ハリー・ポッター -Harry Must Die-   作:リョース

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10.代償

 

 

 

 ハリーはヴォルデモートとお茶をしていた。

 不本意ではあるが、死喰い人に囲まれており一切の抵抗を許されない状況では、仕方ないというものである。艶やかな黒髪を揺らしたヴォルデモートが杖を振ると、ハリーを縛り上げていたベラトリックスの『魔縄』が消滅する。このまま殴りかかってもいいが、闇の帝王はそれを許しはしないだろう。

 薄いヴェールをかぶった石造りのアーチからそよそよと微風が流れてくる中、ティーテーブルを囲むさまはいっそのことシュールと言える光景であった。アーチの向こう側からなにやら囁き声が聞こえてくるものの、それが何かはハリーにはわからない。ただ、それがひどく気分をざわつかせていることは確かだ。こんな意味不明なオブジェの前でお茶をすると決めた、ヴォルデモートの神経が分からない。

 飲めと無言で示された紅茶を見やれば、特に何らかの魔法式が視えるわけでもない。『真実薬』などが盛られている可能性はゼロではないが、こうして自身の抵抗を許さない状態に追いやっている以上、ヴォルデモートという男はきっとそういうことはしないとハリーは考える。

 なので、ハリーは遠慮なく紅茶のカップに手を伸ばし、それを口に含んだ。フルーツのように芳醇な香りが鼻いっぱいに広がり、甘くまろやかな味が舌を刺激する。悪くない、むしろ美味しい。腹の立つことに、ヴォルデモートはそれをにこやかに眺めるだけであった。

 

「それで。何の用だ、ヴォルデモート」

「せっかくの親子団欒だろう。もう少し楽しんだらどうだ、ハリエットや」

「だまれ」

 

 優雅にカップを傾ける男に対して辛辣な言葉を投げかければ、周囲で傅いている死喰い人達がやおら殺気立つ。微動だにせず器用にハリー個人に向けて殺気を向けてくる黒ローブたちに、ハリーは鼻で笑ってやる。

 胃の中の物をすべて戻してしまったらしいハーマイオニーが、折られた歯と鼻血が止まらないために自身の胸元を真っ赤に汚しているロンが、ロドルファス・レストレンジに睨まれながらも両者とも口元を抑えつつ心配そうな顔でこちらを見てくるので、ハリーはにっこりと優しい微笑みを返しておいた。

 だが、そのすべては虚勢である。

 ドロホフに杖も取り上げられ、周りを死喰い人で囲まれ、ヴォルデモートが愛おしそうにこちらを眺めており、ロドルファス・レストレンジがハーマイオニーとロンを見張っていつでも殺せるようにスタンバイしている。この状況下で一発逆転の目を出せるほど、ハリーに実力はない。ハリエットという女は今や英国魔法界の中でもとびきり強者と呼べる部類ではあるが、この場にいるヴォルデモートやベラトリックス・レストレンジ、アントニン・ドロホフはそれこそハリー達とは比べ物にならない魔法戦闘の天才である。ハリーの知る限り、彼らに対抗できるのはそれこそダンブルドアか、シリウスといった同じく魔法戦闘の天才たち。ヴォルデモートによって才能を編み込まれて造られた存在であるハリーは、怪物級ではあっても神代級ほどではないのだ。

 それでもハリーは諦めたりはしない。機を見計らい、僅かほどの隙でもいいから見つけ出そうとしている。無論、ヴォルデモートはそれを承知のうえでこうして楽しんでいるのだが。

 

「さて、さて、さて。俺様は何を話そうとしていたんだっけ……」

「自分はクズですハリー様いますぐ自害しますって話じゃなかったっけ?」

「ジョークのセンスはないようだな、ハリエット」

 

 そう言って笑ったヴォルデモートは、テーブルの上を見て眉を持ち上げた。

 そうしてベラトリックスに向けて問いかける。

 

「ベラ、アプリコットジャムがないぞ。支度をしたのはゴイルだったか?」

「申し訳ございません、我が君。しかし我が君。ゴイルは以前、御身がその手で……」

「……あー、そうだった。記憶違い……ではクラッブもか。まあ、よい。我慢しよう」

 

 何気ない会話を交わしながら、ヴォルデモートはスプーンですくったクランベリージャムを舌に乗せ、紅茶を含んだ。濃い琥珀色の液体を飲み干した彼は、音もなくカップをソーサーに置いて微笑む。死喰い人らしき者の名をあげ、それを手にかけたとでも解釈できる今の会話の直後に、よく紅茶を味わえるものである。

 あまりに余裕なその姿にハリーは腹を立てるが、ヴォルデモートは彼女の様子に気づいていないかのように語りかけた。

 

「ハリエット、学校は楽しいか?」

「最高だね。お前みたいな危険人物がいなければ、言うことなしだ」

「なるほど、なるほど。彼氏でもできたかね? ん?」

 

 なんだこいつ。

 

「どうだろうね。色恋沙汰よりも今はお前を殺したくてウズウズしているよ」

「おやおや、想われているとは俺様も嬉しい限りだ。だが、おまえも十五歳だ。いや、十四だったか? ともあれ、年頃というやつだ。どうだろう、ルシウスの息子なんかは純血だし、おまえのよい婿になると思うのだが?」

 

 なんだこいつ!?

 

「……話の意図が読めない」

「意図など。そのままの意味だとも、ハリエット。俺様は自分の孫が楽しみでな」

 

 ハリーは困惑に満ちた顔でヴォルデモートの赤い瞳を見つめる。その困惑は彼女一人のものではなく、この場にいる全員が共通して感じていることだった。

 ベラトリックスは憎々し気にハリーを見つめ、マクネアやレストレンジ兄弟は笑ったものの主君の言葉が冗談ではないことに気づいて唇を一文字に引き締めた。ドロホフの口笛が神秘部の広間に響く中、ハーマイオニーとロンがこの中において誰よりも呆気にとられていた。

 大量殺人鬼の闇の帝王が、自分たちの親友に対して結婚の勧めをしている。

 その異常な状況が、どれだけ彼らに衝撃をもたらしただろうか。ハリーは二人ではないためそのインパクトは計り知れないが、驚きと不快さについては分かるつもりだった。ハリーの両親を殺した男が、彼女を創り出したというだけで父親面をしている。ハリーは自身の耐えきれる不快さの許容を超えたのか、癇癪を起こした子供のようにテーブルの上のティーセットを薙ぎ払った。

 

「ふざけるなよ! どういうつもりだ!?」

「どういうつもりも何も、言った通りだぞハリエット。俺様はお前が胎に胤を宿し、子を産むのを待っているのだ。その相手にドラコをあてがおうと、そう言ったまでよ」

 

 そう言い放つと、ヴォルデモートは指を鳴らしてティーセットを元通りに復元する。そしてそのまま、懐から綺麗な色合いをした水晶玉を取り出した。

 ルシウス・マルフォイがハリーから得た『予言』だ。ごとりとテーブルに置かれたそれは、ぶつぶつと何かを呟いている。怪訝に思ったハリーが眉を顰めると、よく聞こえないことに不満を持ったと思ったらしいヴォルデモートが軽く指を鳴らす。すると水晶玉から人影が浮かび上がり、ゆらゆらと揺れながらそのボリュームを上げる。

 

『帝王の産みだした太陽と月交わりし時、新たな時は刻まれるゥウ……心せよ……純血の姫と御子交わりし時、織り成す子は次代の王とならん……心せよォオ……』

 

 人影がゆらゆらと揺らめきながら言い放った言葉に、ハリーは動揺を隠せなかった。

 その様子を満足げに眺めるヴォルデモートは、未だにぶつぶつ呟く水晶玉を、用済みとばかりに後ろ手に放り投げて割ってしまう。欠片から漏れ出した予言が霞となって消えたそれへ目も向けないで、彼は夢見る少年のように語る。

 

「俺様の造った姫君は、むろんお前だハリエット。そら、帝王の娘なら姫だろう? そしてゼロから作られた魔法族ならば、真の意味で純血中の純血だな。同じくマルフォイ家は聖二十八一族に数えられる純血の名家。その家に生まれる子ならば、おまえの番いにふさわしい」

「……次代の王って、」

「そこよ。重要なのはそこだ」

 

 出来のいい生徒を見るような眼で、ヴォルデモートは笑いながら言う。

 

「俺様こそが闇の帝王だ。後にも先にも、他の帝王なぞ必要ない。この英国魔法界へ君臨し、未来永劫、魔法族たちを支配し続けるのは俺様のみで充分よ」

「自分がとんでもなくバカみたいなこと言ってるって分かってる?」

「ふふ、傲慢と言って欲しいな。だがそれも、俺様ならば許される。ハリー・ポッターが帝王を斃す子と予言されたように、新たな帝王の資格を持つ者が生まれるのならば、生まれる前に殺せばよいだけのこと」

 

 ハリー・ポッターが帝王を斃す? 実現すれば嬉しいが、なんだそれは。この男は自らそんなことを言うようなタイプではないはずだ。ハリーが思わず漏らした言葉が聞こえなかったかのように、ヴォルデモートは熱に浮かされたかのような顔つきで言葉をつづける。

 

「ではこれは誰を指した予言なのか。俺様は考えた。次代の帝王などという危険な者の誕生など、俺様が阻止しないはずはない」

「ハリー・ポッターの時のように失敗するとは思わないのか?」

「ん? ハリエットや、お前はもしや、俺様が失敗したとでも思っているのか?」

 

 ハリーの挑発が予想外だとでも言うように、ヴォルデモートは首を傾げた。長い黒髪が揺れてきらめくも、ハリーは彼の反応こそが予想外だった。

 彼は赤子のハリー・ポッターを殺害せしめようとして死の呪文が跳ね返され、肉体を滅ぼされた。その結果が失敗でなければ、何だというのだ。ハリーがその疑問を投げかけようとしても、ヴォルデモートはそれに気づかず言葉を紡ぐ。

 

「まあ、いい。ともあれ、俺様は結論を出した。次代の帝王とは、すなわち俺様自身のことなのだと。見よ、我が肉体を。若く、美しい」

 

 切れ長の目を細め、赤く輝く瞳をもってハリーを見つめる男の容姿は、たしかに古代ギリシャ人が見れば彫刻として残そうとするほどに美しい。しかしハリーにとって目の前の男は腐肉と悪意で構成された悪魔であり、醜いことこの上ない。

 ハリーの嫌悪の視線さえ楽し気に受け止めて、帝王は言った。

 

「だが、老いる」

 

 短い言葉に込められた感情は、どれだけのものか。

 ハリーは眉をしかめながら、言葉の続きを待つ。周囲を侍る死喰い人はもちろん、ハーマイオニーとロンもまた、帝王の言葉の続きを待った。正直言って聞きたいような内容ではないだろうし、聞くだけでがりがりと精神を削るような考えを披露するのだろう。だが、聞いておかねばなるまい。敵が何を考えているかを知ることこそ、勝利への第一歩なのだから。

 

「老いれば、人は死ぬ。いくら俺様が魔導のひとつを極め、魔人として変性し、魔力枯渇の心配がなくなったとはいえ、カテゴリーとしては人類に相違あるまい。クィレルの特性さえモノにし、吸血鬼以上のパワーを手に入れたところで、生物である以上、俺様はいつか死んでしまう」

 

 死の飛翔と名乗る男は、そのくせ、この上なく死を恐れている。

 それを隠しもしないヴォルデモートは、しかし唇が耳まで裂けるような酷薄な笑みを浮かべていた。死喰い人たちが主の姿に笑みを浮かべ、ハリー達が戦慄する中、彼は言う。

 

「ならば生まれ直せばよい。そのために俺様は、ひとつの実験をした」

 

 実験などと。どうせろくでもないものだろう。

 

「俺様は見ての通り、造った肉体で現世を謳歌している。この肉体も悪くはないが、しかし老いると性能も低下する。ならばより高性能で、若い肉体を創り、再び俺様が生まれればよいのだ」

「……クィレルにやったように、憑依でもするつもりか」

「そんなことはしない。あれは俺様の魂がクズのような代物に成り下がったがゆえに行った、不出来な魔法だ。もっと素晴らしい魔法を俺様は作り上げた。『命数禍患の儀式』と名付けたのだが……転生と言えばわかりやすいかね?」

 

 ハリーはその魔法の名を聞いて、動揺を表に見せないようにするのに必死だった。

 『命数禍患の呪い』とは、かつてハリーが自身にかけられていたと思い込んでいた偽りの魔法の名だ。そして憎悪を増幅するという、ハリーにかけられていた些細な魔法。ダンブルドアは感情を操るその魔法を、まさしく『命数禍患の呪い』という名に相応しいとし言っていたが、ヴォルデモートがそれを知るはずがない。

 彼自ら名付けた『命数禍患の儀式』とは、如何なる魔法か。それは彼が端的に言い表した、『転生』という言葉が正しい。

 

「俺様の肉体を、赤子に食わせる。すると赤子は俺様となる。その精神を塗りつぶし、俺様は再び赤子としてこの世に生を受ける。そうなれば後は、それを繰り返すのみよ。ヴォルデモート卿は永遠に生き続け、永遠に魔法界を支配する」

 

 いかにも悍ましい話である。

 そうなれば、ディストピアと称するのも生易しい地獄が繰り広げられるだろう。マグルはもちろん、魔法族にとっても明日をも知れぬ生活を強いることになるのは間違いあるまい。

 

「そこで試しに俺様の肉体として適合できる赤子を作ってみようと思い立ってな、ベラトリックスを孕ませてみた」

「は?」

 

 ショッピングモールで気軽にチョコバーを買ったかのように話され、ハリーは素っ頓狂な声をあげる。数秒置いてヴォルデモートの言葉を理解したハリーは、自身の背後で跪いているベラトリックス・レストレンジへ視線を向けた。顔を伏せたままであり、その表情はうかがい知れない。

 

「ベラの胎内に子が出来始めたころから、魔法を用いて手を加えてな。とりあえず優秀な魔法族としての才能を持ち、サラザール・スリザリンの血が流れる純血の子供を創ることには成功した」

 

 ハリーの目に嫌悪が宿るも、ヴォルデモートは気づかない。顔を伏したままのベラトリックスを見つめながら、彼は話をつづけた。

 

「だが、失敗だった。ははは、恥ずかしい話、受精してから色々といじくり回すのでは遅すぎたのだ。ベラの胎児は、俺様が宿るにふさわしい強度と耐性を持たなかったのだ。それに赤子は女性だった。俺様は完璧主義者だ、造るならば俺様の完全複製がいい」

