ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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12.闇の産声

 

 

 

 ハリーは着替え終わった服を、木編みのカゴに投げ入れた。

 ノースリーブの黒いインナーの上に、紅色メインのスポーティなデザインのローブを羽織る。グリフィンドールを象徴した、金色の糸で刺繍された獅子が背中で吼えている様は見事の一言に尽きる。

 黒いブーツの紐をギュッと締めた。つま先と踵に硬いサポーターの入った、頑丈で無骨な、ロンドンで買ったマグル製軍用ブーツだ。魔法がかかっていない限り、魔法界製とマグル製はたいして差がない。ならばより便利な方を選ぶのが道理である。

 下半身は上着と同じく紅いスカートだ。しかし中身は黒のスパッツで隠しており、女性選手としての華やかさを保ちつつも、しっかりガードを固める女としての矜持も忘れない。

 六大魔法学校対抗試合(ヘキサゴン・ウィザード・トーナメント)、その最終戦。

 最後の課題は、巨大迷路。

 クィディッチピッチに植えられた、高さ十五フィートはあろうかという生垣で区切られた迷路の中心に、優勝カップが据え置かれている。

 その道中には様々な障害。魔法生物、罠、仕掛け。

 今回は他選手の妨害を禁じられてこそいないが、推奨されてはいない。何故ならば危険だからだ。空中投影されたモニターで中の様子が把握できるとはいえ、もし万が一があっても救助するまでにある程度の時間がかかるのが理由である。

 派手な大砲が鳴らされた。最初の選手が入場したらしい。順位の高い者から先に迷路へ入ることが許されるため、その分はやく攻略ができて有利なのだ。ハリーは現在二位。次に入れるのは二分後だ。

 ハリーは自分の杖をきちんとベルトに挟んで、更衣室の外で待っていた親友たちへ歩み寄った。ロンと、ハーマイオニー。パーバティやネビルなど、グリフィンドールの面々もいる。

 頑張ってこいよ、期待してるぜ、と肩を叩いたり囃し立てる面々を適当にあしらって笑顔で応えて、ハリーは心配そうに見つめてくるハーマイオニーとロンを抱きしめて、二人の頬へそれぞれキスをした。

 それで十分。

 元気が出てくる。

 

「いってきます」

 

 競技開始の大砲が鳴らされた。

 心配そうに、しかし誇らしそうに見送ってくれるマクゴナガルに礼を言い。

 嬉しそうに、ハリーの勝利を確信しているハグリッドに笑顔で見送られ。

 きらきらと輝くメガネの奥から、試すような目を向けてくるダンブルドアの脇を抜け。

 恐ろしい顔ながら安心させようと、ウィンクしてくれたムーディに笑顔で返し。

 ハリーは迷路の中へ踏み込んだ。

 

 暗い。

 迷路に入ってしばらくは陽気に演奏される音楽が聞こえていたものの、しばらく進むと入口が閉じたのか、さっぱり聞こえなくなってしまった。

 寒い。

 どことなく怖気を感じる。不安からくるものだろうとは思うが、あまり無視していいような気はしない。ちりちりとした感覚を覚えて、なおもハリーは歩く。

 するとどこからか、また陽気な音楽が聞こえてくる。三位の選手が迷路に入ったのだろう。鉢合わせしたときが怖い。

 こういった精神的にも不安定な場所は、容易く人の心を捻じ曲げる。

 ハリーはそれを、経験として知っている。

 いったい何人が歪み、そして消えていったのだろう。

 それでもぼくは、親友たちを、愛する人たちを守らなければならない。

 あの男の手から守らねばならないのだ。

 

「…………?」

 

 ――なんの、話だったか。

 緊張のあまりぼーっとしていたのかもしれない。

 とりあえず思い出せないというのならば、関係はないだろう。

 こうも薄暗く、同じ景色ばかり浮かぶと意識を思考に持って行かれがちだ。

 ハリーはしっかりと地を踏みしめる感触を確かめながら、慎重に、それでいて大胆に突き進まなければ勝てない。折角ある程度のアドバンテージは得ているのだ、ここにきて優勝したくないといえば嘘になる。

 優勝して、ぼくを陥れようとした奴を驚かせてやりたい。

 しかし悪戯っぽい笑みを浮かべたハリーの顔は、目の前に現れたものをみて引きつった。

 

「うわぁーお……」

 

 一言で言い表すのなら、『殻を剥いた五メートル弱のエビ』が適切だろう。

 奇妙にぷりぷりした体をくねらせ、凶悪な棘の生えた尻尾を時折爆発させている奇妙奇天烈な魔法生物。その名も《尻尾爆発スクリュート》という、意味不明さが極まったナマモノ。

 当然ながらハグリッドが造り上げた魔法生物だ。ちなみに独自に新種を創りあげるのは、現行の魔法法律では違法である。我らが大きな友人には、もうこれ以上の罪を重ねないでほしい。

 まあそれを今言っても詮無いことだ。

 ハリーは杖腕に持っていた杖を構えると、尻尾爆発なんちゃらに向かって呪文を唱えた。

 

「『ステューピファイ』、麻痺せよ! ……ってうわぁあ!?」

 

 ハリーが放った深紅の魔力反応光は、スクリュートの装甲に弾かれてハリーの足元に着弾した。いったいあのぶよぶよのどこにそんな硬い部分があるのだろう。納得できない。

 がちゃがちゃと両手のハサミを威嚇するように鳴らしたスクリュートは、そのまま鋭利な刃物をハリーに向かって突き出した。上体を反らして避けるものの、前髪が数本持って行かれた。

 困るほどではない、しかし腹が立つ。

 

「『アニムス』、我に力を!」

 

 すっかり定番となった身体強化呪文で肉体を活性化させると、ハリーは勢いよくその場から飛び出した。青白い軌跡を残してスクリュートの背後に回ると、強烈な後ろ蹴りをお見舞いする。

 ぶに、という生肉を叩いたような異様な感触が返ってくる。どうにもダメージを与えられた気がしない。よもや柔らかい肉で打撃を無効化するなどという、世紀末な防御方法を採用しているとは思わなかった。

 尻尾を振り回してハリーに当てようとしてきたので、姿勢を低くして直撃を避ける。しかしこれは失策だった。獲物を仕留め損ねた尻尾は生垣に当たり、爆発を引き起こす。爆風に煽られたハリーの矮躯はごろごろと転がってしまう。

 結局、小柄な身体と軽い体重は改善できなかった。こればかりは仕方のないことだ。

 

「っ!」

 

 すぐさま体勢を立て直したハリーは、直感でその場から高く跳びあがった。

 その一瞬の後、どすんと背中に何かがぶつかって心臓が縮み上がる。

 何がぶつかったのかを確認しようとあたりを見渡せば、何故か先ほどまで自分がもといた場所だった。背中から地面にぶつかっていた? そんな疑問を覚えるも、スクリュートがこちらへ跳びかかって来ようとするので応戦するしかない。両の足を振り回し、ダンスのように起き上がる。

 ざざ、と円形の跡を残して起き上がったハリーはその勢いのままスクリュートの下に潜り込んだ。節足動物なのかよくわからない不揃いな脚の下を抜け、腹を狙って叫ぶ。

 

「『フェルスウェントゥス』、吹き飛べ!」

 

 『突風魔法』。

 魔力を空気に変換(コンバート)して撃ちだすという、かなり単純な原理の魔法だ。

 しかしこれはO.W.L.試験に出るようなレベルの呪文である。なぜなら、この強力な魔法において重要なのは繊細な魔法式と精密な魔力コントロールだからだ。まるで水が気化するときのように、魔力を別の物質へ変換すると容量がかなり変化する。特に空気への《魔力変換(コンバート)》は、その差が顕著だ。

 つまり『突風魔法』とは、急激に膨れ上がる魔力に指向性を与え、なおかつその膨張を抑えながらも崩さないよう固定して、一定方向へ撃ちだすという手順が必要になる魔法だ。

 要するにゴムホースと同じである。大量の水がなだれ込んでくるため、非力な者ではまともに狙ったところへ放射できない。それどころかそのホースを形成するのは自分なので、気がゆるめは自分も吹き飛んで水浸し。そんな扱いの難しい魔法だ。

 こんな場面でハリーは、そんな危険な魔法を選択した。何故か。しっかり扱えるという自信と確信があったのは確かだが、なにより今は吹き飛ばす力のある、威力の高い魔法が必要だったのだ。

 ハサミをがちゃつかせながら中に浮いたスクリュートの身体を、ハリーは思い切り蹴り上げる。するとスクリュートの巨体は生垣の背を越えるほどにまで吹っ飛び、そして一瞬その姿が消えると上空へ飛んで行った勢いのまま、真っ逆さまに落ちてくる。

 轟音と共に地面に叩き付けられた尻尾爆発スクリュートは、ぴくぴくと痙攣するだけで動けなくなったようだ。あれだけ痛めつけても死なないとは、いっそ恐れ入る。

 

「悪いね」

 

 一言残して、ハリーは仰向けて呆けたままのスクリュートをおいて駆け出した。

 どうやら生垣の上……一定ラインを越えようとすると、地面に叩き付けられるようになっているらしい。恐らく上空に向かって動く物体を、反対方向に向きを変えて転移するような魔法でもかかっているのだろう。

 発生源が見つからないために魔法式も視えないが、まず間違いないと断言できる。

 

「……、」

 

 走り続けること数分。

 ざわざわと異様な雰囲気を醸し出す生垣の織りなす迷路の中を、ハリーは走り続けていた。額にはうっすら汗が浮かび、焦りの心理状態を表しているかのようだ。

 いくら走っても、先ほどから景色が全く変わらない。『焼印呪文』で印をつけているというのに、未だに一つも見つけていない。同じところをぐるぐる回っているわけではないというのに、明らかに同じところを歩いている。

 また何かしらの魔法トラップにかかってしまったのだろうか。

 

「……『ポイント・ミー』、方角示せ」

 

