ハリー・ポッター -Harry Must Die- 作:リョース
ハリーはぐったりしていた。
グリフィンドール女子寮には今、五人の人間がいる。
一人はハリー。一人はハーマイオニー。そして二人はラベンダーとパーバティ。
最後の一人は、グレー・ギャザリング魔法魔術学校のカウガールその人だった。
アメリカの生徒たちは豪華客船に乗ってきたので、寝泊りもそこでするはずだ。
なのに彼女がなぜハリーたちの寝室に居るのかというと、単純に彼女がハリーに興味を持ったからだ。
「あたしローズマリー・イェイツ! おまえがハリー・ポッターだな!」
「う、うん。ハリエット・ポッターだ。ハリエットって呼ん――」
「うわあ可愛い! ちっちゃいのにふかふかで柔らかいぜ! 可愛い!」
「もぎゃー! 胸に窒息死させられるーっ!」
抱きしめられて頬擦りされるハリーを見捨てた三人は、友情を代償にローズマリーについてスキンシップが激しいために無意識に女の自尊心を傷つける女という認識を得た。
デカいのだ。
そして腰が細いのだ。
いったい何を食ったらそんなメリハリのついた素晴らしいスタイルになるのか、ハーマイオニーたちには全く分からなかった。やはりアメリカのように広大な大地で育つとああなるのだろうか。人体の神秘である。
そんなローズマリーは大変人懐っこい少女で、あちこちの寮に出向いては遊んで帰ってくるを繰り返しているのだ。げっそりした様子のセドリックや、苛々した様子のドラコなどを見る限り、男子寮にまで突撃しているらしい。何とも行動力溢れるものだ。
「ところで、ローズマリーは代表選手に立候補するの?」
「もちろん。あたし先月十七歳になったから、《年齢線》は問題なく越えられるんだぜ」
年齢線。
今回生徒たちから称賛されっぱなしだったダンブルドアが、唯一非難を浴びた制度だ。
十七歳未満、つまり未成年の魔法使い魔女は競技への参加を禁じるとのことだ。
競技への応募方法は至極簡単で、《炎のゴブレット》と呼ばれる選定器に自らの名前を書いた羊皮紙を入れるだけ。受理されればゴブレットが、競技に至るにふさわしいかどうかを魔法的に判断する。そういった選定の道具があるにもかかわらず、さらに《年齢線》という予防線を張ったのだ。
安全面を考えた策といわれればそれまでだが、それでも参加したがった者達からは大いなる不満が爆発した。しかし今回この大会を開催するにあたって一番許可が出やすかった理由としてはこれにある。
未成年は大人が守るべきもの。成人は自己責任。それは魔法界であろうとなかろうと変わらぬ不文律だ。ゆえに、英国魔法界における成人基準の十七歳未満は参加資格がないというわけだ。
「アメリカ魔法界だと成人は十八からなもんで、国に戻ったら子ども扱いだけどな!」
「ってことはお酒も飲めるわけか。いいなあ」
パーバティよ、君は十四歳なのになぜその味を知っているんだ。
ハーマイオニーがジト目で見つめれば、気まずそうに目を逸らされる。
あっけらかんとしたローズマリーの性格は話していて打ち解けやすく、コミュニケーション能力も高いので実に気持ちのいい少女だった。
ハリーたちは授業へ出るのでローズマリーと別れると、廊下で怪物のような風貌の人物に出会ってハーマイオニーが短い悲鳴をあげた。
人間の顔という者を知らない彫刻家が、昼食に浸かったスプーンを用いてそこら辺に置いてあった木材を削って作ったような歪な顔。更にそれは傷だらけで、しかも右目が異常に大きく人間には有り得ない真っ青な眼球である。それがぎょろ、ぎょろと忙しなく動いているのだ。
ハーマイオニーの悲鳴に対してその怪人はフンと短く鼻を鳴らして、足を引きずりながら教室へ入ってゆく。
入った先の教室は、《闇の魔術に対する防衛術》。
つまり、今の恐ろしい人物が新任の教授ということになる。
「マッドアイ・ムーディだ」
ロンが呟く。
それに対して、ハーマイオニーが言った。
「マッドアイ? ってことはあの人が英国最強の闇祓い、アラスター・ムーディなの?」
「英国最強なの? ……いや待てよ、どこかで聞いたことがあるぞ。どこだったかな、いや、思い出した。あの人、トンクスやハワードのお師匠さんだ!」
うへえ、と声が漏れる。
ハーマイオニーとロンは知らないだろうが、トンクスもハワードも、その人物の名前を出すだけで嫌そうな顔をするのだ。あんなにも美人な二人にあそこまで嫌がられるのだから、きっと女性に対しても一切容赦のない性格に違いない。
ハリーのその予想はまったく間違っておらず、その性別以外にも国境ですら彼には関係ないことまでわかってしまうのだった。
「こっちこっち」
教室の後ろの方にたまっていた生徒たちがムーディに一喝され散り散りになってゆく中、その中心にいた人物がこちらへ手招きしていた。
黒いセーラー服を着たツチミカドだ。
ハリーは嬉しそうな笑顔を浮かべて、その隣へと急いで座る。
「お久しぶり、ポッターさん」
「久しぶりミス・ツチミカド。選手だったんだね」
「実はそうなんだよね。あとユーコでいいよ」
「じゃあ僕もハリーで。ハリエットでもいいよ」
「? どっちが名前?」
「あー……ハリーが愛称。ハリエットがフルネーム」
「じゃあ、ハリーで」
「うん、よろしくユーコ」
「そこ! 授業が始まるぞ! くっちゃべっとる暇があるんだったら、さっさと杖を出せいチビども! それともわしをぶち殺すための密談か!? 呪うぞ!」
怒鳴り声に身を縮こまらせたツチミカド――ユーコとハリーを見て、ムーディはフンと鼻を鳴らした。
黒板に汚い字で殴り書きされた《闇の魔術》の文字が、ぽつんと残っている。
「アラスター・ムーディ。わしの名だ! 教えるのは闇の魔術に対する防衛術! え!? 汚らしい輩の使う魔法だ! 貴様らはそれに対応し、跳ね除け、そして時には反撃せねばならん! そうだろうが、ええ!? なにせ悪党どもが杖を向けてきとるのに、教科書を取り出して呪文を思い出す暇があると思うか? 覚えられることは覚えておくことに越したこたぁない!