 

 ヴォルデモート曰く、人間の性別というものは女性の卵子に精子が到達、つまり受精したその瞬間には決まるとのことだ。染色体というものが性別には影響するのだが、もともと卵子はX染色体だけを有している。受精する精子がX染色体を持っていれば、できあがる受精卵の染色体はXXとなり女性として生まれる。無論、精子がY染色体を持っていればXYとなり男性として生まれるのである。

 科学というものを軽視する傾向にある魔法界では未だ判明していないこの関係性を、しかし魔法という不可思議な技術は破壊することができる。そう、できるのだが、もうすでに男女が決定された人間の性別を変更する労力は、そうでない場合の比ではない。そうとなれば、新たに子を創った方が安上がりで効率的だからだ。

 マグル界ではもう少々待たなければエコー検査などで調べることはできないのだが、魔法族には便利でステキな魔法がある。せっかちな魔法使いのために、妊娠九週目から十一週目ほどにははっきりと赤子の性別が区別できるようになる魔法が存在するのだ。しかしヴォルデモートは、ベラトリックスの胎内を視てがっかりしたに違いない。

 

「無論、俺様はベラに失敗作を堕胎するよう命じた」

「……」

 

 最低最悪の所業である。

 ベラトリックスにそうであろうと確認したヴォルデモートに対して、ベラトリックスは感情を揺らさず顔を上げた。しかしその返答が遅く、ヴォルデモートが首を傾げたその瞬間。ハリーとヴォルデモートは、部屋の隅へと視線をやった。

 ただでさえ崩れて積み重なっていた鉄の扉がバラバラに粉砕され、その中から雄叫びを上げたフェンリール・グレイバックが飛び出してきたのだ。あれだけボコボコに殴り、全身を複雑骨折させたはずなのに、呆れた回復力だ。腕が千切れ飛んだ左肩から血をまき散らし、かろうじて筋線維で繋がっている右腕をぶら下げながら、彼は唸り声をあげる。

 死喰い人やハーマイオニーにロンが彼へ警戒心を集める中、完全に血走った眼をしたグレイバックは、周囲の状況を把握する暇もなく、真っ先にハリーを見つけると一足飛びに駆け寄ってくる。それに対して手の平をかざして止めたのは、ヴォルデモートだ。

 

「落ち着け、グレイバック」

「ROOOOOOOAAAAAAARRRRRRッ!」

 

 帝王の静止も空しくハリーに牙を突き立て譎る俣縺ッ蟾サ縺肴綾繧

 帝王の静止も空しくハリーに牙を突き立てようとするグレイバックは、見えない警備員たちに羽交い締めにされているかのように、その場にとどまり暴れまわっている。

 その様子に溜息を吐き出したヴォルデモートは、椅子から立ち上がってグレイバックへと歩み寄る。涎と血を垂れ流す彼の頬へ右手を触れさせ、いかにも悲しそうに帝王は語る。

 

「ヴォ()()ートォ! (ごお)させろッ! そのクソガキは、俺が殺す(ごおう)! 殺す(ごおう)ゥ!」

「なあ、グレイバックよ。お前は俺様の部下ではない。だが、死喰い人のローブを着ることを俺様は許した。つまりベラたちと志を同じくした友だ。そうだろう?」

()ッターを(ごお)させろ……!」

「しかしなあ、友よ。俺様はハリエットを殺せと命じたか? ん? あの時点でホグワーツの生徒に危害を加えると余計な注目を集めるから手を出すなと言ったはずだが? んん?」

 

 親指で頬骨に当てながら、四本の長い指でグレイバックの髭面をなでる。その様はまるで蠱惑的なようでいて、まったく笑っていない彼の目が冷たさを物語っていた。

 荒い息を吐くグレイバックも、ヴォルデモートの不興を買ったことを悟っているのか、ここにきてようやくその口を閉じる。しかし目以外はニコニコ笑顔のヴォルデモートは、グレイバックの肩に手を置いて静かに語りかける。

 

「ヴォ()()ート……頼む(たのう)ぜ。(おえ)は、()ッターを……」

「おお、グレイバックや。我が友よ。俺様の言うことは聞けるね?」

 

 ヴォルデモートの様子にようやく危機感を覚えたのか、しかしそれでもハリーの殺害許可を貰いたい彼はヴォルデモートに声をかけるも、それは冷たい声によって遮られる。それに対してグレイバックは笑みを返すことができない。嗜虐的な笑みを浮かべたヴォルデモートが、今まで何をやってきたか、彼はよく知っているからだ。

 

「おすわりだ、犬」

「ぐぉ、ご」

 

 冷たい声と共に命令が下されると、グレイバックがどちゃりとその場に膝をつく。周囲の者は、なぜグレイバックが言うことを聞いたのか分からなかっただろう。しかしその近場に居たハリーとベラトリックス、ドロホフはなぜグレイバックが素直にヴォルデモートの屈辱的な命令を聞いたのかを理解していた。

 グレイバックの膝から下が腐り落ち、その場でぐずぐずとした液体となってしまったからだ。そのせいで膝をついた、もとい、膝で着地したグレイバックは、奇妙な呻き声を漏らした。痛みを感じていないのか、自身の脚を失った彼はヴォルデモートを見上げるしかない。

 

「ま、待てよ。ヴォ()()ート。じょ、冗談()しちゃやりすぎ……」

「犬がワン以外の言葉をしゃべるのか? グレイバック」

 

 かろうじて彼の二の腕に繋がっていた右腕を、ヴォルデモートが茶菓子でも手に取るように引きちぎる。これで彼は両手足を失ってしまった。地面から次々と生えてくる複数の腕が、哀れな姿となったグレイバックをバケツリレーのように持ち運ぶ。

 その腕たちが持ち運ぶのは、ハリーが座るティーテーブルのそばだ。彼女の足元を通り過ぎる際、グレイバックの目とハリーの目が合う。怒りとも取れないその目つきは、ただただ怯える老犬のようにしか見えなかった。

 そして彼を運ぶ腕によってグレイバックの上半身が持ち上げられ、自身の運ばれる先を彼に見せつける。ヴェールの揺れる、石造りのアーチだ。

 

「や、やめろ(えお)

 

 グレイバックの横をともに歩くヴォルデモートに対して、彼は帝王に懇願する。

 自身がどうなるかを悟ったのだ。ここにきてハリーもまた、人狼の王がどうなるのかを悟った。ハーマイオニーとロンの位置からはこの様子が見づらいのは幸いだ。ヴォルデモートの嗜虐心をふんだんに盛り込んだショーを、彼女らに見せたくはない。

 

「や()てく()ッ! ヴォ()()ートッ。やめろ(えお)ォ!」

「きちんとした発音じゃないと、聞き取れないぞ? グレイ、バーック」

「やめろ(えお)! やめ、()ッ! やめろ(あえお)ォーッ! ああああああッ、ぢぐじょう! 待て待て待て待て、やめろ(えお)! やめろ(えお)ォオオオ」

 

 つぶれた鼻と割れた顎で、必死に正しい発音の英語を紡ぎだそうとするグレイバックを、慈しむような眼でヴォルデモートは見つめる。グレイバックの身体が石のアーチの目の前まで来た時、グレイバックの唇は主人を助けんと輝石を起こすことに成功する。

 

「やめろ(えお)! やめろ! や、めろッ! やめろォッ! ……ほ、ほ()! 言えたッ! 言えました! だから、だから助けてッ! 助けてく()ェッ!」

「ああ、言えたな。おめでとう。言えたら助けるとは言っていないがね」

 

 必死に頼み込むグレイバックの様子を、嬉しそうにヴォルデモートは切り捨てた。

 帝王の言い草に一瞬だけ呆けたグレイバックは、しかしそれでも己の生をあきらめることはできなかった。助けてくれ、やめろと叫び続ける彼の身体は、わざとゆっくり石のアーチへ近づけられる。もはや子供を襲い人狼を増やす大悪党の姿はそこにはなく、死におびえる小さな男の泣き叫ぶさまだけがあった。

 

「い、いやだ。しにたくない……! (おえ)は、俺はまだ噛みたりない。(こお)したりない! ()()ッター、お(あえ)のせいだ! お(あえ)の……嫌だ。まだまだ、やりたいこといっぱいあって、(おえ)(おえ)……嫌だァ、やだァあ……! 助け、た()()……」

「さようなら、グレイバック。なかなか楽しめたぞ」

「ヤダ、いやだ、(おえ)、死にたく」

 

 ふわりと腕がグレイバックの身体を投げ出すと、彼の身体はヴェールに包まれて浮かび上がる。ぱくぱくと口を動かすグレイバックは、再びハリーと目が合う。そしてその一瞬後、眠気に誘われるように口を半開きにしたまま、だらしない顔を晒してグレイバックは石のアーチの向こう側へと去っていった。

 向こう側に部屋などないはずなのに、グレイバックの身体はアーチの向こう側から出てくることはなく、そのまま出てくることはない。あれだけ騒いでいた男が消え去ったことで、神秘部の大広間は再び静寂に包まれる。

 ハリーが嫌悪を丸出しにしてヴォルデモートを見てみれば、彼は恍惚とした表情のままであった。人の死を存分に堪能し、楽しみ切った顔だ。下劣すぎてみるに堪えない。

 ふぅと息を吐いて高揚を落ち着かせたヴォルデモートは、ロドルファス・レストレンジに命じて自身とハリーのティーカップへ紅茶をお代わりさせながら、椅子に座り込んだ。

 クィディッチ観戦でスーパープレイを観たかのように満足そうな顔で同意を求めてくるヴォルデモートの目を無視すると、彼はそれでも楽しそうに笑っていた。

 

「さて、さて。犬めに邪魔されたもので、どこまで話したか忘れてしまったな……。うん、ベラの子が失敗作だったところまでだったか。どうせ実験だったのだ、本命のプランは別にあった俺様は、特にベラを罰しなかった。所詮実験だからな」

 

 ティーカップを傾けて笑い疲れた喉を癒しながら、ヴォルデモートは語る。

 

「本命はお前だよ、ハリエット。俺様はお前を造った際に、完璧を追い求めた。不出来な人形など、俺様の作品としては我慢ならん。魔法使いとして優秀な才能は備えさせたし、俺様の血が流れているため純血だ。俺様の血が流れているということは、つまりスリザリン気質であるということだ。それ、おまえはいざという時の暴力に躊躇を覚えないはずだ。そうだろう?」

 

 不愉快なことだが、ハリーはそれを否定できなかった。

 殺されるくらいならば殺す、というスタンスを実行できる性格をしていることくらいは自覚している。それがヴォルデモートの血が流れているからだという理由から来るものであれば不愉快極まりないが、しかし事実だ。目の前で人一人を殺して平然としているような奴と同じとは思いたくないが、ハリーもすでにバルドヴィーノ・ブレオという男を殺害している。一人もたくさんも、似たようなものである。

 そしてハリーは、ヴォルデモートが言いたいことを徐々に理解し始めていた。ダンブルドアとも話したことがある。ハリーはなぜ、女性として造られたのか。なぜ、妊娠できる可能性を持っているのか。なぜ、短い寿命で造られていないのか。

 

「それに人間としての機能はすべて完璧にそろえている。ゆえ、子も産める」

 

 ハリーは返事をしなかった。

 

「先ほどのお前の疑問に答えよう、ハリエット。俺様はハリー・ポッターを殺す際に失敗したか、という話だ」

 

 ハリーは反応をしなかった。

 

「答えはノーだ。すべては計算ずく、すべては俺様の計画通り。俺様の肉体が滅ぶことも、俺様が自身の血と敵の骨と肉で新たなハリー・ポッター(ハリエット)を造ることも、俺様が十数年も表舞台から消えることも、すべてすべて俺様の考えたままに世界は動かせた」

 

 ハリーは息をのんでしまった。

 ヴォルデモートは、ハリー・ポッターを殺す際に『死の呪文』を用いた。それがリリー・ポッターの用いた愛の魔法によって、跳ね返ることは彼は知らなかったはずなのだ。それを知っていれば、『死の呪文』など使わずナイフでも何でも使えばよかった。そうすれば、彼は滅ぶことがなかったのだから。

 しかし自分が滅ぶことも知っていてなお、『死の呪文』を放った? それはどういうことなのだろうか。ハリーが思い悩むその反応に満足げな顔を見せたヴォルデモートは、ブルーベリージャムをスプーンですくい、長く蠱惑的な舌で舐めとった。そのスプーンをぴんと立て、微笑む。

 

「俺様は自分が滅ぶ際に、支度をしなかったわけではない。もちろん、次の、つまり今の、計画のために、下準備は済ませておいた。造るべきモノは造っておいたし、用意すべきモノは用意しておいた」

 

 スプーンの()()がぐにゃりと変形し、精密な人の顔を作り上げる。似顔絵のように表現されたその顔を、ハリーはよく知っていた。

 

「ドラコ・マルフォイ。あれは新たな俺様の父親として、俺様が造った」

 

 ハリーと同じように何かの目的に向かって、ひたすら己を鍛えている少年。

 スリザリン生として嫌味や皮肉を言ってきても、ハリーには彼のことが心底から嫌いになれなかった。同族だと直感していたからだ。そのストイックさ、自身を鍛えることへの妥協のなさ、力への貪欲さ。すべて自分と同じであり、相手も自分と同じだと分かり合っていた相手。だからこそ、相容れなかった相手。

 

「元々ルシウスとナルシッサの子供は、いまはスコーピウスと名付けられた息子ひとりのみであった。それを俺様が、ナルシッサの胎内にいるうちに手を加え、近いうちに造る予定の少女の番いとして調整した」

 

 双子として造る気はなかったが、なぜか双子として生まれてきたことには驚いたがな。これこそ生命の神秘よ。と、ヴォルデモートはせせら笑った。何度でも言うが、おぞましい話だ。いまスコーピウス・マルフォイとして生きている彼は、ひょっとしたらドラコ・マルフォイであったのかもしれない。生まれるはずのなかった男の子にドラコという名がつけられたために、彼は人生の席取りゲームに戦わずして敗北してしまったのだ。

 ルシウスとナルシッサ・マルフォイから生まれるよう造られたドラコ・マルフォイに、ジェームズとリリー・ポッターに加えてヴォルデモートから造られたハリエット。そして、生まれることもできず堕胎を命じられたというベラトリックス・レストレンジの娘。三人もの人間を作り上げておいて、ヴォルデモートはその全員を自分の作品としてしか見ていない。

