音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
扉が閉まってからも、ヴォルデモート卿は何も言わなかった。
僕は椅子の前に立ったまま、身動き一つできずにいた。座り直してよいのかすらも分からない。せめて両手だけは震えないようにと、ローブの脇へ真っすぐに下ろした。
暖炉で薪が崩れ、乾いた音を立てる。静まり返った広間では、その音さえひどく大きく聞こえた。
ヴォルデモート卿は、わずかに首を傾けた。細めた赤い目で、僕の顔をじっと眺めている。
その目は怒りに燃えているようには見えなかった。しかし、だからといって安心できようもない。その無表情は、目の前にいる無礼者をどう殺すのが適当か考えているようにも、まだ利用する価値がある駒なのか吟味しているようにも見えた。
……もしかして、本当に殺そうと考えられているのか?
先ほどまで伯母上へ向けていた言葉が、次々に頭へ蘇ってくる。批判的なことしか言ってないし、その上最後には、闇の帝王に何を考えるべきかを進言するような口まで利いてしまった。
謝ってしまうべきだろうか。いや、今さら発言を取り消せば、先ほどの主張がその場しのぎだったと認めることになる。かといって、弁明を重ねれば、また無礼にも自分の意思を通すため、勝手に話し始めたと思われかねない。
どんな言葉を捻り出そうと、状況は悪くしかならない気がした。
喉がひどく乾いていたが、唾を飲み込む音を聞かれることさえ恐ろしい。僕はヴォルデモート卿の次の言葉を、黙って待ち続けた。
不意に、ヴォルデモート卿が口火を切った。
「……お前は、ベラトリックスの言葉を否定しなかった。だが、一度も肯定もしなかったな?」
投げかけられた言葉の意味が飲み込めない。僕は思わず目を瞬かせた。
「……恐れながら……何についてのお話でしょうか」
「『
ヴォルデモート卿は薄く笑い、鎌首をもたげる蛇のように、わずかに首を傾げた。
「お前は、話の中で……敵同士の分断を保つことが、俺様の利益になると主張することに躍起になり、『穢れた血』が魔法界に蔓延ること自体の如何には、とんと無頓着だった」
すっと頭から血の気が引いていく。
……そうだっただろうか? そんなにもあからさまなほどに? ……いや、そうだったのかもしれない。
血筋そのものによる優劣など、僕にとってはあまりにも実感のない考え方だった。僕は伯母上へ反論しなかったのではない。そもそも無意識のうちに、反論する必要すら感じていなかったのだ。
しかし、それが露見するのはなんとしても避けないといけない。
「いいえ、我が君。決して、そのようなことは──」
「取り繕うな」
考えるより先に口から出た否定を、ヴォルデモート卿は目を眇め遮った。
僕が言葉に詰まると、薄い唇がゆっくりと吊り上がる。こちらの動揺が、何より明確な答えになってしまったらしい。
ヴォルデモート卿は残忍な悦びを声に滲ませ始めた。
「結局、お前にとって、純血がほかの血統より優れているかどうかなど、初めから問題ではないのだろう?」
喉が閉まるように息が上がる。なんとか、なんとか弁明しなければならない。
「…………マグル生まれの魔法使いは、マグル社会との強い結びつきを持っています」
どうにか答えを絞り出す。
「彼らを……無条件にほかの魔法族と同じように扱えば、マグルの世界と魔法界との境界を曖昧にするおそれがあります。……機密保持法を維持するためにも、区別は必要だと考えております」
ヴォルデモート卿の酷薄な笑みが、さらに深くなった。
「なるほど。だが、それは『穢れた血』が血統として劣っていると、お前が考えて
喉の奥から、低い笑い声が漏れる。
「お前が重要だと見ているのは血ではない。生まれ育った環境と、マグルどもの社会とのつながりが生む危険だけだ。ベラトリックスのような血に対する憎しみなど、どこにある?」
もはや、否定する言葉は見つからなかった。全て見透かされてしまっている。
まったく、その通りだった。僕の中には、伯母上と同じ信仰はどこにもなかった。
今や、僕は取り返しのつかないところまで間違えてしまったように思えた。
「しかも──」
ヴォルデモート卿は、喉を鳴らして笑った。
「お前は惰弱なことに、こう思っている。必要のない犠牲は、できるだけ避けたいとな」
びくりと勝手に肩が揺れる。隠そうとしたときには、もう遅かった。
