籠中艶妻記~大貴族の娘と結婚したら、美しい上に聡明で、夫の豪商がすっかり夢中になってしまう話   作:高田正人

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第21話:皇帝

 

 

◆◆◆◆

 

 

「淘圓来、お招きいただき光栄に存じます」

「うむ――来たか」

 

 皇帝がいたのは夜の庭園だった。役人に案内された私がそこに来たとき、彼は隣国から輸入された鯉が泳ぐ池を眺めていた。印紙を入れた提灯によって周囲は柔らかく照らされ、物音はほとんどなく静かだ。

 

「ここは朕の私的な庭だ。外のあれとは異なるだろう?」

「はい。外の庭園は瑪妃のために造られたと聞いております」

「そうだ。世俗にはああいった、一目で分かるものを作っておく必要がある。民が平伏するのは力と形ときらびやかさだ。だがその根底に仁愛がなければならぬ」

「陛下が国のことを熟慮されておられることは、国民も気づいていることでしょう」

 

 私の社交辞令に、皇帝は首を左右に振った。

 

「よせ。淘家の息子よ。元よりお前の家は壮に恩義などないではないか。むしろ、龍に食われたのがお前たちの土地であり、家名であり、伝統であるはずだ」

 

 皇帝は率直にそう言う。私を糺弾しているのか、それともただ事実だけを口にしているのか。私は皇帝の顔を、無礼と思われぬ程度に見る。ふくよかなその顔には、取り立てて怒りの感情はない。

 

「私たちは過去のしがらみのために生きているわけではありません」

 

 私は少し悩んだ末、思ったままを口にした。確かに淘家は壮の支配に甘んじた。その決断は忸怩たるものだっただろう。だが、それは先祖の思いだ。私の思いではない。今の私は取り立てて壮は好きではないが、だからといって先祖の怨恨を引きずって目が曇りたくはない。

 

「商人らしい答えだ。それでよい」

 

 それだけ言うと、皇帝はそれ以上追求しなかった。

 

「お前の妻はよい妻か?」

 

 話題が変わったことにほっとしつつ、私は即答した。

 

「心からそう思います。リーシアは美しく、賢く、心根の優しい女性です。彼女の夫であることを、私は誇らしく思います」

 

 これについては、私は本心からそう言えることを嬉しく感じる。

 

「昼間のお前たちを見て、その言葉が偽りではないことは分かるぞ。瑪妃もお前たち二人の仲睦まじい様子に少しだけ妬いたらしい。ははは、大したものだ」

「ありがたく存じます」

 

 瑪妃を溺愛している皇帝がそう言ったことに私は少しひやりとしたが、幸い彼が急に気色ばむことはなかった。皇帝は笑いを止め、静かに歩き出した。私はその後に続く。

 

「お前も人の上に立つ者だ。お前は商会の屋台骨となり、朕は壮という国の頂点に座す。故に分かるだろう――人は、驕慢になるものだ」

 

 皇帝は私を見ずに淡々と語る。

 

(巷で言うような暗君ではないようだな)

 

 私は内心でそう判断する。権力の座につくものが決して避けられない思い上がりと慢心。それを皇帝自らが口にするとはむしろ驚きだった。

 

「陛下は、そのようなことはないかと」

 

 だが、私は即座に社交辞令として否定する。

 

「なぜそう思う? 答えよ」

「壮は太平です。国家は栄え、役人に不正はなく、軍人は勇敢で強く、農民は土地を豊かにし、そして私たち商人は各地の産物を遠方まで安全に売りに行ける。天の許しと陛下の御威光がなければ、この繁栄はありません」

 

 もっともこれは本音でもある。今の壮が退廃していれば、私たち商人としては儲からない。この点は確かにありがたい。

 

「朕は父と祖父の遺したものを継いだにすぎぬ」

 

