ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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7.最低な日

 

 

 

 ハリーは困っていた。

 第一の競技が終わり、グリフィンドール寮で好き勝手騒いだとき。

 黄金のタマゴに、開閉できるギミックがついていることに気付いたのだ。

 開けてくれと騒ぐグリフィンドール生たちの言葉に従って、開けようとしたまではよかった。

 だが開けた先に待っていたのは、心躍らせるなにかではなく古びた鍵と錠だった。

 いったいなぜ鍵と錠が入っているんだろうと考えても、流石に情報がなくてはさっぱりわからない。この鍵で錠を開けられるのかと思いきやそうでもなし。

 完全に手詰まりだった。

 

「それでねハリー。ねぇハリー、聞いているの?」

「うん聞いてるよ。このヌガー取って欲しいんでしょ」

「聞いてないじゃないのよ。貰うけど」

 

 大広間で夕食を食べているとき、ハリーは隣のハーマイオニーに延々とよくわからない話を聞かされていた。ロンは既にこの場から逃げ出し、ハリーからの恨みがましい視線を振り切っていた。

 話の内容としてはこうだ。

 屋敷しもべ妖精という存在に対しての諸々の文句と、現状への嘆き。

 ハーマイオニー曰く、同じ人の言葉をしゃべってコミュニケーションが取れるというのに、ウィンキーの時のように奴隷のごとく切り捨てられていいはずがない。とのことだった。

 バーティ・クラウチの家に憑いていた屋敷しもべのウィンキー。

 《闇の印》事件を起こした張本人ということで、クラウチ家を(クビ)になったのだ。

 確かにクラウチ氏によるウィンキーへの扱いは辛辣の一言に尽きる。

 選民思想や差別主義などといった考えを持っていないハーマイオニーにとって、それはあまりにもショッキングな光景だったのだろう。

 

「それに、見てこれ。ひどい記事!」

「あー、なになに? 『ミス・グレンジャーの巨大な恋物語』……なんだこりゃ!?」

「ロン、声大きいよ。えーっと? 『彼女のお気に入りはブルガリアヒーローのクラム青年。大穴狙いのビッグチャンス! レズビアンなポッターの心境や如何に』だってさ。なんかさりげなくぼくまで攻撃喰らってんだけど」

「アッタマきた! なんなのこれ、マスメディアは個人のおもちゃじゃないのよ!」

「マス……なんだって? 君いま喉でも詰まらせた?」

「マスメディアだよ、ロン」

 

 リータ・スキーターもとんでもない女である。

 クラムがスリザリンの席で苦い顔をしていた理由がやっとわかった。選手控え室であるテントにおけるやり取り。あれを根に持たれてしまったのだろう。

 憤慨するハーマイオニーを放ってポリッジを口に運んでいると、ミルクの中に白い何かが飛びこんできた。ハリーはうんざりした顔をして、ポリッジの皿を押しやる。

 郵便の時間になると、行儀のなっていないフクロウが時折落し物をしていくのだ。頭にかかったらたまったものではない。

 汚物混ぜ込みポリッジが机の上からさっと消えると、トード・イン・ザ・ホールにオニオングレービーを添えたものが出てきた。たぶんヨーコか誰か、屋敷しもべが気を利かせてくれたのかもしれない。有難く頂戴しておこう。うん、美味い。当然沼入りではない。

 そうして割と好きな料理に舌鼓を打っていると、隣のロンから呻き声が聞こえてきた。なんだと思って見てみれば、何かよくわからない服を眺めている。

 ふりふりのフリルがふんだんにあしらわれた、茶色の上着。形としては燕尾服に似ている気がする。ドレスシャツもついている。蝶ネクタイは微妙な大きさであり、ロンが付けるとまるでコメディアンのようにも見えるだろう。

 ロンはうーんと唸ってから、近場で友達と食事していた妹に話しかけた。

 

「これ、ジニーのじゃないか? 間違って僕のところに来てたぞ」

「違うわよ。それに嫌よそんなの、ダサいじゃない」

 

 あっさりと否定されてしまい、ロンはすごすごと戻ってくる。

 笑ってしまうのは失礼だが、ハリーもハーマイオニーもくすくす笑いが止められなかった。案の定不機嫌そうな顔になってしまったロンの背中をハリーが撫で、謝って許してもらう。

 しかしハーマイオニーはよほど面白かったのか、まだにやにやしていた。

 ハリーとて別に面白くなかったわけではない。必死に表情を固定しているだけだ。

 

「ロン。どうしたのよ、そのドレスローブ」

「ドレスローブ? これが? ママってばまさかカーテンを寄越したんじゃないよね」

 

 いやはや。

 何とも大変なものである。

 ハリーにはモリーおばさんから手紙が来ており、クリスマス前にはドレスを買って送るから、希望のデザインを手紙で送ってほしいとの旨が書かれていた。どうやらハーマイオニーに着た手紙も同様のようで、楽しみにしてそうな顔をしているのが見える。

 ドレスねえ。ドレスかぁ。

 ハリーは冗談みたいな現実に、なんだかおかしくなって笑ってしまった。

 

「クリスマスの日。魔法学校対抗試合の伝統として、ダンスパーティが行われます」

 

 大き目の教室を空っぽにして、その左右の壁際に男女に分かれて座る。

 いまこの教室には、四年生以上のグリフィンドール生が全員集まっているのだ。

 女の子はきゃっきゃうふふと楽しそうにお喋りしているが、男の子たちはなんだかやれやれとやる気がない感じだ。

 

「我がグリフィンドールは千年もの間、この誇り高い心を受け継いできました。ダンスパーティはきっと楽しい一夜となるでしょう。ですが、先達から脈々と保たれてきた誇りをそのたった一晩で叩き潰さないよう、ご注意願いたいものです」

 

 いつも通りのマクゴナガル調である。

 踊ることそのものがどう楽しいのかはわからないが、とりあえず夜更かしして大騒ぎできるというのならば楽しいだろう。ハリーはそう考えているが、どうも周りの女の子たちは違うようだった。

 恋! そのすてきな好奇心がグリフィンドール女子を行動させた! 恋、それは人の心を明るくするもの。たとえ辛い目に遭っても、恋の輝きは心に立ち上がる勇気を与えてくれる。恋とは、人間の持つ素晴らしい感情である。

 要するにロマンチックな雰囲気の中で、気になる男の子にお近づきになれればいいなという単純にして重要な目論見である。

 

「今回の授業で行うのはダンス指導です。ダンスパーティの一夜では、男の子は素敵なジェントルマンとなり女の子は華麗なレディーとなる時のために必要なのです」

「エロイーズ・ミジョンは別かな」

「くくくっ」

 

 ロンとシェーマスがひそひそ話してにやにやしているが、小声なのでこちらまでは聞こえてこない。しかしマクゴナガル先生に目を付けられるには十分目立ったようだ。

 

「ミスター・ウィーズリー。お手本としてこちらへおいでなさい」

「ほォあ!?」

 

 マクゴナガル先生に呼ばれて、奇声をあげて驚くロン。

 先生の顔でこれはジョークでもなんでもなく現実なのだと悟った彼は、渋々立ち上がる。物凄い恥ずかしそうにしている彼の顔を見て、ハリーは笑い死ぬかと思った。

 

「ではダンスのお手本を見せましょう。手を取って、そして腰に手を当ててください」

「なんだって?」

「腰に手を当てるんですよ、ウィーズリー」

 

 こうなればもう、グリフィンドール男子が止まるはずがない。

 フレッドとジョージに囃し立てられ、口笛が鳴らされる。ひどいものだ。

 嫌そうな顔をしながらマクゴナガルを組んで、ダンスのお手本を見せるロン。

 仕方ないとはいえ、下手だ。

 

「さあ、みなさんもペアを見つけて踊ってごらんなさい」

 

 マクゴナガルの宣言と共に、ハリーたちは椅子から立ち上がった。

 一方で男の子たちは、とんでもない無理難題を突き付けられたかのような渋い顔をして唸っている。きっと照れ臭かったり、恥ずかしかったりするのだろう。

 一般的に、男の子よりも女の子の方が精神的な成熟度は早いと言われている。いつもの課外授業においてスネイプ先生にそう聞かされた時、何故かと問えば体のつくりが違うからだと説明された。

 体のつくりが違えば、当然魔法に関しても差異が出てくる。女性は早ければ十歳ほどから初潮を迎え、体形も変わり乳房が膨らんで子を成す為の準備が出来上がる。そうなる以前と以後では、魔力の質が変わることも珍しくはないのだとか。

 まったく表情を変えず淡々と話しているスネイプには失礼だが、ハリーはその話を聞いているときちょっとだけ意識してしまい恥ずかしい気分になった。それを見抜いたのか赤くなった顔を見られたのか、スネイプには「その無駄で無謀で不愉快極まりない感情の動きも、また魔力に影響するのだポッター」などとまで言われてしまう。

 

「麗しきハーマイオニー、その美しいお手をどーうぞ」

「あらジョージ、ありがと」

 

 ジョージとハーマイオニーがダンスの練習をしているのが横目に映る。

 なかなかうまいものである。フレッドはやはりアンジェリーナと踊るようだ。アンジェリーナは前々からフレッドにお熱だったため、他の女の子たちも彼を狙うようなことはない。恋の戦士アンジェリーナ。彼女の恋敵は全て地に伏せているのだ。

