ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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7.うそをつくことはできない

 

 

 

 ハリーはいま、苦痛に耐えていた。

 我らが巨大なお友達、ハグリッドがホグワーツへ帰ってきたのだ。あの存在感のある彼の姿を見なかったことで、まるで一年は会っていなかったような気がする。ハーマイオニーに彼の帰還を告げられ、喜んで彼の住む小屋へと向かったまではよかったのだが、そこにはすでに先客がいたのだ。ご存知ホグワーツの誇るアイドル、アンブリッジ女史である。

 即座に亜空間より引き寄せた透明マントを羽織ることで、三人は身を隠す。ハリーとハーマイオニーはあまり身長が伸びていないので問題ないが、ロンの身長はひょろひょろと高くなってしまっているので頭からマントを被れば足首まで隠し切れないのだが、そこは伸び放題の芝に隠されることだろう。ハグリッドの不精に感謝である。

 半開きの窓から聞こえる甘ったるい声は、かなりいらだっているようで、普段の、人を小ばかにした蔑みの色が見られない。それでいて人を不快にさせる色は健在なのだから、もう恐れ入るしかあるまい。苦痛に耐える必要がある会話をあやつることのできる人間がいることを、ハリーは齢十五にして思い知った。

 

「ダンブルドアはアナタに、何を命じたんですの? さっさと答えなさい」

「ああ、ダンブルドア先生さまは、俺に休暇をくだすった。そうだな、しっかり休めと命じなさったんだ。ほれ、この通り。ドラゴンの居住区に滞在する許可をもらったもんで、傷だらけだわい」

「……ッ、そうではなく! ダンブルドアはアナタに、何かを探すよう命じたはずなのです! それが何かを、正直に答えなさい! わたくしはドローレス・ジェーン・アンブリッジ魔法大臣上級次官ですわよ!」

「んん? 上質なニンジンがなんだって? まー、ああ、そうさな。俺は休むのが下手だから、うまい休み方を見つけるようにはおっしゃっておったような気がするなぁ」

「この……ッ、……! 野蛮な原人……半巨人めが……。貴方のような非ヒトに文明的な会話を期待した、わたくしがおバカさんでしたわ!」

「自分の間違いを認められるっちゅーのは、ええこった。偉いぞ」

「…………かッ、……帰りますわ!」

 

 あなたはこのホグワーツに不要です、と捨て台詞を残したアンブリッジは、足音高くハグリッドの小屋を後にする。その背中には隠し切れない見下しと怒りが同居していた。

 アンブリッジの問いに対して、ハグリッドがうまいことごまかしたようにも聞こえるが、実際は本当に何を言われているか理解していなかったのだろう。彼は人の悪意に疎いところがある。流石にピンクのカワイイガーゴイル女のことを、機嫌が悪かっただけの人のいいオンナノコとまでは思ってはいないだろうが、ハグリッドにとってアンブリッジは、性格の悪い魔法生物と同じであり、きっとそれに近い扱いをしていたのではないかと、ハリーはひそかににらんでいる。

 

「おかえり、ハグリッド。さみしかったよ」

「オーッ、ハリーでねえか! ロン、それにハーマイオニーも、よく来なすった」

 

 アンブリッジが姿を消して戻ってこないことを確認してから、ハリー達は透明マントを脱ぎ払ってハグリッドの小屋へとなだれ込んだ。やれやれとかぶりを振っていた彼は、三人の姿を認めるや否や、コガネムシのような小さく黒々とした瞳を輝かせ、嬉しそうにうなった。

 ハグリッドはほがらかに笑いながら、高山地帯にあるマグルの村へ行ったときに賭けで貰ったという、摩訶不思議アンブリッジャーな紅茶を、お土産としてごちそうしてくれた。一口飲むたびに、脳みそへハチャメチャな感覚が大挙して押し寄せてくる珍しい味だ。

 高山病の対策として飲まれているお茶だとハグリッドは説明していたが、そうでなくとも毎日飲みたくなる味をしている。ハリーはお代わりを申し出ようとしたが、突如としてロンが巨大すぎるくしゃみをしてテーブルごとポットやティーカップをひっくり返してしまったため、それは叶わなかった。

 食べ物を粗末にしたロンがハグリッドに呆れて注意されながら、彼がハーマイオニーから賛辞の視線を受けていたことがハリーには不思議であった。

 

「久しぶりだねハグリッド。あのガマガエルを混乱させるなんて、大したもんだぜ!」

「それにしても、長い留守だったわね。いったいどうしたの?」

「アー、それはだな。……まあ、おまえさん達なら、別に言っても構わんじゃろ」

 

 その言葉に、ロンがいたずらっぽく笑った。

 

「他言無用ってわけだね」

「そのとおり。実はな、ダンブルドア先生の指示で、巨人の棲み処へ行っちょった」

「きょ・じ・ん!?」

 

 その言葉に、ロンが飛び上がるほど驚いた。

 

「どうして巨人のいるところへ?」

「かつて闇の輩と対峙した際に、例のあの人は吸血鬼や巨人、狼人間と言ったヒトとして認められていない存在を味方につけておった。ヒトと同じ権利を与えるだの、適当な言葉をエサにしてな」

 

 確かに、かつて英国国内で起きた闇の勢力との戦いは、戦力の差がおかしいとは思ってはいた。あの時、ハリーがヴォルデモート復活の際に見た死喰い人達の総数は、およそ一〇〇人かその程度だった。

 あれから十年以上が経っているとはいえ、たったそれだけの人数で英国魔法界の全てを敵に回して、なお敵対していたダンブルドアたちがレジスタンスと呼ばれるほどに戦力差があったのは、ひとえにヴォルデモートが非ヒト族たちを味方に引き入れたからだ。

 

「ダンブルドア先生は、例のあの人が、再び『ヒトたる存在とは認められない者たち』を味方につけることを懸念しておられる」

「えっ、じゃあ巨人と話したの?」

「いんや」

 

 ロンの驚いたような声は、ハグリッドの気落ちした声によって否定される。

 どういうことかとハリーが目で問うと、彼は言っていいものか迷う様子を見せた。不死鳥の騎士団に関する任務であるため隠した方がいいのだろうが、この三人は騎士団の存在を知っている。ゆえに構わないだろうと結論付けたらしく、肩をすくめながら言った。

 

「みーんなして、息絶えておった」

「息絶えて……? 死ん、……えッ!?」

「そうじゃて、死んどった。確認できる遺骸だけで、三〇くらいだな。巨人たちは凶暴だからな、お互いに殺し合ったのかと思ったが、殴る蹴るで肉体が吹き飛んだりはせんだろう」

「それって、魔法でやられたってこと?」

「そうだろうな。俺たちよりも先に来た連中がやった、っちゅうこった」

 

 話を聞いたハリーは困惑していた。

 おそらく、その先客とは死喰い人に他ならないだろう。巨人を皆殺しにする連中など、彼ら以外に居るなど考えたくもないということもあるが、この英国においてそこまで派手な犯罪活動を行えるのは、ヴォルデモートの一派くらいしかハリーには思い当たらない。

 そう思って聞いてみたところ、ハグリッドも巨人たちを殺されてすごすごと帰ったわけではないらしい。巨人たちの棲み処の近くに点在する村の住人に話を聞いて、白いどくろの面をかぶった黒いフード姿の者を数人、見たという目撃証言を手に入れている。そこまで分かりやすい恰好をする変態集団など、死喰い人に相違あるまい。むしろ、他にそんな奴らがいたら困る。お世辞にもあの格好は、クールとは言えないのだから。

 

「ダンブルドア先生はな。おっと、こいつは内密にな。先生さまは、巨人たちが味方に付いてくれればと思っちょった。第一次魔法戦争の時は、巨人や吸血鬼、狼人間といった亜人種が闇の勢力について痛い目を見たからな。俺たちも、闇の奴さんらもだ」

「ああ、御しきれなかったのね。でも、巨人を味方に? でもそれって、アー、えっと、」

「ああ。ええ、ええ。気にせんでええ。奴らが凶暴で、ちーっとばかし理性の足らん連中だっちゅーことは俺もよーく知っとる。じゃが、奴さんらも例のあの人が自分たちをまともに扱わん連中だってことは、レタス喰い虫みたいな脳みそでもよっく覚えちょることは、俺たちにも分かってた。だからこそ、味方にと思ったんだがな」

 

 しかし結果としては、巨人は死滅していた。

 ハグリッドは長期休暇を利用して、ボーバトン魔法学校校長のマダム・マクシームと共に(ここでロンが口笛を吹いたせいでハグリッドが砂糖入れを床に落としたので、ハーマイオニーに足を踏まれていた)巨人たちの棲むとされる山奥へ向かった。ダンブルドアの使いとして、巨人と交友関係を結ぶためにだ。なにも、ヴォルデモート一派と戦ってもらわなくとも、彼らの味方につかなければ、それだけでこちらとしては御の字。諸手を挙げて小躍りするくらいには、ありがたいのだ。

 ハリー達の両親がレジスタンスとして闇の勢力と戦っていた第一次魔法戦争のころは、巨人たちはヴォルデモート側に着いた。現政権を打倒した暁には、巨人たちに自由を与えるという甘言に踊らされたからだ。その結果、レジスタンス側は甚大な被害を受けた。その強靭な皮膚によって魔法はろくに効かず、腕の一振りで人間の脆弱な肉体などひとたまりもないからだ。一方で、巨人たちも甚大な被害を受けた。レジスタンスの抵抗もあるが、何よりもヴォルデモートは巨人を使い捨ての駒としてしか見ていなかったからである。

 ガーグと呼称される巨人たちの頭、カーカスという巨人はそれをよく覚えていた。ヴォルデモートはもちろんのこと、魔法使いにかかわるのは巨人にとって損しかないのだと、重々理解していたのである。

 

「しかし結果はこれだ。みーんな、おっ死んでしまった。これで、この国にいる純血の巨人は、もう誰っこ一人いやしねえ」

「そんな……」

 

