音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
────斯くして、賢者の石は守られた、らしい。
僕がダンブルドアと話してから数日後、そんなニュースが学校を席巻していた。完全に出どころ不明なくせに妙に詳細で、しかし肝心のところをボカしてあるのが恐ろしい。情報元が一人しか思いつかんぞ。
実はその日の朝、僕はダンブルドアの訪問を受けていた。律儀なことに校長はヴォルデモートを取り逃したことや、グリフィンドール三人組が無事であることを伝えに来たのだ。ありがたくそのご報告はいただいたが、朝っぱらから誰もいないと思っていた洗面所にいきなり校長が現れるのは胃に悪すぎる。二度とやらないで欲しい。
散々ダンブルドアに恐怖心を抱いておいて何だが、あの三人組の汚名が少しでも雪がれているようで、僕は心底安堵していた。これでも収支はマイナスだろうが、ドラゴン事件の好感度急落が少しはマシになっただろう。
何はともあれ、平和が戻ってきた。花は咲き、緑萌ゆる清々しい七月だ。しかし、これはせいぜい「第一巻 ハリー・ポッターと賢者の石 完」でしかないのだろう。ひょっとして毎年こんな感じで事件があるのか? 魔法界はおしまいである……と茶化したいところだが、ヴォルデモートがいまだ野放しなのだ。おしまいになりそうな綱渡りが続くのも、仕方がないことなのだろう。
噂が流れ始めてから四日ほど経ち、学年度末パーティーの日がやって来た。
その日の朝、僕は夏季休暇で返さなければならない本を抱えて図書館に行く途中、ハリー・ポッターに出くわした。……と言うより、彼は僕を見つけた途端一直線に駆け寄って来た。様子を見るに何故か探されていたらしい。なんだか不吉な予感がしつつ、元気よく僕を呼ぶ彼を無視することもできなかった。
彼はまったく前置きなく言葉を発した。
「ねえ、休みの間、手紙送ってもいい?」
唐突すぎる言葉に思わず思考が止まる。
「えっ、だ、ダメ」
「なんで?」
「なんでって……ダンブルドア校長かマクゴナガル教授に何か言われたの?」
僕に対する印象を緩和した原因で思い当たる節はそこしかないが、全く違うらしい。かなり訝しげな目で見られた。けれど、勝手に話を流してくれたらしく、彼は自分の質問に戻る。
「親がいるから?」
返事ができないでいるうちに、彼は言葉を続けた。
「ハーマイオニーが、君がたまに妙に刺々しくなるのは、グリフィンドールのことをよく思っていない親に話が回ったらまずいからじゃないかって。だから、魔法界に顔が広いお家のロンには特にキツく当たるんじゃないかって」
なるほど、その推測のために今までの態度を水に流そうとしているのか。どちらかというと将来的に親の首根っこを掴むかも知れない青白ハゲを恐れているのだが……。恐ろしや、グレンジャー。ほとんど当たっている。
僕がなんと返せばいいか言葉に困っている傍で、ハリーはどこか満足げに首を振った。
「じゃあもういいよ、手紙は送らない」
台詞の割に、ハリーはずいぶん嬉しそうだ。彼はこちらの返事も聞かぬまま、そのまま元気よく走って行ってしまった。
急な展開に心臓が縮み上がったせいか、どっと疲れた。僕はなんとか本を抱え直し、本来の目的を果たすべく図書館へよろよろと向かった。
そうして、ついに学年度末パーティである。
スリザリンカラーに彩られた大広間で、ダンブルドアが寮対抗杯の点数の状況を話し始める。
どうしても残りの三寮は不満げで、我が寮は誇らしげだ。僕らの点数のかなりの部分は寮監の贔屓によるものだと思うのだが、それでいいのか? もっと誇り高くあってほしい。
スリザリン寮が勝ち誇った態度でニヤニヤと笑う中、ダンブルドアはそこに制止をかけた。
「よし、よし、スリザリン。よくやった。しかし、つい最近の出来事も勘定に入れなくてはなるまいて」
不穏な気配に子どもたちが顔を見合わせる中、ダンブルドアはにこやかな微笑みを崩さずに話を続けた。
そこからはあっという間だった。彼は、あの三人組がいかに素晴らしく賢者の石を守ったか暗に示しながら、五十点、五十点、六十点とグリフィンドールに加点していった。これで、グリフィンドールの点数はスリザリンに並んだ。
まあ、スネイプ教授の贔屓のことを考えるなら、ある意味正当なのだが……スリザリンの立場としては内心複雑だ。
彼ら三人は確かに素晴らしい働きをしたのだろうし、ドラゴンの件についてのことがあるから、これでその汚名がようやく晴らせたと言えるのかもしれない。けれど、反動が強すぎてスリザリン生がサンドバッグになっている。彼らへの報酬として、嫌味なやつをぶっとばしてあげるなんて────本当に僕らは敵だと言われているようなものじゃないか。
思わず俯き手をきつく握った。ダンブルドアはマクゴナガル教授じゃない。校長自身が言った言葉が蘇ってくる。