 さて、問題は男の子の方である。

 大多数の女の子は成長するにつれて現実的な思考に推移し、そして同年代のあれこれを経験する中で大人な思考になってゆく。一方、男の子は案外そうでもないのだ。確かに男の子も筋肉が発達し体つきが変わり髭が生えるようになり喉仏が出て声が低くなるなど、身体的な特徴はいくらでも挙げられる。

 しかし精神面においては、女の子ほどの成長は見込めないとの説があげられるのだ。好きな男の子をめぐって表面では「私たちずっとお友達だよネ」と笑っていても水面下で「おのれ口惜しや憎き奴め」と罵り合っている親友(?)も珍しくはない。

 セドリックを好いているチョウ・チャンがだいたいそのような感じだったが、彼女自身悪い子ではないということと、ハリーは少々疎いところがあるので真正面から言わないと気持ちが通じないということもあって、今では堂々と貴女からセドリックを寝取って見せるわと若干勘違いした宣戦布告を突きつけている。

 

「はっ、ハリー。ぼ、僕と、僕()()()()()()()()?」

「落ち着けよネビル。ほらもう一回だ」

「う、うん。は、ハリー。僕と、踊ってくれるかい?」

「……ふふ、喜んで」

 

 もっとも、ハリーはセドリックをそんな目では見ていない。

 セドリックにとっては可哀想なことだが、彼からの好意に気づいてすらいないのだ。

 彼女が異性として気になっているのは、仕方ないが、不本意ながら、なぜか分からないが、あのロン・ウィーズリーなのだ。親友として一緒にいるうちに頼れる部分や芯のしっかりした一面を見て惹かれていたのだろうか? 認めたくはないのだが、自分の気持ちくらい気づいている。

 そして、本人は認めたがらないがハーマイオニーもロンに対して悪く思っていないはずだ。だったら自分よりも、ハーマイオニーの方がいいに決まっている。

 そんなモテモテのロニー坊やはマクゴナガル女史とアツいダンスに興じているので、当然のように放置。泣きそうな顔で助けを求めてきたが、その視線は無視された。当分の間は双子によってからかわれることだろう。

 代わりと言っては失礼だが、ハリーは勇気を出して一番乗りに誘ってくれたネビルに手を取ってもらい、ダンスの練習に挑み始めた。

 これが案外難しい。そして意外なことに、ネビルはダンスがものすごく上手だった。

 何を自分相手に緊張しているのか、とネビルを微笑ましい目で見ていたさっきまでの自分が馬鹿だった。まだちょっとお腹がぷにぷにしているものの、ネビルは一年生の頃と比べるとかなり大人びている。ダンスである以上体が密着するのは仕方ないが、ネビルは意外と逞しいのだ。

 普段が普段なのでハリーが彼にドキドキするようなことはない。ないが、それでも感心させられる。本当にダンスが上手いのだ。教えられるハリーも、この練習時間が終わる頃には見違えるように上手なステップを踏むことができるようになっていた。

 そしてヘタレで優しい彼のこと。ハリーがバランスを崩したところを引き寄せて助けてくれるのだが、そのたびに胸や腹がくっついてしまって顔を真っ赤にして謝ってくるのだ。これが可愛いのなんの。その日の夜にグリフィンドール女子寮で行われたお喋り会では、ネビルの株がうなぎ上りであった。

 

「さて、困ったことになったぞ」

 

 ダンスパーティに出るからには、つまりお相手が必要だ。

 四年生から上の学年に該当する生徒のみがパーティに出られるとあって、三年生以下の少年少女はそれはもう必死だった。ウィザーズ・トーナメントが開催されるというこんなエキサイティングな年に、のけ者にされるのは耐え難いのだろう。

 ハリーのもとにも、一年生から三年生の男の子がいくらかやってきた。コリン・クリービーもその一人だ。

 しかしハリーはそのすべてを断っている。何故なら、

 

「どうしてですか、ハリー。なんで僕じゃだめなんですか?」

「あのねぇ、コリン。言いにくいんだけどぼくも――よし殺す」

「待て待て待てハリー待て落ち着け。クリービーお前も写真撮るな煽るなそれで嫌がられてるってのがわからないのかタコスケこら撮るなって言ったろうが」

 

 何故なら、ろくなのがいないのだ。

 この僕が行くためにアクセサリーになってください、と真正面から言ってくる子もいた。話している最中ずっとちらちら胸に視線が向かう子もいた。こんな男の子と一晩中踊って楽しんでいけるだろうか? 答えは当然ノーだ。

 なにもハリーをダンスパートナーにしたがったのは、下級生だけではない。今のところ同級生ではシェーマス・フィネガンや、ハッフルパフのアーニー・マクミランが居た。

 アーニーはむしろ断ってほしそうな雰囲気だったので、断った。「ダンス自体にあまり興味がないから、君に断られたら諦める口実になると思ったのです」とあっけらかんと言われて苦笑してしまった。

 シェーマスに関しては論外である。あのプレイボーイと一晩一緒に居ようものなら、割と冗談抜きで貞操が危ない。ちなみに情報源はジニーだ。キスだけならまだしもボディタッチはないだろうとのことで、女子生徒の間では彼の評判は地に堕ちている。自業自得ではあるが、この情報が女子ネットワークによって他寮にも広まっているあたり女の子は恐ろしいとハリーは思う。多分彼はパーティに行けないだろう。

 上級生では、リー・ジョーダンが誘ってきた。何やら彼らしくもなく緊張しているようだったが、後ろでウィーズリーズがスタンバイしているのを見たハリーは悪乗りしてこっぴどい振り方をした。崩れ落ちたリーのもとへ双子がやってきて寸劇が始まってしまい、それに巻き込まれて悲劇のヒロインとして死亡したのはさすがに予想外だった。

 他寮の上級生では、ハッフルパフの五年生、ボブ・ウィリアムスとジェームズ・ホーガン。友達と一緒じゃないと誘えないようなのはお断りである。レイブンクローは七年生のロジャー・デイビース。女子ネットワークにおいて一晩過ごしたら妊娠確実とまで言われているシェーマスの上位互換のようなハンサムなので、丁重にお断りした。彼は女性の扱いが丁寧なので、たぶん他に見つけるだろう。不知火とグレー・ギャザリングの男子生徒からも、一人ずつお誘いいただいたがこちらは普通に断った。そもそも、親しくない人と一晩中遊んでも面白くないだろうに。

 そして今回の問題点というか嬉しかったことというか、ハリーが顔を真っ赤にしてびっくりしたのは、セドリックからのお誘いだった。

 

「ハリー、一人の男として君に申し込む。どうか僕と踊ってくれないかい」

 

 そんなカッコいいことを、大広間の夕食時にやってのけたのだ。

 女の子からの黄色い声があちこちで聞こえて、男の子からは囃し立てる声や口笛、ウィーズリーの双子からは祝福の歌まで飛んできた。

 これが何を意味するのか、分からないハリーではない。

 ハリーはセドリックの言葉の意味を察した途端にリンゴのような顔色になって、途端にもじもじし始めた。レイブンクローのテーブルでチョウがものすごい顔をしているが、その時のハリーには全く気付けなかった。

 確かに信頼している男性だ。誠実だし、スポーツマンだし、優しいし、紳士的だし。

 セドリックと一緒に過ごすのなら、話も合う人だ、きっと楽しいだろう。さらに言えば、ハリーにとって異性から告白されることなど、生まれて初めてだった。今まで彼のことを異性として見たことがなかったためびっくりしたが、悪い気はしない。

 しかし受けていいのか? これ告白ってことは、パートナーをオーケーしたらつまり、男女の付き合いもオーケーってことになるのか? え、どうしようこれ。

 だが断る理由はない。だって、なにも問題ないのだ。ハリーが誘いたかった男の子は先約済みであるし……うーんうーんと頭を悩ませていると、このやり取りを聞いてやってきたマクゴナガルが申し訳なさそうに言葉を放った。

 

「ミスター・ディゴリー、ミス・ポッター。申し訳ないのですが……あー、代表選手同士でペアを組むのは、その、禁じられています。……ええ、わかっています。私とてこのような無粋なことを言いたくはないのですが……今までは三校だったからそういうことがなかったのに、まったく……バグマンときたら……」

 

 そんなお言葉によって、大広間中からのブーイングと共に承諾できなかったのだ。

 異性へ告白をした経験はないが、とてつもなく勇気が必要な行為だったろうことはハリーでも分かる。

 申し訳なさに平謝りしたのだが、セドリックに頭を下げる必要はないよと言われる。

 ああ、参ったなと少し赤くなった頬を掻きながら照れ臭そうに笑うセドリックは、なんだか前よりもハンサムに見えてしまって恥ずかしかった。

 

「ハリー、貴女の場合これの問題もあるでしょう」

「……うあー」

 

 セドリックが友人たちに肩を叩かれて去り、ハリーも居た堪れなくなって大広間を去った後。ベッドで寝そべってだらけていたところに、ハーマイオニーが一本の鍵と錠を見せてきた。

 第二の課題。

 それはこの鍵と錠が関係しているのだろう。

 ヒントが一切ない。開催日がいつなのかは知らされている。クリスマスの三日後だ。

 一般生徒たちにとっては嬉しいだろう、クリスマスのダンスパーティが終わればエキサイティングな競技が待っているのだから。しかし代表選手たちにとってそれはあまりいいことではない。

