ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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13.闇の再誕

 

 

 

 ハリーは冷たい声で、倒れ伏しているブレオに声をかけた。

 ドーム状の盾に閉じ込められているセドリックが不安そうにこちらを見ている。

 ブレオからの返答はない。

 先ほどの戦闘中に吹き飛ばされて、意識を失った体勢から全く動いていない。

 赤いマントに潰されるように倒れている彼からの反応は、殺意を込めて呼んでも一切ない。

 しかしハリーはそれを意に介さず、杖を突きだした。

 

「『フリペンド』」

「ッぐぉ!?」

 

 威力の弱い『射撃』がブレオの腹に突き刺さり、苦悶の声が漏れる。

 くそ、とハリーが小さく悔しそうに悪態を吐いたのをセドリックは聞き逃さなかった。

 信じたくなかったという想っているのは、顔に書いてあるようだった。ハリーにとっても信じたくなかったその予想が、的中してしまった。

 咳き込みながら見開かれたブレオの目には、無表情に近いハリーの姿が映っていた。

 杖を向けて、紅く輝く瞳を怒りに染めている。

 

「ハ、ハリエットちゃん……なぜここに、」

「とぼけるのはいいよ、ブレオ。黙って質問に答えろ」

 

 更に杖をぐいと近づければ、ブレオの目が一瞬だけ余所へ移る。

 それを見てハリーは一切容赦をしなかった。

 

「『エクスペリアームス』」

「うッ!?」

 

 ばち、と硬鞭で肌を強く叩いたような音と共に、ブレオが掴んでいた杖が弾き飛ばされる。

 回転して跳んだ杖はハリーの手の中に納まる。

 そしてハリーはそれを両手で持つと、容赦なく真っ二つにへし折ってしまった。

 

「な……ッ!? ハリー、君は何を……ッ」

「セドリック。ちょっと黙ってて」

 

 冷たく睥睨するハリーに対して、ブレオは引きつった笑みを浮かべる。

 へたり込んだ青年と、仁王立ちして杖を向ける少女。

 図としては何とも異様な光景であった。

 

「ひ、ひどいなあ。僕の杖を折っちゃうなんて」

 

 苦笑いを浮かべておどけるブレオに対して、ハリーはあくまでも冷淡な態度を崩さない。

 先ほどこそ残念そうな表情を浮かべていたものの、いまではまるで処刑人のような能面だ。

 

「いつだ」

「……な、なにがだい」

「いつぼくたちに『服従の呪文』をかけた」

 

 その言葉にセドリックは驚く。

 『服従の呪文』といえば、最悪の魔法。許されざる呪文のうちのひとつだからだ。

 だから何かの間違いかと思いたかったのだが、しかしその望みはすぐに潰える。

 ハリーに詰問されて戸惑っていたブレオが途端に落ち着きを取り戻し、三日月のように裂けた笑みを浮かべたからだ。

 

「……ハリエットちゃん、キミ彼らが操られてるって知っててブチのめしたの?」

「そうだよ。だからなに?」

 

 殊更冷たくハリーが言うと、ブレオは弾けるように笑いだした。

 甲高く裏返った笑い声は実に狂気的で、それを聞くセドリックは身の毛もよだつ思いをする。

 こんなことがあってたまるか。

 だというのに、ブレオはその現実逃避すら許さない。

 

「いやァーッ、さあっすが! ご主人様に刃向かうだなんてとんでもない馬鹿だとは思ってたけど、ここまで大馬鹿だなんて! なんて素晴らしいんだ、素敵だよハリエットちゃァん!」

「残念だよブレオ」

「えひひひ、こっちとしても残念だよハリエットちゃん。僕の正体に気付かないまま死んで逝ってほしかったねえ。くひッ」

 

 げたげたと下品に笑うブレオには、今までの陽気さなど欠片も見当たらない。

 これまで猫をかぶっていたのか、それともこちらは演技か。

 いや、とハリーは独り結論付ける。どちらも本来の姿なのかもしれない。陽気でスケベなムードメーカーのブレオも、冷酷で友人たちを死の操り人形にして平然としているブレオも。

 どちらも本物。本当の死喰い人、バルドヴィーノ・ブレオなのだ。

 

「っていうかハリエットちゃんもセドリックも、いったいいつの間に僕の『服従の呪文』を解いたのさ。僕これでも若手の中じゃ一番その呪文が得意だったんだけどなあ」

「質問していいのはこっちだけだ。次余計なことを言ったら一発撃つ」

「おおう、怖い怖い」

 

 おどけるように肩を竦めてハリーの言を受け流すブレオ。

 セドリックが青ざめているのが横目で見えるが、今は彼を気にしている場合ではない。

 それに彼の洗脳が解けたのは、本当の偶然にすぎない。

 

「みんなにはいつ『服従の呪文』をかけたんだ」

「ハリエットちゃんのおっぱいちゅっちゅさせてくれたら、答えてあげるけど」

「『フリペンド』」

 

 いつものようにセクハラ発言をしたブレオに対して、ハリーの返しは非情だった。

 容赦なく『射撃呪文』を用いて、ブレオの右肩を撃ち抜く。

 一瞬呆けたブレオが、次第に白熱した熱さを持つ肩に気付いて呻き声を漏らした。

 

「っぐ……! わかった、話す。話すから。第四の試練のときさ。夢の中で出会った時、そこでまず君だ。ハリエット、キミに呪文をかけた。君は鋭いからなあ。『錯乱の呪文』で疑心暗鬼にさせて、徐々に『服従の呪文』でコントロールを奪うようなタイプのものにしたら、アーラ不思議、ぜーんぜんバレないでやんの」

「そんな遠回りにして何の意味がある」

「決まってンじゃん。何故ならその方が面白いから。見ててすごかったぜ、夢の内容を弄り回してソウジローに僕好みのストーリーを話させたら、すっかり疑っちゃってさ。見てて笑いそうだったよアレ。ハリエットちゃんマジ可愛いね、巨乳バカな低身長ボーイッシュとか需要高すぎだぜキミ」

 

 ハリーがまた杖を向けると、両手を挙げてへらへらと笑う。

 生殺与奪の権利を握られているというのに、一切の緊張を感じられない。

 

「はいはーい、プロフェッサー・ハリエット。質問でぃーっす。いつ僕が死喰い人だって気づいたん? 正直言って君ら馬鹿どもには気づかれないだろって思ってたんだけど」

 

 それどころか先ほど問うなと言われたばかりの質問までする始末だ。

 やはりあの陽気で冗談好きな性格は、もともとそういうものだったからなのかもしれない。

 彼が死喰い人だと気付いたのは、本当に今さっきの瞬間だ。

 ハリーには目がある。

 いまは血のように赤く染まっているが、エメラルドグリーンの魔法式を視通す瞳が。

 

「本当についさっきさ。先の乱戦で、おまえの動きだけがおかしかった。ほとんど誰かの影になってて、常に盾となる人物やモノを用意してた。そこでおかしいと思ったんだ」

「いやいや。それだけじゃ納得できないって。わざわざ『服従の呪文』にかけられている風を装って目まで淡く光らせてたのに。結構自信あったんだぜあの偽装」

 

 肩を竦めるブレオに対して、ハリーは冷たい。

 それもそのはずだ。ハリーに友人たちと殺し合いを演じさせたのだから。

 しかもそれは強制させたものではなく、その状況に陥ったハリーが殺害も止む無しと自分で考えて演じた状況。それゆえに感じる怒りも大きかった。

 

「むしろその偽装でよく分かったよ」

「うん?」

「魔法式がばっちり視えてた。お前だけ『服従』してないんだから、バレるに決まってんだろ」

 

 魔法式とはその名の通り、魔法を動かすために必要な計算式のことだ。

 その魔法のことを知っているなら、魔法式を視ればそれが何の魔法かが即座にわかる。

 たとえ知らない魔法でも、その魔法式に知っている単語や数値が書かれていればどういった魔法なのかという予測を立てられる。

 しかしそれを聞いて、ブレオはまたもやはじけたように笑いだした。

 不愉快そうな顔をしたハリーに向かって、爆笑しながらブレオは言う。

 

「ひっ、ひー。すっげえ。ハリエットちゃんマジでお馬鹿キャラで通すつもり? 魔法式が視えるだなんて、っはっははは! マジすげえ! ハリエットちゃん、お前やっぱ人間じゃねえわ! さすがだ! へっ、ははは!」

 

 ハリーが杖を振るい、見えない衝撃をブレオに叩き付ける。

 ハンマーで横っ面を殴られたように首を曲げたブレオは、ゆっくり顔を持ち上げるとにやにやした目をハリーに向けた。口の端や鼻から血が出ているが、それすらも化粧に見えるほどに凄惨な笑顔を作っている。