ついに、ダンブルドアはネビル・ロングボトムにもオマケのように十点加点した。大広間が耳が痛くなるほどの歓声でいっぱいになる。ただ一つ、スリザリンのテーブルを除いて。喜びの声は悪き敵が正しく打ち倒されたことを謳っていた。
スリザリン生の中には顔色を失っている子もいた。ひどく打ちのめされて、目に涙を浮かべている子もいた。こんな仕打ちすらも自業自得だというのだろうか? もう、早くパーティが終わってほしい。ただ、落胆に顔を伏せながら願うことしかできなかった。
しかし、ダンブルドアはまだ壇上で話があるようだった。校長の沈黙に、再び生徒は静まりかえる。
何が起こるか分からないという戸惑いに満ちた静寂の中、ダンブルドアは微笑んで口を開いた。
「そして……直近とは言えぬかも知れぬ。この一年、あらゆる手段を講じ、しかし目的のため、その手段を実に聡明に選んだ者がいた。
ドラコ・マルフォイ。その偉大なる野心と目的への不屈の意志に、スリザリンへ十点を与えたい」
大広間は水を打ったようだった。しかし、僕のすぐ隣で拍手が起こった。クラッブとゴイルだ。そこから波のように音は広がっていく。ザビニは明らかに僕を煽てるように拍手をしているが、笑っていたし、ノットもパンジーもミリセントも笑顔だ。
他のテーブルからもちらほら音は聞こえた。グリフィンドールでは、ハリーが思いっきり手を叩いているのが見えた。明らかに先ほどより少ない。三つの寮の多くは不満げな顔だ。けれど、確かにどの寮からも拍手はあった。
「したがって、飾りつけをちょいと変えねばならんのう」
ダンブルドアが杖を振ると、緑と銀の垂れ幕に赤と金が混ざった。スリザリン生にはあのたぬきじじいに振り回されたことに怒りをあらわにする生徒もいた。失望が拭いきれない生徒だって、どの寮にも大勢いた。けれども、先ほどよりもずっと絶望は無かった。僕らはもう、排除されるべき敵ではなかった。
「ところで、最後に一つ」
まだ何かあるのか? 怒涛の展開に、僕はもうへたりこみそうなほど疲れ切っていた。
「来年度から、得点の形式がちと変わる。その寮に最も加点した先生と、最も減点した先生の点数は半分になるものとして計算する。特別にお行儀が良かったり、悪かったりした場合には校長の権限により、この裁量には含まれないことに留意してもらいたい」
それだけ告げると校長は自分の席へさっさと戻っていった。しばらく、みんな何を言われたのか分からない様子だった。囁き合いがひろがっていったが、そのまま食事に移ったため、そこまで騒ぎは大きくならなかった。
僕は恐る恐る前の職員テーブルを見て────信じられないくらい厳しい顔をしたスネイプ教授と目が合い、あわてて顔を背けたのだった。
一夜明け、期末試験の成績が発表された。正直なところ、僕は自分の立場にあぐらをかいていた。たかが一年生のクラスで、他の子供にトップを譲ることはないだろうと考えていたのだ。実際に僕は総合点では首位だったのだが────それは極めて不名誉な形でだった。
科目ごとだと、魔法薬学、変身術、魔法史、闇の魔術に対する防衛術は僕が一位。薬草学、呪文学、天文学はハーマイオニー・グレンジャーが一位。僕はかなり魔法薬学で加点をもらった────ちょうどグレンジャーの総合点をギリギリ越えられるくらいの加点を。そのため、スリザリン以外の三寮にまたしても後ろ指を差される弱みを持つことになった。それでも実力だと胸を張って言えればよかったのだが……点数を発表された後にすれ違ったスネイプ教授は、こちらを見て今までお目にかかったことがないくらい歪んだ笑みを浮かべていた。僕は泣いた。
「僕は八百長野郎だ……」
「いい加減にして! スネイプ先生は点数のことでは人を不公平に扱ったりしてくれないって、上級生も言っていたでしょう! あの子に負けてたらあなた、お父上に申し訳が立たなかったんだから。少しは喜びなさい!」
僕らの中で一番成績が良くなかったパンジーが、ホグワーツ特急へ向かうために玄関ホールへの階段を登っていたところでついに爆発した。彼女だって平均よりはずっと上だったのだからそんなにピリピリしないでほしい。僕は自分がウジウジしていることを棚上げして思った。
クラッブとゴイルは発表された直後こそ僕と同様に衝撃を受けていたが、段々と呆れの気持ちがまさってきたようだった。ぐちぐちと怨嗟の念をこぼす僕をよそに、夏休みのことについてあれやこれやと話すばかりだ。
そんな風にだらだらと校門へ向かう中、後ろからよく覚えのある声が聞こえてきた。
「あいつが贔屓でスネイプから点をもらってなかったら君が一番だったんだぜ────」
「彼の点数が一番良かったのは変身術なのよ! マクゴナガル先生の公平な採点で私は負けたんだわ」
もう勘弁してほしい。僕は思わず顔を隠したが、それを見過ごさない子がいた。ハリー・ポッターだ。彼はこちらを見つけるとなんの躊躇いもなく近寄ってきた。
「なんでドラコはこんなに落ち込んでるの?」
ハリーは僕だけじゃなく他のスリザリン生とも話せばセーフだと考え始めたようだ。そんな訳……あるのか?
