ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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4.暴れ回るガマガエル

 

 

 

 ハリーは困惑していた。

 ファッジによる情報操作は見事に成功しており、ホグワーツにおけるハリーへの評判は「頭のおかしいあばずれ女」である。可愛らしい新一年生の男の子が迷っていたので親切心を起こして案内しようと声をかけたところ、「お助けぇ」と叫んで逃げ去ったことさえある。隣にハーマイオニーが居なければ泣いていたかもしれない。

 そんなハリーはいま、とてつもなく困惑していた。

 マクゴナガルの言葉に従い、アンブリッジからの罰則をすべて話した。騎士団団員でもあるマクゴナガルは情報の漏洩を心配したものの、ハリーが歯をクラゲに変身させて乗り切ったことを話すと誇らしげに頷いて、一言だけほめてくれた。彼女からの褒め言葉だ、それで十分である。

 その帰り道に、ハリーは図書館で《闇の魔術に対する防衛術とそれを取り扱う愚かな魔法使いたち~トロールは杖を振るか~》を借りるために立ち寄った。

 そこで出会ったのは、誰あろうドラコ・マルフォイ。

 彼女が困惑したのはこの後だ。スリザリン寮の友達と一緒になにやら本を探していた様子なので声を掛けない方がいいだろうと思ったのだが、ドラコが友人たちを帰らせてハリーを呼び止めたのだ。

 

「ポッター、ちょっとこっちに来い」

「……?」

 

 いぶかしげに思うも、ハリーには拒む理由がない。

 ひと気のないテーブルを見つけて、ドラコはハリーへ座るように促した。

 まさか彼と一対一で話すような機会があるとは思わなんだ。ドラコとスコーピウスの父親は、死喰い人のルシウス・マルフォイだ。プライドの高いドラコの事だから騙し討ちはしないだろうが、一滴の警戒心を抱いておいたほうがいいかもしれない。

 

「なに、君も何か聞きたいのかい」

「そうだ、ポッター。君はこの一ヶ月、ほぼ毎日あの日の事を聞かれているな」

 

 あの日。セドリックが死んだあの日のこと。

 よもやドラコがそれを聞いてくるとは思わず、ハリーは思い切り顔をしかめた。

 それを気にした風でもなく、ドラコは言葉をつづける。

 

「ひとつ答えろポッター」

「内容によるね」

「彼は、セドリックは君を守ったか」

 

 ドラコの言葉に、ハリーは少しだけ目を見開く。

 思い起こされるのは、最後の瞬間。ヴォルデモートによる犠牲者たちの精神体が、奴を食い止めている間にセドリックを連れてホグワーツへ帰ろうとした時。

 走って走って、ついには片足を斬り飛ばされて地面を転がって。

 頼みの綱の杖も武装解除されて、大柄な死喰い人に殺されかけたあの瞬間。飛ばされた杖を拾っていたセドリックが、間一髪で助けてくれたあの場面。あの時の彼のハンサムな笑顔は、おそらく一生涯忘れることはないだろう。

 なぜか心を乱すことなく思い出すことが出来たハリーは、暖かい気持ちになりながら頷いた。セドリックは確かに、自分を守ってくれたのだ。

 

「……そうか」

 

 ハリーの頷いた姿を見て、ドラコは彼女の眼を見つめる。

 酷く濁ったエメラルドグリーンだった彼女の瞳はいまや、憤怒のワインレッドに染まってしまっている。ヴォルデモートの影響だろうと皆が口々に噂しているが、真偽のほどはわからない。

 しかしハリーは今の言葉に頷いた。

 ドラコは一言だけを言うと、興味を失ったかのように席を立つ。

 止める気はないが、ハリーはそれに対して一言だけ投げかけてみた。

 

「なあ、ドラコ。どうして急にそんなことを聞いたんだ」

 

 その言葉は無視されるかと思ったが、意外にもドラコは足を止めて振り返った。

 苦々しげな顔を隠すこそもせず、ぶっきらぼうに言う。

 

「ディゴリーに、『次は自分でやれ』と言ったからだ」

「……何のこと?」

「わからないなら、それでいい。彼は自分の務めを果たした、それで十分」

 

 どこか満足したようなドラコは、まともに答えることはせずに立ち去って行った。

 いったい何がしたかったのか分からないハリーは困惑する。ただ、ドラコとセドリックの間で何かがあったのだろうことだけは確かだ。同じシーカー同士、何かしらあったのかもしれない。セドリックの生前はドラコと何かを話していた姿を見かけることもあったから、彼なりの親交もあったのだろう。

 それを想うと、セドリックを亡くしたことは本当に痛手だった。

 あのときハリーにもっと力があれば。ヴォルデモートを打倒するほどの力があれば、彼を死なせずに済んだのかもしれない。そう思うと、ハリーは現状がとてつもなく歯痒かった。O.W.L.試験への勉強に苦しんでいるいまが、ひどく奇妙なものに思えてしまうのだ。

 

『《防衛術の理論》だって? なんだってそんな燃えるゴミを読んでるんだ?』

 

 夜になって、同部屋の皆が寝静まったころにハリーは《両面鏡》を取り出して話しかけた。

 すぐ隣にはハーマイオニーもいて、同じベッドの中で毛布にくるまって鏡を使用している。冬も近くなっているため、暑さについては心配いらない。同部屋のパーバティとラベンダーにこの内緒話が聞かれないかを心配すればいいが、そこはハーマイオニーが『音漏れ防止呪文』で何とかしてくれた。

 現状を相談したところ、鏡の向こうでシリウスが心配そうな顔を浮かべている。

 アンブリッジが指定した教科書の《防衛術の理論》は、ハッキリ言って身のない内容である。一足す一は二になりますということを、一〇ページかけて美辞麗句を駆使して説明しているようなものなのだ。水で薄めた魔法薬でもここまで役立たずなものはあるまい。

 

「ねぇシリウス。あのガーゴイル女(アンブリッジ)は何を考えていると思うかしら」

 

 ハーマイオニーが問いかけると、シリウスは頷いて言う。

 

『アンブリッジは性格の捻じれ曲がった魔女だ。ハッキリ言ってまともな思考回路をしていると思わない方がいい。いまに純血以外の者は吊るし首にすべきだと言い出すぞ』

「だろうね。胸の痛みは忘れたことはない」

『その件に関しては私が対策出来るモノを持っている。キングズリーにたのんで、ホグワーツまでふくろう便で運んでもらうからもう少しの辛抱だ』

 

 アンブリッジによる罰則の内容を、ハリーは意地を張ることなく親友二人に相談していた。ロンもハーマイオニーもそれに対して憤怒しており、ロンはアンブリッジへ呪いをかけようとまでしていたほどだ。

 シリウスもこの件に関しては大変お怒りのようだったが、似たような罰を経験したことがあるのだとか。その際に対策として作った魔法具が今も亜空間のどこかにあったはずなので探してくれているという、ありがたい言葉をくれた。

 さて、アンブリッジという魔女の事をシリウスはよく知っているのだという。

 

『何を隠そう、私をアズカバン送りにしてくれた張本人だからね』

「はいはいどうどう、ハリー落ち着きなさいな」

「どいてハーマイオニーあいつ殺せない」

 

 ベッドの上でしばらくどたばたしたのち、シリウスの咳払いで二人は正気に戻る。

 苦笑いを浮かべるハリーと呆れたハーマイオニーに向かって、シリウスはあくまで憶測に過ぎないがと前置きしてからアンブリッジの考えを語ってくれた。

 いわく、ファッジはダンブルドアが武力を持つことを恐れているのだという。

 

「ばかじゃないの」

『ああ、ばかになってしまった。だから手におえないんだ』

 

 ファッジは権力にしがみつくあまり、ダンブルドアが魔法大臣の座を狙っている自論をより強固なものへとしてしまう。そして現在の魔法省は彼の意のままに動いている(と思っている)ため、それを突き崩す手段となればやはり暴力以外にはありえない。

 ウィゼンガモットの除名や魔法戦士団から退団させたり、勲一等マーリン勲章を剥奪したりと、ダンブルドアへの数々の嫌がらせを行ってきたファッジでも、ダンブルドアが英国最強の魔法使いである事実くらいは見逃さなかったらしい。

 つまり魔法省を襲撃し、腕尽くで魔法大臣の座を奪いに来ると思い込んで戦々恐々としているのだとか。この情報をシリウスへもたらしたのはキングズリーだが、その彼がファッジの護衛として四六時中の任務に就かされていることから情報への信頼性はばっちりだ。哀れなキングズリーは現在三ヶ月の連勤記録を更新中である。

