ハリー・ポッター -Harry Must Die- 作:リョース
ハリーはベッドの上でうなされていた。
冷や汗がびっしょりと彼女の体を濡らし、キャミソールがぴたりと張り付いている。
見る者が見れば官能的にすら映るその光景は、その実全く気分のいいものではなかった。
眠りの世界でハリーが見ているのは、真っ赤に染まった何処かの部屋。
生臭い鉄の悪臭と、びちゃびちゃと床を汚す液体音。
それがひとつの部屋を埋め尽くすように広がる死の象徴は、いまも中心に置かれた
その傍らに座りこむ赤子は、小さな口を懸命に開いて生命を貪り喰らっている。
まるで神の視点のように天井から眺めていたハリーは、そこでようやく気付く。
気付いてはいけない事実に、気付いてしまった。
(……ッ、ぐ……!)
夢の中であるため、現実のように胃がないのが幸いした。
――あの肉塊は、今でも生きている。
あんな姿になってまで、死ぬことを許されていない。
おぞましいという言葉ですら生ぬるい、地獄のような光景。
その悪趣味な絵画を作りだした芸術家は、天井から見ているはずのハリーに向かって、赤ん坊特有の大きすぎる頭をぐるりと動かしてその双眸を向けてくる。
だが。顔が、見えない。
まるで白いインクで塗りつぶされたかのように、顔がはっきりしない。
だというのに、その黒いまなこでハリーの緑の目を、凝視しているのが分かる。
見えもしない、黒い闇のような口腔が覗けるほどに、唇が三日月の形に引き裂かれた。
嗤っている……、そう認識したハリーが恐怖に呑まれたのを見てか。
赤ん坊は、乱暴に手足を動かすとハリーの方へと這い寄ってきた。
まるで見えない梯子でもあるかのように、ざかざかと空中を上ってハリーの顔めがけてやってくる。笑みをますます深くして、口を引き裂いて乱杭歯を見せつけて、底なし沼のような瞳でハリーへ視線の剣を突き刺してくる。
目と鼻の先。キスできる距離まで迫ってきた赤ん坊は、ノイズだらけの声で囁いた。
『――もう――すぐ――会える――、』
「うァァァああああああああああッ!」
『――君の――死は――すぐ、――そこ――』
「ぁぁあああぁあああああああああああッ!」
悪夢を振り払うように、悲鳴をあげながらハリーは顔を左右に振る。
髪が乱れ、キャミソールの肩紐がずり落ちた。
あまりに長く叫び続けたものだから、隣で眠っていたハーマイオニーが飛び起きてハリーの肩を掴み、揺り動かしてくれなければあのまま夢の中に取り込まれてしまいそうだった。
「ハリー! ハリー、大丈夫? 随分うなされていたわ」
「う、ああ……ありがとう、ハーマイオニー……助かったよ……」
ふわふわの栗毛が寝癖でさらに酷い事になっているのが、ハリーの癒しになる。
情けないと分かっていながらも、ハリーは彼女の胸に顔をうずめた。
ハーマイオニーもハリーの事を気遣ってくれたのか、何も言わずに抱きしめてくれる。
「ごめん、ハーマイオニー……もう少しこうさせてくれ」
「いいわよ。でも、お相手はロンの方がよかったんじゃない?」
えっ、と疑問に思ったハリーがハーマイオニーを見上げる。
彼女の目は、どうみても慈愛のそれではない。
ハーマイオニーは怒っている。
「ハーマイオニー……?」
「ロンのファーストキス、奪ったんでしょう? 私に譲るようなこと言っておいて」
おかしい。
ハーマイオニーとは仲直りしたはずだ。
それに、あの子はこんな嫌らしい顔はしないはずだ。
ハリーが彼女から離れようとするも、ハーマイオニーの力は常人離れしており離れることができなかった。彼女はするりとハリーのキャミソールを脱がせると、空気に触れた乳房へ手を添えてくる。
「綺麗よねえ、ハリーの身体って。こんなに女の子らしく育っちゃって」
「ハー、マイオニ……」
おかしい。
おかしいなんてものじゃない。
ハリーは自分の胸を鷲掴みにするハーマイオニーの顔を見て、そしてまた悲鳴をあげた。
ハーマイオニーの輪郭の中央に、サイズの違うあの赤ん坊の顔が張り付いていたのだ。
『ねえハリー、これ、私にちょうだぁあい』
「うあっ、あああああ!? っぁぁああああああ――ッ!」
自分の胸に噛みつかれ、咀嚼される感覚を味わいながら、ハリーは絶叫した。
そしてハッと気がつけば、知らない場所にいる。
「どう、どうなってるんだ……!?」
ハリーの格好は、毛玉だらけのセーターだった。
履いているのも、だぼだぼの擦り切れたジーンズ。
下着など、感触から言ってどう考えても男性用のトランクスだ。
「これ、は……この、格好は……」
嫌な気配に気づいて、ハリーは振り向く。
自分の身体が小さく、弱々しく、華奢になっている事に気づいた。
これは確か、六歳の頃の。
『ハリー、ほら木に登ってごらん! 愚図だね、ジャッキーのトイレにしちまうよ!』
『やーいやーい泣き虫ハリー、弱虫ハリー! 僕の靴でもなめるか? ハッハー!』
『まったくまともじゃない。こんなゴミを育ててやってるわしらの身にもなってほしい』
『本当まともじゃないわ。こんな、化物の子供を引き取るなんて、冗談じゃない……』
見知ったダーズリーの三人に、マージおばさん、当時あの場にいたセントバーナード。
ハリーが追い立てられて木に登り、大泣きしていたあの時の記憶。
木の上から見下ろすと、三人が三人ともあの赤ん坊の顔を張りつけている。
そして異口同音に、ハリーに向かって罵倒しているのだ。
気が変になりそうだった。
こんな夢、はやく覚めてくれ。
頭が壊れてしまう。
心が、死ぬ。
*
シリウス・ブラックを殺してしまった。
ハリーはその手に着いた血を舐め取って、幾分か冷えた頭で考える。
いくらなんでも、現在の状況はおかしい。
家族になどなるものか、と罵倒してきたニセおじさんの死体に腰掛け、ハリーは考える。
(確か、今日は四月五日の水曜日だ。六大魔法学校対抗試合、その課題を受けるために、ぼくは競技場まで行ったはず)
そうだ、それは覚えている。
仲直りしたハーマイオニーと手をつないで、ロンをからかいながら歩いたのを覚えている。
途中でソウジローとユーコにローズマリーの三人と合流し、そしてユーコに抱きついてきたブレオがソウジローによって血祭りにあげられたのもしっかりと記憶にある。
控え室で、親しげに話しかけてハグしてきたフラー・デラクールに面食らったこともあった。名前で呼んでもいいかとか、人が変わったように優しく接してくれた。
微笑ましそうに見てくるクラムやセドリックの視線がくすぐったかったのも、嬉しそうな顔をしたダンブルドアの顔もはっきりと脳に残っている。
だというのに、今この状況がまったくわからない。
(幻術か? いや……幻術じゃない。いや、やっぱり幻術か? 幻術なのか? どうなんだろう、これも試練の一環と考えた方がいいのかな……)
しかし、そこでハリーは待てよと思考を中断する。
思い浮かぶのは、弾むような笑顔を浮かべたダンブルドアの顔だ。
(でも、あんな悪辣でグロテスクな内容をダンブルドアが許すだろうか? これが大会である以上、選手の戦いは中継されているはずだ)
ハリーは一人、死体しかない空間で考えを巡らす。
今まで起こったことは、過去にハリーが経験した出来事だけではなかった。意味不明な赤ん坊に迫られたり、ハーマイオニーに食い殺されたりといったことは当然ながら経験にない。
虚言と過去が入り混じった世界には、残念ながら訪れたことも、これから行く予定もない。
よってこれは、何らかの魔法生物による仕業か、または何者かによる魔法攻撃によってもたらされた状況であるとハリーは判断した。
しかし判断したところで、脱出方法が分からなければどうしようもない。
「……、うーん。『フィニート・インカンターテム』! ……まぁ効かないよな、そりゃ」
すると、呪文による影響ではないということか。
ハリーの実力による解呪が効かないという可能性は考えたくないので、思考の隅に追いやる。その場合はどうせどうにもならないのだから、考えない方がむしろ建設的だ。
では、何かしらの魔法生物によるものならばどうだろう?
