音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
昨日の試験前の打ち合わせは夜が更けるまで続いたものの、おおむねつつがなく終わった。
一応僕もファッジに帯同という形で顔を出したが、なーんにもやることはなかった。
まあ、元々O.W.L.やN.E.W.T.は魔法試験局の管轄だし、ここのシステムを大きく変えると就職にも影響し、ひいては魔法界の勢力図の一部も変わってしまう。とすれば、安易にいじらないのが吉。闇の帝王に対するアピールの手駒は残しておきたいし、来年度以降に「使える」実績が必要になったときにまた働きかければいい。
4年生以下の各学年で行われる「闇の魔術に対する防衛術」のテストはカリキュラム準拠であることが確認されているし(当然、生徒である僕は詳細な中身を知らないが)、適切な評価とフィードバックにより、さらに生徒は効果的に学習に取り組めるようになるだろう。
任期後半のドーリッシュと、トンクスとジェマはほぼ指導要領に沿った授業をしてくれたから、試験結果にも現れる(と信じている)生徒の実力の向上は、改革の実績として考えることができるはずだ。
打ち合わせに参加したダンブルドアとマクゴナガル教授は、来年に向けて貴重な意見をいろいろとくれた。ファッジはもう、ダンブルドアのやることなすこと気に入らないので、頑なな態度をとっていたが……教師側からの建設的な提言はとても大事だ。ホグワーツで私的に彼らに話を聞きづらい分、委員会という場はとても有用なものになった。
立法期間のデスマーチは大変に辛いものだったが、終わってみれば実りある一年だった。……問題があるとすれば、ここに至るまで、僕から見れば本当に
もう、一年が終わってしまう。それなのに、今年何が起こるのか、僕にはまだ見えていない。
翌日、土曜日の朝。部屋で身支度をしていると、クラッブとゴイルがのそのそと起きてきて、昨日の出来事を話してくれた。
──なんと、昨日の夕方、急にハリーが倒れたという。賭博つき決闘大会なる馬鹿げた催しの報告が引き起こしてくれた頭痛は、あっという間に雲散霧消してしまった。
正確には、片付けの最中に突然頭を押さえて叫び、倒れかけた──ということだそうだ。その後すぐにロンとハーマイオニーを連れて、どこかへ行ったらしい。そんなのもう、ヴォルデモートがらみに決まっている。しかし、傷痕が痛んだだけならまだしも、もし何かを見たのだとすれば妙だった。僕の知る限り、ハリーは起きている間に幻視をしたことがない。まあ、最近はあまり話を聞けていないが……そこまで派手に倒れていたら絶対耳に入ってきたはずだ。
すわ
馬鹿野郎、ビビらせるんじゃないよ。僕は内心胸を撫で下ろした。
それにしたって、これはどういうことなのだろう?
