音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
十一月に入り、ホグワーツは冬の匂いがする霧に包まれていた。まだ五時にもならないのに日が陰り暗くなった廊下を、ハリー・ポッターは一人、大広間そばの空き教室に向かって歩く。少し用事があって遅れたので、一人で集会場所に向かうことになっていた。
夕食の近い廊下は楽しそうにおしゃべりする生徒たちで賑わっている。目当ての教室に辿り着いて扉を開けようとしたとき、視界の端をふと何かが横切った気がした。背の高い、燃えるような赤毛の人影だったような────心臓が期待に跳ねる。振り返って一瞬見えた姿を探すが、求めた姿は見つからなかった。
ふくらんだ気分があっという間にしぼむのを感じる。けれど、扉の向こうから聞こえてくるざわめきに、ハリーは気合を入れ直した。今は、ロンのことにかまっている場合じゃない。この数ヶ月、何度自分に言い聞かせたかわからない言葉を再び強く念じた。
教室に入ると、中は二十人ほどの生徒でごった返していた。一歩踏み出した途端、窓際から何かがすっ飛んでくるのが見えた。咄嗟に杖を抜き、盾の呪文を放つ。飛んできた辞書は派手な音を立てて見えない壁にあたり、床にドサっと落ちた。
「いいね! 今度はちゃんと動いた。とても良くなってきているよ」
「ゴイル、飛べばいいってものじゃないわ! コリン、杖の振り方がまだおかしいのよ」
ゴイルの落ち着いた声とハーマイオニーの非難の声が奥から聞こえてくる。空飛ぶ辞書の持ち主はコリン・クリービーだった。コリンは走り寄ると「ハリー、無言呪文が使えるの? それ、すごくかっこいい!」と目を輝かせた。
「ああ、まあ、うん。大したことはないよ」なんでもないことのように装い、辞書を渡してやる。コリンは感動のあまり、小刻みに震えていた。
ふと見ると、黒板前のクラッブがニヤリと笑っていた。つい昨日も、「必要の部屋」でハリーの顔面にクッションをぶつけ続けていたのはクラッブだった。
「勉強会」はいたって順調な滑り出しを迎えていた。クラッブの話のあと、すぐにハリーはハーマイオニーに、クラッブはゴイルに話をした。二人とも「身を守る術を身につけなければならない」という意見に強く同意してくれたし、ハーマイオニーにいたっては、「ハリー、あなたが言い出さなかったら、私からそうしたいって提案するつもりだったのよ」と微笑んでいた。
目立たずやるためにも、この勉強会の真の目的は公言しないほうがいい。だから最初は、本当に信頼できる数人にだけ打ち明けて、それ以外の生徒は当たり障りのない
六人の勧誘は問題なく成功し──悪戯四人組はほとんど一心同体だから、話をする必要があるのは実質的に三人だけだった──、「勉強会」は本格的に発足した。最初の頃は、一人だけ年下のジニーを危険な訓練に参加させないほうがいいと主張したフレッド、クラッブ、ザビニの鼻くそがコウモリの羽根を生やし、彼らの顔をつつき回すようなこともあったが……この三寮の集まりは予想以上にうまく行ってる、というのがハリーとハーマイオニーの一致した見解だった。
行動を起こすに当たって、ひとまずハリーがリーダー、クラッブが副リーダーということになった。けれど、実際の「会」の組織作りに関してはクラッブとゴイルが考えてくれた部分が大きい。
まず、単なる座学の「学習会」で人を集める。ここの運営は、ハーマイオニーとゴイルの得意とするところだった。ハーマイオニーの学習計画にハリーはずっと助けられてきたし、人当たりが良いゴイルは教え役として好評を博していた。
二人はたびたび教育方針の考えが分かれたが──ニガヨモギの代わりにドラゴンの血を鍋に入れようとする子を褒め育てるのは、本人のためにならない、というのがハーマイオニーの主張だった──二人を足して割ればちょうどいいバランスになるということは、はたから見れば明らかだった。
