音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
どれほど待っただろう。足音が聞こえてきたかと思うと応接室の扉が開き、父が母を伴って現れた。
母は僕の姿を認めた途端、父を追い越してこちらへ歩み寄った。その瞳は潤み、唇は硬く結ばれている。勢いのまま、彼女は両腕を僕の背へ回し、息が詰まりそうなほど強く抱き寄せてきた。
「……どうして帰ってきてしまったの?」
責めるような言葉とは裏腹に、後頭部を撫でる手は震えていた。僕もすぐに母の背へ腕を回す。両親を心配させている罪悪感で、胸がキリキリと痛んだ。
やがて母は自分から身体を離した。まるで僕が怪我をしていないか確かめるように顔から足元まで見回し、少し乱れていた襟元を指先で整える。
「我が君が、同席をお許しになった」
父の声からは、先ほどまでの動揺が消されていた。
「ただし、お尋ねになったことにだけ答えなさい。勝手なことをしてはいけない。分かったね?」
「はい、父上」
返事を聞いても、父の表情は緩まなかった。
母も僕の襟から手を離さないまま、ささやくように尋ねた。
「本当に行くのね?」
「そのために戻ってきましたから」
母は何も返さなかった。襟元をつまんでいた指に一度だけ力を込め、ようやく僕の首元から手を離した。
父を先頭に、僕たちは応接室を出た。通り過ぎる部屋の扉はどれも固く閉ざされ、屋敷しもべ妖精の姿すら見当たらなかった。
広間の前で父が足を止める。扉を叩くと、奥から入室を許す声が聞こえた。
父が扉を開き、僕と母はその後に続いた。
広間の奥、暖炉の正面に置かれた背の高い椅子へ、ヴォルデモート卿が腰掛けていた。膝の上で組まれた白く長い指が、僕たちの入室に合わせてゆっくりと動く。
その少し離れたところに、ベラトリックス・レストレンジがいた。
黒い上等なドレスに身を包み、椅子の背へ身体を預けている。長い黒髪はきれいに梳かされていたが痛みきっており、頬は大きくこけ、袖口から覗く手首は不自然なほど細かった。唇には笑みが浮かんでいるものの、身体を起こすことすら億劫なのか、片肘を肘掛けについたままこちらを眺めている。
母は広間へ入ると、僕から離れて姉のそばへ向かった。ベラトリックスの椅子の後ろに立ち、その肩へそっと手を置く。ベラトリックスは母を一瞥もせず、僕だけを値踏みするように見つめていた。
反対側には、とても見覚えのある男────バーテミウス・クラウチ・ジュニアが立っていた。
彼がアズカバンにいたのは、五ヶ月ほどにすぎない。それでも、以前より頬は削げ、目の周りには濃い影が落ちていた。着せられた暗い色のローブも身体に合っておらず、肩や腰のあたりが余っている。
だが、ベラトリックスのように椅子へ身を預けてはいなかった。両脚でしっかりと床を踏み、背筋を伸ばしてヴォルデモート卿の傍らに立っている。
僕が視線を向けると、クラウチもこちらを見た。
その瞳が、ほんの一瞬だけ大きく揺れた。驚いたのか、僕がここにいることを喜んだのか、それとも別の感情なのか。読み取るより先に、彼は目元から表情を消し、何事もなかったように顎を引いた。
父が僕の半歩前で膝を折る。僕もそれに倣い、ヴォルデモート卿へ深く頭を下げた。
「顔を上げよ、ルシウス」
ヴォルデモート卿に許され、父はゆっくりと上体を起こした。僕はまだ頭を下げたまま、父の言葉を待つ。
「我が君。ドラコはこれから魔法省へ赴き、コーネリウス・ファッジと面会する予定でございます。恐れながら、今後、大臣に対してどのように振る舞うべきか、お聞かせいただけますでしょうか」
「そのために、わざわざ学校から戻ってきたのだったな」
頭上から降ってきた声には、咎める響きがなかった。
「はい、我が君」
「用心深いことだ」
声色は今までになく穏やかだった。
ようやく顔を上げると、ヴォルデモート卿は椅子の背にゆったりと身体を預け、こちらを眺めていた。細められた赤い瞳には、獲物を前にしたときのような険しさではなく、面白い余興を見つけたような色が浮かんでいる。闇の帝王はこれまでで一番上機嫌だった。
十一人もの忠実な配下をアズカバンから奪い返した直後なのだ。この分なら、少なくとも来訪そのものを咎められる心配はなさそうだ。
