ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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7.無地の王

 

 

 

 ハリーは白く濁る息を吐いて、心を落ち着けた。

 今までは気づかなかったが、この部屋はひどく寒い。

 ぶるりと震えるハリーの身体に、ロックハートの叫びが突き刺さる。

 

「――()()()()だ!」

 

 男の叫びが、小部屋に木霊する。

 その言葉にハリーの身体が固まった。

 ロンはそれを知らなかったようで、不思議そうな顔をしているが、ハリーはそれを知っている。

 この男の絶望が、少女にも感染した。

 ふざけるな。なんだ、その悪質な冗談は。

 

「ヌンドゥだ! 間違いない、怪物の正体はヌンドゥなんだ! 吐く息は激烈な病をもたらし、村一つを壊滅させるほどの苦痛を与える! 闇払い一〇〇人がかりでも殺せるかわからない怪物中の怪物!」

「そ、そんな滅茶苦茶な魔法生物、居るもんか! また嘘をついてごまかそうとしてるんだなロックハート! 僕たちは騙されないぞ!」

 

 ロンの言葉に、ロックハートは反論した。

 

「馬鹿を言いなさるな、実在の魔法生物ですよ! 一七〇〇年代、アイルランドにおいて討伐記録があります。当時の魔法戦士二〇〇人ほどの大軍団で挑み、結果無事に帰ってきたのは約八〇人! 残りは全員死亡。帰ってきた者のほぼ半数も病にかかっていたために、その後まともに戦士として生活はできなかったとされています。それほどの怪物なのですよ、ヌンドゥとはね」

「なんでそんなこと知ってる! 出まかせ言うなよ!」

「ウェーザビーくん。私の職業を忘れましたか?」

「教師だろ。あとウィーズリーな」

「違う、小説家だ。それも体験談として魔法戦士たちから直に話を聞くような、ね。私のかつての友の先祖がその戦士団に属していたそうで、話を聞きました。流石にヌンドゥと戦って勝ったなどというホラ話は書けませんでしたよ。出現しただけで大ニュースになるのはわかりますね、ウェーザビーくん」

 

 確かに、そうだ。

 ヌンドゥとは巨大な豹のような姿をした魔法生物で、魔法省指定の危険度は最大値。

 ロックハートの言うように、手練れの魔法戦士が一〇〇人がかりで挑んで倒せるかどうかというほどの厄介かつ凶悪極まりない、『災害』そのものなのだ。

 そんなものがこの現代社会にぽんと現れてみれば、どうなるか。

 まず対抗策を取れないマグルが大量に亡くなる。

 そして魔法生物の隠蔽工作に魔法界が動くも、しかしその魔法生物自体をなんとかすることができない。ゆえにまた被害が発生して、また隠蔽に動く。堂々巡りのいたちごっこだ。

 そんなものと一人で戦ってしかも誰にも知られず勝つなどと、いくらホラでも無茶にもほどがある。

 

「怪物は老いている……と、職員会議で判明したんだよね。それはどうして?」

「ええ、教えてあげましょう。《暴れ柳》。聞いたことはありますね? それの病状を調べた結果、本来のヌンドゥが引き起こす『激烈な病』からは程遠い症状でした。彼らの体内に残留する魔細菌を検査した結果はあまりに数値が低く、そして病のもととなるマギウィルスの活動も酷く鈍っていました」

 

 恐らく暴れ柳の根が秘密の部屋のどこかに通じているのだろう。

 ヌンドゥが部屋の中にいたとしたら、そこからマギウィルスに感染したと考えるのが自然だ。

 そしてマギウィルスが暴れ柳から撒き散らされ、人間にも感染していった。

 そう考えられたのだろう。

 

「……、だから、それを見てヌンドゥが老衰しかけていると判断したというわけか」

「本来は死に至るほど活発で凶悪なマギウィルスなのに、生徒たちに出ているのは風邪に似た程度の症状で済んでいます。つまりこれは、マギウィルスが人間の抗体にすら負けている事を示していますね。しかも治療により病が治っている生徒まで居ます。ウィルスを吐き出すヌンドゥ自身が、ひどく弱っている。そしてよほどブッ飛んだ魔法生物でない限り、総じて寿命というものがあるものです。千年近くも前に秘密に部屋に入れられた上にこのウィルスの弱り具合。ごく自然な推論だと思いましたよ」

