音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
「忠義者」の決意
痩せて背の高い、白く長い髭の魔法使いが、夜の道を一人で歩いていた。右手は緩やかな斜面になっていて、その下には村らしい灯がいくつか見える。もう片側には木立が続き、枝葉の重なる奥は暗く沈んでいた。
夏の夜は更けてもなお明るかった。北西の地平には夕陽の名残が薄く残り、道の先もぼんやりと見通せる。風は肌寒いほどだったが、木々の間を抜けてくる空気は爽やかだった。長い紫色のローブの裾を風に揺らしながら、アルバス・ダンブルドアは歩き続けた。
やがて、その足が止まった。少し離れた木立の暗がりに、人影が立っている。
薄茶の髪に、青白い肌の男だった。こちらへ目を向けたダンブルドアに気づくと、男はゆっくりと両手を上げた。右手には杖を持っていたが、その先はダンブルドアへ向けられていなかった。
それでも、ダンブルドアが杖を振るうほうが早かった。白い稲妻が走り、その男が何か言うより先に、右手から杖が弾き飛ばされた。宙を回ったそれを、ダンブルドアは空いている手で受け取った。
バーテミウス・クラウチ・ジュニアは表情を動かさなかった。杖を失った右手を、もう片方の手と同じ高さに上げたまま、ダンブルドアを見据えている。
「ヴォルデモートの、最も忠義篤き配下が、いったいわしに何用かな」
ダンブルドアの声には、驚きも怒りも聞き取れなかった。クラウチは奪われた杖へ一度だけ目をやってから、その顔へ視線を戻した。
「……私は、あなたを襲いにきたわけではない」
クラウチは一度息を整えて口を開いた。
「私はあなたに……ドラコ・マルフォイのことについて、伝えにきたのだ」
ダンブルドアの表情は変わらなかった。クラウチは上げていた両手をゆっくり下ろし、言葉を継いだ。
「闇の帝王は……あの子をまだ
「ハリー・ポッターへの餌にかね?」
クラウチは即座に首を振った。
「いいや、違う。計画が失敗し、予言を失った今、ポッターをあなたのもとから釣り出そうとするほど、闇の帝王は愚かではない」
ダンブルドアは返事をせず、その顔をじっと見つめていた。
しばらく間が空いてから、クラウチが再び口を開いた。
「闇の帝王は……ドラコ・マルフォイを、ご自身の権威を高める道具として扱うおつもりだ。魔法省だろうが、ホグワーツだろうが、あの子にはまだできることがあると。だが、それが誰かを傷つける命令になるのなら、彼には向いていない。私はそう進言した」
杖を失った右手の指が一度曲がり、また伸びた。クラウチはその手をローブの脇へ下ろした。
「あの子は、誰かを傷つけるくらいなら、自分が死ぬほうを選ぶ弱さを持っている」
「そう申し上げたが……闇の帝王はそれを意に介することはなかった。ただ、ご自身の役に立てぬなら処分するまで、と……」
ダンブルドアは答えなかった。クラウチは唇を舐め、少し早口になった。
「あの子があなたの配下の教師たちに阻まれて戻れないことは、ご存知だ。しかしそれでも、本当に戻りたがっていたのか、何と言っていたのかと、スネイプに執拗にお尋ねになられていた」
「戻れるかどうかではなく、本人が戻りたがっていたかを、かね?」
クラウチは一瞬口を閉じ、眉を寄せた。
「……そうだ。あの子の忠誠を、闇の帝王はお疑いなのだ」
ダンブルドアは同意するでもなく、しばらくクラウチを見つめてから口を開いた。
「それは、おまえが気にするようなことかね?」
冷ややかな問いに、クラウチは僅かに口を開いたまま止まった。ダンブルドアの顔を見返し、間を置いて答える。
「……ダンブルドア、あなたがあの子の策によって、権力を奪われてきたことは私もわかっている。それに憤懣やる方ないことも……しかし、あの子はあなたの生徒だろう」
ダンブルドアは答えなかった。クラウチは一度顎を引き、それまでより低い声で続けた。
「……このままでは、彼はその善性ゆえに、闇の帝王によって殺されることになるだろう。そうでなくても、結果的には彼自身が死を選ぶことになるかもしれない」
最後の言葉が僅かに震えた。クラウチの右手が持ち上がりかけ、何も掴まないまま腰のあたりで止まった。
