ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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6.クィディッチ

 

 

 ハリーは吐きそうだった。

 別にダドリーがホグワーツに降り立ちハリーの腹を殴って飛び去っていったわけではない。

 緊張のあまり、胃の中の物を全て戻してしまいそうだったのだ。

 トロールのことがあって二週間も経たないうちに、ハリーは大事なイベントに直面した。

 クィディッチだ。

 ハリーはひょんなことから、グリフィンドール寮のクィディッチ選手に選ばれてしまったのだ。

 しかも、ポジションはシーカーというもの。

 三種類ある個性的なボールのうち、《スニッチ》という逃げ回る金色のボールがある。

 このボールを手にすればその時点で捕獲チームに一五〇点が追加され、試合が終わる。

 つまり相手に一五〇点差をつけられる前にこれを取るか、開始してからすぐさま取るかをしてチームを勝利に導くことができるのだ。逆を言えば、これを取らなければ延々と試合を行う羽目になるのだ。例えば両チームのシーカーがトロール並みの無能であれば、何週間かかってでもやり続けるほどである。

 シーカーはこのボールを捕まえることのできる唯一のポジションだ。

 ほかの選手が触ると、スニッチニップという反則になる。もっともこれは、七〇〇ある反則のうち一つであるというだけで、他にも凶悪でアホくさい反則はいっぱいある。

 そして箒で飛ぶという危険極まりないスポーツである中で、シーカーは最も危険である。

 執拗なマークや悪辣な反則でタコ殴りにされるというのも珍しくはない。

 ハリーの矮躯ではそんな総攻撃にあった場合、容易にぼこぼこにされて沈んでしまう。

 それでガチガチに緊張しているのかと言えば確かにそうだが、最たる理由は他にある。

 なにせ、初陣なのだ。

 しかもシーカーは、たった一人の選手でありながら試合を左右する一番重要なポジション。

 負けたらどうしよう。本当に試合になるのだろうか?

 そんなネガティブなことを考えていたからだろうか。

 キャプテンたるオリバー・ウッドが大声を出したとき、ハリーは心臓が縮みあがった。

 

「いいか野郎ども!」

「女もいるけど?」

 

 クアッフルという赤いボールをシュートして得点を手に入れるポジション、チェイサーのアンジェリーナ・ジョンソンが口を挟む。いよいよ俺の演説だぞ、といった具合だったウッドは微妙な顔をして、咳払いした。

 

「では淑女諸君も」

「よろしい」

「ウッドったら、いつも忘れるのよね」

 

 同じくチェイサーのアリシア・スピネットとケイティ・ベルが続けて言う。

 ウッドはもはやどうにでもなれという具合にため息をついていた。

 

「いよいよだ。今年度は、きっとここ数年最高のクィディッチ・チームであると俺は信じている。つまり何が言いたいかと言うとだ。勝てる! 勝てるぞ! 俺たちは!」

「このチームで勝てないなんて、そりゃ大問題だなあ」

「今までスリザリンに勝てたことなんてあったかな?」

「黙れよウィーズリーズ。ともあれ試合だ! さあ行くぞ野郎ども! ……と、女ども!」

 

 ウッドはそう叫ぶと、勢いよく更衣室から飛び出して行った。

 一方でハリーは心臓を口から吐いてしまいそうだった。

 まともじゃない……特別措置で選ばれたんだぞ……ぼくがシーカーだなんて……。

 本当に実力があるんだろうか? というかこれトロール戦より緊張してないかぼく?

 負けたらどうしよう……いや、ぼくが出るんだ……負けちゃうかも……。

 思考がいよいよ危ないところまで行き詰った時、ハリーは自分の尻が左右同時に思い切り叩かれたことにびっくりして大声であられもない悲鳴をあげた。

 

「ふぎゃあ!?」

「ハッハー! ハリー、案外女の子らしい声出せるんじゃないか!」

「こりゃあいいもん触っちゃったぜ。ご利益で勝てちゃうかもな!」

 

 顔を真っ赤に染めて振り向くと、陽気な笑顔の双子が目に入った。

 彼らはプレイヤーを追いかけまわして箒から叩き落そうとするとかいう、あまりに物騒すぎるボールである二つのブラッジャーを追い払う、ビーターという役割を持っている選手だ。

 フレッドは右手を、ジョージは左手をわきわきと下品な動かし方をしている。

 そして顔はにやにやと悪戯したあと特有のイヤーな笑顔。

 ……こいつらか! 人の尻を触ったのは!