「お前は知らなかっただろうが……かつてバーテミウスも、お前についてそれらしいことを報告していたのだ。父親に似て、ホグワーツで見境なく愛想を振り撒いている。頭はいいが、争いを避ける傾向にあり、死喰い人に向いているようには見えないと」
では、今日初めて気づかれたわけではないのか。罠にかかった獲物を見るかのように、ヴォルデモートの赤い目が光った。
当たり前だが、僕がどのような考え方をしているのか、ある程度は以前から知られていた。それを伏せた上で、闇の帝王はこれまで僕を処罰せず、好きなように動くことを許していた。
ずっと、手のひらの上だったのだ。そう思うと、身体から血の気が引いていく。
……けれど同時に、そこにはわずかな活路もあるように思えた。
犠牲を避ける考えを持っているだけで殺すつもりなら、とっくにそうしていたはずだ。つまり、彼の決定的な逆鱗はそこにはない。
ふと、以前耳にした話が脳裏に蘇る。ハリーがクラウチ・ジュニアを前にして語った話だ。──闇の帝王の父はマグルだった。彼もまた、純血ではなかった。
どこまで本当なのかは分からない。それでも、今はそこに賭けるしかなかった。
血筋というデリケートなことについて下手なことを言えば、本当に殺されるだろう。だが、ここで黙り込めば、考えを隠したまま取り入ろうとしていた不誠実な人間の烙印を押されかねない。……だから今、やるしかない。
僕は一度詰まった息をなんとか整え、覚悟を決めて口を開いた。
「我が君……私は、純血です」
ヴォルデモート卿の赤い目を見返しながら、慎重に言葉を選ぶ。
「……ですが、自分の能力には明確な限界があると、常々感じています。私が到底並び立つことのできない者の中には……純血ではないものもいる。少なくとも、私自身の存在だけでは、純血であることに無条件の価値があると、断言することはできない……そのように思えて、ならないのです」
ヴォルデモート卿は口元に笑みを浮かべながら、瞬きもせずに僕を見つめていた。否定も肯定も返ってこない。
「……もちろん、マグル生まれや、マグルを親に持つ半純血の魔法使いについて、懸念がないわけではありません」
一度息を継ぐ。喉が乾き、声が掠れそうになった。
「能力という面でもそうでしょう。しかし──彼らは、ホグワーツへ入学するまで、魔法について学ぶ機会に乏しい。幼い頃から魔法に触れ、知識や技術を受け継げる純血の家に比べれば、環境の面で大きく劣ります。結果として、彼らの能力が純血の魔法使いより低くなることがあっても、不思議ではありません……」
肘掛けをなぞっていたヴォルデモート卿の指が、一度止まった。試すような視線が突き刺さる。
「さらに、彼らはマグル社会との結びつきを持っています。魔法界とマグルの世界との境界を曖昧にし、我々の存在を危険に晒す可能性もあるでしょう」
「それがお前の懸念か? だから、血の尊さを信じておらずとも裏切り者ではないと?」
「……はい。ですが……」
そこでやめておくべきだった。これ以上は、ファッジへの対応とも、先ほどの議論とも関係がない。
それでも、ヴォルデモート卿は黙って続きを待っていた。
「……そのような問題を抱える彼ら自身も、幼い頃から苦難の道を歩まされているのだと思います。多くは魔法使いとして育つ機会すら与えられず、入学してからは魔法界に育った者との知識や経験の差を、自分一人で埋めなければならない。それだけではなく……家族との間にも、二つの世界の間にも、断絶を抱えることになります。魔法族とマグルという、乗り越えるにはあまりに深い断絶が……」
暖炉の中で薪が小さく爆ぜた。
「そうした苦難は、彼らだけでなく……我々の世界をも、蝕むでしょう。……育つはずだった力を失わせ、魔法界に対する不信や反発を生むのですから」
気づけば、ヴォルデモート卿の顔からは笑みがすっかり消えていた。口に出すほど、自分が余計なところへ踏み込んでいることが分かる。それなのに、止められない。いや、だからこそだ。今は最後まで本心を話し、ヴォルデモート卿を説得する以外の道はないように思えた。
「……もし我々の世界が、これからさらに繁栄することを望むなら……彼らの排斥は、火種を庭木になすりつけるようなものかもしれません。
だから、むしろ彼らを……守ることに益があるかもしれない。……浅薄にも。そう愚考する次第でございます」
そこで、ようやく言葉を切ることができた。
