ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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5.アンハッピー・ハロウィーン

 

 

 

 ハリーはとてつもなく不機嫌で、かつ素晴らしく上機嫌だった。

 前者の理由は簡単だ。

 ロン・ウィーズリー。あの男の存在が彼女を悩ませる。

 彼の顔を見ると、耳までカーッと熱くなって呼吸が荒くなる。

 そばによると拳がわなわなして、あのそばかすだらけの鼻をへし折りたくなってしまう。

 この煮え滾る気持ち……これが恋か。いいや、違う。こりゃ怒りだ。

 ハリーとハーマイオニーの忠告に一切耳を貸さず、スコーピウス・マルフォイから決闘の誘いなるものに乗って、まんまと罠にかけられた。しかもこちらを巻き込んで。

 下手をすれば退学になっていたのだ、冗談ではない。

 

 あの三頭犬ズがいる部屋から逃げ切ったあと、ぷりぷり怒って寝室に戻ったハーマイオニーの後ろ姿に「ぼくが引っ張り込んだとでもお思いなのですかねぇ!?」などと言ったロンの横っつらに、ハリーは平手をブチ込んだ。

 そして赤くなった頬を抑え、

 

「ああそうかい! 君もハーマイオニーの肩を持つってわけか! 嫌な奴同士寄り添ってろよ、この――ぺちゃぱい!」

 

 などという『名称を言ってはいけない例のあの暴言』にプッツンしたハリーが、頬の腫れたロンの鼻っ柱を一発ブン殴って倒れたロンの脇腹に四発蹴りを入れて石化呪文をかけて掃除用具入れにブチ込んで、扉にハーマイオニーが使った呪文と同じものをかけて扉が開かないようにして以来、目も合わせていない。

 まだ十一歳だ。将来性があるんだ。そのはずだ。

 ネビルが大慌てで何とかしようとしたので、たぶん飢える前には救助されただろう。

 横っ面をビンタされた上に螺旋右ストレート、そして全体重を乗せた蹴りプラスアルファ。

 非力な彼女でもそこまでやれば、彼の意識を奪うには十分であった。

 ハリーって思ったより激情型な女だわね、とはベッドで泣いていたハーマイオニーにロナルド駆除を包み隠さず話した感想だ。

 心外である。

 ダドリーから日常受ける暴力は、こんなものではなかった。

 マクゴナガルの迅速な対応によりベッドは既に用意されていたのだが、その日の夜はハーマイオニーと眠ることにした。

 どこか上っ面な友情だなと感じていた彼女との関係が、信頼へと形を変えた気がした。

 

 次に、上機嫌な理由。

 いつだったかロンとロンの同室の男の子が行ったクィディッチとサッカーどちらが面白いかという論争を聞かされ、マクゴナガルとウッドの熱弁を叩き込まれたハリーは、もはやすっかりクィディッチのファンだった。

 それゆえに今朝の朝食時に、マクゴナガルからの贈り物に度肝を抜かれたのだ。

 なんと、競技用箒の『クリーンスイープ七号』をプレゼントされた。

 ウッドが勧めてくれた実用的な箒で、身軽ですばしこい動きが得意な選手にはピッタリな代物。プロでも採用される信頼度の高い箒である。それでも「ニンバス二〇〇〇だったら優勝は確実だったんだけどなあ」などと未練たらたらなことを言っているあたり、ウッド含め男の子はロマンを追い求める生き物のようだ。

 美男子のように端正な顔を表面上はだらしなく緩めているだけだったが、ハーマイオニーはハリーが内心で狂喜乱舞しているだろうことを見抜いていた。

 フクロウが届けに来た細長い包みを、目の前で開けた時のロンの情けない顔ったら!

 この前や昨日、散々喧嘩したことを水に流して一緒に箒について騒ぎたい、と思っているのは顔に書いていなくても分かったくらいだ。

 しかしそんな虫の良い話はないだろう。と思ったハリーは赤毛の男の子を無視した。

 ハーマイオニーが小声で子供っぽいわよと忠告してきたが、ここで許すつもりはないだけだよ。というハリーのアイコンタクトで納得したのか、諦めたのか、それ以上は言ってこなかった。

 それよりも『一年生は箒を持ってはならない』という規則を、ハリーが堂々と破っていることの方を問題視していた。

 プレゼントカードでマクゴナガルからのものであることがわからなければ、ハーマイオニーは引き下がらず喧嘩に陥っていたかもしれない。

 

「へぇ、クリーンスイープか。子猫ちゃん寮生の割には、悪くないセンスじゃないか」

 

 そんな中かかってきた声は、お馴染みドラコ・マルフォイ。

 少し離れた席に座っていたロンが颯爽と立ち上がったが、こちらに回り込もうとする前にドラコは行ってしまった。

 喧嘩を売ろうとした彼が不良在庫を抱えたまま席に戻っていく姿は寂しげだった。

 スリザリンテーブルに彼が座ると、おとものクライルとスコーピウス、他数名の何某たちがこちらをニヤニヤと笑っている。馬鹿にしているというよりは……なんだろう、少し違う気がする。

 一体なんなのか?