 

「フレッド! ジョージ! 君ら次やったら呪うぞ!」

「怖い怖い! こうなったら空へ逃げるに限るね!」

「来いよハリー! 飛ばないと呪いは届かないぜ!」

 

 双子はそう囃し立てると、まるで踊るようにピッチへと出て行った。

 ばっかじゃないの、子供なんだから、とアリシア、ケイティの二人も続いて行く。

 そうして最後にアンジェリーナが、

 

「どうだいハリー。緊張は取れた?」

「……え? ……あっ……」

「よーし、そうでなくっちゃ。ほら行くよ、女は度胸!」

 

 パチンと尻を叩いてきた。

 またか。またなのか。

 こうなるとハリーはたまったものではない。

 

「なんでアンジェリーナまで叩くんだよぉ!」

 

 もはや緊張など何処へなりとも消え失せたという様子でハリーは頬を膨らませて更衣室からピッチへと足を踏み出して、深紅のクィディッチ・ローブを揺らす爆発めいた歓声に驚いた。

 右を見ても、人、人、人。左を見ても、人、人、人。

 縦五〇〇フィート、横八〇フィートの楕円形のピッチ、それを取り囲むような上空に設置された観客席には赤い応援旗を掲げるグリフィンドール寮生と緑の応援旗を振り回すスリザリン寮生、そしてその両者に挟まれるような形でハッフルパフ生とレイブンクロー生、さらにその反対側には貴賓席なのか教師たちが一塊になって座っているのがよく見えた。

 ピッチ両端には高さ十六メートルの金の柱があり、これの頂点には同じく金の輪がとりつけられている。クアッフルをあそこにブチ込んで一〇点をもぎ取るのが、三人娘の仕事だ。

 ピッチのド真ん中ではスリザリン・チームが既に整列している。

 ああ、また緊張が――

 

「いや、落ち着かないとマズい」

 

 ……ダメだ。

 公衆の面前だろうと、きっとまた尻を撫でられる。

 フレッド&ジョージ(おまけに三人娘もだ)がにやにやしていたので、きっとその危惧は正しかったのだろう。ハリーは身震いした。緊張なんぞしている場合じゃない。

 不穏なセクハラ魔たちの事に気付いているのかいないのか、恐らくいないのだろうウッドはハリーが緊張していない様子を見て鼻の穴をふくらませて勝てる! と叫んでいた。

 マダム・フーチが審判をやるようだ。

 その手にはクアッフルを持っていて、足元にある箱には革のベルトを引き千切ろうとガタガタ暴れているブラッジャー二個がある。金のスニッチは……恐らく真ん中の扉の中に納められているのだろう。

 マダムがその鷹の目のような黄色い目でじろりと選手全員を見渡して言う。

 

「みなさん、くれぐれも正々堂々と戦ってください!」

 

 その言葉にグリフィンドールキャプテンのウッドはびしりと姿勢を正したが、スリザリンキャプテンのマーカス・フリントはへらへら笑っているままでハリーを舐めまわすように見ている。

 この視線には覚えがある。

 ハリーのどこを殴ろうかと思案している時のダドリーだ。

 ただ、親愛なる従兄の場合はハリーの弱いところを確実に突いてくる豚のくせに狼のような目をしていたのに対して、フリントのそれはただ脅しているだけのように思える。

 笑わせる。

 ハリーが微笑みかけると、フリントは面食らったようだ。

 ふいっと顔をそむけてしまった。

 

「さぁ! 箒に乗って!」

 

 マダムの号令に従って、ハリーはクリーンスイープ七号に跨る。

 そうしてぐんっと重力を味わうと、煩わしいそれを振り切って空高く舞い上がった。

 それぞれのチームが三次元的なフォーメーションで試合開始前の位置に着く。

 シーカーはほぼ真ん中に近い、一番上の全体を見渡せる場所に着くことになっている。

 目の前には、相手チームであるスリザリンのシーカーが陣取った。

 ハリーはその人物の姿を見て、目を見開いた。

 プラチナブロンドのオールバック。

 青白い肌に、とがった顎。

 薄いグレーの瞳はぎらぎらと輝いていて、己の敵をまっすぐに見据えている。

 それはさながら、飢えた竜か蛇だ。

 

