ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

14 / 64
14.最後の試練

 

 ハリーは、杖を構えた腕が震えるのを感じていた。

 まさか、嘘だろう。悪い冗談だ、そんなはずはない、何かの間違いだ。

 そう思いたくなるほどに、彼女たち三人の前に立ちはだかった敵の正体は、信じられない者だった。

 

 ネビル・ロングボトム。

 ホグワーツの一年生で、ハリーたちと同期。

 グリフィンドール寮の生徒であり、丸顔で人懐こく心優しい、小太りな少年。

 そしてその心の内には、誰よりも多大なる勇気を秘めていることを知っている。

 ハリーたちがドラゴンに関わってしまって窮したとき、一番心配してくれていたのが彼だ。

 自分も罰を受ける羽目になってまで、警告を発してくれようとした、勇気ある少年。

 魔法薬学とその担当教授セブルス・スネイプが大の苦手で、たびたび夢の中でスネイプに襲われていることを寝言で白状してくれるのは、グリフィンドール生たちの周知の事実だ。

 薬草学が大の得意で、もしかするとその教科のみならば、学年主席は間違いないとされるハーマイオニーにすら届くという事はあまり知られていないが、それも彼の大きな長所だ。

 それが、ハリーたちの知るネビル・ロングボトムという少年だった。

 

 だが。

 なんだ、これは。

 目の前で嗤う人物は、本当にネビル・ロングボトムなのか?

 あの子の性格は、人との争いが苦手で臆病だった。

 あの子の笑顔は、ハリーですら心暖まるものだった。

 あの子の雰囲気は、人を和ませる独特なものがあった。

 どんくさくて、要領が悪くて、でも誰も彼を見捨てられないで、つい気になる。

 なのに、なんだ?

 

「いやあ。遅かったね。あの試練を越えてきたんだろ? 随分と苦労したみたいだね」

「ネ、ネビ……ル……? い、いや! 嘘よ! あなたがネビルなはずないわ!」

 

 ハーマイオニーがヒステリックに叫ぶ。

 気持ちはわかる。ハリーだって叫びたい。

 しかし今のネビルから感じる魔力は、あまりにも邪悪だ。

 禁じられた森で殺し合った怪人と、ほぼ遜色ないほどに漆黒だ。

 ハリーたちを心底蔑み、見下している。

 

「僕がネビルじゃない? それは変だなあ、僕はネビルだよ。ネビル・ロングボトム」

「嘘よ! ネビルがそんな顔できるはずがないわ!」

「分からない子だなあ、ハーマイオニー。ひょっとして君、バカ?」

「ッ! 『スペシアリス・レベリオ』ッ! 化けの皮剥がれよ!」

 

 閃くように杖を振って呪文をさく裂させたハーマイオニーが、ネビルを名乗る人物に対して《看破呪文》をかける。これは何であれ正体を隠した偽物を暴く呪文であり、変身術を使って他人に化けていてもこれ一つでその目論見は崩れ去る、高度な呪文だ。

 上級生ですら扱えるかわからない上級呪文を見事に成功させたハーマイオニーの魔力反応光が、ネビルの体を包み込む。

 そこに慌てた様子はない。

 何も変わらず、歪んだ薄笑いを浮かべたままだ。

 ネビルの体はしばらく薄紫色に光り続けたものの、結局なにも起こらずに光は霧散した。

 魔法が失敗(ファンブル)した様子ではなかった。解呪(レジスト)すらされていないだろう。

 つまり。

 奴は疑う余地もなく、本物のネビルなのだ。

 彼が敵なのだ。

 

「いやあ、ずいぶん待ったよ。はやく、早く殺したくてたまらなかった」

 

 ネビルが自身の杖を振り上げて叫んだ。

 

「『レダクト』、粉々!」

 

 彼が呪文を紡ぎ終える前に、ハリーはその場を飛びのいた。

 ハリーの今まで立っていた床が、粉々に破壊される。

 転がって衝撃を逃がしながら、ハリーは思う。

 本気だ。ネビルは本気で、ぼくらを殺す気だ。

 ならばどうしたらいい。

 決まっている。

 

「『エクスペリアームス』!」

「ハリー!?」

 

 ハリーが武装解除呪文を放ったことで、ロンが驚きの声を上げる。

 立っているだけでもつらそうなのに、それでも杖を構えたままなのは感心だ。

 だが彼の咎めるような声に、ハリーは少し不快感を感じた。

 

「ネビルはもう敵だ! 敵である以上は殺す!」

「何も殺さなくてもいいじゃないか! 友達だろう!」

「友達なんていない!」

 

 次々と射出されるハリーの呪文は、そのすべてが攻撃呪文。

 失神呪文、武装解除呪文、切断呪文、はたまた魔力の放出まで行っている。

 一片の容赦もなく絶え間なく、人殺の呪いを撒き散らす。

 その行動原理は憎悪。

 闇の帝王に対する憎悪と空虚が、彼女の体を動かす血液だった。

 その同類と思わしきネビルも、当然のこと憎悪の対象になる。

 己が身をも焦がすような殺意をばらまくハリーに対して、ネビルは冷ややかだった。

 杖を軽く振れば、盾の呪文が効果を発揮して緻密な魔法防御障壁を編み上げる。

 ネビルにこんな魔法の実力があったとは。

 つまり今まで学校では、この膨大なパワーを隠していたということになるのだろうか。

 そうなると途端に憎らしく思えてくる。

 一生懸命やっても、生来のどんくささで失敗してしまう。わざとではないから応援したい気分になっていたのだ。それがすべてわざとだとしたら、今までかけられてきた小さな迷惑の数々も酷いしこりとなってイラつかせてくれる。