 そうしてダンブルドアが武力に訴えかけると妄想しているファッジは、彼が軍団を構築すると思ったようだ。ホグワーツの学生を集結した魔法使いの武力集団。それこそがファッジの最も恐れているものであり、そしてその在りもしない計画を阻止するために送り込んだエージェントこそがアンブリッジなのだ。正直言って人選ミスとしか言えない。

 

『ファッジも悪人ではなかったんだがなぁ』

「あれで?」

『そうだとも、ハリエット。彼の若い頃、大臣になる前の小役人時代は英国魔法界をよくしようと使命感に燃える、無害な男だったのだ。……恐怖は容易く人を変える。ヴォルデモートは人間関係に不和を呼び込み、自滅させることを最も得意としているんだ』

「……身をもって知ったよ。厄介極まりないね」

 

 こういった場合、ハリーは鍛錬をしていると自分を安心させることが出来る。毎朝のジョギングや、夕食後のお風呂へ入る前の筋トレ。実践的な魔法の勉強などをしていると、自分に戦闘力がついていると自覚出来て心がすっきりするのだ。

 だが今年度に入ってそれもなかなかできない。朝走ろうと思って城を出るとアンブリッジが居て、淑女がはしたないことをすべきではないから寮へお戻りなさいと優しく言ってくるのだ。夕食後の筋トレ等も、グリフィンドール寮以外でやるとアンブリッジが飛んできてじっくり観察してくるのだ。《忍びの地図》でも持ってるんじゃないかと思うくらいの遭遇率である。

 しかしダンブルドアが軍団を設立するにあたって、そのメンバーにハリーが入るであろうことはファッジも想定していたのだろう。自分の脳みそや肉体をいじめて鍛えていないと落ち着かないのに、いい迷惑だ。

 そういえば一年生の寂しい時期に、筋力を鍛えたいと思ってもトレーニングルームがないことに嘆いていたハリーは偶然、最新の筋トレグッズであふれた不思議な部屋を見つけたことがある。以降は二度と見つからずに、あれはホグワーツにある不思議の一つなのだろうと納得していたが……。自由に鍛錬できない今、行けるならばまたあの部屋に行きたい。

 

「……シリウス、私たち闇の魔術に対する防衛術を自分たちで勉強しようと思ってるの」

『ほう? 続けてハーマイオニー』

「初耳なんだけど」

「いま言ったもの」

 

 あっさり巻き込んでくるあたり流石である。

 文句の言葉も適当に返されて不満そうな顔をするハリーを尻目に、ハーマイオニーは言葉をつづける。わざわざシリウスに相談するからには、ただ勉強するだけではないのだろう。

 

「アンブリッジがまともに授業をしないなら、私たちで勝手に授業をしてしまえばいいのよ。実践的な闇の魔術に対する防衛術をね」

『なるほど。闇のやつばらに対する勉強会というわけだ。それで、我らが獅子寮の才媛殿。具体的にどうするのかは決めているのかね?』

「からかわないで。だいたいのプランは決めてるけど、実際にどんな呪文が実戦で有効なのかを聞きたかったの。この中で実際に闇の魔法使いと多く戦ってるのは、ハリーだけど……それでも実際に暗黒時代を戦い抜いたあなたの意見を聞きたいのよ、シリウス」

 

 うまいものだ。

 今のシリウスはブラック家の屋敷に閉じ込められて、かなりの寂しがり屋になっている。毎晩ハリーと両面鏡でお喋りするのが一日における唯一にして最大の楽しみだと、物凄い哀愁漂う声で言われたときはまなじりから愛おしさ(なみだ)が溢れてしまった。

 犬だって散歩させなければふて腐れるのだ。悪戯仕掛人パッドフットならば尚更だろう。

 ハリー自身もシリウスに近い気性であり、年単位で一ヶ所にじっとしていろなどと言われたらどうなるか想像できない。想像はできないが、おそらくこうなるだろう姿が鏡の向こう側にいる。

 つまりハーマイオニーは、そこを突いたわけだ。あなたを頼りにしているというポーズを見せて自尊心をくすぐりつつ、最大限の情報を引き出す。シリウスとてハーマイオニーの思惑には気付いているはずだが、あの嬉しそうな顔と言ったら。今なら過去の女性遍歴を聞いたところで口を滑らすに違いない。

 

『まあ、そこまで言うなら仕方あるまい。うん。一週間……いや三日だけ待ってくれ。私が思いつく限りの闇の魔術に対抗できる魔法を羊皮紙に書き上げよう』

「ついでにシリウス自身が五年生のころ使っていた教科書と羊皮紙も欲しいわ」

『私は授業中にメモなんてばかばかしいものは書かない主義だったんだ。しかし教科書は確かまだ自室にあったはずだ。母上殿が捨てていなければね。一応探しておこう』

 

 ハーマイオニーとシリウスが着々と意見を交わす中、ハリーは二人の声を聴いてうとうとしていた。ベッドサイドに置いた腕時計を見てみれば、もう夜中の一時だ。

 ハリーはもう二人を放っておいて眠ることにした。幸いにしてハーマイオニーの匂いと体温で、最高の安心感と朝までぐっすり快眠は約束されている。彼女を抱き枕にしてもいいかもしれない。

 意識が落ちる前にハーマイオニーから何かを問われた気がしたが、適応にYESと言っておいたハリーはニンバス二〇〇〇にまたがって、夢の世界へと旅立った。

 

 

 なんだか、甘い夢を見ている。

 頬が紅潮し、体が熱くなる。目の前の彼を殺して、自分だけで独占したい。

 彼を自分だけのものにしたい。押し倒して、そのすべてを奪ってしまおう。

 何か、甘い夢を見た気がする。

 

 

「生徒に体罰を施すなど、許されることではありませんッ」

 

 翌日、呪文学の授業が終わって教室から外へ出ると、震わせた大声が廊下中に響き渡った。

 マクゴナガル先生の声だ。何事かと思ってグリフィンドール五年生が駆けつけると、階段の上でマクゴナガルが何やらアンブリッジに詰め寄っている姿があった。彼女の表情と先の叫び声によって、おそらくハリー以外にもアンブリッジの罰則を受けた人物が次々とマクゴナガルへ訴えたのだろう。

 問題は詰め寄られているアンブリッジである。

 ホグワーツでは他のマグルでの格式ある寄宿舎学校と同じように、教師によって罰則を与えることが可能であるのは有名な話だ。これは罰を与えることで自覚を促し、ついでに年長者への敬意を育てるという目的がある。かつては痛みを与える罰則もあったが、現代のホグワーツにおいてそれは御法度だ。ダンブルドアが絶対に許さない。

 アンブリッジはそれを破ったことがバレたというのに、あの余裕の態度。

 まるで意味が分からない。

 

「おや……フフッ、聞き違えでしょうか。教師間でのやりとりにおいては互いに批判できる規律はなかったように思えますが。それでも貴女は、よもやわたくしの権限に口を出されるのですか、ミネルバ?」

「生徒たちへ罰則を与えるのでしたら、規定にのっとって施すべきと言ったのですよ、ドローレス。問題はあなたの罰則があまりに残酷であることです!」

 

 憤慨しているマクゴナガルの前で、アンブリッジはあくまで涼しい顔を保っている。

 それを見てハリーは、嫌な予感がしていた。

 あの女は自分の勝利を疑っていない。なにか、何かをやらかす気がするぞ。

 

「わたくしのやり方に異議を唱えるのは、魔法省ひいてはコーネリウス大臣、そしてこの英国へ反旗を翻すことと同義ですわよ」

「なん……、どういうことです」

「心が広く美しく寛大で優しいわたくしでも、我慢のならないものがひとつあります。それは忠誠心のなさです、ミネルバ・マクゴナガル」

 

 もったいぶって言った言葉に、マクゴナガルが頬を引きつらせる。そして、呆れたようにも見える仕草で、アンブリッジの言葉を繰り返した。

 

「忠誠心のなさ」

 

 この現代で使うような表現ではない。少なくとも、教師が使う言葉でないことは確かだ。

 どよめく生徒たちに囲まれる中、アンブリッジは醜悪な顔をさらにぐちゃぐちゃにひん曲げて微笑んだ。優越感と嗜虐心にあふれた、邪悪な心が透けるようだ。

 

「そのとおり。魔法省はじきにホグワーツへ杖を入れるでしょう。学習意欲のなさ、成績の低下、そして魔法省への忠誠不足。この学校のお子様たちは、あまりにもなっていません。ぐふっ」