 不気味なものを感じながら、ハリーたち二人は教室へと足を向けた。

 

 授業終わり。

 居残ってフリットウィックに魔法力の強化について延々と聞いていたハリーは、先に行ってもらっていたハーマイオニーを探すことにした。

 今日はハロウィンだ。

 ちょっと頭が固いけど勤勉な女の子、ハーマイオニーという初めてできた親友とパンプキンパイに舌鼓を打ちながら、この前読んだ本について論戦するつもりだった。

 ハロウィンパーティーは十八時からだ。近道をいけば一度寮に戻って、荷物を置いてきてもまだ十分間に合う。

 そう思って小さな中庭を通ると、

 

「あの女ども、デキてるんじゃないのか?」

「いや、案外そうかもね。ガリ勉女があの男女以外とつるんでるとこは見たことないし」

「あいつ友達いなさそうだもんなあ。それより聞いた? さっきの授業でのガリ勉の言い草」

「あー、むかつくよなあ。『違うわ! あなたのはレビオサ~よ!』だってよ!」

 

 などという陰口が耳に飛び込んできた。

 ロン・ウィーズリー、ディーン・トーマス、シェーマス・フィネガン。

 集まると調子に乗るタイプの男の子が、三人揃っておしゃべりしている。

 ディーンは黒人のロンドンっ子。シェーマスは、水を酒に変える魔法が苦手な男の子だ。

 内容からして、まず間違いなくハーマイオニーの悪口である。ついでにハリーのも。

 心外な。

 それにしても幼稚な口撃だとハリーは鼻で笑った。

 ダドリー軍団に居たピアスキーという少年の嫌味は、もっと苛烈で残酷だった。ハリーが無視しても容赦なく的確に心を抉り、女が嫌がる言葉を限りなく突き刺し、子供が怖がる暴言を隙間なく叩きつけ、気丈な男の子のように振舞うハリーがただの女の子のように泣いても嘲笑い続けるという、ある意味で剛の者であった。っていうか悪魔だった。

 とりあえず。あのくらいなら自分にダメージはないから、相手にする事はない。

 自分の過去が『まともじゃない』ことくらい、ハリーは自覚している。

 同年代の女子と喧嘩したこともなさそうなロンの言う事だから、ハリーは大目に見れる(何発も殴って蹴ったことはこの際放っておいてもらおう)のだ。

 だが他の女の子もそうだとは、とてもじゃないが言えない。

 ハーマイオニーに聞かせるような愚は犯してくれるなよ、と思って通りすぎようとした時。

 ディーンの声が聞こえた。

 

「でもロン、いいのかい」

「何がさ」

「ハーマイオニー。お前の悪口聞いて泣いちゃったじゃんかよ」

「い、いいんだよっ! あんな、あんなおせっかい、僕には関係……な……」

 

 ロンがしどろもどろになりながらも言い返そうとした言葉が、するりと喉に引っ込む。

 そして顔がみるみる青くなっていった。

 ディーンとシェーマスが振り向いた瞬間、彼らの未熟でお粗末な脳みそは午前中に受けた授業内容を即座に思い出していた。

 教科書、「幻の動物たちとその生息地」。ニュート・スキャマンダー著。

 その四十七ページ、ドラゴンの項目。

 危険度は、英国魔法省の分類基準で最大値である五。

 「一般的にメスの方が大きく、より攻撃的である」の一文。

 眼前に居たのは、まさに竜そのものであった。

 絹のようにさらさらなショートカットの黒髪が、風もないのに揺れている。

 普段は明るい緑の瞳のおかげで、鋭い目付きでありながら王子様のように凛々しい瞳をしている。だが今はまるで、飢えた竜のように獲物を見定めているではないか。

 小さなドラゴンはその鋭い牙――杖を振り回し、それ以上に鋭く大声で叫んだ。

 

「『エクス……ッ、ペリアァァァームス』ッ! 吹きとべ、馬鹿ロン!」

 

 いつかあのとき、ハグリッドが使って失敗した呪文。

 呪文集などで読んだことはある。理論は知っているが、使う機会などあるはずもない。

 見よう見まねで初めて使った、怒りの一撃。

 だがそれは、怒りという感情でブーストされたことによってハリーに成功をもたらした。

 この呪文は本来「武装解除」と呼ばれるもので、相手の武器を無力化する呪文である。

 ロンは特に杖などを構えていなかったが、或いはそれがいけなかったのかもしれない。

 巨大な魔力の奔流に吹き飛ばされたロンは、きりもみ回転をしながら大きく宙を飛んで噴水の中に突き落とされた。どぼしゃーんという派手な音と水が撒き散らされ、何事かと数人の生徒が噴水を覗きこむ。

 ディーンとシェーマスはただ青くなるだけだった。

 そんな数人をかき分けて突き飛ばして、噴水から顔を出して呆然としているロンの鼻先にハリーは憤怒の形相で杖を突きつけた。

 

「泣かせた? ハーマイオニーを泣かせただって? 暴言を吐く相手は選べよ、ロナルド・ウィーズリー……! おまえは、加減というものを知らないのか? 泣かせるまでやるなんて、『まともじゃない』ぞ!」

「は、ハリー……っ、ぼ、僕、ごめ――」

「ぼくに謝るなあッ! 悪いと思っているなら、ハーマイオニーに謝れ! ばか!」

 

 もう一度杖を突きだすと、特に呪文も唱えていないが怒りの感情が何らかの魔力を放出したらしく、ロンが何かに殴られたかのようにまた水の中に突っ伏した。

 ハリーはハリーで、感情的になりすぎてボロボロと涙がこぼれている。

 激情家かつ暴力的であったことをお披露目したハリーが、口汚く悪態を吐き捨てて足音高く立ち去ってからようやく、二人組がロンの元へやってきた。ロンは未だにびしょぬれのまま呆然としていた。

 その心中はいかなるものか。

 それは彼のみにしかわからない。

 

 

 ハロウィンパーティ。

 決死の覚悟をしていたはずのロンは、大変焦っていた。

 グリフィンドール寮テーブルのどこを見ても、ハリーとハーマイオニーの姿がないのだ。

 場合によっては、皆の前で頭を下げることも考えた。

 それはとても恥ずかしい。

 でも、泣かせてしまった。泣かせるまで喧嘩してしまった。

 ハリーは悪い奴じゃない。女の子だけど、趣味嗜好は男の子に近く話の合ういい子だった。

 ハーマイオニーだって、悪気があってうるさいわけじゃないことくらいは、わかっていた。

 わかってはいたが……どうしても、言うことを聞く気にはなれなかった。

 どうせ女だから。こっちは男だから。

 スリザリンの奴と、仲良くしようとしていたから。

 喧々諤々うるさい、生真面目な委員長だったから。

 そういったことに拘っていた自分が、ばかみたいだ。

 噴水から出た後、もはや白い顔をしたディーンとシェーマスに相談して得た答えがこれだ。

 グリフィンドールの一年生が大喧嘩をしていると聞いてすっ飛んできたパーシーにも、相談してみた。いけすかない生真面目な兄ではあったが、こういうときは真摯に聞いてくれる。ばつの悪そうな顔をした親友二人、そして怒った兄の言うことはおおむね、こうであった。

