Persona5 ーRevealedー   作:TATAL

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Rage or glance

「はじめまして、丸喜拓人です。中途半端な時期の赴任だけどよろしくね」

 

「こちらこそよろしくお願いします」

 

 中間試験を無事に終えた日、僕は朝から生徒会室で一人の男性と会っていた。丸喜拓人、と名乗った男性は眼鏡をかけた優しげな風貌の男性だった。聞けば、鴨志田先生の一件があったことで学校側としても生徒のメンタルケアに対して何らかの措置を講じる必要があるとのことで、臨床心理士の丸喜先生に声がかかったらしい。

 

「元々は芳澤さんの主治医だったんだけどね、その繋がりでこの学園でもカウンセラーとして働くことになったんだ」

 

「芳澤さん、というとうちの新体操部のあの?」

 

 丸喜先生の口から出た名前に一人の女生徒の顔が浮かぶ。確かスポーツ特待生として今年入学してきた子だ。オリンピック選手としての活躍も嘱望されているほどのホープらしい。

 

「そうそう、芳澤かすみさん。ところで、君も鴨志田先生とは因縁があると聞いているよ、僕で良ければいつでも相談しに来てね。正式な着任日は明日の15日だけど、今日でも全然構わないから」

 

「ありがとうございます。僕はあまり気にしていないのであんまりお世話になることも無いかもですけど」

 

 気遣わしげな丸喜先生には申し訳ないが、僕個人としては鴨志田先生に含むところはもう無い。気にかかるとすれば、鈴井さんや三島君のようにバレー部で直接被害を受けていた子達の方だ。そういう子にこそ、カウンセリングを受けて欲しい。

 僕がそう言うと、丸善先生は驚いたように目を丸くし、それから感心したように息を吐く。

 

「凄いね、噂じゃ鴨志田先生から暴力も振るわれたと聞いていたけど。それでもそうやって他の子を気遣えるというのは素晴らしいことだよ。鴨志田先生を憎いと思ったこともないのかい?」

 

「そんな褒められるようなことじゃないんですけどね」

 

 僕としては本当に気にしていない以上、カウンセリングも何も無いというだけなのだけれど、丸喜先生はそれを殊更に褒めるものだから居たたまれない。

 

「鴨志田先生のやったことは悪いことですけど、本人が心から悔いているみたいですし」

 

「普通、当事者がそこまで冷静に俯瞰することは出来ないものだけどね。なんというか、君は大人び過ぎているようにも見えるね」

 

 丸喜先生の言葉に内心ギクリと身を竦ませる。カウンセラーだけあって人を見る目が鋭いというかなんというか。妙に達観した目で物事を、自分自身すらを見てしまうのはこの頭の中に別の自分とも言うべき記憶があるからなのだろう。

 とはいえこれを誰かに話せば良くて友人を失う、最悪は精神病院行きだと理解しているので、流石に丸喜先生にも話す気にはなれない。

 

「大人びてる、ですか。まあよく言われますけど。読書が好きだからですかね?」

 

「僕も本は好きだけど君くらいの歳にそんなに達観できてはなかったかなぁ。まあ良いや、来週からよろしく。君とも話をする機会はこれからもありそうだし」

 

 そう言ってハハハと笑う丸喜先生に苦笑いを返しながら、僕は差し出された右手を握り返したのだった。

 

 


 

 

 丸喜先生との初対面の翌日。テスト明けの週末となった15日は、以前バイト先の店長から貰った斑目一流斎の個展の初日である。僕は足取りも軽く、会場となる渋谷まで足を運んだ。

 

「おお、凄い人だ」

 

 日本、世界問わず有名な画家の個展ということもあり、普段は芸術にそこまで興味の無い人も見に来ているらしい。あちらこちらにテレビカメラもあることから、マスコミの宣伝もかなり入っているのだろう。

 とはいえ、僕と同じような高校生くらいの年齢の人は並んでいる列には見えない。まあ美術学校とかじゃなければ絵に興味を持つ高校生なんて結構珍しいよな、と思いながら待ち時間の暇潰しに持ってきた本に目を落とす。

 

 巨匠 斑目一流斎の半生

 

 テスト勉強の息抜きにと立ち寄った本屋に並べられていた一冊だ。今日の個展の協賛でもある某出版社から出された一冊で、日本画の大家である斑目の半生をインタビューしたものを文字起こししたものだ。絵を見る上で、その人の人生観を知ることは大切だと勉強用に購入した。

 彼のインタビューを見れば、彼は随分と遅咲きな芸術家だったらしい。生きている内に評価されているだけ、ゴッホのような歴史上の偉大な芸術家に比べるとマシだと言えるかもしれないが、現代美術の若き才能、といったお決まりの報道すらされなかったらしい。そのためか、二十代の頃はひもじい生活を余儀なくされ、人並みの生活を送れるようになったのは三十代の頃、知り合いの伝手でそれなりの画廊が後援についてくれてかららしい。

