、それでいて異常とはっきりわかる極小の違和感。

 泥のように粘ついたその感覚は、徐々に広がってゆく。

 

『誰が好きー、だとか。誰が親友だぁー、とか。お前の頼みなら、とか。君のためを想って、だとか。何なんだろうね、こいつらは』

 

 苛々と。沸々と。

 湧いてくるように、沸いてくるように。

 徐々に徐々にだんだんとゆっくりと、無色の声には色が塗られてゆく。

 タールのように真っ黒い、ドス黒い泥が。

 泥が。

 

『親友だ、とか。家族だ、とか。恋人だ、とか』

 

 泥が。

 

『くっだらないなぁッ! ほんっとうにッッ!』

 

 爆ぜた。

 突然荒げた声に、三人ともびくりと身体を竦ませる。

 ハリーが本気で怒ったことは何度かあった。

 ロンがハーマイオニーを、心無い言葉で泣かせたとき。

 スコーピウスがネビルに、度の過ぎた罵倒を向けたとき。

 だが、こんなにも憎々しげに怒声を放ったことはない。

 ハリーは極限まで感情が高ぶると、喜怒哀楽に関わらず泣いてしまうタイプだ。

 事実、ロンに怒っていた時も泣きながら吹き飛ばしていたし、スコーピウスを折檻するときもドラコが止めにくるまで泣きながら殴り続けていた。

 だというのに、これは如何なることか。

 

『くッだらない! なんでみんな、そんなに軽々しく言えるんだ!? なーに言っちゃってんだろうねえ。笑っちゃうよねえ』

 

 不穏な空気が流れ始める。

 唖然としたロンとハーマイオニーは、心の声が何を言いたいのかを理解するのに精一杯だ。

 ただ一人。

 ハリーはよくわかっている。

 これは心の奥底で思っていたこと。

 彼女の、本心なのだから。

 

『親友? お友達ぃ? ははっ、友情だってさ。笑っちゃうよね。……なんだそりゃ?』

 

 ざあ、と。血の気が引く音を聞いた。

 これはまずい。これを聞かせてはならない。

 ヴォルデモートに対する憎悪ならばまだマシだ、ずっとマシだ。

 だがこれは、これだけはいけない。

 こんなものを聞かせてしまったら、今後の関係にひびが入ってしまう。

 いや、今後だけではない。この先の試練に支障が――

 

「やめ――」

『ハーマイオニーもロンもさ。よくやるよねえ。フツーここまでついてくるか? 彼女らは『例のあの人』とは、なーんも直接の関係はないってのに。よくもまぁついて来る気になったもんだよ。『まともじゃない』よね。ま、便利だから助かるんだけど』

 

 言って、しまった。

 思っていても言わなかったことを。

 言ってしまっては取り返しのつかないことを。

 言われてしまった。

 

「……ぁっ、……、……」

 

 ああ。

 これだ。

 この感覚だ。

 独りぼっちだった、あのときの。

 ダドリー軍団に虐げられて、独りだったあのときの。

 憐みからでも嬉しかった、やっと話しかけてくれた女の子。

 翌日、顔に痛々しいあざを作って、もうあなたと関わるなって言われたの、と。

 ダドリーたちが大笑いするその前で、あなたのせいで痛い目に逢いたくない、と言われて。

 後日、なぜかハリーがやったことにされていて、その女の子の父親に殴られて。

 痛みに泣きたかったけれど、それ以上に胸の中心が痛くて。

 あまりに痛くて、心がどろりと溶けてしまいそうで。

 戸棚に映った自分の目が、濁った泥みたいで。

 生きることに飽いて諦めていて。

 ともだちが、いなくて。

 味方なんてなくて。

 心が死にゆく。

 その感覚。

 いやだ。

 嫌だ。

 

「……ぁ、……。が、ぅ……、」

 

 掠れた声がハリーの喉から這い出て零れ落ち、外気に晒され消えてゆく。

 掠れた声が溶け込んだ空気はざらついていて、とても目が痛い。

 掠れた声が、掠れた声が。

 

「……、う。違う、違うッ! 違うッッ!」

 

 掠れた声が唇から飛び出し、腹の底から絶叫する。

 ハリーの本心に驚いて凍っていた二人が、今度はその大声に驚いて竦む。

 真っ向からの、否定。

 

『僕たち三人は親友だ。私たち大人になっても一緒にいようね。はっはっは。なんッだそりゃ』

「違うッ! やっと出来た友達なんだ! そんなこと思ってるわけないだろう!」

『くだらないの。バカなんじゃないの?』

「黙れ黙れだまれッ!」

 