「我が君」
割り込んで声を上げたのは、ベラトリックス・レストレンジだった。想像より甲高くしわがれた、ゾッとするような声だ。
彼女は身体は椅子へ預けたままだが、先ほどまで肘掛けに置かれていた手が、指を食い込ませるようにその縁をつかんでいる。
ベラトリックスの瞳はヴォルデモートに向けられ、熱っぽく輝いていた。
「我が君がお許しになったことへ、異を唱えるつもりはございません。ですが、その子供に、いったい何ができるというのでしょう?」
黒い瞳が、僕から父へと移る。
「闇の印さえ持たぬ、未熟な子供です。それも、臆病な、役人に取り入るしかない父親の息子。大臣に愛想よく笑いかける以外に、何ができるというのでしょうか?」
やはり、熱狂的なヴォルデモート卿の崇拝者である彼女にとって、妹の家族であろうと父と父の息子である僕は気に食わない存在らしい。
ベラトリックスの肩に置かれた母の手が強張るのが見えた。父は何も言い返さない。ただ、膝の上に置かれた手が固く握られていた。
僕が口を開くより先に、広間の反対側から掠れた声がした。
「彼を侮ってはならない、ベラトリックス」
声の主はクラウチ・ジュニアだった。
彼はしばらく僕を見つめてから、ヴォルデモート卿へ顔を向けた。
「昨年も、この子供はファッジを自分の望む方向へ動かしていました。大臣自身には、それが彼の望みだと気づかせることもなく。我々が留守の間の働きもあります。魔法省の人間を扱わせるなら、この場の誰より適任と言えるでしょう」
ベラトリックスの眉が吊り上がる。しかし、その怒りが言葉になる前に、ヴォルデモート卿が楽しげな声を上げた。
「そういえば、昨年のお前の報告には、この子供の名が度々書かれていたな。そうだろう、バーテミウス?」
「はい、我が君」
クラウチは迷いなく答えた。
……いや、一体何を書いたんだろうか。
クラウチが僕に恩義を感じるとしたなら、それは彼の正体が暴かれてからだ。それ以前の僕は、彼にとって計画の邪魔をしかねない、挙動の怪しいマルフォイ家の息子だったはずである。
どうせもうヴォルデモート卿は全て知っているのだから今さらだが──背中に嫌な汗が滲んできた。授業中の言動からハリーたちとの関係まで、下手なことを報告されていたら、かなりまずい。
「よい。面を上げよ、ドラコ」
ヴォルデモート卿が指先を動かすと、壁際にあった椅子が床の上を滑り、僕の後ろで止まった。
「せっかく自ら戻ってきたのだ。立ったままでは話しづらかろう? 座れ」
「……感謝いたします、我が君」
もう一度頭を下げてから、勧められた椅子へ腰を下ろす。
ベラトリックスの刺すような視線と、クラウチの感情の読めない眼差しが、同時にこちらへ向けられていた。
「それほどファッジを扱うのが得意なら、話は簡単ではありませんか、我が君」
ベラトリックスは僕から視線を外し、ヴォルデモート卿へ顔を向けた。
「この子には、あの愚物が余計な動きをしないよう、押さえさせておけばよいのです。その間に、我々は我々の仕事を進めればいい……」
「お前の言う仕事とはなんだ? ベラトリックス」
ヴォルデモート卿が先を促すと、ベラトリックスは身を起こした。痩せた身体に力を入れるのは楽ではないらしく、一度長椅子の肘掛けをつかんだが、その目はぎらぎらと生気に満ちている。
「今こそ、『穢れた血』と、ダンブルドアに従う者どもと、『血を裏切る者』たちに報いを受けさせるべきです。魔法省も世間も、我々の脱獄で混乱している。この機会を逃す手はありません」
ベラトリックスの顔は恍惚に輝いていた。興奮するにつれ、声に張りが戻っていく。
「我が君のご帰還は、まだ公には知られていない……ファッジはダンブルドアの言葉を受け入れられていないのでしょう? ならば、これから起こることはすべて、我ら脱獄囚がかつての敵へ報復した結果に見せかければいい。我が君のお姿をお隠ししたまま、敵の数だけを減らすことができるのです」
ベラトリックスは椅子の上で背筋を伸ばし、厚ぼったい瞼の下で黒い瞳を輝かせた。
「数人殺してみせれば、残った者たちにも思い出させることができます。我が君に背いた者がどうなるのか! 前の戦いで愚かにも門を閉ざし、どちらが勝つかを諾諾と眺めていた純血の家々も、今度は立場を選ばざるを得なくなるでしょう。