「確かにそうだな……」

 

 ヌンドゥが弱っているというのは助かる。

 成体の元気な個体だった場合、もし対峙することになったらまず間違いなく勝てないからだ。

 死にかけの老体だというのなら、まだ希望はある。

 しかしそれでも、魔人級の魔法使いを呼んでこなければ無理だろう。戦闘を生業とする魔法戦士を一〇〇人連れてきても勝てないかもしれないのだ。

 ハンデがあってもなおこちらが不利だというのに、正々堂々などとやってられるか。

 

「それが本当だとしたら、サラザール・スリザリンはバカだよな」

「なんでだよロン」

「だってそうだろ。継承者サマのしもべとして、せっかくとんでもなく強い奴を用意したのに、そいつに寿命で死なれちゃうかもしれないなんてさ」

「……そうでしょうか?」

 

 ロンの楽観的な意見に、意外にもロックハートが反対意見を出してきた。

 先ほどからロックハートの性格が違うような気がするが、これが素なのだろうか。

 

「さっき私は、『怪物は少なくとも』と言いましたね」

「そうだね。それがなんだよ」

「ヌンドゥが老衰で死んでも構わないと思えるほど強力な怪物がいるかもしれない。そう考えるだけで、私は腰が抜けてしまいそうですよ」

 

 ぞっとしますよね。

 そう締めくくると、ロックハートはそれ以降だんまりを通した。

 

 歩き続けると次第に壁が湿っているエリアに来たことが分かる。

 ぬるぬると光っているあたり、ひょっとすると校庭にある湖の下なのかもしれない。

 ロンがそう推察していたところ、急に立ち止まったロックハートの背中にキスしてしまう。

 おえーと吐き真似をするロンを放っておいて、ハリーは問いかけた。

 

「どうしたの。さっさと歩いてよ」

「だめですハリー。……どうやらテリトリーに足を踏み入れたようですね」

 

 ロックハートの緊張した声に、ハリーは警戒心を高めた。

 ロンを手で制して、構えたままの杖を握りしめる。 

 

「私の杖、返してくれません? 自衛も出来ないんですけど!」

「返したら裏切るだろう」

「そりゃもう」

「じゃあ渡せないね」

「では戦えませんね。がんばれー!」

 

 ロックハートが陽気にそう言い放つと同時、彼の頭に巨大なワームが落ちてきた。

 ぎゃあ、と悲鳴をあげて振りほどかれたワームは、どうやら魔法生物のようだ。

 うねうねと直径一メートルはあるミミズのような胴は、ところどころが鱗で覆われている。

 先端は人間の赤ん坊の顔を持っているという、鳥肌おいでませな不気味生物だ。

 

「こ、これ《クロウラー》ですよ! これまた厄介な!」

「なんだそれ? 殺していいやつか?」

 

 好戦的な問いを投げるハリーに驚きながらも、ロックハートは頷く。

 ただし注意を添えて。

 

「ですけど体液に触れてはだめです。凶悪な痺れによって、下手したら一生麻痺したままになりますよ。衣服に付着したものが浸透しただけでもアウトです。じめじめしたところを好む魔法生物……だったような気がしないでもないかな、確かそんな感じです」

 

 まさに水魔法によって潰そうとしていたハリーは、びくりと身体をすくませる。

 もし水圧で潰れて、その体液が水に混じったらさぁ大変などという話では済まない。

 ここで三人そろってお陀仏だ。

 ならば、焼き尽くして体液すら蒸発させてしまえばいいだろう。

 こちらに飛び散ってくることすら許さなければ、脅威でも何でもない。

 

「ロン、合わせて! 『インセンディオ』!」

「う、うん。『インセンディオ』、燃えよ!」

 

