音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
またしても、ハリーは自分の叫び声で目が覚めた。
冷たい石床に倒れ臥すドラコの姿はかき消え、代わりに「必要の部屋」の景色がどっと視界へ流れ込んでくる。床に手をつき、荒く息を繰り返しながら周囲を見回して、ようやく自分が訓練中だったことを思い出した。
試験直前ということもあり、この日に訓練会に参加していたのは十二人だけだった。全員が手を止め、こちらを恐る恐る見ている。
目の前には、杖を中途半端に上げたザビニが立っていた。眉を下げて呆然とこちらを眺めていたが、ハリーと目が合うと、ようやく緊張を解くように腕を下ろす。
「君、またかよ? 昨日も今も、いきなりマンドレイクみたいになっちゃってさ! 僕の『妨害の呪い』が効きすぎたわけでもないだろ?」
なんとか冗談にしようと試みてはいたが、ザビニの表情には明らかな戸惑いと心配が浮かんでいた。
「大丈夫か? もう、聖マンゴに行ったほうがいいだろ」
しかし、ハリーにはその言葉に返す余裕はなかった。
「──ドラコなんだ。ドラコが──」
自分でも驚くほど、怯えきった呻くような声が出た。
言葉を聞き、ザビニの表情が変わる。
「え? マルフォイが、何?」
その声を聞きつけ、少し離れたところで様子を窺っていたハーマイオニーがパッと立ち上がった。
「ハリー? ひょっとして、また──」
「──マルフォイがどうした」
ハーマイオニーより先に、クラッブが割って入ってきた。
クラッブはさっきまで部屋の反対側にいたはずなのに、巨体に見合わない素早さで、瞬く間にハリーの目の前まで迫っていた。
そのすぐ後ろにはゴイルもついてきた。クラッブの顔にはわずかにも柔らかさは残っておらず、ハリーを睨むように見下ろしていた。
「何があったんだ?」
慌てて後を追ったハーマイオニーがハリーの隣にしゃがみ込む。
「ビンセント、ちょっと待って。ハリーは今──」
「マルフォイに関係することなんだろう」
ハーマイオニーの制止にも耳を貸さず、クラッブはさらに一歩詰め寄った。
その頃には、部屋の中で訓練を続けている者はもう一人もいなかった。ロンも、ジニーも、ネビルも、フレッドとジョージも、心配そうに様子を窺っている。セドリックも少し離れたところから近づいてきていた。
ハリーの頭の中は、今見た光景でぐちゃぐちゃだった。
昨日は……いや、昨日のシリウスの光景も、徹頭徹尾、本物にしか見えなかった。でも、今日は現実味が明らかに昨日と違う。罠に使うための人質として、あんなに自分の命がどうでもよさそうな人間を、ヴォルデモートが再現できるとはとうてい思えない──
ハリーはあたりを見渡した。ここにいるのはいつもの三人とウィーズリー家、セドリック、ネビルの他はスリザリン生だ。ずっと一緒に訓練してきて、信頼できるのはわかっている。だったら、言ってしまってもいいはずだ。
ハリーはなんとか乱れる呼吸を抑えて息を吸い込み、口を開いた。
「今度はドラコだ。ドラコがヴォルデモートに捕まった」
ハリーの言葉に、ハーマイオニーが身体をぎくっと強張らせた。
クラッブは眉をさらに強く寄せた。
「……どういうことだ? お前は何を言っている?」
「僕は、たまにヴォルデモートが見ているものが見えることがあるんだ。今日はそれがドラコだった。
──ヴォルデモートに捕まったんだ。拷問されてる──僕が神秘部に行かないと、ドラコを殺すってヴォルデモートは言っている!」
言葉にした途端、また耳の奥で悲鳴が響いた気がした。
「……ハリー、でも、昨日のは偽物だったわ……」
ハーマイオニーが、恐る恐る言った。ハリーは反射的に首を激しく振った。
「絶対に今のは偽物じゃない!」
思ったよりはるかに大きな声で言い返してしまう。ハーマイオニーは身をすくませた。
隣で聞いていたザビニが怪訝そうに眉を寄せた。
「……そんなことができるってこと自体、大いに驚きなんだけどさ、それにしたって、なんで本物だって分かるんだよ?」
ハリーは一瞬言葉に詰まった。昨日は偽物を見破れなかった自分が言ったところで、説得力がないことはわかっている。しかし──でも──
ハリーは頭を掻きむしった。
「でも……あれは……どう考えてもドラコだった! 拷問されてるときに、宥和策だの子供を守る政策だの、べらべらしゃべる人間が他にいる!?」
何人かがハリーの剣幕に目を見開いた。
「何度も磔の呪いをかけられてるのに……ずっとそんな話をしてたんだ! 純血主義を広めるならもっと穏健なやり方をした方がいいとか、マグルの中で暮らしてる魔法使いの子供を守る仕組みを作れとか……こんなときに馬鹿げてる! ドラコは自分がどうなろうが知ったこっちゃないんだ!