 杖を構えてそう唱えると、自身の手から杖が離れる。

 手の平の上数センチの位置でくるくる回転したかと思えば、一方向を真っ直ぐ指した。

 杖先、つまり北は右を示している。おかしいぞ、さっき調べた時と方角が全く変わっていない。少なくとも何度か曲がり道を進んだために、変わらないというのはおかしい。

 うかつなことはしない方がいいが、動かなければ突破はできない。ハリーはそのまま走るのも体力の浪費と考え、速度を落として歩き続けた。

 

(……ユーコのあの言葉、)

 

 先日、何者かによってハリーは錯乱状態にあった。

 ユーコが吸血鬼であるだとか、マクゴナガルが自身を襲おうとしているだとか。

 随分と被害妄想甚だしいとは思うが、夢の内容を細工して他人に言わせたり、クラウチを洗脳して襲わせたりと、相当手が込んでいる割にはかなり遠回りだ。

 ユーコが実際にソウジローと風呂に入っていたことは事実。しかしその際に吸血していたというストーリーを作る必要性がどこにあるのか。ソウジローが過去を語る展開のどこに必要があったのか。このことから、ただハリーを錯乱させようとしただけではないのだろうとも考えられる。具体的に何かは分からないが、どうにも作為的なモノを感じる。

 しかし考えたところでさっぱり分からない。

 仲間を疑わせて、嘘のストーリーを見せて、呪いをかけた下手人は何がしたいのだろうか。

 荒事には慣れてしまったハリーも、こうした策謀には疎い面がある。歴史に残るほどの犯罪者と戦う決意をしている割には、搦め手に弱いというのは問題かもしれない。騙されても仕方ない、というのが通用するのは子供のうちだけなのだ。

 ハリーも十四歳になった。身体的にも女性として成長し、恋を知って失恋を味わった。もはや子供と呼ぶには、心身ともに少し難しい時期へ入っている。だがそれを敵が考慮してくれるわけがない。

 成長しなければならないのだ。

 

(あとで聞いてみれば、幻聴なんかじゃなかった。確かにユーコは言っていた)

 

 右の壁に違和感を感じる。

 ハリーは注意を凝らしてあたりを視る。魔法式が漂っていることに気付くが、それが何の魔法かまでは分からなかった。だが右の壁には、魔法式がびっしりと貼り付けられていた。恐らくそれこそが、今ハリーが迷っている魔法トラップの核だろう。こんなバレバレのトラップなんて、有り得ない。簡単にバレたくないならば、魔法式を隠す必要があるだろう。何故ならこんなもの、クイズのすぐ隣に答えが書いてあるようなものだ。

 魔法式は人には見えない。ユーコが言っていたことだ。

 あれは結局、どういうことなのだろうか。

 ハリーは杖を振るって魔法式を破壊すると、一瞬で周りの風景が変わる。

 周囲にはハリーが焼き付けたはずの『焼印』がいくつも刻まれていた。きっと幻覚で一か所をぐるぐる歩きながら、周囲の生垣に『焼印』していたのだろう。あまりそのマヌケな光景は想像したくない。

 ともあれ、罠は脱した。何分間引っかかっていたのかはわからないが、先を急ぐしかあるまい。

 

「いや先を急ぎたいんだって」

 

 急いで走って数分後。

 通路を塞ぐように現れたのは、巨大なライオンだった。

 人間の女性の上半身を持ち、どたぷんと揺れるメロンなどという表現では生易しいほどの巨乳のおねえさん。顔もとてつもなく慈愛に満ち溢れた微笑みで満ちている。目の周りに黒いお化粧をしているため、なんとなくエジプトっぽい気がするのはハリーの偏見だろうか。

 アーモンド型の目を細めて、魔法生物《スフィンクス》はハリーに声をかける。

 

「人の子よ、問いかけに答えるならば道を通しましょう。答えぬというのなら無言で去りなさい。謎かけに間違えれば、私は貴女を食べてしまいます」

「ボクタベテモオイシクナイヨ」

「いいえ、とても美味しそうですよ、年若い少女よ。柔らかそうな身体、未成熟ながら大人なお胸、小ぶりなお尻……それに黒髪ショートにくりくりな目。小柄で幼いながらも女性としての魅力を備えた少女の矛盾点……食べてしまいたいほど美しいです」

「これヤバいやつだ」

 

 くねくねと身をくねらせるスフィンクスの姿は、とてもじゃないが見るに堪えないものだった。というかいいのだろうか、なんかアレな意味で変態っぷりに既視感がある。

 ハリーの白けた視線に気付いたのか、スフィンクスはその端正な顔を少し朱に染めて咳ばらいをした。とりあえず中身は阿呆臭いが、言ってることは物騒極まりない。物理的に頂かれるのも性的に喰われるのも御免被る。

 冷酷になれ、ハリー・ポッター。逆に考えるんだ、間違えたら殺してしまえばいいさと。クイズとは最後に立っていた者が勝者だ、解答者がいないなら正解は己のモノだ。

 よし、これで殺ろう。じゃなかった、いこう。

 

「では問題です。じゃじゃん」

「あんた本当に魔法生物か? テレビ見てんじゃないの?」

 

 随分と俗っぽいスフィンクスである。

 ハリーのジト目をものともせず、スフィンクスは鈴の鳴るような声で謎解きを繰り出してきた。

 

「今現在の魔法省大臣の名前は?」

「……それが問題?」

「…………なまえはぁ?」

「……コーネリウス・ファッジ」

「で、す、が! ホグワーツ校長の名前を五人! お答えくださいさぁ走ってスタート!」

 

 てめぇ、と叫びそうになるがそんな余裕はハリーになかった。

 何故なら地面がいきなりスフィンクスの方向へ滑り始め、彼女が口を開けてスタンバイし始めたからだ。全力で走らなければ、ベルトコンベアーのような地面によってお口の中へゴートゥヘルしてしまう。

 全力で足を動かしてスフィンクスのフローラルな香りがする口から逃げながら、ハリーは叫んだ。

 

「アルバス・ダンブルドア! ブライアン・エバラード! ディリス・ダーウェント! アーマンド・ディペット! えーっとえーっと、デクスター・フォーテスキュー!」

「おっ、はやい。お見事です!」

 

 思い出せる限りの校長先生を思い浮かべてハリーは渾身の力を込めて叫ぶ。

 それぞれ現代最強、魔法教育の父、慈愛の癒者、前校長、子供より子供な友達校長として知られている。全て魔法史の授業で習った名前だ。

 そしてスフィンクスが笑顔で正解を唱えると、地面が急に止まり、ハリーはつんのめって顔から転んでしまった。

 恨めし気にスフィンクスを睨みつけると、転んだ時にめくれ上がったスカートの中をじっくり見ていたのでスカートを引っ張って隠す。残念そうな顔をされた。

 

「次の問題です。でっでーん」

「まだあるのか……」

 

 げんなりした顔のハリーを見て、嬉しそうにスフィンクスは言葉をつづる。

 

「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。この生き物は……?」

「問題の続きを」

「チッ!」

 

 二度も同じ手に引っ掛かってたまるものか。

 

「この生き物は人間……で、す、が。誰もが欲しがらないのに皆が買い、買う人間は使わず、使う人間はこれを知らず。これは何か?」

 

 今度は走らなくても済むようで、スフィンクスはにこにこ顔のままハリーを見つめている。

 しかし今回はちょっと分からない。駄洒落系のクイズならまだよかったのに……。

 こういう頭脳労働をだいたいハーマイオニーに任せてきたのが、ついに裏目に出たか。

 数分目を瞑って考えに考え、ハリーは静かに目を見開いた。

 

「棺桶だな。好んで買う奴はいないし、買う人間は生者。そして使う人間は死者だ」

「正解です。……ところでいま何問目!?」

「三問目。はやく通せよ」

「うーん、ギャグが分かっていませんねえ。では最後の問題としましょう」

 

 ため息をつきながらそう言うと、スフィンクスはその場に伏せる。

 そしてそのアーモンド形の瞳を細めて真面目な顔つきになると、ハリーに対して問いかけた。

 

「命の終わりとは何か、答えよ」

 

 冷ややかな目。

 スフィンクスの様子からこれが本当に最後の問いで、そして一番聞きたかったことだというのがわかる。ではどうするべきか。真面目に返すべきだろう。

 ハリーは片眉をあげてスフィンクスを見上げる。

 しかし答えは分かっている、こんな問題は子供騙しだ。ジョークですらある。

 半分笑いながら、ハリーは口を開いた。

 

「……おまえ、それは()()だろ」

 

 そしてその口の端を汚した血を袖で拭いながら、ハリーは言った。

 その言葉を聞いたスフィンクスは、にっこりと嬉しそうに微笑んだ。

 

「正解、お見事です。ハリー・ポッター、よき旅を」

 

 そう言って霧と消えたスフィンクスは、排水溝に吸い込まれる水のようにその姿を消していった。後に残ったのは、次へと続く道。

 最後の最後でくだらない、そしてズルい謎かけをしていったものだ。

 褒美のつもりだろうか。全身から疲れがさっぱり消えてなくなってすっきりしている。ハリーは今までスフィンクスが塞いでいた道を走りだした。

 

「だいぶ時間を取られたな……急がないとマズい気がする」

 

 いくつかの曲がり角を抜けると、少し大きめの広場に出た。

 特に何かあるわけではないが、いきなりこういった開けた場所に出ると不安感を煽られる。早いところここから出てしまおうと脚を動かし始めた、そのとき。

 ハリーが向かおうとした方の道から、二人の影が飛び出してきた。

 

「ローズにブレオ!」

 

 それはハリーが叫んだように、ローズマリー・イェイツとバルドヴィーノ・ブレオの二人だった。どちらも非常に平静を崩した様子であり、汗で髪が濡れている。

 

「ハリー!? やっべぇなんでここに居るんだよ!」

「しまった、巻き込んだかっ。おい、走るんだハリエットちゃん!」

 

 焦った様子の二人は、ハリーとすれ違うその瞬間に腕を組んで持ち上げて走り始めた。小柄で軽いとはいえ、それでも少女一人の体重をこうもたやすく持ち上げるとは驚きだ。魔法を使っているようでもにないのに、えらく力持ちである。