 ――泣かせた時点で、お前の負け。

 ちょっと理不尽な気がしないでもないが、事実だった。

 泣かせてしまったのは他でもない自分、ロナルド・ウィーズリーなのだ。

 ハーマイオニーには心ない言葉で、彼女の気持ちも考えずただただ傷つけた。

 ハリーには男の子と同じような感覚で接し、彼女の感性を無視して傷つけた。

 

「もう二人と友達になれない、なんてのは……いやだな……」

 

 そして決め手は、この単純な想い。

 自分は思慮が足りなかった。子供すぎた。

 そう思い、二人との心が永遠に離れないためにロンは謝りたかった。

 だが肝心の二人がいないではないか。

 ロンは男の子だ。女子寮には入れないから、彼女らと同室のラベンダー・ブラウンに聞いてみたところ、既に大広間に向かっているのでは? と言われた。

 だからパーティ会場である大広間に来たのだが、いないではないか。

 若干ラベンダーを恨みながら、やっぱり探しに行こうと思って席を立ちあがった、その時。

 

「トロールがァァァあああああああああ―――ッ!」

 

 絶叫とともに、乱暴な音を立てて扉が開け放たれた。

 やってきたのは闇の魔術に対する防衛術の教授、クィリナス・クィレル。

 ローブはよれよれになって、ご自慢のターバンも変にずれている。

 ハロウィンに浮かれてお喋りしていた生徒たちは、一体何事かと静まり返った。

 そして食事を中断した教師陣の方に向かってよろよろと歩きながら、クィレルは喘いだ。

 

「とッ、トロールがァ……! 地下室にッ、地下室に侵入して……! お知らせをォ……」

 

 きちんと言えた奇跡は、そこまでだったようだ。

 クィレルはその体勢のまま、前のめりにばったり倒れて気を失ってしまった。

 そこから先は大パニックだ。

 あちらこちらで悲鳴が上がる。クィレルは多分踏まれているだろう。

 マグル生まれのディーンは状況が呑み込めていないようだが、シェーマスが狂乱の叫びをあげているのでとても不安そうだ。ハッフルパフのテーブルも、レイブンクローもたいして変わりはない。スリザリンですら、泣き始めたスコーピウスを「な、泣くなスコーピウス。だ、だい、大丈夫だ。問題ない」とろれつの回らないドラコが慰めている。

 如何なる魔法を使ったのか、ダンブルドアが甲高い破裂音で皆を沈めてくれなければ酷いことになっていただろうことは想像に難くない。

 黙りこくった生徒たちに向けて、ダンブルドアは毅然としたよく通る声で命ずる。

 

「落ち付きたまえ生徒諸君。監督生よ、すぐさま自分の寮の生徒たちを寮へ引率しなさい。例外は許さん」

 

 ざっと立ち上がったのは、兄パーシーだ。

 まるで水を得た魚のように生き生きしている。誇らしげに生徒たちの引率を始めたあたり、あれは根っからの監督生野郎なのだろう。

 監督生野郎とは如何なものかと思われるだろうが、ロンにとってしっくりくる表現だった。

 彼は普段は鬱陶しい限りだが、有事の際は実に頼りになるリーダーシップを持っている。

 張り切る兄の引率に粛々と従い、皆でどよどよと寮へ歩を進めるうちにはっと気付く。

 ハリー・ポッターと、ハーマイオニー・グレンジャー。

 二人は何処か?

 少なくとも大広間にはいなかった。

 では、この事態を知っているのだろうか?

 きっと何処かで二人、ロンの悪口を言い合っているのだろう。

 問題は、その場所だ。

 寮の談話室か? それとも女子寮の寝室か? それはいい。最善だ。

 最悪は、そうでなかった場合。

 もし地下室近くの教室だったら。何処かの廊下を、大広間目指して歩いていたら。

 

 ――その場合、学校に侵入したトロールに出会う確率はいかほどか?

 

 やっと思考がそこに至ると途端、どっと汗が吹き出してワイシャツを濡らした。

 トロールとは。

 仮にもロンは純血ウィーズリー家の子供で、純然たる魔法族だ。

 そのくらいのこと、マグルの子供が蜻蛉とは何かを知っているかのごとく知りえている。

 身の丈は四メートル、体重は一トンというのが平均的な個体。

 そのような桁外れの巨体と並外れた暴力を併せ持つ、大変危険な魔法生物。

 彼らは生肉を食す。好き嫌いという上等な嗜好などなく、それは人肉でも一向に構わない。

 そして、最大の特徴がある。……彼らは、馬鹿なのだ。

 極々稀に、人語を解するほど知能の高い個体もいる。だが今回の個体もそうであると期待するくらいならば、ウィーズリー家がガリオンくじに当選する方が遥かに可能性は高い。

 つまり、何をしでかすか一切合財予想がつかない。……馬鹿だからだ。

 あれを自在に操ることのできる魔法使いがいるとすれば、それは桁外れた天才か、常軌を逸した馬鹿のどちらかだろう。そのくらい、扱いに手を焼く魔法生物であるということだ。

 では。

 その馬鹿が。

 黒髪と栗毛の女の子二人を目の前にして、どう動くのか?