こういった悪夢のようなことを仕出かしてくれる魔法生物。
真っ先に思い浮かぶのは、三年生の時に味わった絶望の権化、
だがアレの手にかかれば今ハリーは意識を保ってはいない。
どうしたものか。
「……、何か来たな」
この状況の把握をしたいところだが、こう殺気を向けられてはどうしようもない。
杖をしっかりと握り、ハリーはこちらへやってくる何かを待ち受ける。
突然シリウスが起き上がってもいいように、一応彼の死体に杖を向けたままだ。
「……え……」
しかしその心配は杞憂だった。
それよりももっと心配すべきモノが現れたからである。
ハリーの全身の毛が逆立った。それほどまでに酷い気配。
「な、んだありゃあ……!?」
びちゃびちゃと、いやな液体音が響く。
いつの間にかシリウスの眼孔や鼻孔から溢れ出ていた血は沼となり、ハリーのふくらはぎまでの深さを沈めている。怖気が走る。ゆっくりとこちらへ近づいてきているのは、あまりにも醜悪なモノだった。
理性を完全に崩壊させた人間を三人ほど無理にくっつけてから、ぐにゃりとひと手間かけて掻き混ぜたもの。それが目の前にいる異形のひとつ。てんで明後日の方向に生えている手足を器用に動かして、血の沼の上をずるりと歩きづらそうにハリーへ歩み寄りながら、なにやら意味の分からないことを三人それぞれ大声で叫んでいる。
もうひとつの異形は、明らかな水死体。水を含んで体がパンパンに膨れ上がり、首回りが太くなりすぎて情報を向いたまま固定されている。どう見ても人間のサイズではないのに、ぎょろりと動く目玉はハリーを捉え、肥大化して唇を破って突き出している舌の先がちろちろと獲物を狙う疑似餌のように動いている。
最後の異形が一番ひどい。一番人型に近く、シルエットはお腹のふくよかな女性のようにも見える。しかしその体は全てが赤ん坊の身体で構成されており、まるでパズルのように人型の枠にはめ込んだかのように、時折パーツの赤ん坊が飛び出して血の池に沈んでゆく。その赤ん坊も、頭が割れて脳が露出しており、右脳と左脳の隙間から目玉と牙がずらりと並んでいる。
「う、ぐぶ……っ」
胃の中のモノを戻しそうになり、しかし喉までせりあがってきたそれを無理矢理呑み込む。
あんな、まだ人間として機能しているようなモノを見せられるくらいならば腐乱したゾンビの方がよっぽどマシだ。
涙がにじんで視づらい視界で、ハリーは三体からにじみ出る魔法式を視た。そして直後、見なきゃよかったと後悔して、今度こそ崩れ落ち、四つん這いになりながら胃の中のモノをすべて吐いてしまった。
「しょ、正気じゃない……!」
両手足を地に染めても尚、それが気にならないほどに極悪で醜悪だ。
あの異形達は、生きた人間をそのまま使っている。それはわかる、それも異常なまでの外道の所業だが、まだ外見からはわかる。
だがあれらに使われている人間たちは、
おかしくなってしまった自分の肉体を恐れ、もう戻れないことを悟って嘆き、まだ普通の身体を保っているハリーのことを見て羨み、自分たちだけが異形と化したことを怒り、そして健康なハリーが妬ましくて憎悪している。
魔法を使わなくても伝わってくる負の想い。ハリーの心をやすりで削ぎ殺しにかかってくる、ぐちゃぐちゃに煮詰めて腐敗したダイレクトな感情。
あの肉体に使われているのは、明らかに闇の魔術だ。恐らく、許されざる呪文。見覚えのある魔法式だ、ムーディの授業で取り上げられていた『冒涜の呪文』に違いない。
ついに来たか、とハリーは立ち上がりながら思う。
この六大魔法学校対抗試合において、ハリーが参戦することになった最大の理由。何者かがハリーを殺すために、競技に参加させたという説が真実であったことを悟る。
ハリーは無言で杖を構えた。
これが幻術にせよ、現実にせよ、どちらにせよ殺してやった方が彼らのためだ。
「『フリペンド・ランケア』、紅き槍よ。
自身の創作呪文に、魔法式をいじることで性能を変化させる。
ハリーの周囲に次々と紅槍が形成されるものの、それはいつもの紅さとは違った。
どろりと赤黒く、滴る血が禍々しさを印象付ける。その数一〇〇はくだらない。
ハリーは足元にたっぷりある血液を使って、槍の材料としたのだ。平時のようにハリー自身の魔力で練り固め、形成した紅槍である場合は、数に限りがある。戦闘に支障のない程度の魔力消費を考えた場合、一度に出現させる槍はせいぜいが十本がいいところ。
だが今回は、自分の足元に大量の材料を提供してくれるものがあるのだ。利用しない手はない。
「射出!」
大量の槍が撃ちだされると、三体の怪物は成す術もなく穿たれてゆく。
やはりアレは精神的なダメージを狙ってのもののようだ。事実、吐くほどのダメージは負っているので何者かの思惑は成功と言ってもいいだろう。だが、あんなにも動きの遅いものを創りあげたところでハリーには触れることもできないだろう。
血の池から材料を吸い出し、宙に浮かべる手間すら惜しんで直接水面から槍を投擲する。肉片と黒々しい血をばらまきながら、生ける屍たちはその形を崩してゆく。
五分ほども撃ち続けていると、ついに彼らは未だに直立する脚だけを残してこの世から消え去っていた。ハリーはそれすらも消し飛ばすため、炎魔法を最大威力で放って焼却する。
後に残ったのは、焦げ臭い吐き気を催す悪臭と、嫌な気分だけだ。
「くそっ。趣味が悪すぎるだろ」
悪態を吐いて、ハリーは歩を進める。
いったい何が起きているのか、未だにわからないままだ。
ハリーが振り向けば、ぐにゃりと世界が反転する。先ほどから場面が変わるたびにこの感覚を味わっているため、「またか」という感想くらいしか抱けない。
景色の歪みが元に戻る前に、ハリーは杖を構えて警戒レベルを上げる。
不意打ちされてはたまらないからだ。
「……これは?」
次にハリーの目に映ったのは、高いビルが密集した市街地だ。
映像で見たことがあるが、これは確かニューヨークの風景だ。
しかし何故ニューヨークなんかに、と思って風景を眺めていると、突如ビルの一部が爆発した。そこから飛び出してきたのは、墨のように黒い霧の尾を引いて飛び回る闇の魔法使い。
あれはきっと、ピーター・ペティグリューが使っていた魔法と同じものだ。魔法式を視てみると、多少視づらいものの内容を理解することができる。異常なまでに高度なプログラムが組まれている。創りだした魔法使いは間違いなく天才だろう。
「……な、なんだ?」
そんな闇の魔法使いは、どうやら何かから逃げているようだった。
それが分かるのは、彼を追いかけて空を飛びながら魔力反応光を放っている者がいるからだ。遠目から見るに、赤いマントを羽織っているらしい。
彼はまるで、というかどう見てもアメリカの誇るヒーローのような格好をしていた。筋骨隆々で、さわやかなハンサムスマイルを振り撒きながら悪党を追いかけている。
「パパー! がんばれーっ、やっつけちまえーっ!」
「えっ?」
ハリーのすぐ隣で、小さな女の子の歓声があがった。
見れば、十歳にも満たない金髪の少女だ。そばかすが愛嬌の、ひまわりのような笑顔を浮かべた幼い女の子。だがハリーは彼女の姿に見覚えがあった。
馬鹿な、と思いながらも魔法界に常識は通用しないことを思い出し、ハリーはその女の子に声をかけてみることにした。
「ねえ。君、ローズマリー?」
ハリーの遠慮がちな問いかけに、女の子は振り向いて笑顔で言う。
「そうだよ! パパとママの好きなお花の名前なんだ!」
「……そうかあ、よかったね」
「うん!」
ローズマリー・イェイツ。
確かにこの子は本人に間違いないのだろう。
なぜ彼女はここに居るのだろう。それもあるが、なぜ幼児化しているのか。
「ローズ、どうしてここに居るの?」
「んっとねー! パパのお仕事見てたいんだ! 悪いおっちゃんをいーっぱいブチのめすのがパパのお仕事なんだぜ!」
ざざ、と。
幼いローズがそう言い放つと同時、ハリーの視界が砂嵐で歪んだ。
慌てて目を擦ってみれば、次に目に映ったのは寒々しい部屋の中に佇むローズマリーの姿。
「……ローズ?」
ハリーの言葉が聞こえていないわけではないようだ。
こちらをちらりとみた彼女の姿は、胸も少し膨らんでいるため十代前半のように見える。
「ハリー、見てくれよ。あたしのヒーローはここにいるんだぜ」
見てみろというローズマリーの言葉に従って、ハリーは彼女の隣に並び立つ。
すると目の前の引き出しから見えたのは、先ほどまで空を飛びまわっていた男性だった。
ローズマリーがパパと呼んでいた男だ。先と同じ筋肉質な肉体を包む上下のスーツは、ところどころが破けて痛々しい傷を残している。
だが彼はこの傷で死ぬことはない。ここは、遺体安置所だ。
もう二度と、彼が死ぬことはない。
「アメリカ魔法界にはな、ヒーロー制度があるんだ。闇祓い局を手伝うボランティア組織だな。パパはその中でも、一番強いヒーローだった」
魔法の腕はぴか一。格闘の腕も、攻撃魔法も補助魔法もまんべんなく得意だった。
多くのアメリカ闇祓いの憧れであり、本物のヒーローだったそうだ。
しかしその末路は酷いものである。
「仲間にな、裏切られたんだ」
「……」
「詳しい経緯は教えてもらってねえから知らねえんだけど、パパは相棒に裏切られて殺されちまったらしいんだ。その後、パパの死体は奴に玩ばれたんだ」
「……『冒涜の呪文』か?」
「…………ああ、そうだ。冗談じゃねえよな。それで裏切り者の野郎は、パパの死体で大暴れを始めたんだ。するとどうだ? ヒーローの狂乱、フィリップス・イェイツは大量殺人鬼だったのです、だってよ。ステイツの英雄から一転、狂気の犯罪者扱いさ」