 しかし二人は何から逃げているのかと疑問に思ったハリーは、二人を追いかけてくる何者かを見遣った。

 そして後悔した。

 ハリーたちの身長ほどはある体高を誇るほどに巨大な家庭内害虫が、アゴや肢をわしゃわしゃ動かしながら全力で追いかけてきているからだ。

 

「って、うおおおおおお!? なにあれ!? っていうかまたおまえらか、またおまえらがトラブルをトレインしてきたのか! ぼくを殺す気なんだなそうなんだな!?」

「仕方ねえだろ!? あんなもん来たら逃げるしかねえよ!」

「二人とも落ち着くんだ! おっぱいが揺れて揺れてスゲー眼福でズボンが痛いです!」

「「ぶッ殺すぞ!?」」

 

 三人並んで走りながら、至極どうでもいい話題で盛り上がる。

 一種の現実逃避である。存外に『名前を言ってはいけない例のアレ』が素早く、そして不気味で気持ち悪いというのが大きいのかもしれない。

 アレは家の中のあらゆるものを食す究極の雑食だが、自分たちの身長近く体高があれば余裕で人間も捕食対象だろう。あんなものに食い殺されて人生を終えるなど、最悪にもほどがある。最低だ。

 ブレオが鼻の下を伸ばして胸を凝視してくるが、正直気にしている暇はない。『姿も見たくない例のアレ』を倒してからブチ殺スことにして、いま目下やるべきことはアレの排除だ。

 ハリーは走りながら大きく跳び、空中で体の向きを変えるとそのまま魔法を射出した。

 

「『インペディメンタ』、妨害せよ!」

 

 紫色の魔力反応光は『アレ』の眉間に突き刺さり、ぞわっとくるような悲鳴をあげさせることに成功する。虫特有の外殻が擦れあうような、鳥肌の立つような悲鳴だったためハリーは苦々しい顔つきになる。

 嫌な予感がして着地と同時に方向転換して走りだせば、やはりそれで正解だった。

 

「効いてないぞハリー!」

「二人ともすごいホットだよ! ローズマリーちゃんなんてもう暴れてるよ!? しかもハリエットちゃんこの一年でバスト成長してるよね!? そろそろ可愛い下着がなくなって困るサイズかい!? 嗚呼、ブラーヴォ! ホント英国に来てよかったぁン!」

 

 走り続けながらローズマリーの悲鳴を聞き、ブレオの煩悩塗れの叫びを聞いた。

 さて、全くと言っていいほど『あのアレ』に妨害呪文が効いていなかったが流石にあれはおかしい。魔法的防護の高いドラゴンにすら微量ながら効く呪文だというのに、デカいだけの害虫程度に弾かれるはずはないのだ。明らかにヒトの手が加えられている。

 ついに鼻血を垂らして隠しもせず前屈みになり始めたブレオに『足縛り呪文』をかけて転ばせ囮とし、ハリーとローズマリーは駆け続けた。背後から割とガチな悲鳴が聞こえてきたが、当然聞こえなかったものとする。

 転倒して即座に『足縛り』を解いたのか、相変わらず無駄に高い技量を見せたブレオは汗だくになりながらもハリーたちに追い縋ってきた。どうやら喰われずに済んだらしいが、囮の意味がない。

 

「今のは、マジで、ヤバい」

「いつになく本気のコメントありがとう。もいっちょ囮になってくれない?」

「本当勘弁アレはほんとダメ」

 

 彫りの深い顔立ちをしているため、顔に影がかかって疲労感がよくわかる。

 あれ以上セクハラ発言を繰り返せば本当に餌としてやりたいところだ。

 

「ハリー、どうすんだよアレ!」

「どうするもこうするも、撃退するしかないだろう!?」

「でもでもハリエットちゃんの魔法は効かなかったじゃないか! もう終わりだーっ! たぁすけてぇパードレーッ! マンマーッ!」

 

 嘆く変態は無視して、ハリーはローズマリーとアイコンタクトを取る。

 全力で走りながらなお強く地面を蹴ったローズマリーは一回転するように前方へ跳ぶと、素早く杖を腰から抜いて、地面に向けて魔法を放った。

 

「『フリペンド・ギガント』、ブッ放せッ!」

 

 ローズマリーが構えた杖のすぐ真横に、黒々とした砲身が召喚される。

 同時に黒い弾を射出。それによって穿たれた着弾点が大きく盛り上がったかと思えば、地面が一気に大爆発を起こした。

 土砂が盛り上がって壁のように舞いあがったその瞬間を、ハリーは逃さない。

 既に構えていた杖からは、凝縮されたアイスブルーの魔力反応光が輝いていた。

 

「『グレイシアス』、氷河よ!」

 

 細く輝く魔力反応光が土砂に着弾すると同時、硬質な音を響かせてその土砂すべてが凍りついていた。ちょうど生垣のギリギリ上まで伸びているため、相当な高さに見える。

 氷の壁は土色をしているため向こう側の様子を見ることはできないが、まず間違いなくこちらへやってくることは不可能だろう。

 

「やったね僕のハリエットちゃん! 流石はいギノォゴアァ!?」

「どさくさ紛れにあたしのおっぱい触ろうとしてんじゃねえよ!」

 

 股間を押さえてうずくまったブレオと右脚を振り抜いた体勢で怒鳴るローズマリーを横目で見て、とりあえず危機は去ったと安心するハリー。

 まだ競技中であること、そしてあの凍土の壁がいつまで保つかもわからないことを理由に、三人はそれぞれ別の通路へと歩を進めていった。

 

 しばらく歩き続けると、なにやら金色の靄のようなモノが見えてきた。

 魔法式を視てみれば何のことはない、トラップに引っかかった者に天地が逆さまになる幻覚を与えるだけの魔法だった。そのまま靄の中を突っ切って進むと、ふと上空からスニッチの見た目をした魔法具がこちらへやってきた。

 ハリーの顔の回りをぷんぷん飛び、まるで蜂か何かのようだ。

 よくよく視てみれば、どうやら上空の投影スクリーンに課題の様子を映し出すためのカメラのようなものらしい。言われてみれば、小さいながらもカメラのような意匠をしているような気がしないでもない。ただ言われなければ分からない。

 

「ぴーぃす」

 

 適当に笑顔でピースサインをスニッチ・カメラに向かって行うと、なぜだか空気が震えた気がした。

 万が一野郎どもから歓声があがったとしてもこちらまで届くことはありえないのだが、まあ可愛いは正義ということで。想いのアツさはいつでもどこでも繋がり伝わるのだ。

 観客の男性陣を幾名か大歓喜させてしまったこともつゆ知らず、しばらく歩いていてもスニッチ・カメラはハリーから離れるつもりがないようだ。

 

「……何か来るな」

 

 ハリーが気が付いたのは、正面から向かってくる四足歩行の何かだった。

 どうやらかなり怒り狂っているように見える。うっすらと魔法式が視えるあたり、既にほかの代表選手が手を出してしまったとか、そのあたりかもしれない。

 翼のないドラゴンと言ったら適切だろうか、地上を這うようにしてこちらへ巨大なトカゲが迫ってくる。手足は岩のようにごつごつとしており、全体的に岩がそのままドラゴンと化したような印象がある。

 そのトカゲドラゴンは血走った黄色い目をハリーに向けて、石臼のような歯をずらりと並べて特大の噛みつきをお見舞いしてきた。

 しかしハリーもそのくらいならば避けられないことはない。大きく後ろにステップを踏み、何度もハリーを食い千切ろうとするトカゲドラゴンの噛みつきをひらりひらりと避けていく。焦れたトカゲドラゴンは口を大きく広げてブレスを吐こうとする。

 ブレスのための熱気が高まっていく中、ハリーは即座に杖をトカゲドラゴンの口へ向けて叫んだ。

 

「『ステューピファイ』、麻痺せよ!」

 

 紅色の魔力反応光が口腔へ飛び込んでゆく。

 生物である限り、口の中や目玉、内臓を鍛えることはほぼ不可能に近い。

 どれほど無敵の盾を持っていたとしても、その内側に爆弾が仕掛けられていたらひとたまりもあるまい。盾だけが残り、持ち主は死亡。なんてこともおかしくはないのだ。

 案の定びくんと一瞬だけ痙攣したトカゲドラゴンは、そのまま這いつくばるようにして気を失った。

 それで終わればどれほど楽か。

 失神して倒れ伏すトカゲドラゴンの脇を、巨大な足が踏み付けた。

 

「げっ、マジかよ」

 

 何かと思えば、トロールだ。

 それもかなり性質の悪い、比較的頭のよろしいタイプ。

 動物の皮をなめして作ったらしい鎧を着込み、粗雑な棍棒ではなく分厚い出刃包丁のような刃物を持っている。ヘルムの奥からは、理性を感じさせる目を覗くことができる。

 言語を理解できる程度にはおつむが発達したトロールは、簡素な警備員のような教育を施されて屈強なガード魔ンとして貴重品などの護衛に就くこともある。そういったトロールが、目の前にいるアレだ。

 恐らく目の前に現れた人間を痛めつけろ、とかいう命令でも受けているのだろう。

 実に厄介だ。

 

「『エクスペリアー、うわっ!?」

 

 素早く杖を向けて呪文を唱えるも、どうやら熟練の警備トロールらしい。

 魔法使いが杖を向けてくるということは、すなわち攻撃してくることである、と学んでいるようだ。ハリーが詠唱している間に一跳びで近寄ると、その手に持った鈍刀で斬りかかってきた。

 まだ身体強化をしていないため、あれに当たれば即死だ。無様でも構わないから大慌てでその場から飛び退けば、つい数瞬前までハリーのいた位置には深い亀裂が刻まれていた。

 

「うそぉん」

 

 切れ味の悪いあの鈍刀で、この威力。

 斬り裂くというよりは、ブッ叩いて引き千切ると言った方が正しいか。

 どちらにしろこの威力では、当たれば身体がバラバラになって間違いなく即死だ。今度は横薙ぎに振るうつもりなのか、警備トロールが鈍刀を横向きに寝かせて構えている。

 それを見たハリーは即座に『身体強化』を自身にかけ、トロールに向かって駆け出すと同時にスライディングで潜り抜ける。『身体強化』の恩恵でスピードもバランス感覚も常人を逸している今の状態、スライドした直後に勢いのまま腹に力を入れて体を起こしつつ疾走する体勢に戻ることなど、造作もないのだ。

