音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった   作:樫田

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フラッシュバック

 動物もどきを使い、鎖の性能を確かめた翌日。僕の手元には、いよいよ何もすることがなくなった。

 手の火傷はまだ治っていない。シリウスがハナハッカを手配してくれたものの、届くまでは包帯で凌ぐしかなかった。痛くないのは結構だが、どうにも加減が分からず、気づけば血が滲んでいることもある。そのせいで、クリーチャーはとうとう僕に掃除をさせてくれなくなった。政策案を書いてまとめるにも、この手では難しい。暇に飽かせて庭をいじった結果、さらに暇になってしまった。

 

 頭の中で色々と考えるだけならできるはずなのだが、それもあまり捗らない。神秘部から戻って以来、どうにも思考が精彩さを欠いている感覚がある。バカみたいな回数磔の呪文を叩き込まれたせいだろうか?

 次に何をするべきか考えていたはずなのに、気づけばあのとき何を間違えたのかを延々と振り返っていて、そこから先へ進まなくなってしまうのだ。反省も次に活かせなければ、ただ自傷行為に浸っているのと同じだ。そのくらいは分かっているのに、どうにも生産的な思考に結びつかない。

 

 具体的な状況にあたれないからだろうか。学校にいれば、誰かと話すなり、魔法省の動きを調べるなりして、現実に対応する策を練ることができた。しかし、ここでいじくることができるのは、自分の頭に残っている埃を被った情報ばかりだ。無駄な時間の使い方をしている感覚は拭えなかった。

 

 何もせずにいると、どんどん不安が湧いてくる。このまま役立たずでいるのは嫌だった。僕がどうにかしなければならないことは、何一つ片付いていない。子供たちを危険にさらし、父をアズカバンへ送ってしまって、それなのに僕だけがこんなところでのんびりと夏休みを過ごしているのは耐えられない。神秘部での出来事を思い返すたび、何かしなくてはという気になるのだが、さて、何を? というところでまた止まってしまう。どう足掻いても堂々巡りだ。

 

 こうしてみると、ヴォルデモート卿に献策していた頃は、まだましだったのかもしれない。命の危険はあったし、罪悪感に苛まれることも多かったが、少なくとも自分の働きで変えられることはあった。何もできないままに、漫然としているよりかは、よっぽど性に合ってる。

 

 唯一良かったことと言えば、夜に眠れるようになったことだろうか。鎖のおかげで、というのは癪だが、もうどうやって屋敷から出るか考えなくてよくなった途端、ベッドに入ればちゃんと日が出るころまでは眠れるようになった。去年からの不眠傾向を思えば、ありがたいことではある。

 それでも、一日中寝て過ごす気にはなれず、僕は持ってきた本を読むことにした。魔法省が過去にどんな取り組みをしてきたのかをまとめたもので、今後の参考にはなるはずだった。

 

 自室の長椅子で本を開き、ぼんやりと文字を追う。読み進めているつもりが、いつの間にか内容が頭を素通りしていた。少し前へ戻って読み直したところまでは覚えているのだが……結局、僕は愚かなことに、そのままうたた寝をしてしまった。

 

 

 ──暗闇の中に、ヴォルデモートが立っていた。

 その青白い顔に、残忍な笑みが浮かぶ。何か言わなければと思ったが、口を開くより先に杖を向けられた。

 全身に激痛が走る。息が詰まり、立っていられない。倒れた先で身体を丸めようとしても、手足は言うことを聞かなかった。

 

 しかし、いつまでも続くと思われた痛みは、少しずつ鈍くなっていった。身体の奥にはまだ違和感が残っているのに、それがぼやけていく。

 ……痛くない。痛いはずなのに、痛くない。

 気づけば、僕はまた立っていた。腹を見下ろすと、深々と包丁が刺さっている。寝巻きがわりのTシャツが、血を吸って体に張り付いていた。

 目の前に誰かがいる。顔を見ようとしても、誰なのか分からない。ただ、こちらを見て笑っていることだけは分かった。

 

「……お前のせいで、みんなが苦しむ。お前さえいなければ──」

 それ以上聞きたくなかった。続きを言われる前に、その人の脇を通り抜け、玄関の扉を開ける。小石が足に突き刺さるのを感じながら、あてもなく外へ出た。

 けれど、外も真っ暗だった。あるはずの道が見えない。どちらへ進めばいいのか分からず、僕は足を止めた。

 ……帰らなければ。ここにいてはいけないのだから、早く帰らなければならない。なのに、帰る道が──。

 

 

「──おい。 おい! 大丈夫か」

 唐突に肩を揺すられた。

「ごめんなさい!」

 反射的に出た声は、見事に裏返った。ちゃんと言葉になったかも自分で確かめられないまま、跳ね起きて立ち上がる。膝から何かが滑り落ちたが、それに目をやる余裕はなかった。

「ごめんなさい。何もせず昼寝をしてしまって」

 慌てて言い直した。顔を上げなくてはいけないのに、うまく目の焦点が合わない。寝起きのせいか、緊張のせいか、ひどく気持ちが悪かった。吐きそうになって、どうにか唾を飲み込む。これ以上、見苦しい真似をするわけにはいかない。