そこにクラッブが持ってきた資料もあわせれば、学年末に重要な試験を控える七年生と五年生はすぐに釣れた。
次の段階として、「呪文練習会」を設けた。ここでは安全の保証できない魔法、もとい「闇の魔術に対する防衛術」の呪文はまったく扱わない。そう公言していたし、現実としてもそうだ。五年生なら消音呪文とか、色変え呪文、消失呪文なんかの変身術や呪文学の練習をするだけだった。
ここでハリーも教える側に入ることになった。去年「呼び寄せ呪文」を含めた使いどころの多い呪文はたっぷり練習したし、もはや変身術は得意科目の一つになっている。「三大魔法学校対抗試合」で優勝して、まだ自信がないと言うつもりはない。
もっとも、同じく「呪文練習会」の講師役になったセドリックと比べると、自分の人気は少し劣るように思えてならなかった。呪文のかけ方を説明した後、実技になるとさっとセドリックの方に向かう女子の集団を無視するのは難しい。そうクラッブにこぼしたときに手痛い肘鉄を食らった脇腹は、数日間青あざが残っていた。トロールの親玉のような威圧感を放つクラッブに寄ってくるのは弟子志望の年下か、腕試し気分の高学年男子だけだった。
マクゴナガル先生にもこの段階までは許可を取っている。ヴォルデモートと戦うためだとまでは伝えていない。けれど、話を聞いたマクゴナガル先生は角縁の眼鏡をきらりと光らせ、嬉しそうに笑っていた。
そして「呪文練習会」で人となりを見た上で、ヴォルデモートの復活を信じ、かつ身を守りたいと思う生徒は、「実践訓練会」に招待される。ドビーに教えてもらった「必要の部屋」で開催される、極秘の集会だ。
ここに至るには、最初の十人での話し合いで認められることが条件になった。発足から数週間も経たないうちに、ミリセントとネビルが新たなメンバーになった。さらにその後、グリフィンドールからリーとシェーマスが、ハッフルパフからハンナ・アボットとスーザン・ボーンズが加わった。
しかし、そこから先の候補者についてはなかなか意見が割れていた。
現在、セドリックがチョウを、ジニーがルーナ・ラブグッドというレイブンクローの女子を推薦している。しかし、パンジーに言わせればチョウは「本当は、ボーイフレンドのセドリックが
そう、最初の十人の中で、スリザリン生たちは意外なほどに新規メンバーへの審査が厳しかった。しかも、彼らは決して身内びいきなわけではなく、むしろスリザリン生に対しては他よりもはるかに慎重に考えているようだった。
ハリーがノットを誘おうかと提案したとき、四人は誰も頷かなかった。
「あいつのことはよく分かってるよ。真面目でいいやつだ。チェスもうまいしな」と努めて軽い調子でザビニは言っていた。
「ただ、今の状況では真面目だってことが、俺たちの味方になれるってことと、イコールじゃない。ハリー、君もわかるだろう?」
ハリーは何も言えなかった。
自寮の方針に反して、スリザリン生たちはアーニー・マクミランのような純血を誘うのには慎重で、むしろマグル生まれの参加には審査が甘いようだった。他にも──ネビルとスーザンのことについてだったか──前回の戦争の犠牲者家族をチェックしたリストをどこからか持ってきて、信用できるかどうかを確かめていた。
考えてみたら、当たり前のことなのだろう。この集まりに参加したことがバレて、一番困ったことになるのは間違いなくスリザリン生たちだった。
正直なところハリーにとって、チョウの参加が差し止められているのはありがたいことだった。