 

 閉口したマクゴナガルを見て、舌戦に勝ったと思ったアンブリッジは得意げに笑う。

 あの顔が浮かべられた以上、絶対に、間違いなくろくなことにならないだろう。

 最後にあの女が漏らした笑い声は、ホグワーツの将来を示すようだった。

 

「うわぁーお……」

 

 翌日。朝食の席で届いた日刊預言者新聞を開いて、ハーマイオニーが呻いた。

 何故そんなロクデナ新聞(ロン命名)を読んでるのかとハリーが問えば、敵の主張は知っておきたいとのこと。政府を相手に敵宣言とは、これまた彼女らしいと言えば彼女らしいのだろうか。

 どれどれと思ってドーナツをかじったままのロンが目を通してみれば、一面にアンブリッジの写真が踊っていたため彼は思い切りむせた。

 ハーマイオニーの様子からそれを予想していたハリーは口に食べ物を入れておらず、手に持っていたミートパイを取り落すだけで済んだ。

 新聞によれば食虫植物の咲き乱れるようなほほえみを見せつけるアンブリッジが《ホグワーツ高等訊問官》なるものに任命されたのだという。建前上の理由としてはホグワーツの独裁的な教育指針は目に余るモノであり学力低下の改善と学生の意識向上を図るために魔法省の基準に満たすための査察を行うのだという。

 これの真実はファッジによるホグワーツへの積極的介入と情報収集(いやがらせ)といったところだろう。何よりもアンブリッジを選んでしまった時点で、まともな政策であるとは言い難い。あれほどまでに性根の捻じれ曲がった人物を起用すると、どのような取り組みであろうともくろみ通りにはいかないだろう。

 ハリーは今日の授業から大変な目にあうだろう予感をひしひしと感じていた。

 

「変身術において最も重要なのは変身させる先の知識です。マグルにトロールを描けといって正しい絵が描けないのと同じく、知らないものには変身させることが出来ません。魔法とはあいまいな部分の多い学問ですが、しかし変身術の場合は知恵を持つ者に限って微笑みます。今日は実際にあなたたちに目の前の品物を、飲み物が冷めにくいタンプラーへ変身させてもらいましょう。では教科書の四八九ページを開い」

「ェヘン、ェヘン。マクゴナガルせんせっ。ちょーっと質問よろしいかしらん?」

 

 マクゴナガルの言葉に従って羽根ペンを動かしていた生徒たちが、突如教室へ響き渡った甘ったるい声に辟易する。後ろを振り返れば、ピンク色のビジネススーツに身を包んだアンブリッジが立っていた。

 吐き気を催す邪悪な格好をしているが、やはり政治家なのか趣味の悪さはともかくとして様になっている。カツカツとわざとらしくハイヒールの音を立てて、ハリーが見たことないほど唇を真一文字に結んだマクゴナガルの元へとガマガエルがやってくる。

 

「マクゴナガルせーんせ。貴女は確か魔法教育資格特A級を持っていらしたわねん」

「……ええ、そうです」

「であれば五年生には上級変身術概論前編の第五〇六章までしか教えるべきであるという魔法省の教育指針をご存知でしょう? 貴女の今おっしゃった変身術は五年生には不必要なものですわ」

「不必要な知識などありません。O.W.L.試験において意地の悪い質問にも答えられるよう生徒たちへ最善を尽くすのが我々教師の仕事ではありませんか」

「いいぇえん。貴女方教師の仕事は、魔法省の定める教育カリキュラムに従うことですわん。のちほど最新の教育カリキュラムを書き記したお手紙を送らせて頂きますので、熟読してしっかりと従ってくださいね。んふふっ」

「……そぉうですか!」

「そうなァんですのぉ」

 

 ネコとカエルが繰り広げる怪獣大決戦は、生徒たちの羽根ペンを動かす気力を奪い去っていた。満足そうに笑みを浮かべて下手なスキップで帰っていくアンブリッジの背中を教室中の全員が眺め、マクゴナガルから八つ当たり気味の鋭い視線がキッと飛んでくると同時に生徒たちは板書作業へと急いで戻って行った。

 地獄は終わらない。まるでハリーを尾行しているかのように、アンブリッジがついてきた先は二限目の魔法薬学だ。スネイプがいつも通りスリザリンを贔屓してグリフィンドールを扱き下ろし、ネビルが怯えた声を漏らしているところへ響いたカエルの鳴き声。

 スネイプがその動きを止めた。いつの間に湧いて出たのか、アンブリッジはひょっこりとスネイプの後ろからかくれんぼをする童女のような動きでスネイプへ質問を繰り出す。

 

「スネイポせんせっ。わたくし少し質問があるのですけれども、お時間よろしいですわね?」

「……我輩はスネイプだ」

「んではスネイポせんせ。闇の魔術に対する防衛術の教職を志望していたというのは本当?」

「…………………………左様」

「でも叶わなかった。窃盗犯やアイドルモドキやヒトモドキに負けている自覚はおありで?」

「………………………………ご覧の通り」

「ひょっとして才能がおありなのかしら。望むものすべてに背かれるという稀有な才能が!」

「……………………………………そのようで」

 

 この日グリフィンドールとスリザリンは一致団結して、目立たず静かに時間を過ごそうと決意した。スネイプがあれほどまでに不機嫌になった姿を、この中の誰も見たことがなかったからだ。

 黙々と薬を調合し続け、ネビルが失敗しそうになればすかさずハーマイオニーとパーキンソンが助けに近寄り、スコーピウスがそれをからかおうとすればハリーとドラコが愚かな弟へ無言で手刀を打ち込み黙らせた。

 アンブリッジがさんざんやりたい放題やったあとに、スネイプが八つ当たりしようとネビルの大鍋を見つめ、非の打ち所がない平凡な出来であることに気づいて舌打ちする。

 するとスネイプはやおらハリーをじっと見つめ、言った。

 

「その不愉快な顔にグリフィンドール一点減点。ポッターは罰則」

 

 ハリーがテーブルに突っ伏したことで魔法薬学は平和に終えることが出来た。

 恨めし気に友人たちを見てみれば、ロンやハーマイオニーの目が光っていた。おそらくミンビュラス・ミンブルトニアの件を根に持たれていたのだろう。しかしこの悪戯には納得がいかん。

 尊い犠牲を払って平和を保った獅子と蛇の生徒たちが目にしたのは、すでに次の教室でスタンバイしているアンブリッジの姿だった。

 げんなりする生徒たちの前で、アンブリッジは次々と教師たちの神経を逆撫でして彼ら彼女らの逆鱗へと執拗にデコピンを繰り返していった。フリットウィック先生の身長を自動メジャーで測って鼻で笑うのは序の口で、スプラウト先生の泥だらけの格好を見て露骨に鼻をつまみながら話しかけたり、ビンズ先生が頑なに教科書を読み上げる声が聞こえないほどの声量であれこれ質問を繰り出したり、シニストラ先生の目の前で巨大な灯り呪文(ルーモス)を放って星々を覆い隠したりと、鬱陶しい暴虐の限りを尽くした。

 教師たちも我慢の限界なのだろうが、しかし法律を盾に取られては彼らも何もできない。彼らの仕事は生徒たちを教え導くことであって、政府へ盾突いてつまらぬことで職を失い教鞭をとる機会をなくすことではないからだ。

 

「限界だわ! あの姑息で意地悪な変態クソババァ! あれで同じ人間だなんて恥ずかしい、同族などと認めてやるもんですか! あんなの×××だわ! ××××してやる、×××の×××××女ァ――――ッ!」

「落ち着けハーマイオニー、君がそんな口汚い言葉を使っちゃいけない。ロンが泣きそうになってる。だめだ、彼が抱く女の子への幻想を潰してやるな」

 

 震えるロンを抱き寄せて頭を撫でてやれば、若干幼児退行した様子で怯えていた。

 ここまで彼女が頭に来た理由としては、おそらく今日アンブリッジがやらかしたことにある。占い学の授業にて、ついにアンブリッジが教師に対して懲戒免職を突きつけたのだ。

 ハリーもハーマイオニーも占い学を受けていないが、かつて受講していたハーマイオニーによればメンタルの脆そうな女性教師だという。トレローニーという名を聞いて、ハリーはいつぞやの恐ろしい声の教師かと思いだす。

