ハリー・ポッター -Harry Must Die- 作:リョース
ハリーは一人蹲っていた。
談話室にも行かず、ハリーは一人でベッドに座り込んでいた。
ホグズミードで、シリウス・ブラックが父ジェームズ・ポッターを騙し死に追いやった、親友であったのだという話を聞いてからずっと思い悩んでいた。
店から飛び出したところを心配して追ってきたハーマイオニーとロンに、散々当り散らして。
心配するがゆえに、しばらく静かにしておいた方がいいと判断した二人によって放っておいてもらっている。いまは、そんな状況だった。
そう、それも過去の話である。
ハリーは自分の目つきが、決してよくないことを知っている。
それの理由も恐らくではあるが想像はついている。
憎悪だ。
ヴォルデモートに対する憎悪を忘れるときは、あんまりない。
本当に楽しかったり、嬉しかったり、我を忘れるほどはしゃいでいるときは、あのような気持ち悪い男を頭の片隅にだっておいておきたくはない。
だがそれ以外の、少しでも気持ちが沈むようなときは。常に奴の影が頭の中に居る。
奴のことを想うと、自分でも不自然だと思うほどに殺意と憎しみが湧いてくる。
瞳が濁ってしまうのも、無理からぬことだろう。
ベッドから立ち上がったハリーは、誰もいない寝室で服を脱いだ。
生まれたままの姿になったハリーは姿見の前に立ち、己の姿を眺める。
まず目に付くのは、細い腕と細い脚、そして同じく細い腰。
ホグワーツで勉強する傍ら、ランニングや筋力トレーニングをして、鍛えているつもりなのにほとんど筋肉がつかない。恐らく魔法なしでロンと掴み合ったら、あっさりと放り投げられてしまうだろう。
次に見るのは、ここ最近でそこそこ膨らんできた胸。
はっきり言って邪魔である。最近では飛んだり跳ねたりすると少し揺れて痛くなってきたし、下着も買い換えないといけないために本を買うお金が減ってゆく。
ハーマイオニーやペチュニアの希望で黒髪も伸ばしているが、これも少々邪魔だ。うなじが隠れる程度にしているが、それでも激しい動きをすると時折視界をふさいでくるのでひどく邪魔くさい。
グラマーな上級生を羨ましく思ったりもしたものの、今は、女の身であることが恨めしい。
ハリーはトランクを蹴り開け、取り出した下着を身に着けながら己の胸と腹を眺める。
マダム・ポンフリーによる呪痕のあとはもうほとんど残っていない。吸魂鬼に敗北し、治療を受けた際に施された例の刺青モドキだ。あれは精神的なものに作用する治癒魔法式だそうで、これが薄くなって消えるまでは激しく魔力を消費することを禁じられていたのだ。
だが、これならもう大丈夫だろう。じっくり見なければわからないほどにまで消えている。
制服を着こんで、寒いのでローブを羽織る。
今頃、みんなはホグズミードで楽しんでいることだろう。
あれからあまり楽しめなくなっちゃったし、無許可で抜け出すのはいけないことだし、ぼくの元気が出るように甘いものでもお土産にお願いね。と少しばかり卑怯な物言いでハーマイオニーとロンを送りだしたことを思い出し、胸がちくりと痛む。
寝室を出て階段を下り、ぱちぱちと暖炉で薪が爆ぜる音以外には何もない談話室を抜けると、寒々しい廊下に出た。吹き抜けの中心では魔法で作られたかのような眩しくない太陽モドキが上下にゆっくりと動いて暖を振り撒いているものの、足の指先にくるかのような冷気までは拭い切れていない。
ハリーは勝手知ったる足取りで階段を上り、廊下を歩いて、途中出会ったミセス・ノリスと目礼し合ってから、実技教室を抜けて、目当ての扉へたどり着く。
扉の向こうでピーピーと甲高い音が鳴ったかと思うと、扉が独りでにぱっと開いた。
ノックしようとした体勢のまま驚きで固まったハリーを出迎えたのは、くたびれたローブの男。