未練なんかないと言い切ることができればよかったが、いまだにチョウとセドリックが二人でいるところを見ると、胃にムカムカしたものが込み上げてくるのを抑えられない。ただでさえ悩み事は山積みなのだから、これ以上ストレスを感じる機会を増やす気にはなれなかった。ただ、パンジーはセドリックがこの「会」に参加している以上、遠くない未来に別れるんじゃないか、という見立てをしていた。その言葉だけでも、ハリーは自分に対するパンジーの今までの数々の狼藉を完璧に忘れてもいいと思えた。
一方、ルーナに関してはよく知らないなりに、悪い印象はなかった。確かに常にぼーっと宙をながめているし、とびきり変な子ではあるらしい。けれど、ヴォルデモートの復活については父親の影響で誰よりも信じてくれている。それに、「練習会」で彼女がずばりと言いづらいことを口にしているのを見ると、最近あまり感じない清々しさを覚えるのだ。周囲に馴染めなくても信頼できるならいいんじゃないか、とクラッブに言ってみたが、「他のマトモなレイブンクロー生を釣りづらくなる」と言って、頑として譲ってくれなかった。
「アレが真っ先にいたら胡散臭さが出すぎる。プライドの高いレイブンクローの懐柔を考えるなら得策じゃない」
渋面で言ったクラッブに、一番プライドが高いのはスリザリンだろうとは誰も指摘しなかった。
結局、レイブンクローの監督生であるアンソニー・ゴールドスタインかパドマ・パチルが勧誘できそうなら、他のレイブンクロー生についても考える、ということで話はまとまった。今の所の「練習会」の様子では、二人とも十人全員から良い評価をもらっていた。あと二、三ヶ月もすれば、「会」の仲間は二倍くらいに増えているかもしれない。ハリー自身もセドリックやゴイルとの実戦で戦闘魔法の上達を感じていたし、成果は上々だと言えるだろう。
それでも、憂鬱な気分はなかなか晴れなかった。ヴォルデモートと戦うために最も重要な力が身につけられていない現実を、ハリーは月曜日になるたびに思い知らされていたのだ。
先学期の最後に閉心術の訓練を受けると承諾したとき、ダンブルドアはできる限り手ずから教えると言っていた。しかし、十月に入ってからは三回に二回、十一月に入ってからは毎週、訓練場所は地下牢のかび臭い教室になっていた。学校のことで魔法大臣に呼びつけられることが増えたと聞いたとき、ハリーの心中には新鮮なファッジへの憎しみがあふれた。
スネイプの課外授業ときたら、訓練というより拷問に近い。同じ部屋にいるだけで不愉快極まりない人間が、自分の心のうちにまで入ってくるのだから当然だ。それでも進歩が見られたら良かったのだが、むしろ回を重ねるごとにダンブルドアとの訓練でできていたことまで、できなくなっているような感覚がしていた。それは訓練以外でも感じられた。今やハリーはヴォルデモートの怒りだけでなく、喜びすら感じ取れるようになってきていた。
ハーマイオニーはとても親身になって話を聞いてくれている。ただ、彼女の正論を言いたがるところは救いにならなかった。疲れきって出た愚痴に対して閉心術の重要性を熱弁されるのは、かなり堪える。
もちろん、他にも相談した人はいたが、これはもっと悪手だった。相手は名付け親だ。
シリウスは去年と同じように、人がいない時間を見計らって談話室の暖炉を通じ、何度か顔を出してくれていた。初めのうちは、ハリーも頼りになる存在に喜んでいた。しかし、閉心術の話がスネイプへの罵詈雑言に着地し続けることにうんざりするのはハリー自身が思ったより早かった。
一番決定的な意見のズレは、やはりスリザリン生のことだった。「勉強会」が発足した話を聞いたとき、シリウスは心から嬉しそうだった。しかし、中核の十人のうち四人はスリザリン生だと知るや否や、あっという間に「会」に反対するようになってしまった。もっと正確に言うなら、スリザリン生を追い出して組織したほうがいいとしきりに言ってくるのだ。結局、二人はギクシャクしてしまい、ここ数週間はやり取りが途絶えている。
