ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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5.心の鎧

 

 

 

 ハリーはひどく困惑していた。

 《炎のゴブレット》がハリーの名前が書かれた羊皮紙を吐き出したことで、いるはずのない七人目の代表選手に選ばれてしまった。

 もちろんハリーは応募などしていない。何故なら他の参加したかったホグワーツ生たちと同じく年齢線を破る方法を見つけられなかったからだ。さらに言うと、ハリーはおばあちゃんになっていない。

 とりあえず代表選手たちが待機している部屋に行きなさいと指示されたハリーは、代表選手たちが険悪な雰囲気でいる中、胃がきりきり痛み始めたことを自覚しながら椅子に座っていた。

 ハリーを責めているのは、フランス魔法学校《ボーバトン》の代表選手、フラー・デラクール。多少間延びした発音ではあるがそれでも綺麗な英語で、ホグワーツから二人も代表が出るのはおかしい、不正だと騒ぎ立てているのだ。

 一方それに対して反論するのは、同じイギリス魔法学校《ホグワーツ》の代表選手、セドリック・ディゴリー。彼とハリーはプライベートでも仲が良く、スポーツマンとしてライバルとして、互いに信頼をおいている。ハリーが不正をして喜ぶような少女ではないことを良く知っているのだ。

 もう一人ハリーを庇ってくれているのは、アメリカ魔法学校《グレー・ギャザリング》の代表選手、ローズマリー・イェイツだ。彼女は単純にハリーと仲が良いために責め立てられる様を見ていられなかったといった具合である。

 ふたりともハリーの身内と言ってもいい関係にあることから公平性に欠けるため、この場での発言力はあまり高くない。壁に寄りかかっている日本魔法学校《不知火》代表選手のソウジロー・フジワラも同じことだ。彼の場合はシャイなのか、それともハリーを擁護する発言が無駄であることを知っているためか、無言を貫いている。

 

「ですーが、それでも名前を入れない限り《ゴブレット》が指定するなど、ありえませーん! それに懸念材料となっている《年齢線》を越えるだけなら方法はいくらでもありまーす! それこそ、上級生をたぶらかして名前を入れてもらうとかありまーす!」

「下ネタで耳真っ赤にするようなハリーがそんなことできるわけねぇだろ!」

「その無駄に大きーな、それでどうにーか、できるんじゃないですかー?」

「乳のねーやつが僻んでんじゃねーぞ!」

「んなっ! 牛女がなにーを!」

 

 フラーとローズマリーの口論が脱線してゆくのを、セドリックは止めることができない。もはや隠すことなくバストサイズの話題でギャーギャー言う女性相手に、口をはさめるほどセドリックは非紳士的ではないのだ。

 せめてもの証としてハリーの肩をぽんぽんと叩いてくれているが、手つきからしてちょっと意識しているのが分かる。居心地が悪いのだから仕方ないだろうとハリーは判断した。よもや今の会話でハリーの胸のことを考えているなど、セドリックに限ってはないのだから。

 イタリア魔法学校《ディアブロ》代表選手の、バルドヴィーノ・ブレオの言葉は女性を持ち上げているだけなので、全く無意味と言ってもいい。矢面に立たされているハリーは当然として、ローズマリーにもフラーにも君の意見は素晴らしいくらいのことしか言わないため、いまは相手にされていない状態だ。

 そこで声をかけてきたのは、今までソウジローと共に壁際に居たドイツ魔法専門学校《ダームストラング》の代表選手、ビクトール・クラムだ。

 きつく閉じていた目を見開き、よく通る低い声で発言する。

 

「ヴぉく達が議論すべきは、そこじゃないはずだ」

 

 ドイツ語訛りの強い英語で、静かに言う。 

 六人の視線が彼に集まるものの、世界中の注目に晒される経験のある彼は身じろぎすらしない。堂々と意見を放った。

 

「問題ヴぁ、これからヴぉく達がどうすヴぇきなのか。《炎のゴヴレット》でもう一度選定をやり直すのかどうか。しかし、なによりも……」

 

 ここでクラムがちらりと視線をソウジローに向ける。

 それに対してソウジローは少し目を開けて、小さく頷くとクラムの言葉を引き継いだ。

 

「……別に。一人増えようが、問題ない」

「問題大ありでーす! なぜそんなこーとを言えるので――」

「誰が相手だろうと、勝つのは俺だからだ」

 

 にべもなく返された言葉に、フラーは絶句した。

 満足のいく答えだったのか、クラムは口角を持ち上げて笑った。

 クラムが鼻を鳴らしながら「訂正すべきは、勝つのがヴぉくだということだ」と付け加えてきても笑っていられるあたり、二人の自信のほどが窺える。

 普段ならばハリーも喜んでこの二人の輪に加わろうとしただろう。

 クィディッチと魔法戦闘という違いはあるものの、世界に覇を唱えんとする男二人と手合せできるのだ。これ以上ない経験を積めるに違いない。

 しかしこの状況はハリーが望んだものではない。

 はやくハーマイオニーとロンを抱きしめて、くだらない話をして笑いあってから暖かいベッドでぐっすり眠りたい。こんな胃に穴の空いてしまいそうな気分は味わいたくない。

 

「ハリー! ハリー・ポッター!」

 

 扉が開いてつかつかと歩み寄ってきたのは、ダンブルドアその人だ。

 強い語気でハリーの名を呼び、怒っているかのように髭も髪も膨らんでいる。

 ハリーの華奢な肩を掴むと、老人とは思えない力で揺さぶりながら詰問してきた。

 

「ゴブレットに名を入れたか! 或いは上級生に頼んで入れてもらったか!」

「い、いえ……どちらもしていません、先生」

「うそだ!」

 

 ハリーの声を否定したのは、ヤギ髭の男、イゴール・カルカロフだった。

 怒りに燃えた目でハリーのことを睨みつけている。

 

「その小娘は嘘をついている! ホグワーツから二人も……! そんなの、規律違反。そう、ルール違反だ! 不正が行われているぞ、ダンブルドア!」

「その通りでーす。一校から二人の代表選手が選ばれるといーうのなら、我がボーバトンかーらも、二人選ばせていただーきます」

 

 マダム・マクシームも同じくご立腹のようで、その巨体をさらに膨らませている。

 その二人をまぁまぁと諌めているのはレリオ・アンドレオーニだ。どうやらアンドレオーニは中立的のようで、何らかの不具合によるもならば善し、ハリーが不正をしているのならば悪し、と考えているようだった。

 サチコ・ツチミカドは小さな体で杖を突きながら、ソウジローになにやら囁いている。表情を変えずに頷いているあたり、あちらも中立らしい。

 ローズマリーの耳元で囁いていたクェンティン・ダレルは、サングラスの奥で表情が隠されている。ローズマリーの表情が渋いあたり、あちらはハリーを擁護する気はないようだ。何やら強い口調でローズマリーが言い返したが、ダレルは首を振るばかりだ。

 

「ハリー、もう一度確認じゃ。君は、何もしておらなんだな?」

「そうです」

 

 ハリーの言葉も強くなった。

 