「やあ、ハリー。せっかくの日曜日に、何の用かな? ホグズミードへは行かないのかい?」
「両親が居ないもので、許可を貰えませんでしたので」
「……ああ。いや、すまなかった。ごめんよ」
闇の魔術に対する防衛術の教授。
リーマス・ルーピンだ。
「ルーピン先生。……確か、今年度の課外授業はあなたが受け持つはずでしたね」
「……、……そうだね」
「その第一回目を乞いに来ました。……今までのように、都合が悪いから延長というわけにはいきません。今すぐ、お願いします」
昨年までスネイプと行っていた、実技方面に秀でた魔法の訓練。
今年度からは彼ではなく目の前のリーマス・ルーピンが担当するとのことで、まね妖怪ボガートの授業の後、彼に教えを乞いに行ったのだ。
しかし彼の返答はすげないもので、その日の都合が悪かったり職員会議があったり、ルーピン自身の体調が最悪に近かったりと、今まで一度も課外授業を行ったことがなかった。
仕方ないのでスネイプに頼もうとすれば、奇妙に不機嫌な顔で追い払われてしまったので断念。結局、今年度に入ってから件の課外授業は一度もやっていないのだ。
しかし今。
ハリーは力を求めていた。
ゆえに課外授業を通し、新たな力を習得したい。
たとえルーピンが嫌がっても無理やりにでも、通さねばならない。
「すまないね、ハリー。ちょっと必要なことがあって……」
「……吸魂鬼もブラックも、待ってくれないんだ」
ぴくりと反応する。
白髪交じりの鳶色の髪を揺らし、ルーピンの目がまっすぐこちらを向いた。
ハリーはその眼を、降り積もった疲労の中に一本の芯を垣間見せる瞳を真っ直ぐ見据える。
いまの凍りついた心ならば、たとえ開心術を使われても本心を隠し通せることだろう。
「……ハリー。君はまだ十三だ。なにも急いで戦う術を学ぶ必要はない」
「……吸魂鬼も、シリウス・ブラックも。手段に違いはあれど、ぼくを襲ってくる際には一切の手加減をしません。その時になって、まだ十三歳だから見逃してくださいだなんて理屈が通じるとは思わないさ。だからぼくは攻撃的な魔法を学ぶ必要がある」
ルーピンの目が細くなった。
「では守りの魔法を教えよう。なにもわざわざ、相手を倒す必要はないんだ」
「護ってばかりで勝てる戦いなんてものはない。いずれ突破されてしまうのが目に見えている。それに、必要ならあるよ。去年も、一昨年も。相手を滅さなければこちらが殺されていたんだ、殺らなきゃ殺られる。それがぼくの答えだ。……答えです、ルーピン先生」
まっすぐと、嘘偽りなく心情を述べる。
恐らく、このくたびれきった教師相手に嘘は悪手となる。
疲れ切った貧相な身なりと雰囲気をしている割に、目がそうではない。
ダンブルドアやマクゴナガルにも見られ、スネイプ同様になにか強い意志を秘めた目だ。
もちろんハリーとて、たかだか十三年しか生きていない小娘である。人を見る目が培われているとはとでもではないが言えないが、それでもこういったものは感覚で分かるつもりである。
ハリーがドラコを、好敵手として認めたように。そういったものは、わかるつもりなのだ。
「……、……どうしても必要なんだね」
「ええ。すぐにでも」
まるで明るい緑の目に射抜かれることを厭うように、ルーピンが目を逸らしながら言う。
こうなれば野生の動物と同じである。彼はハリーの視線に負け、心理的に折れたのだ。
長いため息をついて、ルーピンは扉を大きく開け放つ。
入ってこい、という意味だろう。
自分の意見を通したことで若干冷静な気持ちが浮ついたのを抑えながら、それでも遠慮なくハリーが部屋に一歩踏み入れて、
「ひぅわァ!?」
悲鳴をあげて跳びあがった。
懐から杖を抜いて向けてみると、やかましく騒いでいるのはハリーにも見覚えのあるものだった。
《
……ということは何か? ルーピンにとってぼくは危険人物だとでも?