純血ではない魔法使いを助けるのが正しいと、ヴォルデモート卿に懇願するつもりなどなかった。できるだけ偽りなく、自分の考えを整理して説明しているうちに、言わなくてもよいことまで口にしてしまった。
だが、ヴォルデモート卿は笑わなかった。
肘掛けに置かれた指を止めたまま、長いあいだ黙って僕を見つめていた。その沈黙が何を意味するのか、僕には読み取れなかった。
暖炉の炎が揺れるたび、ヴォルデモート卿の青白い顔へ橙色の光が差し、すぐに消えていく。
赤い瞳は僕へ向けられたままだったが、やがてほんのわずかに逸れ、燭台の火へ移る。
「……純血の名門に生まれながら、その価値を信じていないとはな」
声にはまだ侮蔑が含まれていたが、どこか表面的で、独り言のような声だった。
「代々血を守ってきたお前の祖先が聞けば、さぞ嘆くだろう」
ヴォルデモート卿は青白い手を持ち上げ、思案するように顎に当てた。
「ルシウスやナルシッサは、我が子がそのような考えを持っていると知っているのか?」
「……詳しく話したことはございません」
正直にそう言うと、ヴォルデモート卿はこちらに視線を向けることなく微かに頷いた。
「そうだろうな。……ベラトリックスが知れば、今度こそお前を磔にするやも知れぬ」
嘲られているはずなのに、その声は先ほどよりもどこか静かだった。
何と答えるべきか分からず、僕は黙って頭を下げた。
「まあ、よい」
ヴォルデモート卿は、ゆったりと椅子へ背を預け、再び僕に目を向けた。
「……お前がその惰弱な考えを捨てられぬというなら、好きに持っているがよい。お前の胸中がどうであれ、俺様のために働き、背かぬ限りは咎めぬ」
…………やったのか? 本当に、あれで僕は闇の帝王を言いくるめることができたのか? 信じられない思いでヴォルデモート卿の顔を見るが、その表情は凪いでいた。
「……ご寛大なお言葉、感謝いたします」
決め手がどこにあったのか分からないが、ひとまず、ここで殺されることはなさそうだ。張りつめていた息が、勝手に喉から少し漏れ出た。
しかし、その直後、ヴォルデモート卿はどこか楽しげに目を細めた。
「それで、あそこまで大言壮語を吐いたのだ。お前はファッジを動かせるのだな」
言葉自体は問いかけの形をしていたが、確認を求めているわけではないことがありありと伝わってくる口調だった。
「……恐れながら、ファッジをどのように動かすかについては、実際に会って確認した上で──」
「それを承知の上で、お前は自分に任せろと言ったと思うが?」
ヴォルデモート卿は軽く僕の言葉を遮った。
「ベラトリックスのやり方では、敵を増やすだけだ。自分がファッジを利用した方が、俺様に大きな利益をもたらす、とな」
そこまで断言したつもりはないと言えればよかったが、赤い瞳に浮かぶ愉悦を見ては不可能だ。僕は口を閉ざすことしかできなかった。
「ならば、証明してみせろ」
ヴォルデモート卿は、肘掛けの上で長い指を組んだ。
「明朝の『日刊予言者新聞』、あるいは遅くとも近日中に発表される魔法省の公式見解で、俺様に成果を示せ。魔法省は俺様の復活ではなく、むしろダンブルドアの耄碌を疑っていると表明させるのだ」
……今日のファッジとの面会は、魔法教育委員会について打ち合わせるためのものだ。その場で脱獄事件への政府見解を変え、翌朝の新聞にまで反映させなければならないらしい。
いくら何でも、与えられた時間が短すぎる。
「お前のやり方で成果が出ている限り、ベラトリックスたちには待つように言ってやろう。お前が望んだ猶予を与えてやるのだ」
それは温情ではなかった。僕が何かを成し遂げている間だけ、彼らの攻勢を止めておくという意味だ。
「だが、失敗すれば、次はベラトリックスの案を採用する。お前が無駄にした時間についても、当然、責任を取ってもらう」
ヴォルデモート卿は、僕の顔から血の気が引いていくのを眺め、満足そうに目を細めた。
「お前ならできるだろう?」
問いではない。
僕はその場で立って膝を折り、深く頭を下げた。
「……必ずや、ご期待に沿ってみせます。我が君」
「いいだろう」
頭上から、満足げな声が降ってきた。
純血主義を欠いていると見抜かれたことも、なぜそれを許されたのかも、今は考えている余裕がない。
次はファッジだ。
今日中に、あの男をどうにかする必要がある。
久々の主人公の言いくるめロールです。こういうシーンを扱っている時、一番小説を書いていて楽しく思います。