音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
あたりを見回していたハリーが空き教室に入っていくのを確認し、ロンは身を潜めていた廊下の曲がり角から長身を引っぱり出した。……別に隠れるつもりはなかったのに、反射的に身を隠してしまった。今日はどの教室で勉強会があるのか、ほとんど毎回ゴイルは律儀に教えてくれていた。
教室の扉の前に立ち、深呼吸する。ドアノブに手をかけようとして────中からワッと歓声が上がるのが聞こえた。この甲高い声はコリンだろう。漏れ出る楽しげな空気を前にして、用意してきたはずの勇気が急速にしぼんでいった。しばらくドアノブに伸ばした手をさまよわせ──結局ロンは辺りを見回し、人気のなさそうな方へ当てもなく歩き始めた。
……ハリーがドラコに頼りすぎるのは危ないという考えは、二ヶ月経った今も間違っていると思わない。
ドラコの良いところは確かに沢山あるかもしれない。ロンだってこの四年以上の間、何も友情を築くことなく過ごしてきたわけでもない。
しかし、
二年生のことを思い出してみろ、ルシウス・マルフォイがジニーに何をしたのか、ハリーは忘れてしまったのか? ……まあ、それでジニーの身代わりになったのがドラコというところが、話をややこしくしているんだけど……でも、その所業を目の当たりにして、かつドラコ自身も死にかけておいて、なおあそこまで父親を庇う心情は心底理解出来なかった。
だから、新学期の初日に言ったことも、決して間違いではない。間違いではないと思いたかった。
ただ、ハリーがとても傷ついた顔をしたとき、ほんの少しだけ、胸がすっとした。
二ヶ月以上がたった今、それを否定することはもはやできなかった。
だから、ちゃんと謝りたいし、ドラコのことも自分が何を心配しているのか、ハリーに伝えたい。けれど、時間が経つにつれて、それはどんどん難しくなっていた。
考えるだけで顔から火が出そうになるが……認めざるをえない。喧嘩の発端にハリーへの嫉妬がなかったとは、もう言い張れなかった。
「三大魔法学校対抗試合」のチャンピオンとなり、監督生に選ばれたハリー。ハーマイオニーと一緒に下級生を見回り、尊敬の眼差しを向けられるハリー。ハーマイオニーだけじゃない。パパもママもフレッドもジョージもジニーも、本当の家族である自分よりもずっとハリーを誇りに思って、大切にしているように感じる。それだけ大事にされていて、なお自分をかわいそうだと思うなんて……
分かっている。これがくだらない妬みにしか見えないことくらい。でも、ハリーのそばにいると、どれだけ自分がいらない存在に思えるのか、一体誰が理解できるだろう?
しかも、ハリーはそれに気づかないほどバカじゃない。嫉妬している相手にそれを気づかれて、その上憐れまれて許してもらう。そんな友達のあり方があるだろうか?
しかも、今やハリーにとっても自分はいらない存在になったように感じるのだ。
大喧嘩のあと早々に、ハリーはクラッブと組んで例の「勉強会」を作った。たちまち人が集まり、ハリーの周りから人影が途切れることはほとんどない。クラッブは「闇の魔術に対する防衛術」が大の得意でハリーと頻繁に実戦訓練をしているらしい。……それが自分にもできることなのか、ロンにはまったく自信がなかった。
三年生までは、ロンとハリーの魔法の腕はほとんど変わらなかったはずだ。それが「三大魔法学校対抗試合」を経て、今は「勉強会」の中で、ずいぶん差ができてしまった。自分がハリーほどは努力できていないことはわかっている。でも、今から頑張って、果たして追いつけるのか?