ヴォルデモートもびっくりしてたよ。あんなに自分の命がどうでもいいなんて──そんなの罠としておかしいだろう!」
途中から、ハリーはドラコ自身に対する怒りが涙となって込み上げてくるのを感じていた。
あれだけ人の安全を心配しておきながら、自分の命にはふくろうの羽根一枚分の重さだって感じていなさそうなのは、一体どういうわけなんだ? ドラコがどうなろうが、僕は何にも感じないとでも思っているのか? 僕が見ているとわかって、それでも一ミリも助けてほしそうじゃないのは、なんでなんだ?
「そ、そんなことを彼は言ってたの?」
ハーマイオニーは目を瞬かせた。
「言ってたよ。ずっとだよ! ヴォルデモートに何度呪いをかけられても、止まったらまた続きを話して──」
「あいつは頭がおかしいんだ」
クラッブがつぶやくように静かな声で言った。冗談ではなく、どこか悲しげな言い方だった。
そこで、黙って話を聞いていたセドリックが、ゆっくりとこちらへ歩み出た。
「分かった。ドラコがヴォルデモートに捕まったのが、本当だとしよう」
クラッブがちらりとセドリックを見る。セドリックは少なくとも話を疑っているわけではないらしかった。
「でも、僕らがしなければならないのは、何も考えずに神秘部に行くことじゃない。まずはダンブルドア先生に知らせて──」
「駄目だ!」
再び、ハリーは大声を上げた。
「僕らがそうするなんて、ヴォルデモートだって分かってるよ! だからあいつは言ったんだ。僕が誰かに話してダンブルドアが神秘部に来たら、ドラコをすぐ殺すって!」
そのとき、不意に部屋の隅から、潰れたカエルのような甲高い悲鳴が上がった。
全員が一斉にそちらを振り返った。
誰もいなかったはずの壁際から、小さな影がよろめくように姿を現した。
大きな耳に黄色いエプロン。ハリーはかつて、二度だけその姿を見た覚えがあった。
「……ビンク?」
ドラコ付きの屋敷しもべ妖精は、テニスボールのような瞳いっぱいに恐怖の色を浮かべたまま、まっすぐハリーを見つめていた。
「どうしてここに?」
ハリーが問いかけても、ビンクはまるで聞こえていないようだった。夢遊病のように、ふらふらと部屋の中央へ歩み出てくる。
「……坊っちゃまは……殺されるのですか? ビンクが……ダンブルドアにお伝えしたら?」
「ビンクが? いや、そんなことはさせな──」
ハリーの言葉を最後まで聞くことなく、ビンクは激しく頭を振った。
「ああ……いえ、でも……そんな……そんなことは……」
屋敷しもべ妖精は怯えきった様子でぶつぶつと呟き始めた。視線は落ち着きなく左右へ彷徨い、何かを必死に考えているように見える。
ハーマイオニーが青ざめた顔で、恐る恐るビンクへ声をかけた。
「ねえ、ビンク。あなた、何か知っているの?」
その瞬間、ビンクは突然その場に突っ伏し、額を激しく床へ打ちつけ始めた。
何度も鈍い音が響き、周囲にいた全員が何が起こったのか分からないまま息を呑む。
「ビンク!」
ハーマイオニーの顔から血の気がさっと引いた。
「お願い、やめて!」
ハリーは慌てて飛びつき、ビンクの両脇へ腕を差し入れて、その小さな身体を床から抱え上げた。
しかし、床へ頭をぶつけられなくなった途端、今度は自分の拳を振り上げ、何度も何度も頭を殴り始める。
「やめろって!」
ハリーは片腕でビンクの身体を抱えたまま、もう一方の手でその腕を掴もうとした。けれど小さな身体からは想像できないほど激しく暴れ、なかなか押さえることができない。
ようやく両腕を掴んだときには、ビンクの額は赤く擦れ、握りしめた拳にも血が滲んでいた。