また視界が歪み、ローズマリーの自宅らしきところに場所が変わる。
彼女の年齢は今現在の十七歳に近くなっており、恐らくハリーと同い年だろうと思われる。
ローズマリーは自分の身体を抱きしめるようにして、自分の生家を見上げた。
人が住んでいる様子はない。明らかに空気が死んでいるからだ。
「ママは心労でな、グランマの家で療養中さ。あたしはグレー・ギャザリングの寄宿舎に居るからいいんだけど、この家も一昨年売っちまった。被害者遺族から呪われてるしな」
とつとつと語るローズマリーの顔に、憎しみや怒りの色は見当たらない。
ハリーの見る限り、ローズマリーは父親の死とイェイツ家に降りかかった不幸を受け入れきれてはいないものの、引きずるべきではないと判断しているのだろう。
「アメリカ魔法界にイェイツありなんて言われてるけど、まーこんなもんだ」
「ローズ……」
「おっと、変な同情はやめてくれよ。あたしはおまえとはずっとバカやって笑い合っていたいんだ」
いつも通りの、ヒマワリのような笑みを見せるローズマリー。しかしその太陽の光には陰りが見られたが、そこを指摘するほどハリーは愚かではない。見なかったふりをした。
またも視線にノイズがかかると、今度は十七歳のローズマリーが現れた。競技のときに着る、健康的なカウガールの格好をしている。
くるくると杖を回しながら、ハリーに向かって努めて明るく聞こえるように彼女は言う。
「どうしてお前があたしの夢に出てこれたのかは知らねーけど、あまり長居するもんじゃないぜ。まだ気づいていないようだから言うけど、こいつは《ロードボガート》の仕業だ。気を強く持てよ、ハリー」
ローズマリーがスピンしていた杖を天に向けて、体内で練りに練った魔力をかき集めて叫ぶ。
「『リディクラス』、くそったれ!」
途端。ローズマリーの全身にヒビが入り、硬質な音と共に割れて消えていった。
彼女の言うことが本当ならば、きっと夢から覚めたのだろう。
「……《ロードボガート》。名前からしてボガートの上位種か何かかな……ってことは、なんだ? やっぱりこれは全部幻なのか」
ためしにハリーも、魔力を込めて「『リディクラス』、ばかばかしい!」と叫んでみる。魔法は確かに発動したのだが、どうにも効いているような感触はない。
何か特殊な条件があるのかもしれない。
「っと、次はなんだ?」
ローズマリーがこの世界から消えて数分、周囲の景色がゆがんで掻き混ぜられる。
《ロードボガート》が何かしているのか、それともまったく別の何かか。とにかく次に来るものもろくなものではあるまいとして、ハリーは杖を構えた。
すると出てきたのは、坊主頭の少年と銀髪の少女。
先ほどの繰り返しがあるとして、出てくるのは一人ずつだと思っていたハリーは驚いた。
顔つきからして、あれは間違いなくクラムとフラーだ。
「オーウ、アリー。あなーた、どうしてここへ?」
「フラー。いや、ぼくにも何が何だか」
「ヴぉくたちと同じように、混じり合ったんだろうな。平気か、ポッター」
ハリーより三つは年下に見えるクラムとフラーの前には、様々な感情を見せている人々が集っていた。クラムのことを、悪党の息子と罵る男。フラーのことを、非ヒト族と罵る女。ヒーローと称える男子生徒に、女王様と崇める女子生徒。先ほどまで誉めそやしていた老人が急に彼らのことを尊敬したり、たった今まで憧れの目で見ていた子供たちが嘲笑と共に見下してきたり。
くるりくるりと返される手の平の多さに、ハリーは気分が悪くなってきた。
当事者どころか本人だろうに、この二人はどうして平気でいられるのだろう?
「アリー。ここーは、貴方には善くないとこーろです。行ってくだーさい」
「そうだ、長居すべきじゃない。ヴぉくたちはもう行く。君もがんばれよ」
『リディクラス』。
そう唱えると、二人はガラスの欠片となって消えていった。
奇妙な寂寥感を覚えたハリーは、またも歪みとなってどよどよ騒ぐ群衆の中から消えていった。
ふと目を開けると、煌びやかな灯りの数々が目にはいる。
どうやらお祭りをやっているようで、あちこちから美味しそうなにおいが漂ってくる。
いったいどこの風景だろうか。ローブを着ている者が大半ということは、魔法使いの町であるように思えるが、イギリス国内で魔法使いがおおっぴらに過ごせるのはホグズミード村だけだ。つまり、ここは英国以外のどこかの国。
楽器がかき鳴らされ、陽気な店舗で人々が踊りまわって笑い合う。
楽しげに踊る男性。恋人にキスをして微笑む女性。ハリーの尻に頬擦りするブレオ。
「オマエは本当にもう」
「アーッ! アーッ、ちょっと待った! ハリエットちゃんそこは攻撃しちゃダメなとこなの! 男の子のとっても大事なところなの! ちょ待っ、ノーッ! あーん、息子様が死んだ! 美人薄命だ!」
空気の塊で打ちつけられ、ブレオは宝物を押さえて蹲る。
その様は情けなくもどこか愛嬌を感じなくもない。かもしれない。
いやゴメンやっぱ無理。
「刺し貫かなかっただけありがたいと思え」
「厳しくない!?」
「いや本気で嫌なので近寄らないでください」
「ガチ毛嫌い! やりすぎた!」
四つん這いになって己の罪を悔やんでいるように見えるが、その実とてもイイ笑顔なので手に負えない。彼のセクハラについて追及するのは、これ以上は時間の無駄だと思う。
改めてハリーはこの風景を眺めて、楽しそうな人々に目を細める。
そんな彼女に、立ち直ったブレオがニコニコ笑顔のままで声をかけた。
「ところでハリエットちゃん、なんでここに? ここは僕の夢だぜ」
「なんかさっきから他人の夢に入り込んじゃってるみたいで。いや原理は知らないし、どうしてこうなったのかも分からないから抜け出したいんだけど」
「まあ、第四の課題って夢の世界だしね。混線したのかもしれないな。ひょっとしたら、自分の夢まで辿り着かないと難しいんじゃないかな」
ほんとうに試練の中だったのか。
今まで出会ってきた代表選手たちは、みなそれぞれに余裕が見られた。
つまり、ハリーが知らないだけで彼らは知っている状況であるということだ。
やはり年齢というネックはここで牙を剥いてきた。きっと上級授業では基本的に習うことなのかもしれない。それに、今まで開催された魔法学校対抗試合では、競技数は全部で三つ。参加校に合わせた数で来るとしたら、これを含めてあと三つの試練があるはずだ。
しかし《ロードボガート》なんてものがいるとは思わなかった。
今までの連中はリディクラス呪文で消えていったので、普通の真似妖怪ボガートの上位種なのだろうか。しかしハリーが唱えても何も変化がないことから、何かしらの条件があると思われる。
「じゃあハリエット、僕はこの夢をクリアしに行くよ。君も頑張るといい」
「ありがとう次セクハラしたら両腕を切り落とすからな」
「ナチュラルにお礼と共に警告が! くそう、女の子成分がないと調子がでない……」
ハリーに向かって妙に大げさにウィンクしてから、彼はなにやら両手をわきわき動かしながら人ごみの中へ消えていった。
ガラの悪い連中が大騒ぎしてブレオの肩を叩いているのを見る限り、どうやら彼も彼で苦労をしてきたらしい。人の事情に首を突っ込むのもどうかと思ったハリーは、視界がゆがむままに任せてさっさとその場を去っていった。
「って、うわ!?」
次に目の前を通り過ぎたのは、なにやらびっしりと毛におおわれた何かだった。
慌てて杖を抜いて向けて見れば、どうやら巨大なコウモリらしい。
その巨大なアギトの先にある獲物は、黒い着物を着た女の子。どうやら一飲みにするつもりらしく、これはまずいと感じたハリーは杖先に魔力を集めて蛇を失神させようと試みる。
しかしそれよりも早く、コウモリの胴体が輪切りになった。
何事かと思い周囲を見てみれば、学生服を着た少年が血まみれの刀を放り投げて少女の元へ駆け寄っていくところだった。あの二人には見覚えがある。
泣きじゃくって少女に謝る少年を、少女は優しくその胸に抱きしめて背を撫でている。
普通逆じゃないかなとハリーが思っていると、隣まで黒髪の青年が歩み寄ってきた。
「あれは、俺のせいで起きたことだ」
「ソウジロー」
「中学生の時の話でな。心配する彼女を放って、俺は修行のため山籠もりしたんだ」
その時点でよくわからないが、日本ではきっと広く行われる一般的な修行なのだろう。
謝り続ける少年を眺めながら、ソウジローは言う。
「俺は日本最強だと自負していてな、何があろうと大事な人間は守り切れるとタカをくくっていたのだ。結果はあのザマ、俺を探しに来た彼女はああして捕えられてしまった」
黒い着物ゆえよく見なければ分からなかったが、どうやらユーコらしき少女は血に塗れている。返り血などではないことから、彼女自身の血だろう。
「女吸血鬼だったからか、女性として酷い目には合わなかったようだ。……しかし、俺が出向いた時にはすでに遅かった。彼女は血を吸われていたんだ」
ソウジローが唇を噛んで絞り出すように言う。つ、と赤が顎を伝った。
ハリーは目を見開いて、ソウジローを見た。
一年生と二年生の時、ハリーと敵対した男がいた。名をクィリナス・クィレルという。
彼は吸血鬼に噛まれて吸血鬼になった類いの人外であり、彼らはどこか狼人間と似た原理によって仲間を増やすとのこと。つまり、吸血鬼によって噛まれたということは、ユーコは吸血鬼になってしまったということだろうか?