「ぼくは――なにも――して――いません。自分から死の危険に突っ込む訳ないでしょう」

「嘘を吐くなといったはずだぞポッター!」

 

 激昂したカルカロフがハリーの胸倉を掴みあげようと手を伸ばしてきたとき、ハリーの耳を掠めて後ろから杖がさっと突きつけられた。

 何事かと振り向けば、そこには恐ろしい形相のマッドアイ・ムーディが居た。

 怒っているのか、嗤っているのか判別がつかない。

 

「ハリー・ポッターに手を出そうとはずいぶんと気が大きくなったようだな、カルカロフ。ええ?」

「マ、マッドアイ・ムーディ……!? な、なぜここに……」

「闇の輩に手を出させんために決まっている! いいか、カルカロフ。ちょっとでも手を出してみろ……あのころの地獄を味あわせてやるぞ!」

「アラスター!」

 

 ムーディに怯えるカルカロフは、ダンブルドアの声で大人しくなった彼を見て心底ほっとしたようだ。二人の間に、いったいなにがあったのだろう。

 しかしそんな邪推をしている暇はない。

 どうしたものかとハリーが混乱しているところ、よく通る低い声が皆の議論を遮った。

 

「《炎のゴブレット》は、たったいま鎮火した」

 

 見てみれば、やってきたのはバーティ・クラウチだった。

 マグルの銀行員と言っても違和感がないほどきっちりとしたスーツを着込んでいるのは相変わらずか。しかしその眼は昏い色に染まっており、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。

 

「ルールは、ルールだ。ゴブレットが選定した以上、ハリー・ポッターは代表選手の一人として戦わなければならない」

「しかーし! そんなこと、許されませーん!」

「ああ、許されない。これは何らかの手による不正。それは明らかだ。しかし、《炎のゴブレット》による選定は魔法契約。これを破ることはかなわないことは、ご存じのはず」

「む……」

 

 カルカロフが唸った。

 わざわざあんな大仰な魔法具を使ったのは、なにも見栄えのためだけではない。

 ああやって選手を選ぶことで、途中のリタイヤを認めないためだ。

 自ら立候補して危険に臨むのだから、それは道理である。しかし今回のように巻き込まれてしまった場合は、そのシステムが裏目に出るのだ。《炎のゴブレット》自体、大昔の魔法使いか魔女が造り上げた魔法具であることから、破った場合なにが起こるかわからないというのもまた、恐ろしさの理由の一つである。

 ハリーの安全のためには、危険な競技に出さなければならない。

 矛盾した状態と不正を合法と認めなくてはならない状況。

 これがクラウチに不快感をもたらしているのだろう。

 

「ともあれ、どうしてこうなったのかは兎も角として……」

「兎も角!? クラウチ、これは重要なことだぞ!」

 

 とりあえずで話を切り上げようとしたクラウチに、ムーディが叫んだ。

 至極楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。

 

「《炎のゴブレット》のように強力な魔法具を騙すには、高度な『錯乱の呪文』が必要だ! 大方、参加していないはずの七校目の選手としてポッターの名を入れたのだろう! 相すれば七校目からはポッター一人しか応募していないわけだから、選ばれるのは道理だ! そうだろうが、ええ!?」

「マッド……失礼、アラスター・ムーディ。しかしそれは暴論ですぞ。そんな強力な『錯乱の呪文』をかけるような人間は、それこそ犯罪者かそこらの輩しかいない」

「わかっているじゃないか」

 

 ムーディの言葉に、この部屋にいる大多数の人間がはっとした。

 視線はムーディから、ハリーの額へと注がれている。

 それによってハリーも、ムーディが何を言いたいのかが分かった。

 

「ハリー・ポッターを殺したいと思っているどこかの誰かが、やったに違いない!」

 

 荒唐無稽な話かもしれない。だが可能性としてはゼロではなく、むしろ高い。

 ハリーの死を願う人間は、きっと少なくない。闇の帝王然り、それを信奉していた死喰い人然り、大多数の闇の魔法使い然り。

 ヴォルデモートによって作られた暗黒時代は、実に外道どもが生きやすい時代だった。

 力を求める強き者と、力を求めるには弱すぎる者によって作られた世界。

 強者が弱者を貪り喰らい、力なき善良な女子供は家で死を待ち怯えて震え、力なき善良な者は嬲られ殺され、力ある善良な者は操られた自分が愛する者達へ危害を加えてしまうことを恐れて姿を消した。

 そうなれば残るは、蛆虫にも劣る悪党どもだけである。

 法は意味をなさず、秩序は乱れる。

 人々は怯え、彼らを食い物にして笑う心無き者がはびこる。

 犯罪者による犯罪者のための犯罪者の楽園。それが十年前までのヨーロッパ魔法界だったのだ。日本やアメリカは、当時のヨーロッパに介入することを恐れた。ヴォルデモートの非道を許せずに幾度か助けを寄越したものの、それらが無事に帰ってきた試しがないからだ。

 悪が悪を呼び悪を育て、悪を成す時代を跋扈した魍魎ども。

 最悪の人的災害(ヴォルデモート)によって甘い汁を吸っていた者達にとって、その闇を一撃のもとに屠り去ったハリー・ポッターは憎んでも憎み切れない眩い光だろう。

 だから侵したい。ゆえに犯したい。

 何も知らず正義の旗印を突き立てられた少女を穢し、闇よ再びと願う輩のなんと多いことか。そして闇の恩恵を受けていた者の、なんと醜いことか。それだけの数を誇る悪の視線が、ハリーの肢体を舐め回しているのだ。

 疾く、ただひたすらに疾く死ねと。

 

「ハリー・ポッターを狙った犯行だと……」

「その通りだ。それ以外に考えられまい?」

 

 絶句して呟いたクラウチの言葉に、ムーディが断言する。

 当然ながら、ハリーとて殺されるのは御免だ。

 そうなればハリーは、競技を受けるしか選択肢はない。幸いと言っていいのかはわからないが、この三年間揉まれに揉まれたことで災害級の試練が出されない限りは生還できる自信がある。

 余程のことがなければ、対抗試合の内容で死ぬということは無いだろう。

 それでも、今年も大変な年になることは確かだ。ハリーはそう思うと溜め息を吐いてしまうことを止められなかった。

 

 

 グリフィンドールの談話室。

 気落ちしたハリーがセドリックとローズに慰められ、二人と別れて談話室へ帰ってきたところ、大勢から肩を叩かれたり口笛を吹き鳴らされたりした。

 どうやら全員が、ハリーが年齢線を出し抜いて応募に成功したと思っているらしい。

 訂正するのもばからしい。

 ハリーは奥のソファに座って待っていたハーマイオニーに抱きつくと、彼女の胸に顔をうずめて甘えた。

 

「うーうー」

「はいはい。災難だったわね」

 

 ハーマイオニーが苦笑いしながら背中を優しく撫でてくれる。

 隣に座っているロンの喉から生唾を呑み込んだ音が聞こえたが、努めて無視した。

 二人はハリーが何もしていないことをわかっているようで、何も言わないでくれる。

 心の底から安堵したハリーを見てか、フレッドとジョージが騒ぐ生徒たちに何やら指示を飛ばして各々がばらばらに去って行った。何を言ったのかはわからないが、あの双子はハリーが年齢線を突破できたと思っているはずがない。