 くつくつと喉の奥から鳴らすように笑うヴォルデモートは、そのワインレッドの瞳でハリーを見つめた。

 

「ドラコを魅力的だとは思わないか? いや、聞かなくてもわかる、想っているはずだ。肉体、魂、精神。そのすべての相性がいい異性を、人間という動物の本能として気にならないわけがない。おまえは、お前たちは、互いを異性として愛欲の目で見ているはずだ」

 

 ハリーは怒りのあまり、手に持っていたティーカップをヴォルデモートに向けて投げつけた。それは素早く杖を抜き放ったドロホフによって防がれ、帝王には紅茶の一滴も届かない。

 そんなことも気にならないくらいに、ハリーはキレていた。ハリーはドラコのことを特別視している。それは確かだ。だが、それは決して、恋愛感情などではないと思っている。目的に向けて力に飢えて向上心を持つ者同士、ハリーはドラコ・マルフォイのことを尊敬している。それを、くだらぬ性欲だの、見当はずれの恋だなどと言われて、我慢できるほどハリーは心の広い女ではない。

 続けて杖を抜き放とうとするも、しかし杖は奪われていたことを思い出して唾をぶつけようとする。しかしそれは、ヴォルデモートが軽く指を振ったことで口を閉じられ、吐き出すことさえかなわなかった。

 

「おや、おや、おや。その態度では、気があると言っているようなものだぞ」

「だまれ……!」

 

 テーブルに両手を叩きつけて立ち上がったハリーは、ヴォルデモートに向けて激昂する。死喰い人達がハリーの行動を注目している中、彼女は怒りを帝王にぶつけた。

 

「おまえが、おまえのような奴が語るな! 他者を踏みにじってきた、おまえのようなやつが! ぼくたちの気持ちを、勝手に決めつけるなよ! 愛情が何かも知らないくせに!」

「よう言った、ハリーや」

 

 吐き出しきったその直後、ハリーは聞き覚えのある声が背後からかけられたことに気づく。がばっと振り向けば、そこには銀色の髭と髪の毛をのばした、青いローブの老人の姿があった。

 その姿を見て、驚いたのは何もハリーだけではない。この場の全員が驚き、ある者は杖を向けて叫び、ある者はヴォルデモートの前に飛び出して盾になり、ある者は助かったことに歓喜の声をあげる。

 ヴォルデモートでさえ片眉を持ち上げて、半月メガネの奥できらきらと光るブルーの瞳を見つめている。ここに来たことが予想外だったとでも言いたそうな顔だ。その顔を見れただけでも、ハリーは少しだけ溜飲が下がる思いだった。

 

「ほう、ダンブルドア。御自らここへ来るとは思っていなかったぞ」

「トムや。わしは、わしの味方をする者を助ける。これは必ずじゃ」

「果たしてそうだろうか? 俺様には、とてもそうは思えないがね」

 

 表面上は穏やかに見える会話も、互いに袖の中の杖を握っていることから臨戦状態にあることがうかがえる。ハリーは彼がいったいどうやってここに来たかは分からないが、この時こそが大きなチャンスだと考えた。

 なぜならば、彼が来たという事は不死鳥の騎士団もまたこのすぐ直後には現れるということ。虚を突いて行動するには、一番のタイミングだ。

 ヴォルデモートの横で警戒しているドロホフへ素早く駆け寄ると、彼に向かって飛びかかる。まさかこのタイミングで来るとは思っていなかったのか、ドロホフは一瞬だけ動揺したものの、しかし自身の杖先をハリーに向けてくる。それは大いなる過ちであった。彼はもう少し、周囲に気を配るべきであったのだ。

 

「グルァアウ!」

「むっ!? ッぐぅ……!」

 

 獣の唸り声と共に、ドロホフの右腕が鋭い牙に咬みちぎられる。

 ――シリウスだ。『動物もどき』によって黒い犬となった彼が、背後からドロホフに飛びかかったのである。一切の容赦なく咬まれたことで、どちゃりと耳をふさぎたくなる音と共に男の右手が床に落ちた。

 それを合図に、ダンブルドアとヴォルデモートが同時にその姿を消す。何をしたのかは分からないが、戦場を移したことだけは察せられる。それよりも、ハリーにとってはこちらに集中しなければならなかった。

 痛みに呻くドロホフは、床でぴくりともしない自らの右手よりも、それが握ったままの己の杖に気を取られていた。左手をかざしてそれを無言呪文で引き寄せようとするものの、しかし魔力を運用し魔法を発動させるよりも、ハリーの方が速かった。その柔らかい身体を活かし、ドロホフの鼻に靴底を叩き込んだのだ。

 

「ぐ、ぶ……! 小娘ェッ!」

「私の娘に手を出すな、下種めガァアアウ!」

 

 よろけたドロホフに向かって更にシリウスが飛びかかるものの、彼は咄嗟に左腕を己の前に構えたことで、首に咬みつかれる事態を避けた。突然の戦闘開始に、ロドルファス・レストレンジが杖を向けてくるものの、彼は背後から飛んできた魔力反応光によって大きく宙を舞う。青い義眼をぎょろぎょろと動かしたまま、巨大な杖で強力な『失神呪文』を放ったのは、アラスター・ムーディその人であった。

 

「ぎゃはははは! 《不死鳥の騎士団》か!」

「……笑える!」

 

 ラバスタン・レストレンジとドロホフが歓喜の声をあげ、『身体強化』によって青白い尾を引いて神秘部の大広間に飛び込んでくる魔法使いたちへと飛びかかってゆく。彼らの獲物はそれぞれ、キングズリー・シャックルボルトとリーマス・ルーピンだ。

 『死の呪文』と『武装解除』の緑と赤の閃光を交わし始める彼らを尻目に、ハリーはシリウスに抵抗し続けているドロホフのポケットに手を突っ込む。そこには三本の杖がおさめられており、それを抜き取ったハリーは自分の杖でドロホフに『失神呪文』を叩き込もうとするも、腕に咬みついたシリウスを振り回すことでハリーの矮躯を大きく弾き飛ばした。

 床を転がされたハリーに向かってベラトリックスが『死の呪文』を放とうとするも、彼女の膝裏をニンファドーラ・トンクスが蹴り飛ばす。態勢を崩したベラトリックスは、怒りの叫びをあげながらトンクスへ杖を向けるも、それは彼方より飛来してきた魔力反応光を弾き飛ばすために振るわれた。おそらくこの大広間のどこかに潜むアンジェラ・ハワードが狙撃したのだろう。追撃しようとするトンクスに向けて、ベラトリックスが両手の平を突き出して裂帛の叫びをあげる。すると巨大な手の平で突き飛ばされたのように、トンクスの身体が転がされていった。

 ロドルファス・レストレンジの目が離れたため、ハリーはハーマイオニーとロンにそれぞれの杖を投げ渡す。増援に来たらしきほかの死喰い人達へ『失神呪文』や『武装解除』を叩き込む。ドロホフなどと比べると、あまりにもお粗末な犯罪者たちは避けることもできず魔力反応光を叩き込まれて倒れていくも、人数が多すぎる。疲れ切った三人には、少々面倒な相手であった。

 ハーマイオニーと背中合わせで戦っていたロンが、ふと二人の死喰い人を同時に蹴り飛ばして意識を刈り取っていたハリーを見て、そして叫んだ。

 

「ハリーッ! 上だ!」

 

 その声に反応して、ハリーは咄嗟に前へと身を投げ出す。果たしてその反応は正解であった。つい一瞬前までハリーのいたその位置へ降ってきた死喰い人の拳が、深々と突き刺さっていたのだ。

 杖を振るって自身に『身体強化』をかけ、相手を注視する。果たして、それは見覚えのある顔をした人物であった。

 

「ハリー・ポッター……ッ! 兄の仇だ!」

「ハロルド・ブレオか」

 

 かつてハリーが殺害したバルドヴィーノ・ブレオの弟。人狼を模した面をすでに被っており、その左腕は人狼のそれに変化している。コンクリートの床から抜き去った腕を振るってかけらを落としながら、彼は仮面の奥から殺意にあふれた視線を送ってくる。

 

「『ランケア』、突き刺せ!」

「『アバダマグヌス』、死の剣!」

 

 ハリーの杖から赤い魔力反応光が伸びて槍が形成され、ハロルドの右手に握った杖から棒状に形成された魔力反応光が伸びる。

 ハーマイオニーとロンの心配する視線を背負いながら、ハリーは飛びかかってくるハロルドの『死の剣』を『魔槍』で受け流した。実体を持つ武器では受けきれないだろうが、同じ魔力反応光で構成された得物ならば話は別だ。彼女はしっかりと腰を落とし、連続で突きを繰り出す。ハロルドもまた死の呪文が含まれていないハリーの穂先をギリギリで避け、ローブを裂かれながらも反撃を繰り返す。

 槍の本質は刺突であり、そのリーチの長さによってマグル界では銃が発明されるまで数多の戦場を支配してきた。魔法界でもそれは変わらない。かつて英国と米国の独立戦争の際に、英国魔法界もまた二分されている。その際の戦場において、白兵戦で最も使われたのは『フリペンド』等の射撃呪文ではなく『ランケア』等の刺突呪文だった。『武装解除』で杖を吹き飛ばせば勝てる現代の決闘とは違い、当時の米国魔法使いは拳銃も所持していたために、殺害しなければ戦闘は終わらなかった。その最も手っ取り早い手段は、『失神』させるか『槍』で心臓を貫くかである。ハリーは苦手な魔法史から学んだその知識を戦闘に活かし、今この場で『魔槍』を選択したのだ。

 果たしてその判断は正解であった。『死の剣』という魔法は、ハリーの予想とたがわず『アバダケダブラ』を棒状に固めた物であり、先ほどのフェンリール・グレイバックが使用した『死の爪』と似たような効果を持っていることは疑いようもない。つまり、掠っただけでも死は免れない。

 

「死ねッ、死ね……! よくも兄を! 兄さんをォ! 死ねェエエエエ!」

「ぼくには帰る場所がある。だから死ぬつもりはない」

「いけしゃあしゃあと!」

 

 兄の仇として正当なる復讐を遂げようとするハロルド・ブレオは、目の前の憎き女に斬りかかる。彼の兄を殺害した身としては、彼の復讐心に理解は示せる。だがそれを受け入れるかは別だ。ハリーは生き残るために、心身を削られながらもバルドヴィーノ・ブレオを返り討ちにして殺した。

 そこに後悔も罪悪感もあれど、間違っていると思っていながらも、ハリーは己のしたことを認めている。自分は人面獣心の怪物であり、人殺しだ。ハロルドが殺しにくるのもわかる。だが、死にたくない。だから殺しに来る者は、すべからく返り討ちにするし、必要ならばさらに手を汚す。

 殺意でも憎しみでもない覚悟を秘めて濁り切った彼女のワインレッドの瞳は、怒りと憎悪に染まる意思を秘めて濁り切った彼のエメラルドグリーンの瞳と、視線を交差させた。

 そうして必殺の意志を込めて突き出された『死の剣』はしかし、ハリーの『魔槍』が回転を始めたことで逸らされる。それどころか、二度目三度目の回転によってさらに大きく弾き飛ばされる。

 槍の本質は刺突ではあるが、武器としての運用法には振り回すという手法がある。槍は長柄武器であり、それを振り回した際の遠心力で生み出されるパワーは剣の比ではない。完全に右腕を天に向けられたハロルド・ブレオはしかし、残る人狼の左腕でハリーの肉を裂こうと試みる。

 しかし遠心力を加えた突きを繰り出してきたハリーによって、左腕は手の平から手の甲まで貫通され、親指だけを残して千切り飛ばされる。そして槍のリーチは、彼から左手を奪うだけには留まらない。前腕部から飛び出した穂先は、さらに上腕部を貫通して半身になっていたハロルドの左わき腹を突き刺した。

 どうやら肘をまげて槍の盾として、なんとか心臓にまでは届かなかないようにしたようだ。かなりの出血ではあるが、仕留めきれてはいないだろう。

 

「終わりだッ、『フリペンド・ランケア』!」

「あッ! がァ……、ッ!?」

 

 ハリーの呪文と共に、ハロルドを突き刺した『魔槍』は彼ごとその穂先を射出された。大きく吹き飛ばされたハロルドの身体は、神秘部の壁に叩きつけられて赤い液体をまき散らす。

 しばらくの間うめいてもがいていた彼は、しかし増援に来た死喰い人の一人に抱えられて大広間から出てゆく。撤退することも視野に入れて雑魚どもを呼び寄せたのなら、死喰い人達は思いのほか冷静なのかもしれない。

 しかしそのような分析をしている暇はない。ハリーは悪寒を感じ谿コ縺吶↑繧医?繝ゥ繝医Μ繝?け繧ケしかしそのような分析をしている暇はない。ハリーは悪寒を感じて咄嗟に上体をそらすと、極彩色の魔力反応光が彼女の胸の上を通過してゆく。それはハリーに襲い掛かろうとしていた哀れな死喰い人に直撃し、その者の全身を切り刻んでその場でバラバラにしてしまった。

 

「くッぅ……!」

「あハ、ぎゃっはッ! ポッ、ティー、ちゃぁぁああん!」

 

 ベラトリックス・レストレンジだ。

 いつの間にシリウスの手から逃れたのか、黒髪を振り乱して杖を振るう彼女は次々と色とりどりの魔力反応光を放ってくる。今まで戦っていたハロルド・ブレオが近接型の魔法使いならば、彼女は典型的な後衛型魔法使いだ。『身体強化』や『魔槍』などの武器で戦うのではなく、魔法使いの代表たる魔法を撃ちこんで戦うタイプ。

 ハリーは不安定な姿勢ながらも無言呪文で『武装解除』を彼女に放つ。しかしそれはベラトリックスが一瞬だけ展開した『盾の呪文』によって弾かれ、返す杖で新たな呪文が飛んでくる。ハリーも同じく瞬間のみ『盾』で防ぐと、二人の女は互いに呪文の応酬を繰り返した。

 

「やめろベラトリックス! きさまの相手は私だ!」

「おおおおおおぅううう! シィーリウゥース! 我が愛しの従兄弟よォ、殺してやる!」

「それは私の台詞だ! 『ステューピファイ』!」

「『アバダケダブラ』ァ!」

 

 互いに呪文を撃ち合っている最中、ハリーとベラトリックスの間にシリウスが割り込んでくる。その額から血を流しているものの、ドロホフとの戦闘を切り抜けた彼は、急いでハリーのもとへ駆けつけてくれたのだ。