「……ど、ドラコ……!? ドラコがスリザリンのシーカーなの?」

「そうさ、ポッター。お前の相手は――この僕、ドラコ・マルフォイだ」

 

 鋭い笛の音と共に、試合が始まる。

 実況はウィーズリーの双子の仲間であるリー・ジョーダンという生徒がやっている。

 しかしその解説の声はハリーの耳に届かない。

 周囲でクアッフルが飛び交い、ブラッジャーを殴り飛ばす様も眼には入らない。

 在るのは目の前の、ドラコ・マルフォイただ一人。

 

「ポッター。僕は今日が楽しみだったぞ」

「……ぼくも、これは負けられない、ね」

「そうさポッター。……せいぜい本気でやるんだ、なッ!」

 

 ドラコが急激に箒を回転させ、操縦者ごと横回転する。

 すると丁度ドラコの頭があった位置から、ブラッジャーがハリーの顔めがけて飛んできた。

 慌てて顔を引き、宙返りするように暴れ球を避けると、急いで箒を操り体勢を立て直す。

 ぐるりと縦に一回転する形になったハリーは、目にかかった髪を顔を振って払う。

 体勢を戻して二メートルほどバックすると、その前ではドラコがニヤニヤと笑っていた。

 

「おいハリー! 大丈夫か!」

 

 ブラッジャーを追いかけてやってきたらしいウィーズリーの双子どちらかが、ハリーの隣でぴたりと止まる。ついでにドラコをちらと見遣るが、今は試合中と割り切ったのか、またもハリーに襲いかかってきたブラッジャーを手に持つクラブでばこんと一撃。すぐ近くを横切ろうとしていたフリントの顔めがけてすっ飛ばしていた。

 頼むぜ、とウィーズリーがハリーの背中をポンと叩いて風を切って混戦の中へと飛び込んでいく。

 そのやり取りの間、ハリーはずっとドラコとの視線を外せないでいた。

 クアッフルが互いのゴールに入ったり、弾かれたり、キーパーがナイスセーブをしたりと言った情報が右の耳から飛び込んで左の耳から突きぬけてゆく。

 一筋の汗がハリーの黒髪を濡らし、ぽとりとグローブに落ちたその時。

 瞬間、今度はドラコめがけてブラッジャーが真下から突っ込んできた。直前に木製の打撃音がしたので、ウィーズリーがドラコめがけてブチ込んだものだろう。危なげない動きでドラコがブラッジャーを避けたその時、ハリーは視界の隅に金色に光るものを見つけた。

 ――スニッチだ!

 ハリーはドラコが体勢を立て直す前に、その場で回転するように方向転換。スニッチの方へ頭を向けて全速力で疾駆した。

 数瞬遅れたドラコが、舌打ちをする間も惜しいとばかりに弾かれたように飛び出す。通常ならばその程度、一呼吸以下の隙とも言えない合間であった。だが、ことクィディッチにおいてその瞬間の差は致命的である。

 まるで放たれた猟犬のように、金色の光めがけて突き進む紅色の矢は、ピッチの端を巡るように逃げ回るスニッチ目指してみるみるうちに加速していき、クリーンスイープ七号の出せる最高速度まで達した。

 届く。届く! あともう少しで、ぼくの世界まで追い詰めてやれる!

 ハリーがそう確信し、左手を箒から放して眼前を逃げ去ろうとするスニッチを捕まえようとしたその瞬間。

 

「……ッ、ぐ!」

 

 予期せぬ衝撃がハリーの真横から襲ってきた。

 ブラッジャーではない。

 スニッチを取らせまいとしたマーカス・フリントが、無茶なタックルを仕掛けてきたのだ。

 彼の体重の半分もないハリーは軽々と吹き飛ばされ、不安定な姿勢であったために危うく箒から叩き落されそうになる。

 この高度から、なんの魔法補助もなく地面にたたきつけられれば骨の一本や二本、簡単に圧し折れていることだろう。打ち所が悪ければ死をも免れ得ない。

 しかし、それはタイミングを合わせたウィーズリーズが小さな体を受け止めてくれたことによって防がれる。

 けほ。と小さな咳をこぼすと同時。紅色と緑色の観客席から怒号と歓声が爆ぜた。

 

「反則じゃないのか今のーっ!」

「いいぞフリント! ポッターを突き落とせ!」

「ふざけるなフリント! この×××野郎ーッ」

 