 ハーマイオニーの声が、静かな小屋に響く。

 よもやダンブルドアも巨人が敵対するどころか、死喰い人によって全滅させられたなどとは思うまい。この報告を聞いたかの老人の顔は、苦虫を噛み潰したようであったという。

 親愛なる友人がホグワーツへ帰ってきてくれたのは、素直に嬉しい。しかし死喰い人達の行動の意味が分からない。以前のように巨人たちを味方につけて、英国魔法界の転覆に従事させるというならば話は分かる。しかし、結果としては巨人たちの皆殺しだ。いくらヴォルデモートが生命を奪うことに快楽を見出している変態だとしても、彼は天才的と言っていい頭脳の持ち主だ。多少イカれたりした程度では、巨人をいたずらに失うことは損失でしかないと理解できるだろう。だというのに、結果はこれだ。

 わからないことがまたひとつ、増えてしまった。ハリーは右手で目尻を揉みながら、吐き出された深い溜め息は、ハグリッドの小屋の天井へぶつかって霧散した。

 

 

 ハリーは再び、苦痛に耐えていた。

 授業中にアンブリッジと目が合った結果、どうやら彼女を誘惑してしまったらしく罰則を受けているのだ。もしくはその罰則を言い渡された際、ぼくにも相手を選ぶ権利があると顔に書いてあったのがバレたのが原因だったかもしれない。

 ともあれ、ハリーはアンブリッジの部屋で罰則を受けてその帰り道なのだ。いまだに苦痛が離れてくれない。羽根ペンで『うそをついてはいけない』と書き続ける罰則は、ハリーには理由はさっぱりまったく露ほどもわからないが、アンブリッジが行わなくなってしまったので違う罰則である。それはずばり……アンブリッジの身の回りの世話だ。

 女性の下着というものはもっと、高尚で夢のあるものだと思っていた。ローズマリーくらいのサイズになると可愛いのが少なくなってくるが、ハリーのサイズであればまだ可愛い下着が多い。一方アンブリッジの下着(両生類とて下着くらいつけるだろう)ときたら、まだマートルの住む便器を舐めた方がマシだった。詳しくは思い出したくない。閉心術の課外授業でこの記憶を見るであろうスネイプが、床に昼食のミートパイをぶちまけることをハリーは確信していた。

 さておいて、精神的な苦痛に耐えながらハリーは同じ廊下を行ったり来たりしている。すると何もない壁からにょきにょきと扉が生えてきて、彼女を歓迎するかのようにやさしく開いた。

 

「ごめんね、ちょっと遅れた」

「ハリー!」

 

 今日はDA活動の日だったのだ。

 ハリーが部屋に入ると、ちょうどネビルが盾の呪文を成功させたところだった。

 この面子の中で、最初に盾の呪文を習得したのはネビルだ。ハーマイオニーすら差し置いて、息をするように会得したのはさすがと言うべきか、今彼が展開している『盾』は円錐状に加工して回転するタイプのものだった。『盾』の形状を変化させるコツはハリーが教えたものだが、これに関しては既にネビルのほうが上手くなった。誇らしい限りである。

 他にも『治癒魔法』や、『平常心を保つ魔法』といったやさしい魔法はすべてネビルが一番に習得している。このDAメンバーの中で、もはや彼を落ちこぼれと蔑む者はいないだろう。ハリーが来たことで慌てて去っていったが、ネビルに『盾』の教えを乞うていたのがプライドの高いザカリアスであったこともその証左だ。

 

「はいみんな、ハリーが来たわよ。集まって!」

 

 ハーマイオニーがぱんぱんと手をたたくと、部屋内のあちこちで魔法の練習をしていた連中が集まってくる。呪文によって失神していた数人をハーマイオニーが『蘇生』させると、ようやく全員が集合した。

 それらを見回して、ハリーは頷き言う。

 

「この数ヶ月、DAで学ぶことでみんなはだいぶ強くなったと思う」

 

 その言葉に皆が歓声を上げた。

 教師としてのハリーは褒めるときは優しい母のように接し、厳しく指導するときは腹パンで泣き言を飲み込ませて代わりに血反吐を吐かせる。そういう女が、手放しに褒めたのだ。達成感に叫び、女子生徒の中には感極まって泣き出す子まで居るではないか。

 憮然とした顔になるハリーをハーマイオニーがなだめ、数回ほど手を打ってメンバーを静かにさせてハリーの機嫌を直させると、続きを促し言葉を紡がせる。この一連の動きによってメンバーたちは、DAにおける真のボスがハーマイオニーであることを再確認した。いくら戦闘力が高かろうが、所詮ハリーは脳筋ガールなのだ。前線で戦う英雄より、後ろで指示を出す女王のほうが偉いのはわかりきったことである。

 

「守りの呪文ではネビルやチョウにジョージが、幻術ではルーナとリー、補助系統では味方の能力を高めるタイプにディーンやアーニーにジャスティン、妨害系ではマイケルやアンソニーにクリービー兄弟、攻撃呪文では獅子寮チーム三人娘やジニーとフレッドにラベンダー、探査系統だとスーザンやハンナにザカリアス、後方支援専門の体力回復系はパチル姉妹にテリーやマリエッタに、変則的な魔法でいえばロン、万能型にハーマイオニーがいる。この面子だけでもかなりの戦力だと思うよ」

 

 一息で言い切ったハリーは、それぞれのメンバーを見る。

 居心地悪そうにしてる者や、誇らしげに頷いている者など反応は様々だ。ハリーの言ったことは決してお世辞でも何でもない本音であり、今の彼らならば贔屓目なしで見ても、下手な魔法犯罪者くらいならば片手間くらいの労力で撃退できるだろう。

 ハリーとしては、それくらいの実力をつけさせたつもりである。

 そしてだからこそ、ハリーは今日のDA集会を重要視しているのだ。今回の勉強会こそが、仕上げに入るその一歩目だ。

 

「だからこそ。もし万が一、死喰い人とかそういう、本当にヤバい相手と遭遇した場合は、倒そうなんて考えずに逃げてほしい」

 

 そう言い放たれた言葉に、メンバーがどよめく。

 ハーマイオニーとロンはその意味を察して悔しそうな顔をしていたが、他の面子はそうもいかない。どういうことだと声を荒げる男子もいるくらいであった。

 

「あいつらは敵対者が半端者だろうと、ある程度の実力を持っていれば容赦なく本気で殺しにかかってくる。逆に取るに足らない未熟な魔法族なら、いたぶって遊んでから殺すだろうね」「俺たちが、取るに足らないやつだって言いたいのか」

「いや。ぼくの見立てでは、君たちは未熟とは言い難い実力はあると思う」

「だったら、戦えるんじゃないのか?」

「いや。だからこそ、奴らは本気で来る。そうなれば、きっと勝ち目はない」

「「そうなったら僕たちじゃ勝てないって言うのかい?」」

「悪いけれど、答えはイエスだ」

 

 ウィーズリーズの憮然とした声に、ハリーは迷うことなく肯定する。

 不愉快そうな顔を隠しもせずざわつくDAメンバーたちに、杖先からパチンと花火を飛ばして静かにさせる。そしてハリーは、できるだけ可愛らしくなるよう黒髪を揺らしながら、にっこりと微笑んで宣言した。

 

「なので今から、全員ぼくがブチのめす」

「は? なに言ってんの?」

 

 ザカリアスのあげた素っ頓狂な声は、この場にいる全員の代弁でもあった。

 ハリーのにこにこ笑顔を見ながら彼女が本気で言っていると察した数人が、ハーマイオニーとロンの顔色をちらりと伺う。達観したような微笑を浮かべているあたりハリーの発言が真実だと悟り、彼らは状況の理解を諦めることにした。

 

「『テングになった新人どもの鼻柱を叩き折ってやり、常に上には上がいると思うことで慢心をなくす……油断大敵!』だそうだよ」

「テングってなんだ……?」

「日本人の一般的なペットよ。ゾウみたいに鼻が長いから、調子に乗ってるって意味で使われるの」

 

 アラスター・ムーディの言葉を借りて言ってみれば、確かに説得力のある言葉だと実感する。上からモノを言うときには便利かもしれない。実感のこもった言葉は他と比べて重みが違う。

 それにムーディからこの言葉を聞いていなくとも、ハリーはこの『獲物の気分を味わい慢心をなくそうキャンペーン』を実行するつもりだった。彼女自身が、守護霊呪文を学ぶ際に闇祓いのグリフィン隊連中にされたことだ。次々と新たな魔法を習得し、戦闘力が上がっていくことを実感していた当時のハリーは気づかぬながらも若干天狗になっていたのだろう。守護礼呪文の習得もさらっとできるもんだと思っていた彼女は、うまくいかない呪文習得に半泣きになりながらもグリフィン隊連中に散々しごかれたことで思い知ったのだ。

 慢心すると、人間の成長は止まる。

 自らの限界を定めてしまうのだろうか、そこらへんの精神的な学問は門外漢であるためさっぱりわからないが、とにかくハリーは『飽くなき向上心こそが人を強くする』という持論を抱いている。

 

「ここで無残に負けておけば、いざというとき慎重になれる。慎重さは生きる力だ。ぼくは実戦でこれを知った。たまたま運よく生き残れたけど、君たちも同じ状況に陥って、運よく生き残れるとは限らない」

「……死ねば、そこで終わりだからですか?」

「その通りだスーザン。だから、ぼくは本気で殺る気を出すよ」

「ハリー。ねぇハリー、いま発音おかしくなかった?」

「少しでも隙を見せたら返り討ちに遭うからね。そんな無様は見せられないよ」

「ねぇハリー。答えてくれないかな、ねえったら」

 

 だからこそ彼女は、DAメンバーにもその精神を強要する。

 アンブリッジへの対抗心から生まれたこの組織ではあるが、習っていることは社会へ出るに必要な勉強であると同時に戦う力なのだ。魔法界において学んで知識を会得するとは、大なり小なりそういうことである。

 多少……いや結構……だいぶ、かなり、凄くめちゃくちゃなことを言っている自覚はある。だがヴォルデモートが復活した以上、九割の確率で暗黒時代は再びやってくる。魔法界が闇に覆われたとき、果たして今持っている良心を保ち続けられる人間は多いだろうか。そういった心の弱い輩に出会ったとき、DAメンバーを生き延びさせるにはどうしたらいいか。