「でも、ユーコは普通に日光の下に出てるよ。吸血鬼なら浄化されて蒸発するはずだ」
「ユーコは元から純粋なヒトではない。彼女の血族には時々、妖怪が混じっているんだ。そのおかげもあってか、
「……どうしてソウジローがクィレルの事を知ってるんだ?」
「ハリー。忘れているかもしれないが、コレは夢だぞ」
ざ、と景色にノイズが走り、場面が変わる。
そして見えてきた光景を目の当たりにして、ハリーはぼっと赤面した。
なんと、上半身裸のソウジローに、半裸のユーコが抱きしめられている!
ユーコの年齢は今とあまり変わりないように見える。見えるが、問題はそこじゃねえ! それより時折ユーコから漏れ聞こえる甘い声と、ソウジローが漏らすくぐもった声が気になって仕方ない!
今度の彼女が身にまとっているのは白い着物だからか、湯に濡れて透けている。だが向かい合って抱きしめられているため、前は見えない。これがギリギリの美学?
えっ、嘘だろう? これはつまり、そういうことか。ぼくの年齢じゃ見れないものか。
……はっ? いや、いやいや。ちょっと待った、何これ。マジで何これ!?
「お、おま、ソウジローおまえ、こんなやらしーもん、ぼくに見せて、なに考えて」
「落ち着けハリー。それに、お前にはこれが性的なモノに見えるか?」
顔を真っ赤にして、両目を両手で隠しつつ、しかし指の隙間からしっかり覗いていたハリーは、ソウジローの言葉にのぼせアガった頭を冷やされる。
しかしアレは、どう見ても仲睦まじい光景だ。
日本人にしては白い頬を綺麗な朱色に染めたユーコが、ときおり跳ね上がるような高い声を漏らしながらソウジローと口づけを交わしている。彼女の潤んだ瞳と、ソウジローの鋭い目。そして体格差がかなりあるので、ちょっと倒錯的な光景だ。
ユーコは薄いながらもしっかり膨らんでいる乳房を、ソウジローの逞しい胸板に押し付けて、控えめながらもその形を変えている。うおっ。こ、腰が動いてる。いや、うん、凄いエロティックな感じだけど、でもソウジローはズボン穿いてるし、でもでもコレ当たってるんだよね? だよね? こ、これはすごい。ものすごい気持ちよさそうだ。自分でシたこともないから感覚はわからないが、アレはすごい。
……じゃなかった、見るべきとこはそこじゃない。
無理矢理頭の中を冷静に切り替えて、ハリーは二人の様子を見た。しかし角度からして、二人が抱き合っていることしか分からない。というかこれ、ひょっとして不知火の浴室じゃないだろうか。つまり、割とごく最近のこと?
そこでマートルからの話を思い出していると、ふとハリーはつんと鼻に突く匂いを嗅ぎ取った。まさかと思ったが、パーバティから聞いた臭いとは違う。
するのは、鉄の匂い。
「……まさか」
はぁ、とユーコが艶めかしい吐息を吐きだして、ソウジローから少し離れた。
彼女の唇からは、糸が引いている。恐らくかなりディープなキスをしていたのだろう。しかしその唾液の色を見て、ハリーは青褪めた。
赤いのだ。
ソウジローがくぐもった声を漏らすのと、ユーコが彼の首筋に噛みついたのは同時だった。ぢゅるるるる、と液体音が響く。
そのたびにユーコは嬉しそうな声をあげ、そして潤んだ瞳からはしずくが流れた。
血を、血を吸っているのだ。
「……ソウジロー、アレは……」
「そうだ。吸血鬼化こそ免れたが、デメリットのいくつかは彼女の身に残留した。その最たるものが吸血衝動だ。吸血鬼と違って血を吸うことによって
きっと痛いのだろう。
ハリーは結局、クィレル相手に吸血されたことはなかった。
だから血を吸われることの苦痛と感覚は想像するしかないのだが、あまり気持ちのいいものではないだろう。なにせ穴が空くほど噛みつかれ、体液を啜られるのだ。いくら二人が裸の男女で、ああして抱き合っていても、決していい気分ではないだろう。
そして悲しいだろう。
愛する少女から、食料として扱われることの虚しさ。愛する少年を傷つけ、あまつさえ生きる糧としていることの罪悪感。あの吸血行為は、どれほど二人を傷つけているのだろうか。
「俺がこれを喋ったことは、内緒にしてくれ。誰にも言うな」
「え?」
そう言うとソウジローの身体は、徐々に揺れ動くように消えていく。
それを見て片眉をあげたソウジローは、ハリーに冷たい目を向けて言った。
「ハリー・ポッター。なぜ俺の夢に居たのかはわからないが、気を付けろ。明らかに闇の魔術について詳しい何者かの仕業だろう。お前を狙っている何者かだ」
「えっ? ど、どういうこと?」
「他人の夢に這入り込むなど、普通の魔女にできることではないよ。それじゃあな」
ひび割れたソウジローは、そのまま去ってゆく。
彼の姿が割れると同時、景色もまた変わった。どうやら夜のホグワーツのようだ。
考えさせられる内容だった。
確かに、ユーコからはソウジローに対する若干の依存心が見て取れたが、ああいう理由からだったとは。噛みついたからといって吸血鬼にならないと知っている以上、ユーコはソウジローに甘えに甘えている反動で、普段はああしてクールな姿を創っているのかもしれない。
転じて、自分はどうだろう?
ユーコが泣きながらもソウジローの血を吸い、そして彼を愛し、隣にいるのはきっとソウジロー自身がそう望んだからだ。そして、彼女も彼の隣に在りたいと願ったからだ。
でなければ、あの賢く優しい少女が、自分が生きるために愛する青年を傷つけると知ってなお隣に居続けるとは、なかなかに思いづらい。
傷つけることを知ってなお、愛する人のために隣にいることができるだろうか?
今まで異性として好意を向ける相手はロンだったが、彼に血を流させると知ってなお自分は隣にいると判断できたか? 答えはノーだ。ハリーなら、ロンを傷つけてしまうくらいなら自分から離れてゆく。
愛する人を傷つけてでも、愛する人の隣にいようと決心する勇気はいったい如何ほどか。
「ままならないもんだなあ」
「そうだね、ハリー」
ハリーの呟きに応えたのは、いつの間にか隣に座っていたセドリックだ。
どうもハリーの気付かないうちに、彼女の身体は勝手に城壁沿いのベンチで腰を休めていたようだ。ハリーは隣に座るセドリックを見ながら、淡く笑った。
「愛って難しいなーって」
「おや。ハリーもそれをわかるとは」
「どういうこと?」
「ああいうことさ」
セドリックが指差した向こうにある光景を見て、ハリーは心臓が止まる思いだった。
キスしている。
ロンとハリーが、キスしている。
あの時のだ。
ハリーがロンへの想いを捨てて、ハーマイオニーのために動こうと思い立った。
その時の、ワンシーン。
「……正直。あれを見た瞬間は、心の奥底にある栓が抜けた思いだったよ」
その気持ちはわかる。
ついこの前、味わったばかりだ。
「頭の中から血液がさーっと無くなっていく感覚がして、少し脳の裏側が涼しいんだ。そして頭に残った脳みその搾りかすが、訴える。「そんな、まさか」とね」
全くもってその通りだ。
つまり、セドリックとハリーは全く同じ感情を共有しているということになる。
それは、つまり、やっぱりそういうことで。
「……ロンのことが好きだったのかい、ハリー」
セドリックの静かな問いに、少し迷ったがハリーは首を縦に振った。
それを見た彼は、静かに微笑む。
「そっかあ、フラれちゃったかな」
「……セドリック」
「ああ、ハリー。別に申し訳ない気持ちにはなってほしくないかな。これから僕が君が振り向くような、魅力的な男になればいいだけの話なんだからね」
そう言って微笑んでくるセドリックは、やっぱりハンサムだった。
彼のようにやさしく、紳士的で、甘いマスクの持ち主の男性に好意を寄せられるというのは、女性としてはなかなかに幸せなことだろう。
「ちなみに僕の夢はこれで終わり」
「え?」
「だって夢は夢だよ、変なところをいちいち気にしちゃいけない。さあ、次は君の番だよ。君の夢だ。君が自分の夢に耐えなければいけない番だ」
そういうとセドリックは、ハリーが気づかないうちに頭に巻いていたターバンをほどいてゆく。その動作を唖然と見ていたハリーは、彼がターバンを外し終えた瞬間にハッと気づいた。
こいつは、こいつはセドリックではない。
「『ステューピファイ』!」
素早く懐から抜き放った杖で、流れるように失神呪文を放つ。
赤い魔力反応光は狙い違わず、髪の毛をすべて剃り落としてしまったセドリックの心臓に命中した。しかし効いた様子はない。
バキバキと空間にひびが入り、セドリック以外の全てが崩れ落ちた。
代わりにそびえ立ってきたのは、砂色の柱に階段。
円形の床を中心にして、一段ずつせり上がってすり鉢状の空間を形成した。
中央には巨大な鏡があった。見覚えがある。
