音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
第一話 名ばかりの原作知識あり転生
いつものように目覚めた朝。目を開けたら知らない場所で、知らない人の子どもになっていた。
腰を抜かすにはそれだけでも十分なのに、上乗せして明らかに周囲の様子がおかしい。父母が振るう杖、自由気ままに動く肖像画の人物、そこらを駆け回り世話を焼く少し不気味な妖精。極めつけに、少し前に忽然と姿を消したらしい、「例のあの人」とか呼ばれるテロリスト。
────辺りの様子を探って導かれた結論として……ここは、かの高名な児童文学の金字塔、「ハリー・ポッター」の世界のようだった。そこに、時代も地域も違う場所で生きていた自我を持つ存在が、その場に生まれた赤子として扱われている……なるほど。つまり、僕はいわゆる「原作知識ありの異世界転生」をした。そういうことなのだろう。
あまりネット小説のような類の娯楽に造詣が深いわけではないが、こういった展開はありふれたものなのだろう。筋書きは単純明快だ。転生者は未来に起こる出来事を既知のものとして、絶対的な知識によるアドバンテージを持って人生二周目ができる。いかに原作知識を使うのか、というところが、こういう設定の売りなのだろう。
……けれど、それはあくまで真っ当な原作知識があれば、という前提での話。今の僕の状況は、明らかにそんな都合のいいものとは違っていた。
つまるところ、僕の持っているハリー・ポッターの知識は「音割れポッターBB」だけだったのである。
ハリーポッターくらい金ローで何度もやっていただろうって? なにやら色々副題があって、どれが一作目かも分からなくては手の出しようもない。それに、そもそもテレビでゆっくり観る機会もなかったんだ。確か原作は児童文学だったが、学校の図書室などで遠目に見てもやたらぶ厚く、鈍器みたいな外見で敬遠してしまったし。
どんな世界的名作だろうと、どうしてもシリーズが長くなれば、縁がなかった人間は参入しづらいものだ。スターウォーズとか、ガンダムとか、マーベル作品とかね。大学に入ってからサブスクで映画を見るようになっても、ハリーポッターは見かけなかった覚えがある。僕が小学校に入ってちょっと経った頃を最後に、新作の映画の広告を見ることはなくなったような気がするが……それも曖昧だ。
そうは言っても、本当の意味で真っ青な背景の狂った爆音動画だけが知りえることの全て、というわけではない。
朧げな記憶の中ではあるが、音割れポッターの元ネタとなったシーンは見たような覚えがある。適当にネットサーフィンをしていた頃に流し見した、ニコニコの無断転載動画だったか。骸骨に皮膚を張っただけのような人と、眼鏡をかけた主人公らしき少年が、暗い陰気な墓場みたいな場所で、背景を知らない人間からしたら少しシュールな雰囲気の中、バチバチ閃光を飛ばして戦っている場面だ。
だが、それで全部だ。あの場面がハリー・ポッターの全何作のうちのどこで、二人がどういう関係で、どういう状況なのかさえ、僕の知識には全くなかった。
かろうじて映画館の前のポスターか何かで、眼鏡の主人公が三人組グループで出てきがちということ、チラチラ名前をネット上で見かけた「例のあの人」、もといヴォルデモートがラスボスらしいこと、SNSで流れてきたトレンドを汚染する性格診断か何かで、四つの色分けされた寮があったことは覚えている。だが、そのすべてに「そうだったような」がつく有様だ。
縁がなかったと言い訳せず、ちゃんと目を通しておくべきだったと後悔しても、時すでに遅し。生まれ落ちてしまっては後の祭りだ。なんと馬鹿馬鹿しいことに、記憶に残る原作情報の約八割が音割れポッターという有様で、僕はこの未知なる世界に突っ込まれてしまったのだった。
情けなくなるほどの情報量の無さは痛かったが、転生してすぐ親に何か変だと勘付かれたり、この物語の「本筋」らしき事件に巻き込まれて致命的な事態に陥ることはなかった。
もとより語学はそこそこできたし、そもそも流暢に喋れたらおかしい年齢の幼児だったのが幸いした。今のところはなんとか怪しまれることもなく、平穏無事に日々を過ごすことができている。
大体の世話はちょっと不気味な容姿の妖精さんに任されているが、頻繁に様子を見に来る父母共に厳しそうな感じでもない。むしろ、幼い我が子をベタベタに甘やかすタチのようだ。それはそれでなんだか居た堪れない気にもなったが、右も左も分からないまま、即刻過酷な世界に叩き出されるなんてことがなかったのは安心できた。……その上、どうやらこの家は凄まじく裕福なようである。
やたらと高い天井に気後れするほど絢爛な調度品でなんとなく察してはいたが、新たな我が家となったのはえらく豪奢なお屋敷だった。詳しいわけではないが、この自然豊かな地に堂々と立つ城のような建築はいわゆるカントリーハウスというやつだろう。ということは我が一族は地主階級のお貴族様なんだろうか? 流石ハウス・オブ・ローズ現役の国イギリス、階級社会である。
ただ、無邪気に裕福な家だと喜んでばかりもいられない。家族のことを知る中で、懸念事項も出てきた。
我が家の姓は
「例のあの人」だってvol de mort、フランス語で「死の飛翔」だ。「ハリー・ポッター」の作者がどんなネーミングセンスの持ち主だったか、今となっては知る由もない。しかし、安直に考えるなら、創作物において悪人っぽい名前のやつは悪人である可能性が高いだろう。
その上、僕に付けられた名前は
父はルシウス、母はナルシッサというこれまた妙に珍奇な名前なので、この世界の標準が「これ」の可能性も考えた。しかし、そもそもこの物語の主人公はハリーという、それなりにありふれた名前だ。そんな世界観で妙に凝った名前に何の意味もないと考えるのは、少々楽観的すぎる。
正直あまり性格が良いと言えなさそうな父がかなりのお偉いさんのようだということもあり、名前が暗示することに関しては嫌な予感しかしなかった。
「例のあの人」が消えたという噂が流れているらしいので、もう原作が終わっているのかと、希望的観測を抱いたりもした。けれど、その会話の中でハリー・ポッターが僕と同い年だという話が出てきてしまった。ならば、物語の幕がそんなに早く閉じるわけがない。
所業からして悪役筆頭のヴォルデモート卿は単に死んでないか、死者蘇生されるかのどちらかなのだろう。その後遺症であのおどろおどろしい青白ハゲになってしまうのかもしれない。……だとすれば少し可哀想だ。
……とにかく、この前世と比較してはるかに物騒で奇妙な世界の中で、どう立ち回るべきなのかを考えなければならない。
音割れポッター周りの微かな情報を思い出すだけで、主人公が若くしてかなり厳しいバトルを強いられていたのは見て取れる。両親や、世話をしてくれる妖精がチラッとこぼす話を聞いても、ヴォルデモート卿は並外れて残忍な性格だったようだ。この世界は児童文学なのにも関わらず、大いに生死に関わる出来事の多い世界観を持っているということは察してしまった。
今、この妖精さんによってピカピカに磨き上げられた子供部屋は平和だが、原作がこのあと始まるならば完璧な無関係ではいられないだろう。もちろん、フィクションである以上、主に主人公が切り開いていく、そしてそうあるべき物語ではあるのだろうが……。
こちとらある日突然持っていた全てを失った身なのだ。少ししかないアドバンテージを掻き集めて、できる限り生き残ろうとするくらい、見逃してほしい。両親に怖気付くほどの愛を注がれながら、僕は自分の持てる力全てを使ってこの世界で生きていくことを決意した。