「ビンクはしない、しない、しない、しない──」
激しく咽び泣きながら、ビンクは何度も首を振った。
「坊っちゃまの命を危険に晒すような真似はしない──しない──でも、ビンクは……ビンクは坊っちゃまの命令を守る──」
「何があったの?」
ハーマイオニーが問いかけた。
ビンクはますます激しく首を振る。
「いいえ! ビンクはおっしゃりません! おっしゃったりいたしません! 坊っちゃまの命令はお守りするのですから!」
ほとんど叫ぶように言い切ったあと、ビンクは大きく息を吸い込んだ。ところが、そのまま何かに追い詰められたように顔を歪める。
「だから……」
声が震えた。
「だから、ビンクは……ダンブルドアに、お伝えしなければならない……例え──例え、それで──坊っちゃまが……亡くなられようと──」
最後まで言い終えることもできず、ビンクはハリーの腕の中で身体を折るようにして泣き崩れた。
「ち、違うわ……ビンク、あなたのせいじゃないわ……あなたのせいじゃないのよ……」
涙の混じるハーマイオニーの声が、ハリーにはどこか遠くに聞こえた。
胃には、何か恐ろしいものが込み上げてきた。
──ドラコは分かっていたんだ。自分が捕まって、僕を神秘部に向かわせる餌にされるって。それを分かっていて、ビンクに、ダンブルドアへ知らせるように命令していたんだ。──自分が死ぬだろうということまで分かった上で、僕を来させるつもりはなかったんだ。
「ああ、もういい。もう十分だ」
咽び泣きを裂き、苛立ちを隠そうともせずにクラッブが吐き捨てた。
ハリーが顔を上げると、クラッブは泣き崩れているビンクを見下ろしていた。その顔には、もはや先ほどまでの迷いも疑いもなかった。
「屋敷しもべ妖精。お前の主人は、ハリー・ポッターを行かせたくなかったんだろう?」
ビンクがびくりと身体を震わせる。クラッブはそれを肯定と受け取ったらしい。
「なら、俺には関係ない」
「ビンセント?」
ハーマイオニーが驚いたように、涙で濡れた顔を上げた。
クラッブは淡々と言葉を紡いだ。
「ドラコがポッターを行かせたくないって言ったんだろう。だから、俺たちが何をしようと関係がない」
「行こう」
横から、ゴイルが短く言う。
クラッブは一度だけ頷くと、そのまま踵を返した。ゴイルも後に続く。それに合わせて、他のスリザリン生たちがさっさと動き出した。
ハリーの横にいたザビニは大きくため息を吐き、それでもクラッブの後を追って出口へ向かった。
「イカれ野郎が同寮にいると大変だわ」
パンジーも頭を振ると、小走りで三人に駆け寄った。
「待って、僕も行く!」
ハリーは慌ててビンクを下ろし、立ち上がった。
クラッブが足を止め、振り返る。
「お前は残れ。闇の帝王の狙いはお前だ」
「でも、僕が行かなきゃ交渉にならないだろ! ヴォルデモートが呼んでるのは僕なんだ!」
「そんなことはどうでもいい。全員倒せば関係ない」
信じられない脳筋発言に、ハリーは一瞬呆気にとられた。
「そんな捨て鉢な考えじゃ駄目だ」
先ほどまで黙って話を聞いていたセドリックが、ハリーとクラッブの間に割って入るように声をかけた。
「相手はヴォルデモートと死喰い人だ。君たちだって、無策で行って勝てる相手じゃないと分かっているだろう? 冷静にならないと──」
「できるとかできないとかじゃなくて、やるしかないんだよ」
クラッブが苛立たしげに言い返した。
「こうやって話している時間が一番無駄だ。策は向こうに行ってからでも考えられる」