 その気持ちが嬉しくて、ハリーは腹の底から勇気が沸き出てくる思いだった。シリウスと二人並び立ち、ベラトリックスと対峙して魔力反応光を撃ち続ける。その図は奇しくも、かつての魔法戦争時代に彼女の父であるジェームズ・ポッターとシリウスが頻繁にとっていた戦闘スタイルと同じものであった。

 

「そこだッ、ハリエット!」

「ああ、シリウス! 『ステューピファイ』ッ!」

「ぐ……ッ、おのれ小娘! おのれシリウス!」

「はっはァー! いいぞハリエット! さすがはジェームズの娘だ!」

 

 シリウスとの連携によっていくつかベラトリックスの脚などに『失神呪文』が当たるものの、彼女は殴られたように大きく姿勢を崩す程度で失神する様子が見受けられない。何らかの防護魔法を用いているのか、マジックアイテムを装備しているのかもしれない。彼女を失神させるにはおそらく、非常によく練りこんだ魔力を込めた強力な『失神呪文』を撃ち込まなければならず、ベラトリックスほどの実力者が悠長に魔力を練る暇を与えてくれるはずがない。彼女はそのねじ曲がった心に似合わぬ実力者である。現に二人がかりでも仕留めきれないのだ。つまるところ、この勝負はベラトリックスの杖を奪ってから『失神』させるのが先か、彼女がこちらに『死の呪文』を当てるのが先か、といったことになる。

 三人とも余裕がなくなるにつれて無言呪文で撃ち合いはじめ、その射出スピードは三者とも大して変わらない。ハリーが幾分か遅れているものの、それはシリウスと二人がかりで相手をしているゆえに生じる隙は彼が補ってくれている。その結果、ベラトリックス・レストレンジとは互角以上の戦いを演じることができていた。

 

「おのれおのれおのれッ! ブラック家の裏切り者めがァ!」

「裏切り? ちがうね、私は一度としてあの家を味方だと思ったことはない!」

「恥晒し! 血を裏切る者め! お前を殺せると思うと、わたしゃ嬉しいよォ!」

「奇遇だな、私もだ! お前のような奴は生かしておく価値などない!」

 

 ベラトリックスが押されるにつれて、彼女は攻撃に蛻・縺ョ蝣エ謇?縺ァ譎る俣縺梧綾縺」縺ベラトリックスが押されるにつれて、彼女は攻撃に罵詈雑言も加えてきた。

 その内容は彼らの確執がありありと溢れ出ており、ハリーとしては聞くに堪えないものである。だが今は戦闘に集中するべきであり、それに関して彼女が言及することはなかった。

 ハリーとシリウスの撃つ『武装解除』や『失神呪文』を何とか『盾』で防ぎ続けるベラトリックスは、次第に先ほどまでハリーとヴォルデモートがお茶をしていたティーテーブルのあった中央まで追い詰められる。

 杖を持っていない左手を振るってティーセットをテレキネシスのようにハリーに向かって吹き飛ばすも、それはハリーの展開した『突風』魔法によって明後日の方向へ逸らされる。目くらましを狙ったその攻撃も、ハリーの援護を得たシリウスにとっては大きな隙であった。

 

「『エクスペリアームス』ッ!」

「『アレストモメン――、うがッ!?」

 

 シリウスがフェンシングのように杖を突きだして魔力反応光を射出すると、それはベラトリックスの腹に命中した。腹に向かって呪文が飛んできたことで、彼女はひどく慌ててそれを防ごうとするも、咄嗟に身体を丸めるという原始的な防御手段を取ってしまったため失敗する。彼女は『停滞呪文』を放つ最中であったが失敗(ファンブル)し、ベラトリックスの手から杖がばちんと鞭のような音と共に弾かれる。

 杖を奪った以上、彼女の戦闘力は大幅に削がれた。それでも彼女は杖なしで魔法を扱う事のできる実力者だ。油断せず続けて杖を振るったシリウスが強く魔力を込めた『失神呪文』を放つ。それは身体を丸めたままのベラトリックスの肩に直撃し、彼女の身体を大きく吹き飛ばして、ティーテーブルに叩きつける。その衝撃で真っ二つに割れたティーテーブルが四散し、スコーンやジャムの瓶といった品物が飛び散る。『停滞呪文』が不発になった影響か、彼女の周囲ではモノがゆっくりと飛び散り、ゆるやかに落ちてゆく。彼女自身の身体も、スローモーションのようにのんびりと床へ倒れこんだ。

 彼女にはシリウスが全力を込めた強力な『失神呪文』が命中している。それでも狡猾なこの魔女のことだ、やられた振りをしているかもしれないと恐れて顔を覗き込むと、白目をむいて口の端から涎を垂らし、確実に『失神』している姿をハリーとシリウスは確認した。

 死喰い人随一の実力者であるベラトリックスの敗北。これには周囲で戦っている死喰い人たちに焦燥と絶望を与え、騎士団側の者たちに希望と勇気を与えた。それはハリーも同じくであり、シリウスを顔を見合わせて互いの健闘を褒めたたえた。

 だからだろうか。

 ハリーはこの一瞬、あまりにも小さく、そして大きすぎる敵を見逃していた。

 

「ハァイ、パッドフットォ」

 

 飛び散るジャムや、ティーカップに混じって、声がする。

 それに反応したのは、ハリーが先だった。咄嗟に杖を振るって、宙を舞うティーカップの一つを叩き割る。しかし、ハリーが本当に叩き割りたかったのは、カップなどではない。

 

「ワーム、テ――」

 

 驚いた顔のシリウスが、目の前に迫る者の名を呼びかける。

 割れたティーカップの中から飛び出してきたのは、ネズミだ。親指の欠けたネズミが、一瞬でその姿を小太りの男の姿に変じる。それはシリウスの目の前にあった小動物が、いきなり人間サイズに膨らんだことを意味していた。

 小さなネズミのスキャバーズが、死喰い人のピーター・ペティグリュー(ワームテール)に変身する。ベラトリックスのポケットの中か、もしくはヴォルデモートの用意したティーセットの中で、ずっと機会をうかがっていたのだろう。シリウスがこちらへ来るその瞬間を。この混乱した戦場の中で、かつての悪戯仕掛け人にして、自身をどこか下に見ていた男への殺意を遂げるために。

 完全に虚をつかれたシリウスに、彼の攻撃を避ける術はなく、呆然と受け入れてしまう。

 ペティグリューの銀色の拳が、シリウスの鼻を殴り飛ばす。強く力の込められた一撃。

 彼の鼻が折れ、そして衝撃によってシリウスの身体が宙に浮いた。

 それは、シリウスが突き飛ばされる結果を生み出す。

 彼が倒れこんでゆく先は、石造りのアーチ。

 先ほど人狼が死んだ謎の建造物だ。

 

「――、シ」

 

 ハリーは声を出せなかった。咄嗟に『身体強化』によって思考力を高速化させる。本来ならばそのような使い方は出来ないはずであり、脳がショートしそうなほどに痛む。頭蓋骨が弾けそうな頭痛を無視して、彼女は必死に考えを巡らせる。

 シリウスはベラトリックスが残した『停滞呪文』の影響で、空気中を倒れこむ速度は通常よりも遅い。これならば手を伸ばして、届くはずだ。

 

「リウ、」

 

 ハリーは手を伸ばす。『身体強化』の魔力を腕にも行きわたらせる。これで届く。この距離、この速度ならば。あのアーチをくぐらせてはいけない。あれはダメだ。あれだけは触れてはいけない代物だ。

 小柄な少女の手が伸び、吹き飛んでいる最中のシリウスの足を掴む。

 靴が、脱げた。

 

「……、ぁ……」

 

 ハリーの手の中に、彼の革靴が残る。

 もう一度手を伸ばそうにも、ハリーの左半身が急に動かなくなった。ワームテールがしがみついているのだ。邪魔をするなと金切り声で叫ぶも、シリウスの足がヴェールに触れる。シリウスの膝がアーチをくぐり抜ける。シリウスの腰が向こう側へ消え繝?繝ウ繝悶Ν繝峨い縺ッ謇句シキ縺??よ凾髢薙r謌サ縺玲?蜍「繧堤ォ九※逶エ縺吶?

 

「繧ケ」

 

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 驚きながらも状況を確認したシリウスだが、杖を振るおうとするも間に合わない。

 ペティグリューの銀色の拳が、シリウスの鼻を殴り飛ばす。強く力の込められた一撃。

 彼の鼻が折れ、そして衝撃によってシリウスの身体が宙に浮いた。

 それは、シリウスが突き飛ばされる結果を生み出す。

 彼が倒れこんでゆく先は、石造りのアーチ。

 先ほど人狼が死んだ謎の建造物だ。

 

「――、シ」

 

 ハリーは声を出せなかった。咄嗟に『身体強化』によって思考力を高速化させる。本来ならばそのような使い方は出来ないはずだが、まるで以前に練習したかのように成功した。クリアでスマートになった思考の中で、彼女は必死に考えを巡らせる。

 シリウスはベラトリックスが残した『停滞呪文』の影響で、空気中を倒れこむ速度は通常よりも遅い。これならば手を伸ばして、届くはずだ。

 

「リウ、」

 

 いや待てそれではダメだ。何故だ? 直感としか言いようがない。いまハリーが考えた手段では、何かの失敗によって彼が向こう側へと行ってしまう。逝ってしまう。それはダメだ、それだけはダメだ。万が一にでも彼を失うわけにはいかない。

 ハリーは『身体強化』に回していた魔力をすべて手の平に集中させる。欲しいのはシリウスだ。愛する家族。彼を失うわけにはいかない。彼は絶対に手に入れる。ハリーの左半身が急に動かなくなった。ワームテールがしがみついているのだ。邪魔をするなと叫ぶ暇さえ惜しい。シリウスの目が見開かれる。ハリーが手の平を握りしめた。シリウスの靴がヴェールに触れる。彼のすべてを掴まえた。シリウスの脚が、

 ――このハリエット・ポッターに、不可能は、ない。

 

「ス、ゥウウウあああああああああああ――ッ!」

 

 ハリーは全力で叫び、その手の平を強く握りながら自身に引き寄せた。ワームテールが自分の左腕を引っ張る勢いさえ利用して、全力で魔力を巡らせる。

 シリウスの全身に、ハリーの魔力が作用した。それは彼の身体を掴み、半ばまで脚がヴェールに触れていた彼の肉体を全力で引き寄せることに成功した。成功したのだ。ワームテールごと倒れこんだハリーは、ベラトリックスが横たわるその隣にシリウスもまた倒れこんだ姿を目にする。

 ワームテールが邪魔だ。頭突きをして彼の腕を離させると、ベラトリックスがティーセットへやっていたように両手の平を彼に突き出して、余計な脂肪のついた彼の身体を大きく吹き飛ばす。壁際へ転がっていく彼を無視して、自由を得たハリーは、転げ落ちるようにしてシリウスのもとへと駆け寄った。

 

「ッ、ぁ……シリウスッ! シリウスぅうッ!」

 

 彼の肩を掴み、強く揺さぶる。

 死んでいない。死んではいないはずだ。ヴェールはくぐっていない。意識を失っているようだが、大丈夫だ、彼は生きている。絶対に死んでなどいない。間違いなく大丈夫なはずだ。

 ハリーが叫ぶ声を聴いたのか、騎士団員が複数駆け寄ってくる。それと戦っていた死喰い人たちも寄ってくるが、ハワードの狙撃によってその動きは制限され、ハリーとシリウスを守るようにキングズリーとムーディが立ち回っている。

 急にシリウスへと手が伸びてきたのを、ハリーは跳ねのける。しかしそれは、青ざめた顔をしたルーピンであった。ハリーに向かって彼は絶叫にも近しい大声で語りかける。

 

「シリウスは倒れた! 彼の想いを無駄にするなッ、君はこの場から逃げろ! 早くッ!」

「でも、先生ッ! リーマスッ! でも、シリウスはアーチをくぐっていないッ!」

「……ッ、いや、しかし……!? ダメだ、ハリエットッ!」

 

 混乱の中、ハリーとルーピンが言い争う。共に家族とも言えるほど親しい男を失ったかもしれないのだ、その心中はかき乱されて当然である。

 だがここは戦場であり、その行動は決してしてはならないものであった。ルーピンは彼女の名を叫ぶと同時に、その身体を突き飛ばす。驚いたハリーは、ルーピンの頭が見えない脚で蹴り上げられたように後方へ倒れこみ、もんどりうって転がっていく様を目にする。

 まさかキングズリーとムーディの包囲網を抜けてきたのかと思いきや、ハリーはシリウスの隣で横たわっていたはずのベラトリックスが目を覚ましている様を目にした。咄嗟の行動で左手の平を突き出し、ベラトリックスを吹き飛ばそうとする。しかしその判断は彼女も同じだったようで、ハリーとベラトリックスは互いの手の平を向け合い、互いの魔力が二人の間で暴風のように渦を巻く。それがいったいどういう風に作用したのか、彼女たちは同時に床から弾き飛ばされ、空中へと吹き飛ばされた。

 

「ぎゃはッ! あぁ――っははははははは!」

「ベェラトリックスゥゥ――ッ!」

 

 空中で体を泳がせながら、甲高い声で笑い転げるベラトリックスに、ハリーは怒りを込めて彼女の名を呼ぶ。ベラトリックスは杖を武装解除されておりシリウスのポケットに納められている。ハリーもまたルーピンに突き飛ばされた際に、手の中から杖がすっぽ抜けている。丸腰のハリーとベラトリックスは、まったく同時に床に向かって右手を伸ばして魔法を発動する。

 両者の手の平に向かって床で転がっていたハリーの杖とシリウスのポケットに刺さっていたベラトリックスの杖が飛び込み、またも同時にキャッチすると、互いに向けて『失神呪文』を放つ。それは空中でぶつかり合い、二人の身体を再び巻き上げて天井近くの壁まで叩きつけた。ハリーは尻から壁に激突、それと同時にベラトリックスもまた背中から壁にぶつかる。そして同時に、互いを攻撃するために叫んだ。

 

「『アニムス』ッ、我に力をォ!」

「『モース・ウォラトゥス』、死の飛翔ォッ!」

 

 ハリーの全身が青白い光に包まれ肉体を強化し、ベラトリックスの全身を闇の光が包み込み肉体を強化する。それぞれ壁を蹴った彼女たちは、空中で拳と靴をぶつけ合った。

 墨のような尾を引いて自在に空中を飛翔するベラトリックスを、壁を蹴って跳びながらハリーは追いかける。互いに『武装解除』と『死の呪文』を撃ち合い、激情のまま叫び合う。

