ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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5.災厄

 

 

 

 ハリーは額に包帯を巻いていた。

 廊下を歩けば、時折生徒たちから罵声が浴びせられるか、または呪文が飛んでくるか、はたまた何かを投げつけられるようになった。

 あの時からだ。あの時、決闘クラブのあの時から。

 どうやらハリーは、スリザリンの末裔のような扱いを受けているようだ。

  蛇 語 (パーセルタング)を操ることができるのが理由。そして、秘密の部屋を開いたのもハリー。生徒を襲ったのもハリー。ハリーハリーハリー、すべてあいつが悪い。

 流行り風邪のせいなのか、体が弱れば心も弱る。心身ともに衰弱し始めたホグワーツの生徒たちには、子供たちには自制心を抑える材料が必要だった。それに選ばれたのがハリーだったというだけ。ストレスのはけ口を、弱者を貶めることで自身の優位性と安全性を信じたかったのだ。

 心無い生徒たちからの誹謗中傷に、実力行使に出る者達からの攻撃。そして、敵意。

 ハリーにとってホグワーツは家のような場所で、心安らぐ城であった。

 そうだったはずだ。このような針のむしろでなければ。

 

「ハリー……」

 

 ハーマイオニーは知っている。

 ここ毎晩、ハリーが毎晩涙を流さずとも泣いていることを。

 昨年のハリーならばまだ表面上は平気でいることができただろう。

 そこそこ交流のあったハッフルパフのアーニー・マクミランや、レイブンクローの女子生徒、はたまたグリフィンドールの者からまで疑われているのだ。

 締め付けられて踏み固められた心は鋼のように固く、硬く、頑なで、どうでもよい有象無象の言葉など、彼女の心にはまったく届きはしなかった。

 しかしハーマイオニーとロンという二人の宝物を手に入れたハリーの心は、すっかりほぐれて柔らかくなってしまった。周囲に耳を傾ける勇気を得た先に待っていたのは、悪意と敵意のナイフ。どす黒い刃は心の奥深くまで突き刺さり、突き刺さる切っ先は彼女にとって大切な芯を少しずつ、しかし確実に抉っていった。

 ハーマイオニーが添い寝して、母親のように抱きしめて安心感を与えるということを思いつく前は、汗に濡れて深夜に跳び起きることもあったのだ。そういうときは決まって二人の名を縋るように呼んでいるあたり、想像したくもない酷い悪夢を見ているようだ。

 どうやら。相当、参ってしまっているらしい。

 

 翌日、ハーマイオニーが魔法史の授業で質問をするというホグワーツにおいて数世紀ぶりの快挙を成し遂げた。惜しむらくは内容が『秘密の部屋』についてで、ビンズ先生がそんなあるかどうか分からんものを信じるくらいなら寝ないで授業受けてくれないかとオチをつけたことか。

 その間、疲れから悪夢を見ず快眠できる貴重な時間を満喫していたハリーは、ひどい尿意を感じてトイレに駆け込んだ。女性は体の構造上尿意を我慢できず、男性はいくらでも我慢できるという話をフレッドから聞いたが、本当だろうか。いやどうでもいいこと考えてないでトイレに行かねば。

 我慢して意地張ってその結果、女として終わるのは流石にいささか嫌だ。

 必死な思いでハリーは廊下を駆け抜け、とりあえず目についた女子トイレに飛び込んだ。

 多少へんな匂いがするが、まぁ問題ない。

 

「よし間に合った! どれ、個室に――」

「あ・ハリー」

 

 問題大ありだった。

 トイレで仁王立ちしていたのはグレセント・クライル。

 ホグワーツ二年生の同級生にして、二メートル近い巨漢のスリザリン生。

 ……男の子だ。

 女子トイレに、男の子。二人っきり。

 しかも十二歳には思えない巨漢で、相対すれば本能的な恐怖が呼び起される。

 精神的に余裕のない状態のハリーが、尿意で身体的にも余裕がなくなればどうなるか。

 

「~~~~~~~~~~~ッ!?」

 

 甲高い悲鳴を上げたハリーは、そのままへたりと床に座り込んだ。

 何やってんだこのトロール。ついに自分の性別も判断できないようになってしまったのか。

 ってか本当に何を考えているんだここは女子トイレだぞ訴えられたら即敗北レベルなんだぞお前ほんと何しにこんなとこ来たんだよこの変態め何も考えていないんだなそうなんだな。

 驚きのあまり女として終わってしまうところだったハリーは、これを切欠にして精神的に限界突破してしまった。まるでただの女の子のように半泣きでしゃくりあげながら、クライルに罵声を浴びせ、目元を袖で拭い続ける。一部の魔法使い諸氏にはご褒美であるが、残念ながらこの場にいる者にはその様は性癖はない。

 おろおろするクライルを押しのけて現れたのは、

 

「ハリーッ! ああ、ハリー! ごめんなさいね、驚かせちゃって! それクライルじゃなくてロンなのよ! ロンであってクライルじゃないの。わかる?」

 

 人面犬ならぬ()()()の女子生徒だった。

 素っ頓狂な声をあげて驚くクライルに、何やらけたけた笑っている女のゴーストまでいる。

 声はハーマイオニーだというのに、顔は猫そのまんま。もうちょっと、こう、何とかならなかったのだろうか。例えるならば彼女のふわふわの栗色の髪に猫耳を装着だとか。尻尾も追加で装備だとか。どうにかならなかったのだろうか。

 追い詰められすぎたハリーはぷつんと頭の奥で何かが切れる音を聞いて、その場に倒れ込んだ。

 キャパシティ・オーバーである。

 

「ふにゃあ」

「きゃーっ!? ハリーが私の顔を見て倒れたわ!? ロン、ローンッ!? 私そんなにブサイクかしら!? そんなにひどい!? ねえ。ねえロン!?」

「うーんその毛むくじゃらじゃあ、気絶されても仕方ないんじゃないかな。君の顔がどうとかじゃなくてさ。もうハーマイオニーには見えないよ、それ」

 