ぱっと後ろを見てみれば、巨大な石像から水が零れ落ちる音が響いていた。
陰気な空気がこちらまで漂ってくる。かび臭さが鼻について、思わず顔をしかめる。
【……ヘンリエッタ?】
しゅう、と唇から音を漏らしても、特に返事は帰ってこない。
現実でこの部屋にハリーがいて、しかも蛇語を使って語りかけたのならば彼女が出てこないのはおかしい。よってここは夢の世界だと断定することができた。
それに、なんだこれは。
かつて《賢者の石》を守った四階の廊下から行ける隠し部屋と、サラザール・スリザリンが造ったという秘密の部屋がごっちゃになっている。
「会いたかったぞ……ハァリー・ポッタァァアー……ァア」
さらに目の前に居るのは、かつてハリーと対峙した吸血鬼。
元ホグワーツ魔法魔術学校、闇の魔術に対する防衛術の教授。
死喰い人、クィリナス・クィレル。
「おまえも、ぼくの夢の中の登場人物なのか」
「YES。お友達の夢を旅した気分はどうだ? 勝手に他人の過去を覗き見た感想は?」
「知った事か。死ね」
クィレルとの言葉もそこそこに、ハリーは自分の体に『身体強化』の魔法をかけて飛び出した。クィレルもその腕を持ってして、ハリーが振るった槍を弾く。
次々と虚空から紅槍を取り出して振るう少女と、獣の牙のように変化した手で応戦する男。異様な光景を見る者は誰もおらず、ただ殺意を振り撒く少女に男が嗤った。
「HAHAHAHA! ポッター! 見よ、その姿を!」
がば、とクィレルが口の端を裂きながら大口を開けると、中には大きな鏡があった。唾液で濡れたそれに映るのは、真っ赤な瞳で射殺さんばかりにクィレルを睨む女の姿がある。
黒い髪を振り乱し、お世辞にも可憐とは言い難い。
さながら悪鬼のようだ。
「醜い! 醜いぞ、私への殺意で醜く歪んでいるぞ!」
「だから?」
クィレルの脇腹へ穂先を沈める。
血と共に鏡が吐き出され、クィレルの顔が徐々に変化して、最終的にロンの顔になる。
ロン・クィレルは本物の彼なら絶対にしないような嘲笑を浮かべ、ハリーに向けて鋭い蹴りを放ってきた。ハリーは魔力槍を纏った杖と紅槍をクロスさせて防ぎ、それに勢いに合わせて後ろに跳んでダメージを軽減する。
靴の裏で地を削るようにしてふんばり倒れずに済んだハリーは、すぐさま攻撃に転じた。
「まさに人外! ハリー、君って僕たちよりクィレルみたいな化け物に近いよね!」
「それで?」
紅槍を投擲するも、彼の頭から飛びつくように巻き付いてきたターバンによってハリーの矮躯が放り投げられる。しかし空中に居ながらにして体勢を整えたハリーは、魔力槍を杖から射出して、ロン・クィレルのうなじから腹までを、ぞぶりと貫いた。
魔力槍に供給した魔力は、数秒保てばいい程度の量だ。ハリーが着地した瞬間には、ロン・クィレルに突き刺さった槍は空気に霧散して消える。
同時に、傷口を塞ぐ栓がなくなったため赤い血がばしゃりと飛び散り、銀の血がどろりと垂れ流される。苦しげな声が聞こえたかと思えばいつの間にか赤毛は栗毛に変化して、一人の少女となったクィレルは血みどろの顔でハリーの方へ振り返った。
「ひどいわ、ハリー。あなたは親友の姿でも躊躇いなく殺すことができるのね」
「だったらなんだ?」
杖先から白くぎらつく刃を生やして、ハリーは膝が震えるクィレルに歩み寄る。
ソウジローの使っていた魔法を真似してみたが、まだ魔力式が甘いようだ。今度本人に聞いてみるのもいいかもしれない。しかし、いま目の前にいる男を殺すには十分だ。
「ハリー、ハリー、ハリー。ハリエット・ポッター」
ぐにゃりと姿を変えたハーマイオニー・クィレルの髪の毛が、短く黒く変化する。
首筋を完全に隠すくらいには伸ばした黒い髪。サラサラな髪質なのに、どこかつんと跳ねた活動的な雰囲気を見せる髪型。白い肌は健康的な色を保ち、可愛らしい鼻と潤んだ唇は女性としての魅力を放ち始めている。目はエメラルドグリーン色。
しかし、泥のように濁った瞳は、改めて見るとひどく違和感を覚える。
「ぼくは躊躇なく人殺しができるようになっちゃったねえ」
「そうだね」
「どうしてぼくが、クィレルが君の夢として出てきたか分かるかい? 君が初めて明確に殺した人間だからだよ。吸血鬼だと知ってはいたけど、君はそれでも人だと思ってたのさ」
「そうかな」
「これからも殺していくのかい? 人を殺すという行為は、己が魂を引き裂くことだぞ」
「そうかもね」
魔力刀を振り上げたハリーは、冷たい目でハリー・クィレルを見下ろす。
見た目的に自分を殺すようで嫌な気分だ。
「君のような奴がこれからも出てきて、ぼくたちを脅かすというのなら。ぼくは殺す」
「ふふ。簡単にそう言える時点で、君はもう人間じゃないよ」
手の平に嫌な感触が伝わってきた。
生温い暖かさが顔に飛び散り、気分を害されたハリーは頬を手の甲で拭う。
転がるハリーの頭を見ると、ちょうど虚ろな瞳と目が合った。
『化け物め』。
ハリー・クィレルの唇がそう動いたことに気付くも、直後に生首は消滅してしまう。
残された胴体が、どうと地面に倒れ伏したのを目にして、ハリーは呟いた。
「『リディクラス』」
*
ハリーが目を覚ますと、目の前にはマダム・ポンフリーが居た。
なんかおかしい気がする。
第四の課題の真っ最中ではなかったのか。
マダムはハリーが意識を取り戻したことに気がつくと、杖を振るって誰かに念話を飛ばしたようだ。数十秒後、医務室の扉を開けて入ってきたのはダンブルドアたちだった。
マクゴナガルにムーディ、スネイプもいる。
「ハリー、ハリー気が付いたかね」
「え? ああ、はい」
随分と急いた様子のダンブルドアに面食らいながらも、ハリーは上半身を起こして答える。しかしマダム・ポンフリーの手によってハリーの頭は枕に押し付けられた。
面会時間は十分だけですと言い残したマダムが去ると同時に、ダンブルドアは言う。
「のうハリー。君は夢の中で誰に会った?」
「え?」
「きみは今まで、第四の課題である《ロードボガート》の作りだす夢の世界におった。そして、競技が始まって十時間後の今、ようやく君が夢から脱出できたのじゃ」
十時間も寝ていたのか。少し寝坊助が過ぎるようだ。
ハリーが競技の勝敗を心配していると、残念ながら君の第四の課題の成績は最下位じゃと告げられる。ちょっとばかりショックだ。
しかしダンブルドアにとって重要なのは、ハリーの夢の内容らしい。
「えっと、みんなの夢に紛れ込んでました」
「と、言うと……」
「代表選手みんなの夢に混線? してたみたいなんです。ローズマリー、フラー、クラム、ブレオ、ソウジロー、セドリックの順番で彼らの夢に入ってました」
「なるほどの。それで君が起きるのが遅かった理由が分かった」
マクゴナガルが言うには、起きた順番はいまハリーが言った通りだそうだ。
スネイプ曰く、《ロードボガート》という魔法生物は真似妖怪ボガートの亜種であり、精神的に獲物の脳に接続して悪夢を見せ、それによって揺れ動く感情エネルギーを吸い取るというモノだそうだ。
だが夢を見た獲物が揺り動かした感情から生まれるエネルギーを吸い取ることが目的のため、獲物を殺すことはないのだという。つまり、夢の中でクィレルに襲われたのはおかしいということだ。
ならばアレは、どういうことなのだろうか。
「闇の輩の仕業に違いない」
ムーディが唸った。
「アラスター! なんてことを言うのです!」
「だがそれしかあるまい! ポッターめを殺して喜ぶのは誰か? 薄汚い連中だ!」
マクゴナガルとムーディが言い争っている中、ハリーはダンブルドアの顔を見る。
なにやら厳しい顔をしていたダンブルドアが、「何かね」と意識を向けてくれた。
「てっきり代表選手の夢は放送されてると思ったんですけども」
「ああ、それじゃがの。最初はスクリーンに映されておったよ。ミス・イェイツが全身スーツの悪い魔法使いをやっつけたり、ミスター・クラムがいままで試合してきた強豪選手たちと試合したりの。だが途中から、君が言った順番に映像が映らなくなってしまったのじゃ」
「……ぼくが夢に出たからでしょうか?」
「かもしれんし、そうではないかもしれん。それに、君の画面は最初から映らなかった」
不穏な話だ。
眉をひそめたハリーの頭を撫でようとしたのか、ダンブルドアは一瞬手を伸ばし、そしてそれを引っ込めた。代わりに微笑んで、ダンブルドアは言う。
「今回は不可解な結果に終わってしまったが、話を聞く限りハリー、君も頑張ったのじゃな。よしよし、よく頑張った」
「先生、やっぱりアレは……」
「うむ。おそらくアラスターの言うとおり、何者かが君を狙って仕掛けたものじゃろう」