とんでもない声量で怒鳴るような授業が始まった。
時折英語を聞き取れず困っている不知火の生徒がいたが、ユーコやハーマイオニーが翻訳している。たしかにスラング混じりの不確かな発音では難しいだろう。
「そこ! なにをこそこそ話しておる! わしを暗殺する計画でも立てとるのか!? させんぞ、『エクスペリアームス』!」
「『プロテゴ』! 発音が悪いので翻訳しているんです、先生」
唐突に武装解除呪文を放ったムーディの攻撃を、ハリーが事もなげに防いだ挙句に反論した。教師に対するあまりにも無礼な物言いに、生徒がどよめく。
ハリーもハリーで、ハーマイオニーに向かって唐突に攻撃されたことに対して相当にご立腹なのだ。魔法式を視るに強めの静電気を受けた程度の衝撃しか受けなかっただろうが、それでも腹が立つものは腹が立つ。
しかしムーディの方はにっこりと微笑んで(凄まれているのと大して変わらないほど怖い顔だった)叫ぶ。
「見事な『盾の呪文』だったぞポッター! きさまに免じて許す! 続きだ!」
何ともぶっ飛んだ人がやってきたものだ。
嘆息するホグワーツ生たちと度肝を抜かれて目を丸くする不知火生を放って、ムーディは話の続きを叫び始めた。喉が掠れているので、はっきり言って耳にやさしくない。
「闇の魔術には膨大な種類がある。その理由がわかるか? え? シェーマス!」
「えっと、闇の魔術の原動力には欲望が含まれているので、『人の欲望尽きることなし、然らば闇の魔導もまた潰えず』、だった、と、思います……」
「正解だ! もっと自信を持て! そいつは古代中国における闇の魔女ソ・ダッキが残した言葉だな! 教科書の内容そのまんまだが覚えていればそれでよい!」
答えを述べて褒められたシェーマスは少し照れくさそうだ。
不知火の生徒たちは、こういうことを教えているのかと興味津々である。
「では続きだ。英国魔法界の法律において許されざる呪文というものが五つある! 答えて見ろ! ほれ、誰かいないのか! よしお前だ、グレンジャー!」
天高く舞い上がるハーマイオニーの美しき挙手が、ムーディの目に留まったらしい。
むしろあの青い目に留まらないものなどないだろう。
毎度毎度自信満々に手をあげるものだから、教師人からは困った時のグレンジャーとまで呼ばれているのをハリーは知っている。なにせあまり勉強熱心とは言えないグリフィンドール生の中で、いつでも答えを言ってくれるのだから授業進行にはもってこいなのだ。
小声でユーコにそのことを教えると、どこの国にも委員長キャラっているのねと呟いていたので日本にもハーマイオニーのような子はいるのだろう。
指名されたハーマイオニーは、その努力に裏付けされた膨大な知識の書庫から、該当する答えを引っ張り出してその唇から零れ落とした。
「『磔の呪文』です。主に拷問の用途で使用される射出型呪文で、濃い赤紫色の魔力反応光に触れた生命体にとって苦痛である記憶を呼び覚まし、それを脳に追体験させることによって現実に起きていることだと錯覚させる原理が用いられています。脳自身が発しているため、苦痛に耐えることや無視することが極めて難しく、そしてその拷問による苦痛では決して死に至らないという魔法式が組み込まれているため、対となっている『服従の呪文』を確実に成功させるために開発されたとされています。開発者は《腐ったハーポ》とも言われていますが、現段階では判別していません」
「完璧だ。グリフィンドールに一〇点をやろう」
久々にハーマイオニーの演説を聞いたハリーは、ムーディに投げられたチョークが命中した額を抑えながらホーと感心しきりだった。
今回の解説の何がすごいかといわれると、発音を正確にしていたという要素がもっとも大きい。日本人である不知火の生徒たちにも聞き取りやすいように配慮していたのだ。
隣に座るユーコからも日本語で「なるほどねー」と呟いているのが聞こえた。
友人が国の価値観をも超えて評価されるというのは存外にうれしい。ハリーはまるで自分が褒められたかのように幸せな気分になった。
「ならば、実際に見せてやろう」
しかしその幸せな気分も、ムーディのとんでもない言葉で萎んでしまう。
いま、なんて言った? 実際に見せるだと?
「せっ、先生!? それは使用すら許されていない呪文では」
「じゃあ何か! きさまらは初見の魔法を防げるとでも!? そいつぁすごい! ぜひとも闇祓い局に欲しいもんだな! ええ!?」
「……」
「いいか、これはヒトに対して使用するだけでアズカバン送りになる程のものだ。今からわしが使うのはただの蜘蛛にだが、ヒトに向けるようなクズにだけはなるな」
重々しく言い放つムーディの言葉に、誰もが言葉を失う。
小瓶の中から蜘蛛を取出し、肥大呪文で見やすくしたムーディは杖を振るった。
「『クルーシオ』、苦しめ!」
途端。蜘蛛の痛々しい悲鳴がとどろいた。
魔法界産とはいえ所詮虫けらであるはずなのに、教室全体に届くような声量が出ている。いや、声なのか? 蜘蛛に声帯はあったか? この声を聴けば、それほどまでに苦痛を感じていることがよくわかる。
一番前の席でネビルがぶるぶると震えているのが見えるが……あれは恐怖から震えているのか? それにしてはちょっと様子がおかしいような気がする。
「先生! ネビルが怖がっています! もうやめてください!」
誰か女子生徒の悲痛な声でハッとしたムーディが、ネビルに目を向ける。
なにかを思案したような間をおいて、足を引きずってムーディはネビルの目の前まで歩いてきた。そして低い声で言う。
「ロングボトム。怖いか?」
「……はい」
「それでいい! 怖くて正しい、恐怖は臆病者の証ではない。一歩前に進む勇気を生み出すための原動力だ」
「………………」
「よしよし、悪かったな。あれはもうおわりだ!」
なにやらネビルと話したムーディは、息も絶え絶えになっていた蜘蛛に向き合い、杖を指して唱える。
「『インペリオ』、服従せよ!」
形容しがたい色の魔力反応光は、抵抗もできない蜘蛛に命中する。
すると蜘蛛がすっくと起き上がり、まるで透明なシルクハットを取るような動きをして優雅に一礼した。あまりにも不自然だったが、しかしなんだか滑稽だ。
そのままそこでタップダンスを踊ったり、何度も宙返りしたりして教室中を笑わせてくれた。蜘蛛が哀れだったが、それでもネビルに気を使ったのだろう。
だがそんなことは無かった。