もちろん、ヴォルデモートは何をするにも僕へ事前に相談してくれるわけではない。それどころか、むしろ僕の知らないところで勝手に物事が進んでいる方が普通なのだ。それにしても、ハリーへ直接何かを仕掛けたのだとしたら、様子を見るとか補助的な役割くらいは命じられてもおかしくないはずだ。
せめてハリー本人にそれとなく様子を聞いてみるべきだろうか? とはいえ、今朝の大広間では普通に食事をしていたし、こちらから傷痕について聞けば妙に思われるかもしれない。そこからヴォルデモートに僕の不審な動きが漏れるようなことがあれば、それはそれでまずい。
……でも、もう学期末が近い。なりふり構っている場合でもないかもしれない。
そんなことを考えつつ、僕は一人で図書館へ向かっていた。昨日の打ち合わせで試験範囲について意見を出すため、図書館から何冊か本を借りていたのだ。
人気のない廊下で、不意に微かな声が聞こえた。
「ドラコ・マルフォイ様……」
聞き覚えのない呼び方に、足を止める。廊下の端、柱の陰から、小柄な屋敷しもべ妖精がこちらを覗いていた。
「君は……確かウィンキー? クラウチ家の屋敷しもべ妖精だったよね?」
僕が声をかけると、ウィンキーは慌てたように深々と一礼し、そのまま周囲を落ち着きなく見回した。誰もいないことを確認すると、ウィンキーは精一杯背伸びして、僕の胸元あたりで耳打ちのような仕草をした。
「バーティ様が、あなたとお話ししたいとおっしゃっています。今すぐに」
クラウチが僕に? とてつもなく嫌な予感が身体中を駆け巡った。
僕も周囲を警戒しつつ、ウィンキーの方へかがみ込む。
「君、まだバーテミウスに仕えているの? ──いや、彼はどこにいるの?」
「学校のお外でございます。あたくしに連れてくるようにと」
どうせ今日の午後にはマルフォイ邸へ行くことになっている。そこで話せば済むのに、わざわざダンブルドアの目が光るホグワーツまで出向いて、今すぐ僕に伝えたいこととはなんなのだ。そこはウィンキーを通して教えてくれないのか。というか、ウィンキーはクラウチ家をクビになったのに、その元主人を殺した息子にまたもや仕えているのか。それが屋敷しもべ妖精の業なのか。絶対に考え直した方がいいと思う。
言いたいことは山ほどあったが、仕方ない。クラウチ相手なら会話の余地があるだろうし、情報を引き出せるかもしれない。
僕はブックバンドでまとめていた本を抱え直した。
「……案内して」
ウィンキーはもう一度頭を下げ、僕を先導して歩き始める。僕は目眩し呪文をかけ、その後を追った。
城を出て正門を抜けてからも、彼女は足を止めなかった。ホグズミード駅へ続く道をしばらく下り、やがて人目を避けるように道脇の木立へ入っていく。ホグワーツからそう遠くはないが、城からは見えず、生徒がわざわざ入り込む理由もなさそうな場所だった。僕は身構え、ポケットに入っている杖をしっかりと握りしめる。
枝を避けながらさらに奥へ進むと、やがて木々の向こうに黒い人影が見えた。
クラウチは太い木の幹にもたれ、じっと立ったまま待っていた。ウィンキーの後ろで僕が目眩し呪文を解くと、素早く体を起こしてこちらに歩み寄ってきた。
クラウチはすぐさま話し出そうとしていたが、先手を打って口を開く。
「昨日、そちらで何かされていました?」
クラウチはわずかに目を見開いた。
「……知っているのか?」
「詳しいことは何も? ハリーが頭痛で倒れかけたってことくらいです」
クラウチは一瞬黙り、それから小さく舌打ちした。
「……まったく、話が早い。ああ、そうだ。昨日、闇の帝王はポッターを神秘部へ誘い出そうとした」
やはり神秘部関係か。しかし、誘い出すとは? なぜハリーがあそこへ行かなければならないんだ? 聞きたいことは山ほどあるが、聞き方には注意しなければ、こちらが持っているはずのない手札を晒すことになる。
はやる気持ちを抑え、僕はできるだけ自然な質問を続けた。
「でも、どうやって? 頭痛だけでは何もできないでしょう」
クラウチは額に皺を寄せ、頭を軽く振った。
「我が君は、ポッターに近しい者を餌にする案をお認めになった。そこで、シリウス・ブラックを使うことにしたのだ。奴を神秘部で拷問する幻覚を見せることで、誘い出す手筈だった」
一瞬、背筋に冷たいものが走る。いや、でも、ハリーは元気そうだった。だから、どうか──
動揺を抑えこみ、あたかもふと気になったように首を傾げる。
「じゃあ、ブラックを捕まえられたんですか?」
「いいや。だから幻覚なのだ。闇の帝王は精神の繋がりを通じて、偽りの映像をポッターに見せた」
ほっとすると同時に、少し苛立ちを覚えた。
なんか……ガバくないか? その案は? 今聞いただけでも、四つくらいは神秘部に直接行かず、シリウスの安否を確認する方法が頭に浮かぶのだが。猪突猛進グリフィンドールにはその程度の罠で十分ってことか?
