音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
寝室へ入ると、ハリーは扉をすぐに閉め、ベッド脇の狭い隙間に座り込んだ。膝に顔を埋め、ぎゅっと目を瞑る。
……酷いことを言って、シリウスを傷つけてしまった自覚はある。けれど、吐いた言葉への後悔と、当然の報いだという満足感、さらに
一刻も早くホグワーツに帰り、「必要の部屋」に閉じこもりたい。そうすれば、少なくとも今、この場で誰かを傷つけるかもしれない怯えからは解放される。
けれど、階下からは微かな食器の触れ合う音に混じって、低い話し声が聞こえてきていた。そこにはウィーズリー一家も、シリウスもいる。今は誰の顔も見たくないし、誰に頼ることもできない。
ハリーは一瞬だけ立ち上がりかけ、また脚へ顔を伏せた。膝を目に埋め込むように押し当て、いつ来るとも知れない頭痛を抑え込もうと躍起になっていた。
……どれだけ時間が経ったのだろう。床からの冷気で体がすっかり冷え切ってしまったところで、扉が控えめに、小さく叩かれた。
返事をせずにいると、しばらく待ってから扉がゆっくりと開いた。
「……ハリー……大丈夫?」
それは、ロンの声だった。気遣いの滲む声色だったが、今のハリーには顔を上げる気力もなかった。
「放っておいてくれないか?」
できるだけ平静を装って話す。膝に遮られてくぐもってしまったが、ちゃんと聞こえたはずだ。
しかし、ロンは出ていかなかった。黙って部屋へ入り、扉を閉める気配がした。
床板が一度軋んでから、何の音もしなくなった。部屋の入り口で突っ立っているらしい。
静かに見下ろされていることに耐えきれず、ハリーは顔を上げた。想像していた通り、ロンはとても心配そうな顔をしていた。
今は、その表情にもむかっ腹が立った。
「……いいか、ロン。僕が蛇だったんだ。君のお父さんが襲われるのを見てたんじゃない。僕が飛びかかって、何度も噛みついた。牙の感触だって、まだ覚えてる」
わざと怖がらせようと、叩きつけるように言い放つ。ロンの顔がわずかに歪んだ。しかし、ロンは出て行ってくれなかった。
「……ハリー、でも、夜の間、君はずっと寮のベッドに──」
苛立ちが吐き気としてせり上がってくる。
「そんなことは分かってるよ! でも……」
続く言葉がもつれ、ハリーは一度息を吸った。
「もし、ヴォルデモートが僕の中へ入れるなら、今だって僕の目を通して、ここを見てるかもしれない。君のことも、みんなのことも。しかも、見るだけじゃなくて、本当に僕を操るかもしれないんだ。おじさんの時みたいに」
ハリーは一度言葉を切り、息を吸った。気を抜くと、声が震えてしまいそうだった。
「だから、僕はホグワーツへ戻る。『必要の部屋』の中なら、少なくとも直接誰かを傷つける心配はない」
ハリーはベッドの縁に手をつき、痺れた脚を伸ばしながら立ち上がった。扉の前にいるロンの横を通り抜けようとしたところで、ロンが口を開いた。
「僕──僕も戻るよ。君と、ホグワーツに」
ハリーは思わず足を止め、話し始めてから初めてロンの顔をまともに見た。顔も耳も真っ赤になっていたが、その目は逸らされることなく、まっすぐハリーへ向けられていた。
「そんなことする必要ない」
「必要とか、必要じゃないとかじゃなくて──僕がそうしたいんだ」
ハリーは返す言葉を失った。ロンがなぜ今になってそんなことを言い出したのか、まるで分からない。黙って見返していると、ロンは何度か口を開きかけ、そのたびに言葉を飲み込んだ。やがて視線を足元へ落とし、つかえながら話し始めた。
「あの、僕──分かってなかったよ、ハリー。君がどれだけ大変な目に遭ってるか」
ロンはローブの裾を強く握りしめた。続けようとして唇だけが動き、なかなか声が出てこない。それでも、何度か息を継ぎながら、どうにか言葉を押し出した。