 ぎゃあす、という悲鳴がよく聞こえる。

 まさかこれが秘密の部屋の怪物ということはないだろう。

 いや、まさかね。これで蛇です、というつもりではあるまいな。

 吐き気を催す悪臭を残して、クロウラーは二人の手によって消し炭となった。

 確かに凶悪な特性を持つ魔法生物だったが、対処法さえ知っていれば何のことはない。

 

「助かったよロックハート」

「んっんー、先生。と付けましょうハリー」

「調子に乗るなよ蹴り飛ばすぞ」

「ひえっ」

 

 しばらく歩いていくと、骨が少なくなりぱきぱきと踏み折られる音が聞こえなくなってきた。

 岩肌が露出し、足場が悪くなってくる。

 まっすぐ進むのにも一苦労な悪路になってきて、ロンとロックハートが息を切らし始めた。

 ダーズリーの家で魔法を知らなかったときからランニングを続けてきたハリーは体力だけはあるので、いまだに平気な顔をしてロックハートの背中を杖で突く。火花が飛び散って成人男性の悲鳴が響き、それに笑みを深くするハリーをロンは見なかった事にした。

 後に聞けば、授業にて演劇に付き合わされた恨みを晴らしていたとのこと。嬉々としてそう語っていた彼女は、意外とねちっこい性格をした女である。

 そして見えてきたのは、なにか巨大な生き物の陰。

 ハッとしたハリーは叫ぶ。

 

「みんな、物陰に!」

 

 反応は早かった。まずロックハートが素早く岩陰に身を潜め、一瞬遅れてハリーがしゃがんで岩に隠れる。おたおたしていたロンはハリーに引っ張られて一緒の岩陰に隠れた。

 影の正体は、巨大な抜け殻だった。安全だと判断して、物陰から出て観察してみる。

 何かと思って見てみれば、ハリーどころかハグリッドすら丸呑みにできそうなサイズの蛇。

 ……いや、ちょっと待ってくれ。

 怪物たるヌンドゥは、魔法生物とはいえ形は豹だろう。脱皮などするわけがない。

 では、これは。

 

「今度こそ第二の怪物、ですね。……しかもこの特徴的な顔。鶏冠こそないものの、これはバジリスクで間違いないでしょう。ああ、まったく。今度こそ私の冒険はここで終わってしまうようだ。まさか、よりにもよってバジリスク……これは悪夢なんじゃないだろうか……」

「や、やっぱり、バジリスクなのか。信じたくなかった……」

「え?」

 

 ロックハートがこの蛇の正体に思い当たるのはわかる。

 嘘吐きの詐欺師だったとはいえ、知識がなければ本は書けない。

 さらに曲がりなりにも闇の魔術に対する防衛術の教職を得ていたのだ。無能で無害だと判断したダンブルドアが面白がって採用したとしても、それなりの教養がなければそもそも教員免許は取れないだろう。……ホグワーツ教師に教員免許が必要なのかは知らないが。

 だがロンは? ロンはなぜ知っている。

 はっきり言って成績低空飛行の彼が物知りであるとは、口が裂けても言えないのに。

 

「あれ、ハリー。君もその場にいたはずだろう」

「なんだって?」

「ハーマイオニーだよ。ほら、彼女が持っていた切れ端」

 

 覚えがない。

 だがおぼろげながら、ロンとアーニーがそんな会話をしていたような。

 ちゃんと話を聞いておくべきだった。

 あの時はハーマイオニーが石化されて余裕がなかったとはいえ、不覚だ。

 

「バジリスク。その瞳を直接見た者は即死する魔眼を持つ最悪の蛇。過去ギリシャの闇の魔法使い腐ったハーポが孵化に成功しており、その条件は鶏の卵をヒキガエルの腹の下で暖めること。コカトリスの上位種であり、鶏の時を刻む声にめっぽう弱い。……と、この切れ端に書いてあった」

「あの子、本のページを破ったのか。我が校の誇る殺人司書にバレたらぶっ殺されるぞ」

 

