―――アイの1回目のドーム公演から3年が経過した。
…あの日、アイの曇らせを見て死んだと思っていた俺は生き残り、退院してからは以前と変わらず家事育児の手伝いをしながら斎藤夫妻、そしてアイと双子の子供、アクアとルビーと一緒に暮らしていた。
アクアとルビーは無事に小学校へ入学し、それなりに楽しそうな毎日を送っている。アクアはちょっと同年代との接し方に悩んでいるようだが、ルビーは毎日が幸せって感じで家でも楽しそうにしている。
斎藤夫妻は相変わらず夫婦って感じではないが、仕事の上では最適なパートナーだったんだろう。苺プロダクションの規模が大きくなるにつれてどんどん仕事が増えているが、抜群のコンビネーションで切り抜けている。
アイも変わらず…いや、年々アイドルとしての実力に磨きをかけ、さらには業界関係者の多くと良好な関係を築いている。とはいえ、アイドルとしての寿命が間違いなく近づきつつあるので、今後は女優としての仕事を優先していき、ステージ上でのライブはだんだんと減らしていく予定のようだ。
忙しいが、おおむね平穏で、心安らかな毎日…まったく問題がなかったと言えばそうではないが、それでも幸せな生活を送ることが出来ていただろう。
…普通の人にとっては。
俺にとっては曇らせを見ることが幸せなのだ。それも推しの曇らせならなお良い。にもかかわらず、今の生活では周りの人間はみんな幸せそうな顔をしてばかりで、とてもではないが曇らせを補給することが出来なかった。これほどの屈辱があってよいのだろうか。
だから俺は以前から少しずつ準備を進めていた、とある計画を実行に移そうとしている。
とある計画…ずばり『結婚』である。
この計画は、アイが俺に対して恋愛感情を抱いていることに気づいたことをきっかけとして考えたものだ。愛する姉が男とイチャイチャ新婚生活している様子を見せつけることで、アイの脳を破壊しようというものだ。
とりあえず1年くらいはアイの曇らせを堪能出来ると思うが、さすがにアイも慣れてしまうだろう。濡れ場を見せつけたり、子供を作ったりして定期的に刺激していく必要がある。
すでに結婚候補は決まっている。相手はアクアとルビーが通っていた幼稚園の先生で、まさかの俺と同じ高校出身…それどころか3年間それなりに絡みのあった同級生である。
どうも当時から俺に片思いしていたらしく、アクアとルビーの送迎の際に再開してからは向こうからいろいろと話しかけてくるようになったのだ。ひとまず最初の1年間は他の候補と見比べて、こいつに決めてからはその後の2年間、少しずつ距離を詰めていった。
焦ってはいけない。アイに感づかれたらさすがに邪魔されるかもしれないし、同様にアクアとルビーにも知られたらまずいだろう。
斎藤夫妻には相談という形でこっそり話をしている。二人は俺の恋路(笑)を応援してくれており、『アイには結婚が決まったらサプライズで伝えたい』というと快く協力してくれた。
ただし、結婚した後は斎藤夫妻とアイたちが暮らしている家の隣にある空き家を新居にして、今後も家族として長く付き合っていきたい、という旨の話をされた。
俺にとっては好都合だ。隣の家なら新婚生活のあんなことやこんなことを存分にアイに見せつけることが出来る。
準備は整った。
幸いというべきか、今のアイは芸能活動でとても忙しい。貴重な休日も出来るだけ子供たちと過ごすように言って、俺は何かと理由をつけて家を空けるようにしている。
おかげで同級生とも何度も会って仲を深めており、どちらも交際を言い出してはいないが、事実上の彼氏彼女の状態になっている。
これから斎藤夫妻も交えてうちの事情を話す必要もあるが…まぁ、こいつなら大丈夫だろう。少し気弱だが真面目で優しい、芯が通った男だ。
昔は『寝取られゲーの寝取られる主人公みたいだな』とか思ってすまなかった。
さあ、平穏でつまらない毎日とはおさらばだ!
これから毎日、アイを曇らせようぜ!