 

 しかし、返事が帰ってこない。恐る恐る視線を上げて、ようやく目の前にある顔がわかった。

 そこにいたのはシリウスだった。驚いたように目を見開いていたが、次第に眉が寄っていく。その不愉快そうな表情に、また謝りかけたところで、見慣れない部屋の様子が目に入った。長椅子と、その前に落ちた本。少し離れたところにあるベッド。

 ……ここは、ユーハースト・バーンだ。

 そうだった。僕は今、シリウスのところにいる。……「あそこ」ではない。

 

 シリウスは忌々しそうにため息を吐いた。

「……何で昼寝をしているだけで、私が君を責めなければならないんだ?」

 その訝しげな言葉に、顔がかっと熱くなる。ああ、わかってるさ。おかしな反応をしてしまったことくらい、言われなくても分かっている。けれど、どうすればこ(・)れ(・)をやめられるのか、僕にはまったく見当もつかないのだ。全部忘れていた頃は、こんなことにはならなかった。少なくとも、昼寝から起こされたくらいで取り乱すほど、軟弱ではなかったはずなのに。

 つま先へ視線を落とす。目の奥まで熱くなってきたが、ここで泣くのだけは避けたかった。何度か瞬きをして、どうにか堪える。

 

 シリウスがその沈黙をどう受け取ったのかは分からない。しかし、話はそこで終わらなかった。

「君のそういう反応は、はっきり言って異常だ。どうしてそんなにも追い詰められているのか、君自身にだって、思い当たることはあるんだろう」

 ありまくりだけど? それが何だというのだろう。

 

 ちらりと顔を上げると、シリウスは厳しい目でこちらを見ていた。どうやら、答えが出るまで待つつもりらしい。しかし、今はとてもまともに説明できる気がしなかった。

「君がずっと他人に怯えている原因はなんだ? 人の顔色を窺って過ごせと教え込んだ人間は誰だ? ──自分にだって、それが誰なのかわかっているんだろう」

 

 今度は別の意味で、頭に血が昇った。

 シリウスが誰のことを言いたいのかは明白だった。先日の口論を思えば、この人がそう考えるのも不思議ではない。しかし、父は僕に酷い仕打ちなどしていない。僕が勝手に精神耗弱に陥っているせいで、何もしていない父を、そんなふうに言われてはたまらなかった。

 訂正しなければと思うのに、うまい言葉が出てこない。父のせいではないと言ったところで、また庇っていると思われるだけだろう。では、どう言えばいい?

 

 そのとき、シリウスの背後で蝶番が軋む音がした。

 扉の隙間から顔を覗かせていたのは、クリーチャーだった。僕を見て、それから目の前に立つシリウスを見上げる。たちまち、その目つきがひどく険しくなった。何も言わなかったが、何を言いたいのかは十分すぎるほど伝わってきてしまった。

 

 シリウスは振り返ってクリーチャーの姿を認めると、大股で扉へ近づいた。

「入ってくるな!」

 そう怒鳴り、強く扉を閉める。そのまま、シリウスは荒々しく鍵をかけた。

 心臓が変な音を立て、胸を突き破らんばかりに跳ねた。──閉じ込められてしまった。

 僕は扉を見つめたまま、動けなくなった。少し取り戻していたはずの平静が、また失われていく。頭の奥のどこかで、それを他人事のように眺める自分がいた。

 

 シリウスは振り返り、再び大股で僕に近づいてきた。

「いい加減に、君は自分の状況を見つめ直すべきだ──」

 その言葉は聞こえてはいるのに、意味が頭に入ってこなかった。

 

 ……もういやだ。帰りたい。父上と母上のところに帰りたい!

 ビンクに会いたかった。安心できるところで眠りたかった。生きていてもいいと思わせて欲しかった。誰の顔色も窺わず、いてもいいと言ってもらえる場所に帰りたい。

 こんなところに閉じ込められるくらいなら、ヴォルデモートが乗り込んでくるかもしれないウィルトシャーのほうが、ずっとましだ。殺されたって、望むところだ。もういい。もう、帰りたい!

 

 そう考えながら、頭の奥では自分を嗤う声がした。なんて醜態だろう。ちょっと嫌なことを思い出したくらいで、こんなに取り乱して。まるでホームシックの幼児じゃないか。いったい何年生きているんだ? その年数の間、まったく大人になれなかったのか? いつまで、この子供の外見に甘えているつもりなのだろうか?