平静を取り繕い、話を続けた。
「それで、ハリーはどうしたんです?」
「魔法省へは来なかった。奴は自分で動かず、ダンブルドアに確認を取ることを優先したのだ」
おお、ハリーよ……。内心、僕は感動に打ち震えていた。ついに大人を頼ることを覚えてくれたか。この一年で魔法の腕もずいぶん鍛えたと聞いているが、この成長が一番彼の生存率を高めたことだろう。
神に感謝しつつ、話を続ける。
「で、そもそもなぜ、ハリーが必要なんです? 神秘部に何かあるとは思っていましたが──」
「ドラコ」
クラウチが低い声で僕の言葉を遮った。
「知りたいなら教えてやろう。しかし、先に俺の話を聞け」
いつになく強い口調に、僕もようやく口を閉じる。クラウチは僕をまっすぐ見た。その目には、焦りの色がありありと浮かんでいた。
「闇の帝王は──次こそは、本物の餌を使うつもりだ」
「あー、なるほど。それが僕だって話ですか?」
僕の言葉に、クラウチは大きく目を見開いた。
二の句を継がない彼に向かい、僕は聞きたいことを尋ね続けた。
「で、このことについて、僕の父はなんと闇の帝王に申し上げているのですか?」
クラウチは激しく頭を掻いた。
「そもそも、この事態がお前の父親のせいだ!
──奴は我が君から賜ったものを粗末に扱い、失った。その罰としてポッターを連れ出すように命じられたが、それも失敗した」
うわあ、それはまずい。父が「日記」を失ったのが、とうとうバレたのか……。しかし、良かった。僕の予想が正しければ、代償に命まで取られかねないほど大事なものだったはずだ。それでも、闇の帝王は罰を与えるだけで、父を生かしてくれている。物語は最善のラインの上を動き始めている。
「で、闇の帝王は、計画を成功させる餌と部下の失態の罰を兼ねて、その息子を使おうとしている。そういうことですね?」
僕が確認するようにそう言うと、クラウチはしばらく返事をしなかった。怒っているというより、こちらの反応そのものが理解できないような顔をしている。
「……何を落ち着いて話をしている?」
「いや、まあ、とりあえず父は無事らしいですから。それで、結局なんでハリーが必要──」
「お前は俺の話を聞いていたのか!?」
突然声を荒らげられ、思わず肩が跳ねた。まったく、びっくりさせないでほしい。
「わかってますよ。心配してくれてありがとうございます。でも──」
「心配!? お前は殺されるかもしれないんだぞ!」
「ああもう、叫ばなくても分かっていますって。でも、計画が成功してハリーを誘き出せれば問題ないはずです」
もっとも、成功させる気など、さらさらないが。
クラウチはまだ何か言いたげだったが、僕は先に手を上げて制した。
「あなたが忠告してくださったことには感謝します。でも、こんな、闇の帝王の計画を真っ向から邪魔するようなことはしてはいけない。バレたら危険すぎますよ」
「……真っ向から邪魔する?」
クラウチは眉を顰めた。
「勘違いするな。お前に下された命令ではない。ルシウス・マルフォイが、お前を連れて来るよう命じられたのだ。お前がホグワーツから出なければ、命令を果たせないのは奴の責任だ」
あまりにも苦しい理屈だった。僕は思わず眉を上げる。
「下手な詭弁ですね。あなたらしくもない」
クラウチの顔が険しくなる。
「あなたはすでに我が君の意を知っているんでしょう? その上で僕を行かせまいとするなら、反逆の誹りは免れませんよ」
「……反逆だと?」
低い声が返ってきた。
「俺は我が君に背くつもりなどない」
「なら、僕が行くのを止める理由もないでしょう」
「ある!」
クラウチは苛立たしげに吐き捨て、一歩こちらへ近づいた。急に縮まった距離に少し身を引きながらも、僕は黙って続きを待つ。
「昨日、計画は失敗したばかりだ。ポッターはブラックを助けに飛び出さず、ダンブルドアを頼った。次も同じように動かないと、なぜ言い切れる?」
「ダンブルドアの件については、僕から我が君に進言します。もう少しハリーに流す情報を精査すれば、その辺りはどうにかできるかと」
「それだけではない。お前は人質だぞ」
「そこは……そうですね」
少し考える。