 絶叫による否定。

 二人に聞かれたくなくて、声を張り上げている。

 しかし脳髄の奥底に釘を突き刺すように、釘そのものが喋っているように。

 三人の頭にはハリーの本音が突き立てられる。

 

『友情なんてさ。そんなもの、あるわけないじゃん』

「あ、―――ッ」

 

 あ、終わったな。

 今までの友人関係を握り潰すかのような一言に、ハリーはふとそう思った。

 追い詰められすぎて、口元に笑みまで浮かんでくる。

 混乱して焦燥して、真っ白だった頭には妙に軽い考えが浮かぶ。今なら冗句だって言える。

 もう、笑うしかないのだ。

 

『親友だとか言われても困るんだよね。信じられるわけないだろう。でもひとりよりは多く居たほうが『あの人』の妨害に成功する確率は上がる。だったらなおさら本心を言えるわけがないんだけどね。裏切られたら困るもの』

「…………、……」

 

 そこまで、言うのか。

 ハリー自身も気づいてはいた。

 先ほど聞かれてはまずい、と思ったのも、そうだ。

 本当に友人として二人を見ていたのなら、あんな打算的な考えは浮かばないだろう。

 ハリー自身は、ハーマイオニーとロンのことを友人として見る事ができない。

 ホグワーツに来てこの一年間、共に勉強したり遊んだりお喋りしたりする者はいた。

 だが。

 心の底から友人と呼びたい人間は、ついぞ見つからなかった。

 魔法という脅威を得てからのハリーは、ダドリーからのいじめを受けなくなった。

 次は豚にされるかもしれないとハリーに怯えて豚のような悲鳴を上げるダドリーを見て、滑稽さや爽快さよりも哀れみを感じてしまうほどには、魔法を知る以前以後での心境は大幅に違う。

 ハリーが魔女である限り、二度と彼からの暴力は受けずに済むだろう。

 しかし、それは仮初の平穏にすぎない。

 彼が十年間ハリーを虐げてきた事実は変わらないし、ハリーの心にはもう、ダーズリーという恐怖が奥の奥まで魂の根源まで深々と刻まれている。

 以前よりダドリーが脅威でなくなったというのは、心的外傷を乗り越える理由にならない。

 ダドリーでなくても、悪辣な人間はどこにでも居る。

 そして、件のトラウマ。

 今後似たような事が起きないとは、限らない。

 リスクを考えてまで友人を求めるのなら、そんな不安定な要素はない方がマシだ。

 端的に言って、ハリー・ポッターは人間不信である。

 

『人は絶対に裏切る』

 

 呟くように。

 

『誰かを信じるなんて馬鹿なこと、二度とやってたまるか』

 

 染み込むように。

 

『ぼくは、誰も信じない。愛なんて、くだらない』

 

 心の声は切り捨てるように断言し、以降は静寂だけを残して消えた。

 この時点で、ハリーは諦めていた。

 ホグワーツにおける生活の中で、得難い友人を得ることはできるだろう、と考えてはいる。

 だがそれには長い年月が必要だとも。

 ハーマイオニーとロンには、一定の信頼を置いてもいいのではないか、と思っていた。

 以前ハロウィーンで起きた、トロールとの戦いでの経験が彼女にそうさせている。

 しかしそれも御破算だ。

 これだけ今までのやり取りが全て打算の上でやっていたことを暴露され、さらにはハリー自身の取り乱しようで、親切にも御自らそれが真実だと宣言しているのだから。

 

「ハリー……」

「っ、……、……。うーん、ごめんねハーマイオニー。事実だ。ぼくは君らを信用してはいない。一緒に居て楽しいなとは思えるけど、実は友達だと思ったことなんて一度もないんだ」

「……ッ」

 

 容赦なく心の臓腑に突き刺される本音。

 楽しかったけど、でもそれまでだったと。

 所詮は『役に立つから』、親友であると勘違いさせたままだったと。

 今のハリーは、友人関係というのは強い絆があると錯覚させられるため、便利な繋がりだとすら思っている。強い絆というのは、時に実力以上の結果を出すことのできる重要な要素であるため、決して蔑ろにすることはできない。そんな風に自然と思えてしまうのだから、ハリーは自分に他者を信じることは無理なのだと、ホグワーツに入る前に覚悟していた。

 だが、ここでそれがバレるのか。

 彼女たちと過ごす時間を、心地よいものだとうっすらと思い始め、誰をも信じないと決めたはずなのに、このことがバレると思うとあんなにも取り乱した。

 そうか。

 やはり、仮初の友人関係だったとはいえ、彼女たちを悪しからず思っていたのか。

 

「ハリー……泣いてるのかい?」

 

 ロンの声が聞こえる。

 頬に触れてみれば、確かに暖かく濡れている。

 泣くほど嫌だったのか。信じてもいない人間が、離れていくのが。

 それは、なんて――なんて傲慢。

 自分からは愛さないけれど、他者からは愛されたい?