「ははは! 面白いだろう! これでこの蜘蛛は、なんであろうとわしの言いなりだ! どうだ、次はどうする! 体力が尽きて死ぬまで躍らせるか? 身投げさせるか? 入水させるか?」
実際に目の前でやったりはしないものの、この言葉で全員がはっとなった。
つまり、なんでも言うことを聞かせることができるということは。
他人のために生きて他人のために死ぬ便利な人材が手に入るということだ。
ネビルの顔色がまたも悪くなった。あげて落とすとは何たる外道か。
「この術の危険性がわかったようだな。いいか、この呪文だけは抵抗することができる。『磔の呪文』のように脳に情報を叩きこまれるわけではないからな。きさまらひよっこでも、強い心さえ持っていれば誰だって可能なのだ」
ムーディが感慨深そうに言い、生徒がそれを聞く。
これほど刺激的な授業であるならば、お喋りする生徒などいないだろう。
それをよく表した授業風景である。
「じゃあ、残り三つだ! 誰か知らんか? どうせ他校との交流授業なのだから、不知火の者どもも言ったらどうなんだ! え!?」
「んじゃ、はい」
ハリーの隣で手があがる。
日本人は総じてシャイなのだと聞いていたが、彼女はどうやらその枠には当てはまらないらしい。
「きさまは……ああ、知っとるぞ。ツチミカドだな! よし答えてみろ、ただし英国魔法法律でだぞ!」
「え? あー。えっと、『簒奪の呪文』です?」
「わしに聞くな! だが正解だ! 不知火に五点……与えても意味がないな。よし、ならテーブルが同じよしみだ、ハッフルパフに五点やろう! そこ、騒ぐな! 『簒奪の呪文』の効果がわかるか、ツチミカド」
「はい。視認した対象物と自身を
「その通りだ! ハッフルパフに五点追加。英語の発音もうまいもんだな」
褒められたユーコが少し照れくさそうに頬を掻きながら座ると、生徒たちから拍手が贈られる。はっきり言ってホグワーツの平均した生徒よりも知識量は上だ。
一応ハリーらより一つ年上ではあるが、日本魔法学校で習う授業内容と英国魔法学校で習う授業内容はかなり差がある。日本の魔法学校は陰陽術や忍術などといった日本独自の魔法技術も学ぶ必要があることから、英国魔法学校のようにラテン語を用いた汎用魔法はあまり多くを学ばない。
具体的にその多種多様さを表せば、国によって許されざる呪文まで違うのだ。英国では五つだが、日本では軽く二桁はあるとのこと。歴史的に見て、より戦闘に長けた魔法が多いのだから仕方ないかもしれないが、日本の魔法学生は覚えることが多くて大変そうだ。
「『簒奪の呪文』とはまぁ、要するにそういうことだ。見せてやろう、『ディキペイル』、寄越せ!」
途端、ドス黒い魔力反応光が蜘蛛とムーディの間に立ち込める。
その光は一人と一匹を繋ぐと、水を送り出すホースのように蜘蛛からムーディへと瘤が移動していった。同じくムーディの身体全体も、淡く光っているように見えた。瘤が移動を終えると同時、ムーディの身体からも同色の光が消える。
さっとムーディが顔をあげれば、教室から悲鳴が上がった。
ムーディの目玉が増えていたからだ。
ぎょろぎょろとあちこちを見る目玉はさながら妖怪のようだったが、あまりにひどいインパクトで何も言葉が出てこない。まるで蜘蛛のそれだ。
「
煙と化して余分な目玉が消えゆけば、ムーディの顔は人間らしいそれを取り戻した。ただでさえ威圧感のある恐ろしい顔なのに、あんなに目があれば道端ですれ違っただけで子供が大号泣して、目が合えばショック死してしまうだろう。
ぐるりと教室を見渡したムーディは、またも怒ったように叫ぶ。
「残り二つ! 誰かわからんか? さあさあ、答えろ!」
ムーディの目がす、とハリーを捉える。
びくりと肩が動いてしまったが、そこから更に横へそれて一人の男子生徒に目が留まる。
フジワラだ。
「さあ答えてみろフジワラ。英語はできるな?」
「『死の呪文』」
さらりと答えたその言葉に、教室内のどこかから押し殺したような悲鳴が聞こえた。
『死の呪文』。それはひとえに、まさしく死を与える呪文だ。
健康体であろうと死に体だろうと、心臓が動いていようと目が開いていようと、生まれたばかりであろうと老体であろうと、ヒトであろうとそうでなかろうと、
死ぬ。
「そう、最低最悪の呪文だ。――『アバダケダブラ』!」
ムーディが蜘蛛に緑色の魔力反応光を当てると、蜘蛛は何の動きも見せずその場で死んだ。
苦しみもせず、ひっくり返ることもなく、そのまま糸が切れた人形のように死んだ。
これは、比喩表現ではなく、本当に
ゆえにマグルの検死官がその死体の調査をすると、『死んでいること以外は至って健康』という頭の悪いジョークのような状態になってしまう。
斬殺、刺殺、銃殺、爆殺、毒殺、轢殺、撲殺、殴殺、蹴殺、塵殺、捻殺、潰殺、圧殺、貫殺、絞殺、焼殺、凍殺、埋殺、落殺、壊殺、自殺。あらゆる殺しの前につく《前提》がなにもない状態で、何の原因もなくただただ
そういう、どうしようもなく危険で圧倒的なまでに恐ろしい呪文だ。
避ける方法は「魔力反応光に当たらない」。この一点に尽きる。
『盾の呪文』で防ぐのもいいだろう。盾によって散らされた魔力反応光に数ミリでも触れたその瞬間、訪れる死を迎える覚悟があるのならば。
「これをヒトに対して使えば、当然アズカバンだ。内容によってはもちろん、終身刑もありうる。というよりはそれ以外になる方が珍しい」
蜘蛛が死んだ瞬間に悲鳴をあげていた生徒たちも、すっかり黙り込んでムーディの話を聞く。
恐ろしい。
あの緑色の閃光は、人間が動物として持っている当たり前の本能をちくちく刺激する。
怖い。あの緑色が恐ろしい。
「この魔法に当たって今も生き延びている人間は、恐らく人類の歴史上ただの一人もおらん。そう、ただの一人も。歴史上、ハリー・ポッターという一人の人物を除いてな」
注目が集まったのをハリーは感じた。
みなの視線が、ハリーの額に注がれている。一応お化粧で誤魔化してはいるが、あまりにも有名なことだ。ハリー・ポッターは例のあの人の魔手から、額の傷一つで逃れている。それはあまりにも知られていること。
なんだか顔が熱くなってきたのを感じて、ハリーは居心地が悪かった。
「……さて、では最後のひとつだ。これを答えられる者、居るか」
ハーマイオニーの手があがるが、いつも通りのそびえ立つ自信が見られない。