 

「死ぃーんだ死んだ、シーリウース・ブラァーック! ぎゃははははは!」

「死んでいないッ! シリウスは死んでなんかいないッ!」

 

 援護として天井近くの隙間に隠れていたハワードから『武装解除』が飛んでくるも、空中を飛行するベラトリックスはそれを軽々と避けた。それどころか魔力反応光の光からハワードの隠れ場所を看破し、そこへ『爆破呪文』を撃ち込む。

 ハワードはそれを避け切ることができない。『盾の呪文』で直撃は防いだものの、隠れ場所ごと爆発させられた。悲鳴をあげて瓦礫の中を大広間に向かって落下する彼女を、ハリーは気遣うことが出来ない。

 それよりもハワードが作った隙を利用するべきだ。天井を駆けてベラトリックスへ素早く駆け寄ったハリーは、彼女の背中を蹴り飛ばす。胃液と血を吐き出しながらも背中から壁に激突することに成功した彼女は、ハリーに向かって杖先を向けて叫んだ。

 

「やるじゃァないのォ、ポッティーちゃぁん!? 『コンフリンゴ・ドゥオデキム』!」

「うるさいッ! 『プロテゴ・ウェルテクス』、受け流せ!」

 

 流動型に動く『盾』を出現させたハリーは、ベラトリックスの放つ『連爆』呪文を受け流してゆく。魔力消費の多いこの魔法を選んだ理由としては、まともな『盾』で受けては、すべての爆発を受けきる前にハリーの杖が手の中から弾き飛ばされるからだ。一ダースほどの連続した爆発を受け流しきったハリーは、しかしベラトリックスが両腕を振りかぶって発動した『掌握』魔法には対応しきれなかった。

 見えない巨大な手の平で握られた感覚を覚えたハリーは、『身体昇華(トリスメギストス)』呪文によってより強大なパワーを得て逃れようとするも、発動することができなかった。ここまで戦い続けたゆえに、体にガタが来始めたのである。咄嗟に『身体強化』に費やしていた魔力をすべて肉体の頑丈さを強化する方向に回した。いま必要なのは速く走るスピードや強く殴るパワーではなく、これから来たる衝撃に耐えきる防御力だからだ。

 

「あっはァ――ッ! 吹っ飛んじまいなァ!」

「がッ、ぐうぉああああああッ!」

 

 ベラトリックスが大きく両腕を振り上げれば、ハリーの身体は天井に向けて高速で投げ出される。そのパワーと速度はハリーの予想以上であり、『身体強化』を防御に回していようがそのままであれば天井のシミとなってハリーはその命を散らすところであったが、ハリーの反応速度はベラトリックスの予想を上回ることができた。

 きりもみ回転しながらもなんとか杖を振り回したハリーは、かつての記憶を思い起こしながら叫ぶ。

 

「『アペィリオ』、抉じ開けろォ!」

 

 かつてトム・リドルがハリーに用いた魔法を、ハリー自身が使う。本来であれば扉やまぶたといった閉じているものを無理やり開く呪文であるが、ハリーはそれを天井に向けて使った。

 魔力反応光がうまく作用し、ハリーがぶつかる直前に天井は無理やりその口を開いてハリーを迎え入れた。それでもハリーの身体には様々な瓦礫や破片がぶつかり続け、着実にダメージを与える。ベラトリックスが放った魔法の勢いは止まらない。そのままガラスの天井へとハリーの身体を叩きつけ、胃の中の何かがごぽりと唇から漏れ出てしまった。

 階下より騎士団の誰かがハリーの名を叫ぶ声が聞こえたが、それにこたえる余裕はない。

 

「『クルーシオ』ォ!」

「く……ッ!」

 

 天井を蹴ってその場から逃げたハリーは、つい一瞬前まで張り付いていた天井へ『磔の呪文』が突き刺さる様を見た。闇の尾を引いて飛んできたベラトリックスが追撃したのだ。

 

「ポッター、ポッチリ、ポッティーちゃぁん。んぅーふふふふふ!」

 

 ハリーは着地しながら、上機嫌に笑うベラトリックスを見る。積年の憎しみを晴らすことのできたベラトリックスは、シリウスの死を喜んでいる。一方でハリーはシリウスの死を認めていない。助かったことを確信しているのだ。

 ふと屋内であるはずなのに風が吹いていることに気付いたハリーは、ベラトリックスからは決して意識をそらさずに視界の端で周囲の状況を確認する。大きなアトリウムだ。神秘部が地下九階であったからには、ここは地下八階。何の施設があるのかは知らないが、ハリーの隣には黄金製らしき銅像が立っていることが見受けられる。

 

「ほほう、ここまでやってきたか。ハリエット」

 

 耳の奥まで届く蠱惑的な声が聞こえた瞬間、ハリーの身体は見えない手で引き寄せられるかのようにその場を移動させられた。

 この声はヴォルデモート。まさか奴の手によってと考えたまではよかったが、床を滑って壁に背をつけたハリーが目にしたのは、自分の前に立ちはだかるダンブルドア。仁王立ちになり、彼の向こうに見えるヴォルデモートと対峙していた。

 ベラトリックスが主人のもとへ馳せ参じる姿から眼をそらさずに、ハリーはダンブルドアに声をかける。

 

「先生、状況は……」

「ちーっともよろしくないのう。じゃが無事でよかったよ、ハリーや」

 

 ダンブルドアの余裕を持った声に、ハリーの心に安堵が広がる。

 しかしダンブルドアはその柔らかな口調に反して、ヴォルデモートから視線をそらさない。それを見てようやく、ハリーはダンブルドアから感じる魔力がずいぶんと目減りしていることに気づいた。ヴォルデモートもまた、整えられていた黒髪をまばらにして肩で息をしている。両者ともに怪我はないようだが、かなりの消耗が見て取れた。

 ご主人様の様子にベラトリックスが加勢を申し出るものの、余計なことをするなと叱責され小さくなって控える。ダンブルドアに加勢を申し出ようとしたハリーもまた、彼の視線で制止されて杖を握るだけにとどまる。

 緊張が高まり、ハリーは自分が背中に妙な汗をかいていることに気づいた。

 それと同時に、ダンブルドアとヴォルデモートがハリーの名を呼ぶ。

 

「ハリーや」

「ハリエット」

 

 ヴォルデモートが優雅に杖を自身の顔の前で構え、ダンブルドアもまたそれに倣って決闘の礼を取る。両者とも同時にお辞儀をすると、ひゅんと風を切って杖を振り下ろし、それぞれが構えを取る。ヴォルデモートは優雅な貴族のように、ダンブルドアは鋭い戦士のように。それは奇しくも、必要の部屋でハリーとドラコが取った決闘の構えと酷似していた。

 両者の杖先から魔力反応光が出るその直前、異口同音にささやいた。

 

「よく見ておきなさい」

「よく見ておくのだ」

 

 ヴォルデモートの杖先から射出された緑の閃光が、数えるのもバカらしいほどに空中で分裂する。視界全てが緑に染まるほどの『死の閃光』に、ハリーはその思考が停止させられた。その一筋一筋が自在に操られ、ダンブルドアを全方位から狙う。それに対するダンブルドアは、ゆるりと杖を振る。ダンブルドアを中心に発生した薄いドーム状の魔力反応光は、呆気なく『死の呪文』に貫通される。しかしハリー達のもとへ届くのは魔力反応光ではなく、あたたかなそよ風であった。散見される魔力式から想像するに、『死の呪文』を無害な微風に変換したのだろう。

 ドームは際限なく膨らみ続け、ヴォルデモートの直前まで到達する。しかし帝王が杖を振るうと、彼の前方にあるドームが切り裂かれてヴォルデモートの身体には届かなかった。

 ヴォルデモートが防御のために振った杖は攻撃の動作に繋がっており、オーケストラを指揮するかのように優雅に振られた杖先から、二〇メートルはくだらない巨蛇が飛び出す。それは高速でダンブルドアをばくんと飲み込み、自らの全身を業火に包み込んだ。ベラトリックスが歓喜の声を挙げ、ハリーが不安を覚えるも、その蛇は一瞬で風船のように膨らんで色とりどりの紙吹雪と共に破裂した。

 

「『レガトゥス・ラエトゥス・ファクシミレ』、わしらを守っておくれ」

 

 ダンブルドアが発動した複雑怪奇極まる魔法式によって、ハリーは自分の横にいた黄金の像がうごめくさまを目にした。《魔法界の同胞の泉》と題された黄金の彫刻は、魔法使いと魔女と屋敷しもべ妖精、ケンタウルスに小鬼をモデルにしている。ケンタウルスがその手に持つ弓を引き絞り、幾本もの矢を同時に放つ。ヴォルデモートはその矢すべてを片手でつかみ取り、どろどろに溶かして床へ捨てた。彼が一連の動作を終えた直後、小鬼と屋敷しもべの像が小さなその身体で弾かれたように殴りかかる。それを杖を振って粉々に吹き飛ばしたヴォルデモートは、アクロバティックに蹴りを放ってきた魔女の像の脚の上に飛び乗って彼女の頭部を掴むと、宙返りをするようにダンブルドアに向かって投げ飛ばした。ダンブルドアの前に躍り出た魔法使いの像が魔女の像を受け止めると、魔女の像はハリーのそばにやってきて護衛のためにたたずむ。

 魔法使いの像を従えながら、ダンブルドアは杖を振った。ヴォルデモートもまた、それに続く。魔法の発動はヴォルデモートの方が速かった。ハリーはアトリウムのみならず、世界中が一気に縮んでいく感覚を覚える。薄皮一枚だけはがれた世界すべてがダンブルドアに向かって迫り、ハリーは押し殺した悲鳴をあげた。生クリームの絞り袋が潰れる様を内側から見れば、きっとこうなるのだろうという光景が、ダンブルドアごと世界を捻り潰す。これはダメだ、ダンブルドアが負ける。そう感じたハリーはしかし、己の常識がいかにもろいものかを思い知る。

 ぱん、と軽く拍手するような音が聞こえたかと思えば、ダンブルドアを中心にして大爆発が起きたかのように世界が膨らんだ。それは黄金の魔法使い像に守られていなければハリーごと吹き飛ばしたであろう衝撃であり、ベラトリックスが悲鳴をあげて転がり、腹を抑えて体を丸めたままアトリウム端の暖炉に叩きつけられる。ヴォルデモートの身体もまた、己の部下と同様に床を転がされた。しかし転がる勢いを利用して起き上がったヴォルデモートは、杖を掲げて両腕を頭上で組み、裂帛の叫びをあげる。その顔に笑みはなく、ワインレッドの瞳を見開いてダンブルドアただ一人を見据えていた。

 

「『フォルトゥス・フォルトゥーナ・アドウァート』ッ! 彼奴めを殺せッ」

 

 ヴォルデモートの声によってアトリウム中の空気が振動し、甲高い音を響かせる。慌てて自身の両耳をふさいだハリーが見たのは、アトリウムに存在するほとんどの物体が粉々に壊れる光景であった。天井を構成するガラス、煙突飛行用に設置された数々の暖炉、照明器具、職員の残した筆記用具や棚に納められていた本などが全てバラバラの欠片に粉砕されて捻じ曲げられ、鋭い螺旋を描いた短槍となって全てがダンブルドアに襲いかかった。

 魔法大臣ファッジを描いたタペストリーは槍に変えられず無事だったのだが、その短槍の穂先によって見るも無残なぼろきれに変えられてしまう。ハリーごと狙った槍の投擲は、明らかにダンブルドアに彼女を守らせる意図で行われたものであった。足手まといになることを嫌ったハリーが『盾の呪文』を自身の前へ幾層にも張り巡らすも、それは徒労に終わる。ダンブルドアのローブから飛び出した不死鳥フォークスが躍り出て、その身を業火と化して膨らんで弾ける。紅蓮の炎はダンブルドアやハリーは燃やさずに、彼らへ迫る凶器のみをすべて真っ白な灰へと変えた。

 両の手を打って堅牢な『盾』を張ったヴォルデモートに、業火は届かない。しかしダンブルドアはフォークスに守られている間、すでに次の手を打っていた。《魔法界の同胞の泉》が破壊されてあふれ出していた水が全て形を以ってヴォルデモートへ襲いかかり、卵のように形を整えるとミキサーにでもかけたかのような凶悪な回転を加え始める。『盾』を張っていたヴォルデモートはその流れに揉まれ、水球の中に閉じ込められている。

 

「『ウイタエ・アエテルナエ』。永久に眠れ、トムや」

 

 ダンブルドアが続けて複雑に杖を振ると、黄金の鎖が水球の周囲を包囲し始めた。それに対してヴォルデモートが水球の中でぐちゃぐちゃにされながらも杖を振るが、黄金の鎖は水球の中にも侵入してヴォルデモートの全身を打ち据える。その鎖は水の中で融け、混ざり合い、空間ごと固めるかのような美しい黄金の球体を造り上げた。ハリーが魔眼で視たところ、これは術者以外の魔力を通さぬ封印魔法であるらしい。つまりこれは、ダンブルドアの勝利を意味して縺薙s縺ェ豎コ逹?縺ッ縺、縺セ繧峨↑縺??よ凾繧呈綾縺昴≧縲

 

「繧ヲ繧、繧ソ繧ィ繝サ繧「繧ィ繝?Ν繝翫お縲よーク荵?↓逵?繧後?√ヨ繝?繧」

 

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 両の手を打って堅牢な『盾』を張ったヴォルデモートに、業火は届かない。ダンブルドアはその様子を見て、杖を下ろした。唐突に戦闘をやめたダンブルドアの姿を見て、ハリーは疑問に思う。いま、何が起こった? 何かがおかしい。

 即座に復活したフォークスがダンブルドアの肩に留まり、《魔法界の同胞の泉》が破壊されてあふれ出していた水が床を水浸しにしている。『盾』を消し去ったヴォルデモートが玉のような汗を流しながらも笑みを浮かべ、ダンブルドアを見据える。それに対して外傷も疲れも見られないはずのダンブルドアは、打ちひしがれたかのような表情を浮かべていた。

 

「トム……。おぬし、まさか……」

「はっはァー……、さすがに何度も使いすぎたかな。答えは是、その通りよダンブルドア。俺様はもう何にも縛られぬ。時計の針は俺様が支配しているのだ」

「それは人の身に余る所業だと気づいておるのか、トムや」

「人々が俺様に祈る日も遠くはなかろうな」

 