「神秘部にハリーを呼び出して、彼に何をするつもりなのか僕にはなんとも言えませんが……ハリーが人質との交換条件を徹底してくれれば、存命の道筋はあるんじゃないですか?」
知らんけど。ハリーは絶対に来させない。
「……存命の道筋?」
クラウチは信じられないものを見るように僕を見た。
「ポッターが来て、交換が行われ、そこでお前は解放される。……お前の想定はそこまでか? ポッターが要求どおりに動かなかったらどうするつもりだ? 神秘部に来るまでに時間がかかったら? 仲間を連れてきたら? ──またダンブルドアを頼ったら?」
「だから、その辺りは──」
「そのたびに、我が君は
僕の言葉を押し切るように、クラウチはさらに続けた。
「脅すだけで済む保証などどこにある? いや、奴を確実に動かすためだ。間違いなく傷つけられる! 磔の呪文だって使われるだろう。しかも、それでポッターが従わなければ──お前が殺される可能性だってある!」
どうやらクラウチは、本気で僕がそこまで考えていなかったと思っているらしい。
「そんなことは分かっています」
できるだけクラウチを落ち着かせるために、静かな声で言った。
「むしろ、我が君はそれこそをお望みなのでしょう」
クラウチが怯んだように黙った。
「僕を人質にする時点で、父への罰という意図も含まれているのだから。なら、それを承知で行く僕をあなたが止めるのは、やっぱり我が君の計画を邪魔することになる」
「……それでもだ。お前が欠けることによる損失を考えれば……」
絞り出すような返事に、僕は小さくため息をついた。
「見解の相違ですね。あなたはもっと『忠義者』だと思っていましたが」
これ以上話しても平行線だろう。僕はクラウチに軽く頭を下げた。
「では、僕は城に戻ります。事前の情報共有、感謝いたします」
木立を抜ける方へ体を向けた、その瞬間だった。
腕を強く掴まれる。
「待て」
予想していなかった力に足を止め、振り返る。クラウチは僕の腕を掴んだまま、険しい顔でこちらを睨んでいた。
「……離してください」
「嫌だ」
あまりにも即答だったので、僕は一瞬言葉を失った。
「……俺の忠義を侮辱するな。俺が我が君のために何をしてきたと思っている」
「なら、なおさら僕を止める理由はないでしょう」
「ある!」
「どこに?」
問い返した途端、クラウチが言葉を詰まらせた。僕は掴まれた腕へちらりと視線を落とし、それからもう一度クラウチを見る。
「我が君は僕を使うと決めて、あなたはそれを知っている。その上で、僕に行くなと言っている」
「お前に下された命令ではない」
「しかし、我が君の意向には反しています」
返事はなかった。
「僕をホグワーツに残せば、我が君の望んだ計画が行われることはない。それでも止めるんですか?」
クラウチは黙ったまま、掴んだ腕を離さなかった。指先に込められた力だけが、むしろ先ほどより強くなり、僕の腕に食い込んだ。
「我が君に逆らうつもりはないんでしょう?」
「……ああ」
「なら、なぜです?」
また沈黙が落ちた。木々の葉が風に擦れる音だけが、妙に大きく聞こえる。
クラウチはしばらく何も言わなかった。僕から視線を逸らしもしないまま、何かを飲み込もうとするように一度唇を引き結ぶ。
やがて、食いしばった歯から漏らすように答えた。
「……お前を失うことはできない……」
何を言われたのか、一瞬わからなかった。
僕は何も返せないまま、クラウチの顔を見つめた。こちらの反応を試している様子でもない。クラウチは僕の腕を掴んだまま、ひどく苦しそうな、真剣な顔でこちらを見ていた。
木々の間を風が抜け、頭上で枝葉の擦れる音だけが聞こえる。それでも、クラウチは手を離さない。
…………怖い。この人の思考の流れが、全くわからない。
ここに来て、僕は今日一番怯えていた。
いや、想像できないことはないのだ。去年、僕は偽物のマッド-アイに対しても、バーティ・クラウチ・ジュニア本人に対しても、色々と話した。後から振り返ってみると、僕自身の身の上への思いマシマシな話だったから、心には響いたかもしれない。その上、なんだったらうっかり命を賭けて守りまでした。
いや、でも──そんなことで? たかがそれだけで、人を殺して闇の帝王を復活させた人間に、年下の過労学生への情が湧くものなのか?