「やあ、ごめんごめん。そのスニースコープは壊れててね。誰にでもそうやって吠えかかるのさ」
ものすごく輝くにこにこした笑顔だ。
ハリーは彼がわざと放置して反応を楽しんでいることを確信した。
大真面目な話を終えて緊張の糸を解きかけていたハリーが座り込んでいるのを見て、さぞご満悦なことだろう。腹の立つことだ。
「さてハリー。君が覚えたい魔法を言ってくれ。君はなんの魔法を望む?」
ずるい、と思った。
これではハリーの知らない魔法を教えてもらうことはできない。
ならば。と無茶な注文をすることにした。
「《身体強化呪文》と《守護霊呪文》を更に実戦向きに、消費魔力を少なく、より完全な形に近づけたいです」
「――えっ」
ハリエット・ポッターは、割と意地っ張りな女である。
ルーピンのこういう、のらりくらりと躱す態度はまったくの逆効果。
女にあるまじき脳筋主義者。
それがこの女、ハリエット十三歳だ。
「いや、えっとねハリー。その二つの魔法は、十三歳の魔女が扱えるような魔法じゃないよ?」
「完璧ではないけれど、十分使えますよ。守護霊がなければ吸魂鬼相手にお陀仏してますし、身体強化してなければヌンドゥ相手に昇天してます」
「ヌン……ッ!?」
言葉を失ったルーピンの目が、とんでもなく険しいものとなる。
まるで危険人物を見ているかのような目で、ハリーは少し居心地が悪かった。
いやまぁ、確かに危険人物だとは自分でも思う。高速で走り回って守護霊ぶっ放して槍を飛ばしてきて確実な死を目的として魔法を放ってくる小柄な女。……普通に考えてアレすぎる。
だからそんな眼で見ないでほしいなぁ、という願いを込めて微笑んでみるも、呆れた顔をされてしまった。いったい彼の中でハリーという少女にどんな結論が出たのだろうか。
「……はぁ。仕方ない。とりあえず《守護霊》の魔法を教えることにしよう。あれがあるとないでは、吸魂鬼への対応が随分と変わるからね……」
そうして始まったのは、まず座学だ。
変身術でもまず小難しい理論を頭の中にたたき込んでから、それを自分の身体に沿った魔法式に組み替えて魔法を使うことになる。個人個人、それぞれで違う肉体を持つのだから、魔法式もまた個々人で違うものとなってしまう。それが変身術が誇る高難易度の理由だ。
《守護霊》魔法もまた変身術と同じ、いやそれ以上の理論を頭に叩き込む必要があった。
ハリーとて握り拳程度か、それ以下のサイズの守護霊なら今の状態でも出せる。しかしそれは十秒もあれば霧散してしまう上に、一発放つだけの魔力消費もばかにならない。霧状の守護霊は無形守護霊というのは闇祓いたちから聞いているが、有体守護霊に用いられる魔法式の難解さと形状維持の難しさは、はっきり言って想像の埒外であった。
しかもハリーは、《守護霊》を使えないと吸魂鬼相手に酷い目に遭うことを学んでいる。
焦りから失敗を呼び、失敗は不安を作って不安は焦りを生む。
悪循環であった。
*
後日。闇の魔術に対する防衛術の授業にて、このまま吸魂鬼への対抗手段が得られなければどうしよう。という不安から、ハリーの前において《まね妖怪ボガート》が変身する対象が、ダーズリーから吸魂鬼に変わってしまった。
ルーピンはこれに渋い顔をした。何故ならボガートは偽物とはいっても、人間がそれを本物だと思い込めばある程度の悪影響は出てしまうからだ。要するにプラシーボ効果であり、実際に幸福感を吸い取っておらずとも気分が悪くなってしまう生徒が出るになったのだ。ハリーもその一人だ。
授業が終わった後の、グリフィンドール寮談話室。実技授業という楽しい時間を中断させてしまった原因になったことを落ち込んでソファに寝そべるハリーの横では、ここ最近で急激に仲が悪くなってしまったハーマイオニーとロンが口喧嘩をしていた。
どうやらペットについてのことらしいが、ハリーにはそれに構う暇がなかった。むしろまともに内容を聞いていたら、沈んだ気持ちから八つ当たりしてしまうかもしれない。二人で喧嘩するなら二人でしてくれ、二人は親友なのだから、どうせすぐに仲直りしていつも通りになる。
そう思って放置し、頭の中で守護霊魔法についての復習のために魔法式を組み立てていたところ、唐突に背中に重いものが乗っかってきた。
「ぐえぇ!」
「きゃあ!」
「あっ、ごめんハリー!」
潰れたカエルのような悲鳴をあげて、何者かの尻を背中で受け止める。
非力なハリーで跳ね除けることもできないので、上に乗ってきた何者かが滑り落ちるまでそのままであった。
いったい誰が、と思えば何のことは無い、涙を流したハーマイオニーだ。
……いやちょっと待て。
何のこともなくなくねーじゃねーか。ハリーは即座に原因であるロンの胸ぐらを掴みあげた。しかしハリーの身長より体重よりずっと大きく重いロンの体を持ち上げることはできないので、子供が大人にぶら下がっているような図になってしまった。
「ロン。ハーマイオニーに何をした? 一年生の時のこと忘れたわけじゃないよね」
「悪いけどハリー、今回ばかりは君の意見は聞けない。それに話を聞いていなかったろう」
ハリーの肩に手を置いて引き離すロンの動作は、いつもより乱暴だった。
掴まれた左肩が少し痛いが、ロンの顔を見ればそのような痛みを忘れてしまうほどだった。
本気で怒っている。そして悲しんでいる。
「見ろ、ハリー」
「……? 君のベッドシーツか?」
「問題はそこじゃない。見ろ」
乱暴な口調のロンに少しばかりの恐怖を感じながら、ハリーはシーツを眺めまわす。
すると目立つところに、赤黒い染みがあった。結構な量だ。
ロンが鼻血でも出したのかとも一瞬思ったが、それならばこのようにシーツの端っこだけに付着したりはしないだろう。
ではいったい、だれの血なのか。
「スキャバーズだよ! 僕のペットの、老ネズミ!