 授業を終えて教室をでたハリー達が見たのは、城の真正面に位置する噴水広場にて、喜々として手伝うフィルチを従えたアンブリッジがトレローニーを学校から追い出そうとしている姿だった。

 あまりの暴挙に不平不満を口にする生徒たちを、アンブリッジは教育令の第何条かを諳んじる。それは特別尋問官に対する暴言を吐いた生徒を停学とする、法とも言えない暴力的な何かだった。しかし実際に教師である以上、停学する権限を彼女は持っている。生徒たちは皆一様に押し黙るしかない。

 マクゴナガルに縋りついて大粒の涙を流すトレローニーを見て、アンブリッジは快感をかみしめているかのように蕩けた顔で早く出ていくようにと、赤子をあやす様な物言いで突きつけて楽しんでいた。

 それを救ったのは当然、ダンブルドアだ。

 微笑みながらトレローニーに自分の部屋へ戻るように言いつけて、涙を流して感謝する彼女をマクゴナガルに任せると、アンブリッジに対して「女史は教師を解雇する権限はお持ちじゃが、誰を城に残すかを選ぶのはまだ校長の権限だったはずじゃ」と言いきった。

 苦虫を噛み潰した顔をしたアンブリッジを見て、溜飲を下げた生徒はどれほどいただろう。悔しそうに「それも今日までのお話です」と言い放ったアンブリッジに痛い目に逢わされた者は大勢いるのだ。

 

「もしもあのタイミングでダンブルドア先生がいらっしゃらなかったら、トレローニー先生は本当に追い出されていたわ!」

「彼は本当に偉大な先生ですねミス・ハーマイオニー」

「落ち着けってロン。君の親友はいきなり噛み付いたりするような生物じゃないだろう」

 

 いまだにがたがたと震えるロンを放置するか迷って、そのままハリーはハーマイオニーも一緒に抱き寄せて落ち着かせるために頭をなでる。

 自分より小さな女の子に慰められているという状況にハッとしたのか、はたまた自分と彼女の身体でロンをサンドするように抱き寄せたからか。おそらく後者だろう理由でハーマイオニーは正気に戻った。ロンも同じく、ハーマイオニーの感触で気が付いたのだろう。二人とも顔を真っ赤にしていて、うん、自分でやったこととはいえちょっとばかり不愉快である。

 

「それで、ハーマイオニー。君はいったい何がしたいの?」

「決まってるわ。勉強よ」

 

 ロンが頭のおかしい人間を見る目で彼女を見ようとしたため、ハリーは茶化すべき時ではないと彼の頭をひっぱたいてやめさせた。

 幸いそれに気づいたものの言及する気のないハーマイオニーは、そのまま言葉を続けることにしたようだ。いまひとつの命が救われたのだ。

 

「アンブリッジがまともに授業をしない以上、私たちで学ぶ必要があるわ」

「でもO.W.L.の勉強があるのに、自主的に勉強する暇なんてないよ! ハーマイオニー、他の人たちは君と違って勉強に苦痛を感じるんだ!」

「あら。お言葉ですけどねロン、どちらにしろあのカエルババァの授業が継続する以上は、闇の魔術に対する防衛術の自習をする必要はあるわ。それにみんな勉強が苦痛だなんて有り得ない、現にハリーは喜んで勉強してるわよ」

「悪いけどハーマイオニー、ぼくは必要だから学んでるだけで勉強好きってわけじゃない」

 

 ハリーの意見をサラッと無視したハーマイオニーは演説を続けた。

 曰く、実践的な魔法を習わせる気がさらさらないアンブリッジに従ったままでは、闇の魔法使いに襲撃された場合にまともに対応できるとは思えないということ。

 曰く、自分の身を護るのは自分でしかない以上、対抗策を講じるしかない。その策として自ら戦闘にも使える魔法を学び、経験者からの指導による実力を養うべきであること。

 曰く、これを秘密の組織として結成し特定の生徒のみを対象に勉強し合うこと。付随して離反や及び密告と言った裏切り行為への対策を講じる必要もあり、さらにはアンブリッジにバレずにことをなすための隠密性の高い場所が必要であること。

 

「そしてその講師役には、ハリーが適任だと思ってるわ」

「ちょっと待った。ぼくは人にものを教えるなんてこと、したことない。それに君やドラコの方が物知りだろう、ハーマイオニー」

 

 この言葉にロンが片眉をあげた。マルフォイ家とウィーズリー家の確執は根深く、その名を聞くだけでも不愉快なのだろう。

 しかしハーマイオニーもまた、ハリーの言葉に対して難色を示した。

 

「あなたくらいしか実際に死喰い人と戦った人はいないからこその人選よ。それと、ハリー。あなたマルフォイと仲良くするのはもうやめなさい」

「……色々と言いたいことはあるけど、理由を聞いてもいいかな」

 

 一瞬で不機嫌になったハリーの顔を見て、ハーマイオニーはため息をつく。

 ロンが頭を乱暴に掻きながら言った。

 

「ハリー、マルフォイはスリザリンだ」

「だから?」

「父親が死喰い人なんだよ、わかるだろう?」

「それで?」

「信用できるところがないって言ってるんだ! 確かにあいつは優秀さ、悔しいけどそうだ。弟のスコなんとかよりずっと人間もできてる。だからこそ気に入らない。全部が全部、作り物な気がしてならない」

 

 ロンの言葉に、ハリーは眉を寄せた。

 友達を悪く言われたからだろうか。いや、友と言えるほど親交があるわけじゃない。

 では仲間か。グリフィンドールとスリザリンである以上、それはないだろう。

 ならばなんだろう。同じく向上心の塊であることからの同族意識……きっとそれが近い。

 それに彼の態度がどこか作っているものだということは、ハリーもまた感じていた。特に今年はそれが顕著だ。あれはなにかを隠していて、なおかつその秘密の重圧に心が軋んでいる者の態度である。

 彼はいったい何を知っているのか。

 父ルシウス・マルフォイが死喰い人である以上、ヴォルデモートに関連したことかもしれない。ルシウスは帝王の側近ともいえる立場にいる死喰い人であるからして、そういったことを知っていてもおかしくはないのだ。

 それこそ、シリウスがぽろっとこぼした『武器』に関することとか。

 

「ハリー。物言いはともかくとして、私もロンに賛成。マルフォイはどうにも信用ならないわ。スリザリンはアンブリッジに優遇されてるから、彼女への忌避感もないし」

「でもドラコはアンブリッジを面と向かってバカにしたけど」

「はっきり言っておくわよハリー。彼をこの勉強会に参加させる気はない。彼を引き込んだら、彼と親しくしている純血主義の皆々様が怪しむでしょうね。そうなれば秘匿性もくそもないわ、私はあくまでこの勉強会を内密のうちに進めたいの」

 

 ハリーは不満を心の内に溜め込んでいたが、渋々頷いた。

 彼女の言葉が正論であり反論する部分が見つからなかったからだ。

 しかし自分は、どうしてこうもドラコを推すのか。同族であるからか? 彼と競い合えば自分がもっと成長できると確信しているから? はたまた、彼を異性として好いているのか?

 同族である以上、彼を否定されるのはハリーをも否定することになる。こじつけの暴論だろうが、ハリーの心はイエスと叫んでいる。あまり否定されたくはない。だからこうしてムキになってドラコを勉強会に呼ぼうとしているのか?