珍しいことだと思っていると、ムーディが彼女を指名した。
「『冒涜の呪文』です。……ですが、情報は開示されていません。スペルすら、残されていません」
「そうだ、グレンジャー! グリフィンドールに五点。この魔法は極めて危険であり、一部の者にしかその詳細を知ることは許されていない!」
冒涜の呪文。
名前だけが知られており、その内容はあまり知らされていない魔法だ。
大人たちは誰もが知っているが、新世代を担う子供たちには教えたくもない邪悪な魔法であることは確かだ。視界の隅でドラコがスコーピウス相手に肩を竦めているのが見えるが、きっとルシウス・マルフォイも教えようとはしなかったのだろう。
名前からして最低最悪なのはわかるが……。
「おぞましい! ありえんほどにおぞましい呪文だ! だがきさまらは知らねばならない。闇の帝王が御自ら創りあげた、闇の秘術を」
ムーディが杖を振り上げれば、異常なまでに複雑な魔法式が展開された。
式だけで通常の魔法の十倍以上は内容量がある。これに魔力を注ぐには相当な貯蔵量が必要になるだろう。現にムーディの魔力は見る見るうちに消費されている。
こめかみから一筋の滴を流すムーディは、エコーがかった魔力の編まれた声で唱えた。
「『カダヴェイル』、尽くせ」
杖先から闇そのものが零れ落ちる。
込められた魔力量から、大砲のような魔力反応光が射出されるのではないかと想像したが、実際の光景はまったく迫力がない。しかし、杖先からタールのように粘っこい闇がどろりとあふれ出した瞬間、ハリーは猛烈な吐き気に襲われた。
魂の奥が縛り付けられたような息苦しさと、食道を直接鷲掴みにされたような嘔吐感。胃の内容物を戻すまいとこらえるハリーの前で、粘着質の闇は蜘蛛の死体に垂れた。
途端、びくりと蜘蛛の足が動く。
生徒たちからどよめきが広がると同時、確実に死んだはずの蜘蛛が起き上がってムーディの手の甲に乗り、大人しくその場で座した。
まさか。
死者蘇生の秘術だとでもいうのか?
そんなものは魔法式を構築するのさえ、神代の魔法使いが何百人居ても無理なはずだ。
歴史上すべての魔法族が生涯生産し得る魔力をかき集めたところで、足りないはずだ。
心の奥底が冷え込むような感覚を味わいながらも、ハリーは未だに触角をひくひくと動かす蜘蛛を注目した。
「『冒涜の呪文』は、死者を生き返らせる呪文ではない!」
ムーディの怒鳴り声がよく心に響いてくる。
あの外法が死者蘇生の魔法でないとすれば、いったい何なのか。今目の前で生き返った蜘蛛のことは、何と説明したらよいのか。
「これは死者に偽りの命を吹き込み、操り人形と化す邪法だ」
そこでハリーはようやく、なるほどと合点がいった。
ようするにあの蜘蛛は
生き返ったわけではないから生命活動は行っておらず、ただただ術者の書き込んだ命令のままに動き続けるロボット。主人に逆らうことのない都合のいい肉人形。
死してなお好き勝手に動かされるなど、これ以上ないほどの《冒涜》だった。
「ダンブルドアはこの呪文を教えることだけは渋っていたが、わしはこれこそを教えるべきだと判断した。闇の輩は、こうして殺した相手を玩ぶ。だからこそ、殺されてはならん! 身を守るにはこうして相手が何をしてくるかを知る必要がある! 油断大敵だぞ、きさまら。いいな! 肝に銘じておけよ、
闇の魔術に対する防衛術の授業が終わると、生徒たちは足早に教室から出て行った。興奮しきりで先ほどまでの授業の話をする者、気分が悪くなって飲み物を求める者、イギリスって未来に生きてるなと感心する者、などなど。
そのうちハリーとネビルは気分が悪くなった者であり、ひとつの瓶に入った清涼飲料水を交代で飲みまわしていた。ネビルは『磔の呪文』を見た時から、ハリーは『冒涜の呪文』を見た時から胸の奥がむかむかするのだ。
「大丈夫かい、ハリー、ネビル」
「もうちょっとお水いるかしら。持ってくるけども」
ロンとハーマイオニーが心配そうに覗き込んでくるものの、ネビルは弱々しく微笑むだけだった。ハリーに関してはそんな気力もないらしく、ただぼーっとしている。
そんな中、何かを引きずるような音が聞こえてきた。なんだろうと思って振り返れば、そこにはムーディがこちらへ向かって長杖を突いているではないか。
なんだなんだ、と周囲の生徒が注目する中、ムーディは授業中は見せなかった柔らかい表情を見せる。無論のこと、微笑んだのだと気付かなければ今からネビルとハリーを殺そうとしているようにしか見えなかった。
「だいじょうぶか、え? 気分が悪くなったのか」
ムーディは怖がらせた詫びにとお茶に誘ってくれた。
ハリーは遠慮したが、ネビルはついてゆくようだ。手を振って別れを告げる。
「……イギリスってすごいんだね」
「いや、あんなのばっかりってわけじゃないからね」
ユーコがしみじみと呟く言葉は否定しておかないとイギリスが誤解される。
冗談で言っていたらしく、にこりと満足そうな笑みを返されてしまったので、肩を竦めて返すしかない。
「じゃあ、私たち次は五年生の魔法薬を受けるよ。ハリーたちは四年生でしょう?」
「うん。じゃあここでお別れだね。またね、ユーコ。と、えーっと……」
上級生の授業を受けるということは、今回はここでお別れだ。
ハーマイオニーと握手したりして仲良くなったようで何より。別れの挨拶を済ませようとしたものの、フジワラについては何と呼べばいいのかわからないことにはたと気づく。
無口なようなので、なんだか呼び捨てにしたら怒られそうそうな気がする。
ゆえに悩んだのだが、その意図に気付いたユーコがにやにやと笑いだした。
「ホラ、宗二郎。ハリーが何て呼べばいいのか困ってルヨ。教えてあげナイノ?」
「……イヤ、優子。こう可愛いと、なんだ。恥ずかしイ」
「相変わらずの照れ屋ダネ。ホレ、勇気を出しナヨ」
なにやら日本語で相談し始めたようで、ハーマイオニーとロンは気長に待つことに決めたようだ。どうせ次の授業は《呪文学》で、すぐ近くの教室なのだ。
どうやらソウジロー・フジワラは極度の照れ屋だったようで、ハリーと話すのに対して気後れしていたらしい。想像通りのテンプレートにシャイな日本人だ。
しかし、困ったことがある。
ユーコはわかってやっているようだが、これではフジワラが不憫だ。
「ぼく、日本語分かるんダヨネ」
「なッ」
「大丈夫だからサ。あまり、ソノ、緊張しないでネ。ソウジロー君」