 今はもうすっかり髭がなくなっているが、試行錯誤を繰り返してなお失敗してしまった二人は、年齢線が強固なセキュリティを誇っていることを良く知っているのだ。

 

「しかしハリーも大変だね。こうも厄介事ばかりだと嫉妬も起きないというか……」

「……何に嫉妬するんだいロン」

「だって、大活躍のヒーローじゃないか。君が男の子だったら僕はかなり嫉妬していたと思……わないな、あれだけ大変な目に遭いたくはない。ハリー、今年も僕は君の隣でばっちり支えてあげるよ」

 

 ロンの冗談に少し頬を赤くしたハリーは、ハーマイオニーの胸に顔を隠した。

 呆れた様子のハーマイオニーが何を想っているのか聞こえてくるようだったが、許してほしい。あんなのはだめだ。仕方ないじゃないか。

 兎にも角にも、グリフィンドール寮生たちからはテスト免除ということには羨ましいと素直に感想を述べられた。じゃあ代わってみるかいと言えば黙り込むのは分かっているのでたいしたことはない。

 問題は、他の寮生だ。

 特にハッフルパフからの敵愾心が半端ではない。

 あまり目立ったことのないあの寮は、今回の出来事に対して活躍を掻っ攫われるかもしれない酷い妨害だと思ったようだ。セドリックを露骨に褒め称え、ハリーを卑怯者と囃し立てて遊ぶスリザリン生の言動に対して眉をひそめるどころか全くもってその通りだと思っている節がある。

 ハリーとてグリフィンドールが何十年も活躍できなかった状態で、やっと来たチャンスを不意にされたらいい気分にはならないだろう。

 だから仕方のないことだ。

 それに、一年生の時の最悪な気分に比べればずっとマシだ。

 いまは隣に、ハーマイオニーもロンもいる。

 たとえ全校生徒が敵に回ったとしても、この二人さえいればハリーには耐えられる自信がある。肉体だけではなく、心の方も成長しているはずなのだ。

 

O.W.L.(ふくろう)! あなた方には来年、O.W.L.試験が待っています。試験内容についてはこの歴史あるホグワーツ、しっかり把握しておりますのでこの一年間であなた方のつるつるした脳みそに叩き込んで差し上げましょう」

「せ、先生! フクロウ試験は来年のはずです!」

「そうです、たったの一年しかないのです! この教室の中で無機物を有機物に《変身》させることのできる生徒が、いったい何人いますか? 少なくともグリフィンドール四年生でそれができるのは、ミス・グレンジャーとミス・ポッターだけです!」

 

 ハリーとハーマイオニーは、互いの耳が赤くなっているのを確認した。

 勉学に秀でたハーマイオニーが出来るのはいつものこととして、ハリーがこうして褒められることはそこまで経験にない。闇の魔術に対する防衛術ならともかく、割と体を動かして物事を解決したがる性質のハリーにとって、座学は好きではないのだ。だが知識が武器に直結するこの魔法界で、勉強しない手立てはない。それ故のお褒めの言葉だったため、なんだか邪な動機で習得したような気がして恥ずかしかったのだ。

 一緒に授業を受けているユーコが苦々しい笑みを浮かべる。ハリーたちの一つ上ということはつまり、彼女がイギリス人ならば今年がフクロウ試験対象者なのだ。日本の魔法学生がフクロウ試験を受けるとは聞いたことがないが、日本とて必須の試験くらいあるだろう。それを思い出しているのかもしれない。

 《変身術》のみならず《呪文学》も、《魔法薬学》に《薬草学》など、様々な授業にて大量の宿題が出された。これは競技が始まる前に、生徒たちの頭へ知識を叩きこもうという算段だろうか。

 ちなみに競技者はこの宿題をも免除されているのだ。目の前でスネイプが苦虫を口いっぱいに頬張って噛み潰したかのような物凄い顔をしていたのを思い出す。宿題地獄でハリーをいじめることができなかったからだ。

 

「まいったな」

 

 ハリーの目の前には今、スコーピウス・マルフォイがにやにやした顔で立っている。

 地下牢の入り口をふさいでいるので、授業が終わっても出れない状態だ。

 後ろから通れずに不満の声が上がるが、それはスコーピウスに言ってもらいたい。

 

「どうだいポッター、よく似合うだろう」

 

 スコーピウスが自分の胸に取り付けたバッジを見せつけてくる。

 いったい何のバッジかと思って見遣れば、《ホグワーツの真の王者、セドリック・ディゴリーを応援しよう》と書いてあった。

 セドリックの顔写真が、本人が絶対にしないような気障ったらしいスマイルを浮かべている。やはり写真映えする男だ。

 

「カッコいいね」

 

 ハリーの皮肉に気づいているのかいないのか、スコーピウスは鼻を鳴らした。

 そして嬉しそうにそれだけじゃないぞと言うと、バッジをこつんと押す。

 するとどうだろう、ハッフルパフカラーの黄色と黒だったバッジがマーブル模様を描きながら緑色に変わり、ハリーの顔写真に取って代わった。

 今度の文字は随分とストレートで、《きたないぞ、ポッター》の一言。

 文字に押しつぶされてハリーの顔写真が醜く歪んだ。

 

「どうだい、ポッター。卑怯者の、小汚い、嘘吐きポッター」

「えーっと……」

 

 相変わらず出口をふさいでにたにた笑うスコーピウスに、ハリーは困惑した顔で唸る。

 こういったことを仕出かしてくるのは、まぁ別にいい。ハリーとて気持ちはわかる。

 だがわざわざこれを作ったと思うと、何というか……。

 

「それの製作時間をフクロウ試験への勉強に充てたらいいのに」

「だまれ、グレンジャー」

 

 いや本当に。

 ハリーを貶すためだけにこんなたいそうなものを作るのは、少しばかり人生の無駄遣いだと思うわけだ。グリフィンドール生たちがうんうんと頷くのが聞こえる。

 そしてハリー自身、ちょっと気になることがある。

 

「それで、スコーピウス」

「なんだポッター!」

「ぼくのその写真、どこで撮った? 覚えがないんだけど」

「え? ……あー……」

 

 顔を逸らされた。

 ……え? なに? つまり……これは……。

 ハリーは全身に寒気が走り、自分自身を抱きしめて震えた。

 判決を下す。

 

「ぎ、ぎるてぃ」

「おい君ら手伝え! マルフォイをとっ捕まえろ!」

 

 ハリーの震え声を聞いたロンが大声で指示を飛ばす。

 抵抗空しく、スコーピウスはグリフィンドール生に抑えられてしまった。

 弟が襲われたためにドラコが助けようとしたものの、ハリーがぽつりと事情を零すと呆れた顔になり、そして憤怒をにじませ、足音高く去って行ってしまう。

 スコーピウスがその後ろ姿を絶望的な顔で見つめていたのが、ハリーの溜飲を少しだけ下げさせた。

 