 成長の糧となることは、確かだ。しかしドラコだけがハリーの心を刺激するわけではない。ロンだってハーマイオニーだって、ほかのみなだってハリーより優れて見習うべきところはたくさんある。自分が一番などと自惚れたつもりはない。

 ドラコを好きなどと、馬鹿を言っちゃいけない。彼だけは違うと断言できる。彼を異性として意識したことなど今まで一度もなかった。去年のあの日、ダンスパーティのあとにドラコの言葉をもらってもなおこう言い切れるのだ。間違いないだろう。

 では何故なのだろうか。

 ベッドの中で悶々としながらも、ハリーはその疑問を解くことはできなかった。

 

 

 甘い夢を見る。

 長い長い廊下を滑るように進んでいる。

 その先で待っているものは自分のことを心待ちにしているに違いない。

 早く抱擁して、キスして、愛を囁きたい。この身の純潔をささげて愛し愛されたい。

 そうすれば世界のすべてが自分のものになるのだ。早く手に入れたい。

 なんと心地よい、なんと甘美な未来か。

 甘い夢を見た。 

 

 

 結局昨日はドラコの件に関して口論したため、ハリーが講師になることについて反論することを忘れていた。

 しかし死喰い人と殺し合った経験を伝えるというのは、おそらく必要なことなのだろう。この年代の子供たちは、闇の陣営と直接会ったことはない。むしろ普通は犯罪者と対峙した経験すらないはずだ。

 ハリーの持つ心構えを教えて実践させるだけでも、実際に危険な場面に遭遇して死ぬ危険性を減らすことはできる。そう説得したハーマイオニーに折れて、少人数ならとハリーは講師役を承諾したのだった。

 

「それでハーマイオニー。なんで僕らはホグズミード村に来てるのさ」

「まず集会で活動方針を知らしめる必要があるわ。そのためにひと気のない場所を選んだの」

 

 それを聞いてハリーはハーマイオニーへ振り返った。

 確か何かの本で、木を隠すには森の中という言葉を見た気がする。

 

「ハーマイオニー、むしろ人の多い場所のほうがいいんじゃないの? ひと気がないと誰かに聞かれた場合よく声が通ると思うんだけど」

「だからこそじゃないの。私たち以外に誰かいるのなら、それこそ警戒すればいいのよ」

 

 そういうもんかな、とハリーは納得することにした。より良い解決策を提示することが出来ない以上、信頼するハーマイオニーに従った方がいいだろう。

 

「それで、何人くらい来るの? ぼくは何も聞いてないんだけど」

「ほんの数人よ。少なくとも、貴女が声をかけて教えられるくらいの人数」

 

 ざくざくと雪に足跡をつけながら、ハリーはホグズミードへの許可証を眺める。シリウス・ブラックと堂々とキザッたらしい書体で書かれており、よくマクゴナガルもこんなもので許可したものだと思う。自分のために労力を割いてくれたことに感謝の気持ちと愛おしさがあふれてくるが、まあお茶目な彼らしい所業だ。

 それをにやにやと見ていたハーマイオニーとロンから目を逸らして、ハリーは急ぎ足で《ホッグズ・ヘッド・バー》へと近寄る。

 そして扉を開けて、ハリーは顎が外れた。

 

「やっと来たなハリー」

「全く、遅いぞハリー」

 

 まず出迎えたのは双子のウィーズリーだ。

 彼らに肩を組まれ、ハリーはひとつ置かれた古ぼけた椅子に座らされる。

 遅れて店内へ入ってきたロンとハーマイオニーが肩の雪を払いながら、ハリーの後ろに立った。フレッドとジョージがふざけて恭しくハリーから離れれば、目の前には少なくとも二〇人以上の生徒たちが見えたのだった。

 フレッドとジョージの間にはリーが座っている。その右隣にはジニー。ネビル、ディーン、ラベンダー。パチル姉妹が可愛がっているのはルーナだ。獅子寮クィディッチ・チームのチームメイト、ケイティにアリシアとアンジェリーナ。穴熊寮のアーニーにジャスティン、ハンナ。知らない男女の生徒もいる。鷲寮からはチョウ・チャン、ハリーの知らない女生徒も。それに男子生徒が三人ほど。ロンが彼らはアンソニー・ゴールドスタインとマイケル・コーナー、テリー・ブートだという。クリービー兄弟がカメラを構えているが、リーがそれを奪って窓から放り捨てていた。

 数人? これが数人か。

 ハーマイオニーへ目を向ければ、ばっと勢いよく逸らされた。

 

「へぇ、数人ね?」

「どうやら私たちに賛同する人が多かったようね」

 

 目を合わせず、しれっと言い放つハーマイオニーにはもうため息しか漏れない。

 「注文は」と聞いてきたおじいさんを相手にロンは目も合わせず「バタービール」と言い放つ。それに対して持ち出されてきたのは、埃をかぶった汚らしい瓶だった。

 ハーマイオニーはそれに目をやって、杖を軽く振る。清掃呪文によって二十五本すべての瓶が新品同様の美しさを取り戻した。ざわめく生徒たちに、それぞれのバタービールが配られる。

 何かを話すことを期待しているようで、バタービールを飲む音以外には何も聞こえてこない。まさかハリーが何かを話すと思っているのだろうか。演説など、何も考えてきていない。話すことなどない。

 焦りのあまり変な汗をかき始めたハリーを想って、ハーマイオニーが代わりに口を開いた。

 

「アー……。私たちには先生が必要です。昨今の闇の魔術に対する防衛術での授業を受けているみなさんには、それがわかると思います。実際に闇の魔術と戦ったことのある人が必要だと」

 

 そうだ。と誰かが合いの手を入れる。

 それに勇気をもらったのかハーマイオニーの表情が少しだけ力強くなる。それにほっとしたのか、ロンが胸を撫でおろしていた。

 

「このままではいけないわ。私達自らが、自分たちを守る術を身に着けないといけないの」

「なんで?」

 

 ハーマイオニーがそこまで言ったとき、レイブンクローの男子生徒がその声を遮る。

 彼女がむっとした様子を見るに、この会合の趣旨は話しているのだろうと思われる。

 このタイミングでハーマイオニーの機嫌を悪くするのはよくないと思ったハリーはロンに目配せし、その意図を把握したロンが男子生徒に向かって言った。

 

「なんでって、『例のあの人』が戻ってきたからだろう。君は成す術なく殺されたいのか?」

「でもそれはポッターが勝手に言ってることじゃないか。しかも『あの人』から生き残って見てきた、だなんて。なあ、セドリックが死んだ時のことちゃんと話してよ」

 

 ロンの言葉に答えたのは、別のハッフルパフ生だ。小生意気そうな顔をしており、ハリーの全身をなめまわすように見ている。見た目はただの華奢な女子なのだ、信用ならないのも頷ける。

 不躾な物言いに腹を立てたロンが脚の壊れかけた椅子を蹴倒して立ち上がるも、ハリーはそれを手で制する。ハリーは黒髪の男子生徒に目を向け、ゆっくりと口を開いた。

 

「きみ、名前は?」

「ザカリアス・スミス」

「うん。オーケイ、ザカリアス。きみ帰っていいよ」

「えっ?」

「この集まりは、闇の連中に対抗するための技術を得る勉強会だ。演説が聞きたいなら、アンブリッジのところへ行くといい。ヴォルデモートがどんなふうに人を殺すのか聞きたいなら、それもカエルに聞きな。身をもって知れるだろうよ」

 

 ことさら冷たくハリーが言い放つと、ザカリアスは押し黙ってしまう。

 さらにヴォルデモートを名指しで言ったことも大きかった。ザカリアスのみならずチョウの友達らしき女生徒やパチル姉妹は身を寄せ合って震える。

 彼女の言葉に場が静まり返って、気まずい雰囲気が流れてしまう。やってしまったかと思ったがネビルはこの沈黙を好機と見て、ハリーの活躍を話し始めた。

 

「ハリーはね、すごいんだよ。一年生の時はクィレルの野望を阻止したし、二年生の時はバジリスクに勝っちゃったんだ!」

「そういえば疑問でした。ミス・ポッターはどうやってバジリスクを倒したんですか? あれは遭遇した瞬間に即死が確定するような怪物なのに」

 

 ネビルの言葉に首をかしげて問いかけたのは、ハッフルパフのスーザン・ボーンズだ。

 彼女の顔つきに魔法省で顔を見た魔女の面影を見る。名前も同じことからおそらく血族だろう。心配そうにハーマイオニーが顔を向けてきたが、別に話すことは構わない。

 

ヘンリエッタ(バジリスク)より、ヌンドゥやクィレルの方が厄介だったし……」

「ハリー、声が小さくて聞こえないよ」

「アー、なんでもない。無我夢中だったからよく覚えてないんだよ……あの戦いは幸運に助けられた部分が大きかった。いつだってそうだ、ぼくの殺し合いは幸運と偶然に支えられている」

 

 実際その通りだった。

 一年生の時は、ハリーの身体に母の愛の魔法が残留していなければクィレルによって殺されていた。ヴォルデモートによって造られた肉体でありながら愛の護りが適用されていたというのは、少なくともハリーの知識では魔法学上ありえないくらいの奇跡である。

 二年生の時だって、リドルに敗北した後はおそらくヴォルデモートがプログラムした動きに従ってリドルを滅ぼしたのだろう。様々な偶然が、他者の意図が巡り巡ってハリーを生かしている。

 肩をすくめて言えば、納得していないながらもスーザンは身を引いた。ハリーが続けて言葉を紡ぐことに気が付いたからだ。

 自分が生き残ってきたのは運が良かったからだと断じるハリーは、しかし同時にそれを否定もする。ハリーは慢心が即座に死へつながることを、実体験を以ってしてよく知っている。

