籠中艶妻記~大貴族の娘と結婚したら、美しい上に聡明で、夫の豪商がすっかり夢中になってしまう話   作:高田正人

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第20話:棋戦

 

 

◆◆◆◆

 

 

 リーシアと瑪妃の棋戦は、宮中の大広間で行われることになった。仙道連の頂点である太師の作とおぼしき印紙が起動し、床にマス目が描かれる。向かい合うリーシアと瑪妃の脇に置かれた盤と、床の巨大なマス目は同期している。床のマス目に幻像の駒が浮かび上がった。それぞれが立体的な兵士や騎馬、猛獣の姿をしている。

 

 さらに、床のマス目の周囲に山河と風雲が水墨の表現で描き出され、動いていく。とてつもない額の金が使われた遊戯だと分かる。まるで、天人の住まう天上をこの宮殿に再現したかのようだ。

 

「さあ、始めましょう」

 

 瑪妃は無邪気に笑うと、自分の陣地の駒を進めた。同期して大広間の床の幻像が動き、同時にリーシアの手元の盤の駒も動く。

 

 ――初めて、私はリーシアが棋戦で押されているのを見た。私を相手取るときは余裕綽々といった感じで盤面を支配するリーシアが、瑪妃を相手に次の一手を決めかねている。

 

「猟犬を使い、穴から兎を追い立てる」

 

 瑪妃はそう言うと先鋒を敵陣に突撃させる。リーシアが応じる。けれども、間髪入れずに右翼から次の攻撃が始まった。

 

「波濤に水夫は逆らわず、水は高所から低所へと流れる」

 

 大広間に瑪妃の手が再現されていく。防壁を築こうとするリーシアの出鼻が次々とくじかれていく。私はうなった。剣の達人同士の立ち会いを見る気分だ。私を圧倒するリーシアが、瑪妃に対しては防戦一方だ。明らかに手を抜いた接待ではない。瑪妃の方が棋戦においては遙かに格上だった。

 

 ここでリーシアは反撃に出た。今までのような形式を捨て、本気で活路を見いだそうとする。

 

「あら、面白いわね」

 

 およそ瑪妃の次の一手が読めない。リーシアの必死の戦法に対して、瑪妃は丁寧に整えられた眉をわずかに上げる。

 

「然れども――乾を旋らし坤を転ず」

 

 しかし、リーシアのその反撃はまるで空を掴むかのようにあしらわれる。

 

「鏡花水月。虚は実、実は虚。そうでしょ?」

 

 リーシアがうつむいた。彼女の布陣が崩されていく。いつの間にか、高官たちもこの一局に目を奪われていた。女官たちが囁き交わし、皇帝は満足げに瑪妃を見ている。

 

「ねえ、ここで終わりじゃないでしょ? 私、もう少しあなたと遊びたいわ。だって、同じ師から棋戦を学んだ弟子同士ですもの」

 

 瑪妃は優雅にそう言うが、リーシアは返答もできずに盤面をじっと見つめて息を荒げている。まるで、本物の軍を率いる将軍のような重圧感を感じているのだろう。

 

「あ~あ、ちょっと残念。この辺りが限界かしら」

 

 瑪妃の言葉に、リーシアがわずかに身をすくめた。私は我慢できずに、慎重に状況を見計らってから口を開いた。

 

「――恐れながら、陛下。お願いが一つございます」

 

 高官たちと女官たちがざわめいた。

 

「申してみよ」

 

 皇帝が鷹揚に応じた。

 

「ありがたき幸せに存じます」

 

 伏して一礼してから、私は続ける。

 

「皇后様の抜きん出た技量に、私の妻はかなり押されている様子。もしよろしければ、側にいてやりたいと思うのですが、お許しいただけないでしょうか?」

 

 私の申し出に、皇帝は悩む様子もなくすぐにうなずいた。瑪妃も同様にうなずいた。

 