恐怖に怯えて我々のもとへ来る者もいるでしょうし、敵を差し出して忠誠を示そうとする者も出るでしょう。そうして、我々の勢力はさらに大きくなる。我が君──貴方様にお仕えするものを増やすことができる」
そこまで語ってから、ベラトリックスは再び僕を見た。先ほどまでの熱を残した唇が、嘲るように歪む。
「だというのに、この子供は。愚鈍な魔法大臣だの、法律だのに頼るつもりらしい。羊皮紙に文句を書き連ね、大臣に判を押させていれば戦いに勝てるとでも思っているのか?」
「僕はまだ、何も──」
「お前は手ぬるいのだよ!」
僕の言葉をぴしゃりと遮り、ベラトリックスは鼻で笑った。
「自分の手を汚す度胸がないから、役人や法律を盾にしているだけではないか! お前の父親と同じだ。敵が目の前にいても、撃ち倒そうともしない。我が身可愛さに、どう言い逃れれば安全かだけをずーっと考える、卑怯者だ」
父の横顔が硬くなる。母も姉の肩から手を離したが、ベラトリックスは構わず、取り憑かれたように続けた。
「我が君が道を開いてくださったというのに、その後ろから恐る恐るついてくることしかできない。そんな弱腰な子供に、我らの戦いの何が分かる?」
「その子は臆病ではない」
不意に、クラウチが口を挟んだ。
広間の視線が一斉に彼へ集まる。クラウチはそれを気にした様子もなく、まっすぐベラトリックスを見返していた。
「私の正体が明るみになった後、その子は杖も持っていなかったのに、吸魂鬼と私の間に立った。自分がどうなるか分かった上でだ。我が君に仕える私を命懸けで守ろうとした。それは臆病者のできることではない」
思わずクラウチの顔を見る。そうか。ヴォルデモートが復活してから後のことは、クラウチから伝える術もなかったのだ。
ベラトリックスは一度目を瞬かせ、それから喉の奥で低く笑った。
「何だ。このガキに恩義でも感じているのかい? バーティー坊ちゃん?」
明白な嘲りの言葉にも、クラウチの表情は変わらなかった。
「事実を述べたまでのことだ」
「ハッ! 事実ねえ……」
「恐れながら、私のことなどはどうでもよいのです、我が君」
ベラトリックスはなおも何か言おうとしたが、これ以上話が逸れる前に、僕は椅子から腰を浮かせた。
「私が臆病であるかどうかを、今ここで論じて何になりましょう」
ヴォルデモート卿へ向かって頭を下げる。制止されなかったので、そのまま言葉を続けた。
「私は決して、敵を攻撃することそのものに反対しているわけではありません。お尋ねしたいのは、今ここで攻撃を始めることが、我が君にどれほどの利益をもたらすのかということです」
「穢れた血どもと敵を減らし、従う者を増やす。それ以上に必要なことがあるか?」
ベラトリックスが即座に言い返す。
「あなたの言う
彼女の眉が跳ね上がった。
「確かに、前回の戦いでも、死喰い人の方々による襲撃は多くの人間を服従させたでしょう。逆らえば、正義の鉄槌は自分だけでなく家族まで及ぶ。その恐怖から、命令に従った者も少なくなかったはずです」
「だから、私の言うことが正しいのではないか」
ベラトリックスは鼻で笑った。ここからが正念場だ。
「……しかし、同時に敵も増えたことでしょう」
一瞬にして、ベラトリックスの顔から笑みが拭い去られた。その唇がわななくのが見える。
「……行われたのは、正しく標的を定めた攻撃だけではありません。戦略とは関係のない無差別な襲撃や、配下が個人的な恨みを晴らすために行った制裁まで、闇の帝王の威を傘に、各地で繰り返されたと伺っております。誰が襲われるのか、どこまで従えば安全なのか、一般の魔法族には明瞭には分からなかったことでしょう」
父は身じろぎもせず、正面を向いている。母の手は、ベラトリックスの座る長椅子の背を固くつかんでいた。
「そのような状況の中で、それまで戦いに関わろうとしなかった者も、やがて気づいたことでしょう。……中立でいたところで、闇の側の魔法使いたちが見逃してくれるとは限らない、と」
言葉を一度切る。
ここから先は、本当に危険な部分に踏み込むことになる。
慎重に言葉を選び、口を開いた
「……ならば、そうではないダンブルドアの側につき、少しでも自分や家族を守ってもらうしかない。そう考える浅はかな人間が出ても、決して不思議なことではない」