 いきなり懐に入ってきた小柄な人間を見て、警備トロールが驚いたような顔をする。いま彼の体勢は、重量のある鈍刀を振り切って腕が伸びた体勢。超至近距離にいるハリーを害するには、あまりに姿勢が悪すぎた。

 そしてハリーという少女を相手に、それだけの隙は致命的である。

 

「『フリペンド』、撃て!」

 

 ハリーの撃ちだした魔力反応光は、一直線にトロールの眼球へと向かってゆく。

 魔法使いが攻撃してきたら、まず頭か心臓を守れ。これがこの警備トロールに下されている命令のひとつである。これは一撃で殺されてしまうことを防ぐためのものだ。

 調教師の教えの通り、自らの顔の前で両腕をクロスして魔力反応光から逃れようとした。

 結果は、失敗だった。

 ハリーの放った『射出呪文』は貫通力を大幅にあげられており、防御のため重ねられた腕ごとトロールの被っていたヘルムを吹き飛ばしたのだった。

 

「ブォォオオオオ――ッ!?」

「おまえのような奴でも、悲鳴はあげるんだな」

 

 自身が放った悲鳴のあとに、蔑むような、怒ったような声が聞こえる。

 眼前で光り輝く、美しい何かを目にした警備トロールは思った。

 眩しくて見えない。警備トロールが最後に考えたのは、そんな単純なことだった。

 

「……よし、倒した」

 

 そう言って一息ついて、倒れ伏したトロールの上に立つのはハリーだった。

 終わってみれば、戦闘時間が五分にも満たないだろう短い時間だ。

 眉間を撃ち抜いて邪魔な物(ヘルム)を剥ぎ取ったあと、思い切りどついて意識を奪った。彼に対して行ったことは、要するにそれだけ。コツらしいコツといえば、その攻撃のひとつひとつには膨大な魔力を込めていたというだけだろうか。

 さて、道を急がねば。

 次はいったい何が出てくるのか、少し怖くもあるしちょっぴり楽しみでもある。

 しかしハリーの意識は、突然耳に飛び込んできた悲鳴によって一瞬だけ凍りついた。

 いまの甲高い声は……フラーのものだ。

 

「……何かに襲われたか?」

 

 悲鳴をあげるような要素は、この迷路には大量に存在する。

 先のトロール然り、スフィンクス然り。一手間違えればあっさりとオダブツできるような障害物ばかりだった。それらのどれかに襲われ、悲鳴をあげたのだとしたら納得だ。

 競技のルール上は何ら問題ないことである。

 力不足である方が悪いのだ。

 

「……。……ああ、もう!」

 

 しかし、こんなもの理屈ではない。

 第三の課題以降、事あるごとに自分に纏わりつきながら「アリー、アリー」と笑顔でじゃれついてくるフラーの笑顔を思い出すと、見捨てるという選択肢を選ぶことはできなかった。

 『身体強化魔法』へ再び魔力を供給して活性化させると、フラーの悲鳴が聞こえてきた方へと風のように駆け出した。

 途中で恐らくまね妖怪ボガートであろう吸魂鬼(ディメンター)とすれ違うが、それがこちらへ反応を示す前に駆け抜ける。相手にするだけ時間の無駄だ。姿勢を低く、一歩一歩が三メートルを超えるような歩幅で疾駆して、見つけたのは恐らくフラーが悲鳴をあげたまさにその場所。

 周囲の生垣や地面が大きく抉れており、戦闘の跡が見て取れる。フラー自身の姿は見当たらない。

 いや、待て。生垣の下になにかあると思い視線を向けてみれば、何かのツタ植物に絡みつかれて取り込まれようとしている彼女を見つけたではないか。

 

「『ディフィンド』ォ!」

 

 駆け寄りながら『切断呪文』を放ち、フラーに絡みつくツタを除去してゆく。

 生垣から伸びるツタは次々とフラーに巻き付いてまるで捕食しようとしているかのようで、ハリーはゾッとする。完全に吸い込まれたら、どうなるんだ?

 ハリーはかつてプライマリースクールの図書室で読んだことのある、食虫植物の図鑑を思い出して身震いした。『身体強化』の影響で、フラーの体を締め付けるツタも素手で引き千切ることができる。

 もはや面倒なことはせず、力任せにフラーの身体を引っ張って蔦から解放することにした。彼女を絞め殺すほどに力が強いわけではないので、腕を引っ張って関節が外れるような心配はない。ゆえにハリーは彼女の脇の下から腕を通すとがっちりと手を組み、力任せに引っ張った。

 『身体強化』の効果が切れる頃、まるで大根のように生垣の拘束から抜くことのできたフラーは、明らかに意識がなかった。彼女の首筋と口元に手を当て、生死を確認する。……素人診断ではあるが、気絶しているだけだろう。

 気を失った状態の彼女を放置しておくわけにはいかない。彼女の身体を視てみれば、微かに魔法式の残滓が見受けられた。

 

「……クソッ、マジかよ。『まともじゃない』な……」

 

 そうなるとフラーは、魔法生物による攻撃で倒れたわけではない。

 同じ魔法使いの仕業。

 つまり、代表選手の誰かが彼女をやったということに他ならなかった。

 魔法式はもはや完全に崩れていて、何の呪文でやられたのかをうかがい知ることはできない。しかし『失神魔法』の反対呪文である『蘇生魔法』でも目を覚まさないあたり、尋常な方法ではないようだ。

 

「恨むなよ」

 

 一言だけそう言い残し、ハリーは彼女が握り締めていた手から杖を取ると、上空へ向けて赤い花火を発射した。ぱ、ぱ、と軽い音と共に光が弾ける。これでフラーはリザインを示したことになり、この迷路から脱出できるはずだ。

 危険生物がうようよしているこの迷路で、気を失った女性を一人放置しておくというのはあまりにも愚策。ハリーにはそこまで冷酷になる覚悟はできなかった。

 

「って、うわっ、マジか!?」

 

 ハリーは突然左右から迫ってきた生垣に驚き、思わず駆け出す。左右の壁には一面に転移の魔法式が走っている。恐らくこれで挟んだ人間を、書かれている位置情報の場所まで飛ばすのだろう。

 脱出手段はどんなものなのか聞いていなかったが、まさかこんな乱暴なやり方だとは。

 このままではスタート地点かどこかに跳ばされてしまうと判断したハリーは、全力で生垣の間を駆け抜ける。

 

「っぶは!?」

 

 間一髪。

 咄嗟に地を蹴って飛び出したのと、生垣が完全に閉じたのはほとんど同時だった。無理矢理跳んだために背中から別の生垣に突っ込み、ずるずると頭から地に落ちる。

 スカートが完全にめくれあがってあられもない姿になっているが、スパッツは偉大だ。

 両手を地面について逆立ちすると、そのまま体を捻って立ち上がる。無駄にアクロバティックな起き上がり方をしたのも、身体の調子を確かめるためだ。

 今のままでも、つまり魔法が特になくともこれくらいの動きは可能。『身体強化』が付与されていればなおさらだ。身体の調子に問題はなしとする。

 いまの無茶な動きで痛めたところもないようなので、ハリーはそのまま歩を進めることにした。ただし今度からは、杖は構えたままでの慎重な移動に変える。フラーが誰に襲われたにせよ、襲った人間はいまこの迷路に潜んでいる可能性が非常に高い。

 そこではたと気付く。フラーについていたスニッチ・カメラは、その一部始終を見ていたのではないだろうか?

 すぐそばでホバリングする己のスニッチを見上げるも、なにやら色がくすんで元気もない気がする。魔法式を視たところ何も視えなかったことから、このカメラ単体ではなくこれらを操っている大元に何か妨害があったと考えるべきだろう。今頃選手たちの映像が映らずに大騒ぎだろうか。

 ハリーを除いた代表選手たち残り五人、もしくは上空を箒で飛んでいるだろう審判員。

 疑うべきはこの五名以上。

 一応、ハリー自身は除外しておく。先日かけられた『服従の呪文』を内包した『錯乱の呪文』を懸念して魔法的に精密な検査を受けたからだ。

 かのハリー・ポッターに『服従の呪文』をかける人間などいるはずがない、というのが検査に立ち会った魔法大臣コーネリウス・ファッジの言葉だ。それはどうかと思うが、マダム・ポンフリーによる検査結果でも、今現在ハリーの体内に呪いがかけられている痕跡はないとのことだ。ゆえに候補からは除外していいだろう。

 不意打ちされたとしても対応できるように、気を張りながら走る。

 この先は丁字路だ。左右どちらかで待ち伏せされてもいいように警戒し、生垣に背を付けてちらりと顔を出すと同時、ハリーは息を呑んだ。

 

「――ッ!?」

 

 目の前にクラムの顔が飛び出してきたのだ。

 偶然か故意かはわからないが、ハリーが向こうを覗くと同時にあちらも顔を出してきたのだ。鼻と鼻がくっつきそうなほどの至近距離で、ハリーはクラムの目を見た。

 濁っている。

 こんなにも目の前に居るのに、彼は少しも驚いた様子がない。

 淡い光を漂わせ、明らかにハリーのことを見ていないのがわかった。

 

「く、クラム……?」

 

 縋るような情けない声が出た。

 思わずクラムの頬に手を添えるも、ぴくりとも動いてくれない。

 ――『服従の呪文』だ。

 ついこの前クラウチ氏の目を見たばかりだ、間違えることはない。

 ハッと気づいてクラムに杖を向けるのと、背後から叫び声が聞こえるのは同時だった。

 

「ハリー、伏せるんだ!」

 

 セドリックの声だと判別したのが先か、その指示に従った方がいいと感じたのが先か。ハリーは猫が伏せるように素早くその場に身を屈めると、その頭上を魔力反応光らしき光が通り過ぎてゆくのを視界の端に見つける。