 ハリーはその会話を聞いて、信じられない思いであった。

 時計の針を支配する? それが意味することは、ただひとつ。魔法とは高度なものになればなるほど、数ある本などの資料にその学び方が載らなくなる。未熟な魔法使いが高度で危険な魔法をうかつに使わないようにするためである。この間もなく二〇世紀も終わろうという時代に、口伝などによる秘術がいまだ多いのもその理由だ。よって資料に残されるのは、あまりにも遠回しな比喩表現であったり、暗号であったりする。

 そのような中で、『時計の針を支配する』という比喩表現はあまりにも簡単な部類に入る。それは別に未熟者に知られたところでどうにもできないという事を意味する。伝説や幻の域に入る魔法であり、現代魔法族がそれを実現するには世界中の魔法族の魔力をかき集めたところで全く足りぬからだ。

 時間操作。

 神の御業の部類に属する大魔法中の大魔法。ハリーはいま感じた違和感を、この魔法省に来てから何度か味わっていたことを自覚する。つまり何度か時間を操られている? ヴォルデモートが時間を操れば、それは必然的にハリーの時間も操られることを意味する。ハリーは戦慄した。時間というものは常に過去から未来へ流れる不変の代物であり、それをせき止めることや流れを戻すことは不可能なものなのだ。不可能であるハズだったのだ。

 

「じゃが、トムや。どうやら長い時間を巻き戻すこともできず、止めることもできないようじゃのう。もしそれができるのならば、わしはすで地獄へ落されておるはずじゃ」

「クク……お前は教師だろう? 疑問を投げかけるのは、お前の仕事ではない」

 

 気分よくお喋りするヴォルデモートも、さすがに詳細までは教えてくれない。

 ダンブルドアのよく知るヴォルデモートは、死を恐れ、外道を為し、それでいて子供のように命をもてあそぶ男である。目の前のヴォルデモートは、かつて魔法戦争時代に跋扈した蛇のように醜い顔ではなく、かつての美貌を取り戻しており、四〇代から五〇代ほどの美しい男だったはずだ。だがハリーとお茶をしていた時と比べ、明らかに肉体年齢が進んでいるように見える。艶やかな黒髪には白髪が混じり、笑みを浮かべる顔にもシワが多く見える。歳を取ったのだろうか。しかしそうなると、なぜそんなことになるのか。

 ハリーが絶えることのない疑問に苛まれていると、ベラトリックスがうずくまる暖炉のすぐそばで緑色の炎が燃えあがる。煙突飛行の炎だ。そこから鼻歌交じりで歩きだしてきたのは、おそらく魔法省の職員らしき赤いローブの魔法使いである。ポニーテールの青年は今日の予定を確かめているのか、手帳を覗き込んでいる。しかしふと隣から視線を感じて目を向けてみれば、そこには床に座り込んだベラトリックス・レストレンジがいた。青年は声にならない悲鳴をあげて、腰を抜かしてその場に座り込んで後ずさりをする。彼の視線がダンブルドアを見つけて驚きに見開かれ、ハリーを見つけて疑問に首を傾げ、そして次に上機嫌で笑みを浮かべるヴォルデモートの顔を見て、ついに甲高い悲鳴をあげて失禁した。

 彼の悲鳴を合図としたかのように無事だった暖炉から連続して緑色の炎が燃え上がり、色とりどりのローブを着た魔法省職員たちが暖炉から出勤し、かつてはきらびやかで誇りを感じたであろうアトリウムの惨状に気づいて唖然とする。そして誰もがダンブルドアとハリーに気づいて驚き、誰もがベラトリックスとヴォルデモートの姿を見て続々と失禁し次々と腰を抜かした。

 ハリーとダンブルドア、ヴォルデモート以外の全員が床に座り込み、ベラトリックス以外は股間を濡らしている中でヴォルデモートは冷たい笑い声を漏らす。魔法省がヴォルデモートの復活を認めていないことは、英国魔法界にて周知の事実だ。当然ヴォルデモートもそれを知っている。失禁して座り込む職員体の中から目ざとく目当ての人物を見つけたヴォルデモートは、にこやかな笑みを浮かべて挨拶をした。

 

「やあ。おはよう、ファッジ」

「ヒィーッ」

 

 掠れた悲鳴と股間の湖の増量で帝王の挨拶に応じたファッジは、ひっくり返って少しでもヴォルデモートから遠ざかろうと這って後ずさる。その様に大笑いしたヴォルデモートの笑声は、幾人もの魔法省職員を恐怖で失神させた。

 気分よく笑い終えたヴォルデモートはダンブルドアへ視線を向けて嘲笑すると、次にハリーへ目を向けて優しく微笑んだ。ハリーは帝王のその表情に、自分など敵とさえ見なされていないことに気づき、泣きたくなるほどの怒りと力不足を痛感する。

 

「それではな、ハリエット」

 

 そう一言だけ残し、ヴォルデモートはローブをひるがえすと、排水溝に吸い込まれる水のように渦巻いてその場から消え去る。ベラトリックスもそれに合わせていつの間にかその姿を消しており、大広間は恐怖ですすり泣く職員の声と、できれば正体を知りたくない水音で支配される。

 床に転がるファッジの隣で、ポニーテールの青年職員がしゃくりあげながら声を漏らした。

 

「れ、『例のあの人』だ。ぼ、僕、見ちゃった。だ、大臣。あ、『あの人』です……」

「み、み、みみみ、見た。ウィリアムソン、わ、わわわ、私もみみみ見たたたた……」

 

 かろうじてウィリアムソンという職員の声にこたえたファッジは、呆然としてアトリウムの惨状を見上げる。現職魔法大臣が描かれる巨大なタペストリーが――今代の魔法大臣は彼だ――見るも無残なぼろきれとなっているのをみて、情けない声を漏らす。ついでに股間からも追加で漏らした。

 ダンブルドアが杖を一振りすると、アトリウムを支配していたアンモニア臭がさわやかな石鹸の香りに変わって彼らを清潔にする。ひどい臭いに顔をしかめていたハリーも、ようやく綺麗な空気を吸うことができた。そして同時に、もうヴォルデモートはいないのだと実感し、ハリーもまた緊張の糸が切れてどっと汗をかき、貪欲に空気を求めて呼吸をする。

 

「ハリーや、よう生きていてくれた」

「ダンブルドア先生。……アー、すみません、勝手な行動を」

「よい、よいのじゃ。友を救うための行動を、どうして責められようか」

 

 思い出したように謝罪をするハリーに対して、ダンブルドアは優しく微笑んで彼女の頭をなでた。いくらフェンリール・グレイバックにいつ咬まれるともわからないチョウ・チャンを一刻も早く救うためとはいえ、生徒四人を引き連れて死喰い人うごめく魔法省まで乗り込んだのだ。それは決して褒められる判断ではなかったはずだが、ダンブルドアは行動がもたらしたかもしれない悲劇よりも、その行動理由に目を向けていた。

 その場に座り込んだハリーを見つけたファッジが、何が起きたのかを問いかけようと近寄ってくる。しかしダンブルドアが彼女の前に出てきたことで、彼はたじろいでその場でまごついた。

 

「ハリーや、とにかく君は休みなさい。いますぐホグワーツへ戻りなさい」

「先生。シリウスは……」

「そのことも含めて、君にはきちんと話す。君の友達もすぐに連れていくからの。わしの部屋でバーティボッツの百味ビーンズでも食べて、待っていてくれると嬉しい」

 

 ハリーの問いかけを遮るように、ダンブルドアは会話を続ける。うっかりしていた、魔法省職員が勢ぞろいしている中でシリウスの話題を出すのは賢明ではない。彼はイカれた大量殺人犯であり、ハリーの命を狙っているのだ。魔法省によれば、死喰い人の大量脱獄も隣人がうるさいのも英国料理がひどいのも、全てシリウス・ブラックの仕業なのである。

 ダンブルドアが杖を一振りして、ハリーの隣に立つ黄金の魔法使い像を『移動キー』に変えてしまう。それを見たファッジが法律違反だと咎めるも、しかしこの一年間ヴォルデモートの復活を拒否していた手前、ダンブルドアに大きなことは言えないことに気づいたらしく、徐々に声は小さくなっていき、しまいにはごにょごにょと唇を動かすだけになってしまう。

 ここでこれ以上何かを話そうにも、魔法省職員の耳が邪魔になってしまう。ハーマイオニーとロンも、ダンブルドアが連れ帰るというのならば、ほかに言うことはない。ハリーは一刻も早く、シリウスの無事について知りたいのだ。

 隣で手を差し出して待っている黄金像の手に自信の手を乗せると、ハリーはへその裏側を引っ張られたような感覚を味わう。ファッジやダンブルドアがぐにゃりとひん曲がって消え去ると、くしゃくしゃにした紙を広げたようにホグワーツ校長室の風景が目の前の広がった。

 黄金の魔法使いがハリーの隣で床に跪いて、元のポーズをとる。他の銅像から離れて一人だけで誇らしげに折れた杖を掲げる姿は、あまりにも滑稽であった。

 

『おや、ハリー・ポッター。ここには校長以外は入れぬはずだが?』

 

 頭上から聞こえてきた声に目を向ければ、フィニアス・ナイジェラスの肖像画が欠伸を噛み殺しながら話しかけてきていた。何と答えた物か迷うものだが、ハリーの目下の心配は肖像画の歓心を買うことではなくシリウスの無事である。

 ダンブルドアに送ってもらったことを示すため『移動キー』としての役目を終えた黄金像を指させば、不満げではあるもののフィニアスは納得したらしく大人しく黙り込んだ。ハリーは校長室のソファへ乱暴に座り込み、背中に鋭い痛みを感じてうめいた。どうやら神秘部の天井を突き破った際にどこかを痛めたらしく、姿勢が悪ければずきずきと痛み続けるらしい。

 マダム・ポンフリーの世話になるだろうことを考えながらも、ハリーはひたすらにダンブルドアのことを待ち続けた。ハリーとフィニアスの会話から赤鼻の魔法使いを描いた肖像画がダンブルドアが帰ってくることに気づいたようで、喜びの声をあげていた。

 

『ダンブルドアは君のことを孫娘のように可愛がっていた。やれハリーは優秀な魔女だ、やれハリーは友達と仲良くやっているようだ、なんてね。きっと誇りに思っているに違いない』

 

 照れくさい感情を持ちながらも、ハリーは暖炉を見つめ続ける。ハリーはダンブルドアのことを苦手としているが、同時に偉大な魔法使いとしての尊敬と信頼は持っている。その傑物に、そういう風に思われているなどと。ちょっと、いや、かなり嬉しい。ハリーはこの場にダンブルドアがいなくて、心底よかったと思えた。

 しかしハリーは、学年末にはいつも困難な問題が降ってわいてきて、そのどれもが自分の生き死にに関わるものだったことを思い出す。それによって学年末はマダム・ポンフリーと共に保健室で過ごしてダンブルドアと色々お話をするのが毎年のイベントだったはずだが、こうして別の場所にいるのは初めてな気がしてきた。そんな余計なことを考える時間が生まれてくる頃になって、校長室の暖炉からエメラルドグリーンの炎が燃え上がる。ハリーが百味ビーンズの箱から手を離し、その奥からブルーのローブを着た老人が姿を現したのを見て歩み寄る。

 

「ダンブルドア先生」

「ハリーや、待たせたの」

 

 微笑んだダンブルドアが暖炉から出てくれば、肖像画の歴代校長たちが一斉に彼の帰りを歓迎する。アンブリッジによって校長職を追われて以降、帰ってくるのは久しぶりなのだろう。手をあげて彼らの声にこたえながら、ダンブルドアは自分の椅子に座ると、まるで老人のように一息ついた。もちろん彼は老人なのだが、それを感じさせない元気とお茶目さを有している。その彼がまるでただのジジイのように深く息を吐いたのだから、彼があの場に残って行った魔法省とのお話は、よほど疲れる類のものだったのだろう。

 

「さて、ハリー」

 

 ハリーがソファに座ったまま顔を上げれば、ダンブルドアは笑みを崩さず言う。

 

「ミス・グレンジャー、ミスター・ウィーズリー、それと双子のミスター・ウィーズリーたち、ミス・チャンも含めて、全員無事じゃ。ミス・チャンについては念のため、マダム・ポンフリーのもとで治療を受けておるが、何も後遺症などはない。騎士団ではトンクスとハワードが聖マンゴへ入院したが、意識もはっきりしておる。すぐ退院するじゃろう」

「……無事でよかったです」

「うむ。特にミス・チャンが無事でいたのは、君の判断のおかげじゃ。君が即座に助けに行ったからこそ、彼女はフェンリール・グレイバックに咬まれずに済んだと言ってもよい。君は無謀だったと自分を責めるかもしれないが、あれは英断じゃよ、ハリーや」

 

 ダンブルドアの言葉を聞いて、ハリーはソファへ深く座りなおす。元々はチョウ・チャンを助けに魔法省へ向かったのだ。彼女が無事であったことは、間違いなく朗報である。神秘部の大広間に置いてきてしまったハーマイオニーとロンも、何事もなかったらしい。ドロホフに殴られた傷はあるが、マダム・ポンフリーの手にかかれば擦り傷のようなものだ。

 彼がローブを広げれば、中から成鳥のフォークスが飛び出して止まり木に留まる。そうして眠そうにその場で目をつむると、全身を炎で包み込んで死んでしまった。それから間もなく、止まり木に設置された灰皿から、ぴぃと小さな声で鳴いて生まれ変わったフォークスの雛が顔を出す。ヴォルデモートとの戦いで彼も疲弊していたのだろう。それを見守ったダンブルドアは、ハリーに顔を向ける。それに対して彼女も真剣な顔で向き合った。

 

「シリウスのことじゃ。彼は意識不明であり、聖マンゴへ入院しておる」

「……生きてるんですね?」

「そうじゃ、彼は生きておる。……そう言っていいじゃろう」

 

 ダンブルドアの含みを持たせた物言いに、ハリーは片眉を上げる。

 ハリーはシリウスが生きていることに疑問を持っていない。助けることができたと確信しているからだ。記憶の中の映像が妙に乱れてはいるものの、それは目の前の老人に問うとしても、間違いなく彼は石造りのアーチをくぐっていないのだ。だから彼は死んではいないはずである。鼻を殴り折られた程度で死ぬような男ではないのだ。