 どれほど救いようのない愚か者なのだろう。呆れのあまり嘲笑すら出ない。

 

「ごめんなあ、ハーマイオニー。ごめんね、ロン。ぼくは、こういう女なんだよ」

「…………」

 

 ぼう。と低い音を立てて、扉が出現した。

 ハリーが認めたのだ。自信の心の醜悪さを。

 あれを開ければきっと次の試練へ、もしかすると石のもとへたどり着けるのだが、誰もその場を動こうとしない。ハリーの独白は、まだ終わっていない。

 

「嬉しいとか、腹が立つとか、楽しいとか、哀しいとか、君たちと過ごした一年でいろいろと感じてきたけどさ。好ましい、だとか。頼りになる、なんて。そういうのも感じたよ」

 

 すっかり言葉を失った、仮初の友人二人が佇む。

 ハリーは彼らがそれを聞いているのかいないのか、確認もせずつらつらと言葉を述べる。

 

「でもさ」

 

 そう切って、そこでハリーは二人へ顔を向けた。

 泥のように濁った瞳には、自嘲の色すら浮かんでいない。

 ハーマイオニーはここで確信した。

 彼女は、自分にすら信用を置いていないのだと。

 この世界で彼女が信じるものはなにもないのだと。

 

「友情だとか愛情だとか、そういうのは感じたことがなかった。おかしいかな? グリフィンドールの仲良し三人組なんて呼ばれていたのは知ってたけど、それを聞いてもなんとも思わなかったんだ。その通りだ、と誇ることも。冗談じゃない、と嗤うことも。何にも。なーんにも、だ」

 

 とぷ、と涙が零れてしまえば、もう止まることはない。

 ハーマイオニーは小さく嗚咽を漏らして泣きながら、ハリーの独白を聞き続けた。

 ロンは口を開いて呆けた顔のまま、涙を流して心中を吐露するハリーを見続けた。

 

「ああ、ここで帰ってもいいよ。ここから先はぼくがやることだし、もう十分役に立ったから」

 

 ずっと続くだろうと。

 大人になっても時折会って、思い出話で笑いあうだろうと。

 子供ができて親になって、互いの息子や娘の自慢でもするだろうと。

 そう思っていたのだけれど。

 それは夢に過ぎなかった。

 

「じゃあ、さようなら。また明日、学校でね」

 

 事もなげに、そう言い残して。

 ハリーが扉へ歩み寄り、ドアノブへ手をかけようとした、

 その時。

 左腕をぐいと引っ張られて、ハリーは後ろ向きに倒れこんだ。

 あまりに力が強かったのと予想していなかったこと、そしてハリーが軽すぎたことが原因だ。

 床に寝転がる羽目になるのを阻止したのは、引っ張った張本人であるロンだ。

 ロンに抱えられたまま少し驚いていたハリーは、殴られるかな、と思っていた。

 しかしロンから出たのは拳ではなく言葉だった。

 

「あ、ごめんハリー。強く引っ張り過ぎた」

「別にいいよ。でも離してくれないかな、女の子にこれはセクハラだぞ」

「許してくれよ。友達だろう」

「だから友達じゃないって」

 

 この期に及んで何を言い出すのだろう。

 怪訝な顔をしてロンの顔を見つめる。

 いつものロンならば照れて目線をはずすのだが、この時ばかりは違った。

 

「じゃあ、さ。ハリー。今からでも友達になろうよ」

「…………、……は?」

 

 こいつは。

 話を聞いていなかったのか?

 

「……何を言ってるんだ。この一年、君たちに友情を感じなかったって言ってるだろう」

「じゃあ、来年は?」

 

 来年?

 言われていることを理解できていないハリーに、ロンは言葉を紡ぎ続ける。

 

「再来年は? 四年生になったら? 五年生になって、六年生も七年生も一緒に過ごして。そうしたら、心境も変わるかもしれない」

「変わらないと思うけれど」

「変わるかもしれないじゃないか。試す価値はあるだろう」

 

 何なんだこいつは、本当に馬鹿なのか?