 気が狂っている。

 内心でハリーはそう吐き捨てるのを止められなかった。

 

「続きを話せ。ぼくの次は誰だ。クラウチ氏か?」

 

 肩を揺らして笑い続けるブレオに、ハリーは杖を突きつける。

 彼が腕を伸ばしても届かない、絶妙な位置取りだ。

 そもそも反撃しようと思っていないのか、彼はへらりと笑って答える。

 

「クラウチぃ? 知らないな、僕じゃあないね。僕が君に『傀儡魔法』をかけた後にやったのは、そのお役人に襲撃されたあとにクラムとユーコちゃんを『服従』させたことくらいさ」

「……おまえ、ユーコにヘンなことしてないだろうな」

「お人形遊びする趣味はないんでね」

 

 バッサリと言い切られる。

 普段の言動と行動から考えてみればユーコの意思を奪った際に万死に値することでもやりそうなものだが、さすがにそこまで狂ってはいないらしい。

 少しだけホッとしたハリーは、小さく杖を振って続きを促す。

 嫌そうな顔をしたものの、また叩き付けられてはかなわないと思ったのかブレオは素直に続きを口にした。

 

「あとは簡単だったよ。ユーコちゃんの記憶を覗いてみれば、不知火において呪いがかけられているか否かをチェックしていたのは彼女だったからね。毎日チェックする時間に、逆にソウジローへ『服従の呪文』をかけてやったよ」

「……」

「フラーちゃんとローズマリーちゃんには、ついさっきだね。フラーちゃんは迷路への緊張で固まっていたところに背後からドーン。キミと一緒に追いかけられて別れたあと、疲労困憊なローズマリーちゃんに向けてドーン。セドリックにも隙を見て仕掛けたはずなんだけど、もしかしてハリエットちゃんが解いたのかな? うーんマジで化け物だね!」

 

 殴っておいた方が従順に話してくれるかもしれないとは思ったが、しかし余計なことをして何か反撃でもされては困る。

 落ちついて情報を整理しよう。

 まず、バルドヴィーノ・ブレオが死喰い人であることは確定だ。

 『服従の呪文』で操られていた代表選手たちから、ブレオが逐次命令を下している(パス)が視えた。ハリーの眼が魔法式を読みとることができるということを彼が知らなかった以上、ハリーの知らない方法で魔法式を偽装しているという可能性も消える。

 更に言えば、自身が操られていると見せかけるための工作が完全な決定打になった。服従の呪文にかかっておらず、そして偽っている者など下手人以外の何者でもあり得ない。

 死喰い人であるとわかったことについては、ついさっき本人が証明してくれた。

 だいたいこんな大胆な襲い方をしてくる時点で、普通の犯罪者ではありえない。死喰い人やら闇の帝王やら、そんな御大層な連中くらいだろう。そう思って行ってみれば、案の定彼自身が証明してくれたのである。

 なによりも。

 陽気に笑おうとも、呑気にセクハラしていようとも、時折鈍く輝く泥のような瞳が何よりもハリーと同類の最低な人種である何よりの証明だ。

 

「さて、聞きたいことはそれで終わりかな」

「うん、もういいかな」

 

 杖を額に突きつけた姿を見てか、視界の隅でセドリックが驚いたのがわかった。

 ハリーの紅く冷たい目が、ブレオにもう用がないということを告げている。

 躊躇うことなくハリーは魔力を練り上げ、ブレオの心臓めがけて魔法を放つ。

 選んだ手段は『刺突魔法』。

 要するに串刺しにして殺そうというわけだ。

 

「駄目だ、ハリーッ!」

 

 悲鳴のようなセドリックの声。

 ハリーはそれに対して一瞬、びくりと肩を揺らす。

 ブレオがその隙を見逃すはずがなかった。

 

「ッぷ!」

 

 血の混じった唾液。

 ブレオが、それをハリーの眼球めがけて飛ばしてきたのだ。

 

「うあっ!? く、ちくしょうッ!」

 

 その唾が目に直撃し、ハリーは思わず悪態をこぼす。

 ただの唾を吹きつけられたにしては、尋常ではない威力。まるでテニスボールの直撃を受けたように一瞬だけ頭がのけぞると同時、ハリーは己の直感にしたがってその場を跳び退いた。

 目を閉じたまま地面に手をついて数回転して、生垣を背に着地すると同時に唾を袖で拭う。

 開けた視界の向こうでは、左腕を振り抜いたままでいる格好のブレオだった。

 腹にヒリつく熱さを感じる。

 先程代表選手たちとの戦闘でクラムによって引き裂かれたインナーから、腹が露出している。その部分の皮膚が薄く裂け、血が垂れていた。

 

「ブレオ、おまえまさか」

「……その通りだ。悪いけどハリエットちゃん、君には僕のディナーになってもらおう」

 

 びきびきと音を立てて、ブレオの腕が見る見るうちに硬質化してゆく。

 その様子にハリーは見覚えがあった。

 今年度の始め、そして去年の終わり。

 奴が死喰い人だというのなら、それこそ繋がりがあったところでおかしくはない。

 人狼、フェンリール・グレイバック。

 その名を呟けば、案の定というべきかブレオから反応があった。

 

「ああ、我が父上様のことかい。ハリエットちゃん、あの人の鼻を裂いたのはやり過ぎだねえ。あの人からポッターだけは絶対にブチ殺すようにって、厳命されちゃってるんだよね」

「父上? おまえあいつの息子なのか」

「血縁はないけどね。まァ、そんなもんさ。奴に噛まれて、僕は人狼に(こう)成った」

 

 ハリーの目に一瞬なにかを感じ取ったのか、ブレオがここにきて初めて悪意を込めて嗤った。余計な感情を持つな、と。君が知ったことではないのだ、と。

 

「同情かい? やめてくれよ。反吐が出る」

「……そんなつもりは、」

「あるんだろう、ハリエットちゃん。辛辣な面を強調しているようだけれど、君は結局のところ、ただのお優しい女の子だ」

 

 口角を吊り上げて嗤う彼の口元には牙が見える。

 噛んだ人間の体細胞を変質させ、魔法的側面から生物としての概念そのものを異形のそれへと変え尽くすウィルスを注入するための牙。あれに噛まれてしまえばたとえハリーといえど、いや、ただの人間であるハリー程度など、例外なく人狼に成る。

 要するに人狼という種族にとっての生殖行為だ。性暴力となんら変わらない。

 

「手荒な真似をするような男じゃないと思ってたんだけどね」

「人の心臓をブチ抜こうとした子が言うこっちゃないと思うな。もっとも、君の魅力に僕のハートは既に射抜かれてるけど、ねェッ!」

 

 蹴り抜いた地面を爆発させたかのように、ブレオが砲弾のようにハリーの目の前まで跳んでくる。身体強化によって動体視力に判断力も向上させているハリーは、それを見てから横へ跳んだ。

 生垣に突っ込んで行くかと思ったブレオだが、直前で地面に右腕を突き刺し、まるでコマのように無理矢理方向転換してハリーに追いすがってきた。

 向こうの方が早いと判断したハリーは、杖を振るって『盾の呪文』を繰りだす。

 ブレオの左手による刺突が、容易に盾をブチ抜いた。

 相変わらず人狼の攻撃力は頭がおかしいとしか思えない。

 

「ヒャぁほォう! 流石だよハリエットちゃん!」

「そりゃーどうも! 『ステューピファイ』!」

 

 ハリーが苦し紛れに放った『失神呪文』を、ブレオは首を振ることで避ける。

 そして彼が放った蹴りがハリーの胸、その中心に向かってブチこまれた。

 両腕でガードしたものの、折れてしまうかと思うほどの衝撃が全身を襲う。

 

「っぐ、う……!」

 

 数バウンドして地面を転がされ、ハリーの小柄な体は生垣に突っ込む。

 そこへ追撃のタックル。

 それを視認したハリーは多少無茶をして杖を振るい、『突風魔法』を放つ。

 ブレオへ放っても無駄だろう、ゆえにハリーは地面に向かって撃ち、自身の身体を少しの間だけ宙へと浮かばせる。そのすぐ下を滑るようにブレオが通り過ぎて行った。

 一瞬だけ目があった。特に憎悪の色も、憤怒の色も、敵意すら感じ取れない。

 いままでハリーが殺し合ってきた者の中でも特に異色。ブレオにはハリーに対する憤りも憎しみも、敵とすら思っていないのだ。この一年ともにすごしてきた享楽家のまま、ハリーと殺し合うことすら楽しいことと思っているのだろう。