 鍵と錠ならば開けて中身を見れるかと思えば、そんなことはなかった。

 どうもこの鍵と錠は、対になっていないようだ。

 女子寮に居たローズマリーに相談してはみようと思ったものの、だがこればっかりは他の代表選手の錠で試してみるわけにもいかない。

 

「だってよハリー。もしこの鍵を最初に開けた奴が一番点数が高い、とかいう競技だったらどうすんだよ」

「ないとも言い切れないわよね。ハーマイオニーが見た限り過去の対抗試合の記録でも、鍵が出てくるような競技はなかった。まったくの未知数だわね」

「うーん。困ったなあ。ってことは前知識なしでのぶっつけ本番になるわけか」

 

 カンニングは対抗試合の伝統とか言ったのは誰だ。

 前準備などなしでの突発的に発揮できる実力を見るつもりなのだろうか。

 そうなると、杖一本でできないような課題ではないと考えられる。もちろん本来ならば十七歳以上の魔法使い・魔女が突破すべき競技内容なのだから、他より年下である分だけハリーは苦労するだろう。そこは努力で何とかするしかない。

 ハリーは自分の手の中で鈍く光る鍵を、くるくるともてあそぶ。よくよく見てみれば、魔法界らしいと言えば失礼かもしれないが古びた鍵である。最近マグルの世界で見られるようになったセキュリティ性の高い形状ではなく、中世の鍵のように棒の先にデコボコがあるだけの鍵だ。風情があって悪くはないが、実用的ではない。

 しかしハーマイオニー曰く、魔法界における鍵はむしろそういうタイプのものじゃないといけないらしい。なにせ一年生で習う基礎呪文の中に『開錠呪文』なるものがあるのだ。普通のマグル観におけるセキュリティ性など赤子同然である。

 むしろ魔法界においての鍵は、そういった反魔法作用をもたらす魔法具になっているケースがほとんどだそうだ。もちろん鍵としては脆弱もいいところなので、ピッキングしようと思えばヘアピン一本で行えるだろう。だがそれでもマグルに不法侵入されないのは、ドアノブに悪戯したマグルたちが警察官にたちの悪い酔っ払いとしてしょっ引かれていることからも理由がわかるだろう。

 

「うあー! わからーん!」

「ぐわぁ」

 

 知恵熱を出したローズマリーが、ベッドで寝そべっていたハリーにダイブしてくる。

 下敷きにされたハリーはそのまま彼女の手足が伸びてきて、拘束されてしまった。

 胸にぐりぐりと頭を押し付けてくるのはやめてください。

 

「あたしは考えるの苦手なんだよ! くそう、なんだこの意味の分からん鍵は、意味わかんねぇぜ」

「ぼくとしてはこうしてローズに押し倒されて一緒に寝るのが何度目か、もうわからんね」

「ローズ、あなたレズビアンじゃないわよね?」

「失礼だなラベンダー、どっちもいけるってだけだ。ハリーはすげぇおいしそうだしな」

「はっ、離せェ! いますぐぼくからは離れろ! うわぁ揉むなぁ!」

「ジョークだジョーク! その反応は傷つくからやめろって!」

「じゃあ胸から手を離せ!」

 

 どたばたと大暴れして、こんな時間になにをしているのですとマクゴナガルに怒られてから五人はようやく眠りについた。

 翌朝。ハリーとローズマリーのパジャマがきわどいところまではだけていたのを見て、ハーマイオニーが真っ赤な顔をして怒っていたのでハリーは困惑した。後ろでパーバティがにやにやしていたのですぐ下手人が分かったハリーは、彼女が朝食時に困るように一時間だけ口内炎に苦しむ呪いの罰を与えた。

 近くで紅茶を飲むにも苦しいと嘆く声を無視して、ハリーは手帳にシャープペンシルでチェックを入れた。ロンには奇妙がられたが、便利なのだから使ったっていいだろう。

 ハリーがいま思い悩む問題は、ダンスパーティのことだ。

 本気で相手が見つからない。困った。同級生の中で探してみたものの、ネビルは既に先約済みだった。やるじゃないかジニー。ディーンはラベンダーと行くらしい。ドラコにそれとなく話を振ってみたこともあったが、鼻で笑われたので危うく殺し合いに発展するところだった。スコーピウスやクライル、下級生は論外。上級生でダンスに誘えるような人はいない。ウッドやパーシーがいれば問題なかったが、彼らは卒業してしまった。すると残る親しい男性は……フレッドとジョージくらいしかいない。

 

「そういう君たちはどうなんだよ!」

「ん? ロニー坊やにはできないテクニックでお誘いを仕掛けるのさ」

 

 ふと意識を引き戻してみれば、まだパートナーに誘われていないロンがフレッドに噛みついているところだった。しかしフレッドの表情を見るに、どうやら策があるらしい。

 これは当てがはずれたかな。

 

「アンジェリーナ!」

「あら、なぁにフレッド」

 

 嬉しそうなアンジェリーナの声で、ハリーは確信した。

 なるほど、これを待っていたのか。恋する乙女のしたたかさと狡猾さにハリーは恐ろしくなった。ここまで考えないと恋愛ってできないのだろうか。

 アンジェリーナはさも興味ありませんという風に振る舞っているように見えるが、内心では狂喜乱舞していることだろう。望みどおりにお誘いを得ることができたのだから。

 

「僕と、ダンスパーティ、行こうぜ」

 

 身振り手振り付きのふざけたお誘い。

 それを見たアンジェリーナは、周囲の女の子たちとくすくす笑ってからはにかんだ。

 投げキッスが返事だ。フレッドの顔が明るく輝く。

 それを目の当たりにしたロンはしかめっ面だ。たしかにここまで格好いい兄を持つと苦労するだろうなあ、と思ってハリーは苦笑する。

 ちなみに、ロンは誘っていない。

 ハリーとてロンに対してようやく自覚したほのかな恋心は持っているが、それも兄や弟に対するものが変化したような感じがするほどに、淡い想いだ。アンジェリーナやチョウを見ていると、燃えるような恋とは何かが違う気がする。

 それに、彼にはハーマイオニーが居る。彼女はなんだかんだ言ってロンのことを愛しているし、絶対の信頼を寄せているだろう。

 

「あ、ジョージ」

「なんだいローズ」

「おまえでいいや、あたしと朝まで踊ろうぜ」

「おっと嬉しいお誘い感謝感激雨あられ!」

 

 あ。余計なことを考えてたら先を越された。

 ローズマリーもきっとパートナー探しに苦労したことだろう。どうせなら他校の人と仲良くなって親睦を深めたいと思うものであり、同じ学校の男の子じゃちょっと見劣りするのも仕方ないだろう。

 さて、かなり困ったぞ。

 朝食を食べ終えたハリーは、変身術の教室に向かって歩を進めた。

 今日はクラムたちダームストラングの生徒がいるようだ。

 

「ポッター、代表選手はまず最初に踊ってもらうという伝統があります」

「はぇ?」

「淑女がお間抜けな声を出すものではありません。いいですねポッター、パートナー登録を提出していない代表選手はもはやあなただけですよ」

 

 授業前にマクゴナガルから下された残酷な宣告がハリーを直撃した。

 最後の一人って!

 ダームストラングの女子生徒がくすくす笑ったのが耳に入り、ハリーの顔が熱くなった。べ、別にモテないわけではないんだ。ほら、セドリックに嬉しいこと言ってもらえたし? く、悔しくはないんだもんね。

 口元を抑えたまま、ハリーは変身術の授業を上の空で聞いていたせいで、グリフィンドールから一点減点されてしまった。

 

「ヤバいよう困ったよう」

「ハリー、あまりくっつかれても困るんだけど……。女の子なんだしさ、ほら」

「あー、ごめんごめん」

 

 放課後。談話室でソファにだらしなく座っていたロンの上にもたれかかり、うねうねと悶えるハリー。胸やら尻やらが気になってしまい、ロンはハリーをべりっと剥がした。相変わらずロンに対してはスキンシップが激しく、まるで甘えん坊な妹のようである。そんな彼女をハーマイオニーは呆れたような、少し羨ましそうな目で見ている。

 いいじゃないか。このくらい。

 今回の件、はっきり言って自業自得である。相手を選り好みするからこうなるのだ。

 しかしまぁ、気持ちはわかる。異性にがつがつした人と一晩過ごすというのは、女性としては少々怖いだろう。ましてや、今は誤解が解けているとはいえハリーにはシリウスというトラウマがあるのだ。下ネタのジョークに一切笑わないというのも、またそれが理由の一端を担っているのだろう。

 

「まあ、僕も人のことは言えないんだよなあ。参った」

「え? ロンってば、まだハーマイオニーとペアになってなかったの?」

 

 意外なことを聞いた。

 ロンがきょとんとした表情を浮かべているのを見て、ハリーは完全に寝耳に水であることを悟った。つまりハーマイオニーが彼に何も言っていないことは事実なのだ。

 ハーマイオニーの方を見てみると、なにやら眉をひそめている。

 ……なんだ? なんだろう、これ。

 

「えっと、ロンはハーマイオニーを誘わなかったの?」

「ええ? 僕がハーマイオニーを? そ、そんなばかなことあるかよ。……いやでも、背に腹は代えられないっていうしなあ」

 

 ハリーは一瞬にして周囲の空気が重くなったことを察知した。

 そして、まずいとも思う。

 ハーマイオニーも、ロンに誘われたら内心でものすごく嬉しいくせに、下手に頭がいいものだからロンが本当に自分のことを異性として見ていないことをわかってしまう。

 だから、ロンの無神経な言葉に本気で怒って喧嘩してしまう。

 

「ハーマイオニー、君たしか女の子だったよね? 僕とダンスしたけりゃしようぜ」

 

 視界の隅で、あちゃーと天を仰ぐ双子が見えた。

 こんな言い方をすれば当然、雷が落ちる。何故ロンはハーマイオニーに対してこんなにも素直になれないのだろうか。思春期だからか? そうなのか?