 品があるとは言えない罵詈雑言が飛び交う中、マダム・フーチが笛を鳴らして試合を中断させるとフリントに厳重注意を与えた。

 ウィーズリーズに礼を言って箒に尻を乗せ直したハリーは、スニッチがもう目の届かない所へ逃げ去ってしまったことに気付いて歯噛みする。

 魔法で空中に表示されている得点板を見ると、一〇対四〇と表示されていた。

 

「……まずい、負けている」

 

 試合が再開されるなり、ハリーは再度空高く舞い上がってピッチ全体を見渡した。

 紅色のローブを着た選手が――あれはアンジェリーナか――クアッフルを抱えて高速で飛んでいる。スリザリンのビーターがブラッジャーを打ちつけるも、彼女は箒ごと横に一回転する事でスピードを落とすことなく軌道をずらすことなく、ゴールに向かってクアッフルを投げつけた。

 しかしスリザリンもさるもの、三つあるゴールのうち、一番遠くに陣取っていたはずの緑色のキーパー選手が素早く箒を使って、まるでベースボールのようにクアッフルを打ち返した。

 だがアンジェリーナの策は実る。キーパーが打ち返した先に居たのは、獅子寮チェイサー三人娘が一人、ケイティ・ベル。すっ飛んできたクアッフルを、まるで意趣返しのように箒で叩きだすと、それはそのままゴールの輪へ吸い込まれるように飛び込んでいった。

 グリフィンドールに一〇点追加である。

 他を見れば、ビーター同士の小競り合いも起きている。

 フレッド・ジョージ、そのどちらかがブラッジャーをクラブで打ち抜く。それはスリザリン・チェイサーであるエイドリアン・ピュシーの後頭部を強かに打ちつけた。気絶でもしたのか、使っていたコメットシリーズの箒からクアッフルと手足がするりと抜けて、ピッチへと落下していく。彼の仕返しのためか、スリザリンビーターのデリックは、ブラッジャーの進路に躍り出ると、そのクラブを以ってして、叩くのではなく突きを繰り出した。スコットランドのプロチーム、 《ウィグタウン・ワンダラーズ》が編み出したビーターの技《パーキンズシュート》である。

 まるでビリヤードの玉のように信じられない速度で突き出されたブラッジャーは、自身の速度とデリックの放った《パーキンズシュート》の勢いをプラスして、獅子寮ビーターたるウィーズリーへと襲いかかる。

 しかし悪戯コンビのコンビネーションは伊達ではなかった。片方が狙われるのを予知したかのように相方のピンチに駆けつけたもう片方が現れると、二人揃ってクラブを振り被り、全く同一のタイミングで同じブラッジャーに叩きつけた。ジャパンチーム《トヨハシ・テング》お得意のビーター技、《ドップルビーター防衛》である。

 二人分の腕力を込められた打撃は、デリックの《パーキンズシュート》を真正面から打ち砕いて、それを放った張本人に直撃する。紅色の観客席から歓声の爆発と、緑色の観客席から落胆の呻きがそれぞれあがった。

 チェイサーとビーター、そしてゴールを守るキーパー達の熾烈な争いは、一〇点を奪い奪われて互いにしのぎを削っている。

 しかしシーカーは未だ、その役割を果たしていない。

 果たすその時こそが、試合の決着だからだ。

 ――次こそ。

 次こそドラコを出し抜いて、スニッチを手に入れてやる。

 獣のような目をさらに鋭くギラつかせ、スニッチを睨み殺すと言わんばかりのハリーの目はしかし、次の瞬間に大きく丸く見開かれた。

 

「え……っ? あれ、えっ、えええっ!?」

 

 箒への尻の座りが悪い? などと考えたのも束の間。

 ぶるぶる箒が小刻みに震えたかと思うと、途端にクリーンスイープ七号は暴れ牛にでもなったかのように荒ぶりはじめたではないか。

 上下に揺さぶったり、左右にぶんぶんと尻を振ったり、ぐるんぐるんと横回転したり。

 その上に乗っているハリーはたまったものではない。

 いくら箒には呪文がかかっていて乗り心地が改善されているとはいえ、そんな無茶な動きをされては股や太腿に食い込んで痛いなんてものではない。あと、それどころではない。いまハリーが居る場所は高度二〇メートル近くあるのだ。ここから落ちればただでは済まない。

 箒が壊れた? コントロールを失った? それとも箒がぼくを乗せるのに嫌気がさした?