「……あ、ハイ……」
日本語だから聞こえないと思って、堂々と本人の目の前で可愛いなどと。
顔には出ていないようだが、唸っているあたり相当羞恥に苦しんでいるようだ。ユーコがにやにやと嬉しそうにしているのを見ればよくわかる。
後に「好きに呼べ」と片言の英語でぶっきらぼうに言い放ち、ソウジローはさっさと立ち去ってしまった。居た堪れなかったのかもしれない。
追いかけたユーコが並んで何かを言い、怒ったソウジローに無視されているのが遠目に見えた。さて、お二人さんは放っておいて授業に出なければ。
ハリーはイギリス人にあるまじき感情ではあるが、なんだかコーヒーが飲みたい気分になっていたのだった。
魔法史の授業。
ビンズ先生が《英国魔法史の盛衰》について述べている中、ハリーはハンサムな青年に手を握られていた。
大胆に開かれたドレスシャツから覗く胸毛がチャーミングな、ソウジローと同じか一つ上くらいの青年。確かディアブロの校長先生を魔法で出現させた生徒だったか。
「ああっ。なんて可愛らしいんだ、ハリエット・ポッター! キュートだよ!」
「え、あ、ありがとう?」
「おおっと僕としたことが、これは失礼。僕の名はバルドヴィーノ・ブレオ。ディアブロ魔法魔術学校最高学年にして主席! 今後ともシクヨロ」
「よ、よろしく」
「ああ、本当に可愛いなハリエット・ポッター! 抱きしめたいぞぅ! 髪は溶いた墨のようにしなやかで黒く美しい、瞳はまるでエメラルドのように僕を映している!」
「そ、そっすか」
「でもそんな君でもまだ足りないピースがある! 欠けているのさ! そう、君の素晴らしいスタイルには感服するばかりだ。鍛えられているのがわかるしなやかな脚、それを包むスパッツに、どうやら穿きなれていないゆえに恥じらいの残るスカート! 長くしたかったけど学友に短いスカートの方が可愛いと断言されたんだろうね、んぅう~~、グゥレイトォ! ブラーヴォ! そして見事にくびれた腰! いやぁ、これは太過ぎず細すぎない健康的な細さだね、運動してる結果がよく出てるようだ! 撫でまわしたくなるラインを描いているぞぅ、これは魅力的だぞい! 更にさらに、その大きく実った果実なんてむしゃぶりつきたくなるくらいの両手にピッタリサイズ! でももう少し注意した方がいいかな不注意なばかりに揺れるのがよく見えるから男の目には気を付けよう! さぁハリエットちゅわん! 僕のたくましい胸に君のその小柄な体を預けておくれ! そう、君に足りないのは僕さ! 僕の観察眼によるとまず間違いなく確定で君は清らかだろう! それは問題ない。今夜、僕という男を知れぶぁ」
「『エクスペリアームス』、
セクハラ発言をかましたブレオは、ハリーの発した呪文によって錐もみ回転しながら吹き飛び、教室を横切って窓ガラスを突き破りホグワーツ上空へ躍り出た。「魔法を放つ姿も素敵だぁぁぁ……」という断末魔を残し、何かにぶち当たる音を残して消える。
事の顛末を見て居たディアブロ生たちがやんやと歓声と野次を飛ばしてきたので、きっとあの青年は毎回こんなことばかりしているのかもしれない。どうやらナンパ失敗を祝っているようだ。その感覚がわからないながらも、ブレオの視線がずっと胸を向いていたためハリーは両腕で隠していた胸を開放し、たいそう不機嫌な顔をしていた。
長いため息をついて、ハリーはどっかと乱暴に席に座る。
と、ロンからの視線に気付く。なんだろうと思うも、先のブレオの言葉を思い出した。
勢いよく座ったら、どうなるか?
「…………スケベ」
「んなっ!? そりゃ心外だ! そんな、僕は見てないよハリー!」
「それはそれでなんかムカツクな」
「どうしろと」
両腕で胸を隠しながら、ハリーはジト目でロンを見る。
一瞬だけぽかんとしたロンも、意図を察したのか顔を真っ赤にして否定した。しかしその言葉は逆効果である。乙女心とは如何なる魔法よりも複雑怪奇なのだ。
隣のハーマイオニーが不機嫌そうな顔でこちらを見ているが、まぁこれくらいは許してほしいものである。このくらい、このくらいはね。
しかし、こんな騒ぎの中でも動じず歴史について語り続けるビンズ先生は、さすがとしか言いようがない。
アメリカと日本と違い、イタリアとはなんだかあまり接したくないような気がする。
このままだとすれ違いざまに胸や尻を撫でてくることもしてきそうだったので、ハリーはディアブロの制服が視界に入ったら最大限に警戒することに決めた。
ビンズ先生が終礼のチャイムと共に授業の終わりを告げる。この騒ぎの中ずっとつらつら授業内容を語っていたのだから、恐るべき男だ。すれ違いざまロンの尻を撫でて行ったガタイのいいディアブロ生を唖然として見送りながら、ハーマイオニーは溜め息を吐く。
やっぱり、今年は苦労の絶えない年だ。
「ハリーは適当にあしらってたけど、あたしはやっぱりブレオの男らしさが好みだわね。ハリー、あなたイタリア男はだめなの?」
「だめっていうか……単純に好みじゃないかな」
「ワァオ。辛辣なコメントね。ハーマイオニー、あなたは? やっぱりロン?」
「ばっ、な、なにがロンよ! うーん、興味ないわよそういうのは」
「そういうのはなしって言ったじゃないの。ほら、ハリー。貴方だって好みの男の子がいたでしょう。やっぱりあなたもロン?」
「ロンは確かに好きだけど、うーんどうだろ。ぼくの好みだけで言うとソウジローだなあ。髪綺麗だし、クールって感じで結構好み」
「へえ。へえへえへえ! ハリーにもついに春が!? 恋ね、恋なのね!?」
「お、落ち着けってパーバティ! ソウジローにはユーコがいるし、それに別に恋心ってわけじゃない! 単純に見た目がいいってだけだよ! それにシャイボーイは趣味じゃない」
「ハリーあなたやっぱり辛辣よね。そっかぁ、やっぱりあんたらはロン一強かぁ」
「「違う!」」
夜のグリフィンドール女子寮にて、少女たちはきゃいきゃいとお菓子を摘まみながらおしゃべりに興じていた。前までハリーはこの集まりに意義を見いだせなかったのだが、参加してみればこれはこれで面白い。
不知火の女子生徒からもらった《抹茶ポッギー》なるお菓子をぽりぽり食べながら、ハリーは横を見る。そこには極彩色のグミやポテトチップスをばりぼり口に放り込むローズマリーの姿がある。やっぱりカロリーなのか? あの胸には食べ物が詰まってるのか? ラクダなのか?