◇◆◇
「アイ、ちょっといいかしら」
それは朝食を終えてからのこと。姉が神妙な面持ちで話しかけてきた。
(なんだろう…この感じ…)
胸がざわつく…冷や汗まで出てきた。
病気?…そんなわけない、忙しい時こそ体調には気をつけろって社長が言うから、健康診断だってきちんと受けているし、今日はお休みだけど子供たちとたくさん遊ぶから、昨日だって早めに寝たんだ。
「どうしたの?あ、そうだ。お昼はみんなでピクニックにでも行こっか?社長たちも今日は家にいるらしいし」
「話があるの。斎藤社長もミヤコさんも一緒よ」
「…」
「大事なことなの…私と、あなたの人生にとっても、とても大事なこと」
そう話す姉の顔は、頬が薄っすらと赤くなっていて…まるで、まるで―――
◇◆◇
あれからのことはよく覚えていない。
いや、はっきりと思い出すことは出来るんだけど、その話を聞いていた時の自分が何を考えていたのかがわからないのだ。
夢でも見ているみたいだった…
(お姉ちゃんが結婚…結婚…結婚…)
姉が男の人と結婚する。
式は挙げないようだけど、近々入籍することになっているらしい。社長もミヤコさんも以前から知っていたようだ。
相手はアクアとルビーが通っていた幼稚園の先生で、姉と同い年。お昼すぎにうちに来たけど、見た感じ悪い人じゃない。物腰柔らかで、優し気な顔をしている。イケメンではないけど、姉とはどことなく似通った雰囲気があって、二人が並んでいる姿は中々……
姉から話を聞いて、お昼に会いに来たその人の紹介を聞いている間、私の口は考えるより先に勝手に動いていた。
『お姉ちゃんおめでとう!』『私も嬉しい!』『星野アイです。これからよろしくね、お義兄さん』
(どうしてこんなことに…)
…私はどこで間違ったのだろう。
黒幕を探すために芸能界で力を持つ必要があった。そのために忙しくて、姉にも、子供たちにもあまり時間を取れなかったのはまずかったと理解している。
姉が私の知らない複数の男性と話をしていたことは、アクアとルビーが教えてくれた。でも、今までだってそういうことはあったし、結局は姉は普通に接しているだけだ。たまに異性として好意を寄せてくる人はいたようだけど、姉はそれをすべて断っていたと聞いたので、私は特に気にはしていなかった。
(お姉ちゃん…幸せそうな顔してたな…)
…あんなに幸せそうに笑う姉は見たことなかったから、素直に私も嬉しいとは思う。でも…
(なんで私じゃないの…なんであの人なの…)
…結婚を止める?説得でもなんでもして……何を言えばいいの、結婚を止める理由は?
相手は社長とミヤコさんも太鼓判を押すほどの人格者だ。本人には内緒ですでに身辺の調査もしていたらしく、後ろ暗いところは一切ない。責めるところが見つからない。
………私の想いを伝える?
(伝えて…拒絶されたらどうするの。万が一、告白が原因でこれからの生活に支障が出たら…)
だめだ。今は何も考えつかない。
それに、お姉ちゃんの幸せを私が邪魔するなんて…しちゃいけない。
頑張って耐えるんだ。耐えて…耐えて…
◇◆◇
(こういう生活も悪くないな)
俺が結婚してから3年の月日が流れた。
あの日、俺が結婚の話を切り出した時のアイの顔は今でも覚えている。
鳩が機関銃で爆散したような顔だった。
『もう顔も体もないやん』と思うだろうが、つまりは表情が一切抜け落ちた顔だったわけだ。それも一瞬だったが。
その後のアイは表面上はいつも通り…俺の結婚を好意的に受け止めて、さらには喜んでくれているようなリアクションだったが…俺にはわかる。あれは思考が停止して、肉体が完全にオートで動いている状態だった。その場に沿った、最適な動きをするためにアイの肉体が勝手に動いていたのだ。さすがは女優としても一流、といったところか。
あれからは話がトントン拍子に進み、俺は無事結婚。隣の家に移ってからも斎藤夫妻との関係は良好なままだ。アイは…最初のうちは以前と変わらぬ俺を見て安心したような反応をしていたが、俺が旦那といるのを見ると途端に様子が変わった。
憎悪、怒り、悲しみ、喜び、羨望、嫉妬
あらゆる感情がごった煮になったような、それはそれは素晴らしい顔だった。
あれだ。昔前世で流行ったヤンデレなCDの妹みたいな顔。
アクアとルビーに気づかれそうになって慌てて取り繕っていたが、俺の目は曇り顔を見逃さない。
新婚生活1年目のアイは内心が常に大荒れ状態だっただろう。それでも社長夫妻や子供を不安にさせないよう、仕事には影響が出ないよう必死に仮面を被っていた。いや、仕事に集中することで誤魔化そうとしていたのか。
その後も俺は、アイが現状に慣れることがないよう、定期的に刺激を与えていった。この3年間はまさに毎日が宝石のように輝いていて―――アイの顔は曇ったが―――俺は楽しい生活を送ることが出来た。
(俺は止まんねぇからよ…)
これからも、俺が立ち止まらない限り、曇らせは続く…
(さてと、今日はみんないないし…ん?来客か?)
呼び鈴が鳴ったので出ると、そこにはアイがいた。
どうやら突然スケジュールに穴が空いてしまったらしい。それほど長い時間ではないが、久しぶりに姉妹二人っきりで過ごしたいようだ。
…最近は曇らせてばかりだったし、たまには大好きな姉と過ごす『晴れ』の時間を与える必要があるか。
曇らせはある程度の緩急が大切なのだ。常時曇りっぱなしではなく、たまに晴れな顔を見ることが次の曇らせ顔を楽しむことに繋がる。
(あ、ケーキだ!これ俺の好きなやつ…気が利く妹でお姉ちゃん嬉しいよ…)
そうして紅茶とケーキを頂きながら、俺は久しぶりに妹との時間を楽しんで―――
◇◆◇
あ、ようやく起きた
お姉ちゃんおはよう!
…?
えっと、ここはどこかって聞きたいのかな?
一応都内にはあるんだけど、たぶん私と私の知り合い以外は知らない場所かな。あんまり詳しくは話せないんだ。ごめんね。
…!