 怪訝な表情を崩さないハリーを見ているのかいないのか、燃えるような赤毛の男の子は言う。

 笑顔で。難しいことはさっぱり考えていないような笑顔で。

 

「なんだったらホグワーツを卒業しても、一緒にいようよ」

「……、…………」

 

 それは。

 それはちょっと。

 気恥ずかしいセリフだ。

 まるでプロポーズそのものではないか。

 ハリーは自分の顔が耳まで赤く染まっていくのを感じた。

 

「んなっ、なに言ってんだよ! バカか君は!」

 

 ロンの腕の中から離れようと慌てふためくハリーを、今度はハーマイオニーが抱きしめた。

 ついに完全に拘束されてしまった。

 などと、焦燥が一回転して冷静になっているからと言って茶化している場合ではない。

 ハリーは先ほど、憎まれても仕方ないほどの告白をしたのだ。

 なのに彼女はなぜ、わんわん泣きながら抱きついてくるのだろう。

 

「はりぃ。ああ、ハリー。あなた、あなたなんて子なの! もう、信じられないわ!」

「……失望させて悪いねハーマ――」

「そうじゃないわよバカ」

「――イオにゃー?」

 

 ハーマイオニーの指がハリーの頬をつまみ、きゅっと引っ張った。

 無駄な肉どころか必要な肉すらないハリーではあまり柔らかくなかったが、それでも構わずひっぱるため、むにっと変な顔になってしまう。

 なにをするんだという抗議を視線に乗せて飛ばすと、また彼女が泣いてしがみついてきた。

 どうしたものか。ロンを見上げてアイコンタクトを試みるも、目をそらされる。役立たずめ。

 

「ぐずっ、うう。ひっく。はりーぃ。あなた、ばかじゃないの。ほん、ひぐ。ほんとに、ばかよ」

 

 ハーマイオニーが涙と洟をローブで拭うと、ぼろぼろの顔のままハリーの目を見つめる。

 泣きすぎて赤く充血しているが、その気迫は本物だ。

 本気で怒っていて、かつ本気で悲しんでいる。

 

「は、リー。あなたね。あなたが私たちを信じられなくても、私たちはあなたを信じてるわ」

「……、……おいおい。そういう冗談はシャレにならないって」

「この私が。この状況で、そういう嘘を言うとお思いかしら」

「…………いや、」

 

 そうは、思わない。

 なぜなら。

 同じ寮であり、同室であり、『友達』であり、

 そして……、そして、なんだ?

 ハリーにとって、この子はなんだ?

 

「ロンの言うように。一年間でダメなら二年間、二年間でダメなら三年間つきあって、もっと長い時間でもつきあって。それでゆっくりと友達になっていけばいいのよ。時間はまだあるの。私たちには、まだいっぱいあるの」

 

 ハーマイオニーが抱きしめてくる力が強くて苦しい。

 さっぱり理解できない。

 いったい、なぜ。彼女らは、こんなにも。

 ぼくを繋ぎとめようとする?

 

「……なんでだ?」

「え?」

「ぼくは君達を友達だとは思ってなかった。なのに君達はどうしてぼくに構う?」

 

 ハリーが心の底から感じた疑問に対する返答は、二人の困ったような、それでいて呆れたような笑顔。ハーマイオニーが抱きしめる力を強め、頬ずりをする。二人の体重を支えているロンの腕も、力が増してぎゅっと抱きしめられているようだ。

 困惑したハリーの頬にひとつキスをして、ハーマイオニーは言う。

 

「そんなの。私たちがあなたを友達だと思ってるから。理由なんてそれで十分じゃない」

「理由になってないよ」

「いいのよ、そんなもので。一年前の私はそれすら分かってなかったけど、これを教えてくれたのはあなた達なのよ、ハリー」

「……?」

 

 さっぱり理解できない。

 ひとつ呟いて、ハリーは二人を押しのけて立ちあがった。

 

「もう、ハリー。待ってよ、一緒に行きましょう」

「ほら、ハリー。僕らを置いていくんじゃないぞ」

 

 そうすると、ハーマイオニーとロンもハリーの隣に立つ。

 立って、共に歩く。

 ハーマイオニーが左腕を抱きしめてきて、ロンが肩に腕を置いてくる。

 二人ともハリーより背が高いので、かなり歩きづらい。

 特にロンだ、こいつは腹が立つほどノッポなので、やろうと思えば立ったままハリーの頭に顎を乗せる事も出来るだろう。ハーマイオニーもハリーより幾分か背が高く、腕に抱きつかれているとは言っても、まるで持ち上げられているかのようだ。