ハリーの視線に気付いたのか、もぐもぐしながら「あんだよ?」と聞かれたので、ハリーはなんとなく彼女にも話を振ってみた。
「ローズは誰か、好みの男の子とかいないの?」
「あー。今まで付き合ってきた男どもがみんな情けなかったからなぁ。今は興味ねえや」
「お、おお……大人……」
たった三つしか年齢が違わないのに、何たるオトナな発言。
思春期真っ盛りで好奇心旺盛な十四歳女子であるハリーたちは、彼女の話が気になって気になってしょうがなかった。
今まで付き合ってきた男の子は何がダメだったのかと問えば、
「奴らあたしのおっぱいかケツしか見てねえんだ。ほら、なんだ。視線でわかるだろ?」
ハリーとパーバティが頷いた。
ラベンダーとハーマイオニーが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「ええ、じゃあローズさんって……その、経験豊富なの?」
「あらやだハーマイオニーったらムッツリだわね!」
「んなぁあっ!? ち、違うわよラベンダー! そ、そういうんじゃなくて。そう! 学術的な興味を持った知的な問いなのよ!」
「落ち着けハーマイオニー。コイバナほど知的から遠い話題はないぞ」
顔を真っ赤にしてラベンダーとハリーに食って掛かるハーマイオニーを見て、ローズマリーはけらけらと笑う。
それでそれで、と話をせかすパーバティに、ローズマリーはにやりと笑った。
「わりぃけど、あんな男どもにあたしの美乳を揉ませてやる価値はないな」
「こいつ言い切ったぞ」
「無理矢理にでも組み敷こうとする野郎が居なかったわけじゃないぜ。まあ、そういう輩には自前のスニッチと泣き別れしてもらったり、ケツに魔法ブチ込んだりしたんだがよ」
「男子が聞いたら泣きそうな話だわね」
どうやら性格に違わず、ローズマリーは結構プライドが高いようだ。
綺麗なはちみつ色のポニーテールを揺らして、ローズマリーはまるで悪党のような笑みを浮かべる。とてもではないが、恋愛話をする表情ではない。
「あたしのファーストキスとバージンをくれてやれるのは、あたしがあたしより強い男に惚れた時なんだろうなってハッキリ確信できるぜ」
「うわあ、すっごい発言」
「ハリーだってその時が来りゃあ分かるさ。ま、あたしだってまだ知らねぇけど!」
けたけた笑うローズを見ながら、ハリーは思う。
自分がそういうコトを誰かとする? ぼくが? このハリエット・ポッターが?
想像してみれば、なんだか妙な気分になってしまう。これは、……ないかな。
てかどうして相手がロンなんだ。しかも言ってることは昼間のブレオの台詞。
妄想世界のロンが窓ガラスをぶち破ってクィディッチゴールに突き刺さったあたりで、ハリーは現実へと帰還した。どうやらローズマリーがおねむなようで、ハリーを抱き枕に眠り始めたのだ。
壁掛け時計を見てみれば、もう夜中の零時半だ。
明日は朝一番にイベントがあることを思い出したハリーたちは、大慌てでお菓子を片付けてベッドに飛び込むのだった。
ローズマリーが談話室で大笑いしている声で目が覚めた。
簡単にスカートとブラウスに着替えてから、何事かと見に行ってみればパジャマ姿のままカーペットに寝転がって笑い転げているアメリカ美女の姿があった。
パジャマがめくれておへそがばっちり見えてあられもない姿になっているので、ハリーは彼女の服装を直しながら、おそらく彼女が嗤っている原因だろう人たちに目を向ける。
「フレッドにジョージ……なのか? なんだ、その……えーっと、立派な髭は?」
ハリーが目を向けた人物は、確かにウィーズリーズの面影がある。
しかしどこからどうみても九〇か、下手したら百歳はいってそうなお爺さんだ。
「ふぉっふぉっふぉ。お久しぶりじゃのう、ハリーさんや」
「ほっほっほ。ハリーさんや、晩飯はまだかの」
二重の意味でボケている。
どうせまた何かやらかしたのだろうと思っていると、笑いすぎて泣き始めたローズマリーが目元をぬぐいながら事情を説明してくれた。
「くくっ、うっひひひひひ。こ、こいつらバッカでー! 《老け薬》飲んで《年齢線》越えようとしたんだってよ! そうしたらダンブルドアの書いた魔法式がこいつらに侵入してご覧の通りだ! うひゃひゃひゃひゃ」
「笑うとはなんと失礼なおなごじゃ!」
「喰らうがよい、ヒゲくすぐりじゃ!」
「ひゃひゃはははははは! あーっ! やめろやめろくすぐったい! あはっははははコラコラやめろセクハラだぞ! きゃーっ! ひゃーっ!」
朝っぱらから何をやっているんだと思わなくもないが、髪を整えるためにハリーはその場から無言で立ち去る。ローズマリーが涙目で笑いながら助けを求めていたが無視した。
身だしなみを整えて、学校指定のローブを羽織る。
談話室で死にかけていたローズマリーを魔法で着替えさせて(もちろん野郎どもは追い払った)、担いで歩く。カウガールのようにおへそを出した派手な格好に、グレー・ギャザリング指定のローブを羽織っている。
廊下で会った生徒たちも、みなきちんとローブを着ていた。
大広間でユーコとソウジローにも出会ったが、彼女らもセーラー服と学ランの上にマントを羽織っている。遠目に見つけた限りでは、クラムやブレオも同じように学校指定の制服をきっちりと着ている。
今日は六大魔法学校対抗試合、その選手発表の日。
十七歳以上の生徒が自らの名前を書いた羊皮紙を《炎のゴブレット》に入れて、ゴブレットが選手にふさわしい者を選定するのだ。
その発表の日なのだから、みんな気にならないわけがない。
「さて、諸君」
教員テーブルの前に立ったダンブルドアが言葉を開けば、生徒たちが全員静かになる。
ハッフルパフテーブルからもらったオソバを四苦八苦して食べていたハリーも、ダンブルドアを見た。