「それが危険だと言っているんだ」
セドリックは声を荒らげることなく答えた。
「相手はわざわざハリーに神秘部まで来いと言っているんだよ。だったら、ただドラコを人質にして、ハリーと交換しようとしているだけじゃない。向こうはハリーに何かをさせたいんだろう。それが何なのかも分からないまま飛び込んでは、全員を危険に晒すことになる」
「だから来なくていいって言ってるだろう!」
とうとうクラッブが怒鳴った。声が「必要の部屋」に響き渡る。
出口へ向かっていたゴイルたちも、足を止めて二人を見た。
「別にお前らに助けてくれなんて頼んでない! 俺たちだけで行く!」
クラッブはセドリックを睨みつけたまま、さらに吐き捨てるように続けた。
「お前らなんて、最初から当てにしちゃいない。ドラコが望んだから、仲良くなったふりをしていただけだ! ダンブルドアに言わないでいてくれるだけで、大いに結構だ!」
「悪ぶるのはやめろ、クラッブ」
それまで黙って話を聞いていたフレッドが、呆れたように言った。
クラッブがぎろりとそちらを見る。
「何が言いたい」
「今更そんなこと言ったって、誰も信じないってことだよ」
フレッドは肩をすくめた。
その隣で、ジョージはクラッブたち四人を見回した。
「本当にお前らだけで行くつもりか? 向こうには、君たちの親がいるかもしれないんだぜ」
ゴイルの目線が一瞬冷ややかになる。クラッブの顔にも青筋が走った。
「まともに戦えるのか?」
「あんなやつは、親じゃない!」
間髪を入れず、クラッブが怒鳴った。
「俺たちを育てたのはドラコだ!」
その声に、部屋の中が一瞬静かになった。
ゴイルはクラッブを止めようとはしなかった。ただ、少し俯いてから、いつもの低い声で静かに言った。
「僕らの親は、闇の帝王に捧げられる駒が減ったことを嘆くだろう」
わずかな間、「必要の部屋」に沈黙が落ちた。
「……現実的な問題として、ハリーが行かないと、ドラコを出してもらえないかもしれない。それはどうするんだ」
セドリックが言った。
クラッブが何か言い返そうと口を開きかける。その横で、フレッドがふいに片手を上げた。
「それには考えがある」
そう言うなり、腰から杖を抜いてゴイルへ向けた。
「何を──」
ゴイルが身構えるより早く、杖先がひゅっと動いた。
首元で布が擦れるような音がしたかと思うと、緑と銀だったネクタイの色がみるみる赤と金へ変わっていく。続けて額の中央へ細い赤線が浮かび、皮膚の上を這うように折れ曲がって、見覚えのある稲妻型を作った。
ゴイルは寄り目になるように自分の額を見ようとした。
「あと一つだな」
フレッドが出来栄えを眺めながら呟く。するとジョージが、いつ取り出したのか丸眼鏡を差し出した。ゴイルはひどく怪訝そうな顔で受け取り、それでも何も言わずに耳へ掛ける。
「何をしてるんだ?」
ハリーは呆然と尋ねた。
「これでバッチリ。だろ?」
フレッドは満足そうに頷いていた。
「……これで騙せるわけがない」
ハリーが思わず言葉を漏らすと、ジョージがゴイルの横へ立って、少し離れたところから目を細めた。
「薄暗いところならいけるだろ。ハリー、神秘部はどんな場所だった?」
「絶対にすぐにバレるよ!」
「一瞬迷わせれば十分だ」
フレッドはあっさり言った。
それから今度は、クラッブ、パンジー、ザビニの順に視線を移す。
「ついでに他のスリザリンも変装していこう。顔を覚えられたら、先々面倒なことになりかねないし」
パンジーが自分の胸元を見下ろした。
「……それはそうね」