 これは石化したハーマイオニーがその手の内に持っていたらしい。

 なんてことだ。

 ハーマイオニーとロンは、すでに怪物の正体にたどり着いていた。

 おそらくポリジュース薬の事件の時から、二人で調べていたのだろうと思う。

 何故自分には教えてくれなかったのか。簡単だ、ハリーのことを慮ったのだろう。

 ドビーのあらゆる工作によって死の危険すら匂わせるほどの大変さを味わっていたハリーに、これ以上の負担は大きすぎると判断されたのだろうか。確かにあの時なにか手伝ってくれと言われたら、拒否しないまでも結構辛かったのではなかろうか。

 

「……パイプ?」

 

 ハリーの目についたのは、切れ端の余白に書き込まれた殴り書き。

 かなり急いで乱暴に書いたからか判別しづらいが、Fが特徴的なハーマイオニーの字だ。

 

「ああ、それは多分……」

「なるほど。ハーマイオニーくんは優秀な魔女のようですね」

 

 ロックハートが切れ端を覗き込んで、そう言ってくる。

 親友が褒められたことで少し気を良くしたロンが、ロックハートに頷いた。

 その時。

 

「だが君は違うようだ、ウェーザビー」

 

 ロックハートの拳が、狙い違わずロンの顎を打ち抜いた。

 脳を揺さぶられて、ふらりとよろけた彼から杖を掠め取ったと気づいた時には遅すぎた。

 ロックハートはロンの杖を既にハリーに向けており、呪文を叫んでいた。

 

「『エクスペリアームス』!」

「うっ!」

 

 赤い閃光がハリーの左肩に当たり、抜きかけていた杖が弾かれてロックハートの足元に転がる。

 しまった。完全に油断していた。

 意外にもロックハートが大人しかったことと、素直についてくることで油断していた。

 更には情けない姿を見たことで、どこか舐めていた。

 相手は大人だ。さらに言うと、詐欺師だ。

 人をだますことにかけては随一だったではないか。

 

「ふぅ、やっと人心地つきました。君たちはどうも優しすぎる。恐らく同行する間に、無意識のうちに気を許していたのではないかね? いやはや、羨ましい純粋さです」

「きさま……ッ」

「そう睨まないでください。危害を加えるつもりはありませんよハリー」

 

 そう言ってウィンクし、いつものハンサムスマイルを浮かべる。

 だが取り繕ったように綻びだらけで、優雅さの欠片もない。

 疲れ切って枯れ果てた、辟易したような笑顔だ。

 

「私はこの抜け殻を持って帰り、怪物の危険性を訴えます。……本当なら『私が倒しちゃいました! んふふのふー!』と言いたいくらいですが、ヌンドゥもいるため、それはあまりにも無理ですね」

「この期に及んで、まだ逃げるのか」

「ええ、逃げます。言ったでしょうハリー、私はまだ死ぬ気はないんです。……あれ言ったかな」

 

 ロンに視線を向ける。

 いやだめだ。完全に失神している。あれでは《蘇生呪文》をかけないと目覚めないだろう。

 ロックハートは格闘技経験者か? と考えるが、しかし違うと答えが出る。

 格闘技を体得している魔法使いこそ常識はずれのそれであり、マルフォイ氏が異常なのだ。それにここまで来るのに足場の悪さによって疲れていた彼が、格闘を心得ているとは思えない。

 よって、ロンが完全に油断していたため避けることもできず、ロックハートの狙い通りに顎を打たれたと見た方がいいだろう。仕方ないとはいえ、少々マヌケだ。

 

「……ぼくを殺すのか」

「とんでもない! 子供を、しかも美少女を殺すなんてこと私にはできない」

「……じゃあ、何をするつもりだ」

「あら無反応。なーに、記憶を消させてもらうだけです。怖くはないですよ、すぐ忘れますからね」

 

 殺されるより、よほど性質が悪い。

 記憶を消されては彼の仕業であることが証明できない。

 何より、彼は自分で自分の最も得意とする魔法が忘却術であると明言している。

 ならば彼の失敗を期待するのは難しいだろう。

 せめてロンの杖が折れかけていて、暴発とかしてくれればいいのだが。

 こうなったらロンには悪いが、彼の杖をへし折るかロックハートの首をへし折るか、どちらかしかないだろう。出来れば別の道があるといいが、まだわらない。

 ハリーはロックハートの背後をちらちらと見ながら、彼の笑顔に邪悪な笑みで応える。

 