 怒りの感情は魔法をブーストさせる。

 女の子がしていい表情をはるかに振り切って、憤怒の形相でハリーは魔力弾を放った。

 

「……おっと、これはまずい」

 

 普段のおっとりした響きが全くないネビルの声がする。

 軽く呟いた直後、ネビルの張った障壁は打ち破られた。

 呪文そのものは当たらなかったようだが、余剰魔力によって吹き飛ばされる。

 ネビルの体が床で数回バウンドしながら、壁に叩きつけられる。そのせいで肺から空気が逃げたのか、激しく咳き込んだ。

 そこをハリーは見逃さない。

 騎士の扱う剣のように鋭く杖を突きだしたハリーの唇から、呪文がこぼれる。

 

「『グンミフーニス』!」

 

 杖先から勢いよく飛び出した光の縄は、ネビルの首に巻きついた。

 彼がはっとした顔をするが、もう遅い。

 設定を少しいじったハリーによって、この呪文は今ネビルを絞首刑にする役目を担った。

 数時間前に鍵鳥相手に見せたロープアクションのときのように、杖先に縄が巻き戻る。

 それに引っ張られてハリーの小柄な体が、高速で跳んで行く。

 制止するハーマイオニーの悲鳴とロンの怒鳴り声を無視して、ハリーは空中で体制を整えて、両足をぴたりとそろえた。

 そして着地。いや、着弾とするべきか。足を着いた場所は、ネビルの腹だ。

 折角吸い込んだ肺の空気をすべて吐き出し、それどころか胃の中身まで吐き出して、内臓もいくつか痛めたのか赤いものも吐き出した。

 吐瀉物を避けるようにネビルを蹴って床に降りたハリーは、首に縄を巻きつけたまま杖を振った。

 杖の動きに連動して縄も動き、膝をついていたネビルを無理矢理に引っ張る。本来であればハリーの非力な腕力ではできないが、魔法がそれを可能とする。この魔法は元来が犯罪者の捕縛目的で使われるものだったが、用途としては身動きの取れなくなった者を縛り上げるだけではなかった。逃げる敵を捕まえて、引き寄せることにも使われた。

 それを悪用したのが、この光景だ。

 ハリーが杖先を動かすと、パワーアシストされた縄が捕縛されたネビルを引っ張る。倒れ込んだ状態から無理矢理引っ張られたので体勢を崩して倒れ、ハリーのもとへと勢いよく床を引きずられてゆく。そしてハリーのいる場所を通り越して、反対側の壁まで放り投げられた。

 壁からずり落ちるネビルは苦悶の声を上げている。首を絞められているうえに、壁に叩きつけられたことによる全身へのかなり強い衝撃。骨が数本折れていてもおかしくはない。

 完全に殺害目的の攻撃である。

 

「だめよ、ハリー! ネビルを殺しちゃだめ!」

 

 ハーマイオニーが絶叫する。

 彼のような心優しい人物がこのようなことをするからには、相応の理由があるはずだ。

 ならばそれを聞かなければいけない。

 それ以前に、ハリーに人殺しなどという重すぎる罪を背負わせたくない。

 ハリーはそう思っていなくとも、こちらは彼女を大事な友だと思っているのだ。

 それゆえに、止めなければならない。

 

「もうネビルは動けないわ! それ以上攻撃しちゃ、だめ!」

「だまれ!」

 

 追撃しようとする姿に制止の声を投げかけるが、それは絶叫により遮られた。

 ハリーの鋭い叫びは、声も裏返って全く余裕のないものだ。

 憎悪と興奮とで、精神が高ぶり過ぎているのだろう。

 

「殺す! こいつは殺す! 『あいつ』に与したんだ! ならアズカバンは必然だろう、だったら殺したっていいだろう!」

「おいハリー! ハリー! ハーマイオニーの話聞いてるのか!?」

「殺す!」

「だめだこりゃ聞いてないぞ!」

 

 壁に背を預けて項垂れていたネビルが、ぴくりと反応して急激に走り出す。

 まるでアッシュワインダーのように素早く移動するネビルめがけて、ハリーが聞き取りづらい発音で呪文を叫んだ。杖先から飛び出した魔力反応光から察するに、切断呪文か。連続して複数の呪文を放ち続けるハリーの姿は、よく言って鬼気迫るという風で、ロンたちから見れば逆に追い詰められているようにしか見えなかった。

 ハリーの凶行を止めたいが、戦闘中に無理に止めたりすると下手をしたらハリー自身が危ない。もちろん彼女の放つ呪文がハーマイオニーやロンに当たるという可能性もあるので、どちらにしろ言葉でハリーを止めるしかない。

 部屋の隅まで走り切ったネビルめがけて、好機とばかりにハリーが武装解除呪文を放つ。

 しかしネビルは如何なる呪文を用いたのか、はたまた魔法具を用いているのかわからないが、部屋の隅に辿り着いたネビルは、その勢いのまま壁を駆け上がっていった。

 ジャパニーズコミックに出てくるニンジャめいた光景に一瞬驚くも、《身体強化魔法》というものを会得しようと勉強していたために納得して、驚愕はすぐに引っ込めて殺意を前面に出す。