すぐに杖を取り出し、自分のネクタイへ向ける。小さく火花が散り、緑と銀が赤と金へ変わった。続けて髪をかき上げ、額にもそれらしい傷を作り始める。
ザビニもため息を一つ吐いただけで杖を抜いた。
「ああ、この面相を汚さなければならない日が来るとは!」
軽口を叩きながらも、手は止めない。ローブの襟元を弄り、髪型を少し崩し、額へ赤い線を入れていく。瞬く間にハリーもどきが四人出来上がった。
フレッドが杖をしまいながら、改めてクラッブを見る。
「で、俺たち六人は行く」
クラッブが眉を寄せた。
「六人?」
「お前ら四人と、俺とジョージ」
当然のことのように言い切る。
隣でジョージも、丸眼鏡を掛けたザビニの肩を軽く叩きながら頷いた。
「我らが悪戯専門店従業員を放っておくわけにもいかないからな? 『ズル休みスナックボックス』の責任者君には、もう少し仕事をしてもらいたいところだし」
「僕も行く!」
ハリーはほとんど被せるように言った。
フレッドとジョージが同時にこちらを見る。その向こうで、クラッブもまた眉をひそめた。
「そもそも、僕のせいでドラコは人質になってるんだ。君たち六人が命を賭けて助けに行くのに、僕だけここに残るなんておかしいだろう!」
「ハリー、敵の狙いは君なんだ」
ジョージが、先ほどまでの軽い調子を少しだけ落として言った。
「分かってるよ!」
「分かってるなら──」
「でも、僕がいなかったら、ヴォルデモートがドラコを出してくる保証だってない!」
ハリーは腰から杖を引き抜いた。
その動きに、周囲の空気が一気に張り詰める。何人かが反射的に杖へ手を伸ばした。
「どうしても僕を置いていくつもりなら、今ここで、僕より戦えるって証明してみせろ」
杖先をまっすぐクラッブたちへ向ける。
「僕を倒してから行けばいい!」
「やめろ!」
セドリックの鋭い声が飛んだ。
ハリーは杖を下ろさなかった。クラッブも険しい顔をしたままだったが、こちらへ杖を向けることはしない。
しばらく二人を見比べていたセドリックは、やがて短く息を吐いた。
「……分かったよ、ハリー」
ハリーがそちらを見る。
「君も来る。そして、僕も行く」
その言葉を聞き、ロンがハリーに一歩近寄った。視線を向けると、しっかりと頷く。自分も行くと、言葉ではなく伝えてくれていた。ハーマイオニーを見ると、彼女も赤い目で頷いた。
ハリーはセドリックに向き直った。
「じゃあ、セドリック──」
「でも、無策では駄目だ」
セドリックは言葉を遮り、今度はクラッブたちへ視線を向けた。
「ドラコを助けるために行くんだろう? だったら、そこで誰かが死んだり、取り返しのつかない怪我をしたりしたら意味がない。自分を助けようとして誰かが傷つくのを、ドラコは決して喜ばないだろう」
「じゃあどうしろって言いたいんだ?」
クラッブが苛立たしげに吐き捨てた。
「それを今考えてる」
セドリックは眉間に皺を寄せ、しばらく黙り込んだ。
「何か……誰か一人でも危機に陥ったときに、すぐ助けを呼べるようなものがあれば──」
「──そうだ、コインだ」
不意にロンが言った。全員の一気に視線が集まる。
「何の話?」
「ハーマイオニーのコインだよ!」
首を傾げるパンジーにロンは焦ったそうに言うと、勢い込んでハーマイオニーを見た。
「ほら、訓練会の予定を知らせるのに、くれたやつがあるだろう? 誰かがどうしようもない危機に陥るか、ドラコを助けられたら、『変幻自在術』でこっちのコインを変化させる。そうしたら、もう一枚も熱くなって、外にいるやつに知らせられる。違う?」
