音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
スネイプが騎士団本部を立ち去ると、場の騒然とした空気は少しだけ落ち着いた。
シリウスは会議に使っていた食堂を出て、隣の小さな客間へ逃げ込むように入る。宿敵に言い逃げされ、臓腑に渦巻く怒りはまったく収まっていなかった。
なんとか気持ちを落ち着かせるために一人になろうとしているのに、後ろにはリーマスとトンクスもついて来ていた。
最後に入ったトンクスが扉を閉めるなり、シリウスは乱暴に椅子を引く。腰掛ける気にはなれず、その背に両手をついてしばらく俯いたまま動けなかった。
「……シリウス」
トンクスが、少し言いにくそうに声をかけた。
「どう考えてもスネイプの言い方が悪いし、そもそも、あの人が子供のことをどうこう言う権利はないと思うけど……でも、全部が全部間違いなわけじゃないって、あなたにも分かっているでしょう」
シリウスは忌々しさを隠そうともせず、顔を顰めて彼女の方を向いた。
「トンクス、君までスネイプの味方をするのか?」
「いやね、違うわよ。でも、あなたもご存知の通り、私のママはブラック家出身のスリザリン生だったわ」
シリウスは一瞬返す言葉を失ったが、トンクスの目には責める色はなかった。
「……あのね、別にドラコ・マルフォイを信用しろって言ってるわけじゃないのよ。私も生徒の中で一番気をつけなきゃいけないのはあの子だと思っているし、魔法省に出入りしてファッジに取り入っているのは事実だもの」
「だったら──」
「でも、それと他のスリザリン生は別」
トンクスは人差し指を立てて遮った。
「私、この前までホグワーツにいたんだから、実際に見たわよ。今のスリザリンとグリフィンドールって、私たちが学生だった頃とは全然違う」
シリウスは押し黙った。それを否定し続けることは難しいことは、もう自分でも分かっていた。
トンクスはシリウスの内心を知ってか知らずか、話を続ける。
「少なくとも、ハリーの周りにいるスリザリンの子たちは、本当に普通の友達って感じだった。ロンと仲直りするまではずっとビンセント・クラッブと一緒にいたし──それで、普通に一緒に勉強してただけ。ちょこちょこ喧嘩することはあっても、寮の違いで相手を敵扱いするような様子もなかった。スリザリンの子たちだって、前みたいにマグル生まれってだけで避けたりしないわ」
「……ああ、私もそれは分かっているとも。しかし、だから何だと言うんだ」
シリウスは低く返した。
「仲良く勉強していれば信用できるというのか? 我々の側について戦える子達だとでも?」
トンクスは隠すことなくため息をついた。
「なんでそうなるの? そういうことを話しているんじゃないわよ」
「なら同じだろう」
シリウスは椅子の背を強く掴んだまま言った。
「ああそうか、今は仲良くやっている。それはいいことかもしれない。けれど、戦争で命のやり取りをするようになれば──クラッブ、ゴイル、ノット──彼らの父親は死喰い人だ。彼らをハリーが信用して、それで何か起きてしまっては遅い」
呆れたように頭を振り、トンクスは口を開きかけたが、その前にリーマスが静かに彼女を見た。
「……トンクス、悪いけど少し二人にしてもらってもいいかい?」
トンクスは一瞬だけリーマスを見返した。それからシリウスへ目をやり、何かを察したように小さく息を吐いた。
「シリウス。私、別にあなたがハリーを心配するのがおかしいって言ってるんじゃないからね」
「分かってる」
シリウスはぶっきらぼうに答えた。トンクスが出ていき、静かに扉が閉まる。部屋には、シリウスとリーマスだけが残った。
沈黙を裂き、シリウスは椅子の背に両手を置いたまま低く言った。
「……私はただ、ハリーを守ろうとしているだけだ」
「分かってるよ。君は誰よりハリーのことを気にかけている」
リーマスは静かに答えた。
「しかし……スリザリンの子たちについては、二年前に私が見たときも、我々の頃とはずいぶん様子が違っていた。それだけはトンクスの言う通りだと思う」
シリウスは勢いよく顔を上げた。
「お前までスリザリンの人間を……マルフォイを庇うのか?」
「君が心配する理由はよく分かる。けれど……」
リーマスは首を振った。
「君だって覚えているだろう? 二年前、あの子は私を助けてくれた。いや、私だけじゃなくハリー達も。誰も傷つかないように必死に戦ってくれた。彼自身をのぞいて……」
シリウスは一瞬、言葉に詰まった。決してあの夜のことを忘れていたわけではない。……いや、それでもあの時、マルフォイは同時にピーターをも庇ったのだ。
「二年前とは、もはや状況が全く違う。それだけのことで、今懐に入れていい相手ではない」
シリウスは苦々しく言い捨てた。
「ああ、そうかもしれない」
リーマスはあっさりと認めた。
「あそこまで誰かのために命を賭けることを当然のようにやれてしまう子が、父親だけを簡単に裏切るとも思えない。でも──」
その言葉に、シリウスの顔色が変わった。そのままルーピンの言葉を遮り口を開く。
「だから危険なんだ」
椅子の背を掴んでいた手に再び力がこもる。
「それはつまり、最後には父親を選ぶ可能性が高いということだ。今どれだけハリーと仲良くしていたとしても、身内に危険が迫ったなら裏切るだろう。いや、さらに、その仲の良さを利用されるかもしれない……我々と、ピーターのように」