 あらゆる原因を考えるが、ハリーはそのどれをも否定した。

 結論。箒にしがみつくことだけを考えないと、振り落とされる!

 

「うわっ! う、ああっ!? ひゃ、やだッ、うわあああっ!?」

 

 

「ハリーは一体何しちょるんだ?」

 

 隣の観客席でハグリッドが呟いた。

 その巨体を窮屈そうにベンチに乗せ、隣に座る生徒たちもまた窮屈そうにしている。

 だがいまはそんなことどうでもよろしい。

 ハリーが、我らがシーカーのハリーがどうやら箒のコントロールを失っているらしいのだ。

 しかしそれにしては様子がおかしい。

 あれでは、どうみても箒がハリーを振り落とそうとしているようではないか。

 

「さっきぶつかったときに壊れちゃったのかな?」

「観客席で誰かが呪いをかけてるのかも!」

 

 シェーマスやパーバティがそう声に出す。

 だがハグリッドはその両方を否定した。

 

「いんや。箒っちゅーのはお前さんらが思っとるよりも堅固な守りが施されとる。多少ぶつかった程度じゃ壊れやせんし、未成年のチビどもが扱う呪いくらいじゃあ、箒に悪さなどできやせんよ」

 

 ハグリッドが心配そうな声ながらも事実を言うその隣で、ハーマイオニーが双眼鏡を振り回すようにして観客席を見渡していた。

 ロンがハーマイオニーの肩を掴んで言う。

 

「な、何してるんだよハリーが大変な時に! 落っこちちまいそうだ!」

「大変な時だからこそよ! ――居たわ! まさか、でも――」

「何がまさかなんだよ!」

 

 ロンがハーマイオニーの双眼鏡を奪い取ると、彼女が見ていたあたりへ照準する。

 ハーマイオニーの指示に従って見てみると、黒い髪に鉤鼻、深い皺を眉間に刻んだセブルス・スネイプが瞬き一つせずに何やらぶつぶつ呟いている。

 ハリーとハーマイオニーの二人から勉強指導を受けていたロンは数秒思い出そうとして、スネイプの目を見て脳裏に閃いた。あれは、何かの呪文を使っている姿だ。

 ロンは悲鳴をあげる。

 

「スネイプがハリーに呪いを!? いや、奴さん教師だぜ? ……やりかねないけど」

「わからないわ。ホグワーツの教師なんだから、そんなこと……でもやりかねないわ」

 

 こういう時はどうすればいいのか。

 数瞬迷った二人だったが、ハリーが常々言っている事を思い出した。

 彼女曰く、「疑わしきはぶちのめせ」。

 いったいなにが彼女にそんな思想を植え付けたのか。二人はそれを聞いた時とても心配であったが、今この時においてはその言葉を聞いていてよかったと心底思った。

 二人は弾かれたように立ち上がると、その勢いのまま観客席を疾走した。

 クィディッチへの熱狂とポッターの不穏な様子への心配と、二種類の大声が響き渡るスタンドを走って走って、ついにはスネイプの居る貴賓席の裏側まで回ってきた。

 ロンはそこで人込みに衝突してしまい数人を薙ぎ倒したが、ままよと人込みを掻き分けてハーマイオニーが通れるように隙間を作る。

 滑るようにその隙間を駆け抜けて杖を取り出したハーマイオニーは、できるだけ小声で、しかし鋭く正確に呪文を唱えた。

 ――対象は、哀れなスネイプのローブだ。

 

「『ラカーナム・インフラマーレイ』!」

 

 唱えるが早いか、ハーマイオニーは元来た道を疾走してロンと合流する。

 杖から飛び出した青い炎は、込められた魔力が消費されるまでは決して消えない魔法の火。

 たとえ水をかけても、消えはしないだろう。

 より威力の高い同系統呪文の『インセンディオ』もあったが、此方の方が時間稼ぎにはぴったりだ。なにせ今回はスネイプを焼き尽くすのが目的ではないのだから。……いや、チャンスがあればやってしまってもいいかもしれないが、今はその時ではない。

 二人の連係プレーで瞬時に人ごみにまぎれてしまったので、恐らく下手人がだれかはわからずじまいだろう。ひょっとしたら熱狂した何処ぞの阿呆の仕業と思ってくれるかもしれない。