ハーマイオニーは一瞬ぽかんとロンを見つめた。
それから、ようやく意味を理解したらしく、赤くなった目元を手の甲で拭いながら小さく頷いた。
「……え、ええ、できるわ。予備もある」
「この中で『変幻自在術』を使える人は?」
セドリックがすぐに尋ねた。
ハーマイオニーが手を挙げる。少し遅れてフレッドとジョージ。ザビニも胸を張って片手を上げ、最後にセドリック自身も手を挙げた。
セドリックは一人ずつ確認するように視線を巡らせた。
「じゃあ、他の人はなるべくこの五人の誰かの近くにいよう。自分たちだけではどうしようもないと思ったら、赤い花火を上げて知らせる。花火を見たら、一番近くにいる人がコインを変える」
誰も異論を挟まなかった。
「ドラコを助け出せたときも同じだ。その時点で合図を送る。それでいいね?」
クラッブも苦々しさの残る顔ではあるものの、黙って頷いた。
「じゃあ、行きましょうか」
努めてあっさりした口調で、ジニーが言った。
何事もなかったかのようにローブの裾を払うと、そのまま当然のように出口の方へ一歩踏み出す。
「待て。ジニー、お前は行かないぞ」
慌てたロンの言葉に、ジニーは足を止めてゆっくりと振り返った。
「あら、どうして?」
「どうしてって──当たり前だろう。危険だからだ!」
ロンは思わず一歩踏み出した。声が裏返りかけている。
「存じ上げているわよ。さっきからずっとその話をしていたじゃない」
ジニーは眉一つ動かさず、皮肉っぽく答えた。
「そうじゃなくて、お前はまだ──」
今度はフレッドが口を挟む。
「未成年って言うんだったら、あの人たちだって同じだわ」
ジニーは杖先で、少し離れたところにいるハリーたちを示した。
「僕たちはお前より──」
「たかが一年でごちゃごちゃ言わないでいただいてもいいかしら?」
ロンの言葉を遮るように、ジニーがぴしゃりと言った。
「ジニー、今回だけはロンに賛成だな」
ジョージまでそう言ったので、ジニーはますます不満そうに眉を寄せた。
「へーえ、そう。じゃあ、ハリーとロンとハーマイオニーは行ってもいいのに、私だけ駄目なのね? 戦力面で言うなら、私だって全然負けていないのに」
ぴしゃりと言い切ると、ジニーは杖を軽く振った。細い風切り音とともに赤毛が肩の上で揺れる。
「訓練してきたのは、私だって同じだわ」
ロンが口を開きかけ、それから助けを求めるようにハーマイオニーを見た。
しかし、ハーマイオニーはまだ泣き疲れたビンクの傍らにしゃがみ込んだままだった。片手で小さな背中を撫でながら、困ったように眉を寄せるだけで、ロンを助ける言葉は出てこない。
しばらくジニーを見ていたセドリックが、小さく息を吐いた。
「……分かった。ただし、勝手な行動はしない。いいね?」
「分かったわ」
ジニーはあっさり頷いた。
「おい、セドリック!」
ロンがたまらず声を上げる。
「ロン、僕だって危険なのは分かってるよ。でも、彼女だけを残す理由にはならない」
セドリックは静かに言った。
ロンはまだ何か言いたそうに口を引き結んでいたが、説得の困難さを悟ったのだろう。苛立たしげに頭を振って、黙り込んだ。
セドリックはもう一度部屋を見回した。
「それなら、あと一人はここに残ってもらわないといけない。コインの連絡を受けてダンブルドアに報告へ行く人が必要だ」
「ああ……」
フレッドが小さく声を漏らした。
自然と視線が一人へ集まる。ずっと黙って話を聞いていたネビルだ。
ネビルはそのことに気づくと、少し居心地悪そうに身じろぎした。