 さて。

 どうしたものかとハリーは悩む。

 ローズが心配してくれるものの、彼女も条件は同じだ。

 それを言うと彼女も一緒になって頭を抱えてしまったので、頼りにならない。

 第一の課題。

 いったい何を突きつけられるかわかったもんじゃないからだ。

 ハーマイオニーが調べてくれた結果、今までの三大魔法学校対抗試合では、初戦は強力な魔法生物と戦って生き残るという課題が多かったそうだ。今回は六校あるために一概にそうとは言えないだろうが、それでも何もわからないよりはよっぽどマシだ。

 ヌンドゥが出てきたらどうしよう。周囲への被害を抑えながら戦うなど、ハリーには不可能だ。二年前の個体は年老いて片目が盲いていてなお僅かな勝機しかなかったので、今度こそ殺せる自信などない。というか、普通に即死する可能性が濃厚だ。

 バジリスクという可能性もある。だが蛇語で話は通じても、ハリーの友人であるバジリスクと違って友好的ではないかもしれない。というか、普通そうだろう。彼女の魔眼はハリーに効かなかったものの、別の個体の放つ死の視線にも耐性があるかは分からない。

 アクロマンチュラなんてどうだろう? ハグリッドの愛するペット、アラゴグと同じ魔法生物種だ。たしかに毒液やらハサミやらと危険なものはいっぱいくっついているが、今のハリーならば殺せないこともないと思う。ただし、自分の命と引き換えに。

 キマイラやらグリフォンといった存在も十分に有り得る。

 じゃあレシフォールドか? これならば助かる。なぜならハリーは『守護霊』の魔法が使えるからだ。しかしローズマリー含め、これに関しては使えない選手もいるはずだから可能性としてはないだろう。

 そういえばハグリッドが新種の魔法生物を創りあげたという話を聞いたな。アレか? あれなのか? 意味の分からない造形をした気持ち悪いアレなのだろうか。皮をむいた海老のような……なんといえばいいのか、感想に困る外見だったのは覚えている。

 他にも色々と思いつくことは思いつく。フラッフィーズと同じ種類のケルベルスなども出てくるかもしれない。というか、ケルベルスは確か神話上の存在ではなかっただろうか。ということは、魔法界にはマグルの物語に出てくるような魔法生物が実在するかもしれない。ハリーもハーマイオニーも、勉強熱心とはいえ所詮学生の域を出ることはない。二人が知らないような突飛な魔法生物が居てもおかしくはないのだ。

 うんうん唸って頭を働かせていると、開きっぱなしの窓からヘドウィグが舞い降りてきた。ソファに俯せになって倒れていたローズマリーの尻に着地し、ホーと低く甘えるような声を出す。

 ハリーはヘドウィグから手紙を受け取ると、そこらへんにあったクランベリー入りのビスケットを与える。嬉しそうにハリーの指を甘噛みしたヘドウィグは、窓からその身を躍らせてどこかへと飛んで行った。

 

「……英国魔法界っていまだにフクロウ使ってるんだよね」

「え? アメリカ魔法界じゃなに使ってるの?」

「え、電話」

 

 普通の答えが返ってきた。

 冗談だろうとハリーはそれを流して、手紙を開いた。

 ハグリッドからだった。

 どうやら今日、お日様が沈んでから小屋に来てほしい、とのこと。

 時間から考えて、夕食後に尋ねればそのくらいだろう。

 ハリーはローズマリーを助け起こしてから、大広間に向かうのだった。

 

 

 バター揚げは気がくるっている。

 アメリカ料理ということで食べてみたが、ハリーは後悔した。

 思えばローズマリーもその料理には手を付けていなかった。ハメられた。

 未だにむかむかする胃を抑えながら、ハリーは校庭を歩く。

 外出禁止時間はとうに過ぎているので、当然ながら透明マントで姿を隠したままだ。小屋の扉をノックすると、なにやら緊張した様子のハグリッドが扉の隙間から顔を出してくる。一体何をそこまで警戒しているのか。

 

「……ハリーか?」

「ぼくだよ」

 

 姿を消したままだったので、顔だけをマントから出して正体を明かす。

 ほっとしたハグリッドは、小声で「こっちゃついて来い」と指示してくる。

 いったい何の用事で呼ばれたのかさっぱりわからないハリーは、そのまま無言でハグリッドの後ろを歩く。すると、どうだろう。森の中へと入っていくではないか。

 それに、なんだろう。へんな臭いがする。

 

「ハグリッド……?」

「ええから。悪いことなんかありゃーせん」

「いや、この臭いはなに?」

「うん? ああ、オー・デ・コロンか? つけてみた。似合うか?」

「あー……」

 

 答えに詰まったハリーの呻き声を肯定ととらえたようで、ハグリッドは見るからに上機嫌になった。ハリーはハリーで、鏡の前で香水を吟味するハグリッドを想像してしまい笑いをこらえるのに必死だった。

 ハグリッドの毛皮で作られた上着に大きなコガネムシが張り付いていたので一言断ってから杖を振るって遠くへ弾き飛ばし、ハリーはハグリッドについて歩く。

 なぜ、いきなり香水なんてものを付けようと思ったのだろう。

 その疑問はすぐに氷解することになる。

 

「アグリーッド」

「オーッ、オリンペ。よく来とくれた。さぁさ、こっちじゃ」

 

 ハグリッドに負けず劣らず長身の女性、マダム・マクシーム。

 シェーマスとディーンが、彼女には間違いなく巨人の血が入っていると噂していたが、あながち間違いではないのかもしれない。ハグリッドもそうだが、さすがに少し大きすぎる。

 魔法族の肉体は、非魔法族とさして変わりない。同じ人類なのだ。魔法的観点から見れば違うが、生物学上は構成物質にも遺伝子にも差異はなく、ただ血中にエーテルが存在するかどうかという一点だけで魔法族になるか、非魔法族になるかが決まるのだ。

 ゆえになんらかの病気を除けば、一般的な人間と大きく違う魔法族には何か異種族の血が混じっていると考えて間違いはない。

 例えばフリットウィックは血族のうちにレプラコーンがいるため、あれほど小柄なのだ。まだ確証は得られていないが、ボーバトン魔法学校のフラー・デラクールにはヴィーラの血が入っている。

 多少の無茶はあっても、巨人と人の間に子がなされてもおかしい話ではないのだ。

 まあ、たとえハグリッドに巨人の血が入っていようが、友達なのだから問題はない。あるとすれば、彼の危険な生物が好きという性癖だけだ。

 ともかく。

 彼とマダムの子が生まれたら、いったいどれほど骨太なのだろう。

 そう考えてしまうのは仕方ないほどに、ハグリッドはマダム・マクシームに対して好意を抱いているのが丸わかりだった。

 

「ほーら。どうじゃ、美しかろう」

「まぁ……マニフィーク(すばらしい)……!」

 