ハーマイオニーも初めのうちはロンを気にかけてくれていたが(それがいっそう惨めでもあった)、「会」が動き出すとそちらの仕事に集中するようになった。
もう、「三人組」に戻りたいと思っているのは自分だけなんじゃないか。そう思うと、二人に話しかけるのがすっかり恐ろしくなってしまった。
考えれば考えるほどに気分が落ち込んでくる。もう、今は誰とも会う気になれない。だから、人を避けて凍りつくような風の吹き込む廊下を歩いていたのに。
前からやってきた人物を見て、ロンの胃はさらに落ち込んだ。
「やあ。いよいよ寒くなってきたね。元気?」
いたって朗らかに笑いかけてきたのは、抱えている悩みの大きな遠因の一つ、ドラコ・マルフォイだった。先週のクィディッチでの怪我を治しきれていないらしく、頭には包帯が巻かれている。そういえば、ロンとドラコは前回の両チームのワースト選手同士だった。少しだけ心が軽くなるが、それでも気は抜けない。
ドラコはにこやかなまま、口を開いた。
「ちょっと今暇かな?」
「……何か用?」
思ったより険のある声色になってしまい、はっとする。しかし、ドラコは一切気にさわった様子を見せず微笑んでいた。まるでそよ風でも吹いていったかのようだ。こういうところも、ロンがドラコを信用しきれない理由だった。
「そんなに邪険にしないでよ。ただ、散歩でもどうかと思って」
今日は冬本番前といった感じで、一際寒い。しかも、外はもう日が落ちかけているし、散歩して楽しいわけがない。……けれど、ロンは誘いに乗った。こういうとき、ドラコが話しかけてきたなら……それはハリーとのことについてだろうと、そんな予感があった。
校庭に出るとあたりは薄暗く、夕方の冷え込みで霧が漂っていた。雪の積もり始めた道は少し歩いただけで足先が凍え、湿ったローブに温度を奪われる。けれど、ドラコはまるで寒さを気にしていないように、あくびをしながらのんびりと歩いていた。
しかし、元気一杯というわけではなさそうだ。暗がりでわかりづらいが、目の下には濃い隈が浮かんでいる。
「……何でそんなに疲れているんだ?」
切り出した言葉にドラコは少し目を開き、ふっと笑った。
「ああ、そろそろドーリッシュの任期が終わるんだよ。それに合わせて準備しておきたいことがあって……色々大詰めだったんだ」
照れたように包帯のあたりをかく。包帯の下にはまだ大きな腫れが残っているらしい。得点しようとしたドラコの右側頭にブラッジャーが衝突するのを、ロンは誰よりも近くで見ていた。初試合で友達の頭が割れたザクロのようになるのを直視した衝撃は、今でも新鮮に思い出すことができた。
「……じゃあ、なんですぐに頭の怪我を治してもらわないの?」
「睡眠不足の状態だと治療するエネルギーが足りないってマダム・ポンフリーはおっしゃっていたよ。寝て治せってことなんだろうね。でも、積み上がってた仕事はあらかた終わったから……」
そこで言葉を切ると、ドラコはまた嬉しそうに微笑んだ。
「心配してくれてるの? 相変わらず優しいね」
ロンは思わず思いっきり眉を顰めてしまった。
ドラコが躊躇なく人を褒めるところも、前から苦手だった。褒め言葉を投げかけられるたびに、かえって上下の差が明らかになるような、見下されるような心地がするのだ。しかも、大抵その裏には別の意図がある。
「……君を心配する優しさを、ハリーに向けろって言いたいの?」
ドラコは唐突な反撃に、少しだけ面食らったような顔をした。
「そんなつもりはなかったけど……僕ってそんなこと言いそう?」
「褒めておだてて、自分のいいように操るのが君の
「ひどいなあ。本心なのに!」
ドラコは胸に両手を当て、オーバーに傷ついたふりをしている。しかし、こちらとしては全然笑えない。ロンがぴくりとも笑わないのを見て、ドラコはようやくため息をついて肩をすくめた。
「……否定はできないけどね」
存外にあっさりと認めた上に、悪びれている様子もない。こちらの言葉に少しくらい傷ついてくれたなら、もう少し素直に話せるような気がするのに。これでは、自分だけが真面目に話しているようで馬鹿らしくなる。
「どうせ、ハリーと仲直りしろって説得しに来たんだろう」
さらに刺々しくなった口調に、それでもドラコは穏やかな表情を崩さなかった。 「……うーん、どうだろう。そうなのかな?」
まるで自分でも用件を知らないような、妙に曖昧な返事だ。ロンが眉をひそめると、ドラコはわずかに首を傾けた。
口元にはまだ柔らかな笑みが残っている。けれど、青みがかった灰色の瞳は少しも揺れず、心の奥底まで見通そうとするように、まっすぐこちらへ向けられていた。