 答えは至極単純である。

 いただきます、だ。

 

「パ、ぱぱぱパーバババティ? ちょちょちょちょっと、ねぇ、ちょっと」

「な、何よウィーズリー。お、お、驚かさないでちょうだいな」

「い、いや、一つ聞きたいんだけど……いや、聞く資格がないのは分かっていて、なお聞かせてもらうんだけどさ。……ハリーとハーマイオニー、何処か知らない?」

「はぁ? アンタがそれを聞くの? ハーマイオニーは一階の女子トイレで泣いてたわよ。あ、ん、た、の、陰口の所為でね。だからハリーもきっとあの子のところに……、ってあれ?」

 

 あの子たち、トロールが侵入したこと知ってるのかしら?

 と、パーバティの思考がそこへ行きついた。

 彼女のきめ細やかな褐色の肌がさぁっと青くなり、甲高い悲鳴を漏らした。

 悲鳴をあげたいのはロンも一緒だったが、そんなことをしている場合ではない。

 パーバティを落ち着かせようと寄ってきたパーシーを跳ねのけて、弾かれたように駆けだした。

 目指すは一階の女子トイレ。

 パーシーが制止する声など、最早耳には届かない。

 自分の所為で女の子二人が死ぬかもしれない、などという上等な思考には至らなかった。

 自分が助けにいったところで何ができるのか、そんなことも考え付かない。

 自分が行って彼女らは嫌な顔をするだろうか、いやそれすらもどうでもいい。

 余計なことは一切考えず、ロンはもつれる足を必死に動かして走り続けた。

 階段を飛びおりるように駆けおりて、ロンはようやく一階へ到達する。

 あった。あそこだ、女子トイレだ。

 そう、ロンの目がそれを認めた途端。

 ――女子トイレの扉が、爆散した。

 そして悲鳴が響く。絹を裂くような、女の悲鳴だ。

 ロンは最悪の未来を一瞬脳裏によぎらせ、駆けだしながら無我夢中で叫んだ。

 

「ハーマイオニーィィィ! ハリーィィィ!」

 

 

 

 ハーマイオニーは泣き腫らしていた。

 自分は気丈な女だと思っていたが何のことはない、ただ単なる少女に過ぎなかった。

 ロンの何の気のない言葉にショックを受け、こうして涙を流しているのだから。

 泣き場所に誰も使わないような女子トイレを選んだのは、最後の意地だった。

 談話室や寝室で堂々と泣くことはできなかったのだ。

 やはり自分は間違っているのだろうか? 規則を破ることも必要なのか?

 ハーマイオニー・グレンジャーは、マグル生まれの魔女だ。

 両親は二人とも歯科医者。

 歯は人の一生を左右する。立派な職業だ。

 人の健康を支え、その人生の一助となれる。

 それのなんと素晴らしい事か。

 ハーマイオニーは真実そう思っていたし、己も懸命に勉強して医者になると思っていた。

 だが、九月十九日。ハーマイオニーの十一歳の誕生日のこと。

 人生は一変した。

 ホグワーツ魔法魔術学校というところからの手紙。

 そして、その事情を説明しにやってきたマクゴナガル先生の存在。

 その二つが、ハーマイオニーの将来を決定づけた。

 問題は両親にはなんと言おうかだった。

 魔法使いになりたいだなんて、プライマリースクールの時ですら言わなかった世迷い事だ。

 しかし、両親に話したときは少し残念そうな顔をしながらあっさり受け入れてくれた。

 父曰く、ハーミーが言うのなら魔法も実在するのだろう。この年になって新発見だ。

 母曰く、私の娘が魔女だなんて素敵じゃない? がんばってね、ハーミー。

 理解のある両親でよかった、と心底誇りに思ったのを覚えている。

 こんなにも誇らしい二人にだって名が届くような、立派な魔女になりたい。

 魔法を即座に受け入れたマグル夫婦を目の当たりにして目を丸くするマクゴナガルの隣で、ハーマイオニーは強くそう思ったものだ。

 それが、なんだ。このザマは。

 たった一人の男の子の悪口を聞いただけで、こんなにも泣いて。

 

「本当……情けないわ……」

「そんなことはないさ」

 

 ぽつりと漏らした泣きごとに返されるはずのない声。

 驚いて振り向くと、しっかり施錠した個室のドアが見えるのみ。

 ぎし、と軋んでいるので向こうで寄りかかっているのだろう。

 ……ハリーだ。

 彼女の特徴たるハスキーな声が湿っている。

 あの子が泣くようなことなんて、いったいなにがあったのだろうか。

 いや、わかる。ロン達が悪口を言い合っているのを聞いてしまったに違いない。

 

「そんなことはない。君が情けないなんてこと言わないでほしいな、ハーマイオニー」

「ハリー……」

「ロンが何を言ったって気にすることないじゃないか。あんなの、ただの男の子だ。それより聞いてよハーマイオニー、ぼくあいつのことやっつけちゃったんだよ」

 

 気丈に笑い飛ばしながら哀れなロンを吹き飛ばしたときの話をするハリーの声を聞きながら、ハーマイオニーは猛烈に彼女を抱きしめたくなった。

 悪口を聞いてしまってショックを受けたのではなく、それを聞いて、かっとなってロンを吹き飛ばしたですって?