「ちが――違う、わ――そんなんじゃ、ない――違うの――」
しゃくりあげながら、ハーマイオニーはロンの絶叫を否定する。
確かに、ハーマイオニーの飼い猫であるクルックシャンクスは、以前からスキャバーズを見るたびに親の仇を見るような目で飛び掛かっていった。そしてハーマイオニーは、ロンからそいつを処分しろだの隔離しろだの言われても、じゃれているだけと取り合わなかった。
これだけを見ればハーマイオニーにのみ非があるように思えるが、ロンの感情的な説明であったために真偽のほどは定かではない。
ほんの少しの情報でどちらが悪いかなどと、ハリーには判断できないのだ。
彼はもう完全に理性がとんでしまい、ハーマイオニーを突き飛ばしたことすら理解できていないだろう。ハーマイオニーも感情が振り切れて泣き出しており、自分の言葉が信じてもらえない事とロンを怒らせてしまったことで頭がいっぱいになっている。
ロンの肩を持てばハーマイオニーをショックでさらに泣かせてしまうし、かといってハーマイオニーの肩を持てばロンが烈火のごとく怒り狂う。我関せずで済ませたら、問題が解決しようがしなかろうが肝心な時に見捨てる奴と思われてバッドエンド直行だ。
……中立を貫くしかない。
「とりあえず二人とも、落ち着いて。ほら、ハーマイオニー。ハンカチ。……失礼な、綺麗だぞ。うん、よしよし。それでいい。落ち着いて」
「ハリーっ! ハーマイオニーの肩を持つのか!?」
ほらやっぱり怒った。
仕方ないのでロンを落ち着けるにはこれしかないか、とハリーは溜め息を吐く。
今度はハリーの胸ぐらを掴んできたロン相手に、ハリーは冷静さを失わずに言う。
「落ち着けよロン」
「これがっ、これが落ち着いていられるか! 何年もいっしょだったんだ、家族なんだ!」
「だからさぁ、落ち着けって」
「何言っても僕の気持ちなんてわからな――むぐっ!?」
ロンの視界と、そして口を塞いだ。
彼からしてみれば、ハリーにローブのフードを下されて両目を覆われた直後、片腕でぎゅっと抱きつかれて唇に柔らかいものが押し付けられた。これではキスで黙らされたと思うのが普通だろう。
案の定、顔を真っ赤にして口をパクパクさせるロンは静かになった。
ハリーが左手でフードを開ける。
そこでロンが見たのは、にこにこ笑顔のハリーが、右手の指を二本そろえてロンの唇に当てている姿だった。
「んふ。びっくりしたかな?」
「……びっくりした」
「それじゃ、落ち着いたかなロンくん」
「……うん落ち着いた」
多少強引な手段でロンを落ち着かせたハリーは、今の光景を呆然と見ていたハーマイオニーと共にロンをソファに座らせる。
遠巻きにこちらを見てくるグリフィンドール生が何人もいるが、ハリーはそれを無視した。
「じゃあ、まずハーマイオニー。感情を沈めて、冷静になって」
「う、うん。ぐすっ、ええ。わかったわ……」
「よし。なら次はロン。君も落ち着いて。怒鳴ってもいいことはないよ」
「でも!」
「よしよし、ロン。今度は本当にキスするぞ。みんなの目の前でだ。それとも何かな、またぼくの胸ぐらを掴んでおっぱい触る気だったのかい? このスケベ」
「~~~~~~~っ! わ、わかった! わかったから!」
よし、とハリーは内心でガッツポーズした。
今の文句はパーバティから聞いたものである。男の子はこう言えばイチコロだわさ! だ、そうだ。彼女の言った通り、ロンを一撃で黙らせることができた。視界の隅にパーバティが映ったので、成功したぞとアイコンタクトを送ったら何故か呆れられた。……何か間違ったのか。
さておいて、ハーマイオニーとロンを落ち着けることには成功した。
次は言い聞かせる番だ。
「うん。何度も言うようだけれど、落ち着いて聞いてね。ロンはスキャバーズをクルックシャンクスに食べられちゃったと主張していると。んで、ハーマイオニーはそんなことはないと否定していると。ここまではオーケー?」
「オーケーっていうか事実なんだから、さっさと」
「ロン?」
「ちょ、ちょっと待ったっ。顔近い、近いよ! わかった、黙って聞くから!」
やはり反論しようとしたロンは、ハリーが顔を近づけるだけで慌てて顔を逸らして黙る。