「さあ、決闘クラブですよハリー。今度は本番ですがね」

「なにを言う。相手に杖を持たせてないくせに」

 

 人の杖を踏みつけながら、よく言えるものだ。

 ハリーは自分の大事な杖を足蹴にされていることに憤りながら鼻を鳴らす。

 しかしロックハートは鼻で笑うように、にっこりと頷いた。

 

「そんな無礼も、すぐ忘れることになります。さようなら、ハリー! 『オブリ――」

【よし今だ!】

 

 ハリーが喉の奥から、シューシューと掠れた声を張り上げる。

 蛇語だ。

 ロックハートには何を言っているか理解できないだろうが、それでいい。

 それでこそハリーの策は成る。

 

「後ろに蛇でも潜ませていましたか? 視線でバレバレですよハリー!」

 

 ロックハートが高らかに叫び、自分の背後へ杖を向けた。

 後ろを見ていないのは、ハリーが操った蛇がバジリスクであるという僅かな可能性を考慮してだろう。

 スペルを呟いて水を創り、自身の前に疑似的な鏡を形成するとそれを通して背後を確認する。

 そうして狙いを定めようとしたものの、ロックハートの顔が驚愕に染まった。

 

「何もいない!? しまった、フェイク(はったり)か!」

 

 慌てて杖をハリーに向け、魔法式を構築し、叫ぶ。

 しかし自分より小柄な者と戦った経験がほとんどなかったロックハートに、ハリーは速すぎた。

 

「くっ、『オ――」

【引っかかってくれてありがとう、よッ!】

「ブリビ、ぐぅあっ!」

 

 ロックハートが忘却呪文をかけようとするも、少しばかり遅かった。

 素早く駆け寄ったハリーは、ロックハートの胸にドロップキックをお見舞いしたのだ。

 いくら細くて小柄な十二歳の少女とはいえ、その全体重を乗せた跳び蹴りを受けてはひとたまりもない。もとよりロックハートもがっちりした体形とは言い難く、すらりとした細身であったので耐えきることができなかった。

 吹き飛ばされ、尻餅をついたロックハートの手から杖が転がる。

 慌てて拾い上げようとするも、ハリーがロックハートの鼻に膝を打ち込んだために鼻血を噴いて地面に叩きつけられる。それでもまだ幼さの残る少女の蹴りだ、意識を奪われるほどの威力はない。

 反撃に拳を振りぬいたところ、ハリーの腰に当たって彼女を転ばすことに成功した。

 互いに地に伏せ、一瞬だけ睨み合う。

 

「く……っ!」

「つぁあっ!」

 

 二人同時に横へ跳び、それぞれが転がっている杖目がけて飛び込んだ。

 果たして先に杖を取ったのは、腕の長さの(リ ー チ)差でロックハートだった。

 杖を取り振り返って、飛び込んだ時にはすでに練っていた魔力を供給して魔法式に乗せて呪文を放つ。それだけの動作で魔法を発動できたのは、元来《忘却呪文》以外の魔法を苦手とするロックハートとしては快挙である。

 しかし、ハリーは。

 ハリーはすでに、杖を構えて魔力を練り終えていた。

 それに驚愕しながらも、ロックハートは腹に力を込めて叫ぶ。

 

「「『エクスペリアームス』!」」

 

 奇しくも同時。

 互いの声が洞窟内に響き渡り、互いの胸に赤い魔力反応光が吸い込まれるように命中した。

 二人の杖が手から弾かれ、円を描きながら空中を跳ねまわる。

 互いの手元へ飛んで来ようとする杖を、ただ見守っていただけでは生き残れない。

 それはヴォルデモート関連にて命がけの戦いを演じてきたハリーも。

 数多の魔法生物と対峙した魔法戦士を打倒してきたロックハートも。

 分かっている。

 分かっているため、二人は同時に跳んだ。

 宙を踊るロンの杖をハリーが、宙を舞うハリーの杖をロックハートが、それぞれ手にする。

 そして着地する前に、ハリーが叫んだ。

 