 しかしそれにしたってひどい。

 見ていて、苛々する。

 

「ああ、そうですか! ロンにとって私はそんなものってわけね!」

「な、なに怒ってるんだよ……」

 

 またか、と周囲の寮生たちが離れてゆく。

 ロンとハーマイオニーの喧嘩はいつものことだからだ。しかし、いつもと違う光景ではある。それは近くに居ながらハリーが仲裁していないということだ。

 

「あなたっていつもそう! デリカシーの欠片もないんだから、そうやってパートナーもできないんじゃないの!?」

「……そッ、そういう君はどうなんだよ!? ガリガリグレンジャーをお誘いする奇特な人間でも現れたのかい!?」

 

 これまた泥沼のような喧嘩になるな、とハリーは思う。

 今度の口を利かない期間は一週間だろうか? それとも一ヵ月?

 実にくだらない。あてつけのつもりだろうか。

 しかしハリーの予想は大きく外れることになる。

 激昂したハーマイオニーが、ロンの心に対して致命傷を与えてしまったからだ。

 

「えぇ、えぇ、いますとも! お誘いを貰ったわ!」

「……、えっ、な……っ!?」

「あなたよりずっと紳士的で、ハンサムで、私の心をわかってくれる人よ!」

 

 ハリーは自分の耳を疑った。

 確かにハーマイオニーは見目も悪くない。生真面目すぎるのと髪がぼさぼさで前歯が少し大きいという特徴を持っているが、それでも女性として魅力的なところもある。

 問題はそこではない。ハーマイオニーにお誘いが来るのは別におかしい事ではないのだ。

 だが、だがしかし。

 今の言い草では、まるで――

 

「うっ、受けたのか? まさか、そんな」

「オーケーしたわ! 私が一緒にパーティーへ行くのはあなたじゃないのよ」

 

 ロンの顔が、悲痛な色に染まる。

 自分の行いを後悔して、胃を直接鷲掴みにされたような気分でいることだろう。

 鳩尾の下あたりにマグマが湧いて、頭の奥がじんわりと熱く白くなる。鼻の奥に何かが集まるような感覚と、熱されたはらわたが煮えくり返るような感覚。

 彼は今、嫌というほど狂おしく哀しいその感情を味わっているはずだ。

 何故なら、それはハリーもよく知っている心の動きだから。

 

「ハリー、行きましょ。もう付き合っていられないわ」

「それは同感だね」

 

 ハリーを連れて寝室へ行こうとしたハーマイオニーが、はたと足を止め、顔色を変える。

 怒りに沸騰した頭が、急激に冷めてゆくようだった。

 慌てて親友の顔を振り向く。

 彼女が見たのは、ボーイッシュな魅力を持った一人の少女。

 ここ二年ほどで、徐々に、それでいて確実に女性らしい体つきになった友達。胸も自分よりずっと大きくなり、お風呂で見る腰もくびれておりかなりスタイルがいい。鍛えているからか、手足もすらっとしているし、何より男の子に近い気性のおかげで異性からの人気をかなり集めている。

 だというのに、ハリーにそういった浮ついた話があるというのは聞いたことがない。

 あるとしても先日のセドリックの件くらいだった。

 なぜなのか。その理由を、ハーマイオニーは彼女の緑の瞳を見たことで悟った。

 彼女も、ひとりの女の子なのだ。

 

「もう付き合っていられるか。気を遣って、取り持って、バカみたいじゃないか」

「は、ハリー?」

 

 吐き捨てるような言葉には、彼女のヘドロのような感情が込められていた。

 ここに至ってようやく、ハーマイオニーは理解する。

 何が親友だろうか。ロンもハーマイオニーも、ハリーに甘え過ぎていたのだ。

 一年生の頃の、人見知りをする狼のような子供はもういない。朗らかに笑えるようになった一人の少女に、過剰に気を遣う必要はない。それが友達というものだ。

 しかし優しく大切に扱う必要がなくなったせいで、いつしか彼女に甘え過ぎていた。

 いったい何回、目の前で喧嘩をして、仲裁してもらったのだろう。

 いったい何度、ハリーのおかげで仲直りができたのだろう。

 

「ロン。我慢しようと思ったけど、やっぱりやめたよ」

「な、なにがだい、ハリー?」

 

 微笑んだハリーが、ロンの方へ振り向く。

 なにか違和感を感じる笑顔だが、それでも照れているのは本物だ。

 ハリーは演技で頬を赤くできるほど、器用な性格ではない。

 ここでハーマイオニーは、己の失敗を悟った。

 同時に、ハリーが隠し続けてきた気持ちを初めて知って愕然とする。

 

「ロン。ぼくとダンスパーティに行ってくれるかな」

 

 グリフィンドール談話室の音が消えた。

 痴話喧嘩を盗み聞きしていた行儀の悪い女子たちも、本当にヤバくなったら止めようと待機していたフレッドとジョージも、友達が険悪になったら心配だからと待っていたシェーマスもディーンもネビルも、結果がどうなろうとも見守っていたパーバティとラベンダーも、全員が喋らない。

 ハーマイオニーはまったく感情がない表情のまま驚きに固まっており、ロンにいたっては驚きと衝撃のあまり、開いた口が閉じ切れていなかった。

 そんな中、ハリーは一人はにかんでいた。

 驚愕したままのロンの手を握って、身長差から上目遣いで言う。

 

「だから、その、えっとだな。……ぼくと、お願い、します」

 

 

 十二月二十五日。

 ダンスパーティの当日、パーバティ・パチルは呆れ果てていた。

 いまの四人部屋には、部屋を代わってもらったハリーが居ない。

 二週間の間、ハリーはハーマイオニーに対して冷たい態度を取り続けていた。

 ハリーの気持ちは、わからないでもない。

 女の子二人と男の子一人の仲良し三人組で恋の問題になった場合、不幸を被るのは恋愛に奥手な女の子の方だ。それが、ハリーだった。男二人と女の子一人なら、まだこうはいかなかっただろう。男同士の仲というのは意外なほどあっさりしていて、喧嘩をしてもすっきり終わるケースが多い。恋愛に関しては違うかもしれないが、それでもマシである。

 だが女同士は何故かそうはいかない。パーバティも経験あることだが、私たち親友ダヨネと本心から言っているのに裏では互いの陰口を叩いているなどということは、まったく珍しくもない。

 まあそれはいい。問題は、ハリーとハーマイオニーの仲が悪くなったしわ寄せがこちらに来ているということだ。まず部屋にハリーがいなくなったので、朝起きて髪を梳いて遊ぶおもちゃがいなくなったというのが一つ。朝早く起きてジョギングするハリーの物音で目を覚ましていたので、寝坊が多くなったのが一つ。ハーマイオニーが常に不機嫌で、こちらにも険悪な態度を取られるというのが一つ。

 最後に、ハリーがロンに対して積極的になってしまったというのが一つ。

 

「ロン、パンクズこぼしてるぞ」

「あ、ごめんハリー。ありがと」

「う。お、おう……」

 

 相変わらずどこか抜けているロンと、甲斐甲斐しく世話を焼くハリー。

 昨日あんな大変なことがあったというのに、ロンは意外と自然体だ。

 気になっていた親友が別の男を選んだと知ってショックを受けて、もうひとりの親友から異性として好きだと告白されて、その親友同士が今までにないほどに険悪な関係になっていて。

 それでもこうして呆けていられるロンを、パーバティは危うく尊敬しそうだった。ひょっとして関係を進展させないよう、わざとやっているのではないだろうか。

 しかしハリーとハーマイオニーが大喧嘩するとは思わなかった。パーバティとしては、今回はハリーに同情している。好いた惚れたの問題で我慢し続けて、その末の爆発。

 こればかりは仕方のないことだと思う。

 恋とは心や子宮の問題なのだ、理屈ではない。

 

「にしても、可愛いわね」

「本当だわさ。子犬か何かみたいだけど」

「それでも魅力に違いはないわよ」

「んまーね」

 

 ぽつりと呟くと、ラベンダーから返事が返ってきた。

 彼女は今シェーマスとお忙しいのかと思ったが、シェーマスも男の子。女の子とイチャつくのも当然好きだろうが、まだ男同士で騒いでバカやってる方が気が楽なタイプだ。だから毎回くっつかないで、時々にしているのよとはラベンダーの談。さすがである。

 しかし本当にかわいい。

 今までハーマイオニーに気を遣って、ロンを異性として見ないように頑張っていた姿を知っているからなおさら可愛い。いつもと違って生き生きとして、恋に生きている感じがする。