 とてもではないが、理解できなかった。

 

「きみ、頭おかしいぜ」

「承知の上さ。世の中狂ってないと面白くないだろう?」

 

 更に杖を振るったブレオの周囲が、ぐにゃりと歪む。

 ハリーの知覚した限り、魔力反応光が発生した様子はなかった。つまり魔法戦闘においてもっとも厄介だとすら言える、反応光の発生しない、至極避けづらい魔法。

 ハッと気づけば既に、ハリーはブレオの術中にはまっていた。

 狭い生垣に囲まれた迷路の一角だった風景が、一瞬にして都会の雑踏に変わる。

 ざわめきと騒々しさ、機械の音と排気ガスのニオイ。

 そして突然現れたハリーとブレオを見て、戸惑う人々の囁き声。

 そんなまさか、と一瞬だけ呆然とする。

 ブレオが幻覚系の魔法を得意とすることは、既に知っている事だ。

 そうでなければ夢に干渉するなどという高度な魔法を操れるはずがない。

 ああ、そうなのだ。これは幻覚であるはずなのだ。

 

「……ッ、……」

 

 だが、あまりにもリアルすぎる。

 実際のハリーの肉体は、恐らくブレオと共に現実世界の迷路で棒立ちになっているのだろう。自身の身体を魔法式が構成しているのが視える。

 セドリックが困惑している姿を想像するが、いまはそれよりも大事なことがある。

 これだけ現実感に溢れた幻覚ならば、ここで殺されれば実際の肉体もそのまま死んでしまうだろうことは想像に難くない。

 そんな馬鹿なと言いたくなるが、それが魔法というものだ。

 物理現象に依らず相手を殺すことを可能とする外法。マグル世界で育ち、銃やナイフで殺害されたというニュースをダーズリー家のテレビから頻繁に聞いてきたハリーからすると、そのような認識さえできるトンデモ技術こそが魔法だ。

 それこそ『死の呪文』こそ顕著に、というかまんまそれではないか。

 魔力反応光が視えない攻撃だったために回避が難しかったとはいえ、身体強化中のハリーの肉体であればブレオの初動を見てから後の先で杖を破壊、または意識を奪う魔法をブチ込めばよかったのだろう。それができなかったのは、偏に油断のせいだ。

 おちゃらけたふざけたキャラクターが演技による虚構ではなく真実であったことから、ハリーはきっとブレオのことを心のどこかで舐めていたのだ。

 術中にはまってしまった現在そのような後悔は時すでに遅し出は有るが、ここから生き延びれば決して無駄というわけではない。

 つまりブレオをブチのめせばいいことには、変わりないということ。

 結局のところ、話は単純なものだ。

 

「『エクスペリアームス』!」

「おっと! 躊躇いがないね、ハリエットちゃん!」

 

 即座に杖を振り、ブレオに向かって真紅の光を放つ。

 彼はそれに反応し、隣を歩いていた老紳士の襟首を掴んで突き飛ばした。

 身代わりとなってハリーの放った『武装解除』を浴びた紳士が、甲高い悲鳴と共に吹き飛んでゆく。ボーリングのピンように、他の一般人たちを巻き込んでドミノ倒しになってしまった。

 騒然として悲鳴と怒号が巻き起こる中、ハリーは努めてそれらを無視した。

 これは幻覚である、と自身に言い聞かせながら再度武装解除を放つ。

 今度は杖で近くにいた小学生らしき少女を引き寄せて、彼女を盾にしたブレオの目の前から少女の矮躯が吹っ飛んでいく。恐らく母親だろう女性が悲鳴をあげて我が子の名を叫んだ。

 聴きたくない声だった。

 びくん、とハリーの肩が震える。母親の叫び声、というモノに反応してしまった。

 無論ブレオがそれを見逃すはずもなく、アスファルトが砕けるほどに地面を蹴って素早くハリーへと接近して爪を振るう。無様でも構わないとばかりにそれを転がって避けるも、次点で突きつけられた杖から放たれた魔法は避ける事が出来なかった。

 

「『フリペンド』!」

「ごッ、あ!」

 

 射撃呪文をまともに腹へ受け、ハリーは大きく吹き飛ばされた。

 どうやらブレオはこの手の呪文はあまり熟練していないことがわかった。射撃呪文のエキスパートであるローズマリーが放ったのなら、今頃ハリーの腹には風穴が空いていただろうに、ブレオによる射撃では貫通はできないらしい。

 それでも車に衝突されたかのような衝撃と共に、ハリーは怯えて遠巻きに見ていた野次馬たちに突っ込んでしまう。幾人かを薙ぎ倒し、悲鳴をあげさせながらもハリーは急いでその場から離れる。

 その選択は正解だった。ブレオが放った黄色い魔力反応光が直前までハリーがいた位置に着弾。轟音と共にアスファルトが大きく爆ぜた。

 

「う……ッ」

 

 更に大きな悲鳴と、助けを求める悲痛な声。

 そちらへ視線を向けたくない。びちゃびちゃと聞こえてくる液体音と、泣き叫ぶ青年の声からして何が起きているかは想像がつく。

 

「『エクス、ペリアームス』っ! 『フリペンド・ランケア』ぁッ!」

「『プロテゴ・トタラム』、万全の守り! 動揺してるのがバレバレだよぉ、お姫様!」

 

 ブレオの張った障壁により、ハリーの攻撃が悉く防がれてしまう。

 続けて放たれる空気の槌も、螺旋の槍も、ハリー得意の紅い投槍までも弾かれる。

 まずい、とハリーは単純に思う。

 地力が違う。

 ここにきてブレオの戦闘力が、ハリーより上であることが発覚したのだ。

 正確に言うならば、ただ単なる魔法戦であればハリーの勝利は揺るがない。繊細な魔力操作とそれを前提として扱う異常なまでにリアルな幻魔法にサポート系統の魔法を得意とするバルドヴィーノ・ブレオに対して、ハリエット・ポッターはその膨大な魔力と殺意漲る自由な発想力に頼った火力の高い魔法ばかりを得手とする戦闘に特化した魔女である。

 しかしここで行われている魔法戦とはなにも、お辞儀から始まりお辞儀に終わる貴族間での決闘(スポーツ)ではない。死合いそのもの、何でもありの殺し合いである。

 ブレオは殺し合いならではの狡猾さと、周囲の状況を利用する強かさに置いてハリーをはるかに凌駕している結果、この戦闘に置いて彼が一歩も二歩もハリーに先んじているのだ。

 ハリー達の行う『まともじゃない』魔法戦を目にして怯え、恐怖し逃げ惑う通行人を容赦なく盾にし、時には突き飛ばして壁や弾の代わりとしてハリーに押しつけてくる戦術は実に有効的であった。

 

「そォら、次行くよ次ィ! 簡単に死なれたら困るんだよねえッ!」

「くっ、くそ……!」

 

 ハリーにはまだ、殺人に対する抵抗がある。

 クィリナス・クィレルなど、殺害同然の行為を行った相手もいるにはいる。

 だが明確に魔法とは関係ないマグルを相手に、それも戦いのFの字も知らないような人間を殺害できるかと問われれば、迷うことなくNOと言える。

 そこまでの覚悟は持っていないし、度胸もない。

 

「がぅ、あ……」

「……ッ!」

 

 いま眼前で、小柄な老人が『射撃魔法』にその胸を貫かれて死んだ。

 あれは幻だ。魔法式で身体が構成されているし、リアルではあるがそれだってハリーが意識を向けていないところでは輪郭がぼんやりしているのが分かる。恐らく全てを精密に再現していては、ブレオの魔法力が持たないのだろう。

 ブレオが作り上げた箱庭同然の精神世界だからこその創意工夫。ハリーには出来ない芸当だ。だが今は感心している場合でもないし、肉塊と化した死体から目を逸らして人込みを走りまわるブレオに向かって失神呪文を放つのが精いっぱいだ。

 その紅い魔力反応光は、ブレオが近くにいた女性の髪を引っ張って盾にしたことで防がれる。女性は白目をむいてその場に崩れ落ちた。

 ぎり、と思わず歯ぎしりをしてしまう。

 幻であって、現実の人間ではない。頭で理解してはいるものの、心が納得していないのが分かる。これは辛い。なんてむごい仕打ちなのだろうか。

 

「これは現実じゃない、現実じゃないんだ」

 

 これだけ大々的にマグルの目の前で魔法を使って、更には数人を殺害しておいて魔法省が何もアクションを起こさないというのはまずあり得ない。

 シリウスの話では忘却術士が記憶を消してくれることを理由に、マグルの目の前だろうと構わず即座に『姿現し』を行い、下手人を捕縛すべく動きだすのだそうだ。十数年前のシリウスがまさにその状況だったとのことで、信憑性は非常に高い。

 では今この状況で魔法省の手の者がやってこないのは、ひとえにここが魔法省の感知しえない場所だから。つまりブレオの造りだした幻覚世界であるからだ。

 根拠はゼロではないが、しかし過分にハリーの願望が強い結論ではある。

 もし彼が魔法省の未成年魔法使用探知術式を欺く術を知っていたら? もし彼が何らかの術を以ってして、本当にハリーをロンドンの街角に転移させていたら?