 そう考えると、ハリーが味わったように上には上が居ることを思い知らせ、向上心を腐らせないようにするのが一番だったのだ。

 

「ぼくが仮想の敵役だ。ホグワーツ内に侵入した死喰い人と遭遇して、襲われているという設定でやるよ」

「なんでまたそんなピンポイントな設定に?」

「きっと理由はこれだわよ、ロン」

 

 ハリーの舞台設定に疑問を呈したロンに対して、ハーマイオニーが数日前の日刊予言者新聞を投げてよこす。新聞など生まれて初めて見たという顔をしたロンは、その一面記事を見て驚きの声を上げた。

 その反応に興味を示したDAメンバーたちの意をくみ取った必要の部屋が、新聞記事を大きく拡大して空中に投影する。数十枚の顔写真がずらりと並び、写真下にはその顔の持ち主の名前と罪状が書き並べられている。

 一面の見出しはこうだ。『アズカバンから集団脱獄。ブラックの手引きによる凶悪事件』である。またシリウスの知らない罪が増えたなと怒りの炎を静めながら、ハリーは感情を伺わせない瞳でその写真を眺めた。

 

「死喰い人が……、だっ、脱獄? あのアズカバンを?」

「シリウス・ブラックめ! 脱獄マニュアルを仲間へ教えていたに違いない」

「たしか三年生の時、ポッターを襲ったんですよね。ろくでもない男だな……」

「リアルプリズン・ブレイクだわさ。見て、アズカバンの頑丈な壁が破壊されているわ……」

 

 ヴォルデモート復活を認められないファッジによって更に恐ろしい凶悪犯罪者になったシリウスへ同情を抱くものの、DAメンバーの危機感を煽れるならとハリーは我慢することにした。この際、彼の名誉は犠牲になってもらう。どうせ後になって無実だと証明されるのだ。

 ずらりと並ぶ死喰い人たちの顔写真の中から、ハリーに向かって挑発的な嘲笑を浮かべる女へ目を向ける。どこかシリウスと似通った顔をした黒髪の女だ。元は絶世の美女だっただろうに、長いアズカバン生活で幽鬼のように怨念のこもった顔つきになっている。

 

「まぁ、この記事にはいろいろと抜けているところがあるから、私のほうで何かしようと考えてはいるけれど……それはまた今度の話にしましょう」

 

 ハリーがイラついていることを見抜いたハーマイオニーは、無理やり話を進めることにした。賢明な判断である。役とはいえハリーは容赦しないだろう。彼女をイラつかせることでその脅威レベルをむやみに上げることはない。

 

「見ての通りよ。だからリアルな設定で訓練するってこと」

「……ああ、それで必要の部屋がここまで広くなっているんですね?」

「そういうこと。必要の部屋の仕様上、ホグワーツの一階部分しか再現できてないけど、そこは仕方ないよね。だったら……そうだな。上の階へ行くと震えて動けない一年生たちが殺されるから、一階で侵入者を倒さなければいけないって設定にしておこう」

 

 最初は『ダイアゴン横丁で買い物中に出くわす市街戦』にしようと思ってそれくらいの大きさへ部屋を広げていたが、ハーマイオニーからそれだと一時間じゃ終わらないとの助言を受けての決定だ。ホグワーツ城の一室がワンフロア分の大きさにまで膨らんでいるという、物理的にいったいどうなっているのか不可解極まりなく不思議でしょうがない状態だが、魔法に関しては物理的な常識を求めてはいけない。

 さて、と言葉を置いてからハリーは亜空間から狐のお面を取り出す。ユーコから貰った呪術的な意味のある代物だが、今回はまったく関係ない。死喰い人のかぶっている趣味の悪いドクロ面を模しているだけだ。

 いきなり模擬戦をすることに不満を抱いている者や、ハリーが一人で全員倒せるような物言いに不愉快な顔を隠しもしない者が居る中、脱獄囚たちの写真を見てから思いつめたような顔をしたネビルが、ハリーへと問いを投げる。

 

「ハリー。勝敗の決まり事や、禁止事項とかのルールを教えてほしいんだけれど」

「答えはこうさ。『アニムス』、我に力を」

「えっ」

 

 ネビルがかけた問いかけの答えは、ハリーの靴底だった。

 『身体強化魔法』を使用して淡い光に包まれたハリーが床を蹴り、ネビルに向けて飛び蹴りを放ったのだ。目を丸くして驚き硬直しているネビルに、それを避ける術はない。

 しかしその蹴りはネビルの目の前で停止した。別にハリーが手心を加えて空中静止したわけではなく、透明な障壁がネビルの眼前に展開されたため、物理的に止まっただけだ。

 

「なっ、んなっ、な……っ」

「言ったでしょうネビル、死喰い人に襲われた状況でやるって。ハリーがそう言った以上、『情け容赦もルールもない』ってことよ。当然、開始の合図もないでしょうね」

 

 『盾の呪文』を展開したのはハーマイオニーだ。

 ハーマイオニーならば最初の奇襲くらい難なく防ぐだろう。それを予想していたハリーは、障壁を足場にして強化された脚力で飛び出した。空中で杖を振り回し、魔力を練り上げる。杖先の向かう先は、万能型のハーマイオニー。

 

「『ランケア・ディフィンド』、刺し貫け!」

「『プロテゴ』!」

 

 ハリーが杖を一閃してアイスブルーの魔力反応光を放つと、その光からいくつもの槍の穂先が召喚される。魔力によって生まれ出でた複数の槍刃はハーマイオニーへと殺到するも、とっさに盾を展開したハーマイオニーはそれで自分に当たるすべての槍を防ぎきった。

 彼女の防御を見て、ハリーは内心でほくそ笑む。真の狙いは彼女ではないのだ。

 

「ッぐぅ!」

「っ、しまっ……ッ!?」

 

 背後から響いた呻き声に、ハーマイオニーが思わずといった風に振り向く。

 そこでは槍刃に左のふくらはぎを裂かれ、尻餅をついたロンの姿があった。情け容赦ないというハーマイオニーの言を証明するかのように、真っ先に親友を傷つけたハリーの所業にDA生たちが青ざめる。十数年前の暗黒時代が原因で魔法薬の技術が発展したため重傷者でもパッと治せる時代になったとはいえ、いくらなんでも容赦がない。

 しかし杖を握っていたロンは文句も言わずそれを地面に突きつけると、痛みに耐え歯を食いしばりながら練り終えた魔力を放出した。

 

「『カレス・エイス・ケルサス』、神秘よ!」

 

 ロンが発動したのは『固有魔法』だ。

 まさか習得していたのかとハリーが驚くと同時、ロンの眼前に石製の巨大な人形が出現する。チェスのルークを模した人形兵だ。空気が押し出される独特な音は、一瞬前まで存在しなかった物体が突然出現したことによって鳴る音である。無から巨大な物体を召喚しやがった、とハリーが瞠目した先にある人形兵は、まるで生き物であるかのように腕を軋ませて手に持った石剣をぶんと振りぬいた。

 日本刀のように断ち斬るものでもなく、西洋剣のように叩き斬るものでもない、どちらかと言えば鈍器に近い様相の石剣は、単純にデカくて重い。ただそれだけで純粋に脅威だ。現にハリーが狙い済まして射出したはずの槍刃を、そのひと薙ぎですべて粉砕したのだから。

 

「……マジかい」

「ハリーはいま死喰い人役だ! いったん距離をとるぞ!」

 

 ロンがそう叫ぶと、ルーク人形はその身を床に沈めて自らを分解する。再構築された身体は城壁となってハリーの眼前に展開し、DAメンバーとハリーとを分断した。その手際のよさに、ハリーは思わず口笛を吹く。これは複数の死喰い人や魔法犯罪者に襲われた場合、どうするべきかとロンと暇つぶしで語り合った際に彼から提案された策だ。無駄だろうと思いつつも、杖を振って城壁を『爆破』する。するとやはり、すでにDAメンバーの誰一人として壁の向こうには居なかった。

 ここでロンを倒せなかったのは痛いとハリーは歯噛みする。戦闘力においてはハリーとハーマイオニーに劣るロンではあるが、彼の戦術眼は厄介の一言に尽きる。万能型のハーマイオニーよりも優先して行動不能にしないと、ハリーの不利は避けられないのだ。

 

「『ドケオー・DAメンバー』、探し出せ」

 

 探査呪文を唱えると、ハリーの杖先から仄暗い光が飛び出す。

 それはきょろきょろと辺りを見回し、目当てのものを見つけたのか左方向に向かって移動する。最も近くに居るDAメンバーを見つけ出させようとしたのだ。

 しかしその目論見はいきなり失敗する。

 

「さっそくか!」

 

 ハリーの魔眼が、探査呪文の魔力反応光に不純物が混じったことを視認する。その内容を視てとったハリーは、考えるより先に強化されたその脚で全力の回避を試みた。

 ビー玉サイズの魔力反応光が一瞬でスイカ並みの大きさに膨れ上がると、ハリーのエーテルから注がれた魔力が乱反射を起こしてバーストし、魔法式の殻を破ったことで爆発を起こした。

 不自然な体勢で跳んだために爆風にあおられごろごろと転がったハリーは、複数の敵意を感じ取る。起き上がるよりも先に床がへこむほど強く蹴り、天井へと跳んだ。それと同時に今までハリーの居た地点へ複数の赤い魔力反応光が着弾する。

 ちらとあたりへ視線を飛ばせば、ジニー・ウィーズリーとチョウ・チャンの姿が確認できた。無言呪文で『失神の呪文』を放ったのだろう。天井に着地したハリーは、落下予想地点へ再び失神呪文が飛んでくることを察知して、天井へと靴底を貼り付ける。

 天井で仁王立ちすることで再び呪文を回避したハリーの姿に驚いたチョウに隙を見出した。よって彼女を刈り取るために一振りで複数の『武装解除』を放つ。しかしそれは、若干タイミングが早いながらも、堅牢に組まれた魔法式によって出現した『盾』に阻まれた。

 

「……マリエッタだな」

 