この人がどうしてこうなるに至ったのかも、その思いの丈がどの程度なのかも、わからない。
どうしよう。どうしなきゃ? どうするべき?
とにかく、ここで拘束されて、父が罰されるようなことがあってはならない。なんとか説得して、計画がうまく進むように運ばなければ。
でも、クラウチはかなり頑なだ。今この場で見限ってもらうために、何か下衆なことでも言う? いや、普通にバレそうだな。流石にそこまで付き合いが浅いわけでもないし、意図は見えてしまうだろう。
では、どうする。クラウチの感情をどうにかすることができないなら…………逆に、その感情を利用する?
不意に、天啓が降りてきたように思った。
僕はクラウチの真剣な顔をまじまじと見た。この人は、闇の帝王の計画を邪魔していいほどに僕のことを思ってくれているらしい。
これは、使えるのでは?
……いや、言い方が悪いな……でも、このまま放っておけば、この人はこれからも普通に人を殺すかもしれない。闇の帝王の命令なら、きっと何の躊躇もなく酷いことをする。そのクラウチが、僕の言葉ひとつで少しでも立ち止まるようになるなら、それは悪いことではないはずだ。
正直、ここまであからさまな弱みに付け込むのに、胸が痛まないわけではない。しかし、その結果殺される人間が減るなら話は大いに違う。
数秒前まで恐怖で止まっていた頭が、今度は別の意味で忙しくなってきた。
クラウチはまだ僕の腕をしっかりと掴んでいる。僕は小さく息を吐き、呼吸を整えた。
「……わかりました」
クラウチの眉が僅かに動く。
「何がだ」
「あなたが僕を心配してくれていることを、です」
そう言いながら、掴まれていた腕をゆっくりと引いた。今度は抵抗されなかった。
自由になった手をどうしたものか少し迷って、それから僕は一歩前へ出た。
クラウチの身体が強張る。
ええい、ままよ。僕はそのまま腕を回し、クラウチを抱きしめた。
……自分でやっておいてなんだが、ものすごく気まずい。背中に回した手のひらに、じっとりと汗が滲む。
クラウチは完全に固まっていた。身を捩ったり押し退けたりするでもなく、ただ棒立ちになっている。
「……ドラコ?」
頭上から完璧に困惑しきった声が聞こえてきた。咄嗟の行動への後悔が、波のように押し寄せてくる。
「僕だって、あなたに死んでほしくはありません」
早鐘を打つ心臓を無視して、できるだけ自然に聞こえるよう、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「父にも、ハリーにも。できれば、誰にも傷ついてほしくないんです」
腕の中で、クラウチが僅かに身じろぎした。
「だから、僕のために闇の帝王へ逆らって、あなたが殺されるようなことはしないでください」
これは嘘ではない。せっかく命を張ってまで助けたクラウチに、死んでほしいとは本当に思っていない。
「それに……もし本当に僕のことを大事に思ってくれているなら、覚えていてください」
少なくとも、これだけは本当に覚えていてほしい。
「僕は、誰かを犠牲にして助かりたいわけじゃない」
クラウチは何も答えなかったが、しばらくして、背中へ恐る恐る腕が回された。
その力が思った以上に強く、再び悪寒が背筋を走った。やっぱり普通に怖い。
でも、もしこれで、この人が何かをする前に一度だけでも僕の言葉を思い出してくれるようになるなら、それで十分だ。
