やはり俺の隣の席は色々とまちがっている。【完結】 作:秋月月日
学園カーストの上位層の主要メンバーが何故か集まってしまった二年F組の窓際の席に座っている彼は、今日もいつも通りに腐った瞳で人間観察に勤しんでいた。あぁ、またあの女王が威張り散らしてるなー、とか、今日も世界は不平等だなー、とか――とにかくこの世の不条理を心の中で嘆いていた。
比企谷八幡は悩んでいた。
基本的に地味で目立たないカーストの下位層に属している彼は教室内では基本的に大きな行動をとらない。山のようにどっしりと、自分の席でただただ平和な日々を過ごす――それが比企谷八幡の日常だ。
しかし、そんな彼にも、いくつか悩みがある彼にも、ここ最近はトップレベルですぐに解決したい悩みがあった。それは他の生徒達が抱いているのかは不明な問題だが、少なくとも、比企谷八幡という人間にとってはとてつもなく大きい問題だった。
その問題が発生するのは、基本的に授業時間だ。
しかも最悪な事に、担当の教師が誰であろうと関係なく発生する問題だったりする。
そういう訳で、本日最後の授業である六限目。
比企谷八幡はいつも通りに『隣の席の少年』の様子をちらっと横目で確認した。
消しゴムでドミノを鋭意制作中の少年が一人。
いやマジで、何で授業中にそんな派手な事をしてるんだよ!
死んだ魚のような目を珍しく見開きながら、八幡は教科書を読むふりをしながら隣の席の少年を横目でまじまじと見つめる。
その少年は、八幡と同じベクトルで目立たない容姿をしていた。無造作な黒髪は目が隠れそうな程に長く、小柄な体躯は前の席の男子の背中で完全に隠れてしまっている。中性的な顔立ちはその少年の特徴を大きく消失させてしまっていて、いつもは眠たげな目が今回ばかりは真剣一色に染まっている。
その少年の名は、
名前だけなら凄く格好いいが、容姿は自身の特徴を消失させてしまうかのように微妙で地味なアンバランスなその少年こそが、比企谷八幡をここ最近苦しめている大きな問題の元凶だったりする。
良夜に関して八幡が苦しめられている理由は、至って簡単。――授業中に机の上で真剣に遊ばれるとひやひやするよね? って話だ。
根は真面目な八幡は当たり前だが授業を真面目に受ける生徒だ。無論、成績もそれなりに上位ランクに位置している。そんな彼が隣で盛大に遊ぶ同級生を目撃したら、そりゃあ動揺してしまうのは仕方がない事だろう。
「…………」
コトッ、と良夜は慎重に消しゴムを置く。机の上には既に蛇のような長さで消しゴムが配置されている。まだ授業が始まってから二〇分ほどしか経っていないというのに、良夜の机は消しゴムでいっぱいになっていた。ほぅ……こりゃあ随分な超大作だなぁ。
(って、感心してみてる場合じゃねえだろ! これ、流石に倒したらばれちまうって! そして見ていた俺も巻き添えくらって一緒に怒られるって流れになっちまうに違いない! いつも貧乏くじばっかり引かされる奴は、基本的には不幸になるのがお決まりなんだ!)