 ハグリッドのそんな言葉と共に目の前に広がった光景に、ハリーは絶句した。

 七つの大きな檻が見える。

 その中に居るのは、なんとまぁ、ハグリッド愛しのドラゴンではないか。

 マダム・マクシームもフランス語で何やら呟いたが、恍惚とした表情からするに彼女もハグリッドの同類だろう。ハリーからするとデカいトカゲが怒り狂って火を噴いているようにしか見えないが、二人には流麗な美の化身がキラキラ輝く夢と希望でも振り撒いているように見えるのだろう。

 しかし、そうか。

 

「なんだ、ドラゴンか」

 

 ハリーのホッとしたような呟きに、ハグリッドは少しぎょっとした。

 普通はドラゴンを相手に戦うなど、十四歳の魔女からしたら絶望以外の何物でもないだろう。

 だがハリー・ポッターという女は違う。

 相変わらず死の危険が付きまとうことに違いはないが、殺す方法がわかっているだけ余程マシなのだ。

 ヌンドゥと違って、息をしてもいい。吸魂鬼と違って、戦う前に戦闘不能にまで追い込まれない。死喰い人と違って、狡猾な手を使ってくるわけではない。

 さらに言えばドラゴンには眼球という弱点がある。鱗で覆われた分厚い皮膚に呪文は通用しないが、『結膜炎の呪い』などで眼球を狙ったりするという戦闘マニュアルが組まれているのだ。

 危険だ。危険だが、殺せないほどではない。

 

「ハグリッド、第一の試練はあれと戦って殺すの?」

「殺すだなんてとんでもねえ。ハリー、ヒトはドラゴンに勝てねんだぞ」

「そんなことないと思うけど」

 

 ドラゴンの素早い動きは『身体強化呪文』で何とかなるだろう。

 目を潰してからは自由だ。首を落とすか、頭を砕くか。眠らせるか、失神させるか。

 ブレスや爪、尾などといった一撃喰らっただけで即死するような攻撃をしてくるのだから、持続力よりも強度を優先した『盾の呪文』を習得するべきかもしれない。

 ハリーはハグリッドに城へ戻る旨を伝えようとしたが、ドラゴンが暴れ回り竜使い(テイマー)達があげる悲鳴と怒号をBGMにしていい雰囲気になっていた。

 二人の一風変わった逢瀬を邪魔しないよう、ハリーはその場からそっと立ち去った。

 

「うぇええ!? ドラゴン!?」

「ロン、声デカい」

 

 グリフィンドールの談話室で、先ほど見たことをハリーは話していた。

 試練の前に内容を把握するなど思いっきり不正であるが、魔法学校対抗試合においてカンニングは伝統のようなものである。特に気にしないことにした。

 その答えを聞いて、渋い顔をしたのはなにもロンとハーマイオニーだけではない。

 ソファでフレッド・ジョージとおしゃべりしていたローズマリーも絶句していた。

 

「ちょ、ちょっと待てハリー」

「なぁにローズ」

 

 あっけらかんと返答したハリーに、またもローズマリーは目を見開く。

 ポニーテールを解いているのでさらさらした金髪を揺らして、ローズマリーは言う。

 

「あたしはグレー・ギャザリングの代表選手だぞ? なんで目の前で言った?」

「え? だめ?」

「駄目だとかそういうんじゃねえだろ。なに敵に情報バラしてんだって言ってんの」

 

 そこでハリーはようやく納得がいった。

 ローズマリーが談話室に来たときにシェーマスやロンなどが苦い顔をしていた、その理由もわかった。そしてその顔を見て、どこか苦々しげなローズマリーの表情も。

 要するに、ローズマリーはスパイ行為を働いていたのだろう。

 せっかく仲良くなったのだから一緒に居ても不自然ではないし、ぽろっと情報を漏らしてくれれば御の字といったところか。

 だが、ハリーにはそんなもの関係ない。

 

「別にいいじゃないか、敵っていうか友達なんだし」

「だーかーらー! あたしはお前のスパイやってたんだぞ! 何をわざわざ教えてんだって聞いてんだよ!」

「いや、だって」

 

 ハリーの知らぬことだが、このスパイ行為はローズマリーの意思ではない。

 クェンティン・ダレルが勝利のため、ローズマリーに指示したのだ。当然ながらアメリカは初めてこの大会に参加する。いい成績を残す必要があるのだ。

 そのため、ダレル自身乗り気ではなかったがこうして少しでも勝率を上げる必要がある。代表として選ばれた以上ローズマリーも仕方なくその案に乗った。

 だというのに、ハリー・ポッターは普通に情報を与えてきた。

 いったいどういうつもりなのか。

 

「だって、なんだよ。騎士道精神のつもりか?」

「ううん。だって教えたところで、勝つのはぼくだからさ」

 

 いつかのクラムとソウジローのように、ハリーは不敵に笑って見せた。

 ハリーの自信満々な言葉に、ローズマリーは唖然とする。その言葉で、緊張してやり取りを見守っていたグリフィンドール生たちがやんやと騒ぎだした。

 よく言った。言ったからには勝て。などなど、総じて好意的な反応であったため、ハーマイオニーは心底安堵した。ハリーが利敵行為と呼ばれることをしたのは確かなのだ。

 もしかしたらグリフィンドール生はそこまで気づいていないのかもしれないが、それでも、ともすれば勝つ気がないだの裏切りだのといった意見が出たところでなにもおかしくはない。

 ハリーの言葉を聞いてから口をあけっぱなしだったローズマリーも、次第にくすくすと笑ってしまう。そしてハリーのもとに歩み寄ると、彼女の身体を強く抱きしめた。

 

「うわっ?」

「ハリー! お前ほんっといい奴だなぁ! あーもう、大好きだぜこんちくしょう!」

 

 フレッドとジョージも囃したて、基本的にノリの軽い連中を焚きつける。

 ハーマイオニーは微笑みながら、あたりを見渡した。一歩間違えれば険悪な雰囲気となっていたというのに、いまやハリーとローズマリーが一緒になって笑いあっている。

 もはやあの頃の、誰も信じることができず独り怯えていた子供はどこにもいない。

 力を貪欲に吸収しながらも人を信じることのできる、大人になりつつある少女。

 それが今のハリーだった。

 そしてハーマイオニーは、それがとても誇らしい。

 愛する親友の成長が、とてつもなく嬉しかった。

 

 

 ハリーはローズマリーと共に、ホグワーツの廊下を歩いていた。

 その後ろにはセドリックとソウジローがついてくる。対抗試合関連の呼び出しをロンからの伝言で受けたので、ハッフルパフ寮までセドリックを呼びに行ったところ、ちょうどソウジローも見つけたのだ。

 廊下を歩きながら、ハリーは振り返って言う。

 

「あ、そうそう二人とも。最初の試練はドラゴンと戦うんだってさ」

「えっ? ど、どういうことだいハリー?」

 

 案の定混乱したセドリックに、ローズマリーは笑って説明する。

 セドリックは流石グリフォンドール生、と笑って納得したようだ。

 一方、反応を返さなかったソウジローは感心したような目でハリーを見ている。

 二人とも正々堂々とした勝負が好きなタイプの男だ。ハリーの言葉に共感こそすれ、反感を覚えるような性格はしていない。

 