今まで友達としてしか見ていなかった女の子から、急に性別差を意識させることを言われたのだ。しかも言ってることは嘘ではなく、事実。ハリーの胸倉を掴んだときに胸に触れたのも、勘違いとはいえハリーのキスで動揺したのも事実だ。
意図せずとはいえ、ハリーは思春期の少年に対して相当に酷なことを仕出かしているのだった。
「よろしい。ハーマイオニーもオーケー?」
「……うん」
「うん。じゃあまずは、問題はクルックシャンクスかスキャバーズ、どちらかを見つけてからだ。話の様子から見るに、二匹ともどっか行っちゃったんでしょ?」
二人が頷いた。
ハーマイオニーは弱々しく、ロンはぶっきらぼうに。
「だったらさ。まずスキャバーズが本当に逝ってしまったのかを確認してからでも遅くはないと思うよ」
「だから! さっきのシーツを見せたじゃ」
「ロンお前本当いい加減にしないとぼく、ぼくもうちゅーするぞッ!」
「ごめんホントごめん悪かった僕が悪かった顔真っ赤で涙目になってまで頑張らなくていいから。な、恥ずかしいんだろハリー。落ち着いたよ、僕落ち着いた」
ふーふーと肩で息をするハリーを宥めて、ロンはようやく浮かせた腰をソファに沈める。
ハリーは目元を袖で拭ってから、話を続けた。
「だからさ。ちょっと酷な物言いで悪いんだけど、スキャバーズの欠片でも見つかれば死亡は確定するだろう。その時になってからクルックシャンクスに是非を問うても遅くはないと思うんだ。それにロン、最近スキャバーズはどこへともなく逃げるって言ってたじゃないか」
「……、……そう、だけどさ。あ、いや。文句があるわけじゃないよ落ち着いてハリー。でも僕にとって、スキャバーズはかけがえのない家族なんだよ。彼が殺されたかもって思っただけで、冷静じゃいられない。デブでマヌケで、間違って踏まれるまで避けられないようなニブいネズミだったけどさ。それでも僕には可愛いペットなんだよ」
寂しげに語るロンは、本当に悲しんでいるようだった。
ハーマイオニーに目を向けて、何か言うことはあるかと問う。
彼女は首を振った。
「私はクルックシャンクスが賢い猫だって知ってる。だから、普通の家猫みたいにただネズミを見つけたから追いかけて食べちゃうような子じゃないと信じてる。だから、えっと、だから……」
ハーマイオニーはロンをちらりと見て、何も言わなくなってしまった。
恐らく突き飛ばされたことが相当にショックだったのだろう。確かに、一年生の頃も二年生の頃も、彼と彼女は口喧嘩をしなかった年がなかった。親友ではあるが、性格が正反対と言ってもいい二人なのだから仕方のないことだと思う。それに、なんだかんだ言って仲直りしているのだから、ハリーはそれもいいと思っている。
だがロンが直接手を出したのは、今回が初めてだとハリーは記憶している。殴ったわけでも、頬を張ったわけでもない。ロンにとっては、ただ押しただけ。
しかしそれだけのことでも、ハーマイオニーにとってはとてつもない衝撃だった。
ハリーもロンに同じことをされたら、泣いてしまう自信がある。ホグワーツに入って感情を我慢するくせがなくなってしまったものだから、びっくりして悲しくて涙してしまうだろうことは想像に難くない。
ふわふわの栗毛を撫でて、いちど強めにぎゅっと抱きしめてから、ハーマイオニーは寝室に帰すことにした。様子を見て察したパーバティとラベンダーが、ハーマイオニーを女子寮へと連れて行く。
「ねえ、ロン」
「分かってる。やりすぎた。結果がどうあれ、突き飛ばしたことは後で謝る」
「……今じゃだめなの?」
「今は……うん。カッとなってるし、ハリーが頑張ってくれなかったらきっとあいつのこと、無視したりもっとひどいことを言ってたと思う。心から謝れないと思うんだ」
そういうものか、と納得してハリーは目を閉じる。
ディーンとシェーマスが肩をばしばし叩いて、乱暴にロンを慰める。
問題を解決することはできないが、気分を晴らすことはしてやれる。そういった内容のことを言って、二人はロンを連れてどこかへ去って行った。馬鹿騒ぎでもするのだろう。
一人ソファに深く沈み込んで、フーッと長い息を吐くハリーのもとには、パーシーがやってきた。
「お疲れ様、ハリー」
「……パーシーかぁ」
「なんだ、僕じゃだめかい」
「そんなことないよ、ありがとう。……君の苦労が少しだけわかったよ」