 鋭い悲鳴が背後で響き渡り、火を消せという叫びを聞きとって二人は急いで群衆から飛び出し、ピッチの上空を見上げた。

 ハリーは、ハリーは無事だろうか。

 ピッチ上空を飛び交う選手たちの中、そのうちの赤い一人。

 もはや片手で箒にぶら下がっていたハリーが、まるで曲芸のように一回転して箒に飛び乗った姿を見て、二人はようやく成功を確信し、抱き合って喜んだ。

 

 

 ハリーが箒に飛び乗った時、既に体力の限界を迎えていた。

 玉のような汗で黒髪を額に張り付け、飢えた獣のようにピッチ全体を見渡す。

 歯を剥いて射殺すような瞳で睨みを利かせるその顔は、女の子がしていいものでは決してない。

 だが今は試合中。性別など関係ないのだ。

 そして明るい緑の瞳はようやく目標を発見した。

 プラチナブロンドのオールバック姿が、遥か地表近くを疾走している。

 ――見つけたぞ、ドラコ・マルフォイ!

 ハリーは箒を力の限り握りしめ、一気に最大速度まで加速させると地上に向けて突っ込んでいった。ドラコの行く先を目指して急降下し、地表すれすれ、彼の眼前に躍り出て水平に持ち直した。

 

「ポッタぁーッ! きさまぁ!」

「へへん! いくぞ、ドラコ!」

 

 ドラコの鋭い叫び声が聞こえる。

 目の前にはやはり、スニッチが飛んでいた。

 二人のシーカーから逃れようと必死に銀の翅を細かく振動させて逃げ惑う。

 蛇のような軌道を描いて、ドラコがハリーのすぐ後ろで追いすがる。

 金を追いかける紅と緑は、ピッチの芝生すれすれを舐めるように光速で飛び回る。

 科学を軽んじる魔法界において、ピッチ外周の骨組はコンクリートなどではなく当然のように魔法で組み立てられた木製である。

 つまり、隙間がある。

 狡猾なスニッチはその隙間へ潜り込み、二人のシーカーから逃れようと画策する。

 しかしハリーとドラコは、そのようなことで怯むような脆弱な度胸は持っていない。いや、かつては持っていたのかもしれない。しかしドラコは考えなしの弟や学友への対応や、貴族間の社交界で味わった苦渋や策略などの経験を積んだことからくる自信。ハリーはダドリーからの暴力で培った観察眼と安全を見抜く力、闇の帝王への憤怒と憎悪からくる獰猛な心。

 二人の獣は、木材の隙間を縫うように奔った。

 各々が独自に安全かつ素早く動けるルートを見抜き、互いの身体を用いてタックルを放ち、スニッチを追いかける。

 

「―――ッ」

「……チッ」

 

 このフィールドで逃げ回る事に利を見出せなかったのか、業を煮やしたのか。まるで謀ったのようにスニッチがひと際大きな木材を這うように、誘導するように飛んでいったことに二人は気付き、苦い顔をする。

 黄金の目論見通り、二人はあの木材を避けざるを得ない。だが上手く避けなければ、相手のリードを許してしまう。どうにかしてギリギリまで追跡を続けるしかない。つまり、これは、チキンレースの始まりだ。

 正確に、急激に方向転換する事の出来る魔法が掛けられたスニッチは、難なく木材に触れる数ミリ前で直角に動いてピッチ上へと飛び出す。二人を叩き付けんと画策しているようだ。今の速度、今の姿勢では二人とも真正面から木材に衝突して意識を手放すか、最悪首の骨が圧し折れることだろう。

 見失ったときのために用意されているらしき、クィディッチ選手の姿を映す魔法スクリーン。ピッチ上空に投影されたその画面でシーカーの姿を観戦していた観客たちが、大きな悲鳴をあげた。

 二人は、スニッチが悪辣に嗤ったかのような錯覚を覚える。砕けよ、挫けよ、と。

 だが、二人はそれぞれ右足と左足を曲げると、互いの身体を同時に蹴り飛ばした。

 スニッチの直角移動ほどではないにしろ、それによって急速に互いの位置をずらした二人は、箒の柄を必死に持ち上げることによって木材の枠組みから上空に向けて飛び出した。

 