 あの石造りのアーチが何なのかは、ハリーにはよくわからない。だがフェンリール・グレイバックという例があった。あのアーチを超えれば、まず間違いなく生物は死ぬ。その原理はよくわからないが、あのアーチは危険な代物だった。死そのものを鋳つぶして固めたようなモノなのだろうとハリーは予測している。そしてそれは、きっと間違ってはいないだろう。

 

「詳細は未だ検査中じゃ。……しかしおそらく、シリウスは下半身不随になるじゃろう」

「は? えっ、いや、……はぁ?」

 

 下半身不随。それは、近接型の魔法使いとしての彼が再起不能であることを示している。

 フィニアス・ナイジェラスが、その言葉を聞いて片眉をあげる。彼にとってシリウス・ブラックは曾々孫であり、自身の末裔である。それが半身不随となれば、黙ってはいられないのだろう。

 一体どういうことなのか。ワームテールのパンチが彼の脳を変な風に揺らしたとでもいうのだろうか。ハリーは医学はもちろん癒学にも明るくないため、彼の身に何が起きたのかはよく分からない。下半身不随くらい、マダム・ポンフリーなら即座に治せそうなものなのだが。

 

「いや、ダンブルドア先生。ぼくは、シリウスをあのアーチへ通しはしなかったはずです」

「そうじゃ、それは確かじゃ。しかしハリーや、おそらくシリウスの下半身……腰まではアーチの向こうへくぐっていたはずなのじゃ。あらゆる治癒魔法が通じない。癒者曰く、まるで死人に魔法をかけているかのような手応えとのことじゃ」

「でもッ、ぼくは見ました! シリウスは、間違いなく、アーチを越えてはいない!」

 

 ハリーの甲高い叫びに、ダンブルドアは重々しく頷く。

 シリウスの靴くらいはヴェールに触れたかもしれないが、しかしアーチは越えてはいないはずなのだ。足首ひとつ、越えていない。それはハリーの強化された目で、間違いなく見ているのだ。あのアーチを越えさせてはならないと、ハリー自身まるで強迫観念のように必死に思っていたのだから、見間違えたなどということはない。

 

「しかしハリーや、わしはシリウスの現状を推測した。そしてきっとそれは、間違ってはいないはずじゃ」

「推測……」

「さよう」

 

 ハリーの言葉に、ダンブルドアは短く返す。そうして語るのは、ハリーの常識では考えられない言葉であった。

 

「ヴォルデモートが時間を戻す術を持っていることは、君もわかっておろう。わしとの戦いの中で、あやつはおそらく、三度ほど。短い時間ではあるが、確実に巻き戻しておるはずじゃ」

「……倒したと確信した直後に、前の状況に戻っていたとかですか?」

「君の言う通りじゃ。あやつがどれほど巻き戻せるのか調べる必要はあるが……、まあそれは今はよい。つまりじゃ、ハリー。少なくとも、戻される前の時間で、シリウスの身体が石造りのアーチを通った可能性がある」

 

 ふざけた理屈だ。

 ヴォルデモートがいったいどういう原理で時を巻き戻しているのかは知らないし、そもそも本当に時間を巻き戻しているのかどうかさえ分からない。しかし本当に時間が巻き戻っているのならば、巻き戻る前に起きた出来事は、巻き戻った後の世界ではすべてなかったことになるはずだ。非常にややこしいが、その理屈はおかしくはないだろう。

 だというのに、時間を巻き戻す前の時間軸での出来事が、今でも影響する? わけがわからなかった。

 

「人の死は、やりなおせん。これは絶対じゃ」

「シリウスは死んでない」

 

 ダンブルドアの断言するような言葉に対して、ハリーは反射的に言い返す。しかしハリーの怒りさえ込められた言葉に帰ってきたのは、悲しそうな彼の瞳だった。

 

「いいや。石造りのアーチを越えてしもうた部分は、間違いなく死んでおる。いまは最新の癒術で状態の進行を止めておるだけで、きっと放っておけば彼の下半身は死後硬直を起こし、そして腐敗してしまうじゃろう」

「そんな、バカなことが……」

「荒唐無稽じゃろう、しかし事実なのじゃ。もちろん、下半身がそういうことになれば上半身も無事ではいられん。……わしらは、シリウスという頼れる戦士を失ってしまったのじゃ」

 

 ハリーはいつの間にか流していた汗が、頬を伝って顎から滴り落ちたことに気づかなかった。シリウスが再起不能になった。それはつまり、ハリーでは彼を助けることができていなかったということだ。

 悔しさのあまりハリーは強く歯ぎしりをして、ぎちりと音を立てる。砕かんばかりに食いしばって、そして、力が抜けてソファへ深く座り込んだ。その様子を見守っていたダンブルドアが彼が目を覚ませば見舞いに連れて行くと約束してくれたので、ハリーはなんとかそれに対して頷いた。

 彼は死んでいない。それだけは良いことだ。だが、下半身不随というのは、いくら何でも致命的である。いくら魔法界が治療方面に置いてとんでもない技術力を持っているとはいえ、下半身を動かせない人間を戦闘できる状態にまで持って行けるかという問いには、迷わずノーをつきつけられる。

 あれだけあっさりと、彼が戦闘不能になるとは思ってもみなかった。シリウスをそういう現状に追いやったピーター・ペティグリューへの殺意があふれ出るが、しかしその気持ちは、いまはしまっておいた方がいい。忘れるわけではない、本人を前にして解放すればいいだけだ。それまでは心の奥底でただただ煮詰めるのみ。より濃くしておけばいいのだ。

 

「……夏休み、いつでもシリウスに会えるよう漏れ鍋で過ごしても?」

「申し訳ないがハリー、それは許可できん」

 

 なんとか怒りと憎悪を抑え込んで激情を飼いならしたハリーは、ダンブルドアの言葉で再び小屋の中で暴れ始めた激情犬を必死になでつける。

 

「いつだったか雑談の中で話したのう。君の母君が、君にかけた守りの魔法がその理由じゃ。あれは血縁者の近くに一定時間いなければ、その護りは効果が薄れてしまうのじゃ」

「……そういえば、そんな話もしたような気が」

 

 だからと言ってダーズリー家に喜んで戻りたいかといえば、答えは当然ノーだ。

 ペチュニアとは最近仲がよく、普通の叔母と姪の関係でいるはずである。ボクシングの英国チャンピオンになって精神的に大人になったダドリーとも、比較的良好な従兄妹関係を維持できているはず。バーノンは知らん。……いや待て、思ったより関係性が悪くないぞ。それに気づいたハリーは、ダンブルドアに気づかれぬよう愕然とした。あれほど虐待同然の扱いを受けておいて、それほど悪く思っていないなど、ありえぬ。そんなのは『まともじゃない』。

 

「そういえば死喰い人たちが襲撃して来た時のことですけど、バーノンおじさんがぼくを追い出そうとして、ダンブルドア先生はそれに対して吠えメールを送りましたね」

「そうじゃな。きみを引き取る際に、わしはペチュニア夫人と約束をした。それを思い出させる必要があったんじゃよ」

 

 確かに、あのとき吠えメールの言葉を聞いたペチュニアがバーノンを抑えなければ、バーノンは確実にハリーを追い出していた。それくらいはやる男だ、あのバーノン・ダーズリーという男は。

 またあの家に帰らなければならないのかと落胆すると同時に、ハリーはダンブルドアからの視線を感じた。どうやら、まだ聞くべきことは多くあるようだった。体は疲れ果てて睡眠を欲していたが、ハリーはそれを意思の力でねじ伏せる。

 いま必要なのは、睡眠ではなく情報だ。

 

「ダンブルドア先生、予言のことなんですけれども」

「うむ、聞いてくれるじゃろうと思っておった。ヴォルデモートが君に取らせた予言じゃな」

「はい……あの男が自分の手で砕いてしまったんですけど」

「……ほう?」

 

 ハリーは、ダンブルドアのブルーの瞳がきらりと光ったのを見た。この老人がこういう目をしたときは、決まって彼の頭の中で自分には思いもよらない考えがめぐらされている時だという事を、ハリーは知っていた。

 ダンブルドアの促しに従い、ハリーは魔法省へ赴いてからヴォルデモートと会話をするまでの状況を説明する。ルシウスの卑劣で狡猾で巧妙なる罠によってハリーが予言の玉を奪われた段階になると、微笑まれながらルシウスと同じことを注意されてしまう。もう少し表情を操る練習をした方がいいのかもしれない。

 ヴォルデモートが予言の玉を取り出し、ハリーとドラコの関係性について朗々と語った段階までダンブルドアに話すと、彼はうなった。

 

「やはり。ミスター・マルフォイもまた、あやつが造りあげた……いや、調整した生命だったか。もしやとは思っておったが……」

「思ってたんですか」

「正直言って、確証はなかった。君のように、元となった人物がいるわけではないからの。……もちろん、ドラコ・マルフォイの元となったのがスコーピウス・マルフォイであることは理解した。無論、ヴォルデモートが真実を語っていればの話じゃがの」

 

 なかなかにややこしい話だが、本来ルシウスとナルシッサ・マルフォイ夫妻との間に生まれる子供は長男ただ一人であり、ドラコと名付けられる予定の男の子であった。そこにヴォルデモートが手を加え、ナルシッサの胎内で眠る胎児を『調整』、帝王の望む能力を持った子供を誕生させた。その際になぜか双子となり、二人の男の子が生まれる。そして長男にドラコ、次男にスコーピウスと名付けた。

 双子になった理由は、ヴォルデモートでさえ分からない。彼はさして問題視してはいないようだが、ここはダンブルドアも彼に同意した。そもそも人間を生まれる前から『調整』する魔法など存在しえず、ヴォルデモートが開発した代物であるため、彼が分からなければ誰もわからないのだ。

 予言の内容について、ダンブルドアはもうひとつの予言があると言って自身のこめかみに杖先を押し付けた。『憂いの篩』にその銀色が投入されると、篩の中からもやもやした人影がその姿を現す。ハリーはその人影に見覚えがあった。ヴォルデモートが見せた予言の玉から出てきた人物と同じだ。こうして落ち着いて見てみれば、占い学のシビル・トレローニー教授であることが分かる。

 

『オォ……闇の帝王を打ち破る者が生まれる。七つ目の月が死ぬとき、帝王に三度抗った者共の間に生まれ落ちるだろうォウ……。しかして帝王は死せず……深淵たる魔の術は、純血の姫を創りあげる……心せよ、心せよ……姫君は闇の太陽に成り得る……ォオオ、太陽は帝王を照らすか、帝王を焼き尽くすか……全ては姫君の御心のままに……』

 

 片眉をあげて予言を聞くハリーは、その姫君とやらが自分のことを指していることに気づいていた。ルシウスはきっと、この予言を知っていたのかもしれない。だからこそ初対面から紳士的に対応してきたのだろう、抜け目のない男であるからして、ヴォルデモートが復活した場合も復活しなかった場合も、どうとでも動けるようにハリーに対して接していたのだと思う。

 ダンブルドアに視線を向けてみれば、彼は頷く。

 

「悲しいことに、ハリーや。君はどうにも他者の思惑によって心を左右される傾向にあるらしい。難しいことやもしれぬが、しっかりと自分の意志を持つことじゃ」

 

 予言ではハリーはヴォルデモートの利になるか、ヴォルデモートの敵になるかといった事が言われていた。しかしハリーはすでに、ヴォルデモートへの復讐心を持っている。自分を過酷な運命へ導いた男。自分の大切な友達を殺した男。自分を造り上げ、すべてを捻じ曲げた男。

 

「言われなくとも。ぼくは、ぼくです」

「その意気じゃ」

 

 おそらく、と前置きを付けることにはなるが。

 ハリーはたぶん、『生き残るはずだった方のハリー・ポッター』に関しても何かがあったのだと思っている。ヴォルデモートが予言について話していた時に言った、「ハリー・ポッターはヴォルデモートを斃す子」という言葉からくる、ただの想像だ。それが具体的にどういったものなのかまでは分からない。実際にハリー・ポッターは生き残れず、ハリエットが造りだされている。リトル・ハングルトン村での戦いで、ヴォルデモートの杖から直前呪文で逆流してきた死者の中に、赤子の彼がいたのだから死んでしまっていることは間違いないのだ。

 しかしそれは、限りなく実現してほしい言葉だ。ハリーは、何が何でもヴォルデモートを斃す。やっつける、ブチのめす。予言の確実性などハリーは全く信用していないが、それだけは絶対に実現させる。

 ブルーの瞳をきらめかせるダンブルドアに向かって、ハリーは心の中でそう宣言した。

 

 

 また一年が終わる。

 ハリーは医務室から退院したハーマイオニーとロンとともに、大広間へ向かっていた。彼らは大きな怪我こそなかったものの、それでもドロホフに殴られたことでロンは鼻の骨が折れていたし、ハーマイオニーに至ってはドロホフに腹を殴られた際に肋骨がいくつも折れていたようで、マダム・ポンフリーの治療を必要としたのだ。

 

「朗報よ、ハリー」

 

 日刊予言者新聞を広げながら歩く彼女は、その内容をハリーへ見せつけてくる。

 ヴォルデモートの復活を主張するハリーやダンブルドアのことを、ありもしない妄想を騒ぎ立てる頭のおかしいやつら扱いをして誹謗中傷ばかり書いていたので読まなくなってしまったのだが、ファッジ自身がついに帝王復活を目撃してしまったので、認めざるを得なくなったのだろう。実際、保健室でハーマイオニーらと話をしていた時にファッジ本人がホグワーツへやってきて、涙ながらに頭を下げて絶叫するかのような謝罪を述べにきた。あまりのやかましさにマダム・ポンフリーが追い出してしまったが、根が善人寄りで小心者な彼のことだ、権力に固執してハリーやダンブルドアを攻撃していたことを後悔したのだろう(特に後者が理由だろう。彼は大臣就任直後はダンブルドアへ崇拝に近い尊敬を抱いていたとのことだ)。ハリーが保健室から出てくるまで、扉の前でずっとDOGEZAを行っていた。

 正直に言って、その情けない姿を見てしまえばファッジへの怒りもしぼんでしまう。それにこれから先、ずっと罪悪感にかられてハリーへ謝り続けるファッジに付き合うのも面倒くさかったので、彼女はファッジからの謝罪を受け入れた。そうすると、それはそれで、何と優しい子なんだと泣き崩れてしまった。その様子を遠巻きに見守っていたダンブルドアも、ハリーが許したことで満足そうに微笑んでいた。クソ面倒くさい。

 