 彼女の凄惨な過去は有名だから、濁った沼のような瞳は見慣れたものだ。だが心なしか、少しばかり光が宿っているようにも見える。恋とは偉大だ。

 一年生の頃は触れれば切れる刃のように無愛想な子だったけれど、ここ二年ほどでずいぶんと柔らかくなった。その変化は嬉しいが、恋をすると人は変わる。

 あのハリーが、こうまで可愛らしい女の子になるとは。じゅるり。

 

「パーバティ、あんたまさか」

「別に大丈夫よ。妹以外に手ぇ出したりしないわよ」

「あんたとの付き合い方ちょっと考えるわ……」

「ジョークよ」

 

 一日の授業が終わる。

 生徒たちがいつも以上に勉強に身が入らず、浮ついた空気だったのは仕方あるまい。

 本日の夕方十八時から日の出までが、ダンスパーティの時間なのだ。

 ハリーはこの二週間、思う存分ロンに甘える日々を過ごすことができた。ロンも意外と紳士な奴で、ハリーがいくら身を寄せようとも決して下心を出そうとはしてこない。それが嬉しくもあり、そして悔しくもあった。

 視界の隅で、ハーマイオニーが終始不機嫌だったのを見ている。そんな風になるんだったら、最初からロンを誘えばよかったのだ。意地を張って誘ってもらえるのを待つものだから、そんな目に遭う。あれの朴念仁っぷりを知らないわけじゃないだろう。選り好みもいけないが、受けの姿勢のままでいることもだめらしい。

 もっとも、だからといって無視するようなことはしない。表面上はいつも通りに接しながらも、ロンとのやり取りを見せつけるようにしている。これが君の捨てたものだと、選ばなかった結果だと、突きつける。

 酷い八つ当たりだとわかっている。恐ろしく面白くないことだともわかっている。

 だけど。

 いいじゃないか、ちょっとくらい。

 

 閑話休題。

 ハリーは慣れないメイク道具を手に、頑張ってめかしこんでいた。

 隣にいるのはアンジェラ・ハワードだ。廊下でばったり出会って、今回の対抗試合の中で起きては困る問題のために、仕事で来ていることを知ったのだ。

 ハワードは確か、去年でホグワーツを卒業している。今年で十九歳か二〇歳だったはずだ。ならばお化粧の経験もあるだろうと思って相談に乗ってもらったのだが、これが正解だった。女性として社会に出るにあたって「お化粧とは大鍋である」と教わったのだそうだ。誰だ、そんな意味不明なこと言ったの。

 兎も角、ハワードのおかげでハリーは美少女から超絶美少女へとクラスチェンジすることに成功した。元がかなりいいのだ、それを整えれば絶世の美少女になるのは世の摂理である。

 ハワードとて年頃の女性。例に漏れずお洒落が好きなようで、ウィッグなども提案してきた。ためしに編み込んでみたところ、いつもより髪が長くなって不思議な気分だ。髪型をドレスに合うように整えて、ウィーズリーおばさんから贈られたドレスもまたハリーに似合っている。

 ちなみにロンにはウィンバリーがついている。親戚から(おしつけ)られたお古のドレスローブを大変嫌がったからだ。それなら俺に任せろと、ウィンバリーがロンのドレスローブを現代風に改造することをノリノリで名乗り出たのだ。

 ウィンバリーは意外なことに、裁縫や料理などに活かせる日常魔法が得意なのだという。どうやら学生の頃の親友がよく兄弟と喧嘩する子だったらしく、彼の破れた服を繕っているうちに趣味にまで昇華してしまったのだとか。全く似合わねえ。

 鏡の前で胸がはみ出ないように整えていたところ、ハワードから声がかけられる。

 

「ハーマイオニーと喧嘩したんですかぁ?」

「ん、まあね」

 

 軽い調子で言葉を返す。

 片眉をあげたハワードに対して、ハリーは苦々しげに笑った。

 

「あの子はね、ロンが好きなくせに素直になれないんだよ。今回別の男の子をパートナーに選んだのも、ロンに対する当て付けが含まれてるんだと思いたい」

「あぁー……なるほどぉ。押してダメなら引いてみな戦術ですねぇ」

「そんな感じ。それでロンが不機嫌になったり、怒ったりしてくれれば……」

「少なくとも自分のことを意識してくれている、またはこれから意識してしまうってことになりますねぇ。もしだめでもその男の子が居ますし、上手いやり方です」

 

 ハワードが成程なるほど、と頷く。

 しかし途中でその頭の動きが止まり、ハリーを見つめてきた。

 

「……ねえハリー。でも、それって」

 

 ハリーはそんなハワードの唇に、人差し指を添える。

 ジェスチャーの通り黙り込んだハワードに対して、ハリーは微笑んだ。

 

「いいんだ」

「……本当にいいんですかぁ?」

「うん。いいんだよ」

 

 ハワードと共に廊下を歩く。

 彼女もおめかしして、ドレスを着ている。どうも闇祓いの制服のままだと浮くから何とかしてくれ、とマクゴナガルに言われたようだ。綺麗な銀髪をアップにして、背中と胸元が大胆に開いたドレス。彼女の豊満な肉体が惜しげもなく披露されているのにいやらしくなく、上品さすら感じさせるのは素直にすごいと思う。

 なんだか恥ずかしそうだが、こういう服を着るのは初めてなのだそうだ。しかし彼女も恋する乙女。ウィンバリーと手を繋いでもらうのが今日の目標だそうだ。……ずいぶんとハードルが低いな。

 二人で廊下を歩いていると、すれ違う男の子が目で追っているのが分かる。時折パートナーがいるというのにこちらに夢中になってしまい、ビンタを喰らう情けない男もいるようだ。

 変なところでもあっただろうか、と少し頬が赤くなるも、ハワードはそのままでいいと言ってくれる。どうやらウィンバリーを見つけたようだ。挨拶を交わして、ハリーは彼女と別れる。うまくいきますように、と心の中で祈っておいた。

 

「やあ、ロン。遅くなった」

「あ、来たねハ……、リ……ぃ。……」

 

 どうやらウィンバリーの腕は本物だったようだ。

 女性向けの中世ファッションを、どうしてこうも上手に改造できるのだろうか。

 燃えるような赤毛とブルーの瞳が映えるように、ダークブラウンに近い地味な色をしている。しかしロックハートが着ていても違和感のないくらいにはカッコいいドレスローブになっているようだ。ふりふりのフリルはある程度撤去され、裾も長くなっている。どことなく細身のデザインはロンの背の高さにぴったりだ。

 もっとも、この驚きもハリーを見たロンの衝撃ほどではないだろう。

 

「……すごいね、ハリー。綺麗だ」

「そッ、そうかな? あ、ああ、……ありがと……」

 

 ロンが素直に称賛したように、今のハリーを見て男の子と間違える者はいないだろう。 大胆に肩を出し、胸元や細い肩が白く見事な肌を見せつけるように主張している。髪はいつもより長くのばされており、女性らしさが際立っていた。ほっそりした腰の下には、ふわりと広がったスカート。ここは彼女らしく活発な動きができるように、動きやすくなっているようだ。全面の一部が半透明な素材でできており、彼女の綺麗な脚をうっすらと透かしており自然と目が惹いてしまう。いつもは全くしていないメイクもしているようで、ただでさえ美少女であったというのに、もはやロンはなんて言えばいいのか分からないような美人さんになってしまっていた。これではロンの貧弱な語彙力では「綺麗」としか言えないだろう。

 

「えへ、えへへ……」

「なに笑ってんだハリー」

「い、いやあ。ロンに褒められたのが、思ったよりうれしくって……」

「そ、そうかい」

 

 好意を前面に押してくるハリーに、ロンは少し頬を赤く染めた。

 頬を掻きながらも、彼は反対側の腕をすっと持ち上げる。

 ハリーが驚いている顔を見て、ロンはすこし唇を尖らせながら言った。

 

「女の子にはこうしてやれって、ウィンバリーが。僕をなんだと思ってるんだ」

「ナイスウィンバリー」

「え?」

「なんでもない。じゃ、行こっか」

 

 ロンの腕に、自分の手を絡める。

 こんなのガラじゃない。まるで恋する乙女そのものじゃないか。

 だというのに照れ臭くて嬉しくて、ハリーはだらしなくにやけてしまいそうな顔の筋肉を固めるのに必死だった。

 大広間へと到着すれば、ばったりセドリックと出会う。ここでハリーは、告白されていながらロンに対して申し込んだことの意味に気付き、一瞬だけ心臓が跳ね上がった。しかしまあ、セドリックの隣にいるチョウ・チャンの凄いこと。ハリーに対して勝ち誇った顔をして、ロンを見て、鼻で笑おうとして、ハリーを二度見して、驚きのまま固まる。

 いい子なんだけどなぁ、と内心で苦笑いするハリーの気持ちを察してか、セドリックも小さく笑いながら軽く手を上げるだけの挨拶に留めておいた。隣に女性が居ながら、他の女性に声をかけることをためらったのだろう。どれだけ紳士なんだこいつ。

 ローズマリーがジョージと共にジョークを飛ばして笑いあってる姿が目に入った。二人はやはり色気がない。互いを異性として見ていないというか、やはり友人の延長線上の関係だろう。

 

「嘘だろ……」

 

 ロンの愕然とした声が聞こえる。

 彼の見ている方へ目を向ければ、なるほど。よく知った美女がいた。

 ボサボサの髪の毛は《スリーク・イージーの直毛薬》を使ってストレートに直し、絹のように滑らかに仕上げている。前歯も目立っていないように思える。この二週間でハーマイオニーが医務室に行ったと聞いたことはあるが、それが関係しているのだろうか。

 しっかりとお化粧も施して、ドレスも大胆なデザインを選んで背中がよく見える。元がいいのだから、飾り立てることでまるで別人のような美しさを放った少女がそこにいた。

 ハーマイオニー。

 そんな彼女の視線の先には、隣で呆然としているロンだ。ロンが唖然としている理由は簡単だろう、ハーマイオニーの隣にはビクトール・クラムが居て、ふたりは親しげに腕を組んでいるのだから。

 

「ありゃー。お相手はクラムかぁ」

「な、なんでだ? なんで、ハーマイオニーはどうしてクラムとなんて……」

 

 明らかに動揺したロンの震えが伝わってくる。

 確かにハーマイオニーは綺麗だ。綺麗だけど、なぜあんなにも楽しそうに笑える?