 数分後。

 ハーマイオニーの蘇生呪文によって覚醒し、起きあがったハリーはロンに事情を説明された。

 どうやらハリーが重傷で寝込んでいる間、どうにかして秘密の部屋の継承者を探れないかと試行錯誤した結果、《ポリジュース薬》という禁術に手を出したらしい。つまり先ほどのクライルはロンで、今目の前にいる猫面人はハーマイオニーというわけだ。

 ポリジュース薬とは、対象となる人物の体の一部を入れて調合することで、細胞単位で対象の人物に変身できるという魔法薬である。この薬の最大の特徴は、変身後の状態ならば決して見破られないことにある。マグル的な表現になると指紋に虹彩、声紋にDNAまで同一の存在となるのだ。ドッペルゲンガーと言えば聞こえはいいが、そんな生易しいものではない。魔法的に看破する手段が一切ないのだから、かつては所持するだけで法律で罰せられる類の魔法薬だった。これを使われれば、対象の人物が本当は既に殺されている人間だとしても誰も気づけないのだから、むべなるかな。

 陽気に聞こえる名前の響きとは裏腹に、校則を三〇以上は破らねばならないという間違っても二年生の作っていい魔法薬ではない。調合に失敗、または取り扱いを間違えれば本来の姿には二度と戻れないかもしれない危うい薬なのだ。禁術扱いされるのも仕方のない事である。

 それを知っていたハリーは、二人がそんな危険なことをしていたのかと怒りだし、この考えなしどもめと罵りながら栗色の秀才をヘッドロックして、なぜ止めなかったと赤毛の末弟にローリングなソバットを放った。

 床に倒れ伏すロンを尻目に、猫頭を押さえるハーマイオニャーンからその後の顛末を聞く。

 見ての通り、ハーマイオニーは調合に失敗した。

 どうやら純血の名家であるマルフォイ兄弟が継承者の秘密を知っていると確信していたようで、スリザリン生徒に化けようとしていたのだ。ロンはグレセント・クライル、ハーマイオニーはミリセント・ブルストロードに。

 ロンは見事クライルの髪の毛エキスを飲み干してトロールになれたが、ハーマイオニーはブルストロードの髪の毛ではなく彼女の飼っていた猫の毛で調合してしまったので失敗したというわけだ。ポリジュース薬は元々人間に変身するために創られた魔法薬なので、変身先が人間でなければこのように失敗するのだ。

 ハーマイオニーを抱きしめて、そんな危険なことはしないでくれと呟く。ハリーの小柄な体を抱きしめたハーマイオニーは、ぽつりと謝るのみだった。ロンはまだ倒れていた。

 禁術に手を出して人外化してしまった以上、ハリーらだけで元に戻す術はない。

 ハーマイオニーに頭からローブを被せて、周囲から不審者を見る目でじろじろと見られながらも医務室へと辿り着いた。マダム・ポンフリーは事情こそ聞かなかったものの、大変ご立腹のようで喋っている間ずっと口元が引きつっていた。

 

 さて。

 次の日になってその日の授業を終えたのち、ハリーはグリフィンドールの談話室でロンと話をしようと考えていた。しかし談話室にはハリーを継承者扱いする四年生の女子が複数人居たので、ロンが気を利かせて自室へとハリーを招いた。

 男子生徒は女子寮へは決して入れないが、その逆はそうでもない。現に彼氏彼女の関係になった上級生たちが、モーニングコールのために男子寮を訪れることも時折あるのだ。もっとも、なにか間違いを起こそうものならマクゴナガル先生から特大の雷を落とされることだろう。

 男子寮に初めて入ったハリーは、その意外な綺麗さにびっくりした。これに比べたらハリーたちの隣室に位置するジニー・ウィーズリーらの部屋はゴミ屋敷だ。異性の目がないとみんなこうなるのよね、とジニーが嘆息していたが、まさにその通りだったようで。

 シェーマスのベッドの下に何やら雑誌が乱雑に詰め込まれているのが見て取れたので気になったが、それを見ようとしたところその部屋の男子全員から猛烈にして必死な妨害にあったので諦めることにした。

 絶対に見ないように、と念を押しながら出て行ったシェーマスやディーンの背中を見送ってから、ロンはハリーに向き合う。ハリーはロンのベッドに座って、話を聞いた。

 

「結論から言うと、マルフォイは白だった」

 

 シェーマスのベッドの柱に寄りかかったロンが言う。

 

「僕はクライルに化けて、マルフォイの弟に話しかけたんだ。『継承者って誰なのかなぁ』って。そうしたらあいつ、『いまドラコが調べてる。あーあ、僕たちマルフォイ家じゃないのはおかしいよ。そうは思わないかい?』だってさ。一発で目的の情報をゲロってくれたよ」

「スコーピウスに聞いたのは正解だったね。バレなかったのかい?」

「うん、でも怪しまれた。歩き方が変だの、喋り方とか発音まで変だって言われた。あいつどれだけ子分のことよく見てるんだよ。おかしいよ」

 

 なるほどとハリーは思った。

 あまり機会はないし親しくもないものの、ハリーは時折スリザリン生の女子と話をすることがある。主にフレッドにジョージ、セドリック・ディゴリーやら、ハリーの友人であるハンサムたちの情報目当ての子だったりするが、まぁそれでも何かしら話はする。女の子にとって最も必要であるらしい情報の前においてだけは、寮間での諍いなど知ったこっちゃないのだ。

 その話の中でブルドックにそっくりなとある女子生徒から、ドラコとスコーピウスは案外女性人気があることを聞いた。名家の長男と次男でありお金持ち、父親を見る限り将来はハンサム間違いなしのルックスを持つ双子の兄弟ときたらもう、家柄の分フレッドとジョージの上位互換だわさと興奮気味に聞かされたのだ。