「それはどうも。うん、ハリー、君は監督生に向いているよ。ハーマイオニーがいなければ、五年生の初めには君の胸にPの文字が輝いていたことだろう」
「…………こんなのが監督生の仕事なら、もうこりごりだ。絶対に嫌だよ」
「あっはっは! そう言うな、三人組は冷静な一人が損をするものさ」
さらりと下手くそに頭を撫でて行ったパーシーを見送っていると、両脇からがっしりと肩を組まれてびっくりする。驚きはしたものの、誰がやったかくらいはわかっているつもりだ。
案の定左右を見てみればフレッドとジョージがにやにや笑顔でいたのだが、直後にハリーの胸の中に飛び込んできた赤毛にはびっくりした。
ジニーだ。
「すごいわね、ハリー。あの二人の喧嘩を丸め込むなんて」
「我らがハリーは仲裁人さ」
「男女の喧嘩に持ってこい」
「「一家に一人のポッターちゃん、夫婦円満ご満悦ゥ。ヨッホーヨッホーヨッホッホー」」
「やめろバカ双子。あとジニー。顔ぐりぐりしないでよ、くすぐったい」
悔しいことに、ジニーの方が背が高いのだ。
更にフレッドとジョージに持ち上げられて、まるでネイティブアメリカンのような奇声と共に祭り上げられれば恥ずかしいことこの上ない。今年こそスカートの制服にしようと思っていて失敗したのを根に持っていたが、まぁこういったことをされるならズボンのままでよかった。
三人はハリーを元気づけようとしてくれていることはわかっている。
だったら甘えてしまえばいい。
ハリーはジョージに肩車をしてもらったり、ジニーやアンジェリーナと踊ったり、無駄に歌って踊って騒いで過ごした。夜になってもはしゃぎ続け、どこからともなくフレッドが持ってきたお菓子や軽食を摘まみながら、特に何かある日というわけでもないのに大いに騒いだ。
あまりにやかましかったためにマクゴナガルが怒鳴り込んでくるまで、そのバカ騒ぎは続く。
暗い事の後は、やはり友達と騒ぐのが一番だ。
ハーマイオニーとロンも、早く仲直りしてくれたらいいのに。
夜。
ハリーは忍びの地図を眺めていた。
守護霊呪文の特訓は、今のところ順調ではある。
弾丸程度の大きさしか出せなかった無形守護霊が、スプレー状に放射する形で一分は保つようになったから成長は見られる。ハリーにとってはあまりの難易度にもどかしい限りであったが、ルーピン曰くまるで元から使える呪文だったのかと疑うほどの上達率であるとのことだったので、別に覚えが悪いというわけではないようだった。むしろ異常なまでに良い方だとか。
魔力を使い果たして枯渇寸前だったので、今日のところは早めに寝ることにしたのだ。
談話室からは、ウィーズリーの双子がパーシーに怒られながらも煽っている笑い声が微かに聞こえてくる。それは心地よい子守唄であった。
忍びの地図の様子から見るに、どうもパーシーを囲んで二人で周囲をくるくる回って遊んでいるようだ。文字が動いているだけだというのに、見ていてとても楽しい気分になれる。あの二人は人の心を暖める天才なのかもしれない。
湯たんぽが熱く感じてきたので布団から蹴りだし、布団の中にこもった熱気を外に逃がすと途端に寒くなることを学習しているので、ハリーは布団の中でパジャマのボタンを解放した。パジャマがめくれているのか、腹に毛布の感触が直に来るのが気持ちいい。眠くて眠くて、今さら直す気にはならない。寝るときは絶対裸じゃないと嫌だという上級生もいるらしいが、そういった者達の気持ちがよくわかる気がする。今度やってみようか。
ほうと一息ついてハリーは目を閉じる。
数分して呼吸が静かになり、引きずり込まれるように夢の世界へ旅立とうとして……、
(あ、しまった。いや仕舞ってないけどしまった)
忍びの地図を展開してそのままであることを思い出した。
ハーマイオニーが寝室に来たときにあれを見たら、目に見えて不機嫌になることだろう。
そいつはよくないと思って、重すぎる瞼を懸命に開く。
うーん、何も見えない。
もそもそと枕の下に入れてある杖を手に取って、無言呪文で杖灯りをともした。
途端。
「――――ッッッ!?」
目の前に髭面の男が現れた。
見覚えがあるなんてものではない。
シリウス・ブラックだ。
「きゃあ、ぁぐ――――ッ」
甲高い悲鳴をあげようとした口を、乱暴に塞がれる。
どうやら布団越しに馬乗りになっているようだった。
――なぜ気づかなかった!?