 その魔力反応光が直撃したクラムが吹き飛んでゆくのを見て、ハリーは急いで振り返る。

 杖を構えたセドリックが、こちらへ駆け寄ってくるところだった。

 

「セドリック!?」

「退くんだハリーッ」

 

 上体を起こしたハリーを押しのけ、セドリックはクラムの杖腕を踏みつける。

 尻餅をついたハリーは、憤怒の表情に染まったセドリックを呆然と眺めていた。そして彼がその杖先をクラムの心臓に向けたところで、ハリーは青褪めて叫ぶ。

 

「だめだ! やめるんだ、セドリック!」

 

 ハリーの叫び声にぴくりともしないセドリックの腕に縋り付く。

 彼に杖を向けるわけにはいかないと思ってその行動をとったのだが、激昂したセドリックはハリーを振り払う。『身体強化』の恩恵を受けていない今、男女の腕力差は埋まらない。ハリーは軽々と放り出されてしまい、そのままセドリックが自分の上に跨って仁王立ちすることを許してしまった。

 

「せ、セドリック……」

「ハリーィ! 邪魔をするなら君だって!」

 

 極度の興奮状態で、冷静に判断ができているとは言い難い。

 このままでは、興奮しすぎたセドリックがハリーに対して呪いをかけることも十分に有りえると判断する。いくら親しい友とはいえ、それは困る。

 ハリーは冷酷になる覚悟を決め、右脚を思い切り振り上げた。

 

「ごぁばうじゃばあ!?」

 

 セドリックの暴れ玉(ブラッジャー)がハリーによって鎮圧され、力なく崩れ落ちる。

 股座を抑えて蹲っていたセドリックを助け起こし、ハリーは溜め息を吐いた。

 生まれたての小鹿のように震えるセドリックに向けて、ハリーはつい先日習得したばかりの呪文を唱える。

 

「『ケルタ・コグニーティオ』、正気に戻れ」

 

 かなりの集中が必要だったが、うまく発動出来たようだ。すると表情を憤怒に染めていたセドリックが、急に憑き物が落ちたような顔つきに変わった。

 目を丸く見開き、自分の手に持った杖とクラムを見比べ、そしてハリーの呆れた顔をみてさっと顔を青褪めさせた。興奮のあまり正気を失っていると思い試したのだが、どうやら呪文が効いてくれたようだ。

 

「は、ハリー……僕はなんてことを……」

「大丈夫だよセドリック。よくあることさ、よくあることだ」

 

 きっとクラムに杖を向けたあの時、セドリックは彼を殺害することを考えていたのかもしれない。その気持ちはよくわかる。ハリーもクィレルを殺すと決めた時は、恐ろしく冷たい気分になったことを今でもはっきりと思い出すことができる。

 まるでいつもの自分を引き裂いて、もう一人の残酷なハリー・ポッターを練り上げたような、気持ち悪くも奇妙な感覚。セドリックは先ほど、自分を引き裂く直前だったのだ。

 さぞ気分が悪い事だろう。

 

「すまない、ハリー。すまない……僕はどうかしていた……」

「これだけ閉所で緊迫感のあるところなんだ、人が変わってもおかしくないよ」

「ああ、すまない……」

 

 すっかりしょげてしまったセドリックを見て、ハリーは彼への評価を改める。

 優しく勇敢で、紳士的で完璧な青年だと思っていたが案外脆いところがあるようだ。予想外の展開に弱いというか、どうも自分の主義に反したことを行ってしまったことへのショックが大きいようだ。

 年相応に少年らしいところがあるものだ、とハリーは十四歳のくせに達観した事を考えていた。

 

「とりあえず進もう、セドリック。競技はまだ続いているぞ」

「あ、ああ……」

 

 ぽん、と優しく彼の背中を叩けば、セドリックは小さく頷いた。

 そして通路の向こうへと指を差す。

 

「ハリー。優勝杯は、あの先だ」

 

 瞬間、ハリーは驚いてセドリックの顔を凝視する。

 そんな顔をされて、セドリックは苦々しげに笑っていた。

 

「クラムとは優勝杯へ至る通路でばったり出会ってね、それで争いになったんだ」

「いや、いやちょっと待てよセドリック。どうしてぼくに教えた?」

 

 ハリーが眉を寄せて問いかける。

 その表情は怒りのそれだ。

 セドリックが彼女の感情に気付き、少し眉尻を下げて言う。

 

「僕にはもう優勝する資格がなくなった。他者の命を奪ってまで優勝杯を狙おうとしてしまった僕には、あのカップはふさわしくない。みんなが応援している僕はそうではないはずだ」

「……アー、君はついさっきぼくを助けてくれたじゃないか。振り払ったことならそれでチャラになるんじゃないの?」

「いや。そういう問題じゃないんだ」

 

 ここでハリーは、成程、と合点がいった。

 セドリック・ディゴリーという青年は、高潔な男として知られている。

 ハリーが愛箒の《クリーンスイープ七号》を失った時も自分の箒を貸し出そうとして、優秀で厄介なシーカーであるハリーが潰れるチャンスを不意にしようとしたためチームメイトに止められていたほどだ。

 この件からわかるように彼は、融通の利かない頑固者なのである。

 これにはハリーも困った。

 ハリーとしてはここでセドリックと正々堂々と勝負し、そのうえで彼に打ち勝って気持ちよく優勝杯を掲げたいのだ。このように譲ってもらった優勝など、何の価値もないし腹立たしい限りだ。

 それをセドリックも分かっているのか、いつものハンサムな笑顔も冴えていない。

 

「セドリック。本当は君だって優勝したいと思ってるんだろう」

「……でも、」

「デモもストもない。それに君は紳士的すぎる。もっとワガママになろうよ」

 

 ハリーとしては、セドリックはよきライバルなのだ。

 異性として好意を寄せられていることは知っているが、それでもこの気持ちに嘘はつけない。クィディッチのとき然り、この対抗試合での課題然り。実力が近いせいか、競っていてとても楽しいのだ。

 それはきっと、向こうも同じはずだ。

 デートやキスだってしたいが、それと同じくらい今を楽しんでくれているはず。

 そんな気持ちを、罪悪感という意地で踏みつぶしてほしくないのだ。

 そこでハリーは、ぴ、と人差し指を立てた。

 セドリックが片眉をあげて、こちらを向いたのを確認する。

 ハリーはまさに名案だというように、にっと笑って、

 

「わかったよ。じゃあ――」

 

 提案を言おうとして、それは叶わなかった。

 空気の塊がハリーの背中に叩き付けられ、その軽い身体が吹き飛んだ。

 みしみしと、木の枝を曲げるときのような嫌な音が身体の内側から聞こえてくる。生垣に叩き付けられたところでそこまでダメージはないものの、背中に痛みが走る。感覚としては骨に異常は感じられないが、それでもここに痛みを感じるのはまずい。

 追撃の空気弾がハリーの体を地面に叩き落とすその直前。『身体強化』で超人染みた身体能力を手に入れたハリーは、猫のように両手両足で地面に着地することで衝撃を逃がす。

 

「セドリック!」

 

 この場でハリーが襲撃を受けたということは、彼も襲われたとしておかしくはない。

 警告のために一声叫んだが、どうやら遅かったようだ。

 ゆっくりと地に倒れ伏すセドリックの傍には、杖を持ったまま項垂れる一人の青年がいる。

 警戒のために杖先を向けるも、それに対する反応は見られない。

 ハリーが無言呪文で杖先に明かりを灯して顔にかかる影を取り払えば、そこにいた人物にハリーは息を呑む。すらりとしたスタイルのいい肉体、黒い髪、黒い瞳。結ばれたポニーテールが揺れている。

 木刀型の杖を揺らし、黒く暗い瞳を向けてきたその男は。

 

「……正気か、ソウジロー」

 

 日本魔法学校、不知火の代表選手。

 ソウジロー・フジワラが、こちらをじっと見つめていた。

 ハリーの一挙手一投足を舐め回すように眺め、まるで品定めしているかのように見える。

 手に持ってぶら下げている刀杖からは、僅かになにか水が滴っている。いや、あれは血か。恐らくセドリックの頭でも殴りつけたのだろう。

 『身体強化』の恩恵で底上げされた視力が、彼の身体に異様な配列の魔法式を視る。

 まるでムーディが使った『服従の呪文』と似たような魔法式だが、所々が明らかに違っている。ひょっとするとこれは、ハリーがかけられていた『錯乱の呪文』と同じものかもしれない。

 

「ッお、おいおい……嘘だと言ってくれよ……」

 

 クラムが術にかかっていた以上、他の選手も操られていないとは限らない。それは分かっていたのだが、どうもわかっていたつもりだけだったようだ。

 迷路の中にあって小部屋のようになっているこの場所へ続く通路は、合計で三つある。いまハリーがソウジローの姿を認められる北側。そしてハリーの左右にある西と東。

 右手側からは、ローズマリーとブレオが静かな足取りでこちらへ近づいてくる。

 左手側からは、ハリーが棄権させたはずのフラーが起き上がったクラムと共にいる。

 淡く輝く五対の瞳は、そのすべてがハリーへ突き刺すような視線を送っている。

 そして彼らはおもむろに懐やズボンに手を突っ込むと、中から髑髏をあしらった仮面を取り出してその顔に装着する。髑髏の目出し穴から淡い光が漏れる様は、あまりに不気味すぎる。

 あれは死喰い人の面だ。

 

「……冗談キツいぞ」

 

 ハリーが引き攣った顔で言った言葉に返事はなかった。

 その代わりに、髑髏の面で表情を隠した五人は一瞬でその殺意を膨張させる。

 木刀型の杖を八相の構えに持つソウジロー、猛禽類をあしらった杖を肩より上に構えるクラム、拳銃型の杖をくるくると回すローズマリー、赤いマントをなびかせ半身で杖を突き出すブレオ、半鳥人化して鋭い爪と杖を向けるフラー。

 その全員がハリーに杖先を向け、叫んだ。

 

「「「『エクスペリアームス』!」」」

「ッ!」

 