 何かが変な気がする。

 まあそれはともかくとして、ロンの反応はあまり面白くない。

 ハリーはロンの腕をぎゅっと抱き寄せて、自分の胸の中に抱きしめた。

 

「ハリー……?」

「……ロン、お願い。今夜は、ぼくだけを見て」

 

 その言葉ではっとしたのか、ロンは一言小さく謝ってきた。

 謝られても惨めなだけだというのに、なぜだかほっとする。

 今夜は折角のお祭りなのだから、楽しまないと損だ。

 にかっと歯を見せる朗らかな笑みをロンに見せて、ハリーはロンを引っ張った。

 

「ほら見てよロン、バタービールだ」

「シャンパンやワインじゃないんだね。せっかくお酒飲めると思ったのに」

「十四じゃ流石に無理だろ、いろいろと」

「分かってないなあハリーは。大人になる前に呑むからいいんじゃないか!」

 

 グラスに勝手にバタービールを注いで、乾杯もせずに飲む。

 行儀が悪いが、《妖女シスターズ》という魔法界のバンドを呼んでいるのだ。どうせ熱狂的なパーティになることはわかっているので、無礼講というやつだろう。

 普段通りにロンと話せているだろうか? 大丈夫なはずだ。いつも通りの、楽しい関係でいられるはずだ。そう自分に言い聞かせていると、ハリーは背後から胸を鷲掴みにされてバタービールを吹き出した。

 ローズマリーの悪戯だった。けらけらと笑う彼女に仕返ししたり、ロンとジョージが居心地悪そうに笑いあったり、なんだか結局いつも通りになってしまったような気がする。

 

「ああ、ここに居ましたか。ポッター、ミス・イェイツ」

 

 マクゴナガル先生がつかつかと足音高く寄ってくる。

 彼女もめかしこんでいて、老いてなお美しいと言わざるを得ない。

 若い頃はさぞ男たちの視線を独り占めしていたことだろう。年老いたことを隠さず、それすら美の一助とする彼女のお洒落は素晴らしいの一言に尽きる。ハリーもローズマリーも、ほーと感心の溜め息を吐いたのだった。

 

「マクゴナガル先生、すっごいお美しいです」

「すげーな……イギリスの淑女って感じがするぜ。……します」

「おや、ありがとうポッター、ミス・イェイツ。では用件を伝えましょう。代表選手たちはパーティの開始前に皆の前で手本を見せる伝統があります。パートナーを連れて、ステージに上がってください」

 

 マジかよ。

 

「は、ハリーぃ。僕おかしくないかい? 笑われない?」

「お、落ち着けよロン。べべ別に大丈夫だって変じゃないカッコいい大好き」

「ハリーも落ち着け、いろいろ漏れてるぞ」

「ほぅーら、ローズマリーも脚が震えてんぜ」

「人の脚を触んじゃねえジョージ!」

「アイタッ!」

 

 ステージの袖でぎゃーぎゃーと騒いだものだから、マクゴナガルから鋭い睨みが飛んできた。恐ろしいので四人は黙り込み、ソウジローのペアであるユーコに笑われてしまう。

 ハリーペアとローズマリーペアは、四人そろって庶民なので仕方がない。

 しかし代表選手たちを見てみれば、見てみれば物凄いではないか。

 ソウジローとユーコのペアは、見事な着物を着こなしている。踊れるのだろうかと思ったが、一応活動しやすいタイプにはしているらしい。きっと問題ないだろう。二人とも黒髪に黒い着物と地味なカラーリングだが、それでも元が美青年と美少女なのだ、逆にスッとしたスマートさが出ているように見える。

 クラムとハーマイオニーは、互いに立派なドレスローブだ。クラムの方はまるで軍服のような赤いドレスローブであり、肩にかけた毛皮のマントが威厳を見せている。仲睦まじく談笑している姿に、ハリーもロンも複雑な思いだった。

 フラー・デラクールとそのペア、レイブンクローのロジャー・デイビースはちょっとアレだ。フラーの輝く美貌にデイビースのハンサムさが色褪せている。更には、フラーの魅力にデレデレでだらしない顔だ。あれでは添え物程度にしかなるまい。

 ブレオはどうやらレイブンクローの三年生を選んだらしい。ぽやぽやした不思議な女の子で、ブレオの口説きを聞いているが、全く効いていないようだ。それが面白いのか、ブレオはまたも褒め殺しにかかっている。なかなか面白いペアだ。

 ローズマリーとジョージは、互いに活動的なドレスローブを着ている。真っ赤な薔薇を模したミニスカートのようなドレスに、スポーティなデザインのタキシードのようなドレスローブ。いまでも楽しそうに笑っているあたり、恋愛関係は期待できなさそうだ。

 

「さ、出番ですよチャンピオンズ」

 

 マクゴナガル先生の言葉と共に、代表選手たちがステージの上に現れる。

 フリットウィック先生が指揮をするようだ。クラシックな音楽が流れると同時、十人の代表選手とそのパートナーたちがステップを踏む。

 かちんこちんに緊張して出遅れたロンに微笑みかけて、ハリーは彼の手を自分の腰に回させて、手を取った。意地悪な笑みを見せれば、ロンは軽く笑ったようだ。以降は変な緊張などせずに、練習の時と違ってハリーの足を踏むこともなかった。

 一曲分を踊れば、マクゴナガル先生の合図と共に他の生徒たちも踊り始める。

 穏やかで上品なダンスのなにが楽しいのかと思ったが、これがなかなかどうして面白い。身体が密着してロンの照れくさそうな顔が見れたり、ローズマリーとジョージがたまに無茶なダンスをして笑い声が聞こえたり、ついにロジャー・デイビースがフラー・デラクールに求婚して足蹴にされていたりと、徐々にパーティが騒がしくなり皆のテンションが上がってゆくのが分かった。

 

「ロン、楽しい?」

「まあね。ハリーこそどうだい」

「さいっこう」

 

 いまこの一時、ハリーはとても幸せだった。

 好きな男の子とこうしていられるのは、一人の少女として幸福なことだと思う。

 少しばかり諦めていたのだから、なおさらそう思う。

 楽しい時間が過ぎるのは早い。優雅なダンスミュージックが途切れたかと思えば、とんでもない大音量で大広間中にシャウトが響き渡った。

 

「イェエエエエエエイ! お上品なダンスに飽きたら、刺激的なダンスもね!」

 

 それぞれが楽器を振り回しながら現れたのは、妖女シスターズの面々だ。

 指揮をしていたフリットウィック先生が放り投げられ、熱狂的な歓声が響く。

 ギターがかき鳴らされているのを見て、ハリーは不思議に思う。

 もはや大真面目にステップを踏んでいる者はいない。好き勝手に暴れているのみだ。

 

「ロン、あれエレキギターじゃない? 魔法界で機械って使えないんじゃ……」

「エレキギター? ああ、あれマグルの楽器で似てるのがあるのかな。あれの原動力は持ち主の魔力だよ」

「じゃあなに? 魔力を吸いだされながら大声で歌ってるの、あの人たち?」

「おかげでライブ後は魔力枯渇してるんだとさ」

 

 妖女シスターズが自分たちの持ち歌を歌い終えると、一瞬だけステージが暗転する。

 何かと思えば、今度手に持っているのは変わったギターだった。

 いや、あれは確かギターではなく……シャミセン?

 

「ッはぁぁぁあ――――ッ、ええじゃないか! ええじゃないか!」

 

 意味の分からない歌が始まった。

 今まで大人しめに騒いでいた不知火の生徒たちが、急に発狂したかのような クレイジーなダンスを披露し始めた。ステップも滅茶苦茶、規則性があるようにも思えない。

 だがこの自棄になったかのようなダンスがお気に召したのか、他校生も真似して適当なダンスを踊り始めた。

 縦笛や三味線、肩に担ぐ小さな太鼓などエキゾチックな楽器でかき鳴らされるロックな音楽は、たしかに面白いと思う。しかしさっきからお札だのお餅だのが降ってくるのは何なんだ。日本の伝統行事なのか?