 いつもチョウと一緒に行動している女子生徒のマリエッタ・エッジコムが張った防御壁が、ハリーの武装解除を弾き飛ばし、込められた魔力をすべて消費して消滅してゆく。

 魔力の供給元を魔眼で看破したハリーは、そちらへ向かって天井を蹴って一直線に跳んだ。魔法式を視る魔眼を持つ死喰い人が存在するかまでは分からないが、少なくともヴォルデモートは持っている。この眼を造るのに、いったいどれだけのおぞましい闇の魔術が必要になるのかは考えたくはないが、彼でなくとも会得している死喰い人がいたところでおかしくはない。そのため、ハリーはこの模擬戦でも遠慮なく使うことにしている。

 慌ててハリーを止めようとジニーが放った『武装解除』をあえて避けずに、ハリーはその反応光を肩に着弾させる。余剰魔力でハリーの身体と杖が別方向へ弾き飛ばされ、宙に舞った。牽制のつもりで放ったそれが当たったことに、チョウが喜びの声を上げる。それを聞いてマリエッタが安堵のため息をこぼす。

 これで、十分すぎるほどの隙ができた。

 

「油断大敵って言ったでしょう」

「……ぁ、は?」

 

 空中で身をひねって、弾き飛ばされた先の壁を蹴ってマリエッタの眼前へ躍り出たハリーは、彼女の鳩尾へと拳の一撃を食らわせる。呼吸を断たれたマリエッタが苦痛に身をよじって床へ膝をついたので、ハリーは振り返ることなくその首筋へ手刀を振り下ろした。

 ジャパニーズニンジャのようなアテミは見事に決まり、マリエッタの意識を刈り取る。かつて死喰い人相手に使ったときはただの打撃だったが、膨大な練習の甲斐もあったというものだ。コリン・クリービーには感謝せねばなるまい。

 そのまま床に崩れ落ちたマリエッタを心配してチョウが叫ぶも、その叫びは直後に悲鳴へと切り替わった。地を舐めるような姿勢で疾駆するハリーが、獣のような速度で接近してきたからだ。

 慌てて攻撃呪文を乱射するチョウも彼女を咎めるジニーも、焦りから照準が甘い。わざわざ防ぐ必要もないなと判断したハリーは、そのまま飛来する魔力反応光を潜り抜けてチョウの懐へもぐりこむと、その場で回転して彼女の脇腹を蹴りぬいた。軽い破砕音とくぐもった呻き声を残して吹き飛んだチョウの身体は、すぐそばに居たジニーを巻き込んでもんどりうって転がってゆく。

 団子になって壁にぶつかった二人を追いかけるハリーは、肋骨を折られた痛みで悶絶するチョウの身体をなんとか退かそうともがくジニーの目の前に立つ。ヤバいと焦って杖を探す彼女は、自分の杖をハリーが持っている姿を見て、諦めたように笑った。

 

「いやぁ……強すぎでしょ、ハリー」

「悪いけど、このくらいは序の口だよ」

 

 そういうと、ハリーはジニーの顎を掠めるように脚を振りぬく。

 脳を揺らされて意識を落としたジニーへ彼女の杖を放ってよこすと、ハリーは武装解除されて落ちてきた自分の杖をキャッチした。「うそっ」と呟く声と走り去る音を聞き、ハリーが目を向ければ背中を見せて全力で逃げるスーザン・ボーンズの姿が見えた。彼女は直接的な戦闘向きの呪文は苦手だったはずだが、スピードスケートのように高速で滑走しているため逃走手段くらいは用意していたのだろう。おそらくジニー達が、探知役として連れてきたのだ。

 無言呪文で『風圧呪文』を放ち、彼女の背中に命中させると大きく吹き飛ばす。天井に頭をぶつけた彼女は、そのまま意識を失ったのでハリーが彼女の落下地点にクッションを用意して、余計なダメージを防いでおいた。

 

「あと二十四人。……じゃないな、二十二人だ」

 

 ひゅん、と風切音を鳴らして杖を振るい、『逆さ魔法』で靴底を天井に張り付かせていたクリービー兄弟を撃ち落とした。奇襲を仕掛けようと狙撃魔法のために魔力を練っていた上に、狙撃コースを見やすくするための魔法(レーザーポインター)を使用していたのでバレバレだった。第一襲撃を撃退した直後の気が緩みそうなタイミングを狙ったことは評価できるが、それ以外は落第だ。

 魔法式を視る目があるだけでこんなにも奇襲を防ぎやすいのだから、死喰い人が持っている場合を想定させるのは正解だったかもしれない。ハリーは一言もDAメンバーに通達していないが、自分の考え方を熟知しているロンやハーマイオニーがきっと広めていることだろう。

 スーザンと同じくクッションへ落としたクリービー兄弟を魔法で引き寄せ、先に倒したジニーとチョウ、マリエッタと含めて全員を同じところへ寝かせておく。必要の部屋が全員分のベッドを創り出したおかげで寝かせることはできたが、女性用のベッドが無駄にフリルで飾り付けられているのはどうかと思った。

 さて、とハリーは杖を指先でくるくるもてあそぶ。

 DAメンバーはいくつかのチームになって行動しているらしい。実に効果的だ。死喰い人は基本的に集団で動き、その物量と闇の力でこちらを圧倒してくる。夏休み中の襲撃がいい例だ。よって個々が得意分野を担当し、チームワークによって相手を追い詰める。おそらくこれを考えたのはロンだろう。更に言えば、メンバーが彼の提案に従っているところも評価点だ。特にマリエッタなんかはロンの言うことをあまり聞きたがらないだろう、気の強い性格をしている。スーザンにいたっては、その明晰な頭脳によって作戦に綻びがあれば反発するだろう。だというのに、先の女子チーム四人はハリーに罠を仕掛けて先制攻撃するまでに至っているのだ。

 実に頼もしい限りだが、この実戦形式の勉強会においては厄介だ。なぜなら、今のハリーは闇の大悪党役なのだから。逆を言えば実際に闇の輩とかち合う羽目になった場合には有効な手段ということだ。そう考えると皆の成長がかなり嬉しいが……うん、今は厄介でしかない。

 再び探知魔法を行使したハリーは、今度は罠にはまらずまともに機能していることに内心ほっとする。魔力反応光に案内されるがまま動いていけば、廊下の向こうからひそひそ声が届いてきた。おそらく作戦会議をしているのだろうが、そういうのは行動前にしてほしいものだ。

 強化された脚力で一気にロングジャンプをして声のする方向へ跳ぶ。そして天井へ着地したとき、ハリーはおのれのうかつさを呪い、失敗を悟った。

 

「「やぁハリー」」

「来ると思ったぜ」

「始めましょうか」

 

 天井への着地音を聞いてぐるりと天井へ顔を向けたのは、双子のウィーズリーとリーにアンジェリーナ。彼らの周囲にはハリーと同じく探知魔法の魔力反応光がふよふよと浮いており、ハリーの接近を予知していたらしい。

 問題はアンジェリーナが二人と、フレッドとジョージがそれぞれ五人ほど居ることだった。

 ひとりしかいないリーがにやにやと笑みを浮かべているあたり、幻術魔法に適性の高い彼が彼らを増やしたのだろう。一瞬視ただけでは、どれが偽物かを見抜くことが出来ない。魔法式が走っていれば偽物だと看破できるが、本物も何かしらの幻術でまとうことでそれを防いでいる。間違いなくハーマイオニーの入れ知恵だった。

 全員が此方を向いてにやにやしている衝撃映像に驚いた隙を狙い、攻撃魔法に秀でた二人のアンジェリーナが一斉に杖を向けて無言呪文で魔力反応光を放ってくる。

 

「ッ、っと……!」

 

 天井に着地したままのハリーはそのまま天に靴底を張り付けて駆け出し、二人のアンジェリーナが交互に撃ち出す魔法を避け続ける。紅色の魔力反応光から判断するに武装解除術だ。

 当たらずともよいので牽制で射撃魔法(フリペンド)を放つ。ローズマリーのように特別な設定をしていないそれは、おそらくジョージであろう五人のウィーズリーが放った盾の呪文で全てが相殺されてゆく。ニヤニヤ顔のフレッドが杖を振るい、アンジェリーナに加勢して攻撃呪文を放ってきた。こちらは『足縛り』や『クラゲ足呪い』に『金縛り』といった、フレッドらしい動きを封じる魔法をメインとしていた。

 徹底してこちらに集中させない作戦のようだ。杖を振る暇も与えなければ、確かに反撃はできない。それは作戦としては間違ってはいないが、いかんせんハリーとは相性が悪い作戦だ。

 ハリーの全身を包む青白い魔力反応光が一気に両足へと集まると、彼女の移動速度が目に見えて速くなってゆく。その狙いを見抜いたらしきリーがまずいと鋭く叫び、笑みを消して素早く杖を振るった。

 その魔法効果によってリーが複数人に増殖し、一斉に散り散りになって逃げだす。

 しかし、

 

「油断したね、リー」

「うっお……!?」

 

 対応が遅すぎた。弾丸のような素早さで接近したハリーが、集中強化された脚で逃げ惑うリーを全員薙ぎ払う。リーの身体がハリーの攻撃によって霧散してしまったことから、この場にいるリー全員が幻影であることには感心したが、しかしこれでもう幻影の追加はできない。

 フレッドとアンジェリーナが驚いて杖を振るうものの、素早くでたらめに移動するハリーをとらえることが出来ない。床を蹴って高く飛び上がったハリーは、杖先から大量の水を放出して幻影を含めて三人をびしょ濡れにする。

 あんまりな嫌がらせにジョージが抗議の声をあげるが、ハリーはそれに取り合わず杖を複雑に振って魔法式を完成させる。走り回っている間に練り終えた魔力を込めて、ハリーは声に出してその呪文を唱えた。

 

「『グレイシアス』、氷河となれ」

「ちょ……ッ、ハリーその魔法は――」

 

 ハリーの杖先から噴き出した白銀の魔力反応光がスプレー状に広がると、周囲の気温が急激に低下した。トスッと軽い音と共に着地したハリーは、三人の惨状を眺める。

 ずぶ濡れになった彼らの体感温度を想像したくないくらいには、ひどいことになっているだろう。ガタガタと震えるフレッドが杖を取り落とし、耳を傷めたらしいジョージはうずくまったまま動かない。女性であるため比較的寒さに強かったアンジェリーナが杖を向けてくるものの、軽く杖を振って武装解除を放つとあっけなくその杖を弾かれてしまった。