 咄嗟に横に跳べば、一瞬前までハリーの居た場所が魔力反応光で鮮やかな赤に染まる。

 跳んでいる最中、宙に居ながらにして周囲に視線を向けていたのが幸いした。ハリーの着地時を狙って、一気に距離を詰めてきたフラーとソウジローが、それぞれ爪と刀杖を振るってきたのだ。

 着地と同時に足を曲げ、後頭部が地面に擦れるほど上体を反らす。二つの凶器が空振りしたのを見届け、ハリーは腹筋に力を入れて無理矢理に体を起こした。

 勢いよく起き上がったハリーは、ソウジローとフラーの顔を思い切り掴んで二人の体勢を少し崩すと、地面に向かって叩き付けるように突き飛ばす。

 フラーは上手く倒れ顔面を打ってくれたが、ソウジローは新体操のように両手を地に突き、ハリーに突き飛ばされた勢いすら利用して、逆立ちの要領で足を振り上げてハリーの胸を蹴り上げる。

 息の詰まるような攻撃に対してもハリーは隙を見せない。胸に突き刺すように叩き付けられたソウジローの脚が離れる前に掴み取り、増強されたパワー任せに振り回してこちらに杖を向けているローズマリー目掛けて投げ飛ばした。

 高速で飛来してくる人体という、大きすぎる弾に直撃したローズマリーはもんどりうって倒れてしまう。その隙に呪文をかけてきたのはクラムだ。

 

「『アエテルニタス・ファルサ』、凍てつく闇よ!」

「『プロテゴ』ォ!」

 

 闇のように暗い色をした吹雪が、クラムの杖先から噴き出す。

 ハリーは盾の呪文で形成する盾を傘状にして周囲に散らすことで、その衝撃を逃がす。あの雪粒のひとつひとつに膨大な呪いが込められているのが視てとれた。

 なんと恐ろしい呪文か。ダームストラング専門学校では闇の魔術をすすんで教えているとのことだったが、ここまで凶悪なモノまで教える必要はないだろう。

 

「『フリペンド・ガトリング』ッ!」

「やっべ!?」

 

 魔力で形成した盾がガリガリという音とともに派手に崩れてゆく。

 ローズマリーによる連射魔法。彼女はこの五人において、もっとも火力と制圧力の高い魔女だ。魔力を固めて飛ばすという単純明快にして限りなく戦闘向きに磨かれた『射撃魔法』を得意とし、それを基本としてあらゆる応用魔法を習得している。

 いまハリーの盾を削っているのもその一つだ。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、塵も積もれば山となる。弾丸となる魔力反応光の形状を槍のように貫通力の高いモノに変えた『射撃魔法(フリペンド)』を何度も何度も撃ちこむことで、大抵の物理的・魔法的防御を紙切れ同然のように噛み砕いて吹き飛ばす魔法だ。

 現にハリーも全力で飛びのかなければ、目の前で砕け散った盾と同じ運命を辿ることになっていた。ゴロゴロと転がって衝撃を逃がし、追撃してきたクラムを『突風魔法』で吹き飛ばしながらハリーは思う。

 まず仕留めるべきはローズマリーだ。

 マクゴナガルが使った正気を取り戻す魔法は、戦闘中に使うには集中力が足りなさすぎる。それにあれは消費魔力も膨大だ。いくら戦えるようにと鍛えて先程セドリックで成功しているハリーでも、覚えたばかりの魔法を戦闘中という集中力を失い続ける場面でうまく使うことなどできようはずもない。

 故にローズマリーには、ここでリタイアしてもらう。

 マダム・ポンフリーがいれば生き返るから大丈夫だ……とまでは言わないまでも、腕の二本や三本を吹き飛ばしたとして、無事に元に戻せるだろう。一日で骨を生やせるくらいなのだから、それくらいは余裕だ。

 問題は、友人の腕を吹き飛ばす罪悪感と躊躇い。

 それを捨てて冷酷に徹さねば。

 

「恨むなよローズ! 『フリペンド・ランケア』!」

 

 全力で駆けながら、ハリーは杖を振るって紅い槍を造りだしつつ射出してゆく。

 幾つかはローズマリーの放つ大量の弾丸に粉砕されてしまうが、そのうちの一本が狙い通り彼女の太ももに突き刺さる。

 苦悶の声をあげる様に罪悪感を抱いてしまうが、ハリーを殺した後に正気に戻った彼女がどれほど苦悩するだろうと思えば安いものだ。一生そんな思いを抱かせるくらいならば、ずっと恨まれた方が余程いい。

 槍が刺さった太ももの痛みに膝を折ったローズマリーの元へ、ハリーは身を低くして駆ける。ひとまず斬り落とすは両腕。杖が握れなければ魔法は使えない。

 

「『ラミナ・ノワークラ』、刃よ!」

 

 ハリーの右手に握られた杖の周囲に、白銀の魔力反応光が集束する。

 それはハリーの二の腕ほどの長さまで伸び、平たく鋭く形を整えた。

 まさに短刀である。

 自分の心に、冷たくどろりとした粘着質の何かが流れ込むのを感じる。

 ローズマリーが杖を構えて、マシンガンのように『射撃魔法』を乱射した。

 ハリーの構える短刀は、自動でそれら全てを切り払う。ハリーとシリウスが考案したこの『短刀魔法』には、飛来物を叩き落とす魔法式を組み込んでいる。近接武器としてはソウジローら日本の魔法使いたちが使う『刀魔法』には大分劣るが、防御面ではろくに刀剣の扱いを知らないハリーでもなんとかなるほどのものだと自負できるものだ。

 刃渡りは短く、剣と打ち合えばパワー負けしてしまう、近接格闘用の魔法としてはお粗末な魔法。

 しかし人体を切り裂くだけならば、これで十分。

 視界の隅に、フラーとクラムが杖先に赤い魔力反応光を集めているのが見える。『失神呪文』だ。ローズマリーの腕を切り落としたあと、彼女自身の体を盾にすれば十分防げるタイミングだ。それに

 ハリーの振るった刃は、蛇のように弧を描いてローズマリーの左手首に迫る。

 まるでスローモーションのような時間の流れの中、白銀の刃がまずローズマリーの白い肌に触れる。そして皮を破り、ぷつりと裂く。そうして皮膚を割ると、次に肉へと刃が侵入してゆく。

 そのまま振り抜けばローズマリーは左手を失うだろう、というところでハリーは目の前が真っ赤に染まったことに驚き一瞬だけ肩を震わせた。

 

「ぐッ、お……ッ!?」

 

 腹が痛い。

 気が付くとハリーはブレオの目の前に移動しており、彼の振り抜いた爪先が脇腹に突き刺さっていた。眼前が赤く染まった瞬間から、ノータイムでこの状況。

 何が起きた?

 魔法戦闘において、知識とはつまり手札の数に値する。

 銃創ができたので、銃で撃たれた。切り傷が出来たので、ナイフで切られた。

 マグル流の……つまり魔法を使わない戦闘では、プロセスと結果が繋がっている。ゆえに刃物で斬りかかってくる者には遠距離から撃つといった具合に、即座に解決方法を導き出すことができる。

 しかし魔法を用いた戦闘ではそうもいかない。棒きれを向けられて意味不明な言葉を呟かれると死ぬ。なるほど意味が分からないだろう。

 ゆえに魔法使いたちにとっては、知識はそのまま戦力へとなるのだ。

 だからこそ、今の状況はハリーにとってはかなり危ない。

 ブレオに何をされたのか、全く分からないからだ。

 

「チッ! 『ペトリフィカストタルス』、石になれ!」

「『プロテゴ・アリエヌム』、逸らせ!」

 

 ハリーの放った魔力反応光が、ブレオの直前で逸れて生垣にぶつかる。

 違う、今の魔法ではない。さっき使われたと思わしき魔法とは違う。

 無言呪文を用いたハリーは、自身の両肩あたりに紅槍を出現させる。飛び掛かろうとしていたフラーへの牽制にはなったようで、一瞬だけ彼女の動きが止まった。その隙を見逃す手はない。

 素早く杖先を向けて『武装解除』を放つも、先ほどの盾で防がれてしまう。そうだ、そうするしかないだろう、だがそれも狙い通りだ。ぎりり、と雑巾を絞るように両肩の紅槍を捩じり、貫通力を高める。そしてドリルよろしく高速で回転させて射出した。

 盾を易々と突き破るほどの威力を込めているため、余程のことがなければ、今防いだばかりのあの体勢で直後に飛来する二本の槍を同時に防ぐ術はないだろう。

 

「ふッ!」

 

 しかしブレオが羽織っていた紅いマントを翻すと、まるで砂絵を吹き消したかのように紅槍が消え去ってしまった。まるで闘牛士のような行いである。

 目を見開いて驚く暇も有らばこそ、そのマントの下からは牛の角を模った短刀がギラリと光る刃をこちらへ向けているのをハリーは見た。ぎょっとしてその場から急いで駆け出す。

 柄を取り付けていないナイフの刃、と称するのが一番分りやすいだろうか。刃の雨が空気を切り裂く回転音をなびかせて、一瞬前までハリーがいた場所を次々と串刺しにしてゆく。

 

「くっそ! 無茶苦茶だ!」

 

 明らかに今までと実力が違う。

 ローズマリーの腕は確実に切り落としたと思ったが、あんな程度では紙で切ったほうがまだ傷が深い。舐めていれば治ってしまうようなレベルだろう。

 こいつら全員、最後の課題まで実力を隠していたのか。

 それがこの最後のステージという本気を出しても構わない場面になってようやく、その全力を現した。決して舐めていたつもりではないのだが、それでも慢心があったのは確かだ。おまえらは命懸けで戦ったことがあるのか、というくだらない慢心が。

 それに、奴だ。

 奴だけはこの場でなんとかしないといけない。

 

「『ラミナ・ムネチカ』、縮地斬り」

「『ラミナ・ノワークラ』ッ!」

 

 ソウジローが十メートルほど離れた遠方で、なにか呪文を唱えたのが耳に入ると同時に自動迎撃魔法式が組み込まれた『短刀魔法』を起動する。果たしてその選択は正解であった。