 そっちに行きたいから退いてくれ、と言ってトイレの扉を開けるが早いか、ハーマイオニーは涙に濡れたハリーの小柄な体を抱きしめて引きよせた。

 個室になだれ込むようになってしまい目を白黒させるハリーを、大事な妹を慰めるようにその黒髪を撫で続ける。すると最初は驚いて弱々しく抵抗していたハリーも、諦めたようにハーマイオニーの身体に腕を回した。

 

「ありがとう、ハリー……。私のために怒ってくれたのね」

「や、やめてよハーマイオニー。恥ずかしいよ」

「ううん、やめてあげない。私ったら、友達がいないなんて言葉で泣いちゃってばかみたい。ちゃんとここにいるじゃない、小さな小さな王子様がね」

「……そうさ、ちゃんとお姫様を助けに来ただろう? 君はひとりじゃない。……まぁ、悪役くんにはあとで謝らせるけどね」

 

 そう言い合って、お互いの茶色と明るい緑の瞳を見つめ合ってくすくす笑う。

 二人はお互いを抱きしめ、お互いの髪を撫でながらしばらく笑い続けた。

 ハリーがロンを吹き飛ばした話が本当かどうかを聞いたハーマイオニーが、ハリーに「あとでロンにも謝りましょうね」と言うと、ハリーは少々渋ったが結局了承の旨を告げた。

 ロンが本当に悪い奴であるとは、まさか本気では思っていない。

 誰だって嫌なことを言われ続ければ、つい悪口の一つも飛び出てしまうものだろう。

 彼女らは十一歳という年齢ながら、独自の考え方を見つけ出してお互いをどう許せばいいのかということを考え続けた。考えた結果が、これだ。「喧嘩両成敗」。

 先に陰口を叩いたのはロンだが、こちらだって十分すぎるほど報いを与えている。

 主にハリーが。ハリーの拳と杖が。少々やりすぎだが、ここは女を泣かせたという事で。

 だったら、子供らしくごめんなさいして、あとは忘れて遊ぼう。

 単純で頭の悪い、スマートさの欠片もない方法だが、きっとそれが一番いいのだ。

 

「さぁ、ハーマイオニー。そうと決まれば大広間へ急ごう」

 

 王子様、と呼ばれたのもあって、ハリーは冗談めかしてレディをエスコートする紳士のように手を取った。ハーマイオニーはそれを見てまたくすくす笑う。

 

「そうね。パンプキンパイでも食べながら、ロンとクィディッチについて話すのも悪くないわ」

「きっと乗ってくるよ。なんだったら、クリーンスイープに乗せてあげたっていい」

 

 お互いでお互いの目元が真っ赤に腫れているのを見て笑い、習って覚えたばかりの呪文でお互いの顔を綺麗にする。フリットウィック先生は便利ですが難しい呪文ですよ、と言っていたが、もう彼女たちはお互いの魔法の腕を、いや、お互いのことを信頼していたので、二人とも綺麗に元の顔に戻っていた。

 顔も綺麗にした。髪の乱れも問題ない。心だって、落ち着いている。

 さあ、大広間へ行こう。

 ロンと仲直りをしに行こう。

 と、二人は手をつないで、意気揚々とトイレの個室を出た。

 すると何だろう、腐った生ごみのような臭いが女子トイレに充満していた。

 確かに一階のトイレはほとんど誰も使わないようなところだから、臭いのも仕方ないかもしれない。だけれども、この悪臭はちょっとばかり異常だ。

 更に言うと、ぶーぶーという妙な鳴き声が聞こえてくる。

 主に、頭上から。

 

「……ハリー? な、ななな、何か……何かしらコレ……」

「は、ハーマイオニー。ふ、振り向かないと。ふふ振り向かないと……」

 

 油を差し忘れた機械のように、ぎこちない動きで二人は振り返る。いや、見上げる。

 すると果たして。そこにはグレセント・クライルがいた。

 いや違った。ドラコが苦笑いするような阿呆でも、流石に女子トイレには入ってこない。 

 トロールだった。

 灰色の肌で、最も凶暴とされる山トロール。

 それだけでも最悪だというのに、ぶーぶー言っているのは、彼(?)だけではなかった。

 薄緑色の肌をした森トロール、紫色の肌で毛深く角の生えた川トロールまで勢ぞろい。

 棍棒を引き摺り、突如目の前に現れた小さい人間二人に驚いているのは、計三体のトロールであった。しかも頑丈そうな棍棒装備で、明らかに空腹状態で苛立っている。

 ハリーとハーマイオニーはしっかり勉強しているので、肌の色だけで彼らがどの種類であるかを見抜いたし、森トロールが一番凶暴で、彼らはヒトすら食べることを知っていた。

 だが知っているからと言って、怖くないとは限らない。

 

「「「ブォォォオオオオオオオオオオオオオオ――――――ッ!」」」

「「きゃあああああああああああああああああああああああああ!」」

 

 ゆえに。トロールが獲物を見つけた雄叫びをあげた時。

 彼女らも一緒になって恐怖の絶叫をあげたのも、無理はないだろう。

 

 

 マジか。マジでか。

 まともじゃないぞ、こんなことは。

 ハリー・ポッターは、この上なく焦っていた。

 自分の喉からまるで女の子みたいな……いや女の子だけど、そんな甲高い悲鳴が長々と出るだなんて、これっぽっちも思いもしなかった。

 おまけに何か対抗手段が思い浮かぶかと言えば、答えはノーだった。

 普段の勉強は何のためにあったんだ?

 普段のヴォルデモートへの憎悪はなんだったんだ!?

 混乱した思考の中、トロール全員が棍棒を振り上げる様が見える。

 間違いない。

 叩き潰してから美味しくいただくつもりなんだ。

 そう思った瞬間、頭から血の気がさっと引いた。

 そのおかげかは知らないが、どうすればいいのかがまず思い浮かぶ。

 杖だ。

 

「はッ! ハーマイオニー!」

「きゃあ!」

 

 迷いなく彼女を棍棒の届かない範囲まで突き飛ばした。

 そして自身は懐から杖を引き抜く。

 しかし有効な呪文はなんだ!? こいつら三体同時に何をすればいい!?

 麻痺呪文か! いや、違う、それだと一体が失神するだけで他二体の棍棒が来る!

 武装解除!? いや、違う、それも同じ結果になるだけだ。

 浮遊呪文で棍棒を空中に浮かして殴るか? いや、ダメだ、だから結果は同じだ!

 

「ハリー! 炎よ! 馬鹿だから多分火を怖がるわ!」

 

 トロールが狙いをハリーに定めた瞬間、鋭い声があがる。

 それに返事をする余裕もなく、必死に脳に刻んだ通りの動きを自らの腕で再生する。

 手首のスナップを利かせて、対象に杖先を刺すように向ける!