「朗報って?」

「アンブリッジが逮捕されたわ。聖マンゴの隔離病棟に入院しているけれど、最終的には彼女もアズカバン行きよ。はっはァー、ざまぁみろっつーんだわ!」

 

 そりゃそうだろう、とロンが頷く。

 生徒への許されざる呪文の行使、生徒への理不尽な体罰、生徒へのあらゆる犯罪行為。おまけに知らなかったとはいえ死喰い人をホグワーツへ迎え入れて、生徒の拉致事件の発端となったのだ。ウィゼンガモット大法廷では満場一致で彼女に有罪判決を下したらしい。

 ハーマイオニーの言葉を聞いた二年生のナタリー・マクドナルドが嬉しそうな声をあげて大広間へ駆けだし、ハーマイオニーの言葉を大声で叫んだのが聞こえる。そうすると大広間からは爆発したかのような歓声が飛び交った。アンブリッジの不幸を喜んでいる声だろう。今からあそこへ行くのは遠慮願いたい気分だ。

 新聞にはアメリア・スーザン・ボーンズへのインタビュー記事で、ありとあらゆる罵詈雑言が書かれていた。魔法省内でも評判がよろしくなかったようで、日刊予言者新聞はアンブリッジ批判記事ばかり載せている。ハリーが読む限り哀れなガマガエルについて新たに知ることができた情報は、アンブリッジが高級紅茶でうがいをしているいけ好かない女ということだけだった。

 

「……」

 

 ハリー達が大広間へ入ると、歓喜にむせび泣く生徒たちが大勢いた。よっぽどアンブリッジの不幸が嬉しいらしい。ハリーは目を背けた。

 そして目を背けた先で、こちらを物凄い形相でにらみつけているスコーピウスの姿を見つけてしまう。死喰い人が大勢逮捕されたことで、ハリーが気に入らないのだろう。新聞でも神秘部での出来事が書かれており、一部のポッターファンはハリーを英雄視している。ルシウスは逮捕されなかったようだが……あの場にいたことは、ハリー達が証言している。時間の問題かもしれないが、彼は口達者な男であるからして、おそらくまた罪に問われないような気がする。

 それよりもハリーは、スコーピウスの隣でグレセント・クライルを話をしているドラコの方へ目が向いた。ヴォルデモートの言葉を信じるならば、彼もハリーの同類である。そして帝王が婚姻させようとしている、という少女漫画もびっくりの運命を持つ少年だ。

 自分へ向けられている視線に気づいたドラコがこちらを振り向く前に、ハリーは急いで目をそらした。彼を尊敬すべき向上心の塊として見ているハリーとしては、彼を恋愛対象に見ることはできない。けれども、いまは彼と話したくはなかった。

 ダンブルドアが一年の挨拶をする。魔法省での話をするだろうかと思っていたが、案外彼は沈黙を守った。ハリーがそれに安心した瞬間、夕食がテーブルクロスから湧いて出る。今学期ホグワーツで食べる最後の食事だ。ダーズリー家で食事に期待することはできないので、ハリーは喜んでローストチキンを皿に盛りつけ、溢れ出る肉汁ごと頬張った。

 

 ホグワーツ特急でハリーは、ジニーやネビルと共にコンパートメントを占領しようとして失敗した。フレッドとジョージ、リーがなだれ込んできたのだ。

 つい先ほどまでチョウ・チャンとマリエッタ・エッジコムが、数時間も涙ながらにハリーへ感謝とキスとハグの雨を降らせてようやくコンパートメントを去っていった後なので、ちょうどよかった。三人を歓迎すると、双子が嬉しそうに口を開く。

 

「ハリー、俺たちダイアゴン横丁に店を開くんだ」

「悪戯用品専門店さ。その名も『ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ』! 僕たち三人で開業するから、ぜひとも来てくれよな」

 

 前々から二人が語っていた、悪戯アイテムを販売する店だろう。

 夏休みの予定はシリウスへの見舞いくらいなので、ハリーは快くオーケーする。彼女は商売について詳しいわけではないのでよくわからないが、確か店を開くにあたってはお金が必要なはずだ。常識外れの魔法界にあっても、それは変わるまい。資金源について聞いてみると、双子はにやにや笑いながら言った。

 

「ルード・バクマンさ」

「あれ、バグマンって二人と賭けをしていたんだよね」

「そう! それで僕たちが勝ったのさ。でもあんのオヤジ、支払いを渋ってやがった。だぁーがしかし、今回の件で心を入れ替えたファッジが一喝したんだよ! 子供と賭けをするとは何事かーっ、なんてね。見直したぜ」

「それでやっこさん、俺たちに支払ったのさ。本来払うべき金額よりもかなり上乗せしてね! これもファッジだよ、一年以上待たせたのだから相応に上乗せすべきだってね」

 

 なんともまぁ、裁判でハリーを貶めようとしていたファッジはどこへ消えてしまったのだろう。ホグワーツから去る前に読んだ日刊予言者新聞では、ファッジは近いうちに職を辞すとのことだった。いくらなんでも今回の彼の行動は許されるようなものではなく、魔法省に居られるだけ御の字と言ったところである。彼が大臣でなくなる前に、自分がやったことへの片づけを済ませるつもりなのだろう。この前プライベートで送ってきたふくろう便の手紙には、そんなことが書いてあった。

 それでもやはり彼らにはお金が足らないため、いろいろな友人からお金を投資してもらっているそうだ。その言葉を聞いて、ハリーも乗った。幸いにしてハリーには、六大魔法学校対抗試合で得た莫大な優勝賞金がある。ヴォルデモートが復活した以上、かつての魔法対戦次代のように暗い事件ばかりが起きるようになるだろう。なればこそ、『ウィーズリー()ウィザード()ウィーズ()』はこの英国魔法界に必要な存在となることは目に見えている。あれだけのお金は使いきれないため、ポッター家の金庫で死蔵するより、よほど有効活用できるだろう。

 

 九と四分の三番線に降りたハリーは、ネビルとリーに別れを告げて、ジニーとフレッド・ジョージと共に監督生用のコンパートメントにいたハーマイオニーやロンと合流する。

 六人で魔法障壁を通り抜けると、そこには予想通りウィーズリー家のみんなとグレンジャー夫妻が待っていた。それに加えて驚いたのは、闇払いのグリフィン隊に加えてムーディまでが勢ぞろいしていたことだ。

 我が子を抱きしめたモリーは、続けてハリーにも熱烈なハグをお見舞いする。無事に聖マンゴから退院したトンクスとハワードも、ハリーにハグとキスをプレゼントしてきた。

 

「びっくりした。どうしたのみんな?」

「んふふー。ハリーぃ、ちょーっとダーズリー家に釘を刺しておこうと思ってですねぇ」

「そうそう! あいつらめちゃくちゃじゃない? だから、ちょこーっと。ね?」

 

 キングズリーに頭をなでられながら、ハリーが問えばハワードとトンクスが上機嫌に返事をする。前回の夏休みでハリーに対する仕打ちが、どうにも彼らにとって腹に据えかねたらしい。

 ビデオテープについてグレンジャー夫妻へ深淵な質問を終えたアーサーがムーディと頷き合い、ホームの端っこで戦々恐々としているダーズリーたちへ歩み寄る。バーノンは一気に青ざめ、ペチュニアは早くも現実逃避して地面にこびりついたガムへ興味深そうに視線を落とした。ダドリーはアーサーやトンクスたちはビビりながらも恐れることはなかったようだが、ムーディの顔を見て限界を迎えたようで、その青い魔法の目から逃れようと必死になっていた。

 

「こんにちは、ミスター」

「……覚えているぞ。ハリーを迎えに来て我が家をぶち壊した、ふざけた男だ」

 

 ハリーはバーノンの啖呵に感心した。

 アーサーがダーズリー家の暖炉を魔法で吹き飛ばした光景を覚えているだろうに、よくもまぁそこまで言えるものである。ひょっとしたらハリーと同じように学校の外では魔法を使えないと思っているのかもしれないが、もちろんそんなことはない。そもそもアーサーは目の前で魔法を使っていたというのに、都合よく忘れたようである。

 バーノンの言葉を気に入ったのは、大人たちの中ではムーディだけだったようだ。

 

「威勢のいい豚だ」

「ぶ……失礼ですぞ!」

「おうとも、失礼しておる。貴様がハリーに対して礼を失している限り、我々も一切あんたらを尊重する気はない」

 

 さらりと告げたムーディに対してバーノンが反論しようとにらみつけるものの、ぎょろぎょろとうごめく魔法の眼球と目が合って、バーノンは見る見るうちにしぼんでいった。

 熱心にガムを見つめ続けるペチュニアに対して、ハワードが言う。

 

「もしハリーが虐待を受けているとわかればぁ、まあ、その時はどうなるかおわかりですよねぇ。ムカデでもハエでも、好きなモノへ変えてあげまぁす。豚には……もうすでになっているようですがねぇ」

「まて、小娘! きさま、脅迫する気か!」

「ウス」

「ウッス」

 

 バーノンの鋭い叫び声に、マグルの通行人がぎょっとして目を向ける。ボーンズ兄弟がしれっと肯定したことで、さらにバーノンは怒りの奇声を上げた。近寄ってくるマグルたちの中に警官が混じっていることに気づいたハリーは、バーノンの強かさに再び感心した。しかしそれに対してウィンバリーが軽く杖を振るえば、途端に彼らは興味を失って歩き出してしまった。その様子を見て、バーノンは仰天して狼狽える。ハリーはバーノンの情けなさに感心した。

 彼の様子を見てにっこりと微笑んだハワードはおどろくほど美人ではあるが、目が全く笑っていない。小柄ながらバーノンの顔すれすれまで近づき、囁くように言う。

 

「その通りですよぉ。手足もがれねぇだけ有難く思えや」

 

 ハワードの甘い声が急にどすの利いたものに変化したことでバーノンが奇妙な悲鳴をあげて後ずさり、ダドリーにつまずいてすっころぶ。ペチュニアがようやく顔を上げたその目の前には、しかめっ面をしたムーディがいた。ひぃーという悲鳴が彼女の唇から漏れる。

 

「ハリーからの連絡が三日以上途絶えれば、我々がお宅へお伺いします。そうですね、箒に乗って。派手に音楽でもかき鳴らしながら参上いたしましょう」

 

 アーサーがにこやかにそう言えば、その時の光景を想像したらしいペチュニアが涙を流す。ご近所に見られれば、彼女のもっとも気にする『まともなダーズリー家』という評判は終わりを告げるだろう。

 ハリーをイジメ抜いてきた一家が散々な目に遭っている姿を見て、フレッド・ジョージが大笑いする。ハーマイオニーがそれを咎めるものの、どうも本気ではないらしい。友人たちが自分を思ってくれることに、ハリーは少しだけ心があたたかくなった。

 次々とダーズリー家を脅しつける彼らを尻目に、ルーピンがハリーの黒髪を撫でる。

 

「きっとシリウスは回復する。そうだろう、ハリー」

「……そうだね」

「夏休みに、聖マンゴへ見舞いに行こう。連絡を待っていてくれ」

「……必ずだよ」

 

 そう優しく微笑む彼の顔は、いつにもまして疲れているように見える。

 それもそのはずだ。親友がもう二度と歩けないかもしれないのだ。生きているだけ儲けものとは言うだろうが、しかし活発なシリウスのことをよく知る彼にとって、それがシリウスにとってどれほどつらいものなのかはよく分かっているはずだ。

 

「必ず、シリウスへ会いに行く」

 

 そう言うと、ハリーは踵を返す。

 去ってゆくハリーに向けて、ハーマイオニーとロンが、夏に会おうと言ってくれたので後ろ手に手を振って返事をした。バーノンが慌てて自分の車に乗り込み、ハリーはダドリーと一緒に意識がもうろうとしているペチュニアの手を引いて車に向かって歩みを進める。

 やるべきことは多く、そして待ち受けるものも同じく多い。来年もきっと、大変だろう。

 それでもハリーの心の中には、シリウスの無事を願う気持ちでいっぱいだった。

 他のことは、今は何も考えたくない。

 

 




【変更点】
・お辞儀、永遠の生を得る方法を見つける
・グレイバック死亡
・お辞儀「計画通り!」
・ドラコ・マルフォイは人造生命?
・ワームテール大活躍
・お辞儀「ようこそお辞儀の世界へ」
・ルシウス逮捕ならず
・シリウス生存? 聖マンゴへ入院。


【オリジナルスペル】
「コンフリンゴ・ドゥオデキム、粉微塵になれ」(初出・60話)
 連爆呪文。爆破呪文『コンフリンゴ』の上位魔法にあたる。
 ベラトリックスの改造呪文。連続して強力な爆発を繰り出す戦闘用魔法。

「プロテゴ・ウェルテクス、受け流せ」(初出・60話)
 盾の呪文。流れるように動き続ける盾。衝撃をそらす目的で使われる。
 元々魔法界にある呪文。習得難易度はかなり高く、ハリーは苦労して覚えた。

「レガトゥス・ラエトゥス・ファクシミレ、安らかに」(初出・原作『不死鳥の騎士団』)
 無機物護衛化呪文。生命を持たない物へ疑似生命を与え、護衛になってもらう魔法。
 1945年、ダンブルドアが開発。グリンデルバルドとの戦いの中で編み出した。

「フォルトゥス・フォルトゥーナ・アドウァート、殺せ」(初出・映画『不死鳥の騎士団』)
 空間制御刺突呪文。効果範囲内の無機物を刃物状に変身させ、対象を貫く魔法。
 1975年、ヴォルデモートが開発。数多くの闇払いを葬った甚振るための呪文。

「ウイタエ・アエテルナエ、永久に眠れ」(初出・60話)
 封印金鎖呪文。内部と外部を遮断する魔法。自力での脱出は不可能なはずだった。
 1897年、ダンブルドアが開発。学生時代の思い付きで造った魔法を研鑽させ実用的にした。


シリウス生存! ……かな?
彼の今後についてはかなり悩んだ結果、死亡は避けました。今後の彼にご期待。
コメント欄に何人か予言者の方がいらっしゃいましたが、その通り、ドラコ・マルフォイもまたハリエットと同じくお辞儀が造りあげた(調整した)人間です。これも彼の初登場時から決めておりました。だから双子だったんですね。予言者の方々には死喰い人を送り込んでおきます。
今回の『不死鳥の騎士団』で、原作とは明確なズレを見せてきました。次回からは、ハリポタ二次でもっとも難しい(と個人的に思っている)章である『謎のプリンス』がはじまります。ハリエットにはどんどん大変な目に遭ってもらいますので、頑張ってくださいネ。


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