セドリックができるだけ穏やかな声で呼びかける。
「ネビル。悪いんだけど、君にはここに残って──」
「僕も行く」
言葉を最後まで聞くより先に、ネビルが言った。
ロンが振り返る。
突然全員の驚きの視線を浴びたネビルはわずかに肩を縮めたが、まっすぐな眼差しは変わらない。
「僕も行くよ」
今度は先ほどより、はっきりと言った。
「ネビル、本気か?」
ロンが尋ねると、ネビルは頷いた。
「向こうにいるのは本物の死喰い人だ。……ベラトリックスもいるかもしれない」
ハリーの言葉にも、ネビルは怯えた様子を見せなかった。
「わかっているよ」
話を聞いていたセドリックも、少し眉を寄せた。
「これは訓練じゃない。失神術を当てられたら先生に起こしてもらえる、なんてことにはならないんだ」
「それだってわかってるよ」
声は小さかったが、はっきりとした言い方だった。
「怖くないわけじゃない……でも、だからって、ここにただ残って待ってるのだけは……絶対に嫌だ」
誰も口を挟まなかった。
「僕は、そのために、ずっと訓練してきたんだと思う」
ネビルはそう言うと、顔を上げた。
セドリックがしばらくネビルを見つめる。
「……本当にいいんだね?」
「うん」
ネビルは頷いた。
「……わかった」
それ以上は、セドリックも止めなかった。
「でも、そうなると本当に全員行くことになるわね」
ハーマイオニーが少し困ったように言った。
それまで泣き崩れていたビンクの背中を撫でながら、片手でローブのポケットを探る。しばらくして、金色の偽ガリオンを一枚取り出した。
「コインを誰かに預けないと」
ハリーは床へ膝をつき、ハーマイオニーからコインを受け取った。
「ビンク」
呼びかけると、屋敷しもべ妖精が恐る恐る顔を上げた。
「必ず君のご主人を連れて帰る。……だから僕らを信じて、このコインが熱くなったら、ダンブルドアに事情を伝えてほしい。……やってくれる?」
差し出されたコインを前に、ビンクはすぐには答えなかった。
小さな手が何度も開いては閉じたが──やがて、そっと両手を差し出した。
ハリーがその上へコインを載せると、ビンクは落としてしまうのを恐れるように、両手で強く握りしめた。
「坊っちゃまを……坊っちゃまを……どうか……」
その先は涙に濡れ、声にならなかった。
ハリーはビンクの手の中に隠れたコインを見つめ、それから頷いた。
「助けてくるよ」
「それで、どうやって魔法省まで行く?」
フレッドが湿っぽい空気を振り払うように尋ねた。
ゴイルが少し顔をしかめる。
「……スリザリンの僕たちの部屋から行ける」
「なんで?」
ジニーが面食らったように聞き返した。
「あいつがこの一年、ファッジのところで小間使いみたいなことをやってたからだ」
クラッブが忌々しそうに言った。
「魔法省へ直接行けるよう、暖炉を繋いでもらってる」
「なら、そこを使おう」
セドリックが即座に決めた。
十二人は互いに目眩ましの呪文をかけ、できるだけ音を立てないように地下牢へと向かった。
人目を避けてスリザリン寮へと滑り込み、クラッブとゴイルに案内されて無人の一室へ入る。
クラッブはまっすぐ部屋の奥へと行くと、暖炉脇の壺から煙突飛行粉をひと掴みし、炎へ放り込んだ。瞬く間に火が鮮やかな緑へ変わり、ぱちぱちと音を立てて高く燃え上がる。
「魔法省のアトリウムに繋がっているという話だ。神秘部は、ほとんど魔法省の最奥にある」
ハリーはその光を見つめ、一度だけ息を吸った。
「行こう」
それだけ告げ、炎の中へ踏み込む。
残りの十一人も次々と暖炉へ入っていった。