 そう、頼りになる静謐さを秘めた兄と甘えん坊で仲間思いの弟。しかも双子。これは薄い魔導書が分厚くなるのも必然ってもんだわさァーッ! と叫んでいた彼女を放っておいたのは悪くないと思うの。

 閑話休題。

 とにかくマルフォイ兄弟は、秘密の部屋の継承者とは無関係だった。では他のスリザリン生かと問われれば、まあまず違うだろう。マルフォイ家以上に良い家柄の子供など、現代のスリザリンにはいない。ひょっとするとホグワーツにすらいないかもしれない。純血を貴ぶスリザリンの残した部屋を継ぐ者なのだから、純血にふさわしい者でないといけないのは至極当然とのこと。間違っても他寮の子から選ばれたりはしないだろう。

 

「じゃあどうしろっていうのさ。このままただ手をこまねいて、秘密の部屋の被害者を増やしていけばいいのかい? 今はまだミセス・ノリスのみだけど、これから増えていくかもしれないんだぞ」

「あー。そうだった。そのことだけど、ロン。ぼくが医務室で寝てたとき、コリンが運ばれてきたんだ」

「変態小僧か。なんだ、また着替えでも盗撮され……ごめん僕が悪かった、泣かないでくれ」

「な、泣いてないよ。とにかく、あいつが運ばれて――ありがとう、ハンカチ洗って返すよ――運ばれてきたんだ。かちこちの石みたいになってね」

「それってつまり……」

「秘密の部屋の被害者だ。もう人間にも出てるんだよ」

 

 ロンが小さくざまあみろと言うのを聞かなかったことにして、ハリーは思案にふける。

 秘密の部屋が開かれ、それによって石のように固められる被害者が出ている。

 かの部屋に封印されていたのはサラザール・スリザリンが残した怪物と言われているらしい。では、人を石のように固める怪物とはなにか? ハーマイオニーが散々調べた結果、ギリシャ魔法界において史上最悪の魔法生物についての記録が残っていた。

 《メデューサ》。古代ギリシャ魔法界において闇の魔術を極めた魔女が、さらに深い闇に落ちて人の身を捨て魔人へと変化した成れの果てとされている。

 魔法使いや魔女が魔法を極めて魔人に変じるという報告例は、少なくとも近代や現代ではない。なにせ魔法を極めた結果、人間という殻を脱ぎ捨ててエーテル体の塊になって魔法生物となるという人外レベルの業だからである。

 イギリス魔法界では古代において、モーガン・ル・フェイという魔人化した魔女が当時の王を助けたという伝説が残っているだけだ。だが、魔人へと至るに最も近かったといわれている魔法使いは現代においても存在する。

 ゲラート・グリンデルバルト。かつてダンブルドアが死闘の末打ち破ったとされている、ヴォルデモートよりも前の世代で現れた()()()闇の魔法使いだ。

 魔法史では近現代における最恐の闇の魔法使いはヴォルデモート卿であるとされるが、最悪なのはゲラート・グリンデルバルトと言われている。世界最強の魔法使い、ダンブルドアですら幾度も敗北した末に勝利を掴み取ることができたのだとか。

 話を戻そう。

 仮に秘密の部屋から放たれた怪物がメデューサだとすると、もうホグワーツは生徒を家に帰していることだろう。なにせメデューサの魔眼を見てしまった者は、視覚情報から脳を支配され、自分が石であると勘違いして石化してしまうのだ。今回のミセス・ノリスやコリン・クリービーのようにカチコチに固められるのではなく、本物の石に。

 つまり今回の怪物はメデューサではない。そもそもメデューサは一個体のことであり、種族名ではない。あんなものそうそう何体もいてたまるか。

 ではいったい何なのだろう。

 人を石のように変えてしまう怪物……。

 

「ひとまず纏めてみよう。……ロン、このボロいノートは君のものかい」

「いや、僕のじゃないな。使っていいんじゃない? 白紙みたいだし」

 

 ロンの羽ペンを借りて、ハリーは拾い上げたノートにさらさらと書き込む。

 ひとまずは怪物候補の名前だけでも羅列しておこうと思って取った行動だったが、それは予想外の結果を生んだ。メデューサ、と少し丸っこい字で書いたところ、インクが乾く前にページに染み込んで白紙になってしまったのだ。

 驚いたハリーとロンは、ためしに羽ペンの先からインクを一滴こぼしてみることにした。

 するとノートはまたもやインクを吸い込んで真っ白になった。ページの裏を確認する。何もついていない。さらさらの乾いた紙のままだ。

 

「……どうなってるんだこれ?」

「フレッドとジョージが作った悪戯グッズかな?」

 

 ハリーはノートを閉じて表紙を見た。金字でスマイソン製とある。どうやらマグル製品のようなので双子の濡れ衣は消えた。売り出された日はどうやら今から五〇年近く前らしい。

 その右下には同じく金字で『日記』とポップなアルファベットを使って書かれていた。

 なるほど、これは日記帳だったのかと納得すると同時、裏表紙に魔法で刻んだらしき銀の文字で名前が書かれていることに気付いた。

 

「『トム・マールヴォロ・リドル』。……誰だこれ」

「知らないよ。少なくともグリフィンドール生の中にはいないはずだ。それにリドルなんて家名は聞いたことがない。その日記……マグル製品なんだっけ? ならマグル出身の子かもしれないね」

 

 兎にも角にも、このおかしな日記はリドルという少年らしき者の所有物らしい。

 ならば勝手に使うのはまずいだろうということでページを閉じようとしたとき、ロンが異変に気付く。

 

「ねえハリー、文字が浮かび上がってる!」

「え?」

 

 半分閉じられたページをロンがめくりあげると、そこには何もなかったページに黒いインクで文字が浮かび上がっていた。読んでみれば、『あなたは誰ですか?』とある。

 これはどういうことだろう。会話ができる魔法具とでも言うのだろうか?