しばらくして、僕はそっと腕を緩めた。クラウチもそれ以上引き留めることはせず、ゆっくりと僕の背中から手を離す。
気まずい沈黙が落ちた。僕はこれ以上何を言うべきかわからず、クラウチもまた、何かを言いかけては口を閉ざしていた。結局、どちらからともなく視線を逸らす。
……なんだこれは。鳥肌が立ってくる。
まあ、納得してくれたみたいだし、いいか。とりあえず、城へ帰ろう。
木の根元に置いていた本を拾い上げる。少し離れたところでこちらの様子を窺っていたウィンキーが、慌てて主人のそばに寄り添った。
「では、失礼します」
クラウチに軽く頭を下げる。返事は返ってこなかった。
少しだけ歩いて振り返ると、クラウチは先ほどと同じ場所に立ったまま、こちらを見ていた。その表情がまた妙に深刻だったので、僕は見なかったことにして木立を抜けた。
ホグワーツへ戻る道を歩きながら、抱えていた本を持ち直す。
……さてと、幸運にも、朝から知りたかったことはだいたいわかった。
今日の午後、僕は予定どおりマルフォイ邸へ行く。そして、おそらくそのまま捕まることになるだろう。それでいい。
しかし、昨日と同じようにヴォルデモートがハリーへ幻覚を見せるつもりなら、彼がどう動くかも考えておかなければならない。神秘部に何があるのかはいまだにわからないが──それにしたって、万が一にもハリーが単身乗り込んでくるようなことはあってはならない。
そこまで考えたところで、やるべきことが一つ浮かんだ。
ホグワーツに戻り、僕は手近な空き教室でビンクを呼び出した。
名前を呼ぶと同時に、小さな破裂音とともに黄色のエプロンをつけた屋敷しもべ妖精が姿を現す。
「お呼びですか、坊っちゃま」
にっこりと微笑むビンクに、僕も笑顔を返した。
「うん。今日の午後、僕がマルフォイ邸にいる間、ハリーの様子を見ていてほしいんだ」
ビンクは少し不思議そうに目を瞬かせた。
「昨日、何か変な幻覚みたいなものを見たらしくてね。それで、また何かを見るかもしれないから……もし僕について妙なことを言い出したら、僕がどこにいるかは教えないで。その代わり、すぐダンブルドア先生のところへ行って、魔法省の神秘部へ向かってほしいって伝えてくれる?」
「……かしこまりました」
返事はしたものの、ビンクの長い耳がわずかに伏せる。
僕は気づかないふりをして続けた。
「それと、今日は帰りが遅くなるかもしれない。だから、僕が戻ってこなくても勝手に探しに来ないこと。……特に『例のあの人』のところには絶対に近づかないで」
今度は、ビンクがはっきりと顔を上げた。
「坊っちゃま──」
「念のためだよ」
僕はなるべく軽く言って、本を抱え直した。
「何かあったら、まず自分の安全を優先して。僕のことは自分でどうにかできるから、自分が無事でいることだけを第一に考えて」
ビンクはしばらく僕の顔を見つめていた。
何か聞きたそうにしていたが、聞いても答えてもらえないと分かっているのだろう。やがて、小さく頭を下げる。
「……はい、坊っちゃま」
「じゃあ、お願いね」
それだけ言って教室を出る。去り際、僕は何でもないような顔をして、もう一度だけビンクの姿を眺めた。
扉が閉まる直前まで、ビンクはその場から動かず、どこか不安そうな顔でこちらを見送っていた。
もうこいつほっとこうぜ! スネイプ先生もそうだそうだと言っています。