 扉まで行くにも一苦労。

 両手が塞がれているので、また苦労。

 次の試練に至る階段を下りるのも、大変な苦労。

 だけど。

 それでも。

 なぜだろう。

 悪い気は、しなかった。

 

 三人は団子になって階段を降りようとしたため、ロンがハリーの足を踏んだり、ハーマイオニーがハリーにぶつかったりと本気で鬱陶しくなったため、手を繋ぐことで妥協させた。

 まるで小さい子供のように三人並んで階段を降りてゆく。

 魔法を用いて石を切って作ったのだろうか。今まで石畳のように丸みを帯びた石を敷き詰められていた床は、灰色の美しいなめらかなものになっている。

 次の試練へと至る階段も、妙に長い。

 ひょっとすると先ほどの悪辣な試練が、最後の試練だったのかもしれない。

 そう思ったハリーは、二人に一言注意を言って懐から杖を取り出して構える。

 三人の間に緊張が走った。

 もしかすると。居るのだ。

 この扉の向こうに、闇の帝王の眷属が。

 

「……、……」

「ハリー。落ち着いて。急く気持ちもわかるけど、落ち着かないと勝てるものも勝てないわ」

「…………わかってる、つもりだ」

 

 ひとつ。頬を伝う大粒の汗をぬぐって。

 柔らかな黒髪の下で獰猛に光る明るい緑の目を細めて、口の端を吊り上げる。

 この一年。

 奴を殺すことを夢見てきた。

 ヴォルデモートのことは、正直言って恐ろしい。

 心の声が決してその名を呼ばなかったことからもわかる。

 だが、それでも。

 殺したい、嬲りたい、侮辱したい、凌辱したい、蹂躙したい、貶めたい。

 そういった悪の感情を心の奥底で煮詰めていたハリーは、歓喜の気持ちでいっぱいだった。

 そうはいってもヴォルデモート本人がこの先で待っていることは、まずないだろう。

 居るのは奴の賛同者か、手下。はたまた信奉者か。

 構わない。

 やることは変わらない。

 無残に、容赦の欠片もなく、持てる力のすべてを以って、

 

「殺すだけだ」

 

 呟きと共に、扉が開け放たれる。

 心配そうな二人の視線を無視して、ハリーは部屋中に杖先を向けて調べた。

 誰もいない。

 まだ試練は続くのか、と思って部屋に入った、

 その時。

 

「やっと来た」

 

 男の声がした。

 急いで振り返り杖先を向けるも、そこには誰もいない。

 ハーマイオニーとロンも遅れて杖をあちらこちらに向けるが、部屋の中には三人以外に人はいない。せいぜいが部屋の隅に小汚いネズミや蜘蛛がいるくらいだ。

 声はすれども姿は見えず。

 魔法界ではもっとも注意すべきことの一つとされている現象だ。

 

「誰だ! どこにいる、姿を見せろ」

「ハリー! 落ち着いて!」

 

 適当な場所に呪文を撃ちこみながら、ハリーは叫ぶ。

 血走った眼は誰が見ても冷静さを失っていることは明らかだ。

 その様子を見ているのか、声はハリーの醜態を嗤う。

 

「ひどい形相だ。女の子のものとは思えないね、ハリー」

「いいから姿を見せろッ! 会話なんてする気はない! 早く出てきて、早くぼくに殺されろ!」

 

 またも適当な場所に失神呪文を放ち、鈍い音を立てて石壁を抉る。

 癇に障る声がまたも部屋中に響き、ハリーを嘲笑う。

 しかし、この声。聞き覚えがある。

 誰だったか――いや、しかし。そんなはずは。

 ふっと脳裏に浮かんだ顔を否定する。彼がここにいるはずはない。

 彼のように気の弱い人物が、ヴォルデモートの手下?