 私の列挙した壮の素晴らしさに、皇帝は取り立てて感じ入ることはなかった。自分の業績に酔うことさえないその姿は、昼間見た瑪妃と戯れる姿とはあまりにも対照的だった。

 

「淘圓来。もし朕がお前の妻と朕の妻を取り換えよ、と命じれば従うか?」

 

 だが、皇帝の次の言葉に私は息が止まった。皇帝はリーシアを私から取り上げる気なのか? しかもその代わりに瑪妃を私に下賜するのか? まさに暴君そのものの言葉に、私は体が震えるのを感じた。どんな難しい商取引でも、感じたことのない恐怖が這い上がってくる。

 

「――伏して、お考え直して下さるようお願い申し上げるしか」

 

 それは皇帝が恐ろしいからではない。リーシアのことを思ったからだ。私の妻が、無理矢理引き離される。私はその心痛を何とか呑み込むことができるだろう。だが、リーシアがそのことでどれだけ悲しむか思うと、それは自分がどうにかなる以上の恐怖だった。

 

「皇帝の命である、と言えばどうする?」

 

 私は目の前が暗くなるのを感じた。皇帝には逆らえない。それは皇帝が絶対的権力者であること以外にも、私とリーシアを引き合わせたのが皇帝自身であるという事実も加味したからだった。皇帝が結び合わせた縁だ。それを解くことができるのも皇帝だろう。しかし、私は絶対にリーシアと別れたくなかった。

 

「答えずともよい。そこで悩むのが男である。朕はただ問うただけだ」

 

 私の情けない姿を見たからか、すぐに皇帝は前言を撤回した。私はほっとして大きく息をついた。身が竦むほどの恐怖を感じたのは初めてだった。それほどまでに、私の中でリーシアという女性の存在は大きくなっていたようだ。いつの間にか、一心同体と言えるほどに。

 

「しかし、もし同じ問いを朕が瑪妃に言ったとしよう」

 

 皇帝はさらに私に言う。

 

「奴はきっと朕を蒙昧な暗君と罵り、平手で朕の頬を張るだろう。しかしそれでも無理強いするなら――早晩奴は毒杯をあおって死ぬに違いない。毒を持ってきた侍女も殉死するだろう」

 

 恐ろしいことを平然と皇帝は口にした。

 

「朕は龍ではない。人である以上道を踏み外すこともあれば、驕り高ぶることもある。そんな時、はっきりと諫めてくれるのが妻なのだ」

 

 皇帝は静かにそう語る。昼間見た暗君の姿はそこにはない。自らが龍ではない故に過ちを犯すことを認め、そしてその間違いを正してくれる妻に感謝しているその姿は、一人の男性として魅力のある威容だった。

 

「皇帝としてではなく、同じ夫として、男としてお前に命じる。妻を己の如く大切にせよ。その言葉に耳を傾け、心より慈しむように。そうすれば――お前は必ずや成功することだろう」

「至言、心に刻みます」

 

 改めて私は皇帝の前にひざまずく。

 

「うむ。朕もお前と妻を引き合わせることができたこと、嬉しく思うぞ」

 

 顔を上げた私に、皇帝はわずかに笑みを見せた。

 

「ところで、だ。お前の妻も今頃瑪妃の私室に招かれているだろうな」

「な、なんと――よろしいのでしょうか?」

 

 私は驚いた。もっとも、リーシアは大貴族の娘だからそつなく振る舞うだろうけれども、それにしても皇帝夫妻の大らかさには驚かされるばかりだ。

 

「ははは。よいよい。久しぶりに瑪妃も棋戦で同じ土俵に立てる打ち手と出会えたのだ。もうしばらく付き合わせることを許せ」

 

 上機嫌で皇帝は私にそう言うと、少しだけ困った顔で続けた。

 

「ちなみに、朕は棋戦は恐ろしく苦手だ。何度瑪妃と盤面を囲んでも、まるで赤子のように一ひねりされる」

 

 どうやら、私と皇帝に共通点が一つ増えたようだ。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

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