 少し装飾過多な文字で書かれた質問文は、ハリーが読み終えるとするりとページに溶けていく。

 裏側のページを見ても、何も書いていない。

 物は試しにということでハリーは羽ペンを走らせてみた。

 

「『ぼくの……名前、は……』」

「『アルバス・ダンブルドアじゃよ』っと」

「おいロン」

 

 ハリーの書いた文字の隣に、ロンが勝手に文字を書き足した。

 これで本が勘違いしたら、これからこの日記にとってハリーはダンブルドア扱いだ。

 そんなのいやだ。

 日記には多少震えた文字で『えっ? 嘘でしょう?』と書いてある。可哀想に。

 

「ほら本がビビっちゃってるよ」

「そりゃーそうか。悪いことしたな」

 

 ロンが名前を訂正した。ハリー・ポッターとロン・ウィーズリー。

 すると日記がまたもや文字を書き始めた。

 

――ハリー・ポッター。会えて光栄です。

 

「僕のことが書いてないぞ」

「怒らせたんじゃないの?」

 

 憤慨するロンを放っておいて、ハリーは日記に続きを書いてみる。

 なんだろう、何故かなかなかに面白い。

 そして、ふと五〇年も前の日記ならいろいろと知っているのではないかと思って

 

「『貴方はトム・リドルですね』」

 

――その通りです。

 

「『秘密の部屋について何か知っていますか?』」

 

――ええ、よく知っています。

 

 すごいな。

 ハリーがぽつりと漏らすと、ロンが日記に羽ペンを走らせた。

 何を書くのかと思ってみてみれば、ハリーはばかばかしくなってロンの脳天に手刀を落とす。

 内容は『ダンブルドアが腹踊りを始めました。見ますか?』だ。

 案の定日記はロンのことを無視した。

 

――秘密を知りたいですか、ハリー・ポッター。

 

 文字が震えていたのは気のせいではないだろう。日記ながら肝の小さい奴だ。

 ハリーはイエスと一言書いて、日記の反応を待つ。

 隣に座るロンと共に何が起きるのかを見守っていたものの、日記の反応は劇的だった。

 バララララッ、と勝手にページがめくられてゆく。驚いたハリーはロンと共に仰け反りながらも、日記に浮かび上がった文字を読み取ることができた。

 いわく、『ではお連れしましょう、五〇年前の世界に』。

 

「わあっ!?」

「はッ、ハリーッ!?」

 

 ページの裂け目から黄金の光が飛び出したかと思えば、それはハリーを絡め取って飲み込んでゆく。ハリーもロンも、その魔力反応光には覚えがあった。賢者の石の試練の際に、本の中に飲み込まれた時だ。

 咄嗟にロンがハリーの細い肩を抱き止めて、助け出そうとする。しかし反応光はハリーを同じ光の粒に変えると、ページの中へと飲み込んでいった。

 ぱたん、と勝手に閉じられたそれはハリー以外の全てを拒絶しているようにも見える。

 三人は昨年度も本に食われている。またあんなことが起きるのだろうか。

 

「……まずいぞ」

 

 青褪めたロンがそう呟いた。

 部屋にいるのは彼ただ一人。

 残るは古い日記と静かな寝室だけだった。

 

 

 セピア色だ。

 世界がすべてセピア色に見えてしまう。

 ハリー以外のすべては色褪せており、ここが否応なしにも現実ではないと認めざるを得ない。

 見覚えのある壁と扉がある。あれは……そうだ、ホグワーツの壁だ。

 ここはやはり、本の中の世界。なるほど、五〇年前のホグワーツか。すると記憶か?

 しかもあれは奇しくも、秘密の部屋についての文言が書きなぐられた場所。

 そこに立っている青年が一人、落ち着きなくあたりを見回していた。

 ハリーはそんな彼の隣にいる。

 

「あの、あの。すみません。ここはいったい……?」

『…………』

 

 青年はハリーの言葉が聞こえていないようだった。

 忙しなく扉を気にしているあたり、待ち人来たらずといったところか。

 顔を見てみれば、恋愛ごとにあまり興味のなかったハリーもはっとするくらいのハンサムだ。すっと通った鼻は高く、彫りの深さから影のかかった赤みの強い瞳は意思の強さが見て取れる。真一文字に結んだ唇はなにか心配事があると雄弁に語っているようだった。

 お洒落に気を使う年ごろだろう、黒髪を整えた彼は扉を開けて出てきた老人に声をかけた。

 

『先生、ダンブルドア先生!』

「……ダンブルドア?」

 

 青年が駆け寄った老人は、驚くべきことにアルバス・ダンブルドアその人だった。

 現代の彼と比べると、半月眼鏡は丸眼鏡であるし、髭も髪も今よりずっと短い。確かに少しだけ若々しい雰囲気はあるものの、それでも老齢の魔法使いだ。……こいつこの頃から爺さんなのかよ、いったい何歳なんだ。賢者の石でも使ってるんじゃなかろうな。

 呼び止められたダンブルドアは、青年に憂いの瞳を向ける。

 ハリーとしてはあまりダンブルドアと会ったことはないものの、こんなにも悲しそうな目をする彼を見るのは初めてだった。

 

『やあリドル。消灯時間はとっくに過ぎておるよ』

「……彼がトム・リドルなのか」

『すみません先生。どうしても聞いておきたくって』

 

 ダンブルドアに詰め寄るようなリドルは、自分の心配事が目下の最優先のようだった。

 溜め息をついたダンブルドアは、首を横に振る。

 リドルの表情が絶望に染まった。

 

『そんな……!』

『あの女子生徒は既に亡くなっておった。君が自分を責めることはない』

 

 亡くなっていた?