 それからはそれなりの評価を受けて三十代を過ごしていた。そうして少し自身の生活に余裕が生まれてからは、自分のように貧しい生活を送る若き芸術家の支援と自身の感受性磨きを兼ねて何人かの弟子を取ったらしいが、あいにくと弟子で大成した者はいなかった。そしてその頃から弟子に触発されてか、新たな表現を求めてか、画風が変化していく。大きな転機となったのは今から16年前にある一枚の絵を描いてからだった。

 

 サユリ

 

 赤衣を身に纏い、満月を背にした女性。雲が胸から下を覆っており、そこを見下ろす女性の表情は慈愛に満ちている。けれど、雲に覆われたそこに何があるのかは窺いしれない。優しげな表情にも、どこか憂いを帯びたようにも見えるその顔は何を見ているのか、雲に覆われた腕の中に何か大切なものを抱えているのか、それとも遥か天上から人の営みを見下ろしている女神なのか。一見すればただの女性の絵、そこに秘められた神秘性に多くの評論家が解釈を争わせたらしい。僕もまだその頃は物心もついていない年齢だったから当時のニュースなんて覚えるどころか見てもいないけれども。

 

「本の挿し絵がモノクロなのが悔やまれるな……」

 

 斑目一流斎の名を国内外に大きく轟かせることになった一枚。出来れば生で見てみたかったけれど、あるときに盗難にあってしまって以降行方知れずらしい。惜しい話だ。

 

 サユリを描きあげた日のことは今でも忘れられん。動悸が止まらなかった。

 

 斑目と記者のインタビューもそこが一番の盛り上がりどころなのだろう。文字であっても斑目の語り口が熱いものになっていることが伝わってくる。

 

 あれを完成させたことが儂の芸術人生の始まりでもあり、終わりでもあった。

 

 その言葉と共にインタビューは更に熱を増していく。あれ以来、斑目の作風は更に幅を広げた。変幻自在とも称されるようになった彼の絵は海外でも評価されるようになり、六十代を迎えて彼はついに芸術家として花開いた。ただ、サユリを越える評価を受ける絵を描けなくなったことが悩みとなったらしい。それでもと描き続けた彼の絵が、今日の個展には並んでいるのだろう。

 並んでいる間に粗方読み終えてしまった本を閉じる。気がつけば入り口はもうすぐそこだ。僕は受付にチケットを提示すると、壁に展示された様々な作品へと歩を進めた。

 

 人物画、動物画、風景画、抽象画、様々なモチーフが並べられたそこは、個展と言っても俄には信じがたい。

 

「凄い……」

 

 眺めながら思わず声が漏れていた。絵とは、その人が世界をどう捉えているのかを最も端的に表す手段だと僕は思っている。写実画であれ、抽象画であれ、それはその芸術家が見た世界の一部を切り取ったもののはずだ。だからそこにはその人の価値観が、世界を認知している方法が表出している。であるならば、様々な手法を取れど、そこには一定のパターンと言えるもの、その人が大事にしている芯のようなものが見えると僕は思っている。

 だと言うのに、斑目画伯の絵にはそれが無い。無い、というのは語弊があるか、あるのにそれが定まっていないように見える。手法が変幻自在なだけじゃなく、世界を作品毎に別々のフィルターを通して見ているようにも思える。まるで別人が描いたと言った方が納得できるくらいだ。

 

「斑目先生、本日はインタビューをお受けいただきありがとうございます。先生の変幻自在の絵、その着想の一端でも伝えられればと思います!」

 

「ハハハ、儂のような老いぼれの話で良ければいくらでもどうぞ」

 

 ふと話し声が聞こえた方向に目を向ければ、テレビの取材を受けているであろう斑目画伯がいた。テレビ向けなのか普段からなのか、身に付けた着物が貫禄を醸し出している。なんと、生で斑目画伯を見られるとは。

 ちょうどインタビューが始まる頃らしいので、少し近くに寄っていく。

 

「斑目先生は驚くほど作風に幅がありますが、そのアイデアの源泉は一体どこにあるのでしょう?」

 

「ふむぅ、言葉にするのが難しいのですが……。水面に泡が一つ一つ浮かんでくるような……、その泡は俗世に触れれば容易く破裂してしまうもの。金や名声といった俗世から離れることで、その泡を額縁に表すことが出来るのです。芸術の探索には風雨を凌げるあばら家があれば十分なのですよ」

 

 インタビュアーが分かっているのかいないのかうんうんと頷きながら取材を続けるが、僕は早々に興味を失って絵の鑑賞に気が移っていた。

 斑目画伯の言葉にあまり感銘を受けなかったというより、僕が先程まで読んでいた本と全く同じ内容を話していたからだ。まあ同じような質問が来れば同じような返答になるよな、としか思えなかった。

 僕は壁に並べられている絵をじっくりと観察していく。そして、その中でも一枚の絵が目に留まった。

 