 

「『インセンディオ』ォォォ―――ッ!」

 

 杖から飛び出した炎が、真ん中にいた森トロールのザンバラ髪に着火して顔を赤く染める。

 自分の頭が燃えれば、如何に馬鹿であろうとも流石に気付いた。

 頭の火を消そうと振り上げたままの棍棒を振り回せば、自然と両脇に居るトロールに棍棒がぶつかって、獲物を叩き潰すどころではなくなるだろう。

 つまり、同士討ち狙いだ。

 自分はおたおたまごついていたというのに、ここまで的確な判断ができるとは。

 ハリーはハーマイオニーの頭脳を改めて尊敬するとともに、ようやく現状認識を始めた。

 敵はトロール三体。山、森、川と三種類勢ぞろいだが、種類ごとに大きな違いは特にない。

 強いて言うならば、ハリーたちから見て左に位置する灰色の肌の山トロールが最も大きな身体を持つというところだが、彼らの棍棒を一撃でも喰らえば戦闘不能になるこちらとしてはたいした違いがあるとは思えない。こちらの勝利条件はトロール達全員から逃げ切る……いや、それは無理だ。数が多すぎる。では完全に無力化するか。または、殺すか。それしかない。

 ハリエット・ポッターは今までにハエ以上に大きな生物を殺したことはない。

 しかしここで覚悟を決める必要がある。

 ヴォルデモートに一撃を入れるならばそれはつまり、生きるか死ぬかの戦いになるだろう。

 己の人生を勝手にハードモードにされたという恨みこそあれ、奴を殴り飛ばすという目標は多少軽い気持ちで決めたことではある。だが、あの時の激情が嘘かと問われれば否だ。

 ここは、彼らトロールには申し訳ないがぼくの練習台になってもらおう。

 そう決めたハリーの行動は早かった。

 

「『ペトリ……フィカスッ・トタルス』ッ!」

 

 呪文発動の補助になる言葉である「石になれ」をつける余裕はない。

 未熟な魔法や苦手な魔法はこうして呪文の後に補助単語をつけることで、より発動を確実にする意味合いがあるのだとフリットウィックは授業で言っていた。

 だがハリーは自分の呪文に自信がある。ゆえに、発動の確実さよりも発動の速さを選んだ。

 石化呪文の青い閃光が山トロールの突き出た腹にブチ当たる。

 山トロールはまるで石になったかのように動きを止めたが、炎を消そうと棍棒を振り回す森トロールに顔面をしたたかに打たれて、ブァーッと雄叫びをあげて活動を再開した。

 ばかな。魔法の発動が確実じゃなかったのか?

 これに少なからず動揺したハリーは、実戦経験が少なすぎたと言わざるを得ない。

 

「そんな!? 確かに当たったのに!」

「きっとお腹の脂肪が分厚かったのよ! 次は顔に――ハリー! 危ない!」

 

 ハーマイオニーの悲鳴のような声に、川トロールの方を向くハリー。

 そこには、完全にハリーを目的に棍棒を振りおろそうとする姿があった。

 まずい! とハリーはとっさに考え付いた呪文を叫んだ。

 

「エッ……『エクスペリアァァァームス』!」

 

 ロンに向けたのと同じ呪文。

 あの時は怒りのあまりに魔力がブーストされて発動に成功した。

 本来は二年生あたりで習う呪文だが、ハリーはそれでもできると不思議な確信をしていた。

 とっさの行動は果たして、ハリーに正解をもたらした。

 パチッと何かがはじけるような軽い音がして、棍棒が川トロールの手から弾き飛ばされる。

 弾かれた棍棒は降りおろそうとしていた川トロールの顔面にブチ当たり、情けない悲鳴をあげてのけぞったせいでバランスを崩してしまい、女子トイレの入り口がある壁を背中で押し潰した。

 ハリーは轟音を立てて飛び散る木片から顔を守るために左腕で庇い、杖を持つ右腕を倒れたばかりの川トロールに突きだした。視界の隅で、ハーマイオニーも同じ動作を取っているのが見える。

 二人は今度こそ成功させるために、異口同音で叫んだ

 

「「『ペトリフィカス・トタルス』! 石になれえっ!」」

 

 青い閃光が二つの杖先から飛び出し、空中で合体したかと思うと閃光は人間大の大きさになって倒れ伏した川トロールの股ぐらに飛び込んで行った。

 青い光が川トロールの醜い身体を包みこみ、一瞬で光が消え去った後はピクリとも身動きしない川トロールが出来あがった。腰布すら不自然な形で固まっている。

 やった! と喜ぶ暇もなく、ようやく頭の火を消し終えたらしい森トロールと山トロールが喧嘩をはじめたようだった。先程の同士討ち狙いがようやく効果を発揮したらしい。

 原因は問うまでもなく、森トロールが振り回した棍棒のせいだろう。

 さすがのホグワーツも、トイレ内まではそんなに広くはない。そこで四メートルもの巨体が二体暴れるものだから、破壊された陶器の洗面台や個室の木片が雨あられとハリーに向かって飛んできた。

 両腕をクロスして顔だけは守ったものの、ひと際大きな陶器片がハリーの胸を強打して、彼女の矮躯を壁まで吹き飛ばす。

 背中を壁にぶつけてウッと息が詰まったハリーは、悲鳴をあげながら駆け寄ってきたハーマイオニーに抱きしめられながら上を見た。

 ダドリーと一緒に見させられた、ウルトラボーイとかいう特撮映画を思い出す光景だった。

 怪獣大決戦かよ。ハリーが呼吸を回復させると、顔面にパンチを貰ったのか歯をぼろぼろにした山トロールと、頭髪がすっかり燃え落ちてつるっ禿げになった森トロールがこちらに狙いを定めていた。どうやら喧嘩をしてお腹が空いたらしい。マジかよ馬鹿すぎるだろう。