 

「でもその幸運は、ぼくが生きてるから舞い込んだものだ。さっさと死んでしまえば、運もクソもない。だからこの勉強会では、君たちがほんの少しでも生き延びることができるようになる術を教えるつもりだ」

「そうね……あなたならできるわ。去年の六校対抗試合での活躍を見ていれば、彼女がどれほど優れた魔女なのかはみんなよく知っているはずよ」

 

 ハリーに同調したのは、チョウだった。

 ありがとうと目でお礼を言うとにっこりと微笑んでくれる。恋だのなんだのがなければ、驚くほど魅力的な人だ。彼女の援護に有り難く思いながら、ハリーは続ける。

 

「幸いにしてぼくは色々と、うん。殺し合うことに関して役立つ呪文を多く覚えている。それを教えることで君たちが自分の身を護ることができるなら、アー、うん。幸いだ」

「でもポッター、さっきは幸運に助けられたとか何とか言ってたじゃないか」

 

 ザカリアスがまたも口を挟む。

 ロンがカチンときた様子で椅子から立ち上がる(哀れな椅子は今度こそ破壊された)も、彼は言い訳するように顔を赤くしながら言った。

 

「だって、僕たちはポッターに防衛術を教えてもらうために集まったのに。彼女がそんなことを言うのなら、その実力にだって疑問を覚えちゃうよ。そうだろう?」

「へいへいザカリアス、そのおクチを閉じられないっていうんなら僕たちが縫ってやろうか」

「ちょうどゾンコの店でいいものを買ったんだ。僕たちの実験台一号になってくれるのかい」

 

 フレッドとジョージが何やら紙袋の中から見るからに危険そうな何かを取り出したのを見て、ハーマイオニーが慌てて口を挟む。これ以上ごちゃごちゃいうなら直接体に教え込んでもいいんじゃないかとハリーが思い始めていたため、それは実に英断であった。

 

「先に進めるわよ! それじゃみんな、ハリーから習いたいってことでオーケーね? ……うん、よし。少なくとも一週間に一回、みんなで集まって勉強会をするわよ。ああ、アンジェリーナ。クィディッチの練習とはかち合わない日程にするから……チョウも。ああもう! クィディッチ選手はあとでスケジュール教えて。皆に都合のいい日を探し出すから」

 

 ハーマイオニーの有能さをこれほど感謝したことはない。彼女の両親は本当にいい子を育ててくれたものだ。おそらく彼女がいなければ、この会合を終えるのにあと半日は要しただろう。

 参加者の意志を再度問うたあと、ハーマイオニーはカバンから羊皮紙を取り出してこれにサインするようにと全員に言う。アーニーが若干渋ったが、しかしこれ以上に大事なことはないと思っている彼は迷っていた割にはさらりと自身の名を綴った。

 ハリーは自分のワインレッドの瞳が、羊皮紙に何かの呪いがかけられていることに気付く。ロンが名前を書き、ハリーに羽ペンが手渡されたときになってハーマイオニーの顔を見つめる。

 彼女は親友が自分の羊皮紙に仕掛けられた呪いに気付いたことを悟ったのか、人差し指を唇に当ててシーッとお茶目な仕草をした。彼女もすっかり大胆で悪い女になってしまった。いったい誰の悪影響を受けたのか、そいつの顔を見てみたいものだ。

 最後にハーマイオニー自身の名を書いて、彼女はそれをくるくるとまとめてしまい込んだ。

 彼女の浮かべた満足げな顔が、妙に印象的だった。

 

『ハリエット。今夜九時、前と同じ場所でだ』

 

 ハニーデュークスで美味しいお菓子をいっぱい買い込んで、グリフィンドールの談話室へ戻ったハリーは、胸元の両面鏡が熱くなっていることに気づいてそれを取り出す。

 にっこり笑顔のシリウスが、手短にメッセージを告げてきた。

 

「今じゃダメなの?」

『ああ、話があるのは君にだけじゃないからね。もちろんロンやハーマイオニーも呼んできなさい、今回の集会のことについても話があるから』

 

 ハリーは仰天した。

 秘密は必ず暴かれるものではあるが、よもやその日のうちにバレるとは。

 引き攣ったハリーの顔を見たシリウスは、悪戯小僧特有のにやりとした笑みを見せる。

 

『よりにもよってホッグズ・ヘッドとはね。もう少し場所を選んだ方がいい』

「……誰かを忍び込ませていた?」

『ああ。マンダンガスという団員だ。魔女に変装していたんだが、気づかなかったかい?』

 

 これっぽっちも気づかなかった。むしろハリー達以外の客がいたことにすら気づいていなかった。これは何というか、不注意すぎたかもしれない。

 

『君たちは危険を冒している。そういう場合は、気を配りすぎるなんてことはないんだ。もちろん、実体験だよ。気を付けてさえいれば、マクゴナガルでさえやり過ごせる』

「……気を付けるよ」

『耳に痛い忠告ほどよく聞き入れるべきだ。私の若い頃は聞かん坊のロクデナシだったからね。先達の言葉はよく聞いておいた方がいい』

 

 君もまだまだ若いなとあきれたような、しかし面白がる笑顔を浮かべたシリウスは「では九時に」と気障ったらしいウィンクと共に消えていった。

 ハーマイオニーの愕然とした顔が思い浮かぶようだ、とハリーは思いながら女子寮へと歩みを進める。午後九時になってシリウスが暖炉へ現れたときは、案の定軽いお説教が待っており自分の考えが甘かったことを思い知らされるハーマイオニーの機嫌が急降下するだろうから、足取りはとても重くなるだろう。

 

 ネビルがハーマイオニーから喝采を貰って照れている。

 嬉しさのあまり抱きしめられて、目を白黒するネビルをハリーは微笑ましく見つめていた。彼は『必要の部屋』と呼ばれるホグワーツの不思議な部屋を見つけたのだ。

 偶然の発見ではあったが、彼の功績に違いはない。別名を『あったりなかったり部屋』と呼ばれる、真に必要とする者の前に現れる摩訶不思議な部屋である。

 『以後、学生による組織はすべて解散とする。違反した生徒は問答無用で退学処分とする』というアンブリッジからの教育令が発布されたことによって、この勉強会は違法な組織となってしまっている。クィディッチチームもまた解散させられたことで、ロンはもはやこの勉強会にしか学校に面白みを感じられなくなってしまうと言っていたほどの制限っぷり。

 彼の発見によってアンブリッジの目を逃れられる練習場所を得られたことは、実に僥倖であった。ハーマイオニーから解放されて顔を真っ赤にして恥ずかしがるネビルをハリーもまた力いっぱい抱きしめて、その感謝を伝える。ついにネビルは鼻血を出してしまった。

 

ダンブルドア軍団(Dumbledore's Army)

 

 必要の部屋に集まった勉強会の面々に向かって、ハーマイオニーが宣言する。

 ハリー達いつもの三人組と、そのほかが向かい合っている形だ。今日は実際にどんな魔法訓練をするかの説明と、その導入部分(チュートリアル)をやる予定だ。

 

「この勉強会の名前よ」

「なんでそんな物騒な名前にするんだ?」

 

 ザカリアスが噛み付いた。

 ここまで反骨心旺盛だとさすがである。しかしその疑問は誰もが抱いていたようで、ウィーズリー兄弟が悪戯グッズを取り出して脅かす以外には文句をいう人物はいなかった。

 ハリーもまた疑問に思いハーマイオニーへ視線を向ければ、大量の目玉に気圧されながらも彼女はにやりと悪い笑みを浮かべて説明する。

 

「これはアンブリッジが最も恐れているものよ。いっそのこと、あのガマガエルの誇大妄想を実現させてあげようじゃない。私たちは別に軍隊ではないけれど、戦うための力を得るための場所という意味では間違っていないわ」

「幸いにして、この『必要の部屋』はこのダンブルドア軍団団員……長ったらしいな、略してDAメンバーのみがその存在を知れるようになっている。もちろん、君たちのだれかがアンブリッジに尻尾を振れば話は別だろうね。魔法保護はそこまで万能じゃない」

 

 一応ハリーが補足しておく。

 アンブリッジにバレることを恐れているのは何もハリーだけではない。ザカリアスもそうだろうが、魔法省に努める人間を親に持つ者も多い。アンブリッジは人間として(純粋に人間かどうかは怪しいものだが)ぶっ飛んではいるが、社会的には魔法省において高い地位にいる人物だ。彼女の反感を買えば自分たちの親がどうなるか、心配する生徒は多い。