 次々と幻影が消滅していく中、ハリーは戦闘不能になったジョージに『失神呪文』を放つ。壁の隅にクッションを出現させ、震え続けるアンジェリーナも失神させて一緒に放り込む。杖を拾おうとまごつくフレッドに近づくと、ハリーは言った。

 

「ちなみにこの戦術は君のおかげで思いついたんだよ、フレッド」

「……ず、ずる、ズル休み、アイスキャン、キャ、キャンディか……?」

「そう、それ。おかげで勝てたよ、ありがとねフレッド」

「か、可愛くねえ……」

 

 微笑んで杖を振るったハリーは、しかし魔力反応光を放つ直前でそれを無理矢理キャンセルする。無茶なアボートによって負荷がかかり、左胸を抑えながらハリーは飛びのく。

 それと同時にフレッドの周囲に粘度の高い影が出現し、檻のように彼を囲んだ。

 もしあのまま魔法を放っていれば、あれに呑み込まれていただろう。

 

「でも。可愛くねえから助かった」

 

 鳥かご状に彼を包み込んだ影は、そのままフレッドごと床の中へとどぷんと沈んでゆく。空間移動かと思ったが、必要の部屋もホグワーツの敷地内である以上『姿あらわし』はできない。床下あたりを移動しているのだろう。

 眉をしかめたハリーがフレッドの杖が落ちた場所へ目を向ければ、フレッドを掻っ攫った犯人も判明した。そこには全身を魔力反応光に包まれて黒ずくめになったハーマイオニーの上半身が生えており、彼の杖をしっかりと握りしめていたのだ。

 

『ハリー、ちょっと油断しすぎじゃないかしら』

 

 彼女の『固有魔法』だ。八つ当たり気味に射撃魔法を放てば、床の中へ沈みこんで回避される。そのまま気配が遠ざかっていったことから、もう追いかけても無駄だろう。

 思わず舌を打つものの、能力の種明かしをするというジャパニーズコミックに出てくる雑魚敵みたいなことをしたのはハリー自身だ。恥ずかしいやら悔しいやらで、言葉もない。アンジェリーナとジョージは撃破された扱いとして放置されていったため、暖かい毛布を取り出してかぶせておく。

 さて、と次の撃破目標を考える。

 攻撃呪文に秀でたフレッドを取り逃したのは大きいが、探査魔法のエキスパートと言ってもいいスーザン・ボーンズを撃破した成果は大きい。探査魔法は失せ物探し(ドケオー)など誰でも使える簡単な呪文ではあるが、細かい状況すら知ることのできる精度の探査魔法は、素質のある魔法使いにしかできない。同じ魔法を使っても、適性のあるなしで大きな差が出るのだ。例えるならば、きれいなガラスのフラスコとやすりで磨いたフラスコ、それぞれに同じ魔法薬を入れたとしても、その視認性に大きく差があるようなものだ。

 その点でいえばハリーは、茶色いガラスで作ったフラスコのような精度だ。魔法薬が入っているのは分かっても、色も匂いもわからない。先ほど使った失せ物探しでも、方角を示す程度しか役に立たない。恐らくスーザンであれば、壁を隔てて遠方にいたハリーの視線の向きすらも把握できていただろう。

 

「だからこうして、続けざまでもそっちから来てくれるのはありがたいんだよね」

「そうかい? じゃあ、そのありがたみを抱いたまま負けてもらうよ、ハリー」

 

 そう言ってこちらへ歩み寄ってくるのは、ロン・ウィーズリーだ。

 恐らく彼が司令塔であるがゆえに直接出向いてくるという愚を犯すまいと考えていたのだが、どうやらハリーの予想は外れたらしい。魔眼で視ても、彼が偽物であるとは思えなかった。序盤にハリーが仕掛けた脚の怪我は治癒されているらしい。おそらくハーマイオニーかアーニーあたりが治したのだろう。

 彼の隣には同じく落ち着いた歩みでこちらへ近寄るネビル・ロングボトムがいる。いつものようにおどおどした様子はなく、多少の緊張はしているようだが、それでも毅然とした態度で訓練へ臨んでいるようだ。

 まさか二人だけではあるまいと思ったが、先ほど逃したフレッドが弟の後ろでにやにやと笑っている。策もバッチリというわけだ。

 

「『アニムス・トルトニス』、もっと速く」

 

 身体強化の配分を脚に集中させたハリーは、目にもとまらぬ速度でネビルへと一直線に駆ける。一切の手加減なく彼の肋骨を蹴り砕く勢いで、ハリーは足刀を放った。

 びくりと僅かにたじろいだネビルはしかし、吹き飛んでいくことはない。それどころか微動だにせず、ハリーの足の甲を受けても二本の足で立ち続けていた。視れば、足の甲の先には蜘蛛の巣状にひびの入った『盾』が見える。

 まさか防がれたかと思ったハリーは、その『盾』ごと食い破らんがために強化された速度を存分に生かして蹴りの連撃を放つ。風切り音と衝撃波が荒れ狂い、確実な手ごたえからハリーは盾を蹴り砕いたことを確信する。

 しかしネビルにはその一切が届かない。本気の驚愕に見開いた目が見たのは、砕けた盾の下に張られている更なる『盾』。二層構造にして、彼女の追撃を誘っていたのだ。その目的は防御だけではなく、きっと時間稼ぎも兼ねてのこと。

 まんまと罠にはまったことをハリーが悟ると同時、ネビルはぽっちゃりした頬を引き締め、ハリーの攻撃を防いだ時間を利用して練った魔力を装填し、杖を振り上げると優しい形をした眉をきりりと吊り上げて叫んだ。

 

「『プロテゴ・コンキリオ』! 吹っ飛んじゃえ、ハリー!」

 

 彼の叫んだ呪文に覚えのあったハリーは、直ちにその場を離れるため無理矢理蹴りを中断して残る軸足で床を蹴る。しかしまともな姿勢でもない回避行動では間に合わず、ネビルの全身から放たれた衝撃波が彼女の身体を飲み込んだ。

 衝撃や魔法といった攻撃を吸収する盾で相手の攻撃を防ぎ、その盾を爆破することでそのまま相手に返す魔法。それが『プロテゴ・コンキリオ』だ。恐るべきは諸刃の剣であるその魔法を使ったネビルが無傷であること。

 全身に痛みを感じながら床を転がるハリーは、ローブに誇り一つないネビルの様子を見てうれしさと同時に厄介さを感じる。彼は自分の全身を覆うような盾を展開し、それを爆破、そしてその爆風が自分に届く前に再度盾を張りなおしたのだ。つまり彼が使っていた盾の呪文は実に三重構え。単純な盾ならまだしも、複雑な盾を三つも同時展開するなどハリーには難しい繊細な技である。

 恐るべき点はその狡猾さだ。ハリーの足刀が一枚目の盾を砕いたのは、油断を誘ってに追い打ちをかけさせるため。わざと防御を破らせて安心させたところへ、さらに堅牢な防御を用意しておく。さらにその堅牢な盾は守る対象である主ごと破裂するという代償を支払い、襲撃者たるハリーを負傷させた。だというのに、その奥で張り巡らせた三枚目の盾のおかげでネビルは無傷である。

 

「油断大敵! ってね」

「うっぐ……!」

 

 ふざけた口調のフレッドが杖を振るうと、彼の杖先から好き勝手に暴れる派手な魔力反応光が飛び出す。まるでドクター・フィリバスターの火なしで火がつくヒヤヒヤ花火を模しているような反応光は、起き上がろうとしていたハリーの背を撃ち抜く。

 再び床に叩き付けれたハリーが自分の肺から空気が吐き出されたことでカエルのような呻きをもらし、それでも気力を振り絞って両足を床にたたきつけた衝撃によってその場から跳んで離れた。

 ずん、と重い音と共に一瞬前までハリーのいた位置へ石の穂先が叩き付けられる。ロンが『固有呪文』で造り出したナイトの駒が突撃槍で突いたのだ。宙へ身を躍らせたハリーは、天井へ着地してそのまま上下逆さまのまま駆け出した。

 これは難敵である、ゆえに逃げようと判断したのだ。見事な逃走っぷりである。

 ただし、

 

「うッ!? 痛ったぁ!? なんだこれ!」

 

 透明な壁におでこをぶつけて、行く手を阻まれていなければの話だ。

 はっとして視れば、限りなく透明な『盾』が目の前に展開されていた事に気づく。間違いなくネビルの仕業である。一面を覆う盾の強度は高く、破ろうと思えばできないこともないが、容易には突破できない強度。無論、足止めが目的なのだから破壊へ集中してしまえば敵の思うつぼだ。優しい彼にしては、ずいぶんといやらしい魔法式である。

 逃げ道をふさがれたと歯噛みする中、足を止めてしまったとハリーの心が己の失態に叫ぶ。

 その叫びもむなしく、スーパーボールのような不規則さで天井や壁に床を飛び跳ねてきた赤い魔力反応光がハリーの左腿に直撃する。ばちんと大きな音を立てて吹き飛ばされた自分の杖を目の端で追い、しかしすぐ横にまで迫ったロンのチェス・ナイトへと対処する。

 杖は失ったが、まだ脚への身体強化は健在だ。振るわれた突撃槍を蹴り砕き、ネビルの盾を足場に着地して追撃の跳び蹴りを加える。頭部を吹き飛ばされたナイトが崩れ落ちるものの、しかしハリーはここで己の失策を悟った。

 砕け散ったナイトの中心部には、黒々とした闇が渦巻いていたからだ。

 ずるりと這い出てきたのは、『固有魔法』によって魔力反応光の塊となったハーマイオニー。これは完全にやられた。空中にいてはとっさの対応ができない。杖でもあれば別だが、その武器はいま手元にない。

 

「チェックメイトだ、ハリー」

 

 ロンの言葉と共に、ハーマイオニーの杖から放たれた『全身金縛り呪文』がハリーの胸に直撃する。空中で両手足がばちんとくっついたハリーは、さらにフレッドとネビルが放った縄呪文によって全身を拘束される。