 ゆっくりと棍棒を振り上げ、叩き潰してミンチにするつもりらしい。

 先程から振り下ろす系統の攻撃しかしてこない気がするが、たぶんトロールの脳みそはそこで限界なのだろう。ぶーぶー唸ってはいるが、互いで意思疎通をできている感じすらしない。

 だがそのパワーは、依然として脅威のままだった。

 このままでは、死ぬ。

 死んでしまう。

 

「まずい……どうにかして気を逸らさないと……! 片方を潰してももう片方が……!」

「でも、でもどうやって……!? どうやってそんな……!?」

 

 諦める気は毛頭ない。

 自分の身体を強く抱きしめるハーマイオニーの体温を感じながら、ハリーは思考を巡らせた。

 だが、答えは見つからない。

 ここまで轟音を立てて暴れているのだから、誰か来てくれてもいいものを!

 とハリーが益体もない願いを心中で叫んだその時。

 聞きなれた、それでいて先程までは腹が立って仕方なかった声が、トイレに響き渡った。

 

「ハーマイオニーィィィ! ハリーィィィ!」

「「ロン!?」」

 

 間違いない。

 赤毛で、ひょろひょろのっぽ。

 熾烈な喧嘩をしていたはずの、ロン・ウィーズリーだ。

 助けに、来てくれたのか。ハーマイオニーに腹が立っていても、ハリーがあれだけのことをしても、助けに来てくれた。

 嬉しさと気恥ずかしさが入り混じった気持ちが少女二人の心を満たそうとするが、状況はそれを許さなかった。

 ハリーとハーマイオニーの視線がロンに向かうと同じく、トロール二体の視線もロンへ向いた。

 そのうち森トロールの目が恐怖に見開いたのを、ハリーは見逃さなかった。

 ロンの燃えるような赤毛を、炎と見間違えたのかもしれない。

 怪物の視線を受けて一瞬たじろいだロンは、それでも果敢に懐から杖を抜き放った。

 しかし使う呪文に迷っているようだ。

 驚きから回復した山トロールが獲物に迷ってこちらへ振り返ったのと同時、

 隙ができたと判断したハーマイオニーは、ロンに向かって叫んだ。

 

「ロン!」

 

 その一言で、ロンは彼女が何を言いたいかを把握したのかもしれない。

 ロンは長い腕を振り回し、一回転させると最後に小さく跳ねあげる。

 ハリーとハーマイオニーも、一度ロンの方を向いて此方に狙いを定めるという、致命的な隙を見せた山トロールに杖を向けた。

 そして、三人はほぼ同時に叫ぶ。

 

「『ウィンガーディアム・レヴィオーサ』!」

「『エクスペリアームス』! 武器よ去れ!」

「『ステューピファイ』! 麻痺せよ!」

 

 ロンの浮遊呪文が、森トロールから棍棒を取り上げる。

 ハリーの武装解除呪文が山トロールの手から棍棒を弾き飛ばす。

 ハーマイオニーの麻痺呪文が山トロールの意識を奪い去る。

 浮遊呪文の効果を持続させきれなかったのか、ロンが息を切らして膝を突くと同時に宙に浮いた棍棒が森トロールの脳天に落下して鈍い音を立てた。

 ハリーの弾いた棍棒はそんな森トロールの顔面に直撃。緑色の彼は轟音を立てて壁に倒れ鼻血を垂れ流したまま、そのままずるずると床に這いつくばった。

 山トロールに至ってはもはや抵抗の術すらない。

 ハーマイオニーの麻痺呪文は的確に山トロールの眼球に飛び込んでいき、灰色の巨人はその意識を一瞬で奪われて、白目をむいて立ったまま気を失っていた。

 

 ハリーは荒い息を吐き出し、力が抜けたのかその場に膝を突く。

 案外度胸の塊であったハーマイオニーがそんなハリーを抱きしめた。

 安堵のため息をつく二人は、ロンが驚きの声をあげるのを聞いて顔をあげる。

 そこにはトロールよりも恐ろしい顔をしたマクゴナガルが飛び込んでくるところだった。

 スネイプとクィレル(トロールの姿を見た途端ヒーッと叫んで座りこんだ)もあとからやってきて、三体のトロールが倒れている様を見て驚いている。

 トロールの状態を調べているらしいスネイプを見る暇もなく、マクゴナガルが大声で怒鳴った。

 

「一体全体、どういうおつもりですかッ!」

 

 声も出なかった。

 トロールと生きるか死ぬかという戦いを終えた後だというのに、こんなに怖いとは。

 ロンに至ってはぽかんと口を空けたままで、スネイプがマクゴナガル先生の前に行きなさいと言わなければそのまま座りこんでいたかもしれない。

 魔法生物の棍棒より教師の一言の方が怖いとは。

 

「えっと、その、えーっと」

 

 しどろもどろになるハリーに構わず、マクゴナガルは追撃を飛ばす。

 

「殺されなかっただけ運が良かった! 寮に避難しているはずの貴方がたが、なぜこんなところにいるのです! パーシー・ウィーズリーが報告してくれなかったら危ない所でしたよ!」

 

 ロンはそれで察した。

 あのときパーシーから隠れようともせず、彼の制止を振り切って飛び出したのだ。

 当然グリフィンドール寮監であるマクゴナガルに報告が行くだろう。

 生徒が一人、足りませんと。

 パーバティからの証言を聞いたかもしれない。

 だからこそ、一階のトイレとかいう辺鄙なところに来たのだろう。

 それに、これだけ派手に壊れていれば騒音も酷かったことだろうし。

 ハーマイオニーがマクゴナガルに何か言おうとしたのをロンが手で制し、泣きそうな顔になりながらひとつの決意を秘めた目でマクゴナガルの目を見据えた。

 

「僕が悪いんです、先生」

「ロン……?」

 