────「君は私が考えていたほど、父親似ではないな」
最後に談話室で会ったとき、去り際にシリウスの言った言葉がずっと胸につかえていた。
他の学校生活もうまくいっているとは言えない。最大の問題はクィディッチだ。
今年はチームの大黒柱だったウッドが抜けて、初めてのシーズンだった。その代わりにキーパーになったのがロンだ。新キャプテンのアンジェリーナのプレッシャーにより、練習中は最低限のやり取りをしていたが……どうしてもチームの空気は重たくなる。これでもハリーは譲歩したつもりだったのだが、その余裕がむしろロンの癇に障ったらしい。このときほど自分のシーカーというポジションに救われたことはなかったかもしれない。ハリーは練習時間のほとんどをスニッチ探しに費やしていた。
つい先週行われたスリザリン戦もひどいものだった。
そもそも、こちらが有利なはずだったのだ。スリザリンチームでは、過労がピークを迎えたらしいドラコが試合開始早々にブラッジャーを頭にくらい、フーチ先生の命令で退場させられていた。
チェイサーのリーダーを欠いたスリザリンに対し、それ以上にグリフィンドールにはでかい穴が空いていた。ロンである。新キーパーがここまであがり症だとは、ハリーもアンジェリーナもまったく気づいていなかった。
初出場のロンのために半分善意、半分悪意で四人組が「ウィーズリーこそ我が王者」という旗と応援歌を作成していたが……それもまずかったらしい。精神にもろに入ったのか、ロンはほとんど置物同然だった。
早々にハリーがスニッチを取れたので、試合自体には勝てた。しかし、手放しで喜ぶことはできなかった。ハリーはロンが謝ってくれることを期待していたが、むしろさらに避けられるようになってしまった。
……最近よく、ここにロンがいたら、と思う。
去年まで、学校で一番頼りになったのはドラコだった。しかし今は……何やらいろんなことを抱えているらしい彼に悩みを打ち明けることは、到底できない。
もちろんクラッブは信頼できるし、ハーマイオニーも寄り添ってくれる。他の仲間たちだってハリーを心配してくれる。ただ、ヴォルデモートと心が通じているかもしれないなんて、誰かにそう相談できるものじゃない……ロン以外では埋められない穴が心にぽっかり空いていることは、もはや誤魔化しようがなかった。また、以前のように、こんな悩みはなんでもないと笑い飛ばしてほしい。ロンのくだらない冗談で笑いあっていた日々が、ずいぶんと遠いことのように思える。
ロンが勉強会のことを気にしていることは知っている。ウィーズリー兄弟や仲のいいゴイルも参加しているのだから、当たり前だ。もしハリーがロンを入れたいと言えば、みんな喜んで受け入れてくれるだろう。
でも、あの日の言葉を思い出すと……自分から頭を下げる気にはどうしてもなれない。
ハリーは、クラッブからドラコにヴォルデモートが接触しているかもしれないこと、だから勉強会には参加しないだろうことを教えてくれた。しかも、最近のドラコは明らかに疲れている。外見上は変身術でうまく隠しているのだろうが、魔法史の授業でいつも寝ているらしいことは知っている。それが彼の父親のためなのか、それともこちらのためなのか、本当のところは分からない。けれども、クラッブが学習会に持ってきてくれる羊皮紙の束の文字はとても見慣れたものなのだ。それがハリーにはとても辛かった。そんなドラコをなじったロンを、謝罪なしで許すことはできない……
ハリーの右ポケットには、いつも二枚のガリオン金貨が入っていた。「会」の開催を知らせるため、ハーマイオニーが呪文をかけたものだ。コインの縁に次の開催日時が表示されるようになっていて、数字が変わると熱を持つ。
自分のぶん以外にもう一枚作ってもらった金貨は、出番がないままずっとポケットに入れっぱなしになっていた。