体のこと?まだ薬の効果が続いているから、動けないよね。うまく喋れないでしょ?
お姉ちゃんが飲んだ紅茶に薬を入れていたの。臭いも味もしなくて、即効性のある睡眠薬。眠った後も追加で打ったし、体を動けなくする薬も使ったんだよ。
どっちも手に入れるのは大変だけど…今の私にはたくさん友達がいるから。
この場所も、お姉ちゃんを運び出すのも、みんなが協力してくれたんだよ!
…
手足は…その…ごめんね。こうするしかなかったの。お姉ちゃんとっても強いから、動けたらすぐに逃げられちゃうし…
でもほら、腕のいい人に頼んだから、痛くないでしょ?
…?
どうしてこんなことを…か。
私はお姉ちゃんが好き。愛してる…って突然ごめんね。でも私の気持ちを知ってもらいたかったんだ。これからのためにも。
お姉ちゃんが結婚して3年間…私は頑張ったよ。頑張って耐えた。
お姉ちゃんがあの人と楽しそうに話しているのも、キスしているのも…エッチなことしてるのも。
あの人、見かけによらず性欲強いんだね。毎日毎日…お姉ちゃんも随分楽しそうだったし。
…!?
全部知ってるよ。お姉ちゃんの家にはカメラつけてあるから。
お姉ちゃんって、人の気配には結構敏感だけど、機械にはあんまり強くないよね。
…
お姉ちゃんが幸せそうに暮らしているのを見て、最初は私も嬉しかった…と、思う。アクアとルビーの面倒を見てもらっていたし、これからお姉ちゃんが子供を作ったら私が子育てを手伝う番かなぁ、とか。家族が増えれば賑やかになって、もっと楽しくなるのかなぁって、前向きに考えようとした。
…
でも無理だった。
幸せそうに暮らすお姉ちゃんを見ていると、心の底からどす黒いものがどんどん溢れてくるの…止めようとしても止められない…
変だよね。お姉ちゃんが幸せなら私も幸せなはずなのに…
そうして毎日を過ごしていると、ある日気づいたの。
耐える必要ないな…って。
…
だってそうでしょ?
お姉ちゃんは私のものなんだから、私のものをどうしようと私の勝手。
人のものを勝手に取って行くあの男も悪いけどさ、ついていくお姉ちゃんも悪いんだよ?
ま、いいや。もうお姉ちゃんはどこにも行けないし。
これからは私がお姉ちゃんを独り占めしちゃうからね!
また施設にいた頃みたいに…ううん、あの頃とは違うね。私たちは恋人同士なんだから。
…!?
…私がお姉ちゃんを好きなんだから、お姉ちゃんも私が好き。そうだよね。
…
あ、そろそろ時間だ。入ってきていいよー
ん?この人たち?
私の友達だよ。これからお姉ちゃんのお世話をしてくれるから、いい子にして待っててね。
私は今は忙しいから、あんまり頻繁には会いに来れないけど…
…?
…あぁ、あの人か。別に何もしてないよ。ほんとほんと。
あの人、アクアとルビーにはよくしてくれるし、一応は身内だからね。
適当に慰めて、誰か次の人を紹介するよ。お姉ちゃんに似てる人がいいかな。
…
ってやばっ、ほんとに時間ないよ!早く行かなきゃ…
またね、お姉ちゃん…今度はいっぱい気持ちいいことしようね!
薬も道具もたくさんあるから!
…あの人のこと忘れるくらい、たくさん…
◇◆◇
『本日昼ごろ、都内に住む二十代の女性、○○さんが消息不明となりました。』
『女性は、人気アイドルグループB小町に所属しているアイさんのご家族ということで、アイさんの自宅の隣の家に住んでいたようです。』
『女性は昼に外出していた、という証言が近所の複数名の人から出ており、外出したまま戻ってこないことを、仕事から帰宅して不審に思った夫が警察に通報したことで事件が発覚しました。』
『女性は外出先を誰にも告げていなかったらしく、警察は―――
・オリ主
幸せになった人。
新婚生活については夫との『そういうこと』も含めてエンジョイしていた。毎日のようにアイの曇り顔を見ることが出来るし、幸せいっぱい…だった。
『今日はとっても楽しかったね。明日はもっと楽しくry』
最初はなんとかなると思っていたが、投薬と調教(意味深)によって狂っていき、『死のう』と思うことすら出来なくなり…考えることをやめた。
アイとのラブラブな生活を送ることが出来るから幸せ。
・星野アイ
幸せになった人。
頑張ったら耐えることが出来てしまった。しかしいつまでも耐え続けることは出来ず、ある日とうとう爆発した。
そこからはタカが外れてしまい、完全暴走状態に。着々と増やしてきた手駒を使って計画を立て、ついに実行した。
近所にいる人たちも全員グル。なんなら警察にも息のかかった人たちがいる。
事後処理を済ませたあとは、姉の消息不明にショックを受ける双子や斎藤夫妻に対処しつつ、今後も何食わぬ顔で暮らしていく。
真実の愛を得て、この上ない幸福を味わっている。