 つまり人死に。ホグワーツでそんなことが起きるなんて……いや起きるか。近年でも、危険な授業でバカをやった生徒が魔法事故で亡くなってしまうことが極々稀にある。

 五〇年も前のことならば、今より規則や法律が緩い面もあるだろう。それも納得である。

 

『生徒は全員、家に帰さねばならぬ。秘密の部屋が開かれた以上、もはやここに安全はない』

「!」

 

 秘密の部屋!

 まさか、五〇年前にも開かれていたのか。

 では何故いまになってまた開いたのだろう。

 ひょっとするとこの《記憶》には、何かしらの真実が……少なくとも情報があるに違いない。

 ハリーはそのまま話を聞く覚悟を決めた。

 

『……秘密の部屋の、怪物』

『そうじゃ。人間をあのように死に至らしめるモノはあまりにも危険なのじゃ』

『……せ、先生。ぼくには、帰る家がありません。ここホグワーツこそが家なのです』

『しかしそれでも戻らねばならない。もはや死は平等に降りかかる』

 

 リドルの蒼白な顔が、土気色になったように思える。

 セピア色になってしまっているので正確な顔色はうかがえないが、表情を見る限りあながち間違ったことではないだろう。リドルはショックで俯いたまま、ぼそりと呟く。

 

『犯人を、ぼくが犯人を捕まえれば……』

『……なにか言ったかね、リドル』

『――――……いいえ、先生。何でもありません』

『そうか。ならば寮に戻るといい。ハロウィンパーティの続きを、みな談話室で楽しんでいることじゃろう』

 

 ダンブルドアが去り行く。

 リドルはその姿が見えなくなるまで見届けてから、ずいぶんな早足で歩き始めた。

 小柄なハリーでは足幅の関係上、ほとんど走るようにしなければ着いていくことのできないような速度であった。羽織ったローブにある紋章を見るに、彼はスリザリン生だ。

 だがこの方向は、スリザリン寮のある地下室への道ではない。

 しかし彼の脚に迷いはない。いったいどこへ?

 

『……、……うん……大丈夫……うまくいく……ああ、……』

 

 彼は独り言を漏らしながらも、辿り着いた先の扉に張り付いた。

 懐から抜いた杖が構えられている。どうやら中には危険があるらしい。

 扉の中では誰かが喋っているような、くぐもった音が聞こえてくる。

 それでいて、ハリーにはこの声が聞き覚えのあるものであることに気付く。

 しかし、いや、そんなまさか――

 

『動くんじゃない!』

『ッ!?』

 

 開錠呪文で鍵を開けたリドルは、扉を蹴破って中にいる人物に杖を突きつけた。

 リドルの脇をするりと抜けて部屋に入り込んだハリーは、驚きに声を上げた。

 ハグリッドだ。

 もじゃもじゃのヒゲがないが、肩まである髪の毛は今と同じくぼさぼさだ。それになにより、、彼の身長は高い。この時点で二メートルは越しているだろう。

 そんな若いハグリッドが、杖を向けてきたリドルに驚いて声をあげる。

 それに呼応してか、ハグリッドの足元にある箱がガタガタと暴れて音を立てた。

 

「な、何か入ってる……」

『さぁ、ハグリッド。そいつを出すんだ。怪物は飼えるものじゃあないんだよ』

『ち、違ぇんだトム! アラゴグはやってねえ! 違ぇんだ!』

『何が言う、人が死んでいるんだぞ。君にとってはお散歩させてやりたかっただけかもしれないが、怪物は所詮怪物だ。人の手に負えるものではない』

 

 リドルの冷たい言い草に、ハグリッドが反論した。

 だがその声色は弱々しい。自分の立場が悪いことをよくわかっているのだろう。

 

『そんなことねえんだ! アラゴグは、アラゴグは俺の友達なんだ!』

『いいや、怪物さ。それも人殺しのね。明日、女子生徒のご両親が学校にやってくる。せめて怪物の首を用意しておかねば、もう秘密の部屋は閉じられて学校は安全だと証明しなければ、この学校の威信にかかわるかもしれないんだよ』

 

 リドルとハグリッドの言い争いは続く。

 互いに一歩も譲らないうち、ハグリッドが背後に隠していた箱から何かが砕ける音が鳴った。

 緊張した顔を歪めたリドルが見たのは、毛むくじゃらの巨大な何か。

 長大な肢をがさがさと動かして這いずって逃げようとするその怪物に、激昂したかのようなリドルが複雑な軌道で杖を振って大声で叫んだ。

 

『逃がすものか! 『アラーニア・エグズメイ』ッ!』

 

 リドルの杖先から飛び出したのは、毒々しいまでに眩いばかりの真っ白な魔力反応光。

 恐ろしく複雑で精密な魔力式が組まれたそれは、おそらく青年の創作呪文だろう。

 一度唱えただけで連続での発動を可能にする式が組み込まれた呪文は、乱打となって怪物に牙を剥く。必死に這ってそれらを避ける怪物は、格好の逃げ場を見つけてしまったようだ。リドルが用心深くも避難経路を確保するつもりで扉を開け放っていた扉が裏目に出た。

 長い肢でリドルを突き飛ばし、忙しなくたくさんの肢を動かして廊下を去ってゆく。激怒したリドルが当てずっぽうに先の呪文を放つものの、終ぞ当たることはなかった。

 逃がしてしまった、と顔に書いてあるリドルが追いかけようとするも、その体はハグリッドのタックルによってノーバウンドで五メートルほど吹き飛んでしまう。驚くべき身体能力を用いて空中で身をひねることで姿勢を整えたリドルは、靴底を削りながらも着地に成功して、そのままハグリッドへ杖を向ける。

 愛するペットを殺させまいと正常な判断力を失ったハグリッドに対し、リドルは叫ぶ。

 

『ウオオオオオオ! ア、アラゴグ! アラゴグぅー!』

『諦めるんだ! こんなことを仕出かした以上、君は退学になる! あの怪物も殺さねばいけないんだ!』

『う、うぐぐ、うううううーっ』

 