ついに来たかという気持ちと、本当に来てしまったのか、という気持ちが半々ハリーの心に溢れる。
元々この競技に参加している理由は、何者かがハリーを陥れようとしたからだ。
そんな何者かが、ここにきて動き始めたということ。
それが何を意味するのか、ハリーにはわからない。
分からないが、危険であることは確かだ。
「ダンブルドア先生、もう面会時間を二〇秒も過ぎています! 患者を休ませてあげてくださいな! 彼女には休息が必要なのです!」
「おお、すまんのポピー。ではハリー、今日はゆっくり休みなさい。明日には友達と会うことも許されよう。それまでは、今度こそ安らぎを得る夢の中で楽しむといい」
ダンブルドアが押しのけられ、マダム・ポンフリーが持ってきた飲み薬がハリーの目の前に突き出された。ぼこぼこと泡立っているそれから立ち上る臭いは、はっきり言って酷いものだ。
しかし良薬口に苦しという言葉が日本にはあるらしい。ならばとそれに倣って口に含んでみたところ、舌をナイフで切り刻まれたような感覚がする。不味い。いや、痛い。
思わず吹き出すと、ダンブルドアのローブがべったり汚れてしまう。嫌な沈黙が数秒続いたのち、愉快そうにダンブルドアが笑った。
「ほっほっほ。苦い薬はわしも嫌いじゃ」
「……ご、ごめんなさい」
面白そうに笑い続けるダンブルドアが退室すると、それに続けてマクゴナガルとスネイプも医務室を出ていく。ハリーはマダムから薬を飲むように催促されて、嫌々ながらそれをゴブレット一杯飲みほした。
喉の中がイガイガする。そう訴えるも、身体にお薬が効いている証拠ですと取り合ってくれなかった。しかし途端に眠気が押し寄せてくると、ハリーはその濁流に逆らえない。
ハリーは睡魔の嵐に身をゆだね、瞼を閉じるとそのまま眠りにつくのだった。
*
ハリーはロンとハーマイオニーと共に、ホグズミード村を散歩していた。
課題の結果は残念だったが、身体に後遺症はなく今ではすっかり回復している。
現在の順位でハリーは六位に転落してしまったが、ブレオが下にいる。どうやら彼はもはや順位など気にせずセクハラへ及ぶ覚悟を決めたようで、同じく順位を気にしていないディアボロ生たちと一緒になぜか踊りながらホグズミードを楽しんでいた。
春も終わりごろの四月だが、バタービールはいつ飲んでもおいしい。
偶然相席になったルード・バグマンは妙に上機嫌で、ハリーの肩をばんばん叩いて熱烈なハグをかますと、ハリーたちのテーブルに会った領収書をかっさらって奢ってから《三本の箒》を後にしていった。ご馳走になったのはありがたいが、いったい何なんだアレは。
訝しげな顔でバグマンを見送った三人に、聞き覚えのある声がかかる。
「きっと臨時収入でもあったんじゃないかな」
「あらユーコ、それにソウジローも」
「デートかよ」
「そうだよロン君。愛しい彼とデートさ」
「あーはいはいご馳走様」
私服姿のユーコとソウジローだ。
ユーコは清潔感のあるブラウスにゴシック調のネクタイをして、黒いロングスカートという面白い恰好だ。ソウジローはというと、いつも通りのシャツにスラックス。細身でハンサムだからいいものの、センスがおっさんである。
ハリーはふとあの夢での光景を思い出し、ユーコを見て少しだけ赤面した。
目ざとくそれを発見したソウジローが、視線だけでハリーを牽制する。「言わないよ」という意味を込めてウィンクしたところ、そこでユーコが笑った。
「婚約者を差し置いてアイコンタクトで通じ合うってどうよ?」
「ユーコもできるんじゃないの?」
「まぁ出来ると思うけど、やってみようか」
「……ユーコ、この馬鹿者。公共の場でそんなこと言うんじゃない」
「いまなんて言った? なぁなんて言った!?」
若干二人ののろけに巻き込まれた感はするが、三人は注文したものを平らげると二人に別れを告げた。いつまでもデートの邪魔をするのもアレだったからだ。
しかし《三本の箒》を出てしばらくして、フレッドとジョージを連れたローズマリーに出会った。どうやら誰かを探しているらしく、焦った顔をしている。双子の方はにやにやと明らかに悪だくみをしている顔だ。
「おう、ハリー! 悪ぃんだけど、ソウジローとユーコ見たか!?」
「あー、それなら《三本の箒》に……」
「ハリー、ダメ!」
ハーマイオニーの忠告は、一足遅かった。
ハリーから聞きたい情報を引き似たローズマリーは、女海賊のように手下二人を引きつれて突撃してゆく。ハーマイオニーの方を振り向いて首を傾げると、「デートに乱入する気なのよ」と答えを貰った。
なるほど、これは邪魔してしまったかもしれない。いやウィーズリーズがいる以上、確実に邪魔してしまっただろう。あとで謝っておかないとならない。
「大変だなあ、みんな……」
ロンの呟きに、まさにぼくらも大変だっただろうがと言いたくなるが我慢。
楽しい時間にそんなものを持ちこむのは、流石に無粋だ。
「さあ、急ぎましょう。包んでもらった料理は崩してないわよね」
ハーマイオニーが言うと、ハリーたちはわざわざ狭い路地裏を通る。
そして三人が通りに出れば、その姿は誰にも見ることが出来なくなっていた。
ハリーの持つ《透明マント》を三人で被る。ロンの身体が大きくなってきたので、ひょっとしたら来年にはもう三人一緒に隠れることはできなくなるかもしれない。仲ではなく、サイズの問題だ。
姿を消したハリーたちがやってきたのは、かつて死闘を繰り広げた《叫びの屋敷》。
今日はここに待ち人がいるために、わざわざ姿を消してまでやってきたのだ。
「おじさん、いる?」
「わふん」
姿の見えない少女の問いに、部屋の隅で寝そべっていた巨大な犬が応えた。
透明マントから抜けて駆け出したハリーは、その犬に向かって飛びついていく。一方の犬は、一瞬にしてその姿を変えると、一人の男性へと姿を変じた。
脱獄犯、シリウス・ブラックだ。
ハリーを抱き留めたシリウスは、ハリーの脇の下に手を差し入れてぐるりと一回転してから彼女を下した。それでもぎゅっとハグしてくるハリーの頭を撫でながら、彼は言う。
「すまないね、こんなところまで呼び出してしまって」
「ううん、いいんです。私たちもお話を聞きたかったですし」
ぐりぐりとシリウスの腹筋に頬擦りしている子犬のようなハリーを引き剥がして、ロンはシリウスの前にいくつかの包みを置いた。
包みを解けば、様々な料理が出てきて食欲を刺激する。
唐傘模様のこれは、《
途端、ハリーは彼の腹から大きな虫の鳴き声を嫌でも耳にした。
「シリウス、お腹すいてるの?」
「かれこれ一週間なんも食ってない。悪いが、先に食事してもいいだろうか?」
今は人間の状態なのに、涎が出そうだ。
チキンを貪り喰らいながらシリウスが言うには、逃げ続けるには犬の格好の方が都合がいいのだとか。シリウスの顔はもはやマグル界でも有名であり、うかつにマグルのショッピングモールでミルクとコーンフレークでも買おうものなら、仕事熱心なポリスマンたちが駆けつけてくるという展開になりかねない。
ゆえにシリウスは、
あまりにあんまりな食生活に同情したのち、何年ぶりだろうかと呟きながらチョコレートバーをかじるシリウスが、あんまりにも哀れでしょうがない。
ハリーはもぐもぐご飯にかぶりつくシリウスを後ろから抱きしめた。本人は慈愛たっぷりに抱擁しているつもりなのだろうが、ロンとハーマイオニーにはコアラが親に背負われているようにしか見えなかった。無論、二人とも愚かではないので口には出さない。言えば恥ずかしさのあまり烈火の如く怒ることは目に見えているからだ。
背中にコアラをくっつけたまま、シリウスはバゲットを食い千切りながら言う。
「君たちの相談とは、ハリエットを狙う何者かについての推察だったね」
「うん。ねえシリウス、僕としてはやっぱりダームストラングのカルカロフが怪しいと思うんだ」
イゴール・カルカロフ。
一時期ロンが、恋敵クラムの保護者のような存在であることを知って若干行き過ぎた嫌疑をかけていた人物だ。かつて大ファンであったクラムすら目の仇にしていた事実についてはハリーもハーマイオニーも知らないが、しかし三人の仲が修復されてから、改めて考えてみればみるほど怪しい。
ダームストラング専門学校という魔法学校は、闇の魔術を実際に教えることで賛否両論を受けている学校だ。校長にして自ら教鞭をとるカルカロフ曰く、『相手の使う魔法を知らずして何が防衛術か。闇の技を熟知することこそ真の防衛である』とのこと。
ロンなりに偏見を極限まで捨てて考えてみると、なるほど確かにその通りだと考えられる。ハリーからの影響も幾分かあるが、何も知らない相手よりは、よく見知った相手との報が戦いやすいだろう。無論、親しい人間と敵対するとかそういう考え方ではなく、例えばスコーピウス・マルフォイをやっつけるには情報が多ければより手段が増えるという、わかりやすく噛み砕いた結果だ。