 観客席から、幾度爆ぜたか分からない歓声があがる。

 ここで二人の勝負を左右したのは、単純なところ運であった。

 重要なのはピッチに飛び出した時点で、スニッチに近かったのがハリーだったということ。

 ハリーの獰猛な気配に気づいたのか、魔法が掛けられた無機物にあるまじきことだが、スニッチは自らが逃げようとしたのとは別の方向へ逃げようとした。

 急激に角度を変えて、上空に逃れようとする気配がハリーに伝わる。

 だが、一手遅い。

 鬼気迫る顔で追うドラコよりも早く、逃げるスニッチよりも早く。

 右手を伸ばしたハリーが、スニッチを手中に納めようとしたその瞬間。

 がつん、と後頭部に衝撃を受けた。

 あまりにあんまりなタイミングでハリーはバランスを崩し、箒から転げ落ちてもんどりうってピッチに倒れ伏す。

 会場が、一気に静まった。

 死んだんじゃないか? という無粋な誰かの呟きすらが、何処かから聞こえてくる。

 何が起こったのか分からないハリーは大の字の状態から起きあがろうとして、ふと自分が息を出来ないことに気がついた。

 即座に酸欠か? と思い浮かぶが、違う、何か喉に詰まっている!

 寝返りを打って四つん這いになると、ハリーは懸命に喉に詰まった何かを吐きだした。

 けぽ、という可愛らしい音とともにハリーの手の中に落ちてきたのは、なんとスニッチだ。

 静寂に包まれたピッチの中において、ハリーはずきずき痛む後頭部を左手で抑えながら、捕らえられて大人しくなった金のボールを天に向かって突きあげた。

 

「うォォォおおお―――ぁぁぁあああああああああ――――――ッ!」

 

 全くもって少女らしくないが、勝利の雄叫びをハリーがあげた瞬間。

 試合会場の全てが歓声と怒号の爆発に包まれた。

 

 試合終了――。

 結果は、一七〇対六〇。

 グリフィンドールの勝利である。

 異議を申し立てようと審判に詰め寄ったフリントが、ハリーの頭を蹴り飛ばした事についてドラゴンのような形相のマダム・フーチや観客席から飛び降りてきたマクゴナガルからお説教を受けているのを尻目に、グリフィンドールチームの面々が次々に地上に降り立ってハリーを抱きしめてきた。

 ウィーズリーズが抱きついてきて、また冗談で尻に手を伸ばしてきたが、笑顔のハリーに全力ビンタを喰らう。しかしそれでも笑っていた。チェイサー三人娘はハリーを代わる代わる抱きしめ、その頬や額に熱烈なキスの雨を降らす。

 ウッドに至っては喜びのあまり、もう少しでハリーを絞め殺しそうになっていた。

 撫でられ過ぎた黒髪はくしゃくしゃにされ、皆の歓声で耳がおかしくなりそうだったがハリーはそれでもよかった。今この時だけは、それでも構わなかった。

 いまこのときだけは、喜びと興奮の感情のみが、ハリーの心を占めている。

 こんな、こんな事は初めてだ。

 ハリーは観客席から走ってくるグリフィンドール寮生の中に、ハーマイオニーとロンの姿を見つける。そして二人に向かって、無邪気で屈託のない笑顔を見せていた。

 そうして揉みくちゃにする皆から抜けだすと、二人の首に飛びつくように抱きしめる。

 まともな英語が口から出てこないが、それでもハリーの喜びは二人に伝わっているだろう。

 二人の頬にキスをすると、ハリーはまた幸せそうに笑いをこぼす。

 きっと、今日のことは一生忘れない。

 赤くなったロンと朗らかな笑顔のハーマイオニーを見ながら、ハリーはそう確信したのだった。

 ああ、よかった。

 ぼくは、ホグワーツに来ることができて本当に幸せだ。

 




【変更点】
・全体的に選手たちの技量アップ。
・リア充イケメンはセクハラすら許される。
・戦闘やクィディッチに関してはどんどん魔改造して逝きます。エクストリィーム!

ピッチの外観や構造は映画と同じように想像してください。
クィディッチのみでお送りしました。流石にこれ単体だと、文章が短くなりそうで大変。
文章中に唐突に現れるダドリーが便利すぎて、コイツ魔法生物か何かじゃないかなぁなんて。

※誤字をしないよう気を付けているつもりですが、私もマグルですのでうっかりしてしまいます。報告じつに有難いです。

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