 杖を向けたままのリドルが大声で、それでいて冷たく叫んだ。

 騒ぎを聞きつけた者達がざわざわとやってくる音がハリーの耳に入る。

 

「そんな……」

 

 ダンブルドアをはじめとした教師たち、それに幾人かの生徒が部屋の前に集まってきた。

 リドルを尊敬の目で見る者、難しい顔をした者、哀しそうな顔をした者。

 その場の一人残らずが、ハグリッドを見つめていた。

 

「ハグリッドが――」

 

 咽び泣くハグリッドの姿が遠くなる。

 杖を収めながらも周囲の人間に怪物が逃げたと訴えるリドルが消える。

 集まってきた野次馬の生徒が蒸発し、大慌てで校内を捜索し始めた教師陣が煙と化す。

 最後にダンブルドアがこちらを振り向き、彼の眼鏡がきらりと光ったその瞬間。

 

 

 ハリーはベッドの上に放り出された。

 現実では日記の中に吸い込まれてから数秒と経っていないのだろう、いまだに慌てていたロンを下敷きにしてハリーは座り込む。

 自分の腹の上に座るハリーを見て少し安堵した様子のロンは、しかしすぐさまハリーの異変に気付いた。

 情けない恰好ながらロンは優しい声で問いかける。

 

「どうしたんだい、ハリー。日記の中で何かあったのかい」

「……ハグリッドだったんだ」

 

 要領を得ない。ロンが聞き返す。

 

「どういうことだい?」

「ハグリッドだったんだよ! 五〇年前に秘密の部屋を開いたのは、ハグリッドだったんだ!」

 

 興奮しきったハリーを宥め、ロンは彼女の話を整理した。

 ひとつ、秘密の部屋は五〇年前にも開かれていた。

 ひとつ、怪物は実在する可能性が高い。

 ひとつ、五〇年前には一人の女子生徒が亡くなった。

 ひとつ、下手人はハグリッドなのかもしれない。

 どれ一つとっても信じがたい話はあるが、日記の魔法を信じるのならば事実なのだろう。

 しかしロンが一つ忠告してきた。曰く、

 

「ハリー。脳みそがどこにあるかわからないモノの教えてくれることには、常に一握りの疑いを持たねばならない。魔法界で有名な格言だよ。僕はパパに教えてもらった」

 

 ということらしい。

 日記からの情報を鵜呑みにしないことは確かに重要だった。

 あれはトム・リドルの、つまりはハグリッドを捕えた者からの視点だ。

 ひょっとしたら盛大な誤解があるのかもしれないし、もしかすると事実は違うのかもしれない。

 ハリーだって優しい友人であるハグリッドを信じたい。

 彼が悪いことをするはずがないのだと。

 

「やあ、ハグリッド」

「おう。ハリーにロン。久しぶりじゃーねえか。ええ?」

「うえっぷ。おうっぷ。げろげろげろ」

「ごめんよハグリッド。ハリーったら呪われちゃって」

 

 ある日の午後三時。

 ハグリッドからの手紙でお茶に呼ばれた二人は、彼の家にお邪魔していた。

 ハリーへの風当りは、依然強いままだ。

 ほとんど全校生徒がハリーを秘密の部屋の継承者であると思い込んでおり、恐怖のあまりハリーを倒せば平穏が戻ると勘違いした生徒に呪いを撃たれたのだ。

 不意打ちに近い初撃を完全に避けたハリーの姿は、その高い能力自体が周囲を刺激してしまう。不届き者になにをするつもりだ、と詰め寄ろうとしたところ、継承者に殺されてしまうと勘違いした第三者の上級生がハリーに呪いを当てたのだ。

 奇しくもそれは、ロンがスコーピウスにかけたのと同じ呪文。

 口から妙なものが飛び出す姿を見られるのは女性として嫌だろう、と配慮したロンが自分のローブをハリーにかけるため、自分を呪った上級生の黄金のスニッチを蹴り飛ばしていたハリーを捕まえて、ハグリッドの小屋まで逃げてきた。

 そして現在に至る。

 

「そりゃーひでえ話だ。この前のマルフォイ家のがきんちょといい、最近のホグワーツ生は節度やら慎みっちゅーもんがない気がするわい」

「ハグリッドにはあるのかい、その二つ」

「昨日ヒッポグリフに食わせちまった」

「げろげろげろげろげーっ」

「無理して何か言おうとしなくてもいいよハリー」

 

 ハリーの背中をさすりながら、ロンとハグリッドは会話をする。

 混ざりたくても口からミニマムサイズのふわふわなうさぎちゃんが出てくるので、苦しくて何もできない。同じ呪文なのにどうしてこんなにも違うんだろう、これが三枚目と美少女のキャラクター差か、とロンは疑問視していたがそんなことは激しくどうでもいい。

 

「それでねヘグリッとぁおえぷー」

「無理するなって」

「そうじゃてハリー。ロン、代わりにおまえさんが言っちゃれ」

「ハグリッド、五〇年前に秘密の部屋を開けて怪物とランデブーしたのは君かい?」

 

 ハグリッドがティーポットをひっくり返した。

 お茶をかぶったロンが悲鳴をあげると同時に、驚いたハリーの口からうさぎが飛び出した。

 床をぴょんぴょこ跳ねるうさぎを捕まえながら、動揺したままのハグリッドが言う。

 

「な、なぜアラゴグのことを知っとるんだ? あっ! 違う、違うぞ! 俺は部屋を開けちゃおらん! 俺じゃあない!」

「うん。うんわかった。君が正直者だってことはよく知ってるつもりだから。うえっぷ」

 