「うむ――許す」

「ええ、いいわよ。ここで駄目になったらつまらないもの」

 

 瑪妃は大広間に展開した幻像から目を離して、私を見た。

 

「さあ、あなたの大事な人の隣に行ってあげなさい」

「ご温情に感謝申し上げます」

 

 瑪妃の声音は穏やかで優しかった。

 

(ただのわがままで遊び好きの小娘……ではないようだな)

 

 そう思いつつ、私は立ってリーシアの座っている場所まで近づき、隣に座った。

 

「ユエン、どうして……」

 

 リーシアがちらりとこちらを見て囁く。

 

「君が困っているのを見て放ってはおけない」

 

 とは言ったものの、私は棋戦については素人だ。気の利いた助言の代わりに、私は彼女の手を握った。

 

「ちょっと……対局中よ」

「片手でも駒は打てるだろう? それとも邪魔だっただろうか」

 

 リーシアが私をじっと見たので、私も臆せずに見つめ返す。折れたのはリーシアの方だった。

 

「……別に。そこにいてもいいけど、絶対に話しかけないで。気が散るから」

「もちろんだ」

 

 しかし気のない言葉とは裏腹に、リーシアは私の手を強く握りしめた。

 

 リーシアが静かに盤面を見つめた。その片手が駒を動かす。死中に活を求める動きだ。

 

「そう。それが正解。楊師ならそうするもの」

 

 瑪妃が余裕の笑みを見せた。再び戦線が構築され、駒による剣戟が交わされる。瑪妃の変幻自在の妙手は変わらない。しかしリーシアの方に変化が生じた。虚実を見分け、罠を躱し、反撃の糸口を探る。

 

「やだ、生意気」

 

 瑪妃の主力の精鋭を撃破したとき、彼女が声を上げた。一瞬、私は瑪妃の勘気に触れたのかとひやりとした。しかし、瑪妃は皇帝に言う。

 

「爸爸。こっちに来てよ。応援してくれないと、私負けちゃうかも」

「おお、なんてことだ。もちろんだとも、私の可愛い宝玉よ」

 

 いそいそと皇帝は瑪妃の隣に座る。すぐに彼女はしだれかかった。

 

「瑪妃、がんばるのだぞ。お前が勝つところを朕に見せておくれ」

 

 瑪妃は満面の笑顔でうなずく。

 

「うん、がんばるわ! 見てなさい、夫婦の情の深さなら負けないんだから」

 

 リーシアが、まるで競うように私の手を強く握る。私も彼女の手を握り返した。あたかも皇帝の軍と戦うかのように、私たち夫婦は盤上を介して壮の頂点と対峙していた。

 

 ――結局、リーシアは瑪妃に勝てなかった。

 

「――私の負けです」

 

 ついにリーシアは対面する瑪妃に平伏した。

 

「あははっ、とっても楽しかったわ。今までで一番面白かったかも。ねえ爸爸? いっぱい二人を誉めてあげてね」

 

 対する瑪妃は上機嫌だった。

 

「ああ、そうするとも。お前を楽しませたのだ。最高の栄誉を与えてやろうではないか」

 

 かくして私たちは、式辞を終えた後も賓客として王宮でもてなされることとなった。これはもしかしたら、長ったらしい賛辞か、欲しくもない贈り物の山、あるいは食べきれないほどの美食が列をなして届けられるのかもしれない。私は内心ため息をついていた。壮に忠誠を誓う貴族ならば栄誉かもしれないが、私の家は壮に恩のない商家だ。

 

 むしろさっさと帰りたかったというのが本音である。まったくもって瑪妃の気まぐれに付き合わされるのはうんざりする、と思っていたのだが。――その夜のこと、私とリーシアはそれぞれ別の部屋に泊まっていたのだが、私のところに皇帝の使者が来た。皇帝曹白が、豪商とはいえ歴史の浅い淘家の三男如きに、わざわざ会いたいと言ってきたのだ。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

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