 しかしあの魔法は、ハリーも未だに習得の目途が立たない魔法だ。まだ骨格どころか内臓すらしっかりと形成されていない、十一歳という幼い体で身体強化魔法を行使するのは、あまりにも無茶である。特にハリーは女性であり、初潮もまだ来ていない。生理不順で済むならばまだマシだ。下手をすれば、内臓に異常をきたして子を成せなくなる可能性もある。

 現段階では恋愛だの友情だのに全く興味を示せないハリーも、この一年をハーマイオニーやロンと過ごした結果、少しは心境に変化があったのだ。だからこそ先ほどは異常なまでに動揺し、一度は嘘をついてでも否定しようとした。もしも将来自分に愛する人ができて、彼の子を産みたいと願ったところで後の祭り。などという状況は避けたいとハリーは思ったのだ。

 だが、ネビルはそれを使用している。

 技術的にも身体的にも、ましてや魔力的にも知識的にすら彼にはその魔法に追いついているとは思えない。これはいったいどういうことなのだろうか。闇の帝王のしもべたる彼にかかれば、その程度は造作もないといったところなのだろうか。

 いや、そんなはずはない。

 彼も十一歳の子供であることは変わらないはずだ。

 いったい、なぜ。

 

「避けろハリー! 上だ!」

 

 ロンの鋭い声が、ハリーの頭を包んでいた疑念の霧を打ち払う。

 言われた方向を見る暇もなくその場から飛び退けば、ハリーが今までいた場所に轟音を立ててネビルが着地した。体勢を立て直しながら見てみれば、恐ろしいことに石畳が蜘蛛の巣状に割れている。あんなものが直撃したら、ハリーの柔らかい体など容易くミンチと化すだろう。

 転がった状態から起き上がりざまに、ネビルのいる方向に向けて魔法を放つ。

 

「『ステューピファイ』!」

「『プロテゴ・トタラム』! おぅい。どうしたハリー、君はその程度なの?」

 

 ハリーが全力で放った赤い閃光は、ネビルの張った障壁の前にあっさりと霧散する。

 やはりだ。やはりおかしい。

 今の呪文は、盾の呪文の上位スペルだ。

 彼は、ネビルは闇の魔術に対する防衛術が苦手だったはずだ。

 それなのに、ハリーにもハーマイオニーにも使えない呪文を先ほどから平然と使用している。

 それとも、これが闇の魔法使いが誇る力なのか?

 

「くっ、そ……ッ! 『アグアメンティ』! 『グレイシアス』!」

「『ラカーナム・インフラマーレイ』!」

 

 ハリーは水を凍らせた即席の弾丸を放ったが、ネビルの炎魔法にすべてが溶かされる。

 絶対におかしい。今の魔法にはかなりの魔力を込めたはずだ。

 それをいともたやすく。しかも、二度も。

 魔力をだいぶ消費したハリーが玉のような汗を流し、肩で息をしている状態なのに対してネビルの顔は涼しいものだ。

 今も身体強化魔法を使ってこちらに駆け寄ってくるほどには元気があるらしい。

 

「くッ!」

「ほォら、避けてごらん!」

 

 ハリーの数メートル手前で跳んだネビルは、三角跳びの要領で天井を蹴ってハリーのいるところへドロップキックを放ってきた。あまりの速さに回避が間に合わないと判断したハリーは、両腕を交差して顎や心臓の付近をガードする。

 車に衝突されたかのような衝撃が走る。蹴られたところが熱い。もしかすると折れてしまったか、ひびでも入ってしまったか。

 大きく吹き飛ばされたハリーは床にぶつかる際、転がることで衝撃を逃がして更なるダメージを避けた。格闘技の覚えはなかったはずだが、ダドリーの見るプロ格闘技の試合を見て覚えていたのかもしれない。やろうと思って即座に実行できたのは幸いだった。

 転がる最中に姿勢を直して起き上がっても勢いは残っていたのか、靴底を削りながら壁まで押し流される。背中にドンと衝撃を感じると同時、最大限の魔力を込めて両手で杖を構えた。

 特徴的な魔力反応光だ、ハーマイオニーなら気づくだろう。

 ……できれば巻き添えを避けてほしい。

 

「『インッ……センッ、ディオォ……ッ!」

「ろ、ロン! 私の後ろに隠れて! 『プロテゴ』! 『プロテゴ』! 『プロテゴ』! 三重の盾よ、防げ!」

 

 ハリーの力がこもった詠唱によって何をするかを察知したハーマイオニーが、盾の呪文を三重に唱える。

 半透明な盾が重なって出現し、ハーマイオニーとその後ろにいるロンを守る。

 盾の呪文はただでさえ、大人の魔法使いでも使えない者がいることからもわかるように、緻密な魔力コントロールが必要となる高難易度の呪文だ。

 それを三度も連続で行使できると言うのは、恐ろしいことである。

 だがハリーは、彼女がそれを出来ると確信していた。

 なればこそ、遠慮はいらない。

 

「……マキシマ』ァァァアアアア――――――ッ!」

 

 真紅の中にイエローとオレンジが混じった、まるで炎のような魔力反応光が杖先から噴き出す。

 閃光は瞬く間に部屋を横切り、ネビルにその着弾を気付かせないまま彼の体を火達磨とした。

 熱さを感じた時には、すでに全身に炎が燃え広がっている。

 ネビルはすぐに鋭い悲鳴を上げて床に転がるが、効果があるようには思えない。

 それもそのはず、『インセンディオ』系統の上位種たる先の呪文は、燃焼に重きを置いた進化を遂げている。転がった程度で消せるのならば、先人の労苦が報われまい。

 やっとの思いで炭と化す定めのローブを脱ぎ捨てたネビルが頭を上げた時、すでにハリーが杖を突きつけている光景を見ることになった。

 