「逆に聞くけどさ、ロンはハリーと仲直りしたいの?」 まったくデリカシーのないセリフだった。
「……君には関係ないだろう」 「そう? 僕って、あの喧嘩のかなり大きな要因じゃなかった?」
あまりにも平坦な、「今日の一時間目って呪文学だった?」と同じような気軽さで放たれた言葉だった。
ドラコが何を言いに来たのか、ロンにはいよいよ分からなくなってきた。仲直りさせたいわけでもなければ、喧嘩の原因になったことを詫びるつもりもないらしい。ただ質問だけを重ねて、ロンが何と答えるのかをみているようだ。なんだ、こっちは実験動物か? ロンはだんだんむかっ腹が立ってきた。
「……ハリーは、君を信頼する危険性を分かっていない」 「そうだね」
ドラコはあっさり頷いた。
「だから、その危険性をちゃんと分かっている君が、どうして友達を放っておいているのか。その理由が知りたくて」
父親もろとも信用ならないと突きつけたに等しい言葉だったはずなのに、ドラコの顔には傷ついた様子も、腹を立てた様子も浮かばなかった。青みがかった灰色の瞳だけが、変わらずまっすぐロンを見つめている。
「自分が危険だって認めるのか?」 「そりゃあ、認めざるを得ないだろ。闇の帝王が復活して真っ先に呼び寄せたエリート死喰い人の息子で、おまけにとんでもないファザコン野郎だよ。危険じゃないわけがないもの」
言葉づらは冗談めいているのに、声色には自虐の色も強がりもない。
ロンはわずかにたじろいだが、先に目を逸らすのは負けたようで癪だ。意地になって視線だけは逸らさないように見返した。
ふと、ドラコの瞳が自分の顔ではなく、その奥にあるものを覗き込んでいるような気がした。
「で。君はそんな危険人物がハリーに漬け込む隙を作っているわけだけど……それについてはどう思っているの?」
ドラコは目を逸らさないまま、温度のない声で尋ねた。
ロンの喉が詰まった。本当に何を聞きたいのかがわからない。これほど意図の読めないドラコを見るのは初めてだった。
動揺が伝わったのか、ドラコの空気が少しだけ緩んだ。
「いや、ごめん。勘違いさせちゃったかも知れないんだけど、別に君を責めているわけじゃないよ」
その口調には、本当に咎める響きがない。けれど、それがかえって不気味に思えた。
「むしろ、ハリーと関わらないという判断は合理的だし、尊重されるべきだと思ってる」
「……どういうこと?」 「だって、闇の帝王に何度も命を狙われている人間と、親友のままでいるんだよ。当然、死喰い人に敵だと見なされるだろうし、家族だって巻き込まれるかも知れない。あまりにも危険だ。そこから離れて自分を守ろうとすることを、誰かが責めていいはずはない」
いつの間にか、細かな雪が降り始めていた。黒いローブの袖に白い粒が落ち、すぐに溶けて染み込んでいく。さっきまで忘れていた寒さを、ロンは急にはっきりと感じた。
「だから……うん。君は自分を守るために、ハリーを守るのを諦めてくれたのかなって」
一瞬、風が止んだ。雪だけが音もなく二人の間を落ちていく。ドラコは返事を促すでもなく、視線をロンに据えたままじっと待っていた。ロンは冷えきった指を、ローブのポケットの中で強く握りしめた。
「……どういうつもりだよ。僕を脅してるのか?」
「うーん。そうなのかな……」
しばらく沈黙が続き、ドラコはようやくロンの瞳から目を逸らした。張りつめていた糸が切れたように、肩から力が抜ける。
「脅したいというより……君が何を選ぶのか知りたかった、という方が近いかな。僕がどれくらい危険なのか、ホグワーツの生徒で一番警戒できているのは君みたいだから」 「……でも、僕より君を選んだのはハリーの方だ」 「否定はしない。あの喧嘩の場面では、そうだった」
ドラコは城の方へ顔を向けた。黒々とした雲の下、いくつもの窓に明かりが灯り始めている。
「でも、これからもずっと、ハリーが君と僕を天秤にかけて、僕を選び続けると思う?」
そこで一度、言葉が切れた。
「……いや。そもそも、僕がいつまでハリーの選択肢にいられると思う?」
「……なら、君がハリーの選択肢にいられるように頑張ればいいじゃないか」
ドラコが振り返った。灰色の瞳がわずかに見開かれ、何かが揺れた。だが、それもすぐに伏せられた。
「うん……」
それ以上、ドラコは何も言い返さなかった。二人の間を埋めるように、細かな雪が降り続けている。
「……先に戻るね」
ドラコはそれだけ言うと、ロンを残して城へ歩き出した。呼び止める言葉が見つからないまま、ロンはその背中が入口の向こうへ消えるまで見送った。
最後の言葉だけがいつまでも耳に残って、ロンはしばらくその場から動くことができなかった。