そう考えての発言であったが、意外にもシリウスからの返答は褒め言葉だった。
「なるほど、よく考えたなロン。彼の教育方針に目を付けてそう思ったんだな」
「うん、そうなんだ」
「確かに奴は可能性が高い。奴はな、元
いきなり飛び出してきた情報に、ハーマイオニーは驚いて目を見開き、ロンはそれ見たことかと自慢げな顔をする。しかしシリウスはふっと笑って、ロンに向かって言う。
「だが残念ながら、彼がハリエットを狙った下手人である可能性は低いだろう」
「えっ、どうして? ハリーを狙って喜ぶ変態どもなんて、『例のあの人』の部下くらいだろう?」
「それはそうなんだが。しかしロン、彼は違うと断言してもいい。なぜなら奴は臆病だからだ。ダンブルドアのいる前で、ハリエットを狙う度胸などない」
そう言われて、ハーマイオニーは思い出す。
そういえばムーディに話しかけられたときに、妙に怯えた様子を見せていた。
それを聞いたシリウスは、にやにやと笑いながらそれも当然だという。どうも、死喰い人時代の彼を逮捕したのはアラスター・ムーディその人だったそうなのだ。
あの恐ろしい顔を怒りの形相に歪ませて、殺してやるとでも叫びながら全速力で追いかけてくる。そんなもの、トラウマにならない方がどうかしている。
「うーん、絶対あいつだと思ったんだけどなあ」
「着眼点は悪くないが、あの悪人面で腰抜けとは思わんだろう。仕方ないさ」
「うーん、じゃあシリウス。新三校はどうかしら。アメリカ、イタリア、日本の、新たに魔法学校対抗試合に参戦してきた三校よ」
今度は、ハーマイオニーが意見を出す。
それを聞いたシリウスは少しだけ渋い顔をしながらも、自身の見解を述べた。
「正直言って、私もそこまで詳しいわけじゃない。特にイタリアのディアブロ魔法学校は新興校だ。ついこの前、自主的に出所した私には情報が少なすぎるんだよ」
聞けば大体の疑問に答えてくれるものだから、ロンたちは少し失念していた。
十年以上アズカバンに閉じ込められていたというのに、この情報量。おそらくダンブルドアともつながっているからなのだろうが、それでも限界はあるのだろう。
そしてロンは、いい加減シリウスの背中で眠りはじめそうなハリーを引っぺがして隣に座らせた。今までの話を聞いていたかも怪しいほどには安らいだ表情をしていたのは危なかったと思う。まるで親犬に甘える子犬だ。
「べ、別に寝てないし」
「はいはい。それで新三校だったね。アメリカのクェンティン・ダレルは、かなりのやり手だ。ただの陽気なおっちゃんに見えて、その実かなり腹黒い。しかし彼はアメリカ人らしく、自由を愛する男だ。そう簡単に闇の勢力にこうべを垂れたりしないだろう」
意外にも高評価。
あの太ったヒゲ親父がそんな人間だとは思わなかった。
しかしハリーが思い出す限り、ローズマリーにスパイ行為を提案したりといった黒い部分は見えていたように思える。そう考えると納得の情報だ。
それをシリウスに伝えると、顎に手を当てて少し考えた後にハリーの頭を撫でた。
「うん、裏付けが取れた。ありがとうハリエット。君の話を聞く限り、どうやらイェイツ家の長女も心配する必要はなさそうだ」
友人なのだ、当然である。
ハリーがそう言いたそうにしていることに気付いたのか、シリウスは苦笑いして乱暴に頭を撫でた。嬉しそうに撫でられる子犬ハリーを放って、ハーマイオニーは話の続きを求めた。
「イタリア……ディアブロはさっきも言ったように、少ししか知らない。校長のレリオ・アンドレオーニは魔法芸術の第一人者だ。具体的には彫刻だとか、絵画の方面でよく名前を知られている。私の実家にも彼の絵が飾られていたのを覚えているし、魔法省のロビーにおいてある金の像は彼が贈ったものだと聞いている」
「へー! あの趣味の悪い像、あの人が造ったのか!」
ロンが感心したように言うので詳細を聞いてみれば、黄金で造られた成金趣味の銅像なのだとか。確かにそれはずいぶんな悪趣味だ。
しかし魔法で創りだして芸術というのは、ちょっと感覚が分からない。
「まあ、私やハリーのように戦闘に特化した魔法族からしたらちょっと価値がわからないだろうな。彼は文化的な面で見ればとても影響力のある人間だが、闇の勢力に通じているかというと……微妙だな。魔導を求める闇の帝王が、そんな人間を欲しがるとは思えない」
「そうかな? 『あの人』なら何でも欲しがりそうな気はするけど」
「ロン、それにアンドレオーニは親マグル派だと聞いた。なんでも大昔のマグルの芸術家を一番に尊敬しているのだとか。週刊魔女で読んだことがある」
「確かに、ディアブロではマグル学が必修科目だって聞いたわ。校長がマグル贔屓だったら、学校ごとマグル贔屓なのも納得よね」
言われてみれば確かにそうだ。
あらゆる魔法を求め、もっと力をと貪欲に吸収することを快楽としていたヴォルデモート。そんな彼からみれば、まるで生き物と勘違いするほどの彫刻を彫ったり、感動を伝えてくれる絵画を描く魔法に意味を見出すだろうか。答えは当然、ノーだ。
さらにその魔法使いが一番尊敬しているのはマグル。それも昔の、芸術家という戦いには程遠い性質を持った非魔法族だ。あのヴォルデモートが、彼がマグル贔屓であることを知ればどうするだろうか。答えは当然、アバダケダブラだ。
「日本のことは……ちょっとよく知らないな。カンフーの国だったかな」
「それチャイニーズだよシリウス」
「そ、そうか」
日本に関しては、どうもシリウスは当てにならないようだ。
ためしにソウジローが好きだというスモー・レスリングについて話してみれば、大慌てで「ハリエット、君にはそういういかがわしいものを見るのは早い」と言うものだから三人は大笑いしてしまった。
そうしてしばらく他愛ない話が飛び交い、談笑し、心安らぐ時を過ごした。
《忍びの地図》の件から、シリウスが意外と悪戯坊主だったことがバレ、ロンと共にくだらないジョークで笑う姿をハーマイオニーが時折宥めたりする。ハリーはその様子を眺めながら、目を細めて微笑んでいた。
シリウスが最後のヨークシャープティングを食べ終えた(ハグリッドからもらってきたロックケーキは最後までハリー以外手を出さなかった)頃になって、ハリーが最近やってきた試練の話に移る。
ここ最近で終わった試練はやはり、いつ始まったのか全く気付くことのできなかった第四の課題だろう。あれに関しては、残念ながらハリーの順位は最下位だった。
「そうか、そいつは仕方ないな。《ロードボガート》というのは……はい、ミス・グレンジャー。答えてみなさい」
「《まね妖怪ボガート》の上位種で、通常のボガートと同じく不定形魔法生物であり情食性魔法生物です。ボガートと同じくその本当の姿を確認されておらず、しかし肉体というエネルギー効率の悪い物質を通さず夢の中という精神的な繋がりから悪夢を見せ、知的生物の感情エネルギーの起伏を糧として活動します。感情そのものを吸い取らないのは、被食者に気付かれないまま寄生するのが目的だという説が有力です」
「流石だハーマイオニー、文句なしの満点だよ。グリフィンドールに一〇〇点!」
完璧・パーフェクト・ハーミー。
シリウス曰く、これはどうも
ハリーが知らなくても無理はない。ハリーが上級生の知識を得ているのは、ひとえに自身の戦闘力増強のためだ。戦いに役立つ呪文について調べはするものの、こういった脇道にはいかなかったのだろう。
ロンは感心しながら、シリウスに質問した。
「じゃあ、ハリーが他の人の夢に行ってしまったのもロードボガートのせいか」
「なに?」
ロンの何気ない一言に、シリウスの片眉があがる。
一気に不穏な空気になった《叫びの屋敷》内に、シリウスが詳しく話してくれという声が響く。
「えっと。ぼくが悪夢を見続けてるとどうも内容がおかしいから、これは対抗試合の課題なんだってことに気付いて、そうしたら他の人の夢に混線しちゃったんだ」
「ごめん、線混ってなに?」
「混線だよ、ロン。分かりやすく言えば、ぼくとハーマイオニーが念話魔法を使ってる最中に君がハーマイオニーにつなげようとしたら、ぼくに繋がっちゃったみたいな」
「なるほどマグル用語か。ごめん脱線したね、続けて」
ロンが引っ込んだのを見て、シリウスは夢の内容を教えてくれと言う。
「最初はローズマリーの過去だった。お父さんを亡くしたことと、ちょっとそれ関係で辛い目に遭ったこと。ローズはヒーローのお父さんが大好きだったみたい」
「イェイツ家の当主が死んだのか……それは大変だろうな」