「このこと、クラムやブレオ達は知ってるのかな?」

「知ってると思うぜ。ダームストラングやボーバトンの校長はダンブルドアにはかなり対抗心を燃やしてるし、ディアブロのアンドレオーニ校長はそいつ自身が学校の創設者だ。強かに情報を手に入れてることだろうぜ」

「へえ……。というか、ディアブロって若い学校なんだね」

「創設されたのは二〇年ほど前だって聞いたな」

 

 ローズマリーとセドリックの言葉に、なるほどとハリーは頷く。

 お喋りして気が抜けていたのか、ハリーは柱の影から出てきた人物の顔を見て短い悲鳴を呑み込んだ。危うく情けない姿を見せるところだった。

 こっちだ。と短く言ったムーディは、脚を引きずりながらクィディッチピッチの方へと歩いてゆく。どうやら案内してくれるようだ。

 五人が到着したころには、すでにクラムとブレオ、デラクールは到着していたようだ。なにやら新聞記者らしき魔女に話を聞かれている。

 

「んーまっ! あなたがハリー・ポッター? 素敵ざんすわ」

 

 取材していた途中だろうに、魔女はハリーの姿を認めるや否や駆け寄ってきた。

 随分と化粧の濃い人だ。綺麗な口紅とびっしり濃い睫毛は驚嘆に値するが、かなりエラが張っているためハリーの美醜感覚で考えるとあまり高い評価はできない。

 なにより、何かに飢えているぎらぎらした目つきが怖いのだ。

 

「日刊預言者新聞の記者、リータ・スキーターざんす。まず写真を撮らせてもらいますわ」

 

 集合写真を撮る。

 ハリーとローズマリー、そしてデラクールは椅子に座らされた。何故かハリーが真ん中であるため、美女二人に挟まれてなんとなく居心地が悪い。

 ブレオがハリーの後ろに陣取りたがったが、そこはハリーの助けを求める目に気付いたセドリックが譲らなかった。ブレオは不満そうにローズマリーの後ろに着いたが、彼女に杖を向けられたのできっと何かやらかしているのだろう。結局彼は女性の後ろには立てなかった。女性組は左からローズマリー、ハリー、デラクール。男性組は椅子の後ろに立ち、左からソウジロー、セドリック、クラム、ブレオといった並びで何枚か写真を撮った。きっと明日の《日刊預言者新聞》ではこの記事が一面を飾るのだろう。そう考えるとなんだか恥ずかしい。

 

「んー、まっ! 素敵ざんすわ、素敵ざんす。あなた方の特集は売れるわよぉ」

 

 上機嫌なリータ・スキーターが腰を振りながら歩み寄ってきて、デラクールの頬を撫でた。

 デラクールは表面上は微笑んでいるものの、膝の上に置かれた手が強く握り締められたのを見てハリーは悟る。この人、かなりプライドが高いかもしれない。

 

「この美しい魅力にはいったいどんな醜い秘密が隠されているんざましょ」

 

 しかもこの言葉と来た。

 デラクールの口元が引きつっているのがわかる。

 次はブレオが標的のようだ。

 

「その種馬のようなイチモツでいったい何人の女性を泣かせてきたんざましょ」

「いやぁ、数えきれないかな!」

「即答とかキショイざんす」

「……」

 

 ブレオの笑顔が凍る。

 若い女性陣からの視線も冷たくなった。

 そんな空気も無視して、リータ・スキーターはクラムを見る。

 

「この逞しい体にはいったいどんな怪しい秘密が……? んんう、素敵ざんす」

 

 クラムは全くの無反応だ。

 流石はプロ選手といったところか。メンタルが強い。

 セドリックに視線が向けば、ハリーは後ろのハンサムが硬直したのがわかった。

 

「この甘いハンサムフェイスの下に隠されたド汚い本性……気になるザンスね」

 

 お次はねっとりとした視線がソウジローに向く。

 こちらもクラムと同じく無反応だ。プロのクィディッチ選手ともなれば多少の誹謗中傷くらい、ものともしないのかもしれない。

 

「東洋の神秘! なんのことかしらね、白いお薬でも出てくるかしら。おほほのほ」

 

 何故かクライルが思い浮かぶが、あのデカブツは関係ない。

 にやにや笑顔を浮かべたリータ・スキーターの視線は、ローズマリー……の、胸に行く。

 

「手術跡が見つかるのが楽しみざんす」

「殺す」

「どうどう、落ち着けローズ」

 

 杖を抜いて飛び掛かろうとしたローズマリーを、ハリーは必至で押さえつける。

 この女、無礼などというレベルではない。

 胸小さいからって僻んでるんじゃないだろうな。

 

「そしてハリー・ポッター! この競技中にいろんな醜態を晒してくれることを期待しておりますわ。パンチラでもしてくれれば好事家に高く売れるざんす」

「殺す」

「どうどう、落ち着けハリー」

 

 今度はローズマリーがハリーを抑える番だ。

 満足げな笑顔を浮かべたリータ・スキーターは、続けて取材をしたいと言い出したが、そこへやってきたオリバンダー老人に止められる。

 なぜこんなところにオリバンダーが? と思ったが、どうやら協議をするにあたって《杖調べの儀》というものを行うらしい。

 要するに協議中に不備がないよう、点検するのだ。

 オリバンダーは異国の杖を見れるからか、老いてしょぼくれた目が随分と輝いていた。

 

「さて、さて。ではでデラクールさんの杖から拝借いたしましょうかな」

「これーです」

 

 デラクールが差し出したのは、面白い装飾の杖だった。

 持ち手の部分にくるりとカールした装飾があるので、いざとなれば指でひっかけて取るなどといったこともできそうだ。ただその分強度は落ちているものと見える。そこは宿命だ。

 慣れた手つきで杖をくるくる回したり、乾いた清潔な布で拭いて火花を飛ばしたりと、ハリーには何をしているのかさっぱりわからないが、セドリックやソウジローが感心の声を漏らしているあたりかなり凄いことをしているらしい。

 オリバンダー老人は片眉を持ちあげて、口を開いた。

 

「紫檀材。芯には……おや、珍しい。ヴィーラの髪の毛じゃないか。しかも血縁だね?」

「オーウ……その通りです。祖母のです。わたーしの祖母は、ヴィーラなのです」

「なるほど。それではちょいと失礼をば。『ルーモス』、光よ」

 

 ぽふ、という軽い音とともに杖先に優しい灯りがともった。

 杖灯りの呪文はいくらでも見たことはあるが、ここまで綺麗に澄んだ光は初めて見た。

 満足げに微笑んだオリバンダーは、繊細な手つきで杖をフラー・デラクールに返した。

 

「お次はクラムさんですな。どうぞ、お借りできますかな」

 

 無言で差し出された杖には、ハゲタカだろうか、鳥の頭のような意匠があった。

 クラムのイメージであるがっしりした杖かと思いきや、随分とひょろっとしている。

 

「材質はクマシデ。芯はドラゴンの心臓の琴線。種類は……中国火の玉種(チャイニーズ・ファイヤーボール)ですな。グレゴロビッチの作と見た」

「すべてその通りだ」

「あの者の杖か……うむ、いや悪いわけではない。だが独特だ。非常に、独特だ。『エイビス』、鳥よ!」

 