 短刀と化したハリーの杖が急激に動くと同時、ソウジローの刀杖から伸びてきた白い光刃を弾いた。魔法式が視えづらいものの、ただ刃が伸びるだけの式であるようだ。

 つまり、ハリーを狙って刃を振るっているのは、偏にソウジロー自身の技量によってのみ。

 ソウジローが刀杖を振るうと、まるで鞭のように刃が閃く。彼我の距離と同じ十メートル程もの刃が波打ち、クラムやローズマリーに当たらぬよう彼らの隙間をすり抜けてハリーだけを蛇の如く狙ってくる。

 そこでハリーは、魔法を撃つために残しておいた魔力を『身体強化』の方へ流し込む。更に重力から解き放たれた感覚と共に、飛び掛かってきたフラーの肢を掴んで振り回すと、こちらに杖を向けていたローズマリーに投げつけダンゴにして吹き飛ばす。

 空いた二人分の空間で身を低くして駆け抜けると、すぐ頭上をソウジローの刃が通って髪の毛を幾本か引きちぎられた。止まってはただのカカシになる。動きを止めてはいけない。

 思い描くは、最悪の豚(ダドリー)の姿。

 今までハリーの心や手足を何度ともなくへし折ってきた男が、危険すぎるからと父親に諭されてその一度のみしかハリーに仕掛けてこなかった技を思い出す。あの極悪な技を自分がかけられるとなると絶望的な気持ちになるが、それをこれから相手にかけるのだ。どうなるかは体験談としてよくわかっている。

 

「『ラミナ・トンボキ――」

「させるかあッ!」

 

 ハリーが頻繁に使う紅槍の魔法と似たような魔法式が、ソウジローの刀杖にまとわれる。

 と同時、ハリーはソウジローの眼前まで駆け抜けてその首に飛びかかった。

 前転のように縦に回転して飛び掛かれば、当然両脚がソウジローに襲いかかる。咄嗟に刀杖で受け止めようとしたソウジローの動きを『身体強化』によって強化された動体視力によって見抜き、刀杖をすり抜けるようにソウジローの両肩に踵落としを決めた。

 肩の骨や鎖骨が粉砕される音と、ソウジローの呻き声が響く。刀杖を取り落したのを見ても、ハリーに動揺はない。両脚を曲げて自分の脚にソウジローの頭を挟む。

 

「ッ、そぉら!」

 

 彼の頭を太ももで挟んだまま地面に向かって落ちる上半身をコントロールし、うまく両手を地面につく。そして腹筋や脚に力を込めて、『身体強化』をフルに活用して身体が回転する勢いに任せてソウジローの身体を持ち上げると、その脳天を地面に向かって叩き付けた。

 嫌な音が響くも、彼らが攻撃の手を緩めることはない。

 クラムの放ってきた魔力反応光を『麻痺呪文』と判断して、脳震盪を起こしてふらついているソウジローの身体を盾にして受け止める。途端彼の身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちたので、呪文内容は合っていたのだろう。

 もっと別の殺傷力の高い呪文だったら殺してしまったかもしれないという考えが浮かばないほど一瞬で判断したため、失神する程度で済んで本当によかった。

 気を失い力の抜けたソウジローの身体を突き飛ばして、襲いかかろうとしていたフラーを吹き飛ばす。そして振り返りざまに『武装解除』を放つ。紅い閃光はこちらに向かって杖を振り上げていたブレオの胸に命中し、威力調節をする暇がなかったため余剰魔力でかなり大きく吹き飛ばされてしまう。

 杖を取り落して地面を何度かバウンドしながら生垣に突っ込んだブレオは、それきりぴくりとも動かなくなる。一瞬、彼らのうちに動揺が走った。それをハリーは好機と見て、そして同時に哀しそうな顔をした。

 

「『ステューピファイ』!」

 

 フラーの爪に頬を浅く裂かれながらも、ゼロ距離で彼女の胸に『麻痺呪文』を叩きこむ。突き飛ばされたようにふらついた彼女は、そのまま白目をむいて崩れ落ちた。

 残りはローズマリーとクラム、再起した場合はブレオもだ。

 

「『ルプス・レギオニス』、飢狼の群れよ!」

 

 クラムが叫ぶと同時、地面が盛り上がって五頭ほどの狼が現れた。

 低く威嚇する唸り声を漏らしながらハリーを睨みつけるその眼光は、まさに野生の光が宿っている。土で造られた体の中から、闇のような光が漏れ出している。

 魔法式が高度すぎてハリーには理解できなかったが、あれで土を動かしているのだろう。

 

「『オパグノ』、襲え!」

「『ラミナ・ノワークラ』、刃よ!」

 

 クラムの襲撃呪文に対して、短刀呪文で迎撃する。

 同時に襲い掛かってきた二頭の狼が振るう爪を身を反らすことで避け、一頭の首筋に刃を突き入れる。そのまま体重を乗せて首を掻き切ると、まるで大量の血液のように闇が溢れだした。それを踊るように避けながら、ハリーを裂けずに着地したもう一頭の狼に飛び掛かる。

 身を反転してこちらに牙を剥くものの、ハリーの突きだした短刀が脳天を差し穿つほうが速かった。奇妙な声を漏らした狼の横をすり抜けるように駆け、頭部を二つに割った。同じく闇がこぼれおちた。

 短刀と化した杖を振り切った体勢のところへ、三匹目以降の三頭が襲い掛かる。それぞれ脚、首、胴体へ視線が向いて狙っているのを見切る。おまけに視界の隅では、クラムがなにか魔力を練り上げ次の呪文の準備をしていたようだ。

 まず一頭を無言呪文で放った紅槍で貫き、地面に縫い付ける。元が闇と土で出来ているため生きていはいないが、脳天を狙ったために即死。行動不能に追いやった。

 その槍に手をかけ、身体強化で跳ね上がった脚力に任せて鉄棒のように回転、そのまま勢いづけた爪先を狼の横っ腹に突き刺す。

 ぎゃいん、と悲しげな声をあげて真っ二つに裂かれた狼の肉片となる土くれを、最後の一匹に直撃させて怯ませる。そしてハリーは自分が軸にしていた槍を引き抜き、そのまま力任せに投擲。大口を開いてハリーに噛みつこうとしていた最後の一匹の口中に投げ入れ、串刺しにして吹き飛ばした。

 

「『アルボス・グラナトゥム・クレスクント』、呑み込め魔の森!」

 

 ハリーが槍を投げ終えて身を低くした体勢でクラムを見れば、ちょうど呪文を唱え終えたあとだった。ち、と小さく舌打ちしてしまう。狼に時間をかけすぎた。

 足元の地面が盛り上がったかと思えば、巨大な木が飛び出してくる。ぎりぎりで避けたものの、すれすれだったために木の肌によって腹の部分のインナーが破かれる。

 追撃しようとするものの、クラムが杖を振るうと直系一メートルはある木の幹から次々と枝が飛び出してくる。枝から更に枝が、そしてその枝から更に枝が突き出してハリーを刺し穿とうと迫ってきた。

 

「く、う……ッ」

 

 そのうちの一本が、左肩を掠めて肉を削っていった。

 熱い痛みを感じながら、ハリーは全力でクラムに向かって駆け出す。

 魔樹の操作に力を注いでいるのか、クラムはこちらへ杖を向けてこない。

 となれば問題はローズマリー。彼女は彼女で魔力を練り上げているため、援護は期待できないだろう。クラムはより杖を力強く振るって、魔樹の側面からさらに大量の枝を喚びだす。

 クラムまであと数メートル、といったところでハリーは叫んだ。

 

「『グラヴィス』、壁抜け!」

 

 ユーコが使った、壁をすり抜ける魔法。

 練習した甲斐があったとニヤリ笑ったハリーは、クラムの目の前で地面から飛び出した木のカゴに包まれてあっという間に消え去る。

 現れたのは、先ほどまでハリーがいた方向に杖を向けていたローズマリーの背後だ。

 ちょうどクラムが魔樹に穿たれるシーンが彼女の肩越しに見えた。直前で威力を減衰したようで、あまりダメージなっているようには見えない。だからハリーは、構えたままの杖から手加減せずに全力の魔力反応光を放った。

 

「『ステューピファイ』ッ!」

 

 馬鹿の一つ覚えのようにトドメはこの魔法だ。

 しかし頻繁に使われる魔法というのは、それだけ優秀であることを示している。

 ハリーの放った『麻痺呪文』はローズマリーの脇を抜け、杖を構えようとしていたクラムの右肩に当たって霧散する。

 驚きの表情のまま、クラムはその意識を奪われたのだった。

 直後、ハリーが身を低くして背後からの魔力反応光を避けると、そこには半分仮面の割れたローズマリーが膨大な魔力を形に成しているのが見える。

 背中から伸びた生物的な二対のアームが、それぞれ大砲やガトリングガンに似た形状の杖をこちらに向けている。魔法式がちらと視えたものの、理解が及ばないほど複雑だ。

 おそらくあれが彼女の切り札。

 

「『フリペンド・クウァエダム・マキシマ』、薙ァぎ払えェェェ――ッ!」

 

 ローズマリーの絶叫と共に、それらすべての杖が火を噴いた。

 アームが構える四門の砲口に、彼女が手に持つ本来の杖。あまり精密さはないようだが、下手な鉄砲数撃ちゃ当たるという言葉もあるほどだ。まるで壁そのものすら見える魔力反応光の銃弾は、暴風のように地面を削って抉り飛ばしながらハリーへと襲い掛かる。

 秒間で何発撃っているのかも分からないほどだ、盾の呪文で防ごうとしようものならたちまちのうちに盾ごと貫かれて挽肉となってしまうだろう。

 だから避けるしかない。

 しかし壁のように迫る銃弾の嵐に対して、逃げる場所は皆無だ。

 盾になるようなモノも人もなく、盾にしたからといって『盾の呪文』以上に防げるとも思えない。

 ならば地面に潜るか。否だ、地面を水のように泳ぐ呪文を知ってはいるものの、まだ成功率は低く十全に扱えない。そんなものを実戦でいきなり成功すると思うほど、ハリーは楽観的ではない。