ダンブルドアの名前を口にした瞬間、広間の空気が即座に張りつめた。闇の帝王の長い指が、椅子の肘掛けに静かに置かれる。その瞳からは最初の愉悦は消えていた。
……心底恐ろしい。でも、やらなければならない。ここで説得できなければ、状況は一気に悪くなってしまう。
なんとか息を整え、言葉を紡いだ。
「……そうして、ダンブルドアの陣営には、戦う者だけでなく、情報を流す者、匿う者、資金を出す者まで集まった……そうではないでしょうか。恐怖によって得た服従の一方で、それを上回る反発と抵抗が生まれた。彼らを抑えるために、貴重な我が君の時間と戦力を費やすことになったのです」
「お前は穢れた血どもを庇いだてる上、前の戦いが長引いた責任を、我々に負わせるつもりか? 臆病者の息子のお前が?」
ベラトリックスの声が怒りに震え、甲高くなった。
「我が君のご命令に従い、勝利のために必要な相手を攻撃することを、問題だと言っているのではありません」
僕はベラトリックスから視線を外し、ヴォルデモート卿へ向き直った。
「我が君の栄光のために必要な力と、配下が独断的に気分よく敵を痛めつけるだけの暴力は、分けられるべきです。後者まで忠誠の証として許されれば、倒した敵以上の数を、新たに敵へ回すことになりかねないでしょう」
闇の帝王に向けた言葉だったが、それに応えたのはやはりベラトリックスだった。
「つまりお前は、前の戦いがあのような結末を迎えたのは、我々の戦い方が悪かったからだと言いたいのか?」
ベラトリックスは肘掛けをつかみ、身体を前へ乗り出した。頬には怒りで赤みが差し、先ほどまで見えていた衰弱が急に薄れたようだった。
「我が君に背いた者を罰したことが間違いだったと? 『穢れた血』どもに甘い顔をして、こちらへ迎え入れることが正しいとでも?」
「味方に迎え入れるべきだとは申し上げておりません。わざわざ敵に回す必要がないと申し上げているだけです」
「同じことだ!」
ベラトリックスは激昂して声を上げた。
「いいえ、違います。彼らをダンブルドアの元に追いやりその下で戦わせないことと、こちらに囲い込み同等に扱ってやることとは、まったく違います」
ベラトリックスは露骨に顔を歪めた。
「劣等種どもを味方につけたところで、何の得がある? 魔法界に流れ込んできた異物へ媚び、我々と同じ世界に住まわせろとでも? そんな奴らのために、我が君へ忠誠を尽くしてきた純血の者たちの、何を抑えろというのか?」
「彼らから何かを得られると思って申し上げているわけではございません。しかし、今はこちらへ向けられる杖の数を増やさなければ、それで十分です」
ベラトリックスの目が細くなる。
「敵の反発ばかり気にして、攻める機会を逃す。穢れたものどもをのさばらせて! やはり臆病者ではないか! 敵が反攻することを恐れていて、どうやって戦うつもりだ?」
「反発そのものを恐れているわけではありません」
僕は一度息を吸い、声を乱さないように続けた。
「彼らが何を頭の中に抱えていようと、それだけなら問題ではない。ですが、その思いが兵力になり、資金になり、情報になれば、こちらが対処しなければならない敵になります。さらに、こちらから無差別に襲撃すれば、彼らには抵抗するための大義名分まで与えることになる」
「大義名分!」
ベラトリックスはヒステリックに嘲り笑った。
「クズどもがどんな理論を使おうと、知ったことか! そんなもの、力で押さえつければいい!」
「そのために使う力は、本来ならもっと効果的に、別の敵へ向けられたはずです」
ベラトリックスの唇が引きつったが、今度は話を遮らせない。再びヴォルデモート卿の方へとしっかり向き直り、言葉を続ける。
「特に今は、ファッジ自身が我が君のご帰還を受け入れられずにいます。ダンブルドアを耄碌していると信じ込もうとして、その発言力を奪おうとしている。魔法省とダンブルドアは、こちらが何もしなくても対立するのです」
ヴォルデモート卿は椅子へ深く腰掛けたまま、黙って聞いている。赤い瞳だけが、僕の目から離れなかった。
──明らかに心を覗こうとしている。しかし、今僕が唱えていることは、完全に本心だ。