これだけ近くに居ながらにして、息遣いも、体温も、匂いも、気配すら。
なにも、まったく、これっぽっちも気づかなかった。
魔法でも使ったのかもしれないが、杖を持っている様子はない。
この状況で杖を取り出さず、妙な形状のナイフを持っていることからもそれは明らかだ。
ブラックは鼻息荒く、ひどく興奮した様子でハリーに顔を近づける。
「――奴はどこだ! どこにいる!?」
囁くような声量で、しかし怒鳴るような荒々しさ。
ハリーの耳に、ぞわぞわと嫌な感覚が這入ってくる。
「言え、言うんだハリエット! お前は知っているはずだ……!」
更に何を言っているか分からない。
焦燥に駆られているのか、それとも憎悪を滾らせているのか。
悪鬼めいた顔で、唾を飛ばして詰問してくる。ハリーの口を塞いだまま顔を掴む大きな手で、激しく揺さぶってくるのがまた恐ろしい。
口をふさがれていようと、無言呪文なら魔法を放つことはできる。通常、ホグワーツの三年生では無言呪文を習得しているはずがない。ハリーの場合はクィレル戦で用いられて必要性を痛感したから習得したのであって、一般的に
それがお前の敗北だ、とハリーは槍魔法でブラックの眉間を貫くつもりで杖を握り締める。
布団がめくれたのか、冷たい空気が体に触れるのに気づくと同時、自分の状態を見て、――青褪めた。パジャマが、胸の危ういところまで肌蹴ている。下の方もずり下がっていて下着が見えているに違いない。
「ハリエット! はやくしろ! 悲鳴はあげるな。奴の場所だけ言えっ」
いま、目の前にいるのは誰だ? ――シリウス・ブラックだ。
ではブラックの奴は、何をしに来た? ――ハリーの殺害だ。
さておいて、自分はいったいなんだ? ――十三歳の少女だ。
そして今の格好から考えられることは? ――そんなの嫌だ。
ハリーはその考えに至った途端、押し潰されるかのような恐怖に心臓を鷲掴みにされた。
頭の中で組み立てられていた魔法式が霧散し、怒りが怯えに塗り潰される。
怖い。ただひたすらに怖い。
体が震えるのを感じる。
恐ろしくてたまらない。
涙がぼろぼろと溢れて、ブラックの手を濡らした。
抵抗しなければ、貞操どころか生命まで危ないとわかっているのに、全く動けない。
ブラックが言う何者かの位置を吐かせるために、ハリーの口から手が退けられた。
普段ならここで即座に呪文でも叫ぶだろう。
今の状況なら大声で悲鳴をあげれば、誰かがくるかもしれない。
しかし、ハリーは。
ただ嗚咽を漏らすことしかできなかった。
「――っ、」
ハッとした様子のブラックが、目を見開いて仰け反る。
しまったと呟くのが聞こえるが、ハリーにはそれを理解するだけの冷静さがなかった。
普段ならば十代前半のちんちくりんを相手に、欲情されるわけがないと鼻で笑うだろう。
だがタイミングが最悪だった。
今年に入って初潮が始まり、月経というものを経験してしまったこと。吸魂鬼による精神傷の治療のため前身に呪痕を刻まれたせいで、自身の身体をよく見る機会があったこと。三本の箒で体が引っ掛かって、女性として成長しているのを自覚したこと。
それらすべての要因が、ハリーに自身の性別を意識させていたのだ。
慌てた様子で何かを言いながら、ブラックがハリーの上から退いた。
涙に濡れたまま、ハリーが布団を胸に引き寄せてブラックを睨む。
途端。
「『エクスペリアームス』!」
ブラックの身体が、横薙ぎに吹き飛ばされた。
彼が手に持っていたナイフが勢いよく弾かれて、ラベンダーのベッドの足に突き刺さる。