 身動き取れないがゆえに背中から床に落ちたハリーは、動かない口でうめいた。金縛りを解呪される可能性を見越しての二重の拘束は見事としか言いようがない。ハリーの杖も堅牢な盾をまとったネビルが持っており、魔法の力なしに取り返すのは不可能だろう。

 ならばハリー自身は動かなければいいのだ。

 

「わっ、あ、きゃああ!?」

「は、ハーマイオニー!」

 

 あられもない悲鳴を上げたハーマイオニーへと視線をやれば、そこには大量の蛇に全身を締め付けられて『固有魔法』を解除されている姿があった。それもただの蛇ではない。純白に輝く、牡鹿と雌鹿と大蛇の合成獣だ。つまり、ハリーの守護霊である。

 事前に待機してあったのか、と驚愕したロンが新たに指示を飛ばす前に、ハリーの守護霊は尾の大蛇で絞め落としたハーマイオニーを彼に向かって投げつけた。あまりにもあんまりな攻撃に絶句したロンは、彼女の身体を受け止めたことで隙を作り出してしまう。さっと素早く近寄った守護霊がロンの鳩尾を蹴り飛ばした。

 絶句して壁に叩き付けられたロンが気を失ったことを確認すると、ハリーは限界まで目を見開いて床に転がる自分の杖を凝視する。若干おぼつかないコントロールでハリーに向かって飛んできた杖先が彼女の額にこつんとぶつかり、その瞬間を待って練り上げていた魔力を注ぎ込み、事前に組んでいた式を完成させて『停止呪文(フィニート)』を発動させる。身体に自由が戻り、拘束されているため動かしづらい手で額から落ちてきた杖をなんとか握ると、ハリーの胸から白銀の刃が生える。その刃は彼女の全身を舐めるように駆け巡り、縛りあげていたロープを切り裂いて床にばらまいてしまう。

 魔縄での拘束プラス全身金縛り状態から復活されるとは思っていなかったのか、驚きのあまり反応が遅れたハーマイオニーに向かって停止呪文の魔法式を内部に詰め込んだ紅槍を投擲。避ける間もなく左の太ももを貫かれた彼女は、体内に食い込んだ槍から浸透した停止呪文を叩き込まれ、全身から固有魔法の闇を霧散させてその場に倒れこんだ。

 普通に重傷である。

 

「な……ッ、ぁ……!?」

「あちゃあ、やり過ぎたかな」

 

 あまりの容赦なさに驚き固まっていたフレッド目がけて、ハリーの守護霊がその立派な角を突き出して襲い掛かる。しかしそれは咄嗟にネビルが張った盾によって妨害され、フレッドが無事を拾った。

 さすがに親友にやることじゃないかなと反省しながら、ハリーはネビルに向かってかなり大量の魔力を込めた武装解除を放つ。咄嗟に盾で防ぐことに成功はしたものの、余剰魔力によって大きく吹き飛ばされたネビルはそのまま壁に突っ込み、激突する。それでもダメージはないあたり、全身を覆う膜のような盾も展開していたに違いない。

 ならば拘束してしまえばいいのだとハリーが壁を変形させてネビルを飲み込ませようとして杖を振るい、魔法式を脳内で展開する。しかしその瞬間、強化された動体視力がネビルのすぐ後ろの壁の異変に気付く。ずるりと生えてきた上半身は先ほど脱落したはずの、マリエッタ・エッジコムのものだった。リタイアしたはずの彼女が何故ここにいるのか。それは今、どうでもいい。彼女がこちらを攻撃する気ならば、容赦するわけにはいかないからだ。

 ネビルを拘束させるために唱えていた呪文を強制的にキャンセルさせ、その反動による頭痛に耐えながらハリーはネビルごとマリエッタを吹き飛ばすために杖へと魔力を込める。ばちばちと紫電が飛び跳ね、ハリーがこれから放とうとする魔法の威力を物語っていた。

 

「『エクスペリアームス』、武器よ――」

「待って、ダメ! ここから逃げて!」

 

 ハリーが武装解除を放とうとしたその瞬間、マリエッタが切羽詰まった顔で叫ぶ。油断を誘うためのハッタリかとも思ったが、それは違うと断ずる。マリエッタはチョウの意見に流されやすい性格をしているが、そういう無意味なことをする女性ではない。

 何が起きたかわからないまま再び呪文をキャンセルしたその瞬間、ハリーは背中に氷を滑り込まされたかのような感覚を味わった。圧倒的に禍々しく、おぞましく、この世にあってはならない漆黒の波動が肌を、鼓膜を、まつ毛を震わせる。

 何が起きたのかを把握してしまった。理解したくなかった。わかりたくなかった。

 だが、すべてはもう遅い。

 絶望のあまりハリーが顔色を蒼白にし、ネビルがその原因に気づいて悲鳴を上げた。

 

「ンッフ、ぬぁーにをしているのかぁーしらぁぁああん……? ンッフフ! ぐふっ!」

 

 アンブリッジだ。

 ネビルのすぐ真横。マリエッタとは反対側の壁から、吐き気を催す邪悪な顔が突き出ていた。その声を聴いてフレッドも絹を裂くような悲鳴を上げ、痛みに苦しんでいたハーマイオニーが絶句する。何らかの魔法によるものか、全身に粘液をまとっているためにゅるんと毒々しい音を立てて穴から垂れ流されたガマガエルは、恐るべきことにセクシーダイナマイトなスリングショット水着を着ていた。

 眼球が汚染されたァァァと顔を抑えて床の上で悶え苦しむ男性陣をにんまりと眺めながら彼女が杖を振る。すると咄嗟に盾を展開できたハリー以外のこの場にいる全員の全身が、雁字搦めに縛り上げられた。一瞬だけ目にした魔法式によれば、体外に自身の魔力を出すとそれを吸収してより拘束が強くなる悪辣な式が採用されている。縛り方もなんとなく卑猥だ。

 魔法を使うなとDAメンバー達に警告すると、アンブリッジに続いて次々とスリザリン生が壁を裂いて部屋の中へと入ってきた。まさか、どうやってこの『必要の部屋』へ入ってきているんだ。

 

「おや、おや、おや。まあ、まあ、まあ。秘密の戦闘訓練とは……やはりハリー・ポッター、あなたは危険極まりない犯罪者ですわねェン。この処遇は……そうですねぇ、ホグワーツの新校長であるこの、あてくしが、あたぁしが、このドローレス・アンブリッジが、決めてあげますよン。うふふのふ」

 

 いつの間にハリー達がこうして訓練を積んでいる情報を掴み、いつの間に『必要の部屋』の存在を嗅ぎ当て、そして『部屋』への侵入手段を整え、この大々的な訓練に潜り込んで不意を打ってきたのか。

 まったく気付くことが出来なかった。仲間たちを縛られ、こちらの命運を敵に握られてしまった。悔しさのあまり唇を強く噛むハリーは、ゆっくりと歩み寄ってきた目の前の人物へ目を向けて、驚きに声を上げた。

 

「まったく。情けない有様だな、ポッター」

「……ドラコ」

 

 ドラコ・マルフォイ。

 初対面にして、自分と同じような飢えを抱いていると感じた少年。

 スコーピウスと同じ顔を持ち、しかしオールバックでしっかりキメる弟と違って下ろしたプラチナブロンドの髪を揺らして、冷たい目でこちらを見据えている少年の様子は、平時と何ら変わりはなかった。変わりないからこそ、ハリーには信じ難かった。

 この男はアンブリッジなどという、下らぬカエルにこうべを垂れるような男ではない。

 

「どうして、君が……。君は権力になびくような男じゃないはずだ」

「それはどうだろう。買い被りかもしれないぞ」

「何をばかなことを」

 

 ハリーの狼狽を、ほかのスリザリン生がドラコに同調するようにせせら笑う。しかし目が全く笑っていない。喜悦の感情が全く感じられない笑声に、ハリーは不気味さを感じた。DAメンバーもそれを感じ取ったようで、怪訝な表情を浮かべている。

 それを楽しそうに眺めているのはアンブリッジだけだ。アンブリッジだけがこの場の異様な空気に気付かず、己の勝利に酔っている。

 

「僕はアンブリッジ高等尋問官親衛隊隊長とかいう名誉な立場を頂いてね」

「ガマガエルの飼育係がなんだって?」

「下賜された高貴なる崇高で気高い任務は、君たちの捕縛だそうだ。喜びたまえポッター、君はガマ……もとい、アンブリッジ高等尋問官のお気に入りだそうだ。特に厳しい罰をおあたえになると、君の写真を嘗め回しながらおっしゃっていたぞ」

「……それは、ぼくがハエだってことかな」

 

 皮肉をこめて言ってみれば、アンブリッジには通じなかったようで満足げに頷いている。言葉の通りに受け取ったらしいが、彼女は本当に魔法省の高官になれるほどの頭脳を持っているのだろうか。それとも肥大化した自尊心というものは、頭脳の良さとは別に判断力をおおいに低下させるものだとでもいうのだろうか。

 若干の混乱を見せつつあるハリーにむけて、ドラコは自身の杖をくるくると弄びながら、嘲弄の色を混ぜた言葉を告げる。

 

「杖を構えろポッター」

「なぜ? 抵抗しろとでも?」

「その通りさ。我らが高等尋問官は、自分が抵抗しても無意味だと知らしめた上で罰則を与えたいらしい」

 

 悪趣味極まれりだ。

 おそらく抵抗してドラコに勝ったとしても、それを理由に罰則を課すに違いない。

 どちらにしろこの状況ではアンブリッジの望み通りに踊ってやるしかないのだ。であればお望み通り、踊ってやるほかに選択肢はないだろう。

 ドラコが流れるように杖を顔の前に掲げ、お辞儀をする。貴族らしい優雅な所作だ。

 ハリーも彼に倣ってお辞儀をする。鋭いそれは貴族ではなく戦士のそれである。

 拘束されたDAメンバーたちも、スリザリン生たちも、二人の様子を固唾を呑んで見守っている。一触即発の空気の中、そんな空気を読まずアンブリッジが巨大なゲップをかました。嫌な合図もあったものであるが、それをきっかけに二人は同時に呪文を叫ぶ。