「僕──僕は、君に……嫉妬してた。みんな君ばっかり褒めて、君ばっかり見てるような気がして……それで腹が立って、君を一人にして……去年と同じだ。僕、また同じことした」
「……そうだね」
返事は、自分でも驚くほど冷たく響いた。ロンは一瞬だけ顔を上げ、もともと赤かった顔をさらに赤くすると、また床へ目を落とした。
ハリーは目を伏せ、長く息を吐いた。握りしめていた手から少し力が抜けるのを待ってから、なるべく平静な声で言った。
「でも、もういいよ。そんなことで、君の身まで危険にさらす必要はない」
ハリーはそれで話を終わらせ、ロンの脇を通って扉へ向かう。ドアノブへ手を伸ばしかけたところで、背後から大声が飛んできた。
「そんなことなんかじゃない!」
大声が狭い寝室に響き、ハリーは肩を揺らした。振り返ってみると、叫んだロン自身も驚いたらしく、目を大きく見開いている。
それでも言葉を引っ込めることはせず、ローブの胸元を握りしめながら続けた。
「僕ら……僕は、危険だからって君のそばからいなくなったりしない! 分かるだろ……」
息を詰まらせながら、それでも何とか伝えようとしている。ハリーはそこで初めて、ロンの顔をまともに見た。頬も耳も赤くなり、呼吸も乱れていたが、ハリーへ向けられた視線は少しも揺れなかった。
「……一緒にいられない時もあったけど……
一息に言い切ったロンは、肩を上下させながらハリーの返事を待った。逸らされることのない目は、どこまでも真剣だった。
「……今さらだって思われてもしょうがないし……もう君に僕はいらないかもしれないけど……でも、一緒に行かせてくれよ」
ロンが言い終えると、寝室は静まり返った。いつの間にか、階下から聞こえていた話し声も食器の音も止んでいる。ロンは気まずそうに扉の方へ目をやったが、すぐにハリーへ向き直った。
ハリーは何度か答えようとしたが、喉が詰まって声にならなかった。唇を噛み、どうにか息を整えてから、やっと言葉を押し出した。
「……いらなくない」
一度口に出してしまうと、もう声の震えを抑えられなかった。
「君が、いらないわけがない……」
最後の方はほとんど声にならなかった。ハリーは顔を伏せたままベッドへ戻り、その縁に腰を下ろした。涙が膝へ落ち、慌てて袖を目元に押し当てる。
ロンは目を見開いたまま立ち尽くしていたが、やがておそるおそるハリーへ近づいた。上げかけた手を一度引っ込め、しばらく迷ってから、その肩を二度ほど叩く。それからハリーの隣へ腰を下ろした。
二人は並んでベッドに腰掛けたまま、しばらく何も言わなかった。ハリーは袖で何度も目元を拭い、ロンは膝の間で落ち着きなく両手を組み替えていた。
「……三年前」
不意に、ロンが口を開いた。
「君のおじさんとおばさんの家まで、パパのフォード・アングリアで迎えに行っただろ。覚えてる?」
忘れるはずがなかった。真夜中、鉄格子の嵌まった窓の外に、空飛ぶ車と三人の赤毛が現れたのだ。
「もちろん、あのあとママには死ぬほど怒られたし、次にやったら、今度こそ本当に殺されるかもしれないけど……」
ロンはそこで少し言い淀み、横目でハリーを見た。
「でも、君が困ってるならまたやるよ。何回だって。僕ら、友達だろ」
ハリーはもう一度袖で涙を拭った。あの車を見つけたときのことを思い出すと、泣いているのが少しだけ馬鹿らしくなって、口元から小さな笑いがこぼれた。
「お前一人の手柄だったみたいに言うなよ、ロン」
扉の向こうから、フレッドの声がした。
ロンがぎょっとして振り返る。ハリーも慌てて残っていた涙を袖で拭った。
扉が開き、フレッドに続いてジョージとジニーが入ってきた。どうやら、ロンの大声は階下まで筒抜けだったらしい。
「……聞いてたのか?」
「聞こえてきたんだよ、ロニー坊や。あれだけでかい声で喋ればな」
フレッドは肩をそびやかした。
ジョージはロンの隣まで来ると、ハリーに向き直った。
「俺たちだって同じだぜ、ハリー。危険だからって、君を一人にするつもりはない」