周囲の子供達は一瞬この無神経な英雄を周囲から叩き出そうかと逡巡したようだが、僕をからかう機会の方が魅力的だったらしい。
「マルフォイは自分が全科目でぶっちぎりの一番だろうとたかを括っていたんだよ」ゴイルはため息混じりに言った。
「スネイプ先生が総合一位にするために点を盛ったんじゃないかってヘコんでるのよ。馬鹿だわ」パンジーが苛立ちをむき出しにして答える。
それを聞き、グレンジャーは僕の方に身を乗り出した。
「ねえ、あなたの答案用紙を見せて頂戴。正答例は百点のものだもの。参考にならなくて……あなたがどんな答えを書いたのか見たいわ────」
「もう放っておいてくれ!」
たまりかねて僕は自分の回答用の束をグレンジャーに押し付けた。
「そう言ってもあいつらに色々してやるからつけあがるんだ」
その場で僕の答えを検分し始めたグレンジャーを引っ張っていくウィーズリーと、こちらに手を振って去っていくハリーを見ながら、クラッブは不満げに言った。
ようやく少し静かになったところで、再び僕らの集団に近づく人がいた。それは監督生のジェマ・ファーレイだった。
「マルフォイ、少しいいかしら?」
疑問形でありながら有無を言わさない口調に、血の気が引く思いがした。全く気乗りしないが、仕方なく一年生の集団を離れる。……ついにこの一年好き勝手していた落とし前をつけさせられるのだろうか? しかし、心配に反してジェマの表情に怒りは浮かんでいなかった。
校門へと続く校庭の隅で、彼女は振り返って微笑んだ。
「お礼を言っておかないとと思って」
ここ最近僕は予想外のことばかり言われている気がする。
「……全く、心当たりがないのですが」
「今年私たちはO.W.L.だったから、進路指導があったんだけど……マクゴナガル先生が魔法法執行部のお知り合いに紹介してくれるっておっしゃったの。あなたが先生に言ってくれたんでしょう?
私だけじゃないわ。スリザリンの中で、あんまり…………伝がない上級生はマクゴナガル先生にお声がけしてもらったみたいなのよ。先生がそうおっしゃったわけじゃないけど、私はあなたが何かしたんじゃないかって思って」
まったく、純血一族って本当にすごいものよね、と皮肉っぽいセリフに反して彼女は軽やかに笑った。
「……僕は何もしていないですよ」
「あら、そう? じゃあ、お礼して損しちゃったわ」
彼女はそれでも僕をまっすぐ見つめていた。まるで、何もかもお見通しだと言わんばかりに。
「……あの、僕の友達に僕は後で追いつくって言っておいてもらえませんか? ちょっと用事ができてしまって」
ジェマにお願いすると、僕は全速力で来た道を戻って廊下を駆け上がった。
二階の研究室の扉をたたき、中からの入室の許可が聞こえるや否やドアを開ける。そこにはいつものようにマクゴナガル教授が書斎机に座っていた。僕を見て彼女は目を丸くしている。
「どうしました? マルフォイ」
うまく言葉が出てこない。けれど、なんとか口を動かす。
「あの……この一年、本当にありがとうございました。僕の非礼をどうかお許しください」
マクゴナガル教授は僕が見た中で一番優しく笑った。
「お礼も謝罪も結構です。マルフォイ。来年度も、あなたが変身術で最高の成績を残すことを期待しています。さあ、もう行きなさい。ホグワーツ特急に乗り遅れますよ」
またしても全力で走った僕はなんとか馬車の出発に間に合い、ゴイルの隣に潜り込んだ。大柄な幼馴染二人に圧迫されながら、それでも僕はこの一年の中で一番幸せな気持ちで帰路についたのだった。