「『エクス、ペリアァームス』ッ!」

 

 弾くような軽い音と共に、ネビルの持つ杖が彼の手から離れた。

 彼の杖は空中で幾度か回転しながら、ハリーの手の中に納まった。武装解除呪文は本来、魔力運用がしっかりしていれば相手の武器を奪う事も可能な魔法である。しかしそこまで緻密な魔力操作を行うには、戦闘中という精神状態の安定しない場においては相当な集中力を要する。

 つまり。ハリーは今現在。勝利の安堵と殺人への暗い歓喜によって、異様なまでに落ち着いており、静かな凪ぎの心を持っていた。

 身体を半身にし、杖先をネビルの喉に向けている杖腕を前に、奪ったネビルの杖を持つ手を、己の体を挟んでネビルに届かない位置に動かした。

 跪くネビルに対して、杖を突きつけるハリー。

 その状態を好機とみて、ハーマイオニーが動いた。

 

「『グンミフーニス』、縄よ! 『フェルーラ』、巻け!」

 

 魔法縄での拘束。

 杖がない以上、これでネビルは自分からは全く身動き取れない状態となった。

 眼前の獲物が、唐突にボンレスハムとなったことでハリーは驚き、ハーマイオニーを見る。

 ハリーがネビルを殺すつもりだと知った時から泣いていたハーマイオニーは、今やあふれる涙をローブの袖で拭いながらも気丈に杖を構えている。

 とどめを刺しやすいようにした、というわけではないだろう。

 しかし。それでも聞いておきたい。

 

「ハーマイオニー。なぜ拘束を?」

「だって、ハリー。あなたネビルが危険だから殺す気なんでしょう? だから、無力化したわ。それなら、殺す必要はなくなるわよね」

 

 冷たい汗を流してハリーの様子をうかがう。

 明るい緑の瞳は濁りきっていて、そして漆黒の殺意が溢れだしている。

 ハーマイオニーは寝室で、ハリーがダーズリー家で受けた虐待の傷跡を幾度となく目の当たりにした。それは肉体的にも、そして精神的にも傷だらけであった。

 学校に来たばかりの頃は着替えの際に痛々しい痣が見え隠れしており、風呂に入る際に彼女の裸身を見れば、栄養失調を疑うほど痩せ細っていた。普段の言動にもどこか生に飢えた異常性が散見されており、一度激昂すれば野生動物さながらの獰猛さを見せる。孤独でささくれ疑心で歪んだ、濁ったような瞳もまた特徴的だった。

 更に言えば、基本的に欲がない。恋愛に関する話は女の子という名の魔法生物の主食であるため、夜の女子寮では時折そういった情報交換会が行われる。皆がきゃあきゃあ騒ぐ中、彼女は全く興味を示さない。今思えば、先の試練で発覚した『誰も信用できない』という彼女の心の闇がそうさせているのだが、甘いお菓子にも興味を示さず、クィディッチ以外の娯楽にも食指が動かず、ホグワーツのご馳走も単純に栄養摂取としてしか見ていなかったように思える。

 そしてそうなってしまったほとんどの原因が、ダーズリー家の人間だ。

 近年では諦観が先に立って何も感じない人形のようになっていたが、それでも憎んではいたし、可能ならば殺してもよいのではとも思っていた。

 だが、それも叶わなくなった。

 魔法を用いれば、いとも容易くえげつない責め苦を与えられるだろう。

 実際に殺人を犯すにはリスクが高すぎるためにやらないとしても、いつでもそいつを殺せるという優越感は、いけないと思いながらも彼女の精神を非情に安定させていた。

 そういった暗い安寧を抱いていたというのに。彼女を虐待していた側の一人、ダーズリー夫人たるペチュニアの変貌がいけなかった。

 ハリーが自身を魔法使いだと知った後。魔法に怯えているとも取れるが、彼女はまるで開き直ったかのようにハリーに対して、ごくごく普通の接し方を始めたのだ。まるで今までが間違いだったかのように、抑圧されて凝り固まっていた、彼女の中の何かが取り払われたかのように。

 それがいけなかった。

 彼女を心の底から憎めなくなってしまったのだ。

 憎悪という感情は、殺意という意思は心の中に降り積もってしまった。だが、それを向ける相手がいなくなってしまう。それは困る。困るが……どうしようもなかった。

 そしてハリーは、ヴォルデモートへの殺意を煮詰め、滾らせた。

 今までのことはすべて奴が引き起こした、意図的な人災。

 ただでさえ歪んでいた彼女の心は、一見正常に見えるほど完全に捻じれ曲がった。

 それが、その結果が、この目だ。

 泥のような瞳。

 ハーマイオニーを無言で見つめている、その瞳だ。

 

「そうだね。ここまで縛られちゃ、脅威ではないね。杖もぼくの手にあるし」

「そ、そうよ。もうネビルは危険じゃないわ! 殺さなくってもいいのよ!」

 

 納得したようなハリーの一言に、ハーマイオニーは喜んだ。

 が、その喜びも直ちに霧散する。

 ハリーには杖を下す様子が全く見られないからだ。

 

「でも、殺す」

「ハリー……!?」

 

 表情が歪む。

 これは、いけない。

 ハリーはネビルを無力化するために殺すのではなく、殺すために殺すつもりだ。

 憎悪と焦燥が先行し過ぎて、状況判断がまともにできていないのか?