 では自動迎撃の『短刀呪文』で弾き飛ばすか。いや、だめだ。どこに反応光が飛んでこようとも弾けるだろう。そういう魔法式なのだから。しかしその結果は、ハリーの肩が完膚なきまでに破壊される未来だ。そんな状態ではこの後に控える戦闘を乗り切れるとは思えない。

 となれば、道は一つだ。

 

「ッ!」

 

 強く地面を蹴りつけ、ハリーは高く跳びあがる。

 当然それを追ってローズマリーの銃弾も飛来してくるが、狙いを定められるよりもハリーが動く方が速い。砲弾のように飛び出したハリーの身体は、高く高く舞い上がり、そして不意に消えた。

 

「……!?」

 

 驚きのあまりローズマリーがの砲撃が、一瞬だけ止まる。

 魔法など使っていないのに姿を消したのだ。動揺のひとつくらいするだろう。

 しかしそれで十分。

 ローズマリーの目の前。どん、という重い着地音と共に、ハリー・ポッターがそこに居た。

 何故だ、という思考は働かない。

 生垣の上に出れば、自動的に下へ戻される魔法がかかっているなどという事実を知らないのだ。どうしてこんなことが起きたのかが知らない以上は、知らぬなりに起きた出来事をそのまま受け入れた方が賢い。

 余計なことは考えず、ただ()()から伝わる命令のみを実行する。

 壁のような弾幕を展開しなくともいい、ただ一発の致死の弾丸で十分。

 ゆえに使うのは、速く正確な『射撃魔法』。

 

「『フリペンド』、撃……ッ!?」

 

 しかしこの距離ならば確実に中るはずの銃弾は、ハリーの真横三〇センチほどを通過する。ハリーが突然、あさっての方向へ稲光のように強い『点灯呪文(ルーモス)』を放ったのだ。

 すると一瞬だけ指令が途切れ、数瞬前にハリーがいた位置へと反応光を撃ち込んでしまったのだ。この一瞬が重要な場面において、それはあまりにも致命的なミス。

 眼前にハリーの拳が迫っている。避けるか? いや無理だ、身体能力に差があり過ぎる。防ぐか? 無理だ、間に合わない。それになにより無意味だ。

 だめだ。

 ローズマリーの胸に拳が撃ち込まれるのと、倒れたままのフラーが起き上がって飛び掛かったのは同時だった。既に鳥人形態へと変化している彼女は、怪鳥が如き鋭い叫びと共に背中から自身の身長ほどもある翼を広げる。

 

「物理的にどうなってんだ、それ!」

 

 意識を奪ったローズマリーが倒れ込むのを横目で見ながら軽口をたたく。

 盾に使うつもりはない。あの攻撃を防いだらたぶん、彼女は死んでしまうからだ。

 案の定というべきか、フラーが翼を広げた途端その羽根一枚一枚がこちらを向いた。そして如何なる魔法によってか、そのすべてが硬質化してナイフのように鋭くなった。

 しかし彼女の目がハリーの方を見ているようには思えない。

 明らかに気を失ったまま動いている。いや、動かされている。

 

「……まずい、なぁ」

 

 しかしそこではたと気づく。

 避けるのは容易だ。上も横でも、どこへでもいける。

 その場合は倒れ伏したままのローズマリーに突き刺さるだろう。

 では便利な『短刀魔法』で弾くか?

 いや、だめだ。先ほどのローズマリーが用いた『掃射魔法』ほどではないにしろ、刃の強度からして耐え切れるとは思えない。シリウスと共に創りあげた魔法だが、流石に実戦で使うには構造が甘かったのか。

 フラーから発される殺気が細く鋭くなる。……殺る気だ。

 こうなれば彼女より速く、より速く、杖を持ち上げて狙いを定めて撃ち貫かねばならない。

 まさにローズマリーの行った早撃ちのように。

 

「……、」

 

 出来るだろうか。いや、やるしかないのだ。

 場合によってはここでフラーを殺害するかもしれないと頭の片隅で考えているうちに、徐々にハリーの思考が昏く冷たくなってゆく。

 そしてぴくりとフラーの鍵爪が動くと同時、

 

「『ペトリフィカストタルス』、石になれ!」

 

 フラーの背後から、ハリーの物ではない魔力反応光が彼女の背中に直撃した。

 驚きの表情のまま固まったフラーの顔から、徐々に羽毛が抜けて消え去る。元の美少女の素顔に戻ったフラーはそのまま膝を折ると崩れるようにその場に倒れ込んだ。

 同じく驚いた顔をしたハリーは、反応光の出所を見る。

 そこには地面に倒れ伏しながらも、杖を向けて弱々しく笑っているセドリックの姿があった。

 

「セドリック!」

「やあ、ハリー……おはよう、朝かい」

「冗談もそのくらいにしておけ! いま簡単に手当てする、じっとしてて」

 

 苦しげに仰向けに体制を変えたセドリックを引き寄せ、座り込んだ自身の膝に乗せる。血が出ている部分は……どうやら額にほど近いところだ。ソウジローは正面から刀杖で打ち抜いたのだろう。

 杖を取出し、『治癒呪文』を唱える。

 あまり適性がないのか、治りは遅い。カサブタや薄皮を張るくらいが精いっぱいだろう。

 

「ぼくの膝枕だぞ。大サービスだ、喜べよセドリック」

「……はは、嬉しいね」

 

 ある程度の苦痛を取り除くことができ、薄れていた意識も徐々に回復してきたのか視線がはっきりしてくるのが見て取れた。

 もう大丈夫、と手で制したセドリックに頷いて治療をやめ、いまだ少しふらついた彼を生垣の傍に座らせる。肩を貸すほどの余裕はないし、これから始めることに彼を巻き込んではいられない。

 ハリーはセドリックの周囲、半径一メートルに杖で印を刻む。

 

「……何をする気だい、ハリー?」

「悪いけど見ていてくれ」

 

 訝しげな顔をしたセドリックの問いには答えず、呪文を唱えた。

 

「『プロテゴ・パリエース』、守りの壁よ」

 

 するとハリーが印を刻んだ通りの場所に、ドーム状の半透明な壁が出現する。

 驚いたセドリックが壁を叩くも、波打って衝撃がすべて逃げてしまう。

 これは彼を巻き込まないための措置だ。

 はっきり言ってこれから行うことに対して、彼を気にかけている余裕はないだろう。

 ハリーはセドリックに背を向け、とある生垣に向かって歩を進めた。

 うつ伏せで己の羽毛に埋もれているフラーが、口の端から血を流して蹲っているローズマリーが、腹から血を流して失神しているクラムが、頭から地に突き刺さりボロ屑のようになったソウジローが、それぞれ倒れ伏している。

 全員殺さずには済んだ。しかし、死んでいないだけだ。

 クラムもどれほど出血具合がひどいのかは分からないし、ソウジローも脳にダメージを与えてしまったかもしれない。ローズマリーには女性だというのに、脚に傷をつけてしまった。

 その状況を作りだすことになったのは、全てハリーだ。

 この惨状を直接生み出したのはハリー自身だ。だがそれに至る経緯、彼らが襲ってくる大元の原因を作りだしたのは、ハリーではない。ヤツだ。

 杖はまっすぐ生垣に向けたまま、一切の油断なく近付く。

 そしてハリーは倒れ伏した人物に、今回の元凶に向けて、冷たい声を落とした。

 

「――立てよ。死喰い人、バルドヴィーノ・ブレオ」

 




【変更点】
・迷路の障害物マシマシ。
・スフィンクスのクイズ内容。
・各校代表と戦闘。

【オリジナルスペル】
「フェルスウェントゥス、吹き飛べ」(初出・47話)
・突風魔法。魔力を空気に変換して撃ちだす単純な魔法。
元々魔法界にある呪文。繊細な魔力コントロールを要する。

「フリペンド・ギガント、放て」(初出・47話)
・射撃魔法。大砲を召喚して魔力の砲弾を撃つ魔法。
アメリカ魔法界にある呪文。威力の大きなフリペンド魔法。

「アエテルニタス・ファルサ、凍てつく闇よ」(初出・47話)
・雪魔法。吹雪を発生させ、雪粒ひとつひとつに込めた濃厚な呪いをぶつける魔法。
元々魔法界にある呪文。闇の魔法に属するため、特別な才能が必要。

「プロテゴ・アリエヌム、逸らせ」(初出・47話)
・盾の魔法。任意の方向に逸らす盾を作り出す。
元々魔法界にある呪文。防ぐものが強力すぎると、逸らしきれないこともある。

「ラミナ・ムネチカ、縮地斬り」(初出・47話)
・剣の魔法。ソウジローの最も得意とする魔法のひとつ。
日本魔法界にある呪文。移動の距離調整を間違えると酷い目に遭う。

「ルプス・レギオニス、飢狼の群れよ」(初出・47話)
・召喚魔法。魔力を使って周辺の物体で狼を創りだすことができる。
元々魔法界にある呪文。襲撃呪文とセットで使うのが基本。

「アルボス・グラナトゥム・クレスクント、呑み込め魔の森」(初出・47話)
・召喚魔法。呪われた魔樹を呼びだす闇の魔法。
元々魔法界にある呪文。対象を突き殺すまで成長する殺傷力の高い魔法。

「フリペンド・クウァエダム・マキシマ、薙ぎ払え」(初出・47話)
・射撃魔法。銃口を備えたアームを創りだす。事前に登録した砲門が召喚される。
アメリカ魔法界にある呪文。命中率は低いが、撃ち続ければ相手は死ぬ理論。

「プロテゴ・パリエース、守りの壁よ」(初出・47話)
・盾の魔法。衝撃を逃がすドーム状の盾を作りだす。
元々魔法界にある呪文。その特性から、魔法使い用の拘束に悪用されやすい。


大変遅くなりまして申し訳ないです。
とても便利な『服従の呪文』によって、ハリーは代表たちほぼ全員の本気と戦う羽目に。あくまで半自動的に操っていたことに気付いていたため、ハリーはブレオから視線をさえぎるように移動したりと、随分いやらしい闘い方をしていました。
失敗してしまった物語の修正にかなりかかる模様。余計な設定は入れるものではないね。お辞儀するにはもうちょっとだけかかるんじゃ。

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