「『アニムス』!」

 

 途端、ハリーの姿が消える。

 身体強化呪文である。咄嗟に使ったのだが、ロックハートは驚いた。

 かの《守護霊》呪文に及ぼうかというほど習得難易度の高い魔法を、たかだか十二歳の少女が使ってきたのだ。まだ未熟なようで魔力運用が荒いようだが、それでも脅威には違いない。

 唇を噛んだロックハートは警戒心を最大限に引き上げ、己の放てる最大の呪文を叫んだ。

 

「『プロテゴ・オブリビエイト』! 忘却の膜よ、我を守れ!」

 

 それはロックハート自身が考案した、凶悪な防御呪文。

 要するに《忘却術》の魔力反応光に触れた相手の記憶を消す特性を、全身を覆うように展開した《盾の呪文》に上乗せしたという、単純ながらあまりにも恐ろしい呪文だ。

 高速化したハリーが背後から放った蹴りに、ロックハートは反応できなかった。

 しかし忘却の膜は、静かにその凶刃を研いでいた。

 薄紫色の膜を纏ったロックハートのうなじへ自身の足刀が迫る中、高速化された思考の中でハリーは一瞬恐怖した。アレに触れれば、どうなるかを直感で察知したのだ。

 右足を振り上げた状態で急停止したハリーは、残った片足で即座にその場から跳ぶ。

 

「厄介な!」

「お褒めに預かり光栄ですレディ」

 

 優位に立ったことで余裕も取り戻したのか、声色に優雅さが戻る。

 ハリーとロックハートが睨み合った時間はものの数秒だろう。

 爆竹を破裂させたような音と共にハリーの姿が消え、彼女のいた場所には土煙だけが残る。姿が見えないことは無い、だが速い。しかも意識の間隙を突くように移動するため、まるで消えたように見えるというのは厄介だ。

 絶え間なく地を蹴る音が響き、ロックハートは目まぐるしく周囲を見渡す。

 そして見つけた。常に彼の視界の外へ外へと移動していたハリーの踏み込んだような足音が、ロックハートの背後から聞こえてきた。即座に杖を向けたロックハートは、最小限の動きで得意中の得意な呪文を放つ。

 勝利の確信と共に。

 

「『オブリビエイト』、忘れよ!」

 

 ばちん、という着弾音と横目で見た魔力反応光の残滓。

 当たった! と歓喜したロックハートは、そこで振り返って姿を確認しようとする。

 『立つという記憶』を失うように魔法式を組んだので、地面に倒れ伏す彼女の姿が見えるはず。

 しかし。

 ロックハートの予想は裏切られた。

 見えたのは、青い軌跡。

 それを追って真上を見上げれば、赤子の頭ほどもある大きさの石を振りかぶるハリーの姿。

 忘却の膜は、触れたものの記憶を消し飛ばす凶悪な盾。

 ハリーの使った身体強化呪文に対しては、絶対の強さを持つはずだった。

 しかし。

 しかし、しかし。

 石の記憶を奪ったところで、何か意味があるだろうか。

 

「あっ」

 

 と、声を上げた時にはもう遅い。

 目から火花が飛び出るかと思うほど強く殴られたロックハートは、足の力が抜けてその場に倒れた。

 結局、地に倒れ伏すのは自分であったようだ。

 ロックハートは思う。

 この倒し方には、覚えがあった。

 かつて、ロックハートが師事した魔法戦士。

 同じハッフルパフの先輩にして、親友でもあった頼れる男。

 他人の手柄を奪い己のものとするノウハウを持っていた魔法使い。

 そして、ロックハートの功績を奪おうと襲ってきて、戦った、親友だった。

 あの日あの時。

 共に巨大な山トロールを倒した、あの夏の日。

 初めて親友を上回り、倒れ伏した彼を庇ってトロールを打倒した、あの暑い日。

 手柄を取られると思い込んだ親友が、自分に杖を向けてきて。揉み合った末に杖を向けられ、咄嗟に放った忘却術によって立ち上がる方法を忘れた彼の頭に、石を振り下ろした。あの、残酷な日。