地味で目立たない青少年特有の悩みに頭を抱える八幡に気づかない良夜は、ただマイペースに消しゴムを置いて行く。これが一番後ろの席だったらまだ安心できたのだろうが、八幡たちがいるのは前からも後ろからも真ん中としか数えられない列である。ぶっちゃけ、これで先生にばれない方がおかしいのだ。
だが、大隣良夜は一度もこの遊戯を注意されたことが無い。
このクラスの担任である平塚先生はおろか、他の全ての先生からも注意されたことが無いのだ。
(その隠密性は十分に尊敬するが、だからといってその蛮行を許容する訳にはいかねえんだよなぁ)
っつーか、ただでさえ目立たない俺よりも目立たねえってどういう事だろ。ステルスヒッキー以上のステルス能力とか、それはもはや異能でしかねえと思うんだけど。
そして更に凄い事に、良夜は他の生徒達から全くと言っていいほどに感心を向けられないという特性を持っている。普通に考えて授業中に毎回毎回遊んでいたら、クラスのお調子者たちにダル絡みをされてしまうものだ。彼らは物珍しい事に集まる習性を持っているため、その最悪な運命は基本的には避けられない。
しかし、大隣良夜は自分の世界を守り続ける事が出来ている。
その大きな理由として、良夜の性格が関係している。
性根が腐っている事を自負している八幡が言えるような事ではないのだが、この大隣良夜という少年は基本的に自分が興味を持った人以外には極端に冷たい傾向にある。というか、良夜が他人と話している姿なんてほぼ見たことが無い。
良夜は自分に絡んで来ようとする人間を視線で威嚇し、絶対に自分に近づかせないようにする。それはまるで縄張りを守る動物の様で、コミュニケーション能力が必要とされる人間社会では絶対に必要のないスキルだ。
あえて言おう。この少年は比企谷八幡に匹敵する程に性格が歪んでいる、と。
「…………ふぅ」
(いや、なにやり切った顔で一息吐いてん――って凄ぇええええっ!?)
キラキラと顔を輝かせている良夜の机に拡がるは、ありとあらゆる文房具を駆使して創り出された超特大の仕掛け入りドミノ。一体何個の消しゴムを使っているのか、ドミノ以外の装置――橋や階段などにも大量の消しゴムが使われている。馬鹿だ、コイツは稀代の大馬鹿野郎だ……ッ!
ずどーん! と教科書を読むふりをしていた八幡に衝撃が走る。授業中という緊迫したこの状況下でここまでの装置を創り出す事が出来ているこの同級生に、彼は戦慄までもを覚えてしまっていた。気のせいか、良夜の机の上の大発明を見て、教室中が静かにざわついている。
と。
生徒達のざわつきが耳についたのか、黒板にチョークを走らせていた教師が後ろを振り返ってこう言った。
「おい、何かあったのか?」
「…………ッ!」
装置を載せたボードを神速で机の陰に隠す馬鹿が一人。
『『…………いえ、何でもありません』』
「ん……そうか。授業中は静かにするように」
「…………ふぅ」
ボードを神速で机の上に戻す馬鹿が一人。
『『『(まだ諦めないのかこの大馬鹿野郎はぁああああっ!?)』』』
クラス一同騒然だった。なんかもう、どうしようもない馬鹿がいた。
先生からの注意が逸れたことでドミノの最終調整に入り始めた良夜に、八幡は大量の冷や汗を掻く。この馬鹿は逆に天才なのかもしれない。かの大発明家トーマス・エジソンも子供時代は問題児だと言われていた訳だし、この考えはあながち間違っていないのかもしれない。いや、間違ってるね授業中の遊戯は流石に駄目だよね。うん、ちゃんと分かってた。
頬を引き攣らせつつも、八幡は良夜の様子を窺う。それは他のクラスメートたちも同様で、いつもはバラバラの二年F組が今この瞬間だけは一致団結していた。なんだこれ、昭和の青春ドラマの展開なの?
そして、その瞬間はやってきた。
「………………っと」
ポンッ、と良夜がスタート地点の消しゴムを人差し指で倒したのだ。
(ッ!? 始まった!)
先ほどまで色々と言っていたが、やはりドミノの行方は気になる八幡。後方で同じ奉仕部の由比ヶ浜結衣が「おおお……!」と声を出してしまっている事なんか気にしない。今俺は、隣の奇跡に夢中なんだ!
カタタタタタッ、と消しゴムが勢いよく倒れていく。
『3』の字のような急カーブ。
階段を上って橋を通過し、再び階段を下って行く。
鉛筆を回して遠くの消しゴムを倒し、定規によって作られた坂を消しゴムが滑って行く。
滑り降りた消しゴムが次の消しゴムを倒し、ピラミッド状の消しゴムを上から順番に倒していく。
(な、なんか思ってた以上に一大スペクタクル!? これは流石の雪ノ下も驚いちまうんじゃねえか!?)