 羽ばたく音とともに、雄々しい鳥が杖先から飛び出して大空へと飛び去っていった。

 フラーの時と言い、杖にはどうも特徴が出るらしい。

 なかなか面白いものだと思うが、仕組みはさっぱりだ。

 杖は意思を持って魔法使いを選ぶというが……さて。

 

「ほい、お次はディゴリーさん。おおう、ありがとう。ではそこに置いてください」

 

 オリバンダーの体を気遣い、彼が座ったままで大丈夫なように杖を手渡しに行くセドリック。流石は紳士である。

 

「おおう、覚えておりますとも。あなたがこの杖を買いに来たことは、昨日のように覚えている。木材はトネリコ。オスの一角獣の尻尾の毛が使っておるから、絶対に事を成したい時には必ず応えてくれる。丈夫で、持ち主に似て素直」

 

 やはり自分で作った杖だからだろうか、オリバンダーは慈しむような目で杖を眺める。

 セドリックは唐突に自分のことまで褒められて、少しはにかんでいた。

 

「ふむ。手入れも完璧ですな。『ポイント・ミー』、方角示せ」

 

 するりと杖がオリバンダーの手を離れ、空中をくるくる回ってから一か所をぴしりと指した。

 ハリーが魔法式を見てみると、あれは北を示す呪文らしい。

 便利そうだから魔法式を暗記しておこう。

 

「次は……ああ、ブレオさん。どうぞこちらへ杖を」

 

 呼ばれたブレオが、ハリーにウィンクしてからオリバンダーのもとへ歩み寄る。

 何故ウィンクする必要があるとげんなりしながらも、ハリーはオリバンダーの嬉しそうな声を聴いていた。

 

「ほほう……これは、面白い。デイジーの木、芯にマーメイドの髪。長さは……三十五センチ。振りやすく、太くてデカくて硬い」

 

 なぜかブレオが自慢げにこちらを見てくる。

 何故だろうか、無性に潰してやりたくなってきた。

 まるで日本で造られている工芸品のような形状で、なんだかムカつく。

 ローズマリーの舌打ちが聞こえてきたので、いったい何の意味があるのかと小声で聞いたところ脇腹を小突かれるだけで答えてもらえなかった。

 

「ちょいと失礼して。『ドケオー・メガネ』、わしの眼鏡を持ってきとくれ」

 

 ブレオの杖から飛び出した光は、するすると部屋中を嗅ぎまわるとオリバンダーのバッグへ一直線に飛んで行った。そうして強く発光すると、消える。オリバンダーがのそのそとバッグを開けてみれば、果たしてそこにはきちんと眼鏡があった。

 満足げに頷いたオリバンダー老人は、次にローズマリーの杖を見せるようにと言う。

 オリバンダーのもとへ歩み寄ったローズマリーは、腰のベルトからぶら下げている専用のホルスターから杖を抜き取って手渡した。

 

「ほっほーう! 面白い……実に面白い」

 

 ローズマリーの杖は、まるでフリントロック銃のような形状をしている。

 彼女の名に似合ったバラの刻印もまた、美しい拳銃のように見える。

 ハロウィンパーティの時に見せた早撃ちも、きっとあの形があってこそなのだろう。

 

「素材はバラの木、芯はケルベロスの牙。二十六センチ、頑丈で重め。これはアメリカの杖作りが手掛けたものですな?」

「おう。じゃなかった、はい。アメリカナンバーワンの杖作り、スミス兄弟の作だぜ……ですよ」

「ほうほう。おっほーう……これは面白い……。『フリペンド』!」

 

 オリバンダー老人がローズマリーの杖から放った光弾は、ひゅんと風を切って空へと吸い込まれていった。 

 その様子を見て満足げに笑ったオリバンダーは、杖をローズマリーに返す。次に呼ばれたのはソウジローだった。

 するりと腰から抜いたのは、美しく反った長い杖だ。

 というか、木刀である。

 

「日本の杖は実に興味深い。桜の木の中には、……天狗の羽根か。一〇七センチ、鋭く頑丈。まるで芸術品のそれじゃな。これはひょっとしてアヤスギ・ガッサンの作かね?」

「そうです」

「呪文を使うときの振り方も、こちらの杖とはずいぶん違うようじゃな。どれどれ……『ディフィンド』、裂けよ」

 

 ひゅんと風を切るように振られた木刀は、三日月状の風を射出してオリバンダーの近くにあった木から一本の枝を奪い去った。ぱさりと落ちたそれを見て、老人は面白そうに笑う。

 最後はハリーだ。

 なんだか無駄に緊張してしまっているが、ただ杖を渡すだけだ。

 手入れを怠ったことはない。笑われることはないはずだろう。

 

「おお。おお……よーく覚えておりますとも。柊の木、芯は不死鳥の尾羽根。二十八センチ、良質でしなやか。うむ、しっかり手入れもされておりますな。『オーキデウス』、花よ!」

 

 オリバンダー老人の発声と共に、杖先から色とりどりの花が咲き乱れた。

 満面の笑みを浮かべたオリバンダーは、恭しくハリーの杖を返す。

 七人分の杖の情報をさらさらと羊皮紙に書き込むと、杖調べの儀は終わりとなる。

 たいそうな名前だったが、やっぱりただの点検作業だった。一安心したハリーは、とりあえずローズマリーを誘って次の授業へ出ることにした。

 次の授業は、闇の魔術に対する防衛術だ。

 ムーディがいったいどんな授業をするのか、とても楽しみだ。

 

「今日はお前らに許されざる呪文をかけようと思っとる!」

 

 ムーディが気の狂った授業をしやがるので、とても帰りたい。

 

「せ、先生! いくらなんでもそれはあんまりです! ってかヤバいです!」

「『インペリオ』、服従せよ!」

「先生! 私は大賛成です! もっとやっちまいましょう!」

「ハーマイオニーッ!?」

 

 いきなり『服従の呪文』をぶっかけてきたムーディに、ロンが驚いて声を上げた。

 こうなると黙っていないのはハリーだ。いきなり親友を操られて黙っていられるほど、ハリーの心は広くはない。

 

「『エクスペリアームス』!」

「『プロテゴ』! どうしたポッター!」

「『ステューピファイ』! 親友を攻撃されて黙っていられるか!」

「『プロテゴ』。その意気やよし! だが、まだまだヒヨッコだな」

「『エクスペリアームス』!」

 

 ハリーの背中に衝撃が走る。

 なにかと思えば、彼女の手から杖が弾かれ踊るようにムーディの手へ収まった。

 いったい何をされたのか分からなかった。

 普通に魔法の撃ち合いをしていたというのに、背後から魔力反応光を喰らった。

 振り向けば、ハリーに杖を向けているハーマイオニーが居た。

 彼女の目を視れば、脳にまで魔力が影響していることがわかる。

 要するに彼女を操って、ハリーに武装解除の魔法を放たせたというわけだ。

 