 

「『エクスペリアームス』、武器よ去れ!」

「『ステューピファイ』、失神せよ!」

 

 色合いの違ったふた筋の紅い魔力反応光が、二人の間でぶつかり合う。

 慢心も油断もしていたつもりはないが、ハリーはわずかに眉根を寄せて驚く。一歩、いや一瞬でも判断が変わっていれば命を落としていたような修羅場をくぐりぬけたハリエットという女は、自惚れでも何でもなく相応の実力者である。だというのに、ドラコの放った魔法は自分のそれと拮抗している。

 いったいどこでどうやって、どのような戦闘訓練を受けているのか。彼が杖を振るう所作にも不慣れさはなく、まるで肉体の延長線上のように操っているのだ。

 ここでドラコに勝ったとしても、逃れられることはまずあり得ない。魔法省がどのような手段を使っているにせよ、アンブリッジはいまホグワーツの教職員なのだ。それも、尋常ではない権力を有した教職員である。それこそ、おそらくはダンブルドア以上の。そんな彼女(?)が定めた法をこちらが破っている現場を発見されてしまった以上、何が何でも罰を与えたがるだろう。ゆえに、ここで勝とうと見逃されることは天地がひっくり返ろうともあり得ない。

 だからこの状況は、ドラコが言ったように彼女が自己満足のために演出するショーであり、それ以上でも以下でもない。なるほど、くだらない茶番である。

 

「チッ……」

 

 いまいちやる気が出ない。そういった感想を抱いてしまうのは仕方のないことだろう、意味のない戦いほどむなしいものはないとはよく言ったものである。

 ちらとドラコの表情を見れば、欠片も楽しそうではない。DAメンバーは当然としても、意外なことにスリザリン生たちもあまり楽しそうではなく、ただハリーとドラコが魔法を撃ち合う様を眺めているだけ。ワクワクしているのはアンブリッジだけだ。

 

「『インカーセラス』、縛り上げろ」

「『アレスト・モメンタム』、停止せよ!」

 

 ハリーとドラコが、ほぼ同時に魔法を放つ。

 ドラコの杖から射出された極太の魔縄はハリーを縛り上げようと鞭のように素早く飛びかかるも、彼女の杖から飛び出した魔力反応光がその縄の動きを完全に停止させる。

 さて次はどうするとハリーが思考を動かした途端、胸の中心に衝撃を感じた。

 その瞬間、自分に魔力反応光が直撃したことを思い知る。色は紅、魔法式はほんの一瞬目にしただけでわかるほどによく見てきた構成。『武装解除』だ。ドラコは縄縛り呪文の影に隠して、魔縄と同じ軌道で無言呪文を用いて撃ち込んだのだ。

 魔力反応光が発生するタイプの攻撃魔法は、直接対象に作用する魔法と比べると格段に避けられやすい(無論、一定以上の実力を持った魔法使いに限っての話だ)。ゆえに遠距離型魔法使いの決闘は、己の放った魔法をどれだけ相手にぶつけることができるのかという一点に終始する。確かにこのやり方ならば、位置関係を考えるとハリーからは見えない。観戦している周囲からはよくわかったのだろう、アンブリッジが満面の笑みを浮かべていた。

 確かに、去年あの墓地でハリーを襲った一人であるルシウス・マルフォイは無言呪文の達人だった。目に入れても痛くないほど可愛がっている自分の息子に、その極意を教えていたとして何ら不思議はない。

 

「――ほッ!」

「なん……ッ!?」

 

 しかしハリーは、アンブリッジに笑みを与え続けるほど奇特な女ではない。

 同じく無言呪文を用いて、ハリーのできる限りの最速を以てして杖腕だけを『身体強化』する。杖なしの魔法は未だに完全に習得したとはいえず、魔力もごっそり持って行かれる上に効果も中途半端だが、この一瞬だけを要するため特に問題はなかった。

 ハリーは『武装解除』の効果によって自分の手から弾かれ明後日の方向へ飛んでいこうとする杖を、その場で掴み取った。そのあまりにも人間離れした力技に、ドラコはその薄い瞳を見開いて驚いた。それこそが、致命的な隙である。

 杖を手にしたその体勢で、床に倒れる僅かな時間で杖先を彼の胸元へ向ける。その状態のまま無言呪文で『武装解除』を放てば、さしものドラコとて避けることは叶わない。それでも避けようと身をよじった彼の右肩に魔力反応光が直撃し、ばちっと紫電をはじくような音と共に、サンザシの杖が手から弾かれて床を転がった。

 

「……、まさか」

「おまえの負けだ、ドラコ」

「いいえ貴女の負けですわ、ポッター。あン、『エクスペリアームズ』!」

 

 信じられないものを見る目で杖のない己の手を見つめるドラコに、ハリーはつまらなさそうに声を掛ける。そしてそのハリーに対して上ずった声で楽しげに『武装解除』を投げつけたアンブリッジは、杖を弾き飛ばされて抵抗もなく床に叩きつけられるハリー・ポッターの姿を見て、そのみにくい唇をゆがめた。

 アンブリッジが、最初からドラコとハリーの戦いから漁夫の利を得て、優越感に浸るつもりだったのだと気付いたのは、己の視界が暗く染まりぼんやりとしてからであった。

 ハリーがもうろうとする意識の中で連れてこられたのは、あまり見覚えのない部屋の中であった。知らぬうちに意識が途切れていたようで、どうも床に転がされた経緯を覚えていない。清潔に掃除されたカーペットの上に横たえる自身の体の節々に痛みが走る。胸や腹、背中から鈍痛を感じるあたり、意識のないときを狙って蹴られたのかもしれない。おまけに手足が魔縄によって縛られており、見動くも取れない。

 ぼんやりとした頭で天井を眺めてみれば、猫のグッズでいっぱいのピンクで満たされた部屋であった。ああ、ここはアンブリッジの住む魔窟か。そう思うと人は現金なもので、床が汚染物質で満たされた汚らしいものに見えてしまった。

 

「これで、ダンブルドアは終わりですわね。んほほ」

「そうでしょうね、アンブリッジ高等尋問官。なにせ武装団体を組織していたのですから!」

 

 アンブリッジが漏らす半笑いの嬉しそうな声と、おそらくスコーピウス・マルフォイのものと思われる声が聞こえてくる。

 せせら笑う少年たちの声が聞こえるあたり、おそらくスリザリン生で構成された『愛しきアンブリッジ親衛隊』(冗談のような組織名だが、残念ながら冗談ではない)だろう。スコーピウスがここにいるのも、その親衛隊に加入しているからだろう。

 するとなんだ、ドラコもそのカエルの飼育係に参加しているとでもいうのか。あの、ハリーには知りえない何かの目的のために、着々と力をつけているような男が。カエル飼育係に。そういった思考を巡らせるハリーは、しかし自分の耳に飛び込んできた声に、彼女は自身の頭が『錯乱呪文』を受けていないかを疑うことになった。

 

「そォォォうですわよねェン!? ドゥァアア~ンブルドゥウウウアァアアアアアア!?」

「そうじゃのう、これはまずいのう、まいったのう、やられちゃったのう」

 

 ダンブルドア。

 ハリーは動けない身体ながらも、もやのかかってはっきりしない頭を振って、むりやりに脳みそだけを覚醒させた。自分たちの興した組織の名は、DA。実際にはありもしない、魔法省転覆を目的とするダンブルドアの私設軍隊を恐れているアンブリッジを皮肉って命名した、ダンブルドア・アーミーである。

 その活動を見破られ、あまつさえ現行犯でとらえられてしまった以上、彼女の恐れた幻影は現実のものとなった。しかしダンブルドアの私設軍隊などあるはずもなく、いまこのアンブリッジの部屋に呼びつけられたダンブルドアにとって、寝耳に魔法薬であったはずである。

 なんてことをしてしまったのだろう、と一瞬だけ考えるも、まぁダンブルドアなら何とかするだろう、ていうか助けろジジイ。という思考が脳裏をよぎる。だんだんと意識がはっきりし始めたハリーは、その思いを視線に乗せて我らが校長先生へと送り付けた。ヒゲがぴくりと動いたので、おそらく通じただろう。おじいちゃん助けて、と媚びた視線を送るよりはいいはずだ。

 

「まずい? いま、まずいとおっしゃいましたわね! それはつまり、ご自身の犯行をお認めるになるということ! ダンブルドアッ! アナタッ! 私設軍隊を組織していたことを認めるんですわねェン!?」

「ふはははは、まさにそのとおり。わしは魔法省転覆を狙ってああだこうだ、あれをこうして、ここをこうした結果、ダンブルドア軍団を作り上げた的なアレなのじゃあ」

 

 だいぶ適当な調子でのたまうダンブルドアの様子にも気づかず、アンブリッジは恍惚とした表情を浮かべてよだれを垂らしている。

 ダンブルドアが自分たちを庇ってありもしない罪を被るつもりであると気づいたハーマイオニーが口を挟もうとするも、状態はハリーと比べて床に転がされているか否かの違いでしかないため、動こうとしてパンジー・パーキンソンに足をかけられて床に倒れこんだ。

 

「やはり、そうであったか! やはり私の地位を狙って! やはり国家転覆を!」

「それはないのう。魔法大臣になったところで、しょうもないじゃろ」

「うそつきめッ! だまされないぞ!」

 

 ふと聞こえてきた激昂する声におどろいて見遣れば、そこには顔を真っ赤にしてダンブルドアに食ってかかるコーネリウス・ファッジ魔法大臣の姿があった。

 

「ドーリッシュ! シャックルボルト! ダンブルドアを拘束せよ! アズカバンへ送るのだ。かの偉大なる魔法使いも国家反逆者になれば、こんなものだ! ははッ、はははは! かッ、勝った! 私が、この私があのダンブルドアに勝ったあ!」

 

 うわずった声でわめくファッジに、護衛として控えていた二人の闇祓いが前に出る。ベージュのトレンチコートを着込んだジョン・ドーリッシュという中年の魔法使いと、ハリーもよく信頼するグリフィン隊隊長の魔法使い、キングズリー・シャックルボルトだ。