その名前を聞いた瞬間、リーマスはわずかに怯んでしまった。シリウスの瞳には、アズカバンの日々で培われた、狂気に似た憤怒と悲しみが宿ってる。ピーターの裏切りによって、自分よりもシリウスの方が大きな癒えない傷を負ったということは、リーマス自身も分かっていた。
シリウスの苦悩を前にして、簡単に適当な言葉を探すことはできなかった。
場に沈黙が落ちる。シリウスは急に黙ったルーピンを訝しみ、眉を寄せた。
「……何だ?」
リーマスは一度視線を落とした。シリウスに何かを伝えるためには、まずは自分の方からしなければならないことがあるのには気づいていた。
「……シリウス、ずっと君に言えていなかったことがある。……どうか僕に……謝らせてほしいんだ」
シリウスの表情が僅かに強張った。
「ジェームズとリリーが死んだあと、僕は君が裏切ったんだと……そう、思い込んでいた。そして十三年間、君をアズカバンに置き去りにした」
「それはお前にはどうしようもなかったことだ」
ぶっきらぼうに返すシリウスに、リーマスは首を振った。
「いいや、疑うことはできたはずだ。それに……それだけじゃない。君が戻ってきてからも、そのことをちゃんと話して──考えようとしなかった」
シリウスはリーマスから目を逸らした。椅子の背に置いていた手を離し、大きく息を吐いた。
「今更、そんなことはどうでもいいんだ、リーマス。十分お前の想いは伝わっている。それに、戻れない過去を振り返って、いったい何になるっていうんだ?」
吐き捨てるような声だった。リーマスは何も言わなかった。
シリウスはしばらく俯いたまま、やがて低く続けた。
「ピーターを秘密の守り人にしようと言ったのは俺だ。俺がそうするように、ジェームズとリリーに言った。……そのせいで二人が死んだことに、変わりはない」
声が僅かに掠れた。シリウスはそれを押し殺すように言葉を続けた。
「だから……せめてハリーだけは守らねばならない」
椅子の背を再び強く掴んだ。
「もう二度と同じことは繰り返させない。……今度こそ、ハリーを守らなくてはならないんだ」
「……シリウス、君のせいじゃない」
リーマスの声は静かだった。シリウスは顔を上げた。何か言い返そうとして、うまく言葉にならないまま息を詰まらせる。
「ああ、くそ……誰のせいだったとか、そんなことはどうでもいい!」
シリウスは吐き出すように言うと、荒々しく椅子に腰を下ろし、そのまま片手で顔を覆った。
「……ジェームズを失ってしまった……」
「だから、ジェームズが逝ってしまったあの日……君を一人にして、すまなかった」
シリウスの手が止まった。リーマスの顔を見上げると、そこには苦悩が滲んでいた。
「……それどころか、君を疑った。そして、何があったか考えるのが恐ろしくて……アズカバンにいる君のことを、忘れようとした」
シリウスはすぐに首を振った。
「別にお前は悪くない」
視線を手元に向け、シリウスは遠くを見るようにつぶやいた。
「あのとき、お前は自分の役割を果たしていた。それに……俺だってお前を疑ってた。誰もが誰もを信用できない時代だった」
最後の言葉とともに、肩から僅かに力が抜ける。
「……過去のことを振り返っても、仕方がない……」
シリウスはうめくように呟き、深く俯いた。
リーマスはしばらくその姿を見つめてから、シリウスの方へ少し歩み寄り、静かに口を開いた。
「それでも、もう遅くても……今からやり直させてほしいんだ」
シリウスは顔を上げなかった。ルーピンはシリウスの前に片膝をつく。
「もう僕は逃げないよ」
まっすぐに向けられた言葉に、シリウスの指が僅かに動いた。
「だから、どうか自分を大事にしてくれ。もう、悪戯仕掛け人は僕らだけになってしまったんだから」
シリウスはしばらく黙っていた。
やがて、膝の上で組んでいた手をほどき、低く言った。
「……ハリーのことは、俺も分かってる」
視線は床に落ちたままだった。
「ハリーはジェームズじゃないってことくらい、分かってるんだ。しかし……じゃあ、どうやってハリーを守ればいい?」
声がしゃがれ、途切れた。シリウスは俯いたまま、力なく項垂れた。
「今の俺には何もできない。この屋敷に閉じ込められたままでは、あのときと同じだ……また俺の知らないところで、何もできないまま……」
「そんなことはない」
リーマスはきっぱりと言い切った。シリウスがゆっくりと顔を上げる。
「ハリーは、守ってくれるからという理由で君を愛しているわけじゃない。君はハリーにとって、何より大事な家族なんだ。危険に身を晒して戦うところを見せなくとも、それは変わらない」
それでも、シリウスは何も言わなかった。
「君が自分の名付け親だと分かったあの日、ハリーがどれだけ嬉しそうな顔をしていたか。君には分かっているのか?」
ほんの僅かに、シリウスの瞳が揺れた。
「君にしかできない、ハリーの守り方がある」
シリウスは何も答えられなかった。
ただ、二年前のあの夜のことを思い出した。ハリーが、自分が名付け親だと知ったとき。ダーズリー家を出て、一緒に暮らさないかと持ちかけたとき。ほんの一瞬、それまで張り詰めていたハリーの顔が、信じられないほど明るくなった。
あの表情だけは、今でもはっきりと思い出せる。
シリウスは俯いたまま、長く息を吐いた。