「転入生の受け入れ、ですか」
「そうだ。来週頭から一人来る予定になっていてな、受け入れと校舎の案内等諸々を頼みたいのだが」
春。始業式や入学式も終わり、桜が学生を優しく迎える季節だ。そんなある日、僕は校長室に呼び出されたかと思えば、開口一番雑用を頼まれていた。
「校長先生、それって一応は先生の仕事では? いや、校舎の案内とかは生徒がやるのかもしれませんが。受け入れって、生徒会とはいえ一生徒である僕に頼む仕事なんです?」
僕は顎の下で組んだ手を忙しなく組み替えている落ち着きのない校長先生にそう返す。どこからが顎でどこからが首なのか分からない、まるでハンプティダンプティが絵本から飛び出してきたかのような校長先生は、僕の言葉に額に伝う汗をハンカチで拭った。まだそこまで暑くも無いと思っていたけど先生にとってはもう汗をかくような季節らしい。
「そうは言うがね海藤君。君はそこらの大人よりもしっかりしているし、私としても頼りにしているんだよ」
それに今度の生徒は少し厄介な事情もあるし、とぼそぼそと呟いた言葉を僕は聞き逃さなかった。
「厄介な事情とは?」
「うぇ!? き、聞こえていたのかい」
「そりゃ目の前にいますからね……。個人情報とかプライバシーってことなら聞きませんけど」
「いや、いや、話しておこう。実はね、来週来る転入生は暴行事件を起こしていてな。保護観察中なのだよ」
それって思いっきりプライバシーなんだから話すべきじゃないだろうということを目の前の黄色いハンプティダンプティはあっさりと明かしてのけた。これが仮にも東京の進学校の校長か? いや、オフレコということなのだろうし、それを明かしてもらえるくらいには信頼されているのだとポジティブに考えよう。いくら信頼していても一人の生徒に別の生徒の重大な個人情報を明かすなよというツッコミは我慢した。
「……ハァ、分かりましたよ。じゃあ来週は校舎案内します。僕は授業に出なくても構いませんか?」
「あ、ああ、構わんとも。君の成績なら授業なぞ出なくても十分トップだろうからね」
どうせ断ったら校長の横にいる川上という女性教諭が受け入れ担当になるのだろう。見るからにやりたくないという雰囲気を出しているし、この分だと来週もそのまま出迎えそうなので僕が引き受けることにする。いくら前歴持ちだからって転校初日からあからさまに嫌がっちゃ駄目だろう。それで余計に問題行動を起こしたらどうするんだ。
「それじゃあ来週は生徒会室で待機してますよ。朝になったら校門まで出迎えに行きますんで」
「うむ、よろしく頼んだよ
その言葉を最後に、僕は息苦しい校長室を後にした。
例えば人生が二度あったとして、一度目の人生を朧気ながらも覚えていたとして。
そんなとき、人は二度目の人生をどのように歩むのだろう?
そんなことを考えてしまうのは僕がまさしく一度目の人生とでも言うべき記憶をぼんやりながら持ち合わせているからだ。とはいえ、その記憶が少々信用できないのだけれど。三軒茶屋が四軒茶屋だったり、青山が蒼山だったりと、僕の記憶と食い違うところが多々あるのだ。ならば全て僕の妄想なのかと思えば所々合っていたりと、何とも判断に困る。というわけで、僕はこの記憶についてはあまり深く考えずに日々を過ごすことにした。
とはいえ、深く考えないとは言っても小学生の時分にはこの記憶の影響でアイデンティティを確立してしまい、女子と遊ぶことを恥ずかしがる小学生ならではの感覚や、中学生で訪れる反抗期も消え去ってしまった。むしろ勉強するだけで褒められる学生という身分が楽しく、部活なんかにも精を出していたお陰で周りの大人から見れば素直過ぎる優等生だったことだろう。
そしてそんな僕は高校進学においては進学実績も良く、家からも近い、かつ入試成績で特待生になって授業料免除が受けられるという理由でここ、私立秀尽学園高校に進学を決めたのだった。
そんな僕が長々と自分の人生を回想しているのには理由がある。
「……来ない」
そう、転入生が待てど暮らせど来ない。隣に立っていた川上先生なんかは朝のホームルームがあるからと早々に引き上げてしまい、時刻は既に授業が始まっている十時。校長先生直々に授業公休の許可を得ているので授業に出ないことを焦っているわけではないが、ここまで来ないと自分が日付を間違えたか、あるいはあのイエローエッグおじさんに騙された可能性を疑いたくなる。
「駅からここに来るまでで迷ってるのかなぁ。でも昨日挨拶に来たって言うし、もしかして体調不良で休みとか?」
腕を組んでうだうだと考えを巡らせるも、答えが出る訳も無し。ここは一旦出直すのが吉だろう。そうと決まれば生徒会室で公認サボりを堪能させてもらおう。