 訝しげな声をだすハーマイオニーに黙るよう目で告げて、ロンは言う。

 

「僕が、この二人と喧嘩をしたんです。それで二人を泣かせてしまって……」

「それで? なぜ貴方は此処に居るんです?」

「そ、それで、えーっとですね。その、パーバティに教えてもらったんです。謝ろうと思って。それで、それでトロールが入ってきたって聞いて……それで……居ても立ってもいられなくなったんです」

 

 正直に告げた方がいいと思ったのだろう。

 ロンは包み隠さず話している。教師に嘘をついてもバレると思ったのだろうか。

 マクゴナガルが三人をじっと見て、ふと柔らかい顔をした。

 しかし次の瞬間には、すぐ厳しい顔に戻っていた。

 

「ミスター・ウィーズリー。レディに涙させるなど、紳士にあるまじき行為です。あなたの愚かしい行動にグリフィンドールから十点減点。ポッター、あなたはどうやら魔力が枯渇している上に怪我をしているようですね。寮に戻る前にマダム・ポンフリーのところへ寄りなさい」

 

 減点されたことにロンは多少ショックを受けているようだったが、どこかすっきりした顔をしている。

 妙に晴れやかで憑きものが落ちたような感じだ。

 そんなロンを見ていると、スネイプが妙にこちらを睨むようにしているのが目に入った。

 しかしハリーと目が合うと、すぐにそっぽを向く。

 そこまでぼくのことが気に入らないのだろうか? とハリーは少し哀しい気持ちになった。

 

「ミス・ポッター、ミス・グレンジャー」

「ふひゃい!」

「はっ、はい!」

「貴方がたは不運でした。しかし、大人の野生トロール相手に、こうまでできる一年生はそうはいないでしょう。さらに様子を見るに、見事な魔法だったようですね。それに対して一人十点、グリフィンドールに差し上げましょう」

「え? あ、え……?」

「さあ。今日はもう、寮に戻りなさい。ポッターはくれぐれも医務室に行くことを忘れないように」

 

 ハリーは自分の耳に入ってきた言葉が信じられなかった。

 丸くなった目をハーマイオニーに向けると、彼女は微笑んでいた。

 医務室へ向かって、ハリーはしこたま怒鳴られた。

 マダム・ポンフリー曰く、ハリーは肋骨が一本折れていたそうだ。

 華奢な腹が真っ青になっていたのが、マダムの薬一つできれいさっぱり健康的な白に戻る。

 魔力を使い切って尚絞り出すように魔法を使っていたためにボロボロになった身体も、彼女の治癒によって明後日にはすっかり元通りになるだろうということを告げられた。

 安堵と健康とともにたっぷりお説教をいただいた後、二人はグリフィンドール寮へ戻る。

 談話室はウィーズリーの双子を中心に大騒ぎであった。

 どうやら食べ物を持ちこんで、ハロウィン・パーティーの続きをやっているらしい。

 誰もハリーたちが戻ってきたことに気付かないで歌い踊っている。

 そんな中、入口の隅の方で一人ぽつんとロンが立っているのが目に入った。

 横目でこちらをちらちらと見ているのが、実にいじらしい。

 どう謝ろう、どのタイミングで謝ろう、と顔に書いてあるのがよくわかる。

 ハリーとハーマイオニーが顔を見合わせてくすりと笑うと、二人は彼のもとへ歩み寄った。

 

「あっ、あのっ、ハーマイオニー! ハリー! ごめん、ごめんなさい。僕、僕……」

 

 つっかえながらも眉を八の字型にして情けない顔をして言葉を絞りだそうとするロン。

 ハリーは笑って、彼の首に飛びついた。

 そうして背の高い彼の顔を自分たちのところまで下げさせると、

 

「ロン。ぼくたちとってもお腹すいてるんだ。でも背の高い君じゃないと、あの人込みからお菓子は持ってこれないだろう? だからさ。頼むよ。君じゃないとできないんだ」

 

 ああ、とロンは合点のいった顔をする。

 そうしてお菓子目当てに跳梁跋扈する寮生たちの中に飛び込んでいき、その大きな両腕に大量のお菓子を持ってこちらへとんぼ返りしてきた。

 その途中、食べ過ぎて寝転がっていたネビルに躓いてしまって盛大に転び、手に持っていたフィフィフィズビーだのバーディー・ボッツの百味ビーンズだのパンプキンパイだのが空中に放り出される。

 ハーマイオニーが杖を一振りしてそれらを停止させ、ハリーの顔面を汚すことを阻止した。

 ハリーが彼の大きな手を握って助け起こすと、三人はそろってくすくすと笑う。

 

「ねぇハーマイオニー」

「なぁに、ハリー」

「……女って、勝手なもんだねえ」

「……なんのことかしらねえ」

 

 ロンが何を言っているのか分からないという顔をしているのを見て、二人はまたくすくす笑う。

 この日から三人は、かけがえのない『友達』同士となった。

 人と人とのつながりなど、何がどうなってこうなるのかなんて、誰にもわからない。

 ただ三人の場合は、トロールをやっつけるという、とても興奮する出来事を共にしたという経験がそうさせただけだった。

 三人はきっと、何十年経ってもこの日のことを忘れないだろう。

 






【変更点】
・侮辱に対しては殺人すら許されるんだし、これくらいは。
・マクゴナガル先生だって、そこまでお金持ちじゃあないんです。
・ロンは犠牲になったのだ。
・禁じられた廊下の扉を叩くと、わんこが3つ。もひとつ叩くとトロールも3つ。
・両生類顔の医者はいないけど、ホグワーツにはマダムがいるので安心して常連になろう。
・どの世界でもこの三人は『友達』になるのです。

ストックなんてしったことか!おれは部屋に戻る!
戦闘回でした。この話で、魔改造の兆しが見え隠れしはじめたはず……。
トロール相手で入院コース。医務室の常連と化しても優秀なマダムが居るので安心。

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