 半泣きでひいひい言うロンに水をかけて治癒呪文もぶっかける。

 動揺収まらず新しいお茶を入れようとするも、ポットから落とされるお茶はティーカップに入らず机を汚すのみに終わった。

 ようやく吐き気が収まり始めたハリーは、部屋中をぴょんぴょん跳びまわるうさぎに囲まれながらハグリッドに日記のことを話した。初めは恥ずかしいやら情けないやらで身を縮こまらせていたハグリッドも、その日記の異常さにしかめっつらをしてしまう。

 

「うーん、ハリー。そりゃあよくねえもんだ。別にリドルのことを悪くいうわけではありゃーせんが、そりゃーよくねえ。俺ぁ詳しいわけじゃねえから間違っちょるかもしれんがな」

「いや。ロンとも話して、これの内容を全部信じるわけにはいかないとは思ってたよ。ハグリッドに相談した後、マクゴナガル先生とかそのあたりに相談しに行く予定だった。この日記の持ち主が本当にトム・リドルなら、五〇年前のスリザリン生の私物がロンたちの部屋にあったのは不自然だからね」

「言われてみれば確かにヘンだな。……すごいねハリー、よくそういう発想できるね」

 

 ハグリッド曰く、確かに怪物そのものは育てていたそうだ。

 ロンが悲鳴を呑みこんだような顔をするのを横目にしながら、ハリーはその詳細を聞こうとしていた。

 だがその時、ハグリッドの家の扉が乱暴にノックされる。

 びくりと肩を竦ませるハリーとロン。

 外を見れば、もうすっかりオレンジ色が藍色に侵略を受けている時間だった。確実に外出時間を過ぎている。透明マントは一応魔法空間に入れてあるものの、バレた時が怖い。去年の、マクゴナガルが激怒した顔を思い出してしまう。森での罰則はもっと怖い。

 ハグリッドはおろおろする二人の首根っこをむんずと掴み、若干湿った樽の中に放り込んだ。

 

「そこに隠れちょれ! 透明マントは持ってきとるな? ん?」

 

 ハグリッドの小声をなんとか聞き取って、二人は樽の中で折り重なって透明マントを被った。これで樽の中身は空っぽにしか見えないはずだ。

 

(ロン、きみ大きすぎるよ。こんなの入らないって!)

(ハリー、君のその台詞はあらゆる意味で割とまずい)

 

 ハリーの身体が小柄で、少女であるため細いのが幸いしたか。

 ロンのガタイが良くてもなんとか樽の中に二人でいることはできた。

 樽に開いた穴を見つけて、ハリーはそこから何とか外を覗いてみる。

 ハグリッドが扉を開けると、まず青いローブを着たダンブルドアが入ってきた。

 次に入ってきたのは、落ち着かない様子の背広を着こんだ壮年の男。多少デザインが古いものの、魔法界のスーツは見た目に関する限りマグルのものと大差ないようだ。

 壮年の男が誰なのかわからなかったが、ロンもハリーと同じく樽の穴から見ていたらしく小声でハリーに教えてくれた。

 

「あれはコーネリウス・ファッジ魔法大臣だよ。パパのボスさ」

 

 要するに魔法省のトップ。マグルでいうところの首相や大統領のようなものだろう。

 そんな重要人物がなぜこんなところに来ているのだろうか。

 しかも表情からして、あまりいいニュースではないようだ。

 

「ハグリッドや、悪いニュースがある」

「はい。なんでございましょうダンブルドア先生」

「なんでございましょうではない! 怪物の犠牲者がまた出てしまったのだ!」

 

 ロンはハリーの口をふさいで、彼女が息を呑んだときの音が聞こえないようにした。

 ファッジのヒステリックな叫び声はそれほどショッキングな内容だったのだ。

 

「それも同時に五人もだ! 監督生専用の風呂場で、全員が固まってしまっていた! マーカス・フリント、ミランダ・ブレーズ、ペネロピー・クリアウォーター、ヘイシン・コウ、パーシー・ウィーズリー……! その全員がだ!」

「なんだって!?」

 

 今度はハリーがロンの口をふさいだ。

 なんと、パーシーが。まさか彼までもが被害に遭ってしまうとは……。

 

「ついてはハグリッド。君を重要参考人として連れて行かねばならない」

「重要参考人? 五〇年前のことを言っちょるんですかい、魔法省大臣様」

「左様。事実はどうあれ、記録では君が秘密の扉を開けたことになっている。ならば皆を安心させるために君を連れて行かなくてはいけないのだよ。情けない事だがね」

 

 疲れた様子の魔法大臣は、冷たくそう言い放つ。

 それを聞いたハグリッドの変化はわかりやすかった。

 最初に訝しげだった顔を蒼白に染め、次に土気色に変わって、そして最後には諦めたような表情になった。

 本人も理解しているのだろう。ひとまずの安心を得なければ、次はハリーが攻撃されるだけでは済まない。疑心暗鬼による集団パニックという恐ろしい未来が待ち受けている可能性すらあるのだ。だが、納得はできなかった。理解はできても、納得はできなかった。

 

「お、俺はアズカバンに行くんですかい? そんな、そんなのって……!」

「事実ですな、ルビウス・ハグリッド。ホグワーツの森番よ」

 

 悲痛なハグリッドの声に対して凍るような冷たい声を浴びせたのは、一人の男性だった。

 金髪をオールバックにして、その氷のような目はハグリッドを見据えている。

 黒いローブに銀蛇の装飾が施されたステッキを持つさまは、貴族の優雅さにあふれていた。

 

「ルシウス・マルフォイ……何しに来おった。ここはお前さんの来る家じゃあねえ!」

「無論だとも。こんな……あー、家? に、来たくて来たわけではない。学校に行けば、校長ならばここにいると言われましてね」

 

 わざわざ歩いてきたのだよ、と。

 ハグリッドに向けて全く敬意を払っていない。 

 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店でハリーと会話したときは、まさに紳士のそれだったというのにハグリッドに対しては異常なまでに冷酷だ。侮蔑的ですらある。