 

「なんだこりゃ? 面白いな! わけわかんねえ!」

「分からないなりに上手だよ、ローズマリー!」

 

 よく知らないなりに楽しんで踊っているローズマリーと、正式なのかどうかはわからない踊り方をしているユーコが楽しそうに笑っている。ジョージは真顔で激しいエエジャナイカ・ダンスを踊り狂うソウジローを見て戦慄しているようだ。

 アメリカらしいド派手な音楽に移行すると、もうローズマリーの独壇場だった。ステージに飛び乗ったかと思うと、ボーカルからマイクを奪って激しく歌い始める。それにノったボーカルも、彼女とマイクを奪い奪われでシャウトし続けた。

 あちこちを見ればみんな笑顔で、とても楽しんでいる。

 ハリーは目を細め、大広間を出る。

 廊下に出れば、階段にロンが座っている姿を見つけた。

 ゆっくりと歩み寄る。

 

「やぁ。お疲れ、ロン」

「……ああ。お疲れさま、ハリー」

 

 一緒に踊っていた時は笑顔で楽しんでいたロンも、ふと落ち着けば暗い影が差す。

 何とかしてやりたいと思っても、こればかりは、ハリーには難しい。

 彼の気持ちを宥めるのは、ハリーの役目ではない。

 ハリーではだめなのだ。

 

「……気になる?」

「え……」

「ハーマイオニー」

 

 名前を出せば、びくりと肩が動く。

 分かりやすい奴だ。

 紳士たれとがんばっているものの、気になって仕方ないのだろう。

 そんなもの、顔を見なくても分かる。

 

「……クラムは、別の学校の代表選手だ」

「そうだね」

 

 ぽつりと零したロンの顔は見ていない。

 見たくない。

 

「どうして、ハーマイオニーは……あんな奴を選んだんだろう……」

「……さあね……」

 

 本気で落ち込んだロンの肩をぽんぽんと叩く。

 これはもう、だめかもしれないな。

 

「ロン、まだ踊る気はあるかい?」

「……ごめん、ない」

 

 だろうね。

 ハリーはきらきらした明るい緑の目を細め、そっと閉じる。

 

「ねえ、ロン」

「悪いけどハリー、しばらく放っておいてく――」

「ハーマイオニーのこと、好き?」

「れぇっ!?」

 

 唐突にハリーが仕掛けたことによって、ロンが裏返った声を出す。

 大慌てで動揺しきったその姿はとても可愛くて、ハリーは微笑ましく笑った。

 

「そっ!? べ、別にぃ? そんな、あー。うー……」

「んふ。……好きなんだ?」

「か、からかうなよ……」

 

 しまいには、顔を真っ赤にしてそむけてしまう。

 否定されなかった。やっぱり何だかんだで、自分の気持ちには気づいているらしい。

 目を細めたまま、ハリーは泡喰ったロンを眺める。

 そんなハリーの表情に違和感を覚えたのか、ロンがこちらへ視線を返してきた。

 ハリーは微笑んで言う。

 

「もっと素直になりなよ」

「……でも、さ……」

「まぁ、今回はハーマイオニーもやり過ぎかな。たださ、惚れた弱みってやつだよ。笑って許してやろうぜ」

「……難しいかも」

 

 少しおどける余裕が出てきたようだ。 

 安心した溜め息と共に、ハリーは笑顔で返す。

 

「手伝ってやるよ、ロン。宿題のことといい、いつものことだろ?」

「……ああ、ありがとう。期待してるよ、親友」

 

 ハリーは笑顔で言葉を受けて、鼻を掻いた。

 笑顔で、笑顔のままで、そのままの表情でいようとする。

 そして一瞬だけ目を閉じて、柔らかく微笑んだ。

 

「ロン、先に謝っとくね」

「え、なにが?」

「もらうよ」

 

 短くそう言うと、ハリーはロンの頭を引き寄せた。

 くぐもった、驚く声が耳に入る。

 汗っぽい匂いがする。ロンの匂いだ。

 甘い味がする。さっき飲んだバタービールかな。

 思い切り抱きしめているから、ロンの熱をすぐ近くに感じる。

 いつも近くに居たのに、隣に立つことは終ぞできなかった。

 そして。

 これでもう、絶対に手に入らない。

 

「は、りー……」

 

 呆然としたロンに、ハリーは微笑みかける。

 そうして、離れて。

 小さな声で囁いた。

 

「――好きだったよ、ロン」

 

 ロンが何かを言おうとしたが、ハリーにはそれを聞く余裕はなかった。

 廊下を早足で歩き去り、何人かとすれ違う。

 女の子が数人、階段に座り込んですすり泣いていた。

 きっと男の子にフラれてしまったか、他の女の子に取られてしまったか。

 人のことを笑えないなあ、とハリーは頭では関係ないことを思う。

 いつの間にか外へ出ていたのか、ハリーは湖の傍に突っ立っていた。

 当然ながら誰もいない。

 

「うあー……やっちまった。ファーストキスだぞバカじゃねーの……」

 

 たぶん、ロンも同じだ。

 初めての相手はハーマイオニーではない、このハリーだ。

 痺れもしないし最悪な気分だ。ざまーみろ、ぼく。

 勢いに任せてやっちゃうんじゃなかった。ひどく気まずい。

 恋ってやつは厄介だ。理性的な考えを殺してしまう。

 明日以降、どういう顔をして会えばいいんだろう?

 無かったことにして普通に接する? 一言ごめんで済ませて忘れちゃう?

 顔を真っ赤にしたハリーは、いやんいやんと自分の頬に手を添えて頭を振る。

 すると地面の下から、聞き覚えのある声が届けられた。

 

【どうしたのです、ハリー様】

「え? あ、ああ。ヘンリエッタか」

 

 ハリーの友人、バジリスクのヘンリエッタ。

 校内に配置されたパイプの中で、悠々自適な散歩ライフを楽しむバジリスク。

 本当の名前は千年近く孤独に過ごしたため忘れてしまったらしい。去年の暮れに、ハリーがちょうどいい名前を思いついたと言って名づけたのだ。

 本人(本蛇?)が忘れているためか、《忍びの地図》には頭文字の「H」しか表示されなかった。だからハリーは、Hから始まる女性名で考えてヘンリエッタと名付けたのだ。ヘドウィグと同じく魔法史上の偉人の名前だが、そこは彼女のネーミングセンスの問題である。

 そんな彼女から、気遣わしげな声がかけられた。

 

【泣いておられるのですか?】

【うん? んーん、平気だよ。我慢できるくらい】

【貴女様を泣かせる不届き者は、私の目のヤバいうちは生かしておきませんよ】

【ヘーイスターップ、待つんだヘティちゃーん】

 

 気を遣って笑いを取ってくれたのだろう。

 現にハリーは、少しながら笑みを浮かべることはできるようになっていた。

 しかしそんな彼女に、不躾な声が掛けられる。

 

「おやおや、こんなところで独り言とは寂しい趣味だな、ポッター」

「……ドラコ」

 

 上等な黒のドレスローブを着た、ドラコ・マルフォイが居た。

 せせら笑うような顔は、彼にしては珍しい。雰囲気が違うものの、顔だけ見ればスコーピウスと瓜二つな表情を浮かべる彼は、珍しく一人だった。

 

「……何しに来たの」

「君を笑いに」

 

 あっさりと返されたその言葉に、ハリーは眉をしかめる。

 楽しげなドラコの目は、ハリーの下に向けられた。

 

「蛇とでもお喋りしてたのかい? ウィーズリーの次に蛇とは、いい趣味じゃないな」

「……どっか行ってくれないかな」

 

 スコーピウスならともかく、ドラコがこんな風に言ってくるのは珍しい。

 むしろ気品がないとして敬遠しそうなものだったのだが、何のつもりか。

 なにか思惑があったとしても、今のハリーにそれを容認できるほど余裕はない。渦巻く感情にようやく蓋をして、折り合いをつけて、忘れようとしていたのだ。

 それなのにあの言い方だと、ロンにキスをしたところまで見られていたのかもしれない。

 ハリーは羞恥と怒りに、耳まで赤く染まった。

 

「『家柄のいい魔法族とそうでないのがいる。間違った者とは付き合わない方がいい』。かつて僕が君に教えたことだ、覚えているかい?」

「……いきなり何さ」

「言った通りになったな。『皆と仲良くしたいと思っている』なんて言ってたのは誰かな」

 

 思わずハリーは杖を使うのも忘れ、ドラコに殴りかかっていた。

 一、二年生のころならたいして差がないためいざ知らず、いま十四歳という体が出来上がりはじめた時期に、女の腕力で男に敵うはずもない。

 ハリーの拳はあっさりドラコに受け止められ、軽い音が鳴った。

 身体強化を忘れていた、とハリーが瞠目すると同時、ぐるりと景色が反転する。

 背中に強い衝撃を受けるとともに、ハリーは息が詰まった。

 

「ぐ、げほっ」

「まったく、野蛮人だなポッター。杖くらい使えよ、『セイプサム』、身嗜み」

 

 大きく乱れたドレスや髪が、ドラコの魔法によって整えられた。スネイプもハリーに対して使っていた呪文だ。ドラコも彼から教わったのだろうか。

 まるで大人に注意されたかのような感覚に、ハリーはドラコを睨むように見上げる。

 そのまなじりからは、じわじわと透明なものが溢れはじめていた。

 

「そうだ、それでいい」

「……なにが!」

「感情を抑え込んでいるポッターなど、僕は知らん」

 

 つまらなそうに言うドラコの表情は、先ほどまでと違って苦々しげだ。

 ハリーは自分の耳を疑う。

 こいつ、今なんて言った?