あのクールビューティなユキペディアさんの驚く姿が目に浮かぶよう――いや、アイツの驚いた姿なんてほとんど見たことねえから想像もつかんわ。由比ヶ浜の方だったらいくらでも頭に浮かぶんだがな。
そんな事を考えている内にも、良夜のドミノは終盤へと差し掛かる。
螺旋状の階段を上り、滑り台を滑って再び机へ。
そこからまた普通のドミノが始まり、その先には最後の大がかりな仕掛けである――
(――う、打ち上げ花火、だと!? 流石にそれはヤバいだろ!?)
『夜空に一発大輪の花!』と書かれた円柱型の花火が今だけは銃よりも恐ろしく見えてるわ。いや、本当、大隣、お前……なめとんのか。
流石に授業中に打ち上げ花火はやべえって! そんな騒音と光の応酬をどうやって教師から隠し通す気だよ!?
驚愕と動揺に襲われる八幡。どうやらそれは他のクラスメートたちも同じようで、「だ、誰か止めなよ……」「い、いやでも、大隣ってなんか怖いしさ……」と小声で話し合っていた。ええいくそ、俺が止めるしかないってのか!?
「…………お、おい、大隣。流石にそれはヤバ――」
「(ギンッ!)」
「――お、落とした消しゴムは何処に行ったかな、うん……」
無理です。こんな凶悪な睨みには俺なんかじゃ勝てません。
何やってんのヒッキー!? と後ろの方で騒いでる奴は気楽でいいよな、とか思いつつ、八幡は教科書に顔を埋める。こうしている間にもドミノは最後の打ち上げ花火へと着々と近づいている。このままでは、本気で大変な事になってしまう。
しかし、八幡は止める事が出来なかった。
誰に求められることなくドミノは進み、そしてついに、最後のドミノが倒れた。
直後。
『『『ッ!?』』』
二年F組全員が机に体を伏せた。
……。
…………。
………………。
……………………しかし、一向に花火の音が響かない。
そーっと、八幡は教科書から顔を上げ、大隣の方を確認してみる。
「…………ッ!」
キラキラ笑顔でガッツポーズをしている大馬鹿野郎の姿があった。あーなるほど、花火は想像にお任せしてるわけですか。こっちの心配とか恐怖なんて、端から考えてねえ訳ですか。ふざけんな!
クラス全体がどうしようもない程の微妙な空気に包まれる中、六時限目終了のチャイムが鳴る。
「それじゃあ、今日の授業はここまで」と教室を後にする先生などには気づかない二年F組の生徒達は怒りに満ちた視線を良夜に送るが、良夜はお構いなしとばかりにドミノグッズを鞄の中に仕舞い込んでいる。
と、そこで。
長い髪をポニーテールに纏め、細身の長身でスタイル良好な女子生徒が良夜の頭を軽く叩いた。
この時の八幡はまだ知らないのだが、この女子生徒は川崎沙希と言う、まぁ俗に言う不良生徒の一人だったりする。
周囲の視線を一身に浴びている事には気づいていない沙希は恨みがましく睨んでいる良夜の頭をもう一度軽く叩く。
「痛っ」
「……今日も馬鹿な事をやってたから、これはお仕置き」
「だからって叩くことなかろうに……んで? 今日もこれからアルバイトか? 大家族の長女は大変だねぇ」
「あんたが大志たちの面倒を見てくれてるからまだいい方さ」
「あーはいはい。それで、俺に何か用?」
「そ、それは、その……きょ、今日はバイトまでまだ暇があるから、さ。あ、あんたと一緒に帰りたいなぁ……なーんて」
「ツンデレ乙」
「ぶっ飛ばすぞ!?」
「はいはい、照れ隠しはいいからいいから。それで? 一緒に帰るんだろ? それなら沙希、さっさと帰ろうぜ」
「あ、おいコラ良夜! あたしが誘ったのに置いて行くなぁーっ!」
トタタタタッ! と小走りで教室から去って行く二人を茫然と見送り、近くに由比ヶ浜が近づいてきている事にも気づかない比企谷八幡は二人が出て行った教室後方の出入り口を死んだ魚のような瞳で睨みつけ――
「リア充爆発しろ」
「ヒッキー本気過ぎて怖いよ……?」
――今日も彼の青春ラブコメは理不尽でいっぱいだ。
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