「それが、何だと言うんだね?」
ダンブルドアの言葉は冷ややかだった、クラウチは、僅かに瞳を揺らした。
「……あなただってわかっているはずだ。彼は……将来の魔法界にとって、有用な存在だ。守る価値のある……」
「ほう。
クラウチは短く頷いた。止まっていた手を下ろし、もう一度、今度は大きく頷いてみせる。
「ああ、そうだ。私も、彼がどれだけ役に立つのかわかっている。闇の帝王にとっても……しかし、あの方は加減をされない」
ダンブルドアはクラウチから目を離さず、同じ調子で尋ねた。
「それで、なぜわしが、ヴォルデモートにとって有用なものを守らねばならぬのかね?」
クラウチが一歩踏み出し、ダンブルドアに何か求めるように手を差し伸べた。
「……ダンブルドア! 考えてみてくれ! この一年、なぜ我々がここまで大人しくしていたか……その一端は彼の策にある! 彼がうまく扱われるならば、この戦争の犠牲者はずっと少なくなるはずだ……」
夜闇に響く声にも、ダンブルドアは身じろぎしなかった。
「たとえこの戦争が、おまえの復活させたヴォルデモートの勝利に終わろうと、かね」
クラウチは口を閉じた。差し出した手はそのままだったが、ダンブルドアが返事を待つ間に、徐々に下がっていった。
「では、せいぜいおまえの側で、彼に骨身を削らせることだ」
ダンブルドアはクラウチから視線を外すと、踵を返した。長いローブの裾が翻り、道の先へ向かって歩き出した。
「待ってくれ!」
ひび割れた叫びが背中を追い、ダンブルドアは足を止めた。クラウチはその場から身を乗り出すようにして、絞り出すように言葉を重ねた。
「それでは……それではダメだ。ダンブルドア……あなたには、あの子を保護してもらいたいのです。この先もずっと!」
ダンブルドアが肩越しに振り返った。その顔を見て、クラウチは止めていた足を一歩進めた。
「それで、わしが一体何を得られるというのだね?」
「私の目を見てくれ!」
ダンブルドアはゆっくりと身体を向け直した。半月型の眼鏡の奥から向けられる視線を、クラウチは顔を上げて受け止めた。
「私は……あなたの望むように動くことができます。先日の神秘部での戦いで、ベラトリックス・レストレンジを昏倒させたのは私です。私は目的のためであれば、死喰い人であろうと差し出すことができます……」
「それはおまえが、自分と方針の違う人間を排除したかったからではないのかね? おまえの愛する闇の帝王に愚策を囁く臣下を、放置しておきたくなかっただけだろうに」
クラウチの唇が震えた。しかし、ダンブルドアが口を閉じると、すぐに次の言葉が出た。
「いいえ! それだけではありません……アメリア・ボーンズ! 我が君は彼女を自ら手にかけようとお考えになっていたが、私はそれを説得してやめていただきました……私でも、あの方の考え方を少し逸らす程度ならできます!」
ダンブルドアは鼻で笑った。
「それはおまえだけの功績ではないと、わしが知らぬとでも思うたか? アメリアが生かされたのは、他でもないドラコ・マルフォイが彼女に進言できる立場になったからじゃ。父の罪が明らかになったあとでも、あの子の功績があの子自身を救った。それをさも、自分だけの手柄のように言うのじゃな」
クラウチはしばらく声を出さなかった。やがて眉を寄せ、首を振りかけたが、開いた口から言葉が出るより先に、ダンブルドアが続けた。
「それに、おまえはエメリーン・バンスのことはどうでもいいようじゃのう? 一人でおまえたちに殺されてしまった、勇敢なる魔女のことは?」
クラウチの首の動きが止まった。ダンブルドアを見つめたまま、何度か唇を動かし、ようやく答える。
「……彼女は……あなたの騎士団員であることが、ずいぶん前から明らかになっていました……魔法省に立場があるわけでもない……生かしていて何か得があると、我が君に説得することは……」
声は次第に小さくなり、最後は途切れた。ダンブルドアはその先を促すことなく、静かに告げた。
「つまり、その程度がおまえの限界だということだ」
クラウチは唇を引き結んだ。今度は首を振ることもなく、その場に立ち尽くしていた。