そう思い直し、下駄箱前を後にした僕はその足で自分の教室に向かうのではなく、生徒会室へと足を運んだ。生徒会室には電気ポットとインスタントコーヒーが常備されている。あれやこれやと理由をつけて生徒会に仕事を振って来る校長に対し、せめてこれくらいの役得は許してくれとねだった結果だ。自宅から持ち込んだカップにコーヒーを注ぐと、僕は椅子に腰かけて読みかけの本を開いたのだった。
キーンコーンカーンコーン
耳に馴染みどころかタコが出来過ぎて耳の形が変わってしまいそうなくらい聞きなれたメロディに顔を上げて時計を見れば、時計の針は昼休みに入ったことを示していた。
「結局午前は来なかったな。この辺りで事故とかあったっけ?」
ポケットに入ったスマホでニュースサイトやSNSを確認するも、学園の近所で事故があったというニュースは無い。ということは巻き込まれた可能性は無しだ。後は道に迷ったという線が濃厚だろうか。例えば遅刻しそうだから焦って近道しようとして変な裏路地に入ったりとかしたのだろうか。
「……ま、気にしても仕方ないか」
昼休みが終わったらまた下駄箱に顔を出してみよう。そう思い直し、カバンから今日の昼ご飯を取り出す。今日は朝にコンビニで買ったサンドイッチだ。行儀が悪いことを承知で本を開いたまま片手でサンドイッチを掴み、口に運ぶ。そもそも片手間に食事が出来るようにということで生み出された料理なので、これが本来のスタイルなのだとも思うけれど。
「朝から姿が見えないと思ったら、こんなところでサボってたのね」
ただ、そんな優雅な昼休みは早々に終わりを告げる。咎めるような色が滲んだ口調と共に生徒会室に入ってきたのは、我らが秀尽学園の生徒会長である新島真。ちなみにこの学園で生徒会長とは生徒と教師両方から雑用を押し付けられる悲しき中間管理職を指す。
「んぐ、サボりとは心外な。校長先生から直々にご指名を受けて朝から待機してるんだよ」
「ご指名って……、ああ、例の転入生。でも、そんなの朝のうちに終わったはずでしょ?」
僕の対面に腰かけ、可愛らしいお弁当箱を開けながら新島さんは鋭い目でこちらを睨みつける。それに対し、僕は肩を竦めてみせることしか出来ない。
「それが道にでも迷ってるのか午前中は待ちぼうけ喰らっちゃったんだよね。なので午後も引き続き待機ですね」
「ちょうど良いサボりの口実にしないで欲しいわ、もう」
呆れたように息を吐くと、新島さんは自分のお弁当を食べ進める。僕はというと二つ目のサンドイッチの包みを破ってパラパラとページを捲り、しばし黙々と各々が食事を進める時間が過ぎた。新島さんも僕も食事をしているときはあまり話さないタイプだ。
生徒会長である新島さんとは、入学時から何かと関わりがある。僕が特待生ということでライバル視していたのか、入学早々話しかけられ、テストの点数なんかで勝負をしていた。二年生になり、彼女に引っ張られるままに生徒会活動に参入してしまい、気が付けば三年生になって副会長までやらされている。先生方からちょくちょく雑用を振られるくらいで大した仕事は無いので専ら生徒会室でこうやって駄弁っているだけなのだけれど。
「授業抜けてついていけなくなっても知らないわよ?」
「一回抜けたくらいじゃそんなに変わらないと思うよ……って言いたいけど、うちの先生方妙にマニアックなこと話すからなぁ。あながち否定できないのが恐ろしい」
お弁当を食べ終えた新島さんに痛いところを突かれた。なんで高校の授業でフロイト心理学の話が出てきたりするんだろうね、うちの学校は。一応私立進学校で学生のレベルも高いからか、先生方はよく張り切ってマニアックな知識を披露し、あまつさえそれをテストに出題してきたりする。普段の予習復習だけじゃ満点は狙えない、というよりは満点なんて取らせてなるものかという先生方のプライドがあるのかもしれない。
「そうなったらノート見せてね、新島さん」
「仕方ないわね。でも次の中間テストは私が勝つわよ」
「そうは問屋がおろさないぞ、とっつぁん」
「誰がとっつぁんか! 見てなさい!」
信じて良いか怪しいとはいえ、これでも人生二周目、のはずなのだ。簡単には負けてやれない。いや、割と危ないことがこの二年間何回もあったんだけどね。それに全国模試だと僕より点数良い人何人もいるし。人生何周しても本当に頭の良い人には敵わないんだなってよく分かる。
「それにしても、転校初日からサボりだなんて……。前科持ちとも言うし」
「へいへい会長さん。会っても無いのに決めつけは良くないぜー? めっちゃくちゃイケメンで会長も会ったら惚れるかもよ?」
「なんでよ。そこまで軽い女じゃないからね、私」
「ま、軽いかどうかはともかくとして。人柄っていうのはきちんと自分の目で確かめないとね」
それだけ言うと僕は席を立つ。時計を見れば昼休みも半ばを過ぎようとしている。実は体調不良で今日は休みなのか、あるいは何かしらのアクシデントで遅れているのかは分からないけれど、もう一度様子を見に行っておくべきだろう。
「それじゃ、鍵はよろしく」
「ええ、分かったわ」