 『おいでおいで妖精と思い出傭兵』。

 彼の執筆した、唯一実話をもとにした物語だ。

 忘却術をかっこいい武装解除に変え、それでも迫ってきた彼の頭を石で打ち、病院で治療した彼と涙ながらに和解するというハッピーエンドに変えたお話。

 暗いストーリーであるためあまり売れなかったが、それでも彼にとって一番の作品だ。

 彼にとって最良で、あってほしかった物語。

 ロックハートは思う。

 今も聖マンゴ病院で目を覚まさない、かつての親友を想う。

 ああ。

 僕もきっと。

 彼女のように、まっすぐに生きられたなら。

 この人生を、やり直せたならば、いつか、おまえに――

 

「っらァ!」

 

 ハリーの振り下ろした石は、ロックハートの脳天を打ち据えた。

 ぐるりと白目を剥いたロックハートは、無意識にたたらを踏んで、どさりと倒れる。

 血溜まりが作られる中、ハリーは荒い息を整えながら身体強化呪文を解除した。

 その場に座り込み、ロックハートに杖を向ける。

 殺すべきか?

 しかし、もう無力化している。

 それに殺さずとも抵抗を奪う術を、今のハリーは手に入れている。

 恐ろしい敵だった。

 あのおどけた無能教師の姿は、仮面だったのだろうか。

 それともただ単に、人にものを教えるという行為を苦手としていただけだろうか。

 今となってはわからないし、これからも永劫分からないだろう。

 ハリーは今から、そういうことをするのだから。

 

「……あんたは教師として、最低だったよ。人としてもダメかもしれないね」

 

 杖先に魔力反応光が集う。

 薄紫色の、すべてを忘れ去るぼんやりとした微睡みのような光。

 

「でも、技は盗めた。感謝するよ、ロックハート先生。『オブリビエイト』、忘れよ」

 

 《忘却術》。

 ロックハートが最も得意とした、そしてもう二度と使うことは無いだろう魔法。

 淡い光はロックハートを包み込み、彼というものを消し去っていった。

 ギルデロイ・ロックハートという男はここに死んだ。

 いまハリーの目の前にいるのは、ただ何も知らない哀れな男だ。

 ハンサムなだけの、無地の赤子。

 

「……、……。さて。寝坊助を起こしてやるか」

 

 ハリーはゆっくりと立ち上がり、未だ倒れ伏すロンのもとへ歩く。

 後味の悪い、戦いだった。

 

 ロンを蘇生させた後、彼の頭が切れて血が流れていたので、大慌てで治癒魔法を使った。

 仕方ないのでロックハートの頭の傷も応急処置しておくことにする。

 しかしロンは、どうも殴り倒された際に打ち所が悪かったのか、少々動きがおぼつかない。

 ここにハーマイオニーが居れば、彼女の得意とする治癒魔法で何とかなるかもしれなかったが、今ここに彼女はいない。彼女はベッドで眠っており、目覚めるのはもう少し後になる。

 さて。

 念のためロックハートをぐるぐる巻きにして縛り上げてから、ハリーとロンは相談する。

 まず疲れ切ったハリーに、ロンはフレッドの鞄から取り出した小瓶を与えた。

 中身は単なる栄養ドリンクだ。ただし、魔法界製の。

 なんだか元気爆発薬と似たような成分のそれを飲み干して、ロンにローブを敷いてもらった地面にハリーは寝転んだ。少しでも魔力と体力を回復させるためだ。

 早くしなければジニーの命が危ないかもしれないが、焦ってハリーが死んでしまっては元も子もない。明日明後日で魔法戦士団が来るという話だが、ハリーの直感ではそれだと間に合わない。

 多分、継承者はすぐにでもジニーを殺してしまうだろう。

 理由はわからないが、そうするという妙な確信がある。

 ヌンドゥかバジリスク、どちらの餌か生贄か。どちらにしろ碌なものではない事は確かだ。

 幾匹かの蝙蝠が天井からこちらを見る中、ハリーは立ち上がった。

 ロンが心配してくるものの、もうそろそろ行かねばならない。

 