「まったく、一人だけ格好つけようとして、困った弟だよ。なあ?」
フレッドが呆れたように言うと、ロンは気まずそうにそっぽを向いた。
すると、それまで黙っていたジニーが、不意に兄たちの間から一歩前へ出た。
「ねえ、ハリー。目が覚めたとき、寝た場所とは違うところにいた?」
ハリーは目を丸くしてジニーを見た。
「だから、気がついたら別の場所にいたとか。途中の記憶が丸ごと抜けていたとか、そういうことはあった?」
「いや、寝ている間はずっと寮のベッドにいたらしいよ。夢のことも……多分全部覚えてるけど」
ハリーが訝しげに答えると、ジニーは眉間にしわを寄せ、両腕を胸の前で組んだ。
「この中に、私以外に『あの人』に取り憑かれたことのある人って、いる? いないわよね。だったら、少しくらい私の話を聞いてもいいんじゃない?」
ハリーは目を瞬かせた。言われて初めて、二年生のジニーに何が起きたのかを思い出した。
「少なくとも、あなたの話は私のときとは違うわ。私は本当に、なんにも覚えていなかったもの。何かしている途中で意識が途切れて、気がついたら、それまでいたのとは別の場所にいる、みたいな感じだったのよ」
ジニーはポカンとしているハリーに呆れたように頭を振って、言葉を続けた。
「私だけじゃ足りないなら、ドラコにも聞いてみれば? きっと同じようなことを言うと思うわ」
「それに、ホグワーツの中からは『姿現し』も『姿くらまし』もできないぜ。免許を取ったときにそう習ったよ。なあ?」
ジョージが横から口を挟んだ。
「君がずっと寮のベッドにいたなら、少なくとも、君の身体が魔法省まで出かけて、パパを襲ったわけじゃない」
「自分の体が勝手に動いたわけでもなくって、やりたいと思ってやったんでもないんでしょ? それって、あなたがやったって言えるのかしら?」
ジニーは相変わらず厳しい口調だったが、言葉から気遣いが伝わってきた。
狭い寝室に五人も集まると、身動きするにも互いの膝を避けなければならなかった。ハリーとロンはベッドに並んだまま、ジニーはその脇へ椅子を引き寄せ、フレッドとジョージは向かいのベッドへ腰を下ろした。
「それにしても、なかなかいい演説だったぜ、ロン」
「ちょーっと、練習が足りない感じはしたけどな」
「おい、二人ともうるさいぞ」
「もうちょっと真面目な雰囲気になれないの?」
ジニーにじろりと睨まれ、二人は揃って口を閉じた。ただし、顔を見合わせて笑うのまではやめなかった。
ハリーは袖で目元を拭いながら、いつもと変わらないやり取りを聞いていた。先ほどまで息苦しいほど張りつめていた部屋の空気が、少しずつ普段のものへ戻っていった。
しばらくして扉が開き、人数分のサンドイッチを山盛りに載せた盆を持って、ウィーズリーおばさんが入ってきた。
「やっぱり、みんなここにいたのね」
泣いた跡の残るハリーの顔にも気づいたはずだが、何も言わなかった。一人ずつに温かいサンドイッチを渡し、最後にハリーの手へ皿を持たせる。
「朝から何も食べていないんでしょう? ほら、ちゃんと食べないと、元気が出ないわ」
「ありがとうございます。でも、僕……これを食べたら、ホグワーツへ戻ろうと思っています」
ウィーズリーおばさんの手が止まった。
「いいえ。あなたはここに残ります」
反論の余地など初めからない、きっぱりとした口調だった。
「でも、また何かあったら──」
「ハリー。あなたが知らせてくれたから、アーサーはすぐに見つかったのよ。あなたがいなければ、助からなかったかもしれないわ」
ウィーズリーおばさんはそれだけ言うと、話は終わったとばかりに杖を取り出した。
向かいのベッドに積まれていた古い毛布が浮かび上がり、きれいに畳まれて椅子へ移る。代わりに新しいシーツが戸棚から飛び出し、マットレスの上へぴんと広がった。
「ロン、その枕を取ってちょうだい。ジニーは廊下の戸棚から、もう一枚毛布を持ってきて。夜は冷えるから」
それから、まだ手をつけていないハリーの皿を指さした。