 心のどこかでそう思ってしまうと、ハリーは途端に委縮してしまう。

 一般のマグルを戦闘の巻き添えにできるほど、ハリーの心は狂ってはいないのだ。

 

「『フェルスウェントゥス』!」

「ぐ、ぁああ!」

 

 ブレオの放った『突風魔法』によって、ハリーの身体が大きく吹き飛ばされる。

 幾人かのマグルを薙ぎ倒し、ハリーの身体がアスファルトを無様に転がった。

 即座に起きあがって、突風が射出されてきた方向へと杖を向けて魔力を練り上げる。しかしその行動はあまりの驚きによって魔力が霧散し、無駄と化してしまう。

 今のいままでロンドンにいたというのに、プリベット通りへと周囲が変化しているのだ。

 困惑は加速するが、現在の状況は幻覚で確定した。少しの安堵と、未だ未知の状況に不安と少しの恐怖がハリーの心に染み出してくる。無視しなければ。

 

「おい、ハリー! どうした、豚らしく鳴いてみろよ! ほぅら、おぃんくおぃんく!」

 

 嘲る声にばっと振り向けば、いやらしい顔をしたダドリーがこちらへでっぷり突き出した腹を揺らして歩いてくる。

 杖を突きつけようとするも自身の手にそれはない。

 むしろ手の平のサイズがいつもよりも小さく、若干骨ばっている。

 まさかと思って自身の身体を見降ろせば、最近は女性らしく膨らんでいたバストもまな板状態になり、地面も幾分か近い。服装だって、毛玉だらけの象皮めいた小汚いセーターだ。

 そんな、とハリーは思わず呟く。

 自分の体を幻覚で変えられた? どうやったのかが分からない。魔法式を視ようと思えば視えるだろうが、理解することはできないだろう。

 眼前まで迫ってきたダドリーが、ハリーに向かって拳を振り上げる。

 覚えている、いまだにハッキリと覚えているぞ。

 これはバーノンおじさん考案の画期的なスポーツ、《ハリー狩り》だ。その記念すべき一回目にして、二度と行われることのなかった競技。このあとダドリーはハリーの鼻の骨を叩き折り、病院送りにするのだ。

 ずくん、と心臓が縮みあがるような恐怖を覚える。

 気付いていなかったが、トラウマにでもなっているのだろうか。

 

「くっ、来るな!」

 

 思わずうわずった声で、ハリーは叫ぶ。

 それを聞いたダドリーは、不愉快そうに顔を歪めて拳を放った。

 こんなバカげたスピードと威力、年齢一桁の男の子の放っていいパンチではない。

 今までの経験を生かして飛び退こうとしたハリーは、自分の足が地面に縫い付けられている事に気がついた。はっとしてダドリーの後ろを見てみれば、バーノンおじさんと共ににやにやと笑っているブレオが杖をくるくると回している姿が目に入る。

 ハリーが顔面に拳を受け、鼻血と共に宙を舞い、芝生の上に叩きつけられる様をブレオは両手を叩いて大笑いしていた。

 やられた、と言うほかない。

 ここまでしてやられたのは久しぶりだ。いままで闘ってきた相手のほとんどが格上ばかりだったが、ここまで圧倒的なのは本当に久しぶりだ。二年生のとき闘ったトム・リドルくらいのどうしようもなさを感じてしまう。

 だが、だがしかし。

 目の前にいる青年は、ヴォルデモートではない。トム・リドルでもない。

 ただの死喰い人、ただの未成年犯罪者。油断しなければ負ける相手ではない。

 戦闘力も魔法力も、十分こちらが上のはずだ。

 過剰に恐れる必要はないはずだ。

 ないはずなのに。

 

「がぶ、ぅあ……っ、あ、ああっ……!」

 

 ダドリーの拳によって、まるで顔面をブラッジャーで殴られたかのような衝撃が走る。

 鼻がつぶれてしまったあの感覚をまた感じている。痛いを通り越して、熱い。

 ぼたぼたと叩き折られた鼻を抑える手の平の隙間からこぼれる赤を眺めながら、ハリーは目の奥がつんと熱くなるのを感じた。ぼろぼろと意思とは関係なく涙が澎湃とこぼれてゆく。

 恐ろしい。

 ここ最近のダドリー・ダーズリーは、ボクシングの英国チャンピオンとなったために心の余裕ができたからか、それとも強者としての責任感が芽生えたのか、はたまたハリーが見た目からしても完全に女性として成長したために性差の隔壁を感じたのか、以前のように直接的な暴力を振るってくることはなくなった。せいぜいが不機嫌なときに、暴言や嫌味を飛ばしてくる程度だ。

 従兄がそのような乱暴者であると知っているハーマイオニーやパーバティが危惧していた、風呂場の覗きや寝室への乱入と言った性的な暴力を受けた覚えもない。彼の部屋のポスターを見てみれば、孫の顔が見れないダーズリー夫妻への同情はあれどそこらへんの心配がないことだけはたしかだ。

 だからなのか。

 十四歳になったハリーにとって、今のダドリーはかつて恐ろしかった悪ガキくらいの認識になっている。直接的な暴力をふるわれなくなったというのも大きいが、理性的に会話が通じるくらいの親交が発生するようになったのが、この心境の最も大きな要因である。

 厳しくし続けて唐突に優しくして、洗脳のように調教するというのはよく聞く話だ。ハリーの心理状態は、まさにこの状態なのだろう。いじめっこが時折見せる友人としての態度があるから完全に嫌うことのできないいじめられっ子。一番タチの悪いパターンである。

 だからだろう。

 今この時ハリーが味わっているのは絶望だった。かつての恐怖がありありと掘り起こされ、胸の奥でトラウマの荒縄に縛られている心が乱暴に締めつけられている。

 擦過傷で心から滲む血が、ハリーの目玉から溢れるようにぼろぼろと涙がこぼれているようにさえ感じてしまう。続けてダドリーが蹴りを繰り出し、四つん這いで苦しむハリーの身体をサッカーボールのように吹っ飛ばしていった。

 

「う、ぐ……!」

 

 ペチュニアおばさんが徹底的に整えた芝生に叩きつけられるかと思いきや、ハリーが背を打ったのは柔らかいベッドの上だった。

 はっとして起きあがれば、周囲ではハーマイオニーにパーバティ、ラベンダーがすやすやと寝息を立てて眠っている。ここはグリフィンドールの女子寮、しかも自室だ。

 当然夢落ちではないことくらいわかる。だが、この光景を幻覚として作り上げるのならば彼にその知識がなければできない。女子寮の詳細を、男性である彼が知っているはずがないのだ。

 つまりこの幻覚は、ハリーの記憶を元に作りだされている。

 頭の中を、覗きこまれている。

 

「ちくしょう、ちッくしょう!」

 

 いつのまにか治っている鼻から手を離し、ハリーはそう毒づく。

 自身の身体を見降ろせば、いまよりも胸が幾分か小さい。しかし膨らみ始めているころから、恐らくこれは去年。つい去年の出来事を再現した幻だと見当がついた。

 ブレオの奴は、ハリーのトラウマを抉ろうとしているのか。

 当の本人の姿は見当たらない。余程ハリーと直接相対したくないと見える。

 

「ハリエット」

「――ッ」

 

 低く、耳触りのいい声がハリーの中へと飛び込んできた。

 見上げれば、そこにはヒゲもじゃで小汚い様相の男がいた。

 シリウス・ブラック。逃亡中の凶悪殺人犯だと思っていた頃の彼。

 そして、何故かこの時の彼はハリーを殺害しようとしていた。

 

「ハリエットぉ!」

「ぐッ、う……!」

 

 がばっと覆いかぶさってきたシリウスに対し、ハリーは全力での抵抗を試みる。

 しかし気付けばその右手の中に杖はなく、身体強化の効果がまだ残っているはずの肉体も思うように動かない。確かこの時、実際の時間ではハリーは恐怖のあまり硬直していたはずだ。

 そう、ちょうど――

 

「ハぁリエットぉお!」

「……あ、」

 