 まだ何かを言おうとしていたハグリッドを遮って、ルシウスはダンブルドアの方に向き直った。銀色の老魔法使いは、そんな彼を見ても微笑みを絶やしてはいない。それを見て舌打ちしそうになったのか、顔をしかめたルシウスは言葉を続けた。

 

「解任命令です。理事全ての合意によって決定されましたぞ、校長殿」

「ほほう」

「かっ、解任だって!? そんな、ダンブルドア先生様がいなくなっちまったら、誰がホグワーツを守るってぇんだ!」

 

 ハグリッドの慌てた言葉を斬るように、ルシウスは言う。

 

「要らんでしょう。被害を止められぬ無能な校長など、この学校には必要ない」

 

 その言葉に激昂したハグリッドがルシウスに掴みかかろうとしたが、ルシウスは何をしたのか魔法も使わずそれを跳ね退けた。

 まるで自分から宙返りしたかのようにズシンと転がったハグリッドは、その勢いのままドアを粉々にして家の外へ転がり出てゆく。驚いた顔のファッジを放っておいて、ルシウスは鼻で嗤うとダンブルドアに何かしらの手紙を手渡し、さっさと家から出て行ってしまった。

 ロンはあの巨体がルシウスのような細身な男に捻られた事をただただ不思議そうにしているだけであったが、ハリーはそれがその実とんでもない仕業であることを理解して、感嘆に目を見開く。

 友人の心配も忘れ、ハリーは新たな可能性という光り輝く欲望に舌なめずりをした。

 あれは、格闘技だ。

 ハグリッドの勢いのみを利用して投げ飛ばした、純然たる技術だ。

 魔法実力主義者が八割を占めるこの英国魔法界において、魔法使いが格闘を行うなどという発想をするのは闇祓いかそれに準ずる実戦的な職業の者だけだろう。

 それをああも実戦的な形で使うとは。

 あれが、強さの形か。

 

 

「大丈夫かね、ハグリッド。おお、そうか。それはなにより。さて、とにかく君にはアズカバンへ連れて行かせてもらう。重ね重ね申し訳ないが、抵抗はしないでくれ」

「ああ、ああ。分かっちょる。分かっておるとも、ファッジ……」

 

 むくりと起きあがったハグリッドは、恐らく去りゆくルシウスの後ろ姿を睨みつけているのだろう。家の外の光景まで見えるほど、樽の穴は高性能ではない。

 ファッジと共に歩み去る音が聞こえる中、ハグリッドが大声で独り言をこぼし始めた。

 

「あー、ファングが餌を貰えんかったら困るじゃろうなー。誰かやっておいてくれんかなー」

「何だハグリッド。急に大声を出して」

「そして謎は蜘蛛を追えば分かるんじゃねえかなー。あー、誰かさんが追ってくれんかなー」

「ハグリッド、不安なのはわかる。だが気を確かに持つんだ……」

 

 勘違いしたファッジに慰められるハグリッドが去ってゆく。

 ダンブルドアも大根役者の芝居に乗っているようで、これまた下手糞な芝居で去る。

 彼はもうちょっと腹芸を覚えた方がいいんじゃないかなと思いながら、ハリーとロンは樽から這い出て一息ついた。

 しかし、蜘蛛か。

 

「蜘蛛を追えだって? なんて的確で分かりやすいアドバイスなんだ。涙が出るよ」

「仕方ない。ハグリッドなりにバレないよう考えたんだから」

 

 『蜘蛛を追え』。

 言葉どおりに捉えるならば、そのまんま蜘蛛を見つけて後を追えということか。

 なにかの比喩表現だったり暗号だったりする可能性がないこともないが、ハグリッドの考え方からするにそんなまどろっこしい方法は取らないだろう。よって単純に最初の案こそ一番可能性が高い。

 そう結論付けた二人は、まず窓を見た。

 

「こ、これを追うのか……。ちょっとキツいな……」

「うえええ……ちっちゃいふわふわなうさぎちゃんじゃダメなのかよ……」

 

 うじゃうじゃ。という表現がぴったりだろう。

 我先にと窓へ向かってハグリッドの家から逃げる蜘蛛たちは、異様であった。

 一体なにが彼らをここまで駆り立てるのか。何から逃げているのか。ハグリッドは部屋の掃除をしているのか。掃除をする間までこの家にはお邪魔しない方がいいのか。

 ぐるぐると考えを巡らせてパニックになりかけているロンの手を引いて、ハリーはハグリッドの家を飛び出した。ファングを連れて行こうかとも思ったが、彼は臆病者だ。足手まといになるか有事の際は一目散に逃げ出すか、そのどちらかなのは目に見えているため放っておいた。

 蜘蛛たちはどこへ向かっているのかと地面へ目をやれば、いるわいるわ蜘蛛の列。

 ハリーは未だにすんすんと泣きごとを言うロンの手を引っ張って、歩きはじめた。

 列の進む先は、木々の生い茂る暗い闇の中。不気味な空気が漂っている。

 

「さーて、鬼が出るか蛇が出るか。情報が欲しいなら、もう行くしかないね……」

「ねえハリー。これ以上アレなモンスターに襲われたら、僕たぶんチビっちゃうかもしれない」

「ごめん半径二メートル以内に近付かないで」

 

 秘密の答えを得るため、ハリーらは行かねばならないのだ。

 危険溢れる、禁じられた森へ。

 




【変更点】
・ポリジュースイベントにハリーがハブられる。
・ロンが罰則を受けていないのでリドルの情報がない
・マルフォイ氏が強化されております。
・全体的に原作よりも進みが遅い。

秘密の部屋の怪物……いったい何リスクなんだ……。
やっぱり秘密の部屋は難しい。対人戦がほどんとないのがまた難しい。
ハリーの受難はまだ続く。ホグワーツの一般生徒は原作でも拙作でも厄介な敵です。
ここからはクライマックスに向けてファイアボルトします。頑張れハリー、生き残れ。

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