過剰な余剰魔力によって壁に打ち付けられたブラックが、くぐもった呻き声を零した。
何が起きたのかとハリーが目をやったところ、豊かな栗毛が膨らんでいるのではないかというほど憤怒した様子のハーマイオニーが、激しい息を吐きながら追撃の呪文を放つ。
猫のような素早さで魔力反応光を避けたブラックは、そのまま窓に突撃してガラスをぶち破った。ここはグリフィンドール寮の塔の上だというのに、上空から落ちても助かる算段があるのだろうか。
まさかそこから逃げられるとは思っていなかったのか、ハーマイオニーは驚いた様子だったが即座に魔力を練り上げて呪文を放つ。
「『フェネストラ・パリエース』、塞げ! 『インパートゥーバブル』、邪魔よけ!」
閉塞呪文と、接触禁止呪文。
両者を組み合わせたことによって、二度とあの窓だった穴から人が出入りすることはできなくなった。つまり、ブラックの再侵入を防いだのだ。
どこか冷静な部分の残っていたハリーの心が、ハーマイオニーの行動をそう分析する。
しかしはらはらと涙を流して震えていることからも、落ち着いているとは言い難い。
杖すら投げ捨てて駆け寄ってきたハーマイオニーが、飛びつくようにハリーを抱きしめた。
「ハリーッ! ハリー、大丈夫? ねえ何もされてない!? ねぇ、お願い返事をして! ハリー!」
「……、ハー、マイオ。ニー……」
「ああ、ハリー!」
もう増えないだろうと思っていた涙が、どっと流れ出す。
目玉がふやけて溶けてしまいそうだ。
ハーマイオニーに抱きしめられながら、彼女の胸に顔を埋めながら、ハリーは泣いた。
大声で泣いてしまいたかったが、どこか恥ずかしさが残っている。
彼女もハリーの頭を強く抱き寄せていることだし、くぐもって聞こえないだろう。
うん、泣いてもいいんじゃないかな。
「……ぅ、ぁあ、あ――――」
意外と聞こえるじゃないか。
どこか冷めきった自分と、親友に抱きしめられて安堵してしまった自分。
真っ青な顔をしたマクゴナガルが飛び込んできて、ハリーの様子を見てハーマイオニーと何やら話し始める。続いてパーバティやラベンダー、ジニーなど知り合いたちが次々と部屋になだれ込んできた。
そんな騒動の中、ハリーはまるで、子供のように泣いた。
泣き続けた。
ハリーは自分が、自分はもう女の子なのだと、この日ようやく自覚したのだった。
【変更点】
・ルーピンがハリーの特訓に対して若干非協力的。
・ロンハーの喧嘩を仲裁。原作よりこじれなかった程度。
・性別について意識した発言が出来るように。
・自身の性別を残酷な形で自覚。レディの扱いがなってないぜ
【オリジナルスペル】
「フェネストラ・パリエース、塞げ」(初出・31話)
・封鎖魔法。窓や壁の穴などある程度の範囲内を物理的に嵌め殺しにして封鎖する。
元々魔法界にある呪文。難易度は高いが日常生活用魔法の一種。
今回は、というか三年目はハリーが自分のことを思い知る話でした。
男の子扱いされることが多いため、女の子として身体が成長し始めたばかりなのもあって自覚が薄かったのでしょう。もちろんシリウスおいたんにそんなつもりはありませんでしたが、夜くらい部屋に一人で寝てると、ヒゲもじゃの殺人鬼に馬乗りになられて、口を塞がれる女の子。トラウマモノですよホント。
そしてロンとハー子の喧嘩も、ハリーが冷静に仲裁できたおかげであまり行き過ぎない程度に変化。ついでにようにさらりといなくなるスキャバーズ。伏線がいっぱいなお話でした。奴め……いったい何ーターなんだ……?
次回から最後までアクションシーンばかりになると思いますので、頑張ります。