 こうなったらハリーを拘束してでも止めないとだめかとハーマイオニーが思い始めた時、ロンがネビルに声をかけた。

 

「なあ、ネビル……。嘘だよな? 君が、よりにもよって君が死喰い人なんてありえない」

「……、…………」

「ネビル。答えておくれよ。なんで君は、こんなところにいるんだ?」

 

 ロンは何か事情を知っているのか。

 ネビルは、ネビルだけは、何があろうと闇に染まることなどありえないと断じている。

 そこに何があったのか、マグル出身の少女二人にはわからない。わからないが、ロンとネビルは生粋の魔法族出身であるために通じ合うものがあるのか、それともこの二人だからわかるものがあるのか。理由は定かではないが、ロンの呼び声にネビルがぴくりと反応したように見えた。

 

「ネビル! どうして死喰い人なんかになったんだ!」

 

 ロンの悲痛な叫び。

 それが届いたのか、どうなのか。

 ネビルの唇がめくれあがり、異様な笑顔を作った。

 そして、言う。

 

「ハリー、君はここに来ちゃいけないんだ」

 

 先ほどと寸分違わぬ台詞を吐く。

 バカにしているのか、とロンが激昂して胸倉を掴みあげるも、怪我の痛みで手を添えただけのようになってしまう。

 ロンがネビルの顎を掴み、真面目に答えろと叫ぶがそれでもネビルはにやにやと恍惚に満ちた笑顔を引っ込めようとはしない。

 杖を突きつけたままのハリーが魔力を練り始めた。どうやら待ちきれないようだ。

 決して、彼女を人殺しにしてはならない。先の試練で彼女の心の闇を知り、完全に仲違いする覚悟でハリーに杖を向けようとハーマイオニーが決心した、

 その時。

 

「……まッ、待って! ハーマイオニー! ハリー! 見て、見てよ!」

 

 何事かと驚いた二人に、ロンはネビルの顔をよく見るようにと言う。

 訝しげに二人がネビルの顔を覗き込む。

 

「へらへらと笑っている。殺してやりたい」

「お団子鼻が可愛いけど、ちょっと太り気味だわ」

「違う、そうじゃない。そうじゃないよ二人とも。目を見てくれ、ネビルの目だ」

 

 ハリーは未だに怒りに震えており、ハーマイオニーは顔の造形を酷評した。

 だがそうではないのだ。ロンは怪我をしていない方の手で、苦労してネビルの瞼を開かせた。

 ――濁っている。

 ハリーの瞳とは、違う。彼女の瞳には希望の光が感じられない濁り方だが、ネビルの瞳は、文字通り白く濁っているのだ。焦点は合っていない。ぼんやりと杖先が灯るように眼球が発光しているのに気づいたが、これは……魔力反応光だ。

 ここで二人は、そうかと合点がいった。

 眼球から漏れ出る魔力反応光は、脳にまで魔法効果が及んでいる証だ。それも、魔法式で定められた必要魔力よりも多くの魔力が込められている。魔力を逃がさなければならないほど過剰に。

 これはどういうことか。

 ハーマイオニーがその特徴に気付いた時には、既にロンが声を張り上げていた。

 

「ネビルッ! 君がそのくそったれな呪文に負けちゃ駄目だ! 心を強く持て!」

「君がここにいちゃ……、いちゃ、いけ、な、……ううう……」

「ネビル!」

「ロ、……リー、いちゃいけない、いけない、ロン、いけいけロンないなななロロロロンン」

 

 流れがおかしくなってきた。

 ここにきてようやく、ハリーは溢れ出るような殺意を納める。

 ネビルは敵だ。ヴォルデモートの部下、死喰い人(デスイーター)だ。

 特徴的なあの衣装は、まず間違いなくそうであるはずだ。だが、これはなんだ? ハリーにあっさりと敗北を喫し、そして拘束されてもなお笑顔で有り続ける異様な姿。そして、まるでハリー以外の人物が見えていないかのように靄のかかった瞳。

 明らかに正気ではない。

 そして、自分の意思をも持ち得ていない。

 

「そうか、服従の呪文か……!」

 

 ぽつりとハリーが呟いたのが、答えだった。

 ――《服従の呪文》。

 許されざる呪文として知られる魔法であり、これを使おうものならば魔法界最低最悪の大監獄アズカバンへの収監はまず確実とされる、魔法使い最大の禁忌。

 《磔の呪文》、《服従の呪文》、《冒涜の呪文》、《簒奪の呪文》、そして《死の呪文》。

 それらの魔法を扱うには闇の魔術への適性と、闇に染まった心、そして強大な魔力を要する。

 今回の《服従の呪文》に限っては、相手を屈服させたい支配したいという強い気持ちも必要とされる。

 そのような魔法を使えるからには、ネビルを服従させた術者はよほど我の強い人間か、または性根が捻じれ曲がった人間と予想される。

 さておき、ネビルの襲撃が自分の意志ではない、彼は死喰い人ではない可能性が高くなった以上は、処遇をどうするか。

 ハリーは何がなんでも殺す、という主張を取り下げた。流石に闇の魔法使いでもないのに殺害するのは無益であると理解したのだろう。

 代わりに、雁字搦めに拘束して身動き一つとれないようにしたいと願い出た。これにはハーマイオニーも同意だった。

 ロンが必死にネビルに呼びかけるものの、効果があるようには見えない。

 仕方なしにハーマイオニーがネビルに《足縛りの呪文》をかけ、ハリーが《全身石化の呪文》をかけた。

 