片手をヒラヒラと振りながら生徒会室を後にし、そのまま下駄箱へと歩を進める。そろそろ食事を終えた生徒達が廊下で屯していたり、グラウンドでサッカーなんかをしているのを横目に歩けば、目的地の昇降口にはすぐに辿り着いた。そして予想外なことにそこには先客もいた。いや、その先生の立場を考えると当たり前なのかもしれない。僕は靴を履き替えると、玄関口に佇むその先生の横に並ぶ。
「こんにちは、鴨志田先生」
「む、海藤何の用だ」
腕組みをして校門を睨み付けていた鴨志田先生は僕の挨拶に少し不機嫌そうに口を歪めた。よく鍛えられたガタイと相まってその雰囲気は高校生にぶつけるにはやや恐ろしい。
「校長先生に今日から来る予定の転入生を案内するように頼まれたんですよ。今日は体育もあったんですし、鴨志田先生も聞いていませんか?」
「ッチ、そういえばそうだったか。わざわざご苦労なことだな」
午前中には鴨志田先生の担当する体育の授業もあったから僕が公欠の許可を貰っている連絡は入っているはずだ。それを忘れていたのか、それとも別の考えがあったのかは分からないが、聞かれたからには素直に答えておく。
「そういえば先生、この間はありがとうございました。陸上部の存続に力を貸してくださって」
「何が力を貸して、だ! あんな脅すようなことしやがって!」
僕の言葉に鴨志田先生が食って掛かる。バレーボール元オリンピック金メダリストが放つプレッシャー全開で凄まれると流石に身震いしてしまいそうになるが、努めてにこやかな笑みを絶やさないように意識する。
「まぁまぁ、そんなに怒らないでくださいよ。僕だって心苦しかったんですから」
「フン、お前が校長のお気に入りじゃなけりゃ」
そう言ったきり鴨志田先生は鼻を鳴らして口を閉ざしてしまった。僕が校長先生のお気に入りじゃなければ何をされていたんだろうか。いや、ロクなことじゃないのはハッキリしているけれども。
それ以上は互いに気にしないように黙って過ごすことしばし、校門に二人の生徒が姿を表した。
一人は金髪で上着の下には派手な色合いのTシャツを来た男子生徒。もちろん転入生ではない。というか僕の顔見知りだし、鴨志田先生のターゲットもこっちだったんじゃないだろうか。
「午前中を丸々サボりとは、随分な態度だな、坂本ォ」
「鴨志田!」
顔を合わせるなり挑発的な口調で男子生徒を煽る鴨志田先生。二人の因縁を知らないわけではないが、もう少し取り繕ってはいただけないものだろうか。転入生の前なんだけどな。特に鴨志田先生はいい大人なんだし、と喉まで出掛かった言葉を押し込めた。
「何か事情があったのかもしれないですし、昼休みもそろそろ終わりそうだから反省については放課後でも良いんじゃないですか、先生?」
「ハァ? 何を甘いことを」
「もう昼休みも終わりです。先生も午後の授業があるじゃないですか。僕も残り時間で転入生を案内なんて無理ですし、放課後に坂本君の事情聴取も兼ねて僕が対応しますよ。手に負えそうになかったら鴨志田先生に任せますから」
鴨志田先生と坂本くんの間に身体ごと割り込ませて仲裁する。この二人はまあ相性が悪いから可能な限り離しておかないとこっちが気が気でないのだ。鴨志田先生も時計を見て僕に分があると思ったのか、忌々しそうに僕と坂本くんを睨み付けてから振り返り、肩をいからせて歩いていってしまった。
「アザッす海藤センパイ」
「あんまり回数重ねると庇えないから気を付けてね。何か事情があるんだとは思うから、きちんと放課後に聞かせてもらうよ。ほら、早く教室に行きな」
坂本くんはチョイ、と頭を下げると急ぎ足で昇降口へと向かっていった。それを見送り、僕は残ったもう一人に向き直る。
「と、ごめんごめん。放置しちゃったね。僕は海藤徹。校長先生から君の案内を任せられたんだ。とはいえ名前を聞けてないからまずは聞いてもいいかな」
そう言って右手を差し出す。そうしながら、不躾にならない程度に相手を観察する。新島さんにはイケメンだったら、なんて言っていたけど。これはある意味予想外だった。
その子は眼鏡の奥の目を揺らがせ、数瞬の悩みを見せた後でおずおずと同じように右手を差し出してきてくれた。
「雨宮、
黒い毛先が少し跳ねた癖っ毛、肩につかない程度に揃えられていて黒染めしたようにも思えない。そして自信無さげに揺れながらこちらを観察している目。校長先生の事前情報から想像していた人物像との食い違いに僕も少し処理時間を要した。
「よろしく、雨宮蓮さん。学年が一つ違うから気が引けるかもしれないけど、分からないことがあったら遠慮せずに何でも聞いてね」
それでも驚きを表に出さないようにしながら微笑む。何にせよ笑顔での対応が大事だ。その気持ちが伝わったのかそうでないのか、こちらを見ていた不安げな目が僅かに和らいだのが分かった。
「よろしく、お願いします」
そう言って小さく微笑みを浮かべた