「お待ちかねの時間じゃ。最後にもう一度だけ言っておこう。《炎のゴブレット》に選ばれた者は、魔法的な制約がかかる。選ばれれば競技を続けなければならないのじゃ。その覚悟があって、諸君らは己の名をゴブレットに入れたことと思う」
向かいの席で、ローズマリーがニヤリと笑って頷いたのが見えた。
ハリーとてこのお祭りに参加したくなかったわけではない。下手な十七歳の生徒よりはよっぽど力を持っている自負もあるし、ヌンドゥと戦ってねなんて言われない限りは大丈夫だとも確信していた。
しかしハリーは今回、参加を見送った。ハリー自身がまだ十四歳ということもあるが、なによりここまでの三年間は大変な目に遭ってきたからだ。だから今年くらいはいいだろう、と丸くなったのを自覚しながらそう思ったのである。
一年間、ポップコーンでも食べながら選ばれるであろうローズマリーやらホグワーツの選手を応援していればいい。きっと熱狂できることだろう。
「ゴブレットに火が灯った。ここから吐き出される羊皮紙に書いてある名前が、各校の代表選手じゃ。……よしよし、まず一人目のようじゃな」
炎のゴブレットとはその名に違わぬようで、本来ワインなどが注がれるべき個所から青白い炎が噴き出した。
それは天井を舐めるように大きく育つと、一枚の羊皮紙が炎の中からその身を躍らせた。
ダンブルドアはそれをキャッチして、名前を眺め、言う。
「ボーバトン魔法学校の代表選手は、フラー・デラクール!」
レイブンクローのテーブルから歓声があがった。
立ち上がりダンブルドアのもとへ向かうのは水色のローブに身を包んだ、銀髪の美女。
ローズマリーのように派手なスタイルではないが、均等の取れたギリシャ彫刻のような美しさを持った少女だ。ビーナスに腕があれば、きっとあのように美しいのだろう。
ハリーがハーマイオニーと共に調べたところ、彼女は《ヴィーラ》という魔法生物の血を引いていることが分かった。ヴィーラとは鳥獣人系の魔法生物で、平時は絶世の美女であるが怒りに燃えあがると恐ろしい鳥人にその身を変化させることで知られている。
そして、魔法的なフェロモンを持つ女の敵でもある。汗などからの空気感染が主であり、もし感染せしめれば男性の交感神経を極端に刺激し、ヴィーラに対して絶対的な価値観を持ってしまう。要するに熱烈な恋をして夢中になってしまうのだ。
歴史上、ヴィーラと結婚して子を成した魔法使いがいることはよく知られている。そういった意味では記録に残る範囲では人間と共に生きていくことに成功した魔法生物といえなくもないのだ。
ヴィーラに恋人を取られた女性の話には枚挙に暇がない。ゆえに女の敵でもあるのだ。
現にいますぐ隣でロンがぼーっとしている。
「痛った!? え、なにするんだよ!」
ハリーとハーマイオニーが同時にロンの足を踏みつけ、ロンが短い悲鳴をあげた。
にこにこして三人を観ていたローズマリーが、次の炎が燃え上がったのを見て指差す。
それに気づいたハリーも、ゴブレットを見た。羊皮紙が出る。
「二校目……グレー・ギャザリング魔法学校代表、ローズマリー・イェイツ!」
「ぃよっしゃあ――っ!」
グリフィンドールテーブルから盛大な拍手が響いた。
他寮からも結構な拍手が響いていることから、もうすでに彼女はこの学校の中でもかなりの有名人になってしまったらしい。なんだか嬉しいことだ。
周囲に投げキッスを振り撒きながら、ローズマリーはダンブルドアのもとへ歩いてゆく。
ダンブルドアと握手を交わし、グレー・ギャザリング校長のダレルに親指を立てた拳を突き出してから、ローズマリーは奥の部屋へと消えて行った。
「早くも三校目が決まったようじゃ」
炎のゴブレットが吐き出した羊皮紙の切れ端をダンブルドアが受け取り、未だにぷすぷす音を立てていた端っこの火を振り払う。
名を眺めれば、ほうと声が漏れた。
どうやらホグワーツのようだ。
「三校目。ホグワーツ魔法学校、代表選手。セドリック・ディゴリー!」
ハッフルパフのテーブルから、爆発したかのような声援が上がる。
照れ臭そうに立ち上がったセドリックと目が合う。おめでとう、という意味を込めて微笑みながら拍手を送ると、とても嬉しそうに笑顔を輝かせてガッツポーズを決めてくれた。
この三年間、ハッフルパフが目立ったことはあまりなかった。しかしこの度、聖人と言ってもいいくらい善人で責任感溢れる正義感のセドリックが選ばれたことで、今年の主役はハッフルパフが持って行ったのだ。
感動のあまり泣き出した七年生もいるほどで、その不遇っぷりが分かろうものだ。
これでもう、あの寮を落ちこぼれの寮などと言う者は出ない事だろう。
ダンブルドアと握手を交わして、セドリックも先の二人と同じく奥の部屋へと消えて行った。
炎が巻き起こり、四枚目の紙を吐き出す。
「おっとっと。ふむ。四校目を発表する。ディアブロ魔法学校の代表選手に決まったのは、バルドヴィーノ・ブレオ!」
サッとスリザリン席から立ち上がったのは、件のセクハラ青年だ。
ハリーがウゲーという顔をしたのをロンとハーマイオニーが笑いながら、拍手を送る。大仰に礼をしたり、投げキッスをしたりしてなかなかダンブルドアの前に行かないものだから、隣に座っていたドラコがブレオの向う脛を蹴り飛ばした。
頭を掻きながらダンブルドアの前にやってきたブレオは、二、三言葉を交わしてから握手を済ませ、奥の部屋へとスキップして消えて行った。
その際に手が怪しい動きをしていたので、たぶん数分後にはローズマリーの撃墜数が増えていることだろう。
「五校目が決まった。ダームストラング魔法専門学校、代表選手はビクトール・クラム!」