 シリウスの手によって貞操の危機に陥ったかと、思ったからだ。

 その黒い瞳を憎悪に染めて、興奮しすぎた幻影のシリウスは口の端から泡を飛ばしながら、ハリーの着ていたパジャマを引き裂いた。

 下着が露わになるも、それも続けて剥ぎ取られてしまう。

 成長途中の、年齢の割には大きめな乳房が空気に触れてしまう。

 パジャマのズボンも、同じく引き裂かれてゆく。いつのまにシリウスの腕が四本にまで増えていたのか、ハリーの両手首を一本目の右手で握りしめて抑え込み、対となる左手がハリーの口元を押さえている。そして残る二本目の両腕が、次々とハリーの着る衣服を引っぺがしていくのだ。

 赤熱するほどの羞恥がハリーを襲う。

 幻覚の尻数は、乱暴な手でむき出しになった腹に触れてくる。ざわり、と撫でられる。ぞろり、と露わになった鎖骨を舐められる。こんなもの、気持ち悪いとしか言いようがない。

 確かに、シリウスとの思い出の中にはこうしたトラウマがあったに違いない。殺されかけたことが、今でも夢に見るトラウマになっていることは否定しようがない。

 だがこの、この状況。性的暴行をシリウスが仕掛けようとしてきたことは、結局ハリーの勘違いであったし、彼がそのような卑劣な行為を仕出かす男であるとは信じられない。いや、信じない。

 ここにきてハリーの心から湧いてくるのは、恐怖でも絶望でもない。

 好き勝手にぼくの大切な人を編集して、都合のいい悪人に仕立てあげるな。

 彼は、シリウスおじさんは、決してこのようなことをしない。

 

「ふざけるな、ブレオォォォアアア―――ッ!」

 

 憤怒。

 怒りのままに絶叫したハリーは、自身を押さえつけるシリウスの左手に全力で噛みついた。

 口の中でゴリゴリという骨を削る感触が感じられる。

 手の脆い部分、つまり関節を狙って全力で噛みつくと、自身に覆いかぶさるシリウスがびくんと痙攣したように思える。緩んだ左手から全力で顔を振って離すと、すぐ近くに迫っていたシリウスの首めがけてハリーはもう一度噛みつく。

 狙うは頸動脈。

 女性、しかもまだ十四の少女であるハリーの咬合力はそこまで強いわけではない。

 だが人間の柔らかい部分に噛みつけば、致命傷の一つは与えられる。

 うめき声をあげて、シリウスモドキは一瞬右手の拘束を緩めてしまう。それを見逃すハリーではない。両腕が自由になった途端、勢いよく起きあがってシリウスモドキの額めがけて強烈な頭突きを放った。

 ばきん、という木の板を割るような音と共に、シリウスの身体が大きく吹っ飛んでゆく。ベッドを巻き込み、シーツをかき混ぜ、最終的にはガラスのように寝室の景色を粉々に割り砕いてどこかへと消え去ってしまう。

 

「ブレオ、ブレオ、ブレオォッ! おまえぇぇえええッ! 人の思い出に、土足で踏み込んできやがってェ! 出て来い、出て来ォいっ! このぼくが直々にぶっ殺してやる!」

 

 少女にあるまじき荒々しい言動で、ハリーは叫ぶ。

 泥のように濁ったエメラルドグリーンの瞳は既に爛々とルビーレッドに輝いており、蛇のように残忍な色を灯している。

 瞬間。

 周囲の景色がゆらりとざわめき、一瞬にして砂色の風景へと移り変わる。

 見覚えのある風景であると認識するよりも先に杖が閃き、ハリーの全身が淡く青白い光に包まれて跳び出した。眼前に出現したのは、ほどかれて風になびく紫のターバンを両腕の代わりにした怪人。

 半壊しながらも強くぎらつくその双眸は、ハリーと同じくルビーレッド。しかしその色は同じでも中身に満ちる感情は欲望そのもの。未成熟ながらも大人の女性の魅力も備えた少女の姿を見て、荒々しく咆哮した。

 かなりの魔力が込められている。

 ブレオもまた、ハリーを本気で殺しにかかってきているようだ。

 

「しッ!」

 

 短く呼気を吐きだし、ハリーは地を舐めるような低姿勢で疾駆する。

 漆黒の髪を幾本か、紫のターバンが薙いでゆくのがわかる。あと一瞬でも先程の格好のままでいれば、胴と腰が泣き別れしていたはずだ。

 稲妻のように不規則な動きで刃のようなターバンを避け続けるハリーに、吸血鬼は吠える。

 かぁ、と激しい叫びと共にクィレルの抉れた眼窩から、赤と銀の入り混じった血液が跳び出した。さながら細く強靭な鉄線のような二筋のそれを、驚くべきことにハリーは更に前進する事によって回避するルートを選んだ。

 左半身を逸らし、両腕を胸に抱き込むように折りたたんだ奇妙な体制のまま、残る両脚で強く地面を蹴って跳ぶ。砲弾のようなタックルをまともに喰らい、吸血鬼の痩せ細った身体が吹き飛ばされた。

 無様に地面を転がり衝撃を逃がした吸血鬼は、反動を利用して即座に起きあがると同時、地面を蹴ってクレーターを作りながらも壁に着地。暴風のようにターバンを振り回して少女の肉体を寸断せんと荒れ狂う。

 

「『フリペンド・ランケア』ッ!」

 

 どす、と鈍い音と共に鮮血が撒き散らされる。

 吸血鬼がひどく驚いた声と共に、壁から地面へと落ちて倒れ伏した。

 ハリーの杖先から伸びる紅槍が吸血鬼の心臓を貫いていた。彼女の立つ位置は、彼の立っていた壁のすぐ近く、しっかりと天井に立って杖を掲げていたのだ。

 真正面から不意打ちされた疑問と、吸血鬼としての弱点を貫かれた苦痛とに苦しんだ吸血鬼は一瞬びくりと全身を震わせるとその身を永遠に横たえた。

 紅の槍がばらばらと崩れ落ちる。槍を構成している魔力を消費して、吸血鬼の体内に突き刺さっている穂先から更に刃を生み出し、そしてそれを爆砕したのだ。まるでトマトのような様相を呈しているだろう彼の体内は、誰もが目をそむけるようなモノと化しているだろう。

 それを行ったハリーは、恐ろしく冷たい目をしたまま天井から降り、着地を決める。

 

「ブレオ……」

 

 次に現れたのは、毒の吐息を持つ老豹と毒の牙と致死の目を持つ巨蛇。

 しかしその姿には既に無数のヒビが入っており、幻影としてもあまりに不出来なことがよくわかる。

 

「もうやめろ」

 

 次に現れたのは、先程ハリーと死闘を繰り広げた代表選手たち。

 顔が真っ黒に塗りつぶされているダームストラング代表選手、手足が足りずまともに相対する事も出来ないボーバトン代表選手、ぼんやりと霞のように身体を維持できていない不知火代表選手。グレー・ギャザリング代表選手にホグワーツ代表選手に至っては、出現しようとして消えてを繰り返す体たらく。

 魔力枯渇か? ハリーの知る限りではまさにそのような現象が起きており、ハリーを殺すための幻覚を造りだそうとして失敗しているようにしか見えない。

 

「お前の負けだ、ブレオ」

 

 ひゅんと風を切って杖を振る。

 老豹も巨蛇も、選手たちも根こそぎガラスのように割れて消えてゆく。

 残るは口の端から血を流しながらも、未だに杖を此方に向けているブレオ。

 周囲の風景がなにもない、真っ白なだけの空間である以上まだ幻覚世界の中に閉じ込められているのだろう。内臓を潰すような想いをしてまで魔力を絞り出しているその姿は、流石としか言いようがない。

 

「……だめだ、ハリエットちゃん。ここから出すわけにはいかない」

「だが君にはもう、ぼくを殺すことはできない。君の魔力が切れるのは時間の問題だ」

 

 見れば、鼻血も垂れ流している。

 脳細胞が傷付いているのか、それとも単純にハリーが幻の敵達にブチ込んだ魔法に含まれる魔力が、幻覚を通じて術者へ逆流したのかはわからない。

 だがどう見ても、どう視ても、ブレオはもはや戦闘を続けられるような体調であるとは思えなかった。別に、彼のことを心配して言っているのではない。

 これ以上、無駄に体力と魔力を消費したくなかっただけだ。

 

「うるさいな……ッ。君を殺すまで、僕はいくらでも戦える」

 