「ネビル……」

 

 寂しげなロンの声が、ネビルに投げかけられる。

 彼らの間にどんな事情があったのか、いまは聞こうなどとは思わない。

 いつかは彼らの方から言ってくれるだろう、というのがハーマイオニーの言だ。

 

 ネビルをがちがちに拘束したのち、ハリーたちはどうするかを話し合った。

 彼を操った者が真に賢者の石を狙っている下手人なのか。

 そしてそれに該当する可能性がもっとも高いのは誰か。

 更にはその人物はどこにいるのか。

 情報が少なすぎて意見が飛ばない中、考えることが苦手なロンが落ち着きなくあたりを見回す。

 ハリーとネビルの戦闘で、柱は抉れ壁に罅が入っているなど、ずいぶん悲惨な光景だ。

 ところどころに散見される赤いのは……、ネビルの方をちらと見て、考えるのをやめた。

 哀れな被害者から視線を戻す途中、ロンが視界の隅にふと違和感を感じる。

 あれは……?

 

「ねえ。ハーマイオニー、ハリー」

「許されざる呪文を使ってる以上、相手はまず間違いなく死喰い人で――何よ、ロン」

「だったらなおさら殺った方がいいよ。殺らなきゃこっちが殺られ――何だよ、ロン」

「うん息がぴったりなのはいいことだ。それはどうでもいいからさ、ほら。あれ見て。僕にはちょっとわからないけれど、二人ならわかるかなって」

 

 死喰い人に遭遇した場合どうするべきかと口論し始めていた少女二人が、少年の言葉に壁際を見る。すると、どうだろう。何もない。何もないはずなのだが、違和感を感じる。まるで、目で見ているはずなのに、脳みそが気づいていないような。

 ハーマイオニーがもしかして、とつぶやくのに対して、ハリーはその違和感を感じる場所へ足を運んだ。広い部屋だ、特に何の変哲もない壁にしか見えない。

 ……いや、そうではない。あれは……。

 

「ロン。……たぶんお手柄だ」

「ええ、きっとそうね。私の知ってる通りの魔法具なら、大手柄よ、ロン」

 

 先ほどまで殺す殺さないと剣呑な雰囲気だった女の子二人に手放しでほめられて、ロンの耳が赤くなる。惜しむらくはその様子を二人が全く見ておらず、見つけた謎を解明しようとしていたことか。

 ハリーは違和感を感じる場所をよく見てみる。

 戦闘の余波で周囲は瓦礫と埃だらけだ。

 違和感の一つは、これだ。この場所だけ、四角く綺麗なままなのだ。雨が降った後にどけた車の下、色が全く違うアスファルトが思い出される。それだけ違和感が酷い。

 さらにもう一つは、脳に起きた不具合のような感覚。

 気付けないようにされている、といった方が適格かもしれない。違和感のある場所に目を向けたところで、別の方向へと視線が向かってしまう。その場所を、十秒と意識することができない。これは明らかなる異常だ。そこには『何もない』ように感じてしまうが、それ以外のすべてがそこに『何かがある』ことを証明している。

 ハーマイオニーに目配せすると、ハリーにそこから離れるよう指示される。

 彼女が数歩後ろに下がって大丈夫だと判断、複雑な軌道を描いてハーマイオニーは杖を振った。

 

「『スペシアリス・レベリオ』、化けの皮剥がれよ」

 

 先ほどネビルに使った呪文だ。

 今度は効果があったようで、景色が奇妙に歪んだかと思えば、絵具を溶かすようにして背景に色が付き始める。輪郭がしっかり見えるようになり、色が着々と塗られてゆく。

 十秒ほどかけて出来上がったそれは、複数のゴブレットが置かれた台座であった。

 いったいなんだろう、と思い机の上を見てみれば、見覚えのある文字で問題が書かれていた。

 いや、『おそらく』問題なのだろう文章だ。ハリーにはわからない。

 いや、いや。それ以前の問題だった。

 ……読めないのだ。

 

「英語じゃないな。……なにこれ、カンジ? じゃあこれ中国語か?」

「……、……いいえ。日本語よ、これ」

 

 日本語。

 それは極東の島国、日本で使われている公用語。

 マグルとしては、イカレた発想を実現する高い技術力を持つ、食べ物にうるさい和の国。

 魔法界としては、十九世紀前半から魔法に携わった若い国で、独自の魔法体系を持つ国。

 妖怪なる魔法生物が近年脚光を浴びていることで、英国魔法界でも有名な魔法文化国だ。スネイプの授業でも河童というモンゴル発祥(ハリーが河童は日本産であることを指摘したところ、彼にしては珍しく自分の発言を訂正したことに教室中が驚愕した後、なぜか減点をもらった)の魔法生物を扱った。

 そんな国で使われている言語が、なぜこんなところに?