 それは腕を広げたくらいの幅の大きなキャンパスに描かれた抽象画。大きなキャンバス全面を様々な色が一見無秩序に配置されたそれは、描いた人物の心象風景を表しているみたいだ。それも何か心の奥底に燻っているもの、激情のようなものを感じられる。

 視線は自然、額縁の下に飾られているプレートに吸い寄せられる。どのようなタイトルが付けられているのかが気になったからだ。

 

「煌めき……?」

 

 そのワードが目に入ったとき、僕はどうにも違和感を覚えた。確かに鮮やかな彩色で、一見するときらびやかな印象を受けるけれども、この絵はそういったポジティブなイメージとは違うような気がするからだ。あくまで素人の主観でしかないのでこの解釈も違っているだけかもしれないけれど。

 

「人の中にある様々な感情はそれぞれ異なる色をもってその人の中で光を放つ。同じ感情でも一時として同じ色を放つことはない、か」

 

 なるほど、鮮やかな色使いは怒り以外にも様々な強い感情の表れなのか。僕の解釈が一方的な見方過ぎたのかもしれない。

 タイトルとコメントに目を通してうんうんと頷いていると、後ろから肩を叩かれる。なんだろうと振り向いてみれば、そこには先程まで斑目画伯にインタビューをしていた女性が、僕にマイクを向けていた。つくづく街頭インタビュー的なものに縁があるな、僕は。

 

「すみません。お若そうですけど、高校生ですか?」

 

「ええ、そうですが……」

 

 女性の後ろにはインタビューを受けていた斑目画伯もいた。どうやら来場者へのインタビューらしい。僕が選ばれたのはやっぱり来場者の中でも珍しい高校生だからだろうか。

 

「斑目先生の絵は若い人も惹き付けるようですね」

 

「嬉しいことですな。私の感性がまだ世間とはずれていないと思ってホッとしますよ」

 

 カメラに向けて話す女性と斑目画伯。それからこちらに振り返ると、再びマイクをこちらに向けた。

 

「この絵が気になったんですか?」

 

「そうですね。素人なので絵とかには全く詳しくないんですけど、どこか惹かれてしまって。何と言うんでしょうね、怒りみたいなものをこの絵から感じて。最初は煌めきというタイトルに違和感を覚えたくらいで」

 

「ほう……」

 

 僕の言葉を聞いた斑目画伯が目を細める。しまった、作者本人を前にして絵を語るなんて一番恥ずかしいことをしてしまった。内心が表情に出ていたのか、僕と目があった斑目画伯はすぐに表情を緩めた。

 

「すみません、偉そうに語ってしまって」

 

「ああいや、怒っているわけではないんだ。こうして儂の絵から何かを受け取ってもらえたということが嬉しくてね。それも若い人の感受性を聞けるというのは素晴らしい機会だ。それで、君ならこの絵にどういうタイトルを付けるだろう? やはり怒り、かな?」

 

「怒りという言葉だけでこの絵に表された感情を表現しきれるかどうか……。僕の貧相な語彙でつけるなら、やっぱり激情、ですかね。煌めき、という言葉よりもこの鈍い輝きには合っている気がします」

 

「なるほど、激情……」

 

 斑目画伯はそう呟くと顎髭をしごきながら考え込むように俯く。

 

「失礼ですが僕からも一つ聞いても良いですか?」

 

「ん? ああ、構わないとも」

 

「どうしてこの絵に煌めき、というタイトルを? 解説を読んでそういうものかと思いましたけど、一見して腑に落ちるようなタイトルじゃなかったので」

 

 僕の質問に斑目画伯はすぐに答えを返すことなく、俯いたまましばらくの沈黙が漂う。その間を保たせなければいけないインタビュアーの女性がカメラに向かって話しているが、質問をした僕の方もちょっと気まずい。そんなに答えにくい質問だっただろうか。

 

「この絵に表現されている光は儂の心に生まれた強い感情を表していてね。怒りは感情のなかで最も強く、それ故に目立って伝わってしまうのかもしれない。それでも、それだけでは無い、という意を籠めての名付けだよ。怒りに捕らわれてほしくないという願いを籠めた名だね」

 

「なるほど、僕はやっぱり浅い見方しか出来ていませんでした。一応この本で先生の半生を勉強してきてはいたんですけどね」

 

「そんなことはないとも。こうして話を聞けて良かった。儂にとっても良い刺激になる。次の作品は、この経験から生まれるかもしれんな」

 

 そして沈黙の果てに彼が返してくれた答えはなるほど、絵の解説と同じく言われればそうだと思えるものだった。自分が安直に名付けたものよりやはり描いた本人が付けた名のほうが相応しい。

 けれど何故だろう、彼が発した言葉は例えばピカソやゴッホの有名な絵を後の評論家達が解釈したもののような、言うなればどこか他人事のような距離を感じさせるものだった。もちろん僕の気のせいだとは思うけれど。


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