 ハリーの言葉に、ブレオは言葉を荒げて駆け寄ってくる。

 何時の間にか彼の右手には、短剣が握られていた。恐らくあれも幻覚だろう。輪郭が多少なりともブレているため、たとえ心臓に刺さったとしても致命傷にすらならない。

 だが許さない。

 

「……ぁ」

 

 ハリーは杖を振るうと、その杖の周囲に白刃を纏う。

 無言呪文による、短刀魔法だ。

 半自動的に攻撃をはじく、防御志向の魔法ではあるが、刃物は刃物。

 もはや足元も定かではないブレオの両手首を切り落とすには、それで充分だった。

 

「ぁあ、あああああ……っ!?」

 

 更に踊るように回転し、彼の背後に回ると姿勢を低くしたまま右腕を振るう。

 ブレオの両足、その踵部分から驚くほど大きな音が響き渡った。

 ばつん、とゴムが千切れるような音と共に、ブレオの身体が崩れ落ちる。

 声なき悲鳴をあげる彼の首筋に、ハリーは杖先を向けた。

 

「待ッ、待ってよ! ハリエットちゃん、それは」

「待たない。『ランケア』、突き刺せ」

 

 円錐状の魔力反応光が杖から飛び出す。

 『刺突魔法』によってブレオの顎から上が、ぐずりと貫かれた。

 ばしゃりと、グロテスクな赤とピンクの何かが周囲に飛び散ったのを確認。

 そして次の瞬間。周囲の真っ白な空間が粉々に砕け散る。重ねられた風景のその奥からは、鬱蒼とした生垣が見えてきた。最後の課題における会場、クィディッチピッチに作られた迷路の中だ。

 まず目の前には杖を構えた体勢のまま白目をむいて泡を吹いているブレオ。がくがくと全身が震えており、やがて杖を取り落としたあたりもはや戦闘続行が可能であるとは思えない。

 次に、消滅しかかったドーム状の『盾の呪文』の中にいるセドリック。ハリーが幻覚世界に引き込まれて意識を失っていた以上、魔力供給がされていない『盾』は、数秒保つことができればいいようなもの。

 つまり、幻覚世界にいながらにして現実世界では数秒も経っていないということになるのだろう。つくづく厄介な呪文である。

 

「ハリー……」

 

 セドリックの声が聞こえる。

 幻覚世界で何をやったかまでは流石に分からないだろうが、しゃんと立っているハリーと今にも崩れ落ちそうなブレオを見れば、十分に察することもできるだろう。

 がくがくと震えるブレオは、かふっとのどに詰まった唾液を吐きだし血走った眼でハリーを睨みつけてくる。いったい彼のどこからそんな戦意が湧いて出てくるのか疑問だ。

 何が彼をそんなに駆り立てているのか、ハリーには分からないし知りたいとも思わない。

 ただ殺しに来るというのなら、それ相応の態度を取るべきである。

 

「ハァアアリエットォ・ポッッターァァァアアア―――ッ!」

 

 ブレオの瞳が、金色のそれへと変化する。

 魔法式が全身に行き渡り、びきびきと四肢の末端が硬質化。筋肉は膨張してローブを引き裂き、赤いマントを残して毛深くも逞しい筋肉を露わになった。口が耳まで裂け、ギラリと光る牙を並べた口吻へと変化する。

 漏れる唸り声は、殺意を込めた獣のそれ。ハリーを殺すと決めた、道化者の決意。

 

「ブレオ」

 

 ハリーは杖を逆手に構え、魔力反応光を溢れさせる。

 杖腕である右手を伝って右の肩までを赤黒い螺旋の光が埋め尽くした。『身体強化』の青白い灯りと、杖を起点に右腕を侵食する剣のような赤黒い輝き。相反する二つの光を纏って、ハリーはブレオめがけて跳びだした。

 それに呼応するかのようにブレオの身体もまた砲弾のように射出される。

 セドリックの鋭い叫びが響いた。ハリーを心配するが故の絶叫だ。

 それを背に、ハリーは金の瞳から涙を流しながら右腕を振り上げるブレオめがけて、

 

「君はいつもセクハラばっかりで、腹の立つ奴だったけど」

 

 杖剣を振り払い、彼の両腕を切り裂いた。

 

「でも、嫌いじゃなかったよ」

 

 牙の立ち並ぶ人狼の口から小さな悲鳴がこぼれる。

 生々しい音を立てて、生垣の迷路に青年の腕がふたつ赤を撒き散らして転がってゆく。

 バランスを崩したブレオが、片膝を突く。しかしそれでも諦めていないようで、人狼最大の武器である牙を剥き出しにして頭を突き出してきた。

 身体強化の影響下にある今のハリーには、その動きがよく見える。

 わざわざ両腕を切り落としたのは、ブレオに対する最終通告。戦闘力を奪ったのだからもう来るなというメッセージが伝わっていないのか、それとも受け取った上でなお襲いかかってきたのか。

 ハリーにはもう知る術はなく、知るつもりもなかった。

 警告はした。だから、もう容赦することはない。

 

「さようなら、ブレオ」

 

 首を振ってブレオの噛みつきを避けると、その反動を利用してその場でアクロバティックに一回転。着地と同時、足りない膂力を補う遠心力を利用した手刀が、ブレオの頸動脈を軽い音と共に掻っ捌いた。

 ばしゅう、と冗談のように吹き出る血液が、ハリーの右腕を真っ赤に濡らす。

 勢い余って喉笛も切り裂いてしまったのか意味のない言葉がブレオの唇から洩れる。徐々に人間の姿に戻りつつある彼の顔は、恐怖と絶望に染まっていた。

 ハリーを見る目が、完全に怪物を見るそれであることに彼女はすぐに気付く。 

 

「いや、だ。……ハ、リー……」

 

 ブレオが最期に呟いたのは、今まで彼が呼ばなかったハリエットの愛称。

 だがその目はハリーの事を見ていなかった。いまのは、どこか別の誰かの名だ。

 血塗れになって地べたに這いつくばり、ぼろぼろと透明な涙を流して茶色の髪を頬に張り付けて泣き逝く彼の姿は、惨めで、そして実に人間らしい。そんな最期だった。

 ぐったりとその身を地面に横たえ、その瞳に何も映さずにびくんびくんと痙攣するブレオは、もう間もなく死ぬだろう。地面を真っ赤に染める出血量が、もはや手遅れの域である。

 初めてだ。

 クィレルの時は、直接的なトドメは刺していなかった。

 しかもブレオは人狼とはいえ、理性を持った人間だった。そんな青年を、ハリーはその手にかけたのだ。正当防衛などという言い訳をするつもりはない。

 いつのまにかハリーの張ったドーム状の盾が解けたのか、セドリックが哀しげな顔をしてこちらへ歩み寄ってきている。倒れ伏して冷たくなってゆくブレオを見て、更に哀しそうな顔をする。

 彼は優しく、そして正義感にあふれた人間だ。

 ハリーの殺人を責めるだろう。

 

「ハリー。いや、ハリエット」

 

 しかし暖かい手が、ハリーの頬に添えられる。

 彼の哀しげな瞳は事切れたブレオにだけではない。ハリーにも向けられていた。

 憐れむのか。人殺しをしたぼくを、いや、殺してしまうことになったぼくのことを。

 彼の内心が分かるほど、ハリーは『開心術』に詳しくもないし、そもそも使えない。

 だがハリーの頭を優しく撫でて、自身の胸にそっと寄せる彼の優しさだけはありがたい。

 同族殺しの罪は、いくらでも受けよう。予想するまでもなく、ハリーが時折見てしまう悪夢の中にはクィレルだけでなくブレオも現れることは間違いないと思える。死喰い人であった彼を害した罪は、きっと魔法法律では裁かれない。だから、ハリーは自分を責める。

 まるで魂の表面が剥がれおちた、そんな音が聞こえた気がした。

 

「ありがとう、セドリック」

「……だいじょうぶかい」

「うん。もう大丈夫」

 

 これ以上、セドリックに甘え続けるわけにもいかない。

 それにまだ競技の途中だ。死喰い人という乱入者がいたことを、速く競技を終えてダンブルドアに伝えなければならない。ブレオが所属していた以上、ディアボロ魔法学校も怪しいものだ。

 ハリーのそんな考えを見抜いていたのか、セドリックが朗らかに笑う。

 

「さあハリー、優勝杯はきみのものだ。僕にはもう、受け取る資格はない」

「でもセドリック。他者の命を奪おうとしたのは、ぼくも同じだ。いや、実際に奪ったぼくのほうがより悪質だと思う。だから資格云々なんて、考えない方がいい」

 