「ほら、冷めないうちに食べてしまいなさい。午後になったら、みんなでお父さまのお見舞いに行きますから、今のうちに少し眠るといいわ」
朝食を終えると、フレッドたちはそれぞれ別の部屋へ移り、ハリーとロンは並んだベッドに横になった。身体は疲れきっていたはずなのに、横になるまでは眠れる気がしなかった。けれど、目を閉じているうちに、隣から聞こえるロンの寝息も次第に遠くなっていった。
次に目を開けたとき、カーテンの隙間から白っぽい昼の光が差し込んでいた。蛇も、暗い廊下も、ヴォルデモートも夢には出てこなかった。久しぶりに何にも追われず眠れたおかげか、頭にかかっていた靄が少し薄くなっていた。
午後になり軽い昼食をとってから、聖マンゴへ向かう支度が始まった。玄関広間では、ウィーズリーおばさんが子どもたちにマフラーや手袋を配り、フレッドとジョージがどちらの手袋か分からなくなった一組を取り合っていた。
ハリーがコートを着ていると、階段を下りてきたシリウスが足を止めた。
「ハリー」
呼ばれて顔を上げたが、シリウスは目を合わせなかった。視線をハリーの肩口に向けたまま、短く言った。
「今朝は悪かった。少し言いすぎた」
ハリーは続きを待った。しかし、シリウスはそれ以上何も言わなかった。自分の言葉を取り消すつもりはないらしい。
廊下の向こうでは、ウィーズリーおばさんが鞄の留め金を閉じながら、二人のやり取りが終わるのを伺うように待っていた。
「……分かった。僕もごめん」
それだけ答えると、シリウスはわずかに頷き、再び階段を上っていった。ハリーも呼び止めず、ウィーズリーおばさんから差し出された手袋を受け取った。
聖マンゴの病室で見たウィーズリーおじさんは、思っていたよりずっと元気そうだった。顔色はまだ悪く、腕から脇腹にかけて分厚い包帯が巻かれていたが、ベッドの上で上体を起こし、入ってきた子どもたちにいつもの笑顔を向けた。
フレッドとジョージが傷の具合を根掘り葉掘り尋ね、ジニーとロンがそれを押しのけてベッドへ近づく。
ハリーは少し離れたところから、その様子を見ていた。
「ハリー」
呼ばれて、恐る恐る顔を上げる。ウィーズリーおじさんは、何の疑いもない笑顔でハリーを見ていた。
「君のおかげで助かったよ。本当にありがとう」
その声を聞いた途端、胸につかえていたものがようやく下りていった。ウィーズリーおじさんは生きていて、こうしていつもどおりに笑っている。ハリーは何度も頷きながら、どうにか「よかった」とだけ答えた。
その後、グリモールド・プレイスにはハーマイオニーもやってきた。知らせを聞いて両親とのスキーの予定を切り上げたらしく、暖炉から姿を現すなり、どうしてもっと早く教えてくれなかったのかとロンたちを問い詰めた。それから、ハリーの顔をしばらくじっと見つめたものの、何も聞かずに隣へ座った。
こうして、クリスマス休暇は思いがけず賑やかなものになった。
ハーマイオニーが寝室のテーブルに試験勉強の本を積み、ロンが見るだけで休暇が台なしになると文句を言い、ハリーがその横で笑う。たったそれだけのことが、ひどく懐かしかった。九月以来、三人で過ごしていても、どこかに緊張や遠慮が付きまとっていた。それがようやくなくなったのだと思うと、ハリーは何をしているときでも嬉しかった。
ただ、シリウスのことだけは気にかかった。
休暇に入ってから、シリウスは自室にいる時間が目に見えて増えた。特にハリーが食堂にいるときは、ほとんど姿を見せなかった。ウィーズリーおばさんが食事を部屋へ運ぶこともあれば、誰もいなくなった後で、冷めた料理を食べに下りてくることもあったらしい。
ハリーを避けているのか。それとも、もともと沈んでいた気分が、あの喧嘩でさらに悪くなっただけなのか。ハリーには分からなかった。
何度か部屋を訪ねようとは思った。しかし、階段を上がって閉じた扉を目にするたび、結局ノックすることはできなかった。