 現にハリーの説明に胸をなでおろしたメンバーが何人もいた。

 不安を取り除いたことで、ハーマイオニーはぱんと手を打ち鳴らす。

 

「それじゃさっそく、教えてもらいましょう。講師はもちろん彼女、ハリエット・ポッターよ。ハリー、お願い」

「アー、うん。まあ、……そうだな。よし、やるか」

 

 二〇以上の人間から一斉に注目を集めると、さすがのハリーもひるむ。

 しかしこれから戦う術を教えていくのだからいちいち緊張していたらやっていけないだろう。ハリーはそれを割り切り、深呼吸して全員を見渡した。

 

「今回教えるのは『武装解除術』だ。呪文は『エクスペリアームス』、武器よ去れ。魔法戦闘においては一番ポピュラーで、かつ使い勝手のいい魔法だね」

 

 杖の振り方も実演して見せてみる。

 魔方式を書き出すための黒板も欲しいなと思えば、床がせりあがって黒板が現れた。チョークも用意されており、ハリーは杖を振ってチョークに魔法式を書かせる。これはO.W.L.においても出題頻度の高い代物であるため、五年生はみんな知っているだろう。

 そしてやはりというべきかなんというべきか、ザカリアスが声を上げた。

 

「そんなの、三年生で習う呪文じゃないか。今更教えてもらわなくてもできるよ」

「ザカリアス、君ちょっと黙ろうか。僕たちの悪戯グッズが見えない?」

「でも、だってそうだろう。もっと別の、すごい呪文を教えてもらえると思ったのに」

 

 ザカリアスの言葉に、ハリーは片眉を上げた。

 フレッドが悪戯グッズを使ってザカリアスへ制裁を加えようとしているのを手で制して、ハリーはハッフルパフの反骨少年の前へ出る。

 三メートルほどの距離がある中、ワインレッドの瞳を向けてハリーは言った。

 

「ザカリアス、君は武装解除が使える?」

「使えるから言ってるんだよ」

「じゃあ、ぼくに向かってかけて。ぼくが教える呪文がどういう術か、教えてあげる」

 

 にっと微笑んで見せれば、ザカリアスは怪訝な顔をした。

 ハリーは腕を組んだまま微笑みを維持して彼を見つめている。杖を構える様子は見られない。ネビルが心配そうな目を向けてくるが、大丈夫だと目で伝える。

 しかし彼も不満がたまってるのか、躊躇することなく杖を引き抜いた。周囲にいた生徒が驚いて身を引くと、彼は眉を寄せて叫んだ。

 

「『エクスペリアームス』、武器よ去れ!」

 

 彼の細長い杖先から、赤い魔力反応光が飛び出す。

 真っすぐハリーの胸に向かって飛来してくるそれをハリーは目視して、そして腕を解くと素早く袖口から杖を取り出して無言のまま武装解除を飛ばした。

 ハリーの放った魔力反応光は、ザカリアスの放った閃光を真正面から引き裂いてそのまま彼の胸へと直撃する。その魔力圧(パワー)魔力速度(スピード)も別物であり、まるで放り投げたボールと銃弾ほどには違いがあっただろう。

 目を見開いて吹き飛ばされたザカリアスは、驚きの声をあげる間もなく反対側の壁へと水平に飛んでいった。見物していた生徒たちが悲鳴をあげるなか、ザカリアスは壁に打ち付けられることなく済んだ。

 回り込んだハリーが受け止めたからである。目を白黒させて呆然とするザカリアスを担ぎ上げたまま、奪取した彼の杖をくるくると指で遊ぶハリーは言う。

 

「いまのは『武装解除』の魔方式を少しいじって、突破力を持たせたものだ。魔力反応光も螺旋状に回転させて、相手の反応光や障害物とかち合ったときに散らしたり貫通させたりする効果も持たせてる。あとは込める魔力の量も違うかな、ザカリアスのは教科書通りの量しか込めていなかったし、魔法式もいじってなかった」

 

 ひょいっと放り投げれば、ザカリアスは慌てて尻から着地する。その腹の上へ杖も置く。

 目を見張ってハリーを見る彼らが何を不思議がっているのかわからないハリーは、ハーマイオニーへ助けを求める目を向けた。相変わらず桁外れの実力を持っていると呆れながらも、その中身はただの十五歳の女の子であることを知る彼女は、ハリーの意図を読み取って代わりに説明した。

 

「そのあとハリーが使ったのは『身体強化』の魔法よ。肉体を魔力で活性化させて超人的な運動神経を付与させて、同時にヒトの限界を超えたパフォーマンスをこなす負担から保護する魔法。それで吹き飛んだザカリアスより早く駆け寄って、受け止めたのよ」

「『身体強化』って、それO.W.L.レベル……いえ、N.E.W.T.レベルですよ」

 

 スーザン・ボーンズが呆けながらもらした言葉に、ハリーは頬を掻く。

 確かにこの呪文はそのくらいの難易度がある。しかし幸いにしてハリーは、この呪文を一年とちょっとかけて習得することができた。余程適性があったのだろうが、ジェームズとリリー、そしてヴォルデモートの肉体を素材に造りだされた人造人間である。シリウスから聞いた話ではジェームズも身体強化を使えたらしく、ヴォルデモートはその才能ゆえ軽くこなすだろう。要するにハリーの肉体は魔法戦闘における才能の塊なのだ。

 この場にハリーの実力を疑う者は、ザカリアスを含めてもうひとりもいなかった。

 

「さっきの武装解除は、魔法式をこういじった。覚えてね」

 

 杖を振って魔方式を書き換えると、皆は羊皮紙を取り出してそれをメモする。

 しばらく待って皆がそれをメモし終えたことを確認すると、ハリーはみんなに羽ペンや羊皮紙をしまうように言う。皆は色めきたって杖を取り出すものの、ハリーはそれを手で制した。

 

「自由に二人組になって。互いに武装解除をかけ合うんだ。タイミングを確かめるために合図するのはなしだよ、実際に死喰い人とか犯罪者が優しく教えてくれるわけないんだから」

「そういうことよ。とりあえず砂時計が空になるまでやりましょうか。はじめ!」

 

 ハーマイオニーの言葉にみんなが振り向けば、巨大な砂時計が天井からぶら下がっていた。さらさらと砂が落ちている様子から見るに、たぶん三〇分ほどで砂は落ち切るだろう。

 ハリーの離れ業を見て興奮していたDAメンバーたちは、喜び勇んで杖を引き抜くのだった。

 

「手加減するよハーマイオニー」

「あらどうも」

 

 皆が各々ペアを見つけて武装解除をかけあう中で、ハリーはネビルに頼まれて彼と組むことにした。早々にふっとばされて自分の杖を探し回るネビルを待つ中、ハリーは親友二人がペアを組んでいる姿を見つける。

 どうやらこれから武装解除を掛け合うらしい。ロンが男としての余裕を見せているが、ハーマイオニーは含み笑いをするのみだ。お互いにいいところを見せたいのだろう。面白い組み合わせもあったものだ。

 

「ロンの勝ちに一シックル。どうだ?」

「乗った。僕は弟の無様な敗北にだな」

 

 ペアを組んだはずのフレッドとジョージがその光景を目ざとく見つけて、賭けを始めた。ハリーも見物しようと思い、杖を持って駆け寄ってきたネビルを呼んで共に眺める。

 どうやら他のDAメンバーも気付いたようで、ほとんど全員での見物と相成った。

 向かい合った二人を見ていると、ロンが素早くズボンの尻ポケットから杖を引き抜く。

 思ったより素早い。しかしハーマイオニーはそれ以上に早かった。レッグホルスターに差し込んでいたらしい杖を引き抜くと同時、ロンが呪文を唱え終える前にハーマイオニーが放った無言呪文での武装解除がロンの左肩に命中。ウィーズリーの末弟はごろごろと床を転がされる羽目になった。

 

「へへっ、儲け」

「くそっ。持ってけ」

 

 ジョージが銀貨を受け取っている姿を尻目に、ハリーはネビルに顔を向ける。

 ハーマイオニーを尊敬の視線で眺めていたネビルは振り返り、彼女から問いを受けた。

 

「ネビル、どうしてロンが負けたのかわかるかい」

「えっ? ハーマイオニーの方が強かったからじゃないの?」

「質問が悪かった。どうしてハーマイオニーの方が速かったか、わかるかな」

「アー……、なんだろう。杖をしまってた場所の違いかな?」

「それじゃちょっと足りないな」

 