 暗い空気を払拭しようと、つとめて明るく言うセドリックにハリーは反論する。

 先程と変わらず、お互いに一歩も譲らない。

 変なところで頑固なのはシーカーゆえなのか、それとも二人の性根が似ているからか。

 苦笑いをこぼしたセドリックは、やがてひとつの答えをはじきだす。

 

「じゃあ、勝負と行こう」

「それが一番だ」

「この通路の先がゴール。優勝杯まで辿り着いて、先に掴んだ方の勝ちだ」

「異存なし」

 

 セドリックは姿勢を低くして、両手を地に着く。

 ハリーはだらりと両手を下げ、猫のように身をかがめる。

 目指すは一直線、向こうに見える輝く優勝杯。

 いち、に、さんでスタートだというハリーに対し、セドリックはにやりと笑う。

 

「あと、勝った方は負けた方に何でも一つお願いをできることにしよう」

「えっ!?」

「ほーら行くぞ! いち、にの、さん!」

 

 ハリーが素っ頓狂な声をあげると同時、セドリックは笑いながら叫ぶ。

 不意打ち気味に始まった短いレースは、狭い通路の中を押し合い圧し合いながら進んでゆく。まるで競争とは思えぬ光景に、ハリーは一瞬だけブレオの死という重圧から解放された気分になってしまう。

 いけないことだと分かっていても、彼と競うのは本当に楽しい。

 身を投げ出すようにして小部屋に辿り着くものの、どちらが先に着いたかなどということは二人とも確認するのを忘れていた。

 優勝杯の置かれた台座の根元で、ふたりは転がったまま微笑む。

 立ちあがったセドリックが差し出してきた手を取って、ハリーは立ちあがる。そして目の前には優勝杯が勝者をたたえるように輝いていた。

 だがこの場合、二人も勝者がいるのはどうしたことか。

 

「せっかくだ。二人で同時に取ろう」

「いいのかい、ハリー」

「ああ。ホグワーツの優勝には変わりないんだ、別にいいだろう」

 

 すっきりとした顔で溜め息を漏らしながら言うハリーの瞳は、幾分か濁りが澄んでいる。

 そんな彼女の瞳を見て、セドリックは微笑んで呟いた。

 

「初めての共同作業ってね」

「……なにか言ったかな、セドリック」

「おっと。聞こえなかったことにしてくれ」

 

 ハロウィン前の大広間での出来事が一瞬、ハリーの脳裏をよぎる。

 少しだけ耳を赤くしたハリーは、照れを振り払うようにセドリックに言った。

 

「いいから、取るぞ! さっさと帰って色々と済ませなきゃ」

「そうだね。まだまだ僕たちには、やることがたくさんある」

 

 セドリックはハリーの肩を抱き、優勝杯の乗った台座まで連れてゆく。

 あまりに密着し過ぎているが、まあ、うん。悪い気はしないので放っておこう。

 輝く取っ手は、都合よくふたつある。

 それぞれ右と左に手を伸ばして、ふたりは囁くように言った。

 

「三つ数えて、だ。いいね」

「ああ。いち――に――さん――」

 

 青年と少女が、同時に優勝杯をその手に取る。

 瞬間。

 二人は自分のへその裏側をぐいと引っ張られた感覚に襲われた。

 驚愕に見開いた目で、ハリーはセドリックの目を見る。

 彼もハリーのエメラルドグリーンの瞳を見ており、互いの姿がぐにゃりと歪んだ。

 優勝杯は二人を連れて、景色ごと渦巻いて消えてゆく。

 向かう先は、骨肉、そして血。

 絶望渦巻く夜の墓場へと。

 

 

 ハリーは、地面にたたきつけられた。

 傍にはセドリックも一緒だ。彼は着地に成功したようで、ハリーの事を支えて立ちあがらせている。

 彼はすでに杖を握っており、周囲を警戒して『警告呪文』らしき魔力反応光を飛ばしていた。二人の周りを旋回するように飛び回る反応光は、カナリアの形をしていた。

 守護霊魔法のようにもみえるが、これは魔法式を見る限り危険を察知する類の物らしい。

 遅まきながらハリーも杖を取り出し、自身に『身体強化魔法』をかけた。これをセドリックにかけることもできれば幾分か助けになったろうが、ハリーはセドリックではない。よって体構造が違い過ぎる彼に魔法をかけることはできなかった。

 間違いない。

 誰かに見られている。

 

「セドリック」

「ああ……誰かがこっちに来る」

 

 墓場だ。

 手入れのされていない、さびれた墓場に二人は投げ出されている。

 明らかに課題の続きではないだろうと思わせられる、この陰鬱な雰囲気に二人の警戒心は、最大にまで高まっていた。これは間違いなく不慮の事態だ。

 さて、どうするべきか。

 墓場の向こうから歩み寄ってくる何者かは、フードを被っているようで何者かは分からない。だがシルエットからして、小太り気味のようだ。男だろうか。

 何かを抱えている。なんだ? 産着に包まれた赤ん坊、に見えなくもない。

 まさか。墓場に、赤ん坊を抱えたフードの不審者だと? ハロウィンの仮装と言われた方がまだマシなくらいに悪質なジョークだった。

 人影が何か囁いたようだ。

 ハリーの心臓が、狂ったように暴れ出す。

 なにかとてつもなく見てはいけないモノを見てしまったような、まるで、バーノンおじさんとペチュニアおばさんが夜に仲睦まじく歩いていた姿を見てしまった幼いときのような、そんな危険な気分になってしまう。

 なんとなくハリーは、自身の額に刻まれた稲妻状の傷を左手で抑えた。

 その、次の瞬間。

 

『余計な奴は殺せ』

「『アバダケダブラ』!」

 

 おぞましい声と共に、身の毛もよだつような緑の魔力反応光が瞬いた。

 アレが何なのかを看破する前に、ハリーは半ば本能的にセドリックを抱きかかえてその場から飛び退く。着弾した墓石が、風化するように塵となって風穴をあけられていた。

 死んでいる。

 あの墓石に使われている石材が、いま死んだ。

 あまりに膨大な魔法情報によって視神経が痛む感覚を味わいながら、ハリーは緑色の魔力反応光がなんなのかを解析しようとして視た。

 だがわからなかった。

 なんなのだ。いまの極悪な感触のする魔法は。

 

「ちょこまかと。『ステューピファイ』!」

 

 フードの男が、再度杖を振り回して魔法を放ってくる。

 その動作は遅かった。代表選手たちという速度の怪物たちを相手にしてきたハリーが、それに反応できないわけがない。セドリックもまた同じだ。ふたりはホグワーツを代表する、代表選手なのだ。

 二人で同時に張った『盾の呪文』は、男の放った赤い魔力反応光の進路上に現れる。

 盾がその魔法を防ぐと同時、ハリーは身体強化した脚で不審者に跳びかかるつもりだった。

 しかし。

 

「がァ、う……ッ」

「――セドリック!?」

 

 隣の青年が、くぐもった声と共にその全身から力を溶かして崩れ落ちてしまう。

 魔力反応光が、不自然に曲がった。

 折れ曲がった赤い反応光は構えられた盾をすり抜けて、セドリックの膝へと命中したのだ。

 一瞬で意識を手放したセドリックに驚きながらも、ハリーは不審者に向けて『投槍呪文』を放つ。不審者は杖を一振りすると、その紅槍をドルーブルの風船ガムへと変身させてしまった。

 恐るべき変身術だ。

 セドリックを庇う形で立つハリーを見て、男は抱えている包みに耳を傾ける。

 そして頷いた彼は、フードを一気に取り払う。

 その姿を見たハリーは、憎々しげにつぶやいた。

 

「ワームテール……!」

「お久しぶりです、お姫様」

 

 嫌味な物言いと共に、皮肉げな言葉を飛ばしてきた小男。

 その目は憎々しげな色に染まっており、ハリーではなくその面影を残すジェームズへと向けられているのがわかった。

 

【ナギニ】

 

 しゅーしゅー、という奇妙な声。

 それが何者かの名を呼んだ声だということに気付いたその時には、すでに遅かった。

 ハリーの左のふくらはぎにに、何やら熱いモノが差しこまれている。

 瞠目して見れば、巨大な蛇がハリーの脚に甘噛みしていた。本気で噛んでいれば、おそらくハリーの柔らかい肉など噛み千切れただろう、丸太のような蛇。

 恐るべき大きさだ。ハリーは脚からなにか熱いモノが一瞬にして全身に広がったのを感じると同時、その腰を地面へと落としてしまう。

 麻痺毒を注入されたのか?