 

 胃酸が喉を上るのを感じる。心臓がうるさくて、シリウスの声に集中できなかった。目の前が狭くなっていくようで、足元もおぼつかない。息を整えようとしたのに、口から漏れたのはひどく荒い呼吸だった。

 

 

 ふらついた僕を、シリウスが顔を歪めて見ていた。何か言わなければ。でも、何を? この人が僕を害するはずもないことくらい、分かっている。それなのに、こんなふうに怯えて見せるなんて。

 まともに回らない頭で、叩き込まれた考えが口からこぼれ出た。

「……原因が相手にないのに、他人に対して恐れや怯えを見せるのは……僕が卑劣だからだと、わかっています……ごめんなさい……」

 シリウスは一瞬、ぽかんと口を開けた。それから眉を寄せ、再び話し始める。

「だから、そういう自罰的な考えこそ、君の父親が──」

「違う!!」

 

 ひび割れた声が出た。自分でも驚くほど大きな声になってしまったが、言い直す余裕はなかった。もう立っていられない。後ずさると脚がベッドに当たり、そのまま倒れ込んだ。どうにか身体を引き上げ、シリウスに背を向けるように膝を抱えて丸くなる。

「……今、正気じゃないんです。僕のことを心配するんだったら、もう放っておいてください。お願いだから……」

 目に当たっている膝頭が濡れていくのがわかる。声の震えも抑えられなかった。

 

 不意に後ろから、肩に手が触れた。思わず全身がぎくりと強張る。シリウスの手はすぐに離れたが、それで力が抜けることもなかった。

 ああ、まただ。ただ触られただけじゃないか。何もされていないのに、いったい何をそんなに怖がっているんだ。こんな弱くて醜悪な自分を、これ以上誰かの前に晒していたくなかった。

 

「……ただ、帰りたいだけなんです……」

 口に出してから、今日いちばん後悔した。そんなことを言われたって、シリウスも困るだろう。けれど、もう取り繕う言葉も出てこない。膝に額を預け、そのまま顔を伏せることしかできなかった。

 シリウスは何も言わなかった。数歩下がる足音がして、そこで止まった。

 

 落ち着かなければと思っても、息はなかなか整わなかった。自分がどうかしていることくらい、とっくに分かっている。それを確かめるたびに余計に情けなくなるので、ひとまず何も考えずにいようとした。

 シリウスはまだそこにいるらしい。足音も、扉を開ける音もしない。膝を抱えたままぼんやりと横になっていたが、何か言われることもなかった。

 

 

 ようやく少し呼吸が楽になり、体を起こして顔を上げると、シリウスはベッドから数歩先に突っ立っていた。そこに根でも生えたかのように動いていない。不機嫌そうな顔だったが、その瞳から伝わってくるのは、僕への怒りよりも、困惑と苛立ちだった。

 

 ……あーあ。自分の情緒不安定に、思いっきり無関係な他人を巻き込んでしまった。

 どうしたものだろう。謝りたかったが、また謝れば、いよいよ怒り出すかもしれない。

 

 ふさわしい言葉が見つからないまま、黙って見上げていると、シリウスが口を開いた。

「君を……追い詰めたいわけではなかった。ただ、君自身の状況を見直した方が……」

 そこまで言うと、彼は頭を乱暴に掻いた。

「いや、いい。つまり、理由はどうあれ、私は君を怯えさせているわけだ」

 苦々しい言い方だった。僕は慌てて首を振った。

 

「あなたのせいではないんです、ただ僕が──」

 シリウスは片手を上げ、僕を制した。

「ああ、君がそう言うだろうということは、わかった。でも……実のある話をするためには、君がそんな感じではどうしようもないだろう」

 まだ話を続けるつもりなのか。そう思うと、せっかく緩みかけていた身体に、また力が入った。しかし、シリウスは言葉を口に出した途端、また荒々しく頭を掻いた。

「ああ、くそ、違う!」

 

 シリウスは何度か唇を開きかけてやめた後、ようやくまた話し始めた。

「だから……君がわかるように、私が努力しよう。ここには、君をむやみに傷つけるやつはいないと」

 ……どうやら随分と、気苦労をさせてしまったらしい。申し訳なさが心中に湧いてくる。

 

「気を遣わせてしまいましたが……お手を煩わせずとも、あなたが親戚の子供に乱暴なことをする人ではないとわかっています」

「頭でわかっていようとも、感覚的にはそうではないのだろう」

 それには返す言葉がなかった。今さら平気な顔をしてみせたところで、説得力などあるはずもない。

 

「だから……」

 シリウスはそこで黙り、部屋の中へ目をやった。扉の方を見て、それから僕へ視線を戻すまで、しばらくかかった。

「とりあえず……私はこの部屋には君の許可なしに入らない。ここを君の居場所にすればいい」

 僕が口を開きかけると、すぐに言葉が続いた。

「ああ、謝るなよ。礼も言うな。そもそも……君は、いたくてこの屋敷にいるわけではないのだから」

 

 結局、僕は何も言えずに頷いた。シリウスもそれ以上は話さず、扉へ向かった。

「夕食には呼びに来る」

 鍵の開く音がして扉が開き、彼の姿が廊下へ消える。今度は、扉が閉まったあとに鍵の音はしなかった。

 

 ……随分と彼にストレスをかけてしまった。申し訳ないとは思うのだが、どうすればいいか考えるには、もう疲れすぎていた。膝を抱えていた腕を解き、そのままベッドに仰向けに倒れ込む。

 今度は、夢を見なかった。

 

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