「……ここでダンブルドアの支持者や、その周辺にいる者が次々と襲われれば、奴の警告は正しかったように見えるでしょう。犯人が我が君であると証明される必要すらありません。世間がそう考え始めれば、それでいいのです。ファッジも今までどおりダンブルドアを攻撃し続けることが難しくなる」
「脱獄囚の報復に見せかけると言ったはずだ」
ベラトリックスは吐き捨てるように言った。
「それでも、ダンブルドアにとっては十分です。彼は脱獄を、我が君の復活と結びつけて説明するでしょう。そこへ計画的な襲撃まで重なれば、今は争っている魔法省とダンブルドアに、我々の輪郭を捉えさせることになる。それはこちらの手で、敵同士を仲直りさせてやるようなものではないですか」
ベラトリックスの瞳が憤怒にぎらぎらと燃えている。しかし、僕は真っ直ぐにヴォルデモート卿を見つめ続けた。
「今、攻撃できる相手がいることと、長期的に見て、その相手をここで殺すべきなのか。どうか、それを分けて考えていただきたいのです。……何より、我が君。貴方様の栄光のために」
ヴォルデモート卿に対し、頭を下げる。
「誰を殺せるかではなく、その死によって誰が得をするのかを、どうかお考えください」
「では、お前は──」
ベラトリックスは長椅子の背から身体を起こした。先ほどまで浮かべていた嘲笑はすっかり消え失せ、肘掛けをつかむ指に力がこもっている。
「我々が手をこまねいている間に、そのファッジとやらをうまく操ってみせるというのだな?
──『穢れた血』どもに甘い顔をし、ダンブルドアの手下をのさばらせ、せっかくの好機を何もせず見送る。その結果、敵が勢力を立て直したとしても、お前が責任を負うというのだな!」
「何もしないとは申しておりません」
「では、何をする? 言ってみろ」
「ファッジに対してなら、今回の脱獄を別の意味に捉えるように──」
「もうよい」
ヴォルデモート卿の低い声が、僕の言葉を遮った。途端に広間に沈黙が満ちた。
……ペラペラと喋りすぎたか? 先ほどから必死にベラトリックスへ反論していたせいか、ヴォルデモート卿の感情はよく読み取れていない。ヴォルデモートの意向に沿ってみせると言うより、単に論理で押した自覚はあった。
僕は慌てて口を閉ざし、椅子から立ち上がり頭を下げる。
「失礼いたしました、我が君」
「よい。顔を上げよ」
恐る恐る視線を上げる。
ヴォルデモート卿は怒っているようには見えなかった。椅子の背へ身体を預けた姿勢も、肘掛けに置かれた手の位置も変わっていない。赤い瞳に浮かぶ色を読み取ることはできなかった。
正直、かなり無礼なことを言ったはずである。
それなのに、ヴォルデモート卿はベラトリックスの怒りにも、僕が言いかけたファッジへの策にも、すぐには言葉を返さなかった。
ただ、僕の顔をじっと見つめている。
「……ベラトリックス。バーテミウス」
やがて、ヴォルデモート卿は二人の名を呼んだ。
「お前たちも疲れたろう。部屋に戻り休むが良い。それに、ルシウス、ナルシッサ。しばらく席を外せ」
父の顔に明らかな恐怖が走った。母も長椅子の背に置いていた手を離し、唇を振るわせながらヴォルデモート卿と僕を交互に見る。
「我が君?」
ベラトリックスが訝しげに声を上げた。
「聞こえなかったか?」
問い返す声は落ち着いていた。それでも、ベラトリックスは即座に目を伏せた。
「……いいえ、我が君」
彼女は一瞬だけぎろりとこちらを睨め付けたあと、椅子の肘掛けへ両手をつき、母の手を借りながら立ち上がった。クラウチも黙って一礼し、扉へ向かう。
父はその場に留まっていたが、ヴォルデモート卿の視線を受けると、深く頭を下げた。
「……承知いたしました、我が君」
僕の横を通り過ぎる際、父の足がわずかに遅くなった。母も何か言いたげにこちらを見たが、二人とも立ち止まることはできなかった。
最後にクラウチが扉の前から一度だけ振り返り、僕を見た。その表情から何かを読み取るより先に、扉が閉じられる。
四人分の足音が廊下の向こうへ遠ざかっていった。
広間に残ったのは、ヴォルデモート卿と僕だけだった。
久々の主人公による説得シーンでした。
本来1話だったプロットが4話に分割されています。
本日後二本出したいです。(出せるとは言っていない)