 ドーリッシュは相手が二〇世紀最強の男であることを理由に緊張して、杖を持つ手が震えているも果敢にその杖先をダンブルドアへと向けていた。キングズリーはどこかしら呆れたような眼をしながらも、一応は杖先を向けている。彼もまた不死鳥の騎士団がメンバーではあるが、ここでファッジに逆らって魔法省の中枢にいられる立場を失うよりは、逮捕の意志を見せるポーズを取った方がいいと判断したのだった。

 

「おや、コーネリウス。きみは少々、勘違いをしておられるようじゃな」

「かん、ちが、いぃイ?」

「そのとおり。何といったかの、神妙にお縄に着く、じゃったか。わしが大人しく、そうなるとでも思っていたのかね、コーネリウスや」

「……えっ? えッ。い、いや。しかし、あなたは、いま……」

 

 にまっといたずらっ子のような笑みを浮かべたダンブルドアに、ファッジが困惑した様子を見せる。その顔は今までの悪人面まるだしのそれではなく、教師に間違いを指摘された教え子の顔そのものであった。彼もホグワーツ出身であったからには、ダンブルドアの変身術の授業を受けていたに違いあるまい。その時もおそらく、このような顔をしていたことだろう。

 ファッジという男は平時では人当たりのいい、善良な小物だったのだ。こうして調子に乗っているところで壁に当たれば、くじけて本性が見えてくるものである。

 そういった頼りない上司を補佐するのが魔法大臣上級次官であり、この女の本領であった。

 

「闇祓いッ! 彼を『失神』させなさい! いま、すぐに!」

 

 ダンブルドアの煙に巻く物言いを一切シャットアウトして、鋭い命令を下す。

 とっさに反応できたのはキングズリーだけであったが、彼はダンブルドアに魔法を放つことがどういう結果を生むのかよく知っている賢い男であったため、一瞬だけ躊躇したものの『失神呪文』を放った。それは奇しくも、アンブリッジの声におどろいてひるんだドーリッシュが『失神呪文』を放つタイミングと完璧に重なった。

 放たれた二筋の魔力反応光がダンブルドアへ迫る光景を見て、ハーマイオニーをはじめとしたDAメンバーは悲鳴と慟哭を、闇祓い二人は緊張に染まってこわばった顔を、ファッジは罪悪感と勝利のふたつが混じり合った奇妙な顔を、アンブリッジは愉悦と残酷な快感を浮かべる微笑を、親衛隊はただ呆けた顔を、ハリーとドラコは鋭い目でダンブルドアを見つめていた。

 ハリーは『失神呪文』の赤い閃光がダンブルドアに着弾する寸前、彼の周囲に魔法式が走ったのを確かに目にした。見たことのない式ではあったが、構築が『盾の魔法』に似ていることから防御呪文の類であると見抜く。

 二筋の光はダンブルドアに中らず、彼の周囲をぐるぐると旋回しはじめる。当然、ふたりの闇祓いはただの『失神呪文』にそのような効果を込めているはずもなく、唖然としてその様子を見守るしか術はない。ファッジとアンブリッジもまた同様で、それはホグワーツの学生に過ぎない子供達もまた同様であった。ハリーはその魔眼を見開いて、少しでも魔法式を盗み見ようと努力するものの、かなわなかった。あまりにも脳みその構造が違いすぎる。届かない領域を人の目で見たところで、見えようはずもなかったのだ。

 老人が優雅に両手の平を天井へ向けると、その手中へと魔力反応光が飛び込む。それはもはや赤の色をしておらずカラフルなマーブル模様となっており、両手の上で球体になっておとなしくダンブルドアに従っていた。あまりの出来事に周囲の人間が動きを止める中、ダンブルドアは一言だけ言葉を残した。

 

「さらばじゃ」

 

 両手をぱんと合わせると、ふたつの魔力光球が合わさって爆発を起こす。それは闇祓いふたりの身体を大きく吹き飛ばし、アンブリッジの部屋に飾られている皿や家具などへ叩きつけた。ファッジとアンブリッジもまた床を転がされて壁に背を打ち付けており、影響を受けていないのはハリーらホグワーツの生徒だけであった。おまけにDAメンバーたちは、その全身を拘束していた魔縄がほどけているではないか。

 そのあとには、ダンブルドアの姿は影も形もなかった。ホグワーツにおいて『姿あらわし』は、いにしえの結界の効果によって行うことができない。この場にいる全員が、校長がどうやって消えたのかを見抜くことは不可能であった。

 ダンブルドアが無事に逃げおおせたのは、非常によいことであった。問題はそのあとだ。

 驚きから憤慨に移行し、親衛隊のひとりを八つ当たりに張り倒したアンブリッジは、ファッジを連れて部屋から出て行ってしまった。どうすればいいか分からず困惑するスリザリン生たちは、ドラコへと視線を集める。彼はダンブルドアが消えた場所を凝視していたはずだが、いまは床に座り込んで縛られていた足首をさすっているハリーのことを見つめていた。スコーピウスがドラコの肩を叩くと、うっとうしそうに弟へ目を向け、そして追従するようにと手を振って、親衛隊たちを引き連れて部屋を出て行った。

 あとに残ったのは、捕縛されたはずが放置されてしまったDAメンバーたちだ。

 

「……ごめんなさい、私が悪いの」

 

 そう呟いたのは、頬を赤く腫らしたマリエッタ・エッジコムだった。

 全員の視線が向く中、彼女は嗚咽を漏らしながら告白する。言い訳をするわけではないけれど、と前置きをして、彼女はアンブリッジに『必要の部屋』での会合のことを喋ってしまったと言った。それに対してほとんどのDAメンバーが無言で怒りの目を向けたが、彼女を庇おうとしたチョウを手で制し、ハーマイオニーが口を開いた。

 

「それはないわね、マリエッタ。あなたは裏切り者ではないわ」

 

 曰く、彼女はDAメンバー全員にある種の呪いをかけていたのだという。ぎょっとして全員がハーマイオニーを見つめると、DAの集まりのことを所属している人間以外へと漏らすと同時に体のどこかへ『密告者』の刻印が、癒えることのない出来物として浮かび上がると言ったことで全員が彼女へ非難の視線を向ける。肩をすくめてそれを受け流した彼女は、マリエッタの顔にそれがない以上、彼女が自分の意志で密告した事実はないと断言した。

 申し訳なさそうな顔をしていたマリエッタが少々非難の色を目に込めてハーマイオニーを見つめていたものの、しかしついに白状した。ハリーにも使われたように、アンブリッジとの面談において紅茶に『真実薬』を盛られたのかと思いきや、彼女はそれを回避したのだという。しかし変身術に長けていない彼女は歯をクラゲに変えて紅茶を吸い取り切ったハリーと違い、真正面から飲むことを拒否したのだという。その結果が、『服従の呪文』をかけられたとのことだ。

 あまりの驚きとアンブリッジの残忍さに怒りの声が上がったが、いまマリエッタが操られている様子はない。原理は知らずとも、ハリーが魔法の作用を見抜く特別な目を持っていることはDAメンバー全員が承知の上であるため、全員がハリーを見る。彼女がマリエッタを見つめて首を振ったため、マリエッタは正気だ。ではなぜか、などと疑問に思う者はここにはいない。秘密を吐かせられてしまうという致命的な隙は見せてしまったものの、彼女は自力で『服従の呪文』を打ち破ったのだ。おそらく術を解いたそのタイミングは、模擬戦でハリーに打倒されたときだろう。だからこそ、アンブリッジとその親衛隊が押しかけてくる直前に警告を送ることができたのだ。

 

「だから、DAメンバーに裏切り者はいないわ」

「そいつはいいニュースだよ、ハーマイオニー」

 

 ハーマイオニーのきっぱりとした声に、ロンが適当な返事をする。

 不幸中の幸いとでもいえばいいのか、DAメンバーから秘密が漏れたことに変わりはないが、裏切りがあったわけではないというのは朗報だ。そう思わねば、この沈んだ気分を変えることはできまい。

 泣きじゃくるマリエッタの肩をチョウが抱き寄せる中、血相を変えたマクゴナガルがアンブリッジの部屋へと駆け込んでくる。どうやらDAメンバーが捕縛されたニュースを聞きつけてきたらしい。

 これからどうなるのかは、ハリーにも、この場の全員にも分からなかった。

 

 

 





【変更点】
・ハグリッドの帰還時期が原作と比べ、たいへん遅い。
・巨人全滅。義弟のグロウプを連れ帰ることはできなかった。
・DAメンバーの戦闘力アップ。一般的な大人なら相手にならないレベル。
・ドラコ戦。危なげなく勝利する女、ハリエット。
・マリエッタが密告していない。裏切りはなかったッ
 そのため、チョウとハリーの仲違いもない。元々恋人ではなかったけれど。
・ダンブルドアとんずらタイミングも、原作と比べてだいぶ遅い。

【オリジナルスペル】
「プロテゴ・コンキリオ、弾ける盾よ」(初出・57話)
・攻撃的な盾の魔法。衝撃や魔法を吸収して、盾を爆破することで攻撃する。
元々魔法界にある呪文。『盾の呪文』系列の中では桁違いに扱いが難しい。

「アレスト・モメンタム、停止せよ」(初出・映画『アズカバンの囚人』)
・移動する物体を停止、または速度を落とす魔法。範囲が広いため咄嗟の行使に向く。
元々魔法界にある呪文。映画にて、ダンブルドアが箒から落ちるハリーを助けた。


お久しぶりでございます、徐々に感覚を取り戻していこうと思います。詳細は活動報告にて。
DA活動の崩壊とアンブリッジ絶頂期をお送りいたしました。原作よりもごりごり難易度の上がる本作では、DAメンバーの実力も上がることは予定していましたが、ここまでするつもりはありませんでした。キャラが勝手に動いたのです、私は悪くない。
次回のハリーマストダイは、『盛者必衰、アンブリッジ転落物語』と『ウィーズリー大暴れ』、『不死鳥の騎士団の終わりに向けて』の三本でお送りします。じゃん、けん、アバダケダブラ! ウフフフフ。

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