「つくづく、おまえたち死喰い人の視野の狭さと他者への無関心には、うんざりさせられるのう?」
ダンブルドアは、口を閉ざしたクラウチを冷ややかに見下ろした。その声にも、もはや軽蔑を隠そうとするところはなかった。
「そもそも、わしのもとに無理に連れてきたところで、あの子がおまえたちの尻拭いをやめられるとでも思うたのか? 手段を全て奪ってしまえば、彼の手にはその命しか残らぬじゃろうし、そしておまえにもわかるじゃろうが、彼はそれを使うのに僅かにでも躊躇せぬ」
クラウチの視線が、ダンブルドアの顔から手元へと落ちた。口を開いたが声は出ず、もう一度顔を上げたときには、浅い息が漏れた。
「では──では、私はどうしたらいいのですか。どうすれば──あの子を守れるのですか。……あなたは私にどうしろとおっしゃるのですか!」
初めは震えていた声が、最後には叫びに変わった。クラウチはダンブルドアへ一歩詰め寄ったが、ダンブルドアは動かなかった。
「……そんなにも、彼が大事かね?」
「私は──」
クラウチはわずかに首を振りかけた。しかし、その先の言葉は出てこなかった。開いたままの口を一度閉じ、ダンブルドアを見つめ直す。
「……ええ。ええ! ああ、そうです! あの子を失うことはできない!」
しばらく、どちらも口を開かなかった。木立を風が通り抜け、葉の擦れる音がした。
「……おまえは、彼を守るために、いったいどこまでできるのかね?」
「……どこまで?」
「おまえ自身が復活させた、ヴォルデモートを裏切ることができるかね?」
クラウチは息を吸い、ほんの一瞬、返答を止めた。それでも視線は逸らさず、はっきりと答えた。
「──ええ、できます」
ダンブルドアはクラウチを見据えていた。半月型の眼鏡の奥で、その目がきらりと輝いた。
「ならば……おまえは、ドラコ・マルフォイの有用性をヴォルデモートへ示し続けるのじゃ。さらに、彼に直接人を傷つけるような役目を与えさせてもならぬ。それはそのまま、彼の首を括る縄を綯うことになるじゃろうからのう」
クラウチは戸惑いながらも頷いた。ダンブルドアはその返事を待って、言葉を続けた。
「しかれど、おまえがうまくヴォルデモートの考えを操ることができると、わしは信じておらぬ。それゆえ、おまえはわしにヴォルデモートがあの子について何を尋ね、いかように応じたかを報告するのじゃ。……さすれば、わしはわしの力能う限り、彼の命を守ってやろう」
クラウチは口を引き結び、もう一度、小さく頷いた。ダンブルドアを見つめたまま、その先を待っている。
「さらに……わしの庇護下で、あの子がヴォルデモートの懐に入り込むために、おまえは二人が危険なくやりとりする手段を作らねばならぬ。ムーディを演じていた間、わしを欺きヴォルデモートと通じ続けたおまえの手腕を考えるならば、たやすかろう?」
そこで、クラウチの眉が寄った。しばらく黙っていたが、ダンブルドアが次を続けないのを見ると、低い声で尋ねた。
「でも……それでは、結局あの子が、綱渡りをし続けなければならないことになりませんか」
先ほどまでのように声を張ることもなく、語尾は弱々しく落ちた。
ダンブルドアは、クラウチから目を逸らさずに答えた。
「今は、あの子から人を救おうとする手段まで奪うわけにはいかぬ。それに、少なくとも彼がホグワーツにいる間は、絶対にヴォルデモート本人に彼を害させはせぬ。それは約束してやろう」
クラウチは深く息を吐いた。それ以上問いを重ねることはなく、強張っていた肩をわずかに下ろした。
「さて……これはおまえにとって、危険な策略になるじゃろう。稀代の開心術士の前で、自らの真の主人を偽り続けることになるのじゃから」
ダンブルドアは、預かっていた杖の先を左手で掴み、柄をクラウチへ差し出した。クラウチは一度その手元を見てから、右手を伸ばした。
柄を握っても、ダンブルドアの指は離れなかった。杖先はその掌の中に収まったままで、クラウチは握った杖から顔を上げた。ダンブルドアは手元を確かめることもなく、静かに尋ねた。
「おまえは、あの子のために全てを賭けられるかね?」
クラウチはダンブルドアの目をまっすぐに見た。
「……ええ。たとえそれが、命であろうとも」