 

「……ハリー、読める?」

「……いや、ごめん。平仮名ならまだしも、漢字が分からない」

「私がある程度読めるわ。……ちょっと解読してみる」

 

 困ったときのハーマイオニーである。

 なんでも、プライマリースクールで取っていた第二言語の授業が日本語だったのだとか。

 いったいどれほどの進学校に通っていたんだとハリーが戦慄する中、ハーマイオニーがぶつぶつ呟きながら杖先を使って空中に魔法文字を描く音だけが部屋に響く。

 数分後。

 ハーマイオニーがまるで癇癪を起したかのように壁を蹴った音で二人は驚いた。

 

「ど、どうしたハーマイオニー? わからないのか?」

「落ち着きなよハーマイオニー。ほら、急いては呪文をし損じる、だよ」

「ロンは黙ってて」

「僕に対する扱いの改善を要求する!」

 

 栗色の秀才に八つ当たりされた赤毛が涙目になる中、ハリーが恐る恐る尋ねる。

 いったいどうしたのか、と。

 

「どうもこうもないわ。これ、暗号なのよ」

「暗号?」

「そう。解読しても意味を持たない単語の集まりだったから、まず間違いなく暗号よ」

 

 暗号。

 異国の言葉で、暗号。

 それは何と言えばいいのか。そう、一言で言って「悪趣味」だ。

 

「何々……ああ、子供向けの暗号ね、これ。タヌキ言葉っていうのよ」

「え、ポンポコポンがなんだって?」

「『シレンシオ』、黙れロン。文章から平仮名の『た』を抜いて読むのよ。えっと、タヌキ? かしら、これ? 青くて丸いけど多分タヌキね。とにかく、そういう暗号なの」

「――――!? ――、――――ッ!」

「流石にロンが哀れだ」

 

 埃だらけの床に直接座り込んで、ガリガリと杖で空中に文字を刻みつけるハーマイオニー。

 いっそ不気味ささえ感じるその様相をハリーたちは直視できなかった。

 顔を逸らした先、ぐるぐる巻きにされて拘束された上に石のように固められたネビルを見る。

 いまは不思議と、殺そうという気が起きない。

 なぜだろうか。あんなにも殺さねばならないと思っていたはずなのに。

 殺さなければ、自分が自分でなくなるような……そういった切羽詰まった感覚があったのに。

 どういうわけか今はネビルを見ても、いいように操られた哀れな被害者としか思えない。

 ハーマイオニーに諭されたからだろうか? ロンの悲痛な顔を見たからだろうか?

 どちらにしろ、もう自分が誰かを殺したいとは思ってないことで安心した気がする。

 ハリーが自分の思考に足首まで沈み始めた頃、ハーマイオニーが立ちあがった。ハリーは脚を思考の海から引き抜いて、彼女に声をかける。

 

「分かったわ」

「流石。それで、何て書いてあるの?」

「この出題者の性格が捻じ曲がって趣味が悪くって人をおちょくるのが大好きなクソ野郎だってことが分かったわ! ちくしょう!」

―――――(ハーマイオニーが、)―――――(畜生って言った)!?」

「ロン、声でないなら無理して言わなくていいよ」

 

 今度は台座を蹴り飛ばすハーマイオニーを見て、ハリーは不安になってきた。

 なだめすかしてどのような内容が書いてあったのか聞いてみたところ、翻訳後にもまた日本語の問いかけが出てきたのだと言うそれだけならばまだ怒らない。だがそれも五度続けばイライラも最高潮に達してしまうだろう。

 そうしてようやく英文に直す問題が出てきて、それを解けば何とそれもまた問題。

 やっとの思いで辿りついた文章を見てみれば、最初に日本語で書かれていたタヌキ言葉を縦読みしてみれば最終問題に辿りつける。という、何と言えばよろしいものか、とにかく人をコケにしたものであった。

 日本語は縦書きにも、そして横書きにしても全く違和感なく読むことができるとされる奇妙な言語だ。だからこそのギミックなのだが……実際に問題を解く側のハーマイオニーとしてはたまったものではない。

 イライラが抑え切れなくなり、ついに脚が出たというわけだ。

 

「この出題者ほんっと性根が腐ってるわ! 学生時代はいじめられっこの泣きミソだったに違いないわよ!」

「ちょ、ハーマイオニー。試練を作ったのホグワーツの教師だから。忘れてる?」

「別にいいわよそんなの!」

 

 ハーマイオニー曰くイラクサ酒の論理パズルが最後に隠されていたらしく、つまりは透明だった台座の上に乗っているゴブレットの中に注がれている酒の中から正解を選び出して飲めば、その者のみが最後の部屋へ行けるそうだ。

 論理パズル自体は、興奮したハーマイオニーによって十数分かけて今もなお解かれている。

 出題者をなじっていたのが嘘のように褒め称え、これだけ論理的なパズルが組める魔法使いがいるだなんて誰なのかしら、ぜひともお話したいわとまるで夢見る乙女のようだった。

 しかしハリーは台座の隅に、セブルス・スネイプの署名があることを見逃さなかった。見逃さなかっただけで、それを教えることはしなかった。彼女はそこまで愚かではない。

 