 なんにせよ、この状況下でこの状態は非常にまずい。

 どうぞ殺して下さいと言っているようなものだ。

 

『いそげ、待ち遠しい』

 

 また奇妙な声がした。

 ワームテールは『縄魔法』を唱えると、身動きの取れないハリーの身体を墓石に縛りつけた。その際に舐めるような視線で胸や露出した腹を見られたことに、強い不快感を覚える。

 ハリーのポケットからはみ出していたハンカチが引き抜かれ、それを口の中に乱暴に突っ込まれる。舌で押し出そうとするも、苦しくなって咳き込むだけで終わってしまった。

 この不可解な声は、やはりピーターのもっている包みから聞こえてくるようだ。

 一体何が入っているんだ。まさか本当に赤ん坊なのか。

 ハリーは意識を失って横たわっているセドリックを心配そうに見つめてから、ワームテールが杖を振って取り出した大鍋を見た。

 デカい。あまりにもデカすぎる。それも石製の、おどろおどろしい見目をしている。

 大鍋の底から、ぼこぼこと沸騰する液体が次から次へと湧いて出てくる。

 まるでその液体自体が燃えているかのように火の粉を漏らしている。魔力式も散見されるが、一体何を意味しているのかすらわからなかった。理解が及ばない。

 

「準備ができました、ご主人様」

『さあ、さあ、さあ』

 

 ピーターの冷たい声が響いた。

 それを待ちわびたかのように、奇妙で冷たい声が催促をする。

 包みがピーターの手によって解かれて、その中身が露出した時ハリーは眉をしかめた。

 やはり赤ん坊だった。

 黒髪の健康そうな赤ん坊が、その小さな手足をふにゃりと動かしている。

 だが幼子特有の、母性本能を刺激する可愛らしさなど欠片もない。あれはもっと、邪悪な何かだ。少なくとも、見た目通りの赤ん坊であるはずがなかった。

 その赤ん坊を持ちあげたピーターは、躊躇することなくその矮躯を鍋の中へ放り込む。

 どぷんと乱暴に落ちた赤ん坊は、ひと声あげて熱湯の中へ沈んでいった。

 湯の色が急激に真紅へと染まる。

 まるで血の色そのものだ。

 

「『父親の骨、知らぬ間に与えられん。父親は息子を蘇らせん』!」

 

 ピーターの囁き声に、とてつもない量の魔力が込められている。

 夜の闇に向かって唱えられた邪悪な呪文は、魔力反応光がまったく見られなかった。

 ばかんと重々しい音と共に、ハリーの足元に亀裂が入った。

 そこから飛び出してきたのは、一本の骨。

 ぐずぐずに腐った肉が少量こびりついた、恐らく人間の大腿骨らしきモノだ。

 鍋の上へと浮遊して言った骨から、塵埃のように肉や汚れが風に乗って消え去ってゆく。そしてまるで輪切りにしたかのように割れた骨は、さらに粉となるまで細かく割れ続けた結果、重力に従ってまた鍋の中へと沈んでいった。

 湯の色が奇妙な、群青色とシルバーをかき混ぜたような色に変化する。

 

「う、ぶ……」

 

 ハリーはこの光景を見て、ひどく吐き気を催していた。

 まるで生物として知ってはならないことを突きつけられているかのような、自分の存在意義すら揺るがすかのような光景が広がっている。

 恐ろしい。単純にあの行いが恐ろしすぎる。

 

「『しもべの肉、喜んで差し出されん。――しもべは、ご主人様を蘇らせん』」

 

 ピーターの氷のような声が、一瞬だけ震えたように見える。

 指が欠けた右腕を鍋の上に差し出した彼の引きつった表情を見て、ハリーは目を逸らすべきだったと後悔する。にちゃりという液体音とともに、ワームテールの肘から先の肉が腐って鍋の底へと消えてゆく。。

 くぐもった悲鳴を漏らすピーターの白骨だけになった右腕が、先程の骨と同じく輪切りになって順々に湯の中へと投入されていく。『まともじゃない』……こんな行動、きっと『まともじゃない』んだ……。

 

「ぐ、うう……。『敵の血、……力づくで奪われん。汝は、……敵を、蘇らせん』」

 

 苦痛にあえぐピーターが、何時の間にか目の前に寄って来ていた。

 ハッとする間もなく、彼の残った左手が閃いてハリーの露出した脇腹を突く。

 今度はハリーが激痛に呻く番だった。

 口に突っ込まれたハンカチによって外には出なかったものの、涙がぼろぼろとこぼれて痛みを主張している。ピーターはその様子を見て、幾分か溜飲を下げたようだ。にい、といやらしい笑みを浮かべている。

 ピーターの指先に付着したハリーの血液は、風に乗って鍋の中の液体へと注がれてゆく。 

 途端、沸騰が収まった大鍋の湯は銀色に光り輝きはじめた。

 その光を見た途端、ハリーは一瞬だけダンブルドアのヒゲをおもいだした。

 

「……『過去から居たりし、ご主人様は、うつつの己を救うべし。己は己を蘇らせん』」

 

 ワームテールが次に懐から取り出したのは、なにやら古びた小瓶の中に入った黒い粘液。

 ハリーはそれに見覚えがあった。

 あれは、インクだ。

 紛うことなき、ハリーが二年生の時に死闘を繰り広げた過去の記憶、その者を構成していた黒いインクに間違いない。つまり、あれは。あれは……。

 どぷんと小瓶ごと投入されたそれが鍋の底へ辿り着いた、こつりという小さな音が墓場に響く。その音はすなわち、絶望への序曲であった。

 

『ああ』

 

 再び狂ったように煮立ち始めた大鍋の湯は、もはや液体とは呼べない状態だ。

 まるで金剛石のような眩い輝きを放ち、漆黒の墨が夜闇から流れ降りてくる。

 歓喜に震えた、冷たい声が聞こえる。

 ハリーの心臓が、魂が、恐怖に震えていた。

 大鍋が中の液体ごと、ぐにと歪んでかき混ぜられる。

 石製とは思えない変化を見せた大鍋は、次第にまばゆい光を閉じ込めるかのように闇で覆われていった。水に墨を流したかのような霧が、称えるようにグロテスクな液体の中へ吸い込まれてゆく。

 漆黒の液体がぐにゃりと動くと、中から白い腕が飛び出してきた。

 

「――――――、」

 

 ハリーが絶望の声をあげる。

 それに喜び、哄笑するかのように残りの手足が液体から突き出された。

 徐々に液体の表面に肉が張られてゆく。それはまるで、大人の手足を持った胎児だ。

 そこからの変化は速かった。

 骨がみしりみしりと形成され、成長して、それに追随するかのように内臓や皮が出来あがってゆく。手の指の間に合った水かきは退化して、毛のない尾は次第に尻の奥へと引っ込んでゆく。

 首のあるべき位置からぐにゃりと盛りあがった塊は、大口を開ける能面。

 ひび割れた置くから真っ赤な蛇めいた舌が、白く美しい牙が覗く。

 高い鼻が現れ、鼻の穴が空いて空気を盛大に吸い求めた。

 くぼんだ眼窩が膨らみ、切れ目が入る。

 周囲を漂う闇が、出来あがった人間の体にまとわりついて漆黒のローブと化す。

 それは両手の感覚を確かめるかのように動かし、己の額に右手を当てる。

 ずあっ、とかきあげられた髪は、ハリーと同じくらいの長さの艶やかな黒髪だ。

 それが中分けになって左右に流れ、静かに見開かれた紅い瞳は美しい。

 

『久々に吸う空気の、実に美味いことよ……」

 

 冷たい声は、徐々に肉声のようになって空気を震わせる。

 だいたい二十代後半から、三十代半ばの程だろう、黒髪の男がそこに立っていた。

 そして男は、今頃ハリーに気付いたかのように彼女へ視線を向けて、そのハンサムな顔を冷酷な微笑みを乗せて歪ませる。

 

「そう思うだろう、ハリエット」

 

 人当たりのよい、誰もが信頼を寄せるような優しげな顔に、冷たい蛇のような瞳。

 ヴォルデモート卿は復活した。

 




【変更点】
・他校代表選手の一人が死亡。
・ハリー・ポッターが殺人をおかす。
・セドリックの出オチ即死から、出オチ失神に。
・ヴォルデモート完全復活。

復ッ活ッ! ヴォル復活ッ! 闇の帝王、復ッ活ッッ!
してェ……お辞儀してェェ~~~~……。
今回は、中ボスのブレオ戦と、お辞儀復活回。ハリーが一線を越えて人を殺すのと、完全復活パーフェクトお辞儀様だぜのお話でした。散々フラグを立てたセドリックは失神、お辞儀は全盛期状態で復活。
次回は今までの伏線回収とお辞儀シーン。お辞儀するのだ!

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