 

「……ひょっとして、励ましたのか?」

「だまれポッター。本意じゃない」

 

 本当だった。

 いや、まさか。

 嘲って挑発して、挙句投げ飛ばして。

 そこまで不器用な男だったのか、このドラコ・マルフォイという男は。

 有り得ないレベルだ。本当に不愉快そうに、不本意そうに吐き捨てるその姿に嘘はない。本意ではないということは、誰かに言われて慰めに来たのか。違うとしても似たようなものだろう。

 だが、それでも実際に来てくれたのは彼だ。

 腰を浮かせていたハリーは、すとんとそのまま地面に座り込む。

 

「……ドラコ」

「なんだ、ポッター」

「ちょっと来て」

 

 眉をひそめたドラコは、ハリーの言うとおり歩み寄ってくる。

 やっぱりこいつ、育ちがいいから結構素直だ。

 ハリーは近くまできたドラコのドレスローブの裾を、弱々しく摘まんだ。

 ドラコが片眉をあげる。

 

「……、……どうすりゃよかったんだろうな」

「なにが」

「ロンとハーマイオニーのこと」

「僕が知るか」

「まあそうなんだけどさあ、聞いてくれよ」

 

 ぽつりぽつり、とハリーはドラコに語る。

 あまり親しくないのも作用したのか、必要ないことまで唇から滑る。

 ロンと初めて会った時のこと。ハーマイオニーと仲良くなれた日のこと。

 賢者の石騒動で、三人の心の内を知って強い絆で結ばれた事。

 秘密の部屋事件で、ロンがすごく頼りになったこと。多分、この時にはもう異性として好意を抱いていたのではないかという想い。

 大量殺人鬼シリウス・ブラックとの騒動は、流石にぼかした。ただ、暴れ柳に近づいた時にロンが身を挺して守ってくれたことや、ハーマイオニーの造詣の深さなどを語る。

 今回、ハリーが七人目の代表選手に選ばれたとき。ロンとハーマイオニーが、チラとも疑わずハリーを信じてくれたこと。そして、ハリーを励まし、支えてくれたこと。

 ハーマイオニーとロンの喧嘩のこと。ハリーが欲しくても手に入らない関係を、いつでも手に入れられる女の子が目の前でその宝物を雑に扱い、嫉妬と怒りに狂ったこと。

 初めて親友と喧嘩したこと。

 初めて恋をして、そして初めて失恋したこと。

 ぽつぽつと、しかしはっきりと、ハリーはドラコに対して独白し続けた。

 

「会ったのは、ぼくが先だったのになあ」

「そうか」

「スタイルだって僕の方がいいんだぜ。贅沢だよ、ロンは」

「そうか」

 

 ドラコは先ほどから、うんざりしたような相槌しか打たない。

 だがそれで十分だった。話を聞いてほしいだけなのだ。

 しかめっ面のまま、だがそれでもハリーの摘まんだ手を振り払わない。

 それだけでも十分以上に有り難いのだ。

 

「ドラコは、さ。人を好きになったことはある?」

「さぁね」

「そっか。ぼくは、今まで人を好きになるなんて、あるはずないと、思ってた」

 

 こればかりはロンにも、そしてハリーにもハーマイオニーにも非はない。

 恋愛というものは単純にして、複雑怪奇だ。

 どんな危険な魔法生物と戦うよりもずっと手強くて、ずっと難攻不落。

 ままならないものだ。

 

「……おまえは本当にウィーズリーが好きだったんだな」

 

 ぽつりと、ドラコが漏らした言葉。

 ただの感想だろう。ハリーが語り始めてから、実に一時間以上は喋り続けていた。

 それだけ聞かされ続ければ、感想の一言も出るというもの。

 単純なその言葉は、不思議とハリーの心の深くまで入り込んだ。

 乾ききったスポンジが水に触れた時のように、深く奥までするりと這入る。

 

「……ああ、……ぼくは。ロンが、好……」

 

 つ、と。

 滴がハリーの頬を伝って落ちた。

 それは一筋だけではとまらず、ぼろぼろとこぼれ落ちてゆく。

 

「……う、あ……好き、だっ。た、んだ……ぁ……」

 

 肩が震えて、足から力が抜ける。

 ドラコのドレスローブから指が離れ、両ひざを抱えて、蹲る。

 こぼれてこぼれて止まらない。

 悲しいのだろうか。悔しいのだろうか。それすらもよくわからない。

 ただただ、涙が流れてしまう。

 嗚咽が漏れる。心がこぼれる。

 恋が、消えてゆく。

 ハリーがただ涙するその横で、ドラコは何をするでもなく立ち続けた。

 ただそれだけ。

 決していなくなったりはしないその姿勢が、今のハリーにはとても有り難かった。

 

 

 しばらく泣き続けたのち、ハリーは魔法で顔を整えると、ドラコに頭を下げてから顔を真っ赤にして走り去っていった。

 ドラコ・マルフォイはその後ろ姿を見送る。

 一年生の頃は、男の子と見間違えるような少女だった。

 いまはそんな見間違いがあってはならないほど、美しく成長している。

 みんなと仲良くなりたい、などとふざけたことを言う女だと、最初は軽蔑していた。

 だが彼女には、何らかの目標がある。それもかなり大きな、魔法界すら動かすほどの巨大な目標。彼女自身の人生を削り取ってまで成し遂げようとする強い意志。

 その泥のような瞳でやるべきことを見据える姿は、本当に美しかった。

 だがここ最近では、見る影もなく堕落していた。

 スリザリンの寮生は育ちがいい者が多いので、生活も規則正しい。朝起きてシャワーと予習を済ませると、たまに校庭をジョギングするポッターの姿を見る者もいた。女子生徒はダイエットのためか、そうやって校内を走る者がいる。

 ドラコが思うに、ポッターはそういったくだらない理由で走っているのではない。ハードな走り方を見るに、戦う力を蓄えるために体力をつけているのだとわかった。

 そんなストイックなやつが、ここ最近ではふわふわと浮ついており、朝のジョギングをしない日もあったと聞く。つまらない女になったものだ、とドラコは嘆息した。

 

「だからだ、君の案に乗ったのは」 

「……ありがとう、マルフォイ」

 

 建物の陰に身を隠していたのは、セドリック・ディゴリーだ。

 ポッターが泣きながら去って行った姿を見て追いかけたはいいものの、自分が慰めるのは卑怯だと感じたらしい。それでちょうどそのとき話していた自分に、役目を頼み込んだというわけだ。

 こちらは夜零時を回ったので、ダンスパートナーを寮に帰している。真夜中まで女性を連れ回すように教育された覚えはない。ディゴリーもまたその帰りだった。

 ディゴリーがポッターに告白紛いのパートナー申し込みをしたのは知っている。弱みに付け込んで、という状況になるのを嫌ったのだろう。だからといって自分に頼む意味が分からないとドラコは内心で溜め息を吐いた。

 

「次からは自分でやれ、ディゴリー」

「ああ……」

 

 悔しそうな顔が目に入る。

 自分で慰めたかっただろうことはわかる。ドラコはまだ恋愛というものを経験したことがない。異性をいいなと思ったこともなく、また結婚も血筋のためのものであるためドラコ自身に決める権利はないからだ。

 父ルシウスもそうだった。マルフォイ家の純血を守るため、ブラック家から母ナルシッサを娶った。ドラコもきっと同じことになるだろう。両親が決めた相手を結婚し、純血の子を残す。

 純血主義という思想を心の底から信奉しているわけではないドラコにとって、それはただの義務であった。それよりも今は、ドラコにはやるべきことがある。

 だというのに、泣き続けるポッターを放っておこうとは思わなかった。これが恋愛感情ではないことは確かだ。

 彼女には強くなってもらわねば困る。

 

「死ぬなよ、ポッター」

 

 走り去った白い背中が見えなくなった、闇の向こうへ薄いグレーの目を向ける。

 そこに広がるのはただ仄暗い闇に包まれたホグワーツ。

 先は見えず、あるのは昏い闇ばかり。

 まるで、ハリエット・ポッターの行く先を暗示しているかのようだった。

 




【変更点】
・ダンパティ役はネビル。特に意味はない。
・ハリーがやっとセドリックの好意に気付く。
・ハーマイオニーとの大喧嘩発生。理屈じゃない。
・恋する乙女がいっぱい。
・ロンへの告白。同時に恋心との決別。
・ドラコ先生のカウンセリングフェイズ。

【オリジナルスペル】
「セイプサム、身嗜み」(初出・42話)
・身なりを整える呪文。対象を汚れのない清潔な状態へ変更できる。
 元々魔法界にある呪文。やんちゃなお子さんを持つ主婦の強い味方。


今回は恋愛回。とりあえずもげろん。
女の子として避けられない問題、それがラヴ! 男一人と女二人の仲良し三人組で恋愛のもつれが発生するというのは最悪の状態です。それが今のハリー達の状態。モテる男は辛いね。
レズビアン疑惑が多すぎやしませんかねえ……。あくまでジョークです。作中には誰とは言いませんがホンモノが居りますが、ええ、恋をするのに性別など些細な問題ですよ。
次回は第二の課題! いったいどんな課題になるのか……。

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