「うん。次は、フラーとクラムが一緒に出てきた。ふたりとも、全然知らない人が褒めてきたり、かと思ったら同じ人が罵倒してきたりする嫌なところに居た」
「それは二人の経験から、そういった内容になったと受け取れるな。フラー・デラクールはヴィーラの血を引いているから、恐らく差別的な扱いを多く受けたのだろう。ビクトール・クラムは、プロクィディッチ選手になる前はただの座学が苦手な一学生だ。風当りの強い居場所から一転、華やかな舞台にあがったことへの気持ちから、そういった夢になったと予想できる」
ハリーはシリウスの言葉に感心した。
何も情報を得ていなかった状態から、口頭だけでこうも夢の内容を暴いているのだから、その凄さは尋常ではない。
ロンとハーマイオニーが、憧れのアイドルを見るような目でシリウスを見ているハリーに気付いて溜め息を漏らした。本当に犬のようである。
「次はブレオ。あいつは……、……あいつなんだったんだろう? お祭りみたいなところで会ったけど、あいつセクハラしていっただけか?」
「ハリエットそこを詳しく。私は再びアズカバン送りになる覚悟がある」
「はーい駄目よシリウスー、ハリーのためを想うなら抑えて抑えて」
「まあ、そこで彼と会話して、これが試練だって気づいたんだよ」
怒り冷めやらぬシリウスはそれを聞いて、そうかと唸る。
ブレオは確かにド変態で救いようのないエロスマンだが、しかし役には立った。
「次はソウジローの夢。ユーコと……あー、……ごめん秘密にしてって言われてる」
「言われてる? 明確に会話したのか」
「う、うん。そうだけど……」
ソウジローとユーコの関係について、勝手に口にするべきではないと思ったのだが思った以上にシリウスが食いついた。
ハリーの肩を両手で包み込み、真剣な目でハリーの目を見つめる。
「ハリエット、君が友情に厚いことはわかっている。だが、話してくれ。君が助かるための糸口が見つかるかもしれないんだ」
「うー……、……ごめんソウジロー。えっとね、昔ユーコが、ソウジローの慢心によって吸血鬼に捕えられてしまったって夢だったんだ」
「吸血鬼」
「うん。それで、ユーコは吸血鬼化しないで済んだんだけど、吸血衝動だけを飢えつけられちゃったから、いまも時々ソウジローから血を貰ってるらしいんだ」
「……、……そうか……」
ハリーの言葉を聞いて、シリウスは深く考え込む。
ソウジローの話におかしいところがあったのかとハーマイオニーの方を向くと、首を横に振られた。どうやら彼女でも分からないらしい。
吸血鬼についての知識は極端に少ない。
現代では対処方法が多数編み出され、対した脅威ではないように扱われているが、そんなことはとんでもない誤解である。
数多の名が示す通り、ヨーロッパ魔法史上において吸血鬼とは常に人類の敵として登場してきた。なにせ
マグルにすらその存在が知られているほど、かつての吸血鬼はその勢力を大きく広げていたとされる。中世魔法界においては、各国の魔法省に《
では、吸血鬼において一番恐ろしいのは何か?
これは、子供が語る「一番決闘が強いヤツは誰か」と同じ程度の考え方でいい。
圧倒的な力だろうか。否、それなら魔法でどうとでもなる。
強靭な生命力だろうか。否、死の呪文の前には如何なる不死すら無意味。
多様な特殊能力だろうか。否、魔法とてその程度の多様さはあって然るべきだ。
「では答えは何か。正解は、異常なまでの繁殖力だ」
「は、繁殖力?」
「そうだハリエット。奴らの繁殖力は、生物としてあってはならないレベルだ」
吸血鬼は、厳密に言えば人類とあまり差異はない。
他者の血を効率よく自身の栄養として分解できる特殊な器官がある程度で、大多数の構造は人間と変わりないのだ。つまり、哺乳類である以上は交尾によって子を成すことができる。
しかし吸血鬼にはもう一つの繁殖方法がある。
「ハリエット、君はそれを知っているはずだ」
「……吸血行為。クィレルがそれで吸血鬼に成ったって言ってた!」
「そう、それだ。吸血鬼にとって相手の血を吸う行為は、つまるところ性行為と同一といってもいい。互いの体液を交換し合うという意味では同じだな」
少しハリーとハーマイオニーが頬を染めたが、いまはそんな乙女チックな反応をしていい場面ではない。それに二人とも生娘ではあるが、もう何も知らない年齢というわけではないのだ。
ロンが不快そうな顔をしているのを見て、シリウスは口を開く。
「そう、ロン。君の反応は正しい」
「……なんでなの、シリウス」
「言葉にするのも憚られるがね。まぁつまり、そういううことだ」
その言葉にハーマイオニーが眉をしかめ、ハリーが隠すことなく舌打ちした。
女性である以上、その恐怖は想像するだけでも恐ろしいと分かってしまう。
「問題は吸血されれば、男だろうと女だろうと感染するということか。つまり彼らは食事のたびに仲間を増やす。血を吸われた者は基本的に思考傾向が変化し、元は人間だったにもかかわらず、元同胞のことを食糧と見做すようになる」
「じゃあネズミ算式に増えるじゃない……」
「そうだ。だからこそ吸血鬼はとことんまで衰退したと言ってもいい。そこまで危険な連中を、人間が生かしておく道理はなかったんだ。人工的に太陽光を放射する『太陽の呪文』が開発されてからは、彼らは全面降伏するしかなかった。もう彼らは一部地域にしか住めない、絶滅寸前の貴族になってしまったんだよ」
さて、とシリウスはそこで話を区切った。
前置きは終わりということだろう。ハリーは何を言われるのかと緊張し、そして続くシリウスの言葉に驚いた。
「だから吸血鬼なんてものが、そうそう簡単に日本へ行って女性を攫うなんて芸当ができるはずがないんだ。ヨーロッパ内ならともかく、アジアにまで被害を広げては、今度こそ一族が滅ぼされてしまうからね」
「でも、でも万が一ってことも……」
「さらに言うと、子を成す目的で血を吸われた人間が、吸血鬼化をまぬがれた例を私は寡聞にして聞いたことがない。」
それは何を意味するのか。
ハリーはそれを考えたくなくて、思考に蓋をする。
しかしハリーの耳にシリウスの言葉が突き刺さって、耳も塞ぐべきだったと後悔した。
「だからソウジロー・フジワラは、おそらく嘘をついている」
「そんなっ! そんな、こと……!」
ハリーがシリウスの言葉に反論した。
だがその勢いは、弱い。肯定したくはないが、否定できるだけの材料もないからだ。
そんな彼女の頭を撫でて、しかしシリウスははっきりと断言する。
「だがハリーの見たという状況から考えるに、おかしいことばかりだ。特にブレオから先の展開はあまりに不可解だ。不自然な嘘をついたフジワラに、クィレルに変化したディゴリー。それに最初の夢も変だ、《ロードボガート》は宿主を殺してしまうような夢は決して見せない。明らかに夢の内容が改変されている」
「でも、でもおかしいだろ! 夢をいじったのは、」
「他人の夢をいじるというのは、結構高度な魔法式を構築しなくてはならない。遠隔で仕掛けるならもっと難しい。だから、少なくとも夢を見ているハリーに直接接触できるだけの条件を満たしている人物ということになる」
続けて放たれる言葉に、ハリーの顔が哀しげに歪んでゆく。
六校魔法学校対抗試合は、各国の交流が主な目的として掲げられていた。ハリーは代表選手たちとある程度は仲良くなり、親交を深めているホグワーツ生の一人だ。
「ハリーを狙う何者かの正体が、ぼんやりと見えてきたな」
だからこそ、信じ切ることができない。
孤独は人を殺すというが、関係が多いと今度は人を縛るものになる。
いま足を固められて窮地に陥っているのはハリーなのに、その繋がりの縄を切れないでいるのがその証拠だ。築き上げた絆は時に、大きな足かせとなってしまう。
だからこそハリーは、顔を歪めてしまう。
「教師か生徒とかはわからないが……、すでにハリーと面識のある人物には間違いない」
見知った顔の人物を殺さねばならない可能性があるなど、思いたくはないのだ。
【変更点】
・グロ中尉。
・オリジナル課題。定番の過去で心を抉るタイプ。
・何者かが明確にハリーを狙っている形跡が見られた回。
過去回でした。相変わらずピンポイントに心を抉ろうとしてくるハードモード。
だんだん不穏な雰囲気になってきましたよという意味でのサブタイだったのですが、しょっぱなから「残酷な描写」タグが大忙しでした。
因みにクィレルが出てきたのは、ハリーの中で彼を殺したことがトラウマになっているからです。これから先もつい殺っちゃう場面が多くなるでしょうが、それでも明確に自分の意思で殺害した人物ですので、きっとこの先何年たっても彼女は当時の事を夢に見るでしょう。