「このように、『服従の呪文』は恐ろしい魔法だ! たとえ親友だろうと、家族だろうと、こうして杖を向けさせることができる! ええ!? いいか、考えてもみろ。いつか自分自身が知らないうちに愛する者を襲ってしまうような日常を! 敵を倒すために磨いた魔法が仲間を襲う悲劇を! ほんの十数年前まではそのような国だったのだ、この英国はな!」

 

 ムーディは怒鳴りながらも呆然としたハリーにやさしく杖を手渡し、背中をぽんぽんと叩いて座るように促す。

 言われるがままに席に着いたハリーの隣に、ハーマイオニーが着席した。その目は既に正気に戻っており、「何が起こったのかわからない」という顔をしている。

 

「だがこの魔法は、『服従の呪文』は精神力のみで破ることができる! つまり心さえ強く持てば杖などなくとも解呪は可能だ! なにをしとるか! 立て! 立って並べ! 順番に呪いをかけてやるぞ!」

 

 ムーディに言われた通りに並ぶと、最初の被害に遭ったネビルが奇声をあげた。

 ネビルは怪鳥のような声を出し終えたかと思えば、一年生時よりは幾分かスリムになったものの、たぷたぷした彼のお腹ではとてもできそうにないアクロバティックな体操をやってのけたのだ。

 もし抗えなければ、教室中の人間が『服従の呪文』で奇行を取る羽目になるのだ。明日は我が身ならぬ、数分後は我が身である。

 呪文に抵抗できずジングル・ベルを歌い終えたローズマリーが真っ赤になってそばを通り過ぎるのを見送って、ハリーは前に出る。ああ、出番が来てしまった。

 ムーディの青い目がぎょろりとハリーを見据える。

 今まで呪いをかけられた生徒たちを視て、魔法式に関してはよくわかった。

 だが実際に抵抗できるかどうかはわからない。

 

「ではいくぞポッター! 『インペリオ』、服従せよ!」

 

 ムーディの杖から飛んでくる魔力反応光を防御したくなるが、それをやってしまっては授業にならない。ハリーの胸に着弾した魔力反応光は、その光を霧散させると奇妙な暖かさだけをジワリと体内にしみ込ませていった。

 恐ろしいほどの幸福感。

 それが『服従の呪文』の正体だった。

 呪文を避けなくて正解だったかもしれない。これほど恍惚とした気分に浸れるのは、僥倖以外の何物でもないだろう。今なら何をやっても許される気さえする。

 

『お辞儀……いや、逆立ちするのだ……』

 

 ムーディの声が聞こえる。

 まるで親兄弟のように暖かい声だ。

 彼の言うことならば、何も間違っていないと信じられる気さえしてくる。

 

『逆立ちするのだポッター……』

 

 逆立ち。

 なんて甘美な響きだろう。

 この言葉の考案者にキスしたい。

 でも逆立ちしたらスカートがめくれるぞ。

 しかしムーディがああ言っているのだ、従った方が得策だ。

 それに、ほら、なんだ。スカートの下にはスパッツを穿いているじゃないか。

 恥ずかしいことなど、何もない。

 

『さぁ。いまが逆立ちする時だ、ポッター!』

 

 ほら、ハーマイオニーが心配そうに見ている。

 何も怖がることは無い。ただ逆立ちをするだけなんだ。

 ああ、ロンが不安そうにこちらを見ている。

 スカートだから心配なのだろうか。やっぱりめくれてしまうのかな。

 ……ちょっと待て。

 スパッツだぞ。別に恥ずかしいものじゃないだろう。

 でも、なんだ?

 ロンに見られると思うと、途端に顔が熱くなるぞ。

 …………いやいやいや、ちょっ、と。ちょっと待て。待て待て。

 相手はロンだぞ? 背の高いノッポで、気が利かない男の子で、そばかすだらけのヘタレで、肝心な時には勇気に溢れて助けてくれて、いつも助けてくれた、ぼくの親友。

 そう、親友なんだ。

 

『どうした。逆立ちするのだ、ポッター!』

「いやだ!」

 

 腹の底から、心の中心から湧き出た叫びを発するとともに、ふわふわしていた頭が元に戻る。幸福感がさっと消え去り、代わりにまともな感覚が戻ってきた。

 気付けば自分の体は机に両手をついている状態で、危うく逆立ちしそうになっていたのが分かる。

 ハリーが大声で叫んだために教室中が一瞬だけ静まり返り、そして湧き立った。

 ムーディが興奮した様子でハリーの肩をばしばし叩く。

 

「よくやった! よくやったぞポッター! 見事わしの呪文に打ち勝った! グリフィンドールに一〇点! いやもう五点与える! 見事だ、見事だぞポッター! 見たかおまえたち、これだ、これを目指すのだ!」

 

 ハリーは肩が痛いやら照れ臭いやらで、鼻の頭を掻きながらグリフィンドールの輪に戻る。ディーンとシェーマスが凄い凄いと繰り返し、パーバティやラベンダーが素直に褒めてくれる。ローズマリーがハリーの頭をくしゃくしゃに撫でまわし、やるじゃねえかと悔しそうに笑った。ハーマイオニーがハリーの頬を撫で凄いわハリー、と労ってくれる。ロンがどうやったのさ、と聞いてきて、ハリーは少し耳を赤くしながら「内緒」と囁く。

 ゆっくりと深呼吸したハリーは、それからようやく笑うことができた。

 

 十四歳とは、大人と子供の間を行ったり来たりする年齢である。

 特に身体だけで言えば、ハリーはもう女性として完成に近づいている。

 そして心は、度重なる苦労によって強固な鎧をまとうことができるようになったのだ。

 だから押し殺す。

 気づいてはならないことに、気づきかけてしまった。

 ハリーはどこか寂しい気持ちを感じながら、それでも本心を隠すために笑った。

 だが我慢は体に毒とも言うように、心にとっても致命の猛毒足り得ることだ。

 気付いていないだけで、ハリーの鎧にはすでに亀裂が走っていた。

 鎧を通り越して心の核にまで至る、致命的な亀裂。

 それに気づかないまま、ハリーは柔らかく微笑んだ。

 




【変更点】
・ロンと仲違いしない。彼も成長してるのです。
・ロンと喧嘩しないため、彼は今回も味方。汚いぞ、ポッター!
・カンニングは伝統なのでバラしても仕方ない。
・ハリーもやっぱり女の子。

ほぼ説明回。
ロンと喧嘩しないだけでハリーの心労が物凄い軽くなる。
必要な子なんです、ロンは。そう、必要なのだ。人気キャラなんだぞ! だがモゲロン。
第一の試練は特に変更なくドラゴンです。なんだ、と言ってしまえるあたりハリーもかなり常軌を逸しています。
そして心のお話。十四歳は一番多感な時期と言えます。そのせいで人間関係にも影響が出てくる時期でもあります。思春期を迎えた中学二年の頃にかかってしまうと言われる、恐ろしくも愛すべき時期で、形成されていく自意識と夢見がちな幼児性が混ざり合って、おかしな行動を取ってしまうという……アレだ。
次回はバトル回! 魔法族ファイト! レディー、ゴー!

※ハブられていたセドリックを追加&間違いを訂正。

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