 ハーマイオニーとロンは、それぞれレッグホルスターと尻ポケットに杖を入れていた。ホグワーツの指定スカートには、男子用ズボンのように便利なポケットはついていない。杖をポケットに入れている場合、激しい運動をすると滑り落ちてしまうこともあるのだ。それ故に杖はカバンに入れたり、ハーマイオニーのようにレッグホルスターに入れる女子生徒もいる。まぁハリーのように袖口に仕込む生徒はほとんどいないだろう。

 しまった場所から引き抜く動作の無駄のなさが、要因の一つ。

 ハリーが見ていたのは、ハーマイオニーが行った杖の振り方だ。ホルスターから抜杖する際、その動作が武装解除の杖の振りと重なっている。結果、引き抜いてから杖を振ったロンとは一工程も二工程も差がついたのだ。

 さらに無言呪文であることも大きい。無言呪文は正確さに欠けるものの、言葉を発さずに魔法を行使することが可能なので発声呪文と比べるとそのスピードに一日の長を置く技術だ。それを使えば、こと早撃ちに関して負ける方が難しい。

 ついでに言うとロンは油断していた上に観客に気を取られて、集中力を乱していたように思える。それでは勝てるものも勝てないというものだ。

 これらの技術と状況をフル活用して、ハーマイオニーは勝利を収めた。惜しむらくは速く撃ちぬくことに気を取られて精密性を犠牲にしている面と、無言呪文によって威力が低くなっことでロンが大して吹っ飛んでおらず、杖も明後日の方向へ飛んでしまったことだ。それ以外は満点に近い。流石はグリフィンドールの誇る才媛である。

 

「さすがだハーマイオニー」

「……あ、ありがとうハリー」

 

 女子生徒が集まってロンに対するくすくす笑いの発作を引き起こしている中で照れくさそうにするハーマイオニーを褒めれば、更に照れたようで顔を隠してしまう。

 仰向けになったまま憮然とするロンがフレッドにお前のせいで損したと理不尽な罵声を浴びている中、ハリーは彼に近寄っていく。

 

「ほら。立つんだロン」

「アー。ありがと、ハリー」

 

 ハリーが言うと、ロンが手を伸ばしてくる。

 引き起こしてくれると思っているようだが、残念ながら今日のハリーは甘くない。

 講師役としてノリにノっている今のハリーはさながら鬼教官なのだ。手を差し伸べる代わりに杖を向け、ロンの両足を『足縛り呪文』で固定する。げっと言う顔をして青くなるロンに、ハリーは極力優しげに微笑んで言い渡した。

 

「油断と慢心は死に繋がる。ロン、腹筋二〇回」

「そんな!」

「魔法戦闘でも走り回ったり飛んだり跳ねたりすることだってある。それにより素早く魔力を練るにも、魔法を放ち続けるためにも体力は必要だ。だから油断して負けたら腹筋と腕立て伏せ二〇回ずつすることにしようか。普通に負けたら必要の部屋内を全速力で一〇週すること」

 

 ハリーの言葉にDAメンバーが青ざめる。

 クィディッチ選手は練習の際にランニングをしたりするものの、そこまで積極的に運動している生徒がこの中にどれだけいるか。案の定文句を言おうとしたザカリアスが口を開く前に『突風呪文』で吹き飛ばし、敗北を与えてから全力ダッシュを言い渡す。

 哀れなザカリアスが生贄になったため、みな負けないようにと必死になって武装解除をかけあう。マグルのような訓練に不満そうな者もいたが、そんな彼らも敗北して走り回る羽目になったメンバーと一緒になって走りながらも汗ひとつかかないハリーを見て戦慄する。

 彼女の言い渡す訓練に意味はあるのだ、と思ったメンバーは素直にハリーブートキャンプをこなすことに専念する。汗だくになって多少におうようになれば必要の部屋が空気清浄を行って新鮮でさわやかな空気を作り出してくれるため、快適にヘトヘトになることができるのだった。

 

「はーい、疲れた人はこれ食べていいよー」

「……な、なにこれ。げほっ。レモンの、輪切り?」

「を、はちみつに漬けたもの。マグルの従兄がスポーツ選手でね、試合後はこれを大量に食べるんだ。どうも必要な栄養分を全部摂取できるらしいよ」

 

 必要以上を摂取しているためにダドリーが豚ちゃんなのは言わないでおく。

 仮にも美少女の手作りということで喜んだ野郎どもはともかく、女子生徒たちもありがたく甘酸っぱいレモンをいただいた。ハリーは男女分け隔てなく容赦なかったのだ。全員が肉体をいじめ抜かれたため、糖分と栄養を欲していた。

 加えて最初に敗北した大親友のロンをも容赦なくブートキャンプ送りにしたため、彼女が友情によって対応に差を出す女ではないこともDAメンバーはよくお分かりになったであろう。

 ヘトヘトに疲れて倒れ伏した面々の中で、最後まで負けずに残っていたハーマイオニーにはハリーが直々に模擬選を申し込むことで一人残らず叩き潰す。全員を走らせる気満々の所業に全員が獅子寮が才媛の無事を祈って十字を切るのだった。

 

「さて、今日はみんなよく運動したと思う。出来ない人もいた中、今日中に全員が武装解除を修得するなんて、実を言うと思ってなかった。ぼくは嬉しいよ」

「そりゃ死にたくないから必死にもなるさ」

「ザカリアス、今回は君に同意する」

 

 ここにいる全員より走り回り、かつ魔法も多く使っているというのにハリーには疲労の色があまり見られない。ルーナが「エウィプルング・フールの魔法薬を使ってるんだよ。パパが言ってたもン」と言う不思議な意見以外に、彼女の怪物的な体力の説明ができる人はいなかった。

 ロンとハーマイオニーは彼女の戦歴を知っているため、これくらいなければ生き抜けなかったのだろうと妙な納得をしてしまう。四年生のとき六校対抗試合で五人の英傑たちと渡り合った女の実力は、まだまだこんなもんじゃないのだ。

 朝六時から城の外をランニングしているから、体力作りしたい人は一緒に走ろうかとハリーは言い残す。その瞳はワインレッドではあるものの、きらきらと輝いていた。自分の培ってきた訓練が皆の役に立つことを実感できたのが、よほど嬉しいらしい。対するDAメンバーの眼は死んでいた。まだ走るんかい。

 汗だくで寮に戻れば不審がられるかもしれないと誰かが思ったのか、秘密の部屋の天井から程よい熱風が吹きつけてくる。汗を乾かした皆は、早くシャワーを浴びてベッドにもぐりこみたかったのだろう。次回のDAの際はちゃんと連絡手段を考えておくわとハーマイオニーが言ったのを皮切りに、たどたどしい足取りで解散してゆく。

 フレッドとジョージに調合してもらった『気配消失薬』を全員に飲ませて(フレッドが悪戯グッズをザカリアスに飲ませようとしたため阻止した)から、誰にも見つからないようにと細心の注意を払わせる。疲れ切っていようと、アンブリッジに見つかることを考えれば必要な措置であった。

 

「次は何を教えようかな。『失神呪文』とかいいと思うんだけど、どうだろう」

「ハリーあなた……だいぶ楽しんでるでしょう」

 

 出現した椅子に座って疲れを癒すハーマイオニーが、ハリーへ問いかける。

 それに振り返ったハリーは頬に手を当て、はにかんで言った。

 

「最高だね!」

 

 親友が元気になるのはいい。不満だらけの年だろうから、こうして解消してくれたのもいいことだ。可愛い親友が笑顔になるのはもっといい。

 だけどこれは正直どうなのだろう。

 彼女が今までこなしてきた過酷な訓練と、それを平然とこなす体力おばけっぷりを思い出す。ハーマイオニーは親友の将来を案じて、盛大な溜め息を吐いたのだった。

 




【変更点】
・ドラコの出番増量キャンペーン
・特に意地を張らずマクゴナガルへ罰則内容を伝えている
・占い学の授業を受けてる主要人物がいなかった
・原作ハリーと比べてドラコへの悪感情が極端に少ない


左様。私、映画不死鳥の騎士団における最高のシーンはスネイプ先生への査察シーンだと思うのです。ご覧の通り。ダンブルドア軍団の勉強会シーンもまた、小説も映画もすばらしいものだとおもいます。その楽しさを今作でも楽しんでいただければと。
そして五巻における最大のヒロインはアンブリッジであることをお忘れなく。んふふっ。

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