スリザリン席から立ち上がったクラムは、大広間中から飛び交う大歓声を一身に受けた。彼に至ってはもはや寮の垣根など存在しない。何故ならヨーロッパのヒーローが主役に選ばれるなど、当然のことだからだ。
若干猫背気味の姿勢でダンブルドアに歩み寄り、握手をしてからまたゆっくりと扉の向こうへ消えてゆく。その際に、ダームストラングに向かって拳を振り上げたので、また爆発的な歓声を受けた。
ゴブレットから青炎が燃え上がり、最後の羊皮紙をダンブルドアの手の中へ運ぶ。
すすをふっと息で払って、ダンブルドアは高らかに宣言した。
「そして六校目が決まった。不知火魔法学校の代表は、ソウジロー・フジワラ!」
ハッフルパフから大きな拍手と静かな歓声が起こった。
物静かなのは日本人の生態だから仕方ないとはいえ、いまいち盛り上がりに欠ける。
ソウジローはすっくと立ち上がり、つかつかとダンブルドアのもとへ歩いていく。しかし後ろでマントを引っ張られたのか、一瞬動きが止まった。見れば、ユーコが掴んでいたようだ。
口元に手を添えて手招きしているので、なにか囁こうとしているらしい。
ソウジローがユーコの口元に耳を近づけた時、ユーコが意地悪そうにニヤリと笑った。そしておもむろに抱き寄せると、その頬にキスをする。
大広間は大盛り上がりだ。先ほどよりも大きな歓声やら口笛やらが響き渡り、ソウジローがダンブルドアの前に出た時は無表情のまま耳が真っ赤になっていた。
微笑んだダンブルドアはソウジローとお辞儀しながら握手をして、最後の代表選手を奥の部屋へ通した。
六人の戦士が選ばれたのち、ダンブルドアは大広間の生徒たちを見渡した。
「よし、よし。若者の愛とは何にも勝る素晴らしい魔法じゃ! 素敵なイベントも見れた事じゃて、続いては観戦者のほうにルール説明をせねばならんの」
ほくほく顔のダンブルドアが生徒たちに向き直り、杖を取り出してなにやら宙に図を描く。
どうやら今後の日程のようで、最初の試合はいつ行うのかを説明しようとしたのだろう。
光のアルファベットが綴られている最中に、生徒たちがどよめかなければ。
「……、これは」
炎のゴブレットが燃えている。
赤く煌々と揺らめかせて、新たな代表選手の選定を始めていた。
しかしこれはおかしい。六校という参加校のすべてが代表選手を選び終えている。
ホグワーツ魔法学校の、セドリック・ディゴリー。
ボーバトン魔法学校の、フラー・デラクール。
ダームストラング魔法専門学校の、ビクトール・クラム。
グレー・ギャザリング魔法学校の、ローズマリー・イェイツ。
ディアブロ魔法学校の、バルドヴィーノ・ブレオ。
不知火魔法学校の、ソウジロー・フジワラ。
天を舐めるように放り出された羊皮紙から、焦げた破片が散ってゆく。
宙にひらひらと浮くそれを手に取ったダンブルドアは、そこに書かれた文字を見て一瞬だけ硬直したように見えた。
ハリーは直感した。
なんだか面倒な予感がするぞと。
「ハリエット・ポッター」
今度はハリーの身体が硬直する番だった。
ホグワーツ魔法学校の、ハリエット・ポッター。
本来ならば選ばれないはずであるホグワーツの代表選手、その二人目。
「……ポッター! ハリー・ポッター! ここへ来なさい!」
ダンブルドアの声がハリーの耳に届く。
手に持っていたジンジャーエールの入ったグラスを机において、ハリーは眼を閉じた。
誰だ、今年が平和であるなどと言った奴は。
「ハリー。行かなくちゃ」
ハーマイオニーの囁き声に、ハリーは立ちあがる。
全校生徒が見つめる中をまっすぐダンブルドアに向かって歩いてゆくハリーは、自分の境遇がまるで処刑台へと向かう囚人に思えて仕方がなかった。
困惑しながらもダンブルドアの元へ歩み寄ったハリーは、代表選手たちのいる部屋で待つようにと伝えられる。
それに無言で頷いて返したものの、ハリーがダンブルドアの顔を見たときは内心でひどく動揺していた。
あんなにも厳しい顔をしたダンブルドアを見たのは、初めてだったからだ。
まるで……そう。まるで、あれは、
敵を見るような眼だった。
【変更点】
・新三校との交流。
・ムーディの授業にて禁呪の実演。
・思春期の男の子だから、仕方ないのです。
・代表選手は七人。
【オリジナルスペル】
「カダヴェイル、尽くせ」(初出・14話)
・《冒涜の呪文》。死体に魂魄情報を書き込み、操り人形の亡者として使役する呪文。
1982年《許されざる呪文》に登録。暗黒時代、ヴォルデモート卿が開発。
【オリジナルキャラクター】
『ローズマリー・イェイツ』
本物語オリジナル。グレー・ギャザリングの代表選手。
アメリカ人。金髪碧眼の陽気なナイスバディ美女。射撃魔法を得意とする。
『バルドヴィーノ・ブレオ』
本物語オリジナル。ディアブロの代表選手。
イタリア人。黒髪青目の長身痩躯なスケベ。精密な魔法操作を得意とする。
『ソウジロー・フジワラ』
本物語オリジナル。不知火の代表選手。
日本人。黒髪黒眼のポニテサムライ。近接戦闘系の魔法全般を得意とする。
七人の魔法使いが集まり優勝杯をうんたら。
この度紹介されました『冒涜の呪文』。これは原作でたびたび出てきた《亡者》に勝手に設定づけたものです。この呪文の登場によって暗黒時代では、殺された家族や仲間が襲ってくることが稀によくありました。ヤバい呪文だってばよ。
さて、例年のハリーイジメが始まりました。
六人の年上たちと優勝をめぐって争い合う、バッチリ戦闘描写たっぷりな一年間が始まります。ちょっと今年はハードすぎるので、代わりにお友達が増えたよやったねハリー。
代表選手たちとの交流や、性別による意識、そしてドギツイ運命が渦巻く四年目。頑張ってもらいたいものです。
※ダームストラングについて訂正。