 ふと、気づく。

 やはり楽しい。この三人で居ると楽しいのだと。

 同時に惜しいとも思った。なぜならハリーは、この関係を捨てたのだから。

 あの時の試練で本心を曝け出した。それは人と人との繋がりを断つ、致命傷を裂く刃。

 人間の関係という繋がりは、実に脆く繊細な糸でできている。

 寄り合い結び合い、絡み合って繋がって、時や経験を重ねれば強く逞しくなる。

 関係という糸は思うよりも頑健な出来をしているが、それでもやってはならないことがある。

 切るのはまだいい。仲直りして結びなおせば、また(ひと)(ひと)は繋がる。

 捻じれ絡まるのもマシだ。根気よく紐解いて誤解を解けば、拗れても元に戻る余地はある。

 では。

 先ほどのハリーのように。

 関係という糸を焼き尽くすような、残酷で苛烈な激情を吐きかけてしまったら。

 どうなるかなど、容易な問いかけだ。関係修復の可否を問うような次元の話ではない。

 それを直せるかどうかなど愚問である。なにせハリーの場合、関係を結ぶ糸そのもの自体がなかったからだ。あるのは吐かれた火焔のみ。糸など在りはしなかった。

 

 しかしそれならば、この気持ちはなんだろう。

 二度と味わえないはずだった、この、暖かい気持ちは。

 人を殺す覚悟はしてきた。魔法を知ってから一か月、あのプリベット通りで。

 ダーズリー家での経験が、ハリーの胎内に蠢く漆黒の殺意を育んだ。

 それが産声をあげようとしていたのだ。先の殺し合いで。

 誕生は阻止された。だが生まれ出でようとした人殺しの怪物は、霧散して消えたわけではない。

 今もハリーの腹の内で蹲って、機会を窺っているに過ぎない。

 血を啜り肉を食み、爪を以って敵を引き裂こうとする絶好の機会を。

 息を潜めて待っているだけだ。

 そんなものを飼ったままで誰かと関係を結ぶなど、できるだろうか。

 ハリーの答えは否だ。

 間違いなく、どうしようもなく否だ。

 受け入れられるはずがない。人殺しに焦がれ手を赤く染めんとする女など、願い下げだ。

 

 ……だが。

 だが、二人ならどうだ?

 ハーマイオニーと、ロンなら、どう答える?

 嫌われることなど怖くない。すでにそれだけのことを言った。

 怯えられることは厭わない。己が成りたいのはそういう女だ。

 ならば。聞いてみてはどうだろう。

 恐れる必要はもうないのだから。

 

「ロン、これよ。これだわ、正解のゴブレットはこれよ」

「――。――――?」

「あらごめんなさい。まだ喋れなかったわね」

「――――ッ!? ――……すがに酷いんじゃないかなッ! あ、喋れた」

 

 二人の方を見てみれば、どうもハーマイオニーが論理パズルを解いたらしい。

 賢者の石を狙う下手人、下手をすれば死喰い人と戦う可能性もあるというのに随分とリラックスした状態で会話をしている。

 思えば先ほどからそうだ。

 命を懸けた戦いになるだろうことは知っていたはずなのに、己の命そのものを軽視しているハリーはともかく彼らまでハリーと同じく軽い態度で臨んでいた。

 何故か。考えるまでもなく、ハリーに合わせていたのだ。

 彼女を気遣い、彼女が自身の異常性に気づかぬように。

 何故だ。どうしてそこまでしてくれるのだろう。

 半ば答えがわかっていながら、ハリーは二人に向けて、

 

「……ねえ、二人とも。……ちょっと、聞いてくれるかな」

 

 一歩。

 前に踏み出した。

 




【変更点】
・服従の呪文って便利! 親世代はこんな展開が日常ですよ恐ろしい。
 呼び声でレジストされかけたのは、術者に闇の魔法への適性がなかったからです。
・ふざけるなよネビルぅっ!おいてけ!思い出し玉おいてけ!
・スネイプ先生はやっぱりひねくれてないと。こっちが本当の最後の試練。
・ハリーの告白。

【オリジナルスペル】
「アニムス、我に力を」(初出・14話)
・身体能力強化呪文。肉体を強化して戦闘向きに変える呪文。変身術に属する。
 1978年、闇祓いアラスター・ムーディが開発。守護霊並みに習得難易度の高い呪文。

「インセンディオ・マキシマ、焼き尽くせ」(初出・14話)
・火炎呪文。魔力の導火線を空中に設置して魔法火を着火するため、精密性に優れる。
 元々魔法界にある呪文。単純にインセンディオの上位スペル。

「カダヴェイル、尽くせ」(初出・14話)
・《冒涜の呪文》。詳細不明。
 1982年《許されざる呪文》に登録。暗黒時代、ヴォルデモート卿が開発。

「ディキペイル、寄越せ」(初出・14話)
・《簒奪の呪文》。詳細不明。
 1982年《許されざる呪文》に登録。暗黒時代、ベラトリックス・レストレンジが開発。

【賢者の石への試練】
・番外の試練「友と死合い」ネビル・ロングボトム
 賢者の石を狙う何者かに《服従の呪文》をかけられた学友との殺し合い。
 哀れにもハリーとの戦闘で重度の魔力枯渇になったため、ネビルは全治二週間。

・第九の試練「暗号と論理パズル」スネイプ教授
 何重にも暗号化された謎かけをクリアしなければならない、忍耐力と知恵を試される試練。
 やはり最後は彼の論理パズルでないと。ちなみに青ダヌキの絵を描いたのは教授ご本人。

これにてホグワーツ教師陣の試練は終わりです。
ハーマイオニーとロンがいなければハリーはここで殺人を犯して後戻りできなくなり、第二の闇の帝王に内定が貰えるところでした。今後益々のご盛栄をお祈りいたします。鬱ルート回避。
因みにネビルの眼の状態は、映画『炎のゴブレット』でのクラムを想像してください。
次で最後。ハリーは下手人を倒せるのか!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。