 ばかな。ありえない……。

 

「ああ、ハリー・ポッター。どうしたんだい、いつもみたいな勇敢さを見せておくれ」

「ッ! そこかあッ!」

 

 声が発せられる方向がわかった。

 姿は見えずとも、何も相手は空気というわけではない。

 ならばその方向へ広域に散らした魔法を放てば、少なくとも相手には当たるはずだ。

 その考えのもと、ハリーは単純に広範囲へスプレーするように杖先から魔力を射出した。

 果たして判断は正しかったのか。

 ハリーが抉った柱の陰から、黒い影が飛び出した。

 天井を舐めるように跳ぶ影に向かって、狙い違わず失神呪文が放たれる。

 予測進路上、ジャスト。誤差は有れど胴体には命中するはずだ。

 当たった! と確信した途端、相手が小さく呟いて発動した盾の呪文によって赤い閃光は弾き飛ばされ霧散してしまった。舌打ちをするハリーを苛立たせるように、影は音も立てずにふわりと着地する。

 そして小馬鹿にするように、ハリーに向けて優雅に一礼した。

 

「お見事。でもハリー、君はここに来ちゃいけないんだ」

 

 その姿を見て。

 その声を聴いて。

 ハリーは自分の根幹を揺さぶられたと思うほどに動揺した。

 

 怪人の元へ墨を水で溶いたような闇が集まり、ローブとなる。

 ――フードを目深に被った、闇のようなローブ。

 綺麗になっているが、あの禁じられた森で見た時と同じものだ。

 怪人は長い礼を終えて、芝居がかった仕草でゆっくり顔をあげた。

 ――闇の中で鈍く輝く白く禍々しい、髑髏の仮面。

 話に聞いたことがある、あの忌々しい白骨のことは。

 

「……まさか、そんな」

 

 ハリーが半歩、一歩と後ずさる。

 殺す殺すと息巻いていたハリーの怯えた姿に、ハーマイオニーとロンが驚いた。

 驚いたと同時、ローブ姿の髑髏仮面に杖を向けて睨む。

 二人のハリーを想っての行動は、ハリーの目には映らなかった。

 信じられない。

 悪い冗談だ、と。夢ではないだろうか、と。

 しかしこの場で現実逃避をすることは、死にも等しい愚かな行為。

 歯を食いしばるようにしてハリーは、自分に気合を入れるため髑髏仮面を睨めつけた。

 

「……ここに居るのが君だとは、全く思っていなかった。なんで、何でなんだ」

 

 白い手が、自らが被る仮面に手をかける。

 髑髏が剥がれ、黒い髪の下に隠れる顔が見える。

 

「……なぜ、君がここにいる!」

「ハリー、君はここにいちゃいけないんだ。これ以上減点されたら困るだろう?」

 

 嗤いながら、彼は仮面を脱ぎ捨てると同時、その勢いでフードが外れる。

 捨てられた仮面が甲高い音を発して割れ、同時に白い魔力となって空気中に霧散する。

 硬質な音にまぎれ、ハーマイオニーとロンの息を呑む音が部屋に響いた。

 今までの人生で、ここまで驚いたことはなかっただろう。

 そして同時に、ここまで失望した気分も味わったことはなかった。

 ハリーは憎悪と困惑、そして怒りを込めてその名を叫ぶ。

 

「なんで、君なんだ! ――ネビルッ!」

 

 闇より深い漆黒のローブを揺らし、髑髏の仮面より禍々しく嗤う。

 最後の試練の間に現れたのは、誰あろう、ハリーの知る限り最も優しいグリフィンドール生。

 ネビル・ロングボトム、その人であった。

 




【変更点】
・マグル学の試練。純血主義者とか来たら死にそう。
・占い学の試練。我は汝、汝は我。
・ハリーの闇。十年で負った心の傷は、一年では治らなかった。
・絶望しろんぐぼとむ。

【賢者の石への試練】
・第七の試練「マッドなマグル学」バーベッジ教授&バブリング教授
 マグルのやり方に従ってメモ通りの買い物をしなくてはならない。ただしメモに書かれているのは古代ルーン文字であり、解読する必要がある。
 元々マグルの知識を持っていないと絶対にクリアできない試練。ハリー達にとって楽だっただけ。

・第八の試練「弱くて強い心」トレローニー教授&ダンブルドア教授
 自分の弱い心をきちんと認めなければならないという、それだけの試練。
 ハリー達は三人で来たため、互いに一番醜いところを知られてしまう結果となった。
 ロンは目立ちたい願望、ハーマイオニーは容姿のコンプレックス、ハリーは人間不信。
 HMDのハリエットちゃんは、奇しくも若き日のトム・リドルと同じ闇を抱えています。

試練も次で最後!やったねハリーちゃん、絶望がやってくるよ。
寮の談話室で三人を止めるというネビルの出番が削られていたのはこのため。
次回はネビルとの戦闘。私は対人戦闘を書くのが一番好きです。目指せスタイリッシュ!

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