「ロン、ここで待っててくれ」

「で、でもハリー! 僕も一緒に、行、うあ、」

「ほら。無理するな」

 

 よろめいたロンを抱きしめるように支えて、ハリーは彼を座らせた。

 眼の焦点が合っていない。血を流し過ぎたのかもしれない。

 それでもなお立ち上がろうとするロンの肩を押さえて、ハリーは言う。

 

「おい、お兄ちゃん」

「鬼いちゃぁん!? ど、どうしたハリー。なんかすごい破壊力だけど」

「そんな性癖なんて知ったことか! いいか、よく聞けよ。君はジニーの兄貴だろう。なら彼女が無事に帰ってきたときに、ぼろぼろの兄が待っていたらどう思う?」

 

 卑怯な問いかけだった。

 妹想いの彼にこのような質問をしたら、どう返ってくるかなど手に取るようにわかる。

 返す言葉をひとつしか持たないことに気付いたロンは、少し恨みがましくハリーを睨む。

 だが、わかってくれるならそれでいい。

 それでいいのだ。

 

「いいかい、ロン。ここに居るんだ、いいね」

「でも、君ひとりじゃ……」

「頼む。はっきり言いたくないんだ」

「……っ!」

 

 足手まとい。

 その刃は、言葉にしなくともロンの心を切り裂いた。

 ロンはまた何もできなかったと呟いて唇を噛むが、ハリーはそうは思わない。

 感情的になって怒ったり泣いたり、怪我をしたりと、いろいろなものを見逃していたハリーと違って、ロンやハーマイオニーはきちんと敵について調べていた。

 前回の賢者の石騒動のときでこそハリーは推理し考え脳を使った。しかし今回はどうだろう。ただおこぼれに与っているだけではないか。その無様さときたら如何様か。

 あまりの情けなさに悔しさまで湧いてくる。

 それだというのに、こんな暴言を投げなければいけない。状況が甘えを許さない。

 ハリーの言わなかった言葉を噛み締めて、ロンは微笑んだ。

 

「仕方ないなあ。うん、頑張っておいでよ、ハリー。手柄なんてくれてやるぜ」

「ロン……」

 

 ハリーは、これは真似できないと思った。

 いまの短い時間、ロンは自分の意思を抑え込んでハリーに全てを託したのだ。

 自分が守るべきと考える少女に守られるどころか、戦場に送り出さなければならない現実。

 全てを呑み込んで、受け容れて、認め、笑った。

 それのどれほど難しいことか。

 ロンという親友へ感謝するとともに、尊敬の念を抱く。

 これだけ頼もしい子が待っていてくれるなら、途中で斃れるわけにはいかないだろう。

 

「うん、行ってきます」

 

 ハリーはできるだけ明るく言う。

 異性の親友を安心させるだけの、花開くような笑顔で。

 秘密の部屋の、奥へ奥へとその足を進めていった。

 




【変更点】
・秘密の部屋は魔法生物のバーゲンセールだぜ。
・ロンの杖が折れていないため、ロックハート戦が発生。
 彼の作品のうち幾つかは事実な上、怪物を斃した魔法戦士を倒す程度の力はある。
・原作よりハリーが仕事してない。もっと調べましょう。

【オリジナルスペル】
「プロテゴ・オブリビエイト、忘却の膜よ、我を守れ」(初出・22話)
・忘却呪文を身にまとう魔法。生身相手には無敵を誇るが、強度は普通の盾の呪文程度。
 ロックハートの創作呪文。彼の人生の集大成といってもいい傑作。

対人戦なので、テンション高く筆が乗る。人と戦うのってサイコー!
今回はロックハートのお話でした。結局、魔法戦士から手柄を奪うという手法すらかつての親友から奪っていた、何もない無地の男だったというお話。悪党でクズだけど、ハリー達に大人にも種類があると教えるには必要なキャラクターでした。
またロンが途中リタイヤしたので、今回もハリーは単騎で戦うことになります。
頑張れハリー、